著者
斎藤 文紀
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.235-242, 1998-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
55
被引用文献数
36 50

東シナ海における最終氷期の海水準を明らかにするため,今までに報告されている350を超える放射性炭素年代値と最近の音波探査などの報告を検討した.この結果,50,000~25,000yrs BPについては,黄海や東シナ海において三角州の発達が認められ,当時の海水準は黄海で-80±10m,東シナ海で-90±10mと推定された.また最終氷期最盛期については,海成層と陸成層の分布深度や海底地形などから,最低位海水準は-120±10mと推定された.これらの値は従来報告されている値よりも浅い.
著者
小田 静夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.409-420, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
27
被引用文献数
2

黒潮の流れは, 海産生物や陸上植物の拡散に協力したばかりでなく,「海上の道」となり先史時代以来, 多くの南方的な要素を日本文化にもたらした. 九州の南海上に連なる南西諸島では, 珊瑚礁内の豊かな魚貝類を基盤に,「珊瑚礁文化」を形成させた. 高度に発達した貝製品は, 九州の弥生人を魅了し, 南海産大型巻貝の交易活動を促進させ, 黒潮の流れを利用した「貝の道」が成立した. 伊豆諸島も黒潮本流の終点近くに位置し, 縄文前期末頃から積極的な渡島活動が開始され, 黒潮本流を越えた八丈島にまで進出した.一方, こうした本土と島嶼地域の往来とは別に, 黒潮圏に遠く南方地域から北上した先史文化が認められる. 南西諸島の宮古・八重山列島には, シャコガイのちょうつがい部分を利用した貝斧が盛行している. この貝斧はフィリピン諸島に類似例が存在し, この地域との関係が推察される. 八丈島や小笠原諸島でも発見されている玄武岩製の円筒片刃磨製石斧は, マリアナ諸島で発達した円筒石斧と呼ばれる石製工具と同種のものである. 最近確認された小笠原・北硫黄島の石野遺跡には, マリアナ地域や南西諸島の先史文化に類似点を多くもつ土器, 石器類が検出されている. このように, 黒潮の流れに沿った地域の先史文化には, 周辺地域からの複雑な人類拡散の動態が看取され, 北西太平洋を囲んだ島嶼群の大きな「黒潮文化圏」として把握できそうである.
著者
中里 裕臣 佐藤 弘幸
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.251-257, 2001-06-01
参考文献数
51
被引用文献数
9 29

下総層群は,年代値の得られているテフラの対比および酸素同位体比曲線との対比から約45万年前~8万年前の年代を占める.各累層境界は陸成層や不整合の存在から海面低下期に対応する.千葉県の木更津-姉崎地域で確立された下総層群の標準層序は,テフラの追跡・対比により木更津市以北の千葉県北部全域に適用できる.<br>成田市-東金市以東の千葉県北東部において,従来上総層群に対比されていた塊状シルト層の上部は,テフラの対比によって地蔵堂層に対比され,その堆積深度はより南西側の地蔵堂層に比べ深い.したがって,地蔵堂層堆積期までには,この地域における"鹿島"隆起帯の顕著な活動は認められない.さらに,下総層群の各累層基底面等高線図から,これらの面の傾動速度の経時変化を求めると,地域によって違いが認められる.その境界は千葉-八潮断層の延長線,成田-多古を結ぶライン,利根川沿いにあると考えられ,鹿島-房総隆起帯の運動にブロック化が認められる.特に千葉県北東部は藪層堆積期に急激な傾動を受けた."鹿島"隆起帯が顕在化する時期は藪層堆積期であり,その影響によりこの地域ではバリヤー島システムが形成された.
著者
坂井 正人
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.231-237, 2012-08-01
参考文献数
24
被引用文献数
1

