著者
片柳 勉
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.1-16, 2000-03-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
21

吉原市, 旧富士市, 鷹岡町の2市1町による対等合併が行われた静岡県富士市を事例として, 合併以降の都市空間の変容と都市計画との関係を明らかにした。合併交渉の過程で最も大きな障害となったのは吉原市と旧富士市の確執であった。この両市の確執は, 合併後の都市計画の方針に大きく影響を与えることになった。新富士市では, 工業整備特別地域の指定のもとで工業開発が優先されるなか, 合併後の多極構造を解消することを目的として, 吉原, 富士の両既成市街地間における新都心の建設計画が策定された。これは, 吉原, 富士旧両市のバランスを考慮した結果であり, その後の富士市の都市形成に大きく関わっていくものであった。吉原, 富士の両市街地間では, 行政主導により土地区画整理事業が進められ, 各種公共施設が重点的に設置されていった。これにより行政・文化機能を有する新市街地が形成され, 当初分離していた吉原, 富士の両人口集中地区も連接した。一方で, 既成市街地の再開発が継続して行われていった。富士市では合併以降に公共事業の地域的分散が進み, 市街地の形態や中心性の面でより分散した様相を呈するようになったといってよい。
著者
清水 長正 山川 信之 池田 明彦 大和 美佐枝 山田 祐子 柿下 愛美 石井 正樹 島立 正広
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.193-200, 2020 (Released:2021-04-28)
参考文献数
6

Jigokudani Crater is located at the altitude of 2,100m a.s.l. in the subalpine zone of northern area of the Yatsugatake volcanic chain (Kita-Yatsugatake). The relations between seasonal crater lake appearance and ground-ice development under the algific environment of talus slope in the crater were observed through 6 years from 2009 to 2014. The crater lake appeared during more than two months in early summer of 2010, 2012 and 2014 and ground-ice disappeared in autumn in each year except 2014. On the other hand, perennial ground-ice was formed in 2009, 2011, 2013 and maintained until next summer, and crater lake appeared. These periodic phenomena suggest that the appearance of crater lake depends on the frozen ground as an impermeable layer represented by ground-ice which was maintained from former year.
著者
小泉 諒
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.61-70, 2010 (Released:2012-08-28)
参考文献数
17
被引用文献数
1 5

近年の東京大都市圏の空間構造とその変化については,とくに都市地理学と都市社会学において多くの研究が蓄積されてきた。しかしその多くは市区町村単位の分析であり,また空間的パターンの把握については不十分である。そこで本研究は,1995年と2005年の地域メッシュ統計を用いて,職業構成からみた東京大都市圏の居住の空間的パターンと変化を捉え直し,人口動態との関連でその背景を探ることを目的としたその結果,市区町村単位で分析した職業構成は,都市社会学の先行研究が指摘するセクターパターンから同心円パターンへの変化がある程度認められた。メッシュ単位での分析でも,東京都心から15km圏内と30 km圏外の外周部については,これと同様の傾向が確認された。これは,東京都心部での住宅供給の増加によるホワイトカラー層の人口回帰を反映したものと考えられる。しかし,メッシュ単位での結果では,15∼30km圏で鉄道路線に沿った放射状パターンがみられ,郊外では鉄道からの距離による職業構成の居住分化が強まってきている。これは,市区町村単位での分析では見いだせなかった傾向で,郊外住宅地の居住分化と社会的分極化が同時進行していることを示唆している。
著者
高荷 久昌
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.73-91, 2002-07-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
81
被引用文献数
1

東京湾は, 1950年以降港湾施設や臨海工場の立地のため広大な埋立造成が行われ, 自然の海岸が多く失われてしまった。このため1970年代後半から東京湾各港において, 港湾地帯の環境改善を進める計画がたてられるようになった。本研究は東京港で実証した公園緑地の形成過程を, 東京湾内の千葉港, 川崎港, 横浜港における公園緑地を中心とした環境施設に対して同様な分析を行って東京港と比較することにより, 東京湾の港湾地帯における環境施設の形成過程の体系化とそれぞれの港湾がもつ地域特性を明らかにすることを目的とする。研究の結果, 東京湾の港湾における環境施設の形成過程は, 1970年代から港湾環境整備施設の制度化により, 港湾管理者を中心とする環境施設が整備され, その形成過程は緑地広場, 運動施設整備期から始まり, 70年代後半からの自然環境回復施設整備期を経て, 80年代から90年代にかけて親水施設整備期, 90年代の集客施設整備期に進展している。さらに東京湾の港湾における環境施設形成の内容を見ると, 複数の自治体を後背地にもつ東京港, 千葉港と, 同一の自治体である川崎港, 横浜港の2つのグループに分けることができ, 後背地の都市がもつ地域の特性が形成過程に差をもたらしている。
著者
山田 浩久
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.71-90, 2020 (Released:2020-09-24)
参考文献数
18
被引用文献数
4

