著者
杉山 真二
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.311-316, 2002-08-01
参考文献数
11
被引用文献数
3 12

約7,300年前の鬼界アカホヤ噴火が南九州の植生に与えた影響について,植物珪酸体分析の結果から検討を行った.その結果,幸屋火砕流(K-Ky)が及んだ大隅半島南部や薩摩半島南部では,それまで分布していた照葉樹林やタケ亜科Bambusoideaeなどが絶えて,ススキ属<i>Miscanthus</i>などが繁茂する草原植生に移行したと推定される.約6,400年前の池田湖テフラ(Ik)との関係などから,これらの地域の大部分では約600~900年間は照葉樹林が回復しなかったと考えられるが,K-Kyの到達限界付近など一部の地域ではIk直下で照葉樹や落葉広葉樹が出現しており,森林植生が回復過程にあったと推定される.K-Kyが及ばなかった鹿児島県中部以北では,照葉樹林が絶えるほどの影響を受けなかったと考えられ,鬼界アカホヤ噴火以降に照葉樹林が拡大したところも見られたと推定される.
著者
岩田 修二
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.181-193, 2003-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
53
被引用文献数
9 6

面積は小さいが,日本アルプスは第四紀研究にとって重要な高山環境なので,そこでの研究は注目に値する.日本アルプスの削剥にとっては,大規模崩壊などの重力地形が重要である.その発生時期や,下流の河谷の埋積とどのように関係するかについてはまだ未解決である.最終氷期の氷河最大拡張期はMIS4~MIS5aであった.そして,最終氷期後半の氷河最大拡大時期はMIS2(北半球氷床のLGM)ではなく,MIS3の可能性が大きい.したがって,MIS2の氷河最大拡大期を想定して書かれたこれまでの垂直分布図や古環境地図は改訂を検討すべきである.日本アルプスにも,過去には山岳永久凍土が存在し,現在も局所的には分布することが岩石氷河の研究や地温観測から明らかになった.晩氷期と完新世の寒冷期における山岳永久凍土の地形形成や,植生に対する役割を再評価すべきである.最終氷期から完新世への移行期には,高山帯での崩壊が頻発したらしい.今後の研究の進展のためには,未発表の調査結果の印刷と公開現地検討会の開催が重要である.
著者
吉田 英嗣 須貝 俊彦 大森 博雄
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.55-67, 2010-04-01
被引用文献数
1 8

火山麓に分布する流れ山は,大規模山体崩壊が過去に発生した証拠として,また,岩屑なだれのメカニズムを推察するうえで,重要な研究対象とされてきた.本研究では,流れ山地形がなお崩壊や岩屑なだれに関して地形学的に重要な情報を提供してくれるものと捉え,岩屑なだれの流下方向における流れ山の分布様式を検討し,流れ山地形に新たな地形学的意義を与えることを試みた.研究対象は,日本における4つの岩屑なだれが形成した流れ山であり,これら岩屑なだれは山麓に拡散した典型例とみなされる.空中写真判読により抽出した流れ山の数は,尻別火山の172,有珠火山の262,岩木火山の200,那須火山の643であり,GISを用いて流れ山の形態データを取得した.<BR>いずれの事例も,流れ山地形は山麓の下部斜面から平地にかけて緩やかな斜面として存在する.そして,流れ山のサイズは下流方向に減少する傾向が認められる.この減少傾向は,流れ山のサイズと給源からの距離との回帰分析によれば,指数関数で近似しうる.まず,回帰関数は,距離ゼロ(給源)における流れ山のサイズが崩壊の体積に規定されていることを示している.すなわち,崩壊の規模に応じて,崩壊部に発生する初期段階での割れ目の大きさが決まるらしい.他方,流れ山のサイズの減少割合は,等価摩擦係数の逆数で示されるような岩屑なだれの流動性に規定されていると考えられる.換言すれば,流動性の小さい岩屑なだれでは流れ山が急速に縮小するのに対し,大きい岩屑なだれでは緩やかである.以上の検討により,流れ山のサイズと給源からの距離との関係は,火山体ならびに岩屑なだれの流動特性を反映していることが明らかとなった.
著者
松原 彰子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.221-227, 1992
被引用文献数
1 3