ナスカの地上絵が,何のために制作されたのかという疑問に対して,説得力のある答えは得られていない.しかし,豊作を祈願するために制作されたという説が最も有力である.本研究では,地上絵の考古学的研究に対する将来の布石として,ペルー南部海岸ナスカ台地付近の農民たちが,気象現象に関する独自の認識や知識を持っていることを明らかにする.今回の調査によって,以下の4つの認識・知識を持っていることが明らかになった.(1)ナスカ台地周辺で農耕に利用している水は,ペルー南部高地に降る雨に由来する.(2)ペルー南部高地に雨が降るのは,「海の霧」が海岸から山に移動して,「山の霧」とぶつかった結果である.(3)雨期にもかかわらずペルー南部高地に雨が降らないのは,「海の霧」が山に移動しなかったからである.(4)海水を壷に入れて,海岸から山地まで持っていけば,山に雨を降らせることができる.
著者
斎藤 文紀
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.95-111, 2011-04-01 (Released:2012-04-01)
参考文献数
59
被引用文献数
1 5

現在の沿岸域の地形や堆積物,または地層に残された沿岸域の堆積物から海水準変動への応答や古環境変遷を解析するには,これらを堆積システムとして捉えることが重要である.これは堆積相解析やシーケンス層序学的な解析を行う際の基本となる.現在見られる沿岸域の堆積環境や沖積層を堆積システムの視点から解析することは,過去の地層の理解に役立つばかりでなく,将来の環境予測への鍵となる.
著者
上杉 陽 新川 和範 木越 邦彦
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.165-187, 1994-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
52
被引用文献数
4 5

伊豆諸島北部 (大島~三宅島) の諸火山の噴火, 相模トラフ系大地震, 伊豆半島の北伊豆断層系~平山断層の変位, 箱根火山の噴火, 駿河トラフ系大地震, 富士山の噴火との間の歴史時代の同期・連動関係についてのデータが増えつつある. さらに遡って更新世後期あたりまでのデータを得るためには, まず第1に, 伊豆大島~相模湾岸~房総半島地域のテフラの主体をなす大島火山系テフラの模式地を設定し, 誰もが容易に観察・試料採集できる状態にせねばならない. そこで, 伊豆大島千波崎の地層切断面露頭群を模式地として, 20分の1のテフラ標準柱状図と200分の1露頭スケッチを作成した. まず前者の図を公表し, 若干の説明を付す.
著者
公文 富士夫 河合 小百合 井内 美郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.13-26, 2003-02-01
参考文献数
45
被引用文献数
8 24

1988年に野尻湖湖底から採取されたオールコア試料の上部について,30~50年間隔の精度で有機炭素(TOC)・全窒素(TN)の測定と花粉分析を行った.<br>4点の<sup>14</sup>C年代測定,鬼界アカホヤ(K-Ah)および姶良Tn(AT)の指標火山灰年代に基づいて推定した堆積年代と,TOC・TNおよび花粉の分析結果に基づくと,遅くとも<sup>14</sup>C年代で1.4~1.5万年前より前には落葉広葉樹花粉の増加で示されるような温暖化が始まり,以後,「寒の戻り」を伴いながら約1万年前まで温暖化が進行した.約1.3万年(較正年代1.5万年前)前後には,「寒の戻り」を示す亜寒帯針葉樹花粉の明瞭な増加が認められる.約1,2万年前(較正年代1.4万年前)には,広葉樹花粉の急増と針葉樹花粉の激減があり,同時に全有機炭素・窒素量の激増も認められ,短期間のうちに急激に温暖化が進行したと推定される.なお,<sup>14</sup>C年代で約1.45万年前にも微弱な広葉樹花粉の減少が認められる.<br>これらの気候変動のパターンは,北大西洋地域の気候イベント(新旧ドリアス期など)とよく似ているが,本稿における編年に基づけば,北大西洋地域よりもそれぞれ2,000~3,000年ほど古いようにみえる.較正年代で約1.3万年前と9千年前においても,軽微な気候変動が認められ,そのうちの後者はボレアル期に対比できる.
著者
中村 俊夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.171-183, 1995-08-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
60
被引用文献数
6 4

1950年頃にLibby(1955)によって開発された14C年代測定法は,現在,地質学,地球科学,環境科学,考古学,文化財科学などさまざまな分野で利用されている.この45年の歴史をもつ放射能測定(14Cの放射壊変で放出されるβ線を検出し,14C濃度を知る方法)による14C年代測定法に対し,加速器技術を取り入れた新しい14C年代測定法(加速器質量分析法)が約15年前に開発され,現在全世界で活躍している.ここでは,名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計を用いた14C年代測定の現状を概観し,測定される14C年代値の信頼度をさらに向上するための検討課題について,すなわち,試料の採取,試料調製,加速器質量分析法による14C濃度測定などの14C測定上の問題,および14C濃度から14C年代値の算出,その暦年代への較正に至るデータ処理上の問題点について議論する.さらに,14C年代測定法と他の年代測定法との比較について紹介し,タンデトロン分析計の利用の実情と将来計画について概説する.
著者
菅 香世子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.59-75, 1998-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
3 4

