著者
河村 善也
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.1-12, 1992
被引用文献数
3 5

帝釈峡遺跡群に属する観音堂, 堂面, 穴神, 馬渡の4遺跡から産出した哺乳動物化石の層序学的な分布を, 現在までに得られた資料をもとにまとめた. これらの遺跡から産出した哺乳類の約69%は現在もこの地域に生息する種類で, その大部分は後期更新世の後半から連続してこの地域に生息していたものと考えられる. 一方, 全体の約19%は現在この地域には分布しないが, 他の地域には生息している種類で, これらは後期更新世から完新世にかけてのいろいろな時期に, この地域から絶滅したと考えられる. 残りの12%は絶滅種で, それらはすべて後期更新世末までに絶滅したと考えられる. 現在この地域に分布しない種類や絶滅種のこの遺跡群における消滅層準の年代は, 32,000から21,000年BPの間 (ヒョウ), 21,000から16,000年BPの間 (ニホンモグラジネズミ, ヒグマ属, ゾウ科の動物), 16,000から12,000年BPの間 (ニホンムカシハタネズミ, ブランティオイデスハタネズミ), 10,000年BP頃 (ヤベオオツノシカ), 6,000から5,000年BP頃 (オオヤマネコ) で, これらの年代は各種類の本州におけるおおよその絶滅時期と対応する可能性が高い.
著者
堤 隆
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.205-218, 2003-06-01
参考文献数
57
被引用文献数
1

日本の後期旧石器時代は,未較正の<sup>14</sup>C年代で3.3万年前から1.3万年前のおよそ2万年間存続し,時期的にはAT降灰期前後を境に前半と後半に区分される.本稿では,前半期を前葉と後葉に,後半期を前葉・中葉・末葉に区分し,各時期の石器群の様相について,特に寒冷気候への適応に注目して概観した.前半期前葉は局部磨製石斧と台形様石器に,前半期後葉は石刃技法の成立やナイフ形石器の登場に,後半期前葉は石器群の地域性の発現に,後半期中葉は尖頭器石器群などの地域的展開に,後半期末葉は列島全域におよぶ細石刃石器群の展開によって特色づけられる.<br>後期旧石器時代前半期前葉に登場する掻器と呼ばれる石器は,後期旧石器時代の諸石器群にあまねく伴う石器ではなく,時空的な偏りをもって保有される石器である.とくに掻器は高緯度地域に濃密に分布する傾向があり,使用痕分析から導き出される皮なめしという機能推定とあいまって,防寒のための毛皮革製品製作用具であることがうかがえ,寒冷環境への適応を物語る石器として重要視される.<br>後期旧石器時代の編年を地域ごとにいかに精緻に組み立て,同位体ステージで示されるような環境イベントとの対応関係をどのように読み取るかは,後期旧石器時代研究の今日的な課題のひとつである.掻器の存在は,最終氷期最寒冷期のより寒冷な環境への人類の適応戦略の解読を可能としている.
著者
長谷川 善和
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.18, no.4, pp.263-267, 1980-02-29 (Released:2009-08-21)
参考文献数
21
被引用文献数
12 21

The mammalian fauna of Okinawa in the period from Late Pleistoceneto Recent is discussed. The Ryukyu Islands are known for abundant occurrence of deer fossils of Miocene type. The Yamashita-cho site of fossil man, 32, 100±1, 000y.B.P. (TK-78) in age, yields deer fossils and no other mammals. On the other hand, at the site of the Minatogawa man, 18, 250±650y.B.P. (TK-99) to 16, 600±300y.B.P. (TK-142) in age, deer fossils become few while boar fossils increase remarkably. This indicates that the Ryukyu boar gained ground taking the place of deer.Wild boars are living in such islands as Amami Oshima, Okinawa, Ishigaki and Iriomote, and many shell-mounds reveal the existence of boar. In all probability, migration of Sus must have taken place since the time of the Minatogawa man, that is, during the Würm maximum. Geologically the Ryukyu Islands are supposed to have been already separated from the continent at that time, but the occurrence of Sus suggests that the islands were partly connected with the continent even in the Würm maximum.
著者
小倉 博之 吉川 周作 此松 昌彦 木谷 幹一 三田村 宗樹 石井 久夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.179-185, 1992-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
24
被引用文献数
1 1