静岡県浮島ヶ原は駿河湾奥部に面し, 3列の海岸砂礫州が海側へ発達することに伴って, その背後に形成された低湿地である. 内陸側の2列の砂礫州は, 本地域の沈降運動のために, 低地の地下に埋没している. 最も内陸側の埋没砂礫州は, 一部微高地として認定することができ, 雌鹿塚遺跡はその上に立地している.<br>雌鹿塚は, 縄文時代中期から古墳時代中期まで営まれた遺跡である. 今回, 沼津市教育委員会によって, 雌鹿塚遺跡の本格的な発掘調査が行われた. その際, 埋没砂礫州の微地形, ならびに周辺の地質層序, 年代測定値, テフラ等の資料を得ることができた. さらに, 雌鹿塚遺跡周辺における自然環境の変遷と人間活動との関係について考察した結果, 浮島ヶ原への人間の進出が砂礫州の発達過程と対応すること, 火山活動や地殻変動が雌鹿塚を放棄させる原因となった可能性が大きいことが推定された.
著者
河村 善也
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.251-257, 1998-07-31
被引用文献数
8 39

第四紀における日本列島への哺乳類の移動を本州・四国・九州と北海道,琉球列島という3つの生物地理区に分けて考察した.本州・四国・九州地域では,長鼻類化石の生層序学的研究によって,次の3種のゾウが最初に出現した時期が明らかにされている.すなわち,シガゾウの出現は1.2~1.0Ma頃,トウヨウゾウの出現は0.5Ma頃,ナウマンゾウの出現は0.3Ma頃である.これらのゾウの出現は,それらが近隣の大陸地域から移入してきたことを示し,またそのような移入を可能にする陸橋の形成を示唆する.ナウマンゾウの移入期以後,本州・四国・九州地域は大陸や北海道からずっと隔離されてきたと考えられる.北海道では,化石の記録が本州・四国・九州よりはるかに少ない.北海道の後期更新世の哺乳類は,ナウマンゾウ,プリミゲニウスゾウ,ヤベオオツノジカといった3種の大型草食獣で代表される.そのうち,ナウマンゾウとヤベオオツノジカは,本州・四国・九州地域から0.3Ma頃に移入した可能性があり,プリミゲニウスゾウは後期更新世後半にシベリアからサハリン経由で移入したと考えられる.琉球列島では,更新世の化石記録は大部分が後期更新世のものである.琉球列島北部の後期更新世の動物相では固有の要素が卓越しているが,それらはおそらく更新世以前にこの地域に移入したものであろう.琉球列島南部の後期更新世の動物群は,中期あるいは後期更新世に移入した種類と,より早い時期に移入した種類から成り立っている.
著者
斉藤 勝 佃 栄吉 岡田 篤正 古澤 明
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.277-280, 1997-10-31
参考文献数
15
被引用文献数
3 3

和歌山県和歌山市から那賀郡打田町にかけての和泉山脈南麓域には,紀ノ川の支流によって形成された扇状地面が開析され,数段に区分される段丘面が広く分布している.これらの段丘面は,低位段丘(1面,2面),中位段丘(1面,2面)に分類・対比されている(寒川,1977;岡田・寒川,1978;水野ほか,1994).今回の野外調査により,低位段丘2面堆積物中に火山灰層が見いだされたが,この火山灰層は岩石記載学的特徴から,姶良Tn火山灰であることが判明した.姶良Tn火山灰層が挾在することから,和泉山脈南麓域に分布する低位段丘2面は最終氷期極大期頃に形成されたことが判った.<br>低位段丘2面は,中央構造線活断層系に属する根来断層により変位を受けている.根来断層の運動様式は右ずれで,おおむね北側の相対的隆起である.低位段丘2面の離水時期を約2万年とすれば,段丘面や段丘崖の変位量から根来断層の平均変位速度が求められる.これによれば,右ずれは1.8~3.5m/1,000年程度,上下方向は0.3~0.5m/1,000年程度であり,岡田・寒川(1978)が推算した値をほぼ支持する.
著者
藤井 昭二 藤 則雄
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.183-193, 1982
被引用文献数
1 6

The sea-level changes since the Postglacial ages in the Hokuriku region are investigated by means of studying emerged topography, shell beds, submerged forests, sand dune and their ages.<br>As the result of investigation, the sea-level was higher than that of the present between 4, 500 and 5, 500y.B.P. along the east side of the Noto Peninsula and the Toyama Bay. While the present sea level is the highest at the Kahoku lowland on the southwestern side of the Noto Peninsula.<br>This controversial result has been solved by following considerations.<br>The coastal areas along the Toyama Bay consist of rock coasts and alluvial plains. The rock coast is uplift zone and the alluvial plain is subsidence zone generally in the order of 10<sup>4-6</sup> years. If uplift is severe in this region, emerged sea shells of older ages must be in a high place and sea level of younger ages must be in a low place. But the emerged sea shells clustered between 2 and 6m and higher than the present sea-level and their ages clustered in between 4, 500 and 5, 500y.B.P.<br>This evidence shows that the rate of eustatic sea-level changes is quicker than that of the uplift in the order of 10<sup>3</sup> years.<br>Elevation of the boring site becomes the highest point of the sea-level so long as discussion was done about the boring cores. The present sea-level is the highest since the Postglacial age, because the altitude of the lowland is the same latitude of the present sea-level.
著者
藤原 治 増田 富士雄 酒井 哲弥 入月 俊明 布施 圭介
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.6, pp.489-501, 1999-12-01
参考文献数
47
被引用文献数
7 9

