著者
古屋 恵太
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.13-25, 2013-03-31

近年、大恐慌期以前のデューイの思想に、現代における「集合的知性」論のルーツを求める動きが見られる。本稿が目的とするのは、集産主義の時代、すなわち、1930年代のデューイの政治的著作を中心的に取り上げることで、この時代にこそ明言されたデューイの「集合的知性」の特性を導出することである。本稿では、デューイが政策や制度としての集産主義を、「集合的」なものを哲学的に思考する砥石とし、科学的探求者の協働や、人間の協働の具現化たる人工物に「集合的知性」を見出したことが論じられる。
著者
八鍬 友広 Yakuwa Tomohiro
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.524-535, 2003-12

How many people could read and write in Tokugawa Japan? This is the main topic for this paper. Actually it's very difficult to calculate the number of people who could read and write in Tokugawa Japan. Because there are no documents like marriage certificates with signatures, as most research on popular literacy in western society usually include. But we can glean fragmentary information about popular literacy by following historical sources: (1) the surveys on the rate of people who could write their own names in the Meiji period, (2) the "Monjincho", attendance books of "Terakoya", and (3) the historical materials with "Kao", special signature in medieval and early Tokugawa Japan. (1) There were several surveys on the rate of people who were above six years old and could write their own names during 1877-1889. Results of those surveys of Shiga, Gunma, Aomori, Kagoshima and Okayama prefectures were listed on "Monbusho Nenpo", annual report of Japanese Ministry of Education. Those surveys show that about 90% of men in Shiga could write their names, but on the other hand 33% of men and only 4% of women in Kagoshima could write their own names. The 1879 survey of Kuga County, one of the counties of Yamaguchi Prefecture, on the rate of people who could write their names is important. It covered 122 villages and towns, 88 school districts and a population of approximately 135,000. The literacy rate, the rate of people who could write their own names for the total population, was 36.3%(men 55%, women 16.5%). The literacy of men of every district ranged from 19.3% to 98.3% and women from 0% to 68.5%. Literacy rate has minus correlation with the rate of agriculture population (r= -0.66), and has plus correlation with the rate of commerce and manufacture population (r=0.65). (2) The "Monjincho" of "Jishuusai juku" in Omi and "Isobe Juku" m Echigo show how many people of those regions were enrolled for Terakoya. According to Jun Shibata, 91% of Kitanosho village people were enrolled for "Jishusai juku" in 19 Century. Through the case of "Isobe juku" we can see the situation in the 18th Century In Komachi one of the towns of Murakami city, 64% of the households had their children, at least one child, enroll for "Isobe juku" in the middle of the 18th Century. (3) In medieval and early Tokugawa period there were some documents with "Kao", special signature. To sign "Kao" practice in writing was required. Those who could not sign "Kao" marked a circle by stem of the brush. Therefore we can know the literacy through these documents. According to Masanobu Kimura, about 80% of the present head of the family could sign "Kao" in the first half of the 17th Century. We can conclude that partial literacy has already been considerably high even in early Tokugawa period, and a major difference of literacy between men and women existed, which deeply depended on the region even in early Meiji era.
著者
近藤 孝弘
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.187-199, 2014-06-30

歴史教育を論じる際に、国民国家とグローバリゼーションを対立的にのみ捉えるのは不適切である。前者は後者を軸に展開した近代史の中で発展を遂げたのであり、歴史教育には既に両者間の緊張を含む深い結びつきが刻印されている。世界の変容を踏まえ、従来の形に修正を重ねつつ民主国家を担う政治的市民を育成するという課題に取り組んできたドイツの例は、歴史教育の課題について長期的視野から再考する必要性を訴えている。
著者
坂元 昂
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.47-60, 1968-03-30 (Released:2009-01-13)
参考文献数
37
著者
竹中 暉雄
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.344-352, 2000-09-30

ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853〜1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年〜1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
著者
竹中 暉雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.344-352, 2000-09-30 (Released:2007-12-27)

ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853~1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年~1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
著者
西平 直
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.395-405, 1999-12