大阪平野の上町台地南部の台地構成層中に挾在する火山灰・含有化石の記載・分析ならびに有機物の14C年代測定をおこなった. その結果, 中位段丘層相当層の上町層上部から北花田火山灰, 吾彦火山灰を発見し, それぞれ広域火山灰のK-Tz, Aso-4に対比し, 上町層上部の堆積時期を知る手がかりを得た.さらに, 上町層を不整合に覆う常盤層の存在を指摘し, 平安神宮火山灰が挾在すること, その直下から23,400年BPの14C年代測定値を得たことから, 常盤層を低位段丘層に対比した. 以上より, 従来中位段丘面とされていた本地域の台地面は, 常盤層の堆積面, すなわち低位段丘面であることが明らかになった.
著者
早川 由紀夫 由井 将雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-17, 1989
被引用文献数
5 23

The eruptive history of the Kusatsu Shirane volcano is well described by means of 14 beds of key tephra and intercalating loess soil. Three eruptive stages are recognized. During early or middle Pleistocene the Matsuozawa volcano was formed; this is the first stage. The second stage was initiated by effusion of the Horaguchi lava, which was followed by eruptions of the Oshi pyroclastic flow, older lava flows, 3P pumice fall, and Yazawahara pyroclastic flow. Brown loess soil about 10m thick covering these deposits indicates that a dormant period of more than 100, 000 years followed this stage. The summit area upheaved about 400m or more against the foot of the volcano during this period, as is suggested by the extraordinarily steep (6.1°-3.0°) surface of the Oshi ignimbrite plateau. The third stage, which started about 14, 000 years ago, is the formation of three pyroclastic cones on the summit and contemporaneous effusion of the younger lava flows, <i>e. g.</i> the Kagusa lava of 7, 000 years ago and the Sessyo lava of 3, 000 years ago. In historic times, phreatic explosions have frequently occurred on the summit crater, Yugama. This means that the present belongs to the third stage. It is unlikely that eruptions of the third stage are caused by cooling of the magma chamber which was active in the second stage. The activity of the third stage seems to denote arrival of a new magma chamber at shallow depth.
著者
鈴木 毅彦 斎藤 はるか 笠原 天生 栗山 悦宏 今泉 俊文
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.1-16, 2016-02-01 (Released:2016-03-15)
参考文献数
39
被引用文献数
6

東北日本弧南部,福島県会津坂下町で得た3本のボーリングコアからテフラを検出し,これらの認定を行い会津盆地中西部地下のテフラ層序を確立した.また放射性炭素年代測定も実施し,それらの結果と合わせて盆地堆積物の年代と堆積速度を求めた.地下約100m以浅の堆積物はシルト・泥炭・砂を主体とし,ところにより礫層やテフラを挟む.認定したテフラは上位からNm-NM(5.4ka),AT(30ka),DKP(55~66ka),Nm-KN,Ag-OK(<85.1ka),TG(129ka),Sn-MT(180~260ka)である.最長コアから得た堆積速度は,地表/DKP間で0.46~0.55m/kyrs, DKP/TG間で0.19~0.23m/kyrsである.
著者
横山 卓雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.271-286, 1999-08-01