伊豆・小笠原弧北部の火山フロントに位置する八丈島火山群は,活動年代が異なる複数の小型成層火山の複合体である.入丈島火山群を構成する各火山の原形と生成順序は,それらの地質と火山地形から推定することができる.八丈島火山群の火山は,安山岩を主体とする火山と,玄武岩を主体とする火山とに分けられ,後者でも活動の後期には安山岩あるいはデイサイトマグマが活動することがある.このため,八丈島火山群では安山岩の産出頻度が高い.また,最近の10数万年間だけでも7~8個の小型成層火山が生成されてきた八丈島火山群は,マグマの上昇径路となる開口割れ目が比較的生じやすい条件下にあるといえる.八丈島火山群は,伊豆・小笠原弧北端部と本州弧との衝突に起因するNW-SE方向の圧縮の影響を多少は受けているものの,基本的には伊豆・小笠原弧で卓越する伸張のテクトニクストの下に置かれていると考えられる.
著者
近藤 玲介 塚本 すみ子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.243-254, 2009-08-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
31
被引用文献数
2 5

北海道北部に位置する利尻火山は,山麓部が新期および古期火山麓扇状地に覆われるが,古期火山麓扇状地の堆積要因や形成年代には不明な点が多い.本研究では,古期火山麓扇状地面が最も広く発達する利尻火山西部において,扇状地堆積物を記載するとともに形成年代を推定した.利尻火山西部の扇状地堆積物は上部と下部の2ユニットに大別され,上部ユニットには複数の層準にレスおよびその再堆積物が挟まれる.これらの層準から試料を採取し,石英微粒子法によるOSL年代測定を行った.この結果と層相の特徴を総合すると,古期火山麓扇状地の下部ユニットは,沓形溶岩流の噴出後から約22 kaまでの間に,沓形溶岩流噴出に伴う不安定斜面形成の影響を受けながら急速に堆積した.そして,上部ユニットは約22 kaから完新世初頭まで,すなわち最終氷期極相期以降の寒冷な気候環境の影響を受けて断続的に堆積し,扇状地を形成したことが明らかとなった.これらのことから,古期火山麓扇状地の地形発達は,利尻火山の活動と気候環境が複合的にかかわりあった結果であることを示す.
著者
Yudzuru Inoue Tadakatsu Yoneyama Shinji Sugiyama Hideki Okada Yoshitaka Nagatomo
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
The Quaternary Research (Daiyonki-Kenkyu) (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.307-318, 2001-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
9 13

ca.24.5ka以降に,南九州都城盆地の成層シラス台地上に発達した累積性黒ボク土断面の連続試料について,炭素・窒素安定同位体自然存在比(δ13C値,δ15N値)を測定し,その時系列変化を既報の植物珪酸体分析の結果などをもとに考察した.その結果,土壌のδ13C値から算出したC3およびC4植物起源炭素の比率と,植物珪酸体分析の結果から算出したC3およびC4植物の比率は,一部の試料を除いてC3植物>C4植物の傾向を示し,おおむね類似した.C3植物起源炭素の比率が優勢なアカホヤ(ca.6.5ka)上位のクロニガ(埋没腐植層:4A)および御池テフラ(ca.4.2ka)上位のクロニガ(埋没腐植層:2A)を含む第5~4層および第3~2層は,それぞれメダケ属(メダケ節・ネザサ節)と相関が高い(R2=0.917,0.806).そして,クロニガ(埋没腐植層)における土壌有機物の給源植物種は,C3植物のメダケ属が主体であると推定された.δ15N値は,一部を除いて既往研究により,乾燥した環境と推定される層準で高く(最高値10.0‰),湿潤な環境で低く(最低値2.9‰)なる傾向を示した.それは,激しい気候の変動(乾湿変動)や土壌条件によって変化する可能性を示唆する.
著者
Toshiro NARUSE Hitoshi SAKAI Katsuhiro INOUE
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
The Quaternary Research (Daiyonki-Kenkyu) (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.295-300, 1986-01-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
21
被引用文献数
11 13