本論は、「精神世界」という知の枠組み(日本におけるニューエイジ潮流)を検討したものである。1980年代以来、この潮流は、物質中心主義の既成の学問体系(アカデミズム)に対する代案として、成立してきた。 この潮流をオカルト主義とだけ理解してはならない。むしろ、それは、地球の危機と近代文明の限界を痛感した人々によって,自然発生的に求められた新たな世界観(コスモロジー)であり、その特徴は、エコロジカル・ホリスティック・コスモロジカル・トランスパーソナル・スピリチュアルといった形容詞によって示される。アカデミズムは、こうした大衆的潮流といかに関わるべきなのであろうか。 まず、三つの鍵概念が検討される。1「こころ」心理学的、精神的、宗教的な領域の複合態。2「からだ」物質としての肉体ではなく、私たちがそれとして生きている身体。3「いのち」個人の生命ではなく、むしろ、生きとし生けるものの命であり、地球生命体の命である。こうした鍵概念は、近代の物質中心主義的還元主義に対する代案としての意味を持っている。 続いて、二つの理論が検討される。1ホリスッティック教育。2トランスパーソナル心理学。どちらも、既成のアカデミズムと対話の可能性を秘めた理論である。 こうした考察の後、本論は、この潮流の問題点を以下のように捉えた。1、この潮流は今後とも拡大し続け、とりわけ、環境問題に心を痛め、近代科学に限界を感じる人々によって支持されるであろう。2、しかし、そのロマン主義的傾向から、この潮流は大衆受けするエンタテインメントに成り下がる危険性を持つ。3、それを避けるためには、既成のアカデミズムとの対話が必要である。4、アカデミズムの側からの共感的かつ批判的な対応が求められている。それは、単にサブカルチャーであるこの潮流のためではなく、アカデミズムが脱近代社会における人々の必要と結びつくためにも、大切なことである。
著者
大谷 尚
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.110-124, 2006

小論では、情報技術の教育利用に関して筆者が継続している質的研究を通した論考を示し、学習の場での観察的かつ理論的な研究の重要性を論じる。まず情報化に対応した教育政策の概観と、情報化社会に関する諸言説の検討を行う。その上で、技術の存在論的で現象学的な意味と意義について、ハイデッガーの『技術への問い』を通して検討する。これに基づき、情報技術の教育利用に関する著者自身の現象学的な質的研究について述べ、質的研究手法についても概観する。その後、総合的な学習の時間のインターネット利用での未習漢字の問題とその事例の検討を通して、近代文書化技術により形成されたカリキュラムや教授・学習文化の本質的特徴、また教師と学習者との不可視の権力構造に言及し、それらの脱構築の必要を論じる。最後に、情報技術の使用による人間発達への否定的影響と同時に、情報技術を通した人間の解放の事例と可能性についても触れ、教育学の課題を論じる。
著者
上野 浩道
出版者
日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.174-175, 1998-06-30
著者
広川 由子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.297-309, 2014-09-30

本稿は、占領期日本における英語教育構想を新制中学校の外国語科の成立過程に焦点を当てながら明らかにすることを目的とする。占領初期の米国国務省案は、民主的な教育制度の確立要件として英語教育とその大衆化を掲げた。これがSFEの勧告となり、それをCI&Eが具体化したことによって新制中学校に外国語科が導入された。一方、文部省は導入に消極的な姿勢を示しており、導入を決定づけた英語教育構想は、米国政府から提出されたものだったと指摘できる。
著者
石戸 教嗣
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.185-194, 313, 1, 2002-06-25

今日の学校における公共性の錯綜した状況は、ポスト福祉国家のあり方をめぐって、保守主義対リベラリズム、ネオリベラリズム対ラジカル・デモクラシーという枠において論じられてきた。また、最近ではグローバル化した社会と文化多元主義という観点からのとらえ直しもなされている。本論では、まず学校の公共性をめぐる各種の具体的な問題を問題群I〜IIIの3つの群に整理し、それらの3つの問題群をこれまでの公共性論と関連づけて考察した。問題群皿として取り上げられるのは、コミュニケーション能力を十分に持たない、特殊なニーズを抱える子どもたちのそれである。アレントは先駆的にこの問題に光を当てていた。アレントは彼女自身の体験から「見捨てられた境遇」の人々について注意を払っていたが、そのような存在から脱却した英雄的市民から成る公共圏のイメージにとらわれ、両者を統一する理論を提起できなかった。この理論的課題に答える上で、本論ではルーマンのシステム論における「組み入れと排除」の概念、および「尊厳」概念に注目した。ルーマンはシステム化した機能主義社会においてはシステムにいながらにして排除される可能性があることを指摘する。排除された者は自己の尊厳を守るために、関わりをもつ社会的状況から退出し、ますます尊厳を失うことになる。このような悪循環から脱却するためにはその問題に「世論」が注目し、「人物」として関心をもつことがまず求められる。このようにして、本論では、「公共性」を自己表出の可能性およびその回復のプロセスとしてとらえた。