本研究では,東日本大震災における東北地方の被災県を対象に,被災地で生じた居住地移動の類型化を通して,被災地の居住地移動と市街地再編との関係を明らかにした。分析の結果,被災地特有の特徴を示す居住地移動は,「新市街地対応型」,「自主探索型」,「疎開型」とそれらの「複合型」に類型化された。「新市街地対応型」は,主に被災市町村内で行われる短期,短距離の移動であり,行政の市街地再編計画に被災者の移動が取り込まれていくことになるが,「自主探索策型」は被災者が個々に域外に流出するため,人口が流出した市町村よりも流入先の市町村における市街地再編計画に,より大きな影響を及ぼす。一方,原発事故等に起因する「疎開型」は,健康被害に対する懸念や長期の避難生活がもたらす帰還意識の低下や市街地の物理的荒廃が住民の大幅減につながり,市街地再編計画の実施自体が危ぶまれている。また,上記移動パターンの特徴を併せ持った「複合型」は,今後の動向を把握しにくい移動であり,市街地の再編計画の細やかな修正が求められていくものと考えられる。いずれにおいても,安心を手に入れることが出来ないでいる被災者の不安を解消し,できるだけ早期に被災による居住地移動を完結させることが,被災地における市街地再編の条件になる。
著者
三浦 修
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.102-105, 2012 (Released:2013-05-11)
参考文献数
16
被引用文献数
2
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.252-255, 2003-12-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1
著者
杉浦 直
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.1-23, 2007-04-30 (Released:2010-04-30)
参考文献数
36
被引用文献数
5 3

本論文は, カリフォルニア州サンフランシスコのジャパンタウン (日本町) における都市再開発事業の進展を, そこに絡む活動主体 (アクター) の動きと相互の関係に焦点をあてて分析し, 当該再開発の構造とエスニック都市空間の建造環境の変容におけるその役割を考察したものである。日本町が位置するサンフランシスコのウェスターン・アディッション地区は, 第二次世界大戦の後, 建造環境が荒廃し都市再開発の対象となった。実際の再開発はA-1プロジェクトとA-2プバロジェクトに分かれる。A-1プロジェクトにおいてはサンフランシスコ再開発公社 (SFRA) の強い指導の下に経済活性化優先のスラムクリアランス型の再開発が行われ, 日本町域では近鉄アメリカなどによる大型商業施設 (ジャパンセンター) の開発が行われた。A-2プロジェクトは少し性格を異にし, コミュニティ・グループの参与の下に再開発が企画・実施され, 日本町域では日系ビジネス経営者を中心に構成された日本町コミュニティ開発会社 (NCDC) による「4プロツク日本町」再開発が行われたほか, 日系アメリカ人宗教連盟 (JARF) による中低所得者向きの住宅も開発された。なお, プロジェクトの初期において草の根的コミュニティ・グループ (CANE) による立ち退き反対闘争が行われたことも特筆される。このような再開発を経てジャパンタウン域の建造環境は大きく変容したが, その変化はかつての伝統的な総合型エスニック・タウンからツーリスト向けのエスニック・タウンに在来の現地コミュニティ向けエスニック・タウンの要素が混在した複合型のエスニック・タウンへの変化であったと要約されよう。こうした変化は, 前述した諸アクターの相互関係によって規定される再開発の加構造がもたらした必然的な帰結と言える。
著者
磯田 弦
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.127-133, 2018
著者
杉浦 直
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1-21, 2015 (Released:2015-08-01)
参考文献数
20

本稿は,ロサンゼルスの日系エスニック・タウン,リトルトーキョーの変容過程を,再開発による建物・施設の新築・修復など実体的過程及びパブリックアート創造など表象的過程の両面に着目して検討し,その構造的本質を考察したものである。リトルトーキョーは,1970年から始まった都市再開発事業によって,1994年段階までに28のプロジェクトが完了し,住宅,ホテル,商業用オフィス・スペース,小売り商業用スペースなどが整備された。1995年以降はやや再開発の速度が停滞したが,4棟の大型集合住宅が建設され,近傍の民間開発と合わせて居住機能が強化された。また,パブリックアート創造など表象的事業が再開発過程に組み込まれ,現在多数のパブリックアート,記念碑,ロゴマーク,バナー等が域内に存在して一大表象空間と化している。このような変容動向をエスニシティの観点から見るとき,脱日系,マルチエスニック化への方向と日系エスニシティの維持・強化への方向との2つの異なったベクトルが指摘できる。この両者の関係は,「空間的ストレス─シンボル化」モデルから解釈され,さらに抽象化すれば「想像された空間」と「生きられた場所」との弁証的相克として理解される。
著者
漆原 和子 乙幡 康之
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.99-110, 2007-08-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
被引用文献数
2