A.D.79年のヴェスヴィオ火山噴火による噴出物は2つの基本的な要素に区分できる.ポンペイ降下軽石層,ポンペイ・サージ層の2つである.ポンペイ降下軽石層は主として降下軽石からなり,ポンペイ・サージ層は火砕流堆積物,土石流堆積物,降下火山灰層などを含んでいる.火砕流は,少なくとも6回古代都市ポンペイに来襲した.それらの堆積物をPS-1~PS-6と名付けた.また,2層の土石流堆積物(PD-1とPD-2)がみられる.<br>家の壁を倒したり,壁・瓦などの破片といった家屋材の大きい塊を含んでいたりすることからみて,最も力の強かったのはPD-2土石流堆積物である.PS-3をもたらした火砕流もまた人間の頭蓋骨や,やや大きい木を切っているので強力であった.<br>A.D.79年のヴェスヴィオ火山の活動で噴出したポンペイ降下軽石は30~40分間で降下した.ヴェスヴィオ噴火からの火山噴出物によって,多数の建物や塔は完全に埋没したわけではないこと,噴火直後地表面には人工物の破壊された跡がまだみえる状態で残っていたということが想像される.<br>ヴェスヴィオ噴火の火山活動と火山噴出物の堆積のタイム・テーブルの素案が提唱された.
著者
藤原 治 増田 富士雄 酒井 哲弥 入月 俊明 布施 圭介
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.41-58, 1999-02-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
49
被引用文献数
12 19

内湾(溺れ谷)の泥底に砂や礫を再堆積させるイベントが,完新世の三浦半島と房総半島南部で繰り返し発生したことが,沖積低地で行ったボーリング調査によって明らかになった.これらの再堆積層は,上方へ細粒化する淘汰の悪い泥質砂層や砂質礫層からなり,他生の貝化石や粘土礫を多く含み,生痕が発達し,自生の貝化石を含む泥層を削り込んで覆う.これらの再堆積層は,3ヵ所の沖積低地で掘削した6本のボーリング・コアで認められ,加速器質量分析計(AMS)による79個の14C年代測定値に基づいて,近似した年代をもつ7つの層(下位からT1~T7)にまとめられる.T3~T7は,水深10~20mの内湾中央部に堆積したものであるが,岩礁などに棲む貝化石を泥底の群集と混合して含む.また,貝化石は下位層と14C年代値が逆転するものがある.T1,T2は上述した異常堆積物と類似した堆積構造や化石を含み,特に貝形虫化石群集は外洋水が内湾奥の汽水域へ流入したことを示唆している.T1~T7の堆積構造,化石の種構成,14C年代値は,海底および海岸の侵食と削剥された堆積物の湾央への運搬が強い流れに起因することを示している.さらに,T3~T7は,相模トラフ周辺で発生した巨大地震に伴う海岸段丘の離水時期と年代が近似する.以上のことから,T1~T7は海底地震に伴う津波で形成されたことが強く示唆される.これらの津波は,過去約10,000年の間に,400年から2,000年の間隔で発生した.
著者
藤原 治 増田 富士雄 酒井 哲弥 布施 圭介 齊藤 晃
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.73-86, 1997-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
37
被引用文献数
5 13

相模湾周辺では,完新世を通じて巨大地震が繰り返し発生したことが,完新世の海成段丘や歴史地震の研究から知られている.しかし,完新世の地震を示す津波堆積物などの地質学的な証拠は,ほとんど知られていない.完新世の3回の地震隆起に対応する津波堆積物を,房総半島南部の館山市周辺に分布する内湾堆積物から初めて見いだした.これらの津波堆積物は,館山市周辺で広域に追跡できる.津波堆積物は,基底が侵食面を示し上方へ細粒化する砂層や砂礫層からなり,貝化石片や木片を多量に含む.貝化石は,内湾泥底と沿岸の砂底や礫底に住む種が混合しており,海底の侵食と再堆積が生じたことを示す.また,陸側と海側への両方の古流向が堆積構造から推定される.3枚の津波堆積物は,それぞれ約6,300~6,000yrs BP,4,800~4,700yrs BP,4,500~4,400yrs BPに堆積したことが貝化石の14C年代値から明らかになった.最下位の津波堆積物は,沼I段丘,野比I段丘の離水と年代が一致する.また,中位と上位の津波堆積物は,それぞれ野比II段丘,沼II段丘の離水と年代が一致する.調査地域では,上述の津波堆積物と類似した堆積相を示す砂層や砂礫層が,約7,400~3,600yrs BPの間に100~200年に1枚の割で堆積している.これらの砂層や砂礫層の一部は,沼段丘上に分布する離水波食棚群(茅根・吉川,1986)に対応する津波堆積物の可能性がある.
著者
片岡 香子 吉川 周作
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.263-276, 1997-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
20
被引用文献数
2 4