相模トラフ周辺で過去1万年間に発生した地震イベントを,房総半島南部と三浦半島に分布する4つの沖積低地の内湾堆積物から検出した.<br>堆積相解析の結果,基底に侵食面をもち,上方へ細粒化する砂層や砂礫層によって,自生の貝化石を含む均質な泥質層の堆積が中断されるイベントが,各沖積低地で10回以上識別された.また,一部の砂層では,海と陸の両方向の古流向が見られる.内湾堆積物に含まれるこれらの粗粒堆積物は,いわゆる"イベント堆積物"である.<br>タフォノミーの視点からの化石群集の分析によって,イベント堆積物の供給源や運搬・堆積プロセスが推定された.イベント堆積物は,内湾泥底と岩礁など,通常は共存しない異なる環境に棲む貝化石群集が混合しており,湾周辺からの堆積物の取り込みと内湾底への再堆積を示す.湾奥の汽水域や湾中央で堆積した泥層に挾まれる2枚のイベント堆積物は,外洋性の貝形虫化石を多量に含み,外洋水が湾奥に侵入したことを示す.これらは津波堆積物の可能性がある.<br>137個の高密度の<sup>14</sup>C年代測定によって,7枚のイベント堆積物が相模湾沿岸で広域に追跡され,乱泥流が南関東沿岸の広域で同時に繰り返し起きたことが推定された.5枚のイベント堆積物は,南関東に分布する完新世海岸段丘の離水と近似した年代を示し,津波起源であることが強く示唆される.<br>化石群集から復元した古水深変動から,イベント堆積物を挾む2つの層準で急激な海面低下が見いだされた.このイベントは海底の地震隆起と地震に伴う津波を示すと考えられる.<br>地層から地震イベントを検出することは,古地震研究に有力な情報を提供し,地震テクトニクスの新たな研究方法として貢献すると考えられる.
著者
上本 進二 大河内 勉 寒川 旭 山崎 晴雄 佃 栄吉 松島 義章
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.41-45, 1993
被引用文献数
1

鎌倉市長谷小路周辺遺跡において, 14世紀前半 (鎌倉時代後期~南北朝時代初期) に由比ヶ浜砂丘地に築かれた半地下式の建物の跡から, 13世紀から14世紀前半頃 (鎌倉時代初期~南北朝時代初期) 形成されたと考えられる噴砂の跡を検出した. 噴砂は砂層に含まれていた土器を巻き込んで約1m上昇して, 当時の地表に噴出している. また, 噴砂の流出と並行して16cmの落差を伴う地割れも形成されている. この噴砂は『吾妻鏡』や『北条九代記』に見られる地震記録から, 1257年 (正嘉元年) あるいは1293年 (永仁元年) の地震によって形成されたと思われる. とくに1257年の地震では, 鎌倉の各地で噴砂が発生した記録が『吾妻鏡』にあるので, 1257年の地震による噴砂と考えるのが適当であろう.
著者
長田 敏明
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-14, 1980-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
27
被引用文献数
2 2