我が国に分布する土壌のうち, 火山灰土 (クロボク土), 古砂丘下に埋没する古土壌, 玄武岩台地や海成段丘上にのる土壌, 南西諸島の赤黄色土など, 北海道から与那国島にかけての地域で20試料を採取した.試料土壌中に含まれる微細石英 (1~10μm) は, 10~30%と多く, この微細石英の起源を明らかにするために石英の酸素同位体比 (18O/16O) を求めた.その結果, 完新世に生成された火山灰土や黄色土中に含まれる微細石英の18Oは15.4~15.9‰であり, これまで行われた研究の結果とほぼ一致した. 最終氷期に生成された土壌についても, ほぼ同様の値が得られ(δ18O=14.1~15.5‰), これも, 従来の研究の結果とほぼ一致した.以上のことから, 我が国には最終氷期, 後氷期を通じて頻繁に風成塵が飛来し, また雨水や雪にともなって降下堆積し, 土壌の母材になったことが明らかとなった.
著者
町田 洋 新井 房夫 杉原 重夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.19, no.3, pp.233-261, 1980-11-15 (Released:2009-08-21)
参考文献数
63
被引用文献数
34 41

The middle Pleistocene time range is defined here the period before the last interglacial in the Brunhes epoch. In Japan, the Shimosa-Kazusa Groups around the Tokyo Bay in Kanto and the upper part of the Osaka Group in Kinki both represent the standard middle Pleistocene sequences and have been studied in detail. These groups are characterized by the cyclic sedimentation caused by transgression and regression corresponding to climatic changes.The purpose of this paper is to attempt the correlation of the Kazusa Group and the Osaka Group by identification of widespread marker-tephras. Accurate determinations of the refractive indices of volcanic glass, orthopyroxene and hornblende, together with other determinations, have enabled successful characterization for correlation to be made for several tephra layers in southern Kanto and Kinki. The following marker-tephras are found over two districts, resulting in the establishment of several important datum planes in the middle Pleistocene sequences.The vitric tephra called Ks 11, which is sandwiched in the Kasamori Formation and its correlatives in southern Kanto, can be identified as a marker tephra of the Osaka Group called Sakura ash, in the vicinity of Osaka and Kyoto. The estimated age of this tephra, about 450, 000 years, is based on its stratigraphic relationship with the underlying dated tephra, Kinukawa ash (460, 000-470, 000 years). Stratigraphically, it is included in the deposits immediately below the transgressive horizon (Tama-f and Ma 7) and also occurrs in the biozone of Stegodon orientalis in both districts. The vitric tephra called Ku 1, sandwiched in the Kokumoto Formation, is identified and correlated with a tephra called Imakuma I ash. It is included in the deposits immediately above the Brunhes-Matuyama boundary. The very important dated tephra, Azuki ash (870, 000 years), in the Osaka Group, can be correlated with Ku 6C tephra in the lower part of the Kokumoto Formation by their peculiar petrographic properties. Both are sandwiched in the deposits below the Brunhes-Matuyama boundary.From the relationship between the identified tephras and marine sequences, it is concluded that during the period from 700, 000 years to 450, 000 years at least three interglacial-glacial cycles are recorded, and that after 450, 000 years the following major interglacial episodes are indicated; 450, 000YBP, 370, 000YBP, 300, 000YBP, 230, 000YBP, and 130, 000YBP.
著者
春成 秀爾
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.517-526, 2001-12-01
参考文献数
38
被引用文献数
1 2

自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった<sup>14</sup>C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.<br>縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.
著者
尾田 太良 嶽本 あゆみ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.341-357, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
13
被引用文献数
22 26