西日本の四国・近畿・東海地方などの火山灰稀産地域の段丘では,火山灰層の発見は稀で,しかもそれを連続的に追跡することが困難である.そのため,火山灰に注目した層序・編年学的研究は露頭あるいは狭い地域に限定されたものとならざるを得ず,一般的な調査・研究法とはなっていない.このため,火山灰稀産地域における段丘の層序・編年は,火山灰多産地域に比べ精度が悪い.三重県鈴鹿川流域の段丘もまた,このような火山灰稀産地域に属している.そこで,筆者らは従来の地形・地質学的方法に加え,段丘構成層の上位に発達する細粒堆積物に注目して,この堆積物中に極微量に含まれる火山ガラスから火山灰降下の痕跡を見いだした.そして,これらから段丘の層序を検討し,編年を行った.本研究の結果,次のことが明らかとなった.(1)調査地域の段丘面(段丘構成層)は,高位のものから大谷池面(大谷池段丘層)・丸岡池面(丸岡池段丘層)・神戸面(神戸段丘層)・関面(関段丘層)・古廐面(古廐段丘層)に区分され,さらに神戸面および関面は,高位のものから神戸1面・神戸2面・神戸3面,関1面・関2面に細分できる.(2)各段丘構成層の上位にのる細粒堆積物の層相とそれらに含まれる火山ガラスの性質・含有量の特徴,関段丘層に挾まれる姶良Tn火山灰層(25~21ka),神戸段丘層中の海成粘土層などから,大谷池段丘層・丸岡池段丘層は最終間氷期以前に,神戸段丘層は最終間氷期に,関段丘層は最終氷期に,古廐段丘層は最終氷期以降にそれぞれ形成されたと考えられる.今回行った段丘構成層の上位にのる細粒堆積物に極微量に含まれる火山ガラスを用いた層序・編年の試みは,今後,火山灰稀産地域でのより広域な段丘の対比・編年の可能性を示唆する.
著者
吾妻 崇 太田 陽子 石川 元彦 谷口 薫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.169-176, 2005-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
25
被引用文献数
3 9 2

御前崎周辺には,御前崎段丘(高度48~25m,三崎面相当の海成段丘)と4段の完新世海成段丘(高度15m以下)が分布する.御前崎段丘は,全体として西-南西に向かって傾動し,小規模な活断層,撓曲崖および背斜構造を伴う.御前崎段丘を開析する水系の分布形態および駿河湾側の海食崖上にみられる風隙の存在は,旧汀線が北西に位置することと不調和で,段丘形成後の変形を示している.御前崎段丘上にみられる東西方向に延びる低崖は,更新世段丘上に残された地震性隆起の記録である可能性がある.完新世海成段丘は4段に区分され,I面は後氷期海進最盛期直後,II面は約3,500cal BP以前,III面は2,150cal BP以前にそれぞれ離水したと考えられる.I面の内縁高度は14mに達するが,既存のボーリングコア解析から推定される海成層の上限高度は約3mにすぎない.これらの段丘の形成過程を,海溝型の活動間隔の短い地震による隆起と,地震間における沈降および活動間隔の長い地震による大きな隆起との和として解釈した.
著者
Hiroshi Machida
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.194-201, 1999-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
43
被引用文献数
19 32 78

Many widespread Quaternary tephras have been identified in and around Japan. Recent developments in tephra characterization and dating methods have provided a regional stratigraphic framework for Quaternary studies as well as for determining the nature and effects of explosive eruptions. This paper stresses on the importance of tephra catalog compilation and shows a simplified example from Japan.
著者
千田 昇 松村 一良 寒川 旭 松田 時彦
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.4, pp.261-267, 1994-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
12
被引用文献数
6 3