The subject of this paper is to establish the stratigraphy of deposits composing to Makinohara Upland, and also to discuss the landform evolution of the Makinohara Upland. The results are summarized as follows:(1). The terrace-forming deposit is divided into three beds, i.e, Furuya mud bed, Kyomatsubara sand bed and Makinohara gravel bed in ascending order.(2). The Furuya mud bed accompanied with the basal gravels is mainly composed of marine silt and clay filling the buried valleys (Fig. 10 and Tab. 1). The main part of the Furuya mud bed deposited in the narrow drowned valleys, during the early stage transgression, and covered uncomformably the Neogene semiconsolidated rocks.(3). The Kyomatsubara sand bed newly defined by this author was widely deposited in this mapping area as foreset beds at the maximum phase of the transgression (Fig. 9).(4). The Makinohara gravel bed mainly consists of widespread homogeneous fluvial gravels, the upper part of which is boulder gravel forming the alluvial fan named Makinohara.(5). Five horizons of buried topographic system are found under the Makinohara Upland; Buried surface I, II, III and IV (Figs. 8, 10) and Buried valley floor.(6). The Buried valley floor is the oldest topographic system filled with the Furuya mud bed. Two horizons of abrasion platforms (Buried surface I and II) are found cutting the slope of buried valley systems. The Buried surface I was formed just after the deposition of basal gravel of Furuya mud bed. The Buried surface II, on the Neogene strata was formed during the accumulation of upper mud part belonging to the Furuya mud bed (Fig. 10).(7). The Buried surface III covered with the Kyomatsubara sand bed is the most extensive among the three buried abrasion platform cutting the Neogene strata (Fig. 8 and 10).The level of the boundary between the Furuya mud bed and the Kyomatsubara sand bed nearly corresponds with that of the Buried surface III.(8). The Buried surface IV is the basal topography of the Makinohara gravel bed. Finally extensive rivers, laterally eroding the valley slope flew down onto the newly emerged coastal plain and slightly cut the Kyomatsubara sand bed (less than 5m) (Fig. 10). At that time, the Buried surface IV was formed as a basal topography of the Makinohara gravel bed.(9). The Makinohara Upland was constructed as alluvial fans by the Paleo-Oi River. The deposits forming the Makinohara Upland are defined to the Makinohara gravel bed.
著者
田崎 博之
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.5, pp.303-315, 1994-12-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48

弥生文化は, 水田稲作を中心として雑穀類の栽培を含む複合的で本格的農耕を基盤とする文化である. 本稿では, 弥生文化と土地環境のかかわりを, 水田稲作と集落遺跡で, 考古学・地形学・花粉学の分析データを用いて考えた. 水田稲作では, 開田地の選択や水田経営で土地環境の制約を受けながらも, 個々の環境へは多様な対応がはかられている. また, 集落遺跡では, 弥生時代前期初頭~前葉, 中期後葉~末, 後期中頃~後葉を画期とする開発の実態を明らかにできた.
著者
紀藤 典夫 野田 隆史 南 俊隆
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.25-32, 1998-02-28
参考文献数
47
被引用文献数
4 8

函館から発見されたシオフキ・ハマグリ・イボキサゴなどからなる暖流系貝化石群集の<sup>14</sup>C年代値は約2,400~2,300年前で,従来知られていた縄文海進期の年代よりも新しかった.新たに年代測定された群集を含めると,北海道南部における温暖種の産出年代は7,500年前,4,000年前,および2,400~2,300年前の3つの時期がある.この温暖種の産出年代は,対馬海流の強勢期によく一致する.温暖貝化石群集は,対馬海流の脈動に対応して分布を北海道まで拡げたが,このような事件は完新世に3回生じた可能性がある.
著者
藤井 理行
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.181-188, 1998-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1

グリーンランド氷床のコアの安定酸素同位体組成の解析により,Dansgaard-Ocschgerサイクルと呼ばれる氷期における24ものinterstadials(亜間氷期)が明らかとなった.interstadialsは,数十年間で5~7℃の急激な温暖化とその後500~2,000年の緩やかな寒冷化で特徴づけられる気温変動である.また,Dansgaard-Oeschgerサイクルを束ねたBondサイクルと呼ばれる気温変動は,ローレンタイド氷床から北大西洋への氷山群の流出(ハインリッヒイベント)後に急激な温暖化で始まることが,海底コアとの対比で明らかとなった.本論では,氷期における北大西洋深層水(NADW)の消長による海洋での熱塩循環の変動が,地球規模での気候を支配してきたことを示すとともに,気候システムには2つの安定なモードがあることを指摘する.さらに,現在進行中の温暖化に伴う降水量の増加により,北大西洋海域の塩分濃度が低下し,熱塩循環が止まり,現在とは別の気候モード(寒冷化)が引き起こされる可能性を紹介する.
著者
杉山 真二 渡邊 眞紀子 山元 希里
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.5, pp.361-373, 2002-10-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
6 6