南西諸島の防風対策は, 屋敷囲いとして石垣のみを用いる場合と, 石垣に防風林のフグギを組み合わせる場合がある。本研究では屋敷囲いとしての石垣とフクギの防風林を同時に用いる例として, 集落が第二次大戦の影響をほとんど受けず, 防風に対する屋敷囲いの原型を残している沖縄県の渡名喜島を取り上げた。渡名喜島はハブが多く, トンボロ上に住居を築かねばならなかった。低平なトンボロ上に立地し, 屋敷を掘り下げて防風をおこなうことが渡名喜島の特色ある景観である。掘り出した砂を母屋のまわりに積む必要があり, 内石垣で砂が崩れないようにした。道路側には外石垣を用い, その間に砂を積んで, フクギを2~5列を植えることにより防風効果を高めている。村落の道路は交差軸を少しずらし, 道路を吹き抜ける強風が弱まるように工夫がされている。しかし, 1973年以降, 失業対策のたに外石垣をブロック塀に変えた。その後, RC工法の母屋も全戸の34%に増え, 強風に対して母屋の強度が増してきた。それにともない, 近年屋敷の掘り下げを埋め戻す例が多くなり, 屋敷囲いが変化しつつある。
著者
野村 幸加 吉田 圭一郎
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 = Quarterly journal of geography (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.225-233, 2010-01-31
被引用文献数
1

本研究は,東京ディズニーランドに対して抱くイメージを,その対象者の地域的な背景,特に対象者との距離に着目して明らかにした。居住地の異なる大学生を対象に,SD法に基づいた評定尺度法調査を行い,因子分析を適用して,イメージの構成要素を抽出した。また,因子得点をもとに,東京ディズニーランドまでの距離によるイメージの差異を検証した。因子分析の結果から,東京ディズニーランドのイメージは,主に「心理的因子」,「視覚的因子」の2つの要素によって構成されていた。第1因子である心理的因子には,「わくわくする」「楽しい」など対象者の主観的な感情が表れており,第2因子の視覚的因子は「静か」「緑が多い」といった景観を客観的に捉えたものであった。スピアマンの順位相関係数によると,心理的因子は距離と関係があり,その理由としてカリギュラ効果が考えられた。また,訪問回数を介して距離が視覚的因子に影響を与えていると考えられた。
著者
原田 経子 小泉 武栄
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-14, 1997
参考文献数
25
被引用文献数
3 1

平標山 (1983. 7m) の山頂から東に伸びる尾根には, パッチ状の裸地が多数分布し, 階段状構造土によく似た段々を形づくる。本研究ではパッチ状裸地の成因とその拡大速度を知るために, 裸地の北側の縁にある高さ20cm程度の小崖に測定棒を埋設し, 崖の後退速度を計測した。<br>小崖の後退速度は平均して年に1.8cmであった。この値は Perez (1992) がベネズエラの高山から報告した0.69cm/年の3倍近い。小崖での侵食量は5~7月頃最大となるが, これは春先, 凍土が融解することによって礫が緩み, 土壌や植物の根も霜柱などによってほぐされたところに, 強い南風が吹くことによって生じている。小崖の上部は植物の根が土壌を固定していひさしるため, 侵食されにくく, 基部の方が先に削られる。その結果小崖上部は庇となって突き出るが, それはやがて崩落し, 侵食されて消滅する。<br>わが国の高山によくみられるパッチ状裸地には, その向きから北西の季節風によって形成されたと考えられるものが多い。しかし平標山の場合は春と秋の強い南風が侵食の主因になっており, この点が非常に特徴的である。
著者
高橋 信人 岩船 昌起
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.22-38, 2015
被引用文献数
2

東日本大震災後に建設された岩手県宮古市の仮設住宅の室内で2012年3月以降の約2年間,温湿度の観測をおこなった。この観測結果に基づき,主に夏季と冬季の晴天日における温湿度の平均的な日変化に注目して,仮設住宅の室内気候の建築タイプによる違いと,高齢者が生活する仮設住宅内での室内気候の特徴を調べた。建築タイプによって仮設住宅の室温の日変化は異なり,軽量鉄骨造りで室内にむき出しの鉄柱がある仮設住宅は,木造の仮設住宅に比べて冬季には1.7~3.4°C程度低温に,夏季日中は1°C程度高温になり,冬季,夏季ともに室温の日変化が大きかった。この仮設住宅内では,冬季,夏季ともに室温に比べて日中は鉄柱が高温,床面が低温になっており,夜間は鉄柱が低温になっている様子も認められた。この仮設住宅は相対湿度が他に比べて高く,夏季には熱中症危険度「厳重警戒」以上になる機会が,他の仮設住宅に比べて5割以上高かった。この仮設住宅に高齢者が生活する場合,冬季には室温に暖房の影響が大きく現れ,日最低気温が低い日ほど,室温の日較差や場所(高さ,部屋)による気温差が大きくなり,それらの値は平均的には7°C以上に及んでいることなどが明らかになった。
著者
遠藤 匡俊 張 政 ENDO Masatoshi ZHAN Zheng
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.17-27, 2011-03-01