福岡県久留米市で行われたこれまでの考古学的発掘により, 地割れ群や液状化の跡が数多く発見され,『日本書紀』に記述された678(天武7)年の筑紫地震による可能性が示された. 山川前田遺跡の発掘に伴うトレンチ掘削により断層露頭が現われ, そこでの多数の地割れ跡を検討した結果, 地割れは新期よりイベント1~イベント4の4回の時期 (イベント) に分けられた. それらの時期について, イベント4はAT堆積前, イベント3はAT堆積後, イベント2は(4)層の土石流堆積物の堆積前, イベント1は(2)層の遺物包含層, 特に6世紀の土師器包含層以後, 13~14世紀の遺物包含層以前の時期であり, イベント1を7世紀後半の678(天武7)年筑紫地震によると考えることに矛盾はない. また, この地点での地割れは地震活動に伴うもので, 水縄断層系・追分断層の活動による可能性が大きいと考えられる. したがって, AT堆積 (約2.5万年前) 以後に水縄断層系の活動による3回の地震があり, それにより地割れが発生したことになる.
著者
平林 頌子 横山 祐典
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.59, no.6, pp.129-157, 2020-12-01 (Released:2020-12-12)
参考文献数
236
被引用文献数
1 2

完新世の気候は,最終氷期に比べて安定で穏やかであるが,完新世にも数百年から千年スケールでの気候変動は起きている.特に,8.2kaと4.2kaに全球スケールで起きた急激な気候変動は完新世の気候変動イベントとして注目され,完新世を区分するためのイベントとして慣例的に使用されてきた.2018年7月13日に国際地質科学連合(IUGS)国際層序委員会(ICS)により,新たに国際年代層序表が発表され,完新統/完新世を,下部完新統/前期完新世,中部完新統/中期完新世,上部完新統/後期完新世に細分することを正式に決定した.本小論では,それらの区分の定義に使用された上記の気候イベントについてレビューを行う.
著者
早田 勉
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.269-282, 1989 (Released:2009-08-21)
参考文献数
42
被引用文献数
10 7

A very important problem for Quaternary research is determining when human beings first settled the Japanese islands. Recently many artifacts of the Early Paleolithic age, dating from before 30, 000 years ago, have been discovered in the northern part of Sendai plain, North Japan. The age of these artifacts has been determined mainly by radiometric dating methods.On the other hand, tephrochronology is an effective technique for establishing Quaternary stratigraphy in the Japanese islands and their surrounding area. The author investigated the age of horizons bearing artifacts on representative sites of that age from the viewpoint of tephrochronology.The stratigraphy of proximal tephra layers is indicated in Fig. 1. Useful widespread tephra layers for chronological study of this area are Toya (ca. 90, 000-100, 000y.B.P.), On-Pm I (ca. 80, 000y.B.P.), Aso-4 (ca. 70, 000y.B.P.) and AT (ca. 21, 000-22, 000y.B.P.). Toya, On-Pm I, Aso-4 and AT were discovered from the horizons between IcP and KtA, IcP and KtA, N-N and N-Y, and N-Y and NK-U, respectively. At Babadan A site, artifacts of the Early Paleolithic age were excavated from horizons in Ando soil found below IwP, just below and above IcP, between IcP and KtA, just above N-Y, and between N-Y and NK-U. Consequently, the artifacts excavated from the horizons below KtA belong to the Early Paleolithic age. At Zazaragi site, another representative site belonging to the Early Paleolithic age, the artifacts were excavated from the horizons of orange-colored volcanic ash (the lower part of Yasuzawa volcanic ash). During the excavation, this deposit was regarded as an airfall tephra layer. But the author interpreted this deposit as a weathered part of a pyroclastic flow deposit (N-Y3) on the basis of the following observations:(1) The boundary of the lower part of Yasuzawa volcanic ash and lower pyroclastic flow deposit is irregular and not clear in some place.(2) It is massive and not layered. There is no intercalation of soil.(3) It is not well sorted.(4) It includes charcoals.(5) It has segregation pipes. Some of them develop at the boundary of the lower part between the Yasuzawa volcanic ash and the lower pyroclastic flow deposit.The author believes that the artifacts were incorporated into pyroclastic flow and carried to their present site.The horizons from which artifacts of the Early Paleolithic age in Japan have been excavated are plotted in Fig. 8. It has been confirmed that some widespread tephra layers originated from gigantic eruptions and covered the area surrounding the Sea of Japan (cf. MACHIDA and ARAI, 1933). The author believes that common chronological studies of Paleolithics in this area are made feasible by tephrochronology.