九州南部に分布する多数のテフラを時間の指標として,最終氷期以降における黒ボク土の分布とその変遷について検討した.その結果,九州南部では約29,000年前から約13,000年前までの最終氷期においても黒ボク土が形成されており,その分布は現在と同様か,より広域であった可能性が認められた.その後,約8,400年前にかけても,広域に黒ボク土が分布していたと考えられるが,約7,300年前には黒ボク土の分布が縮小し,種子島を含む鹿児島県域では黒ボク土がほとんどみられなくなったと推定される.これは,おもに照葉樹林の分布拡大の影響と考えられる.歴史時代には再び黒ボク土の分布が拡大したが,現在では縮小・衰退傾向にあると推定される.これは,農耕地の拡大などによるイネ科草原植生の減少の影響と考えられる.黒ボク土の有機物の給源植物は層準で異なっており,最終氷期はクマザサ属Sasa,完新世以降はススキ属Miscanthusやメダケ属ネザサ節Pleioblastus sect. Nezasaが主体であったと推定される.
著者
吉田 明弘 長橋 良隆 竹内 貞子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.71-80, 2008-04-01 (Released:2009-04-25)
参考文献数
29
被引用文献数
5 4

福島県の駒止湿原水無谷地から得られたボーリングコアの14C年代測定とテフラ分析,花粉分析の結果から,約4万年前以降の湿原の形成過程および古環境の変遷について考察した.この湿原は,スギ属,コナラ亜属,ブナ属を伴う亜寒帯性針葉樹林が分布する寒冷気候のもとで,約4万年前から泥炭の形成を開始した.その後,最終氷期極相期には一部の泥炭を残して削剥され,約1.85万年前には再び泥炭の堆積が開始された.湿原周辺では,約1.85~1.64万年前には冷涼気候のもとでカバノキ属と亜寒帯性針葉樹の混交林となった.約1.64~1.56万年前には温暖化により冷温帯性落葉広葉樹林となったが,約1.56~1.43万年前には再びカバノキ属の森林となった.この寒冷化は,北大西洋地域におけるYounger Dryas期のそれに対応する.約1.24万年前以降には,温暖気候のもとでブナ属やコナラ亜属を主とする冷温帯性落葉広葉樹林となり,約1,300年前以降にはスギ林が拡大した.
著者
多 里英 公文 富士夫 小林 舞子 酒井 潤一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.1-13, 2000-02-01
参考文献数
26
被引用文献数
2 4

青木湖周辺には,後期更新世から完新世にかけての,おもに河成や湖成の堆積物が断片的に分布しており,下位より藪沢層,崩沢層,神城砂礫層,佐野坂崩壊堆積物,青木湖成段丘堆積物,青木湖底堆積物に分けられる.指標テフラと岩相対比によって,それらの相互関係を明らかにした.佐野坂崩壊堆積物の上位には,Dpm火山灰層がのるとされていたが,それを再堆積物と判断し,周辺の地史を次のように推定した.<br>藪沢層は,比較的広い谷の中を南がら北へ流れる蛇行河川によって形成された.その時代は5万年前以前の寒冷な時期である.約5万年前,その河川は狭い谷の中を流れる網状河川に変化した.この堆積環境の変化は,DKP火山灰層を挾む崩沢層と神城砂礫層中部が礫を主体とすることにより示されている.約3万年前に,西方の仁科山地で大規模な地すべり崩壊が起こり,佐野坂丘陵が形成された.この崩壊堆積物は川をせき止め,丘陵の南側に深い湖(青木湖)を形成した.佐野坂丘陵の北側の凹地には支谷からの堆積物供給が多く,徐々に埋積されて,現在の神城盆地を形成するようになった.
著者
公文 富士夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.195-204, 2003-06-01
参考文献数
29
被引用文献数
5 11

湖沼堆積物中の全有機炭素(TOC)・全窒素(TN)含有率に関連する最近の研究を概観した.TOCおよびTNには,湖水中で自生するものと,陸上から運び込まれる外来性のものがあり,通常の調和型湖沼では前者を起源とするものが優占する.木崎湖における最近の研究では,1983年から1999年にかけての湖底堆積物中のTOC含有率は,同じ期間の湖水中の年間クロロフィルa量および冬の平均気温(12月~翌3月の平均)との間によい相関があることが認められた.このことは,気温が湖水中の生物生産性に影響を与えることを通じて,湖沼堆積物中への有機物流入を支配していることを意味する.野尻湖底堆積物のコア試料中のTOCとTNの含有率およびC/Nの変動を過去4.5万年間にわたって解析したところ,グリーンランドの氷床コアにおける酸素同位体変動が示す寒暖変動とよく一致する結果を得た.野尻湖の堆積物コアについての最近の研究では,TOCやTNの増減が気候に支配された花粉組成の変化と対応することも示されている.これらの事実は,湖沼堆積物中のTOCやTNの含有率が,気候変動の指標として有効であることを示している.