第四紀古海洋復元のための基礎研究として, 日本列島太平洋側海底の表層堆積物中の浮遊性有孔虫遺骸群集を調べ, 表層水塊との関係を検討した. この結果に基づき, 四国沖, 遠州灘沖, 房総沖および鹿島灘沖の4海域より採取したコアの浮遊性有孔虫化石群集の垂直的分布から, 過去2万年間の黒潮の流路の変遷を推論した.20,000~16,000年前には, 西南日本沖の黒潮の流路は現在より南にあり, 四国沖や遠州灘沖では冷水塊が頻発していた. 15,000~14,000年前には, 黒潮は西南日本沖で南に大きく蛇行し, 黒潮前線は房総沖にあった. その時期には四国沖や遠州灘沖で冷水塊が発生していた. その後, 11,000年前までに西南日本沖では黒潮の影響が強くなった. 房総沖と鹿島灘沖では, 11,000年前頃短期的な寒冷化があった後, 急速に温暖化した. 10,000~9,000年前には黒潮の流軸は本州に近づき, 黒潮前線も北に移動しはじめた. 9,000~6,000年前には黒潮はさらに西南日本に接近し, 黒潮前線は6,000年前に最も北上した. 5,000年前以降, 黒潮は西南日本沖で現在の流路に近づいたが, 4,500~1,500年前には, 房総沖や鹿島灘沖で冷水塊が発達していた.
著者
宍倉 正展
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.17-28, 1999-02-01
参考文献数
29
被引用文献数
4 5

房総半島南部の保田低地には,高位から保田I面,II面,III面,IV面の4面の完新世海岸段丘が発達する.詳細な地形・地質調査の結果,従来,元禄地震時(1703年)の地震隆起に伴い形成されたと考えられていた最低位の保田IV面は,段丘面上の泥炭の年代,歴史的遺物の証拠から元禄地震以前に離水していたことが明らかになった.さらに,地形的証拠と古文書・古絵図の記載から判断すると,保田低地は元禄地震時に沈降したと考えられる.また,保田I面,保田II面は4,350yrs BPより前,保田III面は2,200yrs BPより前に離水しており,いわゆる元禄型地震によって離水した沼面群とは対比できない可能性がある.これは,元禄型地震のたびに保田低地が沈降していることを示唆する.保田面群の成因を大正型地震によるものと考えれば,保田I面の旧汀線高度から,大正型地震の平均再来周期は670年以内であると推測される.
著者
大場 忠道 Banakar Virupaxa K.
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.223-234, 2007-06-01 (Released:2008-08-21)
参考文献数
56
被引用文献数
6 7

深海底堆積物コア中の底生有孔虫殻の酸素同位体比カーブは,これまでに数多く報告されてきた.それらは,過去の気候変化と海水準変動にとって充分に確立された信頼のおける指標である.将来の気候で起こりそうな動向を理解するためには,過去の間氷期の記録において最も温暖であった期間を正確に見極めることが必要である.この総説で,われわれは過去の間氷期の温暖な程度を理解するために,過去42万年間のこれまでに報告された9つの高分解能な酸素同位体記録を比較した.その酸素同位体比の変動から描き出された間氷期の暖かさの順番は,海洋同位体ステージ(MIS)5.5>9.3>11.3>1>7.5である.この間氷期の暖かさの順番は,Lisiecki and Raymo(2005)の標準酸素同位体比カーブと,また南極のEPICAドームCの氷床コアの水素同位体比カーブときわめてよく似ている.とくに,MIS 5.5中の最も温暖な期間における相対的な海水準は,MIS 1の期間よりあるいは現在より,おそらく約7±4m高かったであろう.一方,MIS 11.3は,過去の5つの間氷期の中で最も長い温暖期であることが明らかになった.この観察事実は,温暖化が進行している将来の地球環境を予測するためには,MIS 5.5と11.3の詳細な研究が本質的で重要であることを明瞭に示唆している.
著者
川村 賢二
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.109-129, 2009