1 0 0 0 OA 日本海と象

著者
亀井 節夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.163-172, 1990-08-20 (Released:2009-08-21)
参考文献数
36
被引用文献数
5 5

This is a summary of the presidential address to the public at the 19th annual meeting of the Japanese Association for Quaternary Research, held at Tottori August 18-20, 1989. The address had two parts: one was an introduction to the concept of “Quaternary” and the significance of Quaternary research, and the other was an elucidation of the discussion at the symposium on “Paleogeography and Paleoenvironments around the coastal areas of the Japan Sea”, exemplified by elephant fossils from the sea-bottom of the southern Japan Sea. The pioneers of Quaternary research in Japan, the German geologists E. NAUMANN and D. BRAUNS, were very interested in the elephant fossils of Japan and published papers on them in 1881 and 1883, respectively. Since that time, the study of elephant fossils and Quaternary research in Japan have been closely related.Since about 20 years ago, several elephant tusks and molars have been dredged by dragnet fisheries off the San'in district and also off the Noto peninsula in the southern Japan Sea. They were obtained from depths of 120m to 400m, on either the continental shelf or on the drowned bank of the sea-bottom. Formerly, those materials were considered to verify the presence of a landbridge in the past around the area of the Tsushima strait between Korea and Kyushu, but now this idea has come to be rejected. The results of analysis for the boring cores drilled at several places on the bottom of Japan Sea afford much information about paleoenvironmental changes during the Late Pleistocene. For example, an inflow of the Tsushima warm current to the Japan Sea, which is one of the remarkable tributaries of the Kuroshio, was reduced or arrested at that time by mixing with fresh water from the Hwang Ho River running through North China. This created a stagnant condition in the bottom water of the Japan Sea, and much influenced the biotic community there. Again, the inflow of the Tsushima warm current to the Japan Sea was regenerated beginning about 6, 500 y. B. P.The elephant fossils on the sea-bottom consist of tusks and molars of Naumann's elephant Palaeoloxodon naumanni and a molar tooth of woolly mammoth Mammuthus primigenius. The radiocarbon dating carried out for these and others found on land showed that the former was older than 30, 000 y. B. P. and the latter was younger, around 20, 000 y. B. P. It is known that during the maximal cold phase in the Last Glacial, woolly mammoths came down from Siberia southward to Hokkaido, but did not cross over the Tsugaru strait to Honshu. Therefore, it is reasonable to assume that the remains of woolly mammoths would be transported by drifting from the Hwang Ho area to that off San'in and then sink to the bottom of the Japan Sea. However, the idea is still a matter of imagination, more investigation for the environmental changes during the Quaternary in Japan needs to be done.
著者
藤木 利之 酒井 恵祐 奥野 充
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.62.2202, (Released:2023-09-16)
参考文献数
43

クック諸島アチウ島Areora地区東部の湿地から得られた堆積物で花粉分析を行った結果,約1,600 cal BP (約350 cal CE) にココヤシと草本の花粉,シダ胞子,木炭片が急増し,タコノキ属花粉やヘゴ科胞子が急減するという劇的な植生変化が確認された.大規模な森林伐採などによるかく乱により,草原が拡大したと考えられた.アチウ島は約350 cal CEに人類が定住していたと考えられたが,この時代にアチウ島には人類定住の痕跡となる考古学データは全くない.また,約1100 cal CE以降にサツマイモなどの栽培植物花粉が微量ではあるが出現し,木炭片が急増した.よって,アチウ島への人類到達は2段階ある可能性が示された.年代は若干異なるが,この結果はTiroto湖の古環境データとほぼ一致している.堆積物を用いた古環境復元から人類定住年代を研究する場合は,島の様々な集水域の堆積物の分析を行って,多面的な分析結果から議論する必要があると考えられた.
著者
河村 愛 河村 善也
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.121-132, 2023-08-01 (Released:2023-08-17)
参考文献数
109

タケネズミ類は穴居性の大型の齧歯目のグループで,東アジアでは現生のものと第四紀の化石として知られるものは,このグループのタケネズミ属にほぼ限定される.本論文では,東アジアでの更新世のタケネズミ属化石の分布を,データソースを示したうえで,分布図にまとめた.分布図から,前期更新世の産地のほとんどは中国南部にあり,前期更新世にはこの属が中国南部に広く分布していたこと,中・後期更新世の化石産地はそれよりはるかに多く,やはりほとんどが中国南部に分布し,この属がその時期にトウヨウゾウとともに中国南部の動物群の主要要素であったことがわかる.一方,中国北部には化石産地はほとんどなく,中国東北部や朝鮮半島,本州・四国・九州,琉球列島,台湾には化石産地はない.中期更新世の日本には,トウヨウゾウが中国南部から移入した時期があったが,それに伴って移入した種類は少ない.移入しなかったものの代表がタケネズミ属である.
著者
中川 毅
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1-31, 2023-02-01 (Released:2023-02-21)
参考文献数
119

気候変動の地域による先行,遅延,あるいは同時性は,気候変動の因果関係を理解する上で,しばしばカギとなる情報を提供する.とくに,16〜10 cal. kyr BP頃に起こった晩氷期から完新世初期にかけての移行は,いくつかの急激な気候変動を含む上に情報も多いことから,気候変動の時空間構造を調べるためのターゲットとして理想的である.だが現実には,異なる地域の間で年代軸を精密に同期 (synchronise) させることは容易ではなく,気候変動のタイミング比較はほとんどの場合,仮説的な議論にとどまってきた.このことを踏まえ,本研究では福井県水月湖から新たに得られた花粉データ (n=510) および気候復元の結果について報告する.水月湖の放射性炭素データはIntCal20の主要構成要素であり,絶対年代はU/Th年代と互換性がある.水月湖のきわめて精密な年代軸,およびグリーンランドのアイスコアに含まれる宇宙線生成核種の研究の進歩により,水月湖とグリーンランド,またその他の多くの地域の精密な対比が可能になった.それによると,完新世および晩氷期亜氷期 (ヤンガー・ドリアス期に相当) の開始は,いずれも水月湖とグリーンランドの間で同時だった.ただし晩氷期亜間氷期 (ベーリング・アレレード期に相当) の開始については,水月湖がグリーンランドに200年ほど先行した.偏西風の双峰的 (bimodal) な移動は,東および南アジア (ひょっとすると西アジアも) において急激な変動を産み出す,「しきい値」 を含んだメカニズムとして重要だったかもしれない.大西洋においては,緯度方向の鉛直循環 (Antarctic Meridional Overturning Circulation: AMOC) のオン・オフの切り替わりが,より強力な 「しきい値」 メカニズムとして存在していた.アジアと大西洋のしきい値の高さが異なることで,両者の気候応答に数十年〜数百年規模の遅延が生じた.また,どちらか一方だけが応答した場合には東西で気候モードの不均衡が発生し,気候は不安定化した.気候が安定な時代は,人類が農耕と定住を開始した時期に対して良い一致を示した.これらの新しい生活技術は気候が安定した時代,すなわち短期的な予測が可能な時代でないと,必ずしも生存にとって有利に働かなかったのかもしれない.