第四紀後期の古気候研究において,氷床コアは重要な役割を果たしてきた.特に,南極やグリーンランドで深層掘削された氷床コアからは,温室効果気体の濃度が氷期—間氷期の気候変動を強める方向に変動したことや,氷期の間には急激な気候変動が幾度も起こっていたことを明らかにしてきた.日本が独自に掘削したドームふじ氷床コアからは,気泡の酸素濃度(O<SUB>2</SUB>/N<SUB>2</SUB>)が現地の夏期日射量を物理的メカニズムにより記録していることを用いて,そのオービタルチューニングにより,過去34万年間にわたる年代決定の精度を2,000年程度へと飛躍的に高めることに成功した.この年代は,地球軌道要素からの強制力に対する,グローバルな環境変化のタイミングの把握と,メカニズムの理解に向けた有力な手がかりを与える.ここでは,南極氷床コアから氷期—間氷期変動のメカニズムを考察するために必要となる,気候変動とCO<SUB>2</SUB>変動との関係や,南極の気候変動と他地域の変動との関係,時間スケールの異なる変動間の関連など,筆者がNatureに掲載した論文では省略せざるを得なかった多くの点を含めて解説する.異なる時間・空間スケールの変動を総合的・有機的に捉えることで,南極の気候変動のタイミングが10万年周期の氷期—間氷期サイクルに関するミランコビッチ理論と整合的であることを示す.今後は,第2期ドームふじ氷床コアにより,正確な年代をさらに延ばしていくことと,間氷期前後の詳細な解析が重要になる.
著者
河村 善也 亀井 節夫 樽野 博幸
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.317-326, 1989 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
24 41

The Middle and Late Pleistocene mammalian faunas of Japan are described with new opinions on their succession and relation to the continental faunas. Although fossil materials assignable to early Middle Pleistocene are seemingly scarce in Japan, the fauna of that time is considered to have been transitional between the Early and Middle Pleistocene ones. On the other hand, fossil records which are younger than early Middle Pleistocene are abundant from the mainlands of Japan; viz. the Honshu-Shikoku-Kyushu area.In the middle Middle Pleistocene, the fauna of this area contained a considerable number of taxa which are extant today in the area (about 50%). It was also characterized by a high proportion of endemic species and the predominance of temperate forest elements. From this time to the late Middle Pleistocene, several species disappeared from the fauna; at the same time, immigrants from the continent were scarce. The faunal characters of the late Middle Pleistocene were basically identical with those of the preceding time.In the early Late Pleistocene, no mammal seems to have immigrated from the neighboring continent, and faunal composition was almost consistent with that of the late Middle Pleistocene. The elements of that fauna still persisted in the late Late Pleistocene, apart from the extinction of a few forms. In addition to the fact mentioned above, immigration from the northern part of the continent was recognized in the late Late Pleistocene, although it was restricted to a few large herbivore forms and to a short time duration.The introduction of the continental faunas to the mainlands of Japan during Middle and Late Pleistocene times was not so remarkable as previously inferred. Therefore it becomes doubtful that the faunas of the area were drastically replaced by the immigration of the Choukoutien, Wanhsien and Loess faunas of China during those times.
著者
廣瀬 孝太郎 長橋 良隆 中澤 なおみ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.157-173, 2014-06-01 (Released:2014-10-24)
参考文献数
43
被引用文献数
1 11

福島県猪苗代湖の湖心部付近において湖底堆積物(掘削深度37.13m, コア採取深度0~28.13 m;深度は湖底面からの深さ)を掘削した.この湖底堆積物コア(INW2012)を模式コアとして,猪苗代湖層と命名する.猪苗代湖層は,岩相層序により,下部・中部・上部に3分される.下部(深度37.13~26.60m)は,砂礫層と細礫や材片を含み上下方向に岩相変化の激しい中粒砂層や砂質シルト層からなる.中部(深度26.60~24.89m)は,全体を通じて上方に細粒化する極細粒砂~シルト層からなり,材片が散在する.上部(深度24.89~0.00m)は,主に明暗縞状に細互層する粘土からなり,それとは岩相から区別されるテフラ層や粘土~砂の薄層などの非定常時の堆積物を挟在する.下部・中部・上部は,それぞれ猪苗代湖形成前の河川成堆積物,猪苗代湖形成初期の湖成堆積物,現在と同程度の大水深環境下で形成された湖成堆積物と解釈される.挟在するテフラ層のうち6層は,層相と岩石学的検討に基づき,下位よりAT, As-K, To-Cu, Nm-NM, Hr-FA, Hr-FPに対比した.また,堆積物中の材片の14C年代値と岩相層序から,猪苗代湖が湖として成立したのは約42,000年前であり,猪苗代湖層上部の堆積速度は0.3?1.0mm/yrとなる.