世界の狩猟採集社会の特徴の一つとして集団の空間的流動性があげられる。これまで複数の異なる民族を対象として流動性の程度を比較した研究例はほとんどみられなかった。本研究の目的は,アイヌとオロチョンを例に,集団の空間的流動性の程度を比較することである。分析の結果,以下のことが明らかとなった。集落共住率(U)を算出した結果,同一集落内に定住する傾向が強く集落を構成する家があまり変化しなかった紋別場所のアイヌでは,集落共住率(U)が0.9∼1.0である家の総家数に占める割合は73%ほどであった。一方,多くの家が集落間で移動する傾向が強く集落構成が流動的に変化していた三石場所のアイヌでは,集落共住率(U)が0.9∼1.0である家の総家数に占める割合は43%ほどであった。三石場所のアイヌと同様に,集落構成が流動的に変化していたオロチョンでは,集落共住率(U)が0.9∼1.0である家の総家数に占める割合は25%とさらに低く,0.1∼0.2の家は33.3%,0.3∼0.4の家は25%であった。13年間における集落共住率(U)の経年変化をみると,オロチョンの値は常に0.11∼0.33であり,三石場所のアイヌよりも下回っていた。アイヌの事例を1戸ずつ検討しても,集落共住率(U)の値が常に0.4未満であるような事例は1例もなかった。アイヌ社会のなかでも三石場所のアイヌ集落においては集団の空間的流動性が大きかったが,オロチョンの一家の場合にはさらに流動性が高かった可能性がある。Membership within a residential group was not stable in hunter-gatherer societies, such as those of the San (Bushman), Mbuti Pygmy, Hadza, Hare Indian, Inuit, Orochon, and Ainu. So far the differences of the degree of fluid residential groupings among hunter-gatherers have not been revealed well. The purpose of this study was to measure the degree of fluid residential groupings of settlement dwellers between the Ainu and Orochon by making use of a co-residing ratio (U), and to consider the backgrounds of their differences.The numerical value of the co-residing ratio (Ui) of the household i was calculated as follows:Ui=mi / MiMi:the number of households that resided with household i at the same settlement in one year and also resided at any settlement after a given number of years. Mi≥1.mi:the number of households that resided with household i at the same settlement in one year and also resided with household i at any settlement after a given number of years, including household i.The numerical value of the degree of the co-residing ratio (U) per household was within the range of 0 to 1. When the degree of the co-residing ratio (U) increases from 0 to 1, the fluidity of residential groupings of settlement becomes lower.When we focused on the 74 Ainu households that resided at any settlements in 1856, 1862, and 1868 in the Monbetsu district, a given number of years of the co-residing ratio(U) was six years for each time frame 1856-1862 and 1862-1868. The co-residing ratio (U) was 0.9~1.0 in about 73% of 144 households. Samely when we focused on the 46 Ainu households that resided at any settlements in 1856, 1858, 1864, 1865, 1868, and 1869 in the Mitsuishi district, a given number of years of the co-residing ratio (U) was two years, six years, one year, three years, and one year for each time frame. The co-residing ratio (U) was 0.9~1.0 in about 43% of 230 households. On the other hand, when we focused on one Orochon household in 1910, 1925, 1928, 1932, 1935, 1938, 1945, 1947, and 1957, one Orochon household in 1900, 1920, 1921, and 1931, and one Orochon household in 1908 and 1913, the co-residing ratio (U) was 0.9~1.0 in only about 25% of 12 households. In the Orochon households 33.3% of 12 households showed 0.1~0.2 degree of the co-residing ratio (U).Next, when we focused on the 46 Ainu households that resided at any settlements in all time frames 1856, 1858, 1864, 1865, 1868, and 1869 in the Mitsuishi district, and one Orochon household that resided at any settlement in all time frames 1925, 1928, 1932, 1935, and 1938, the numerical value of the co-residing ratio (U) of Orochon was lower than that of the Ainu in the Mitsuishi district during almost all thirteen years.Therefore it is postulated that the degree of fluid residential groupings of settlement dwellers was higher in the Orochon than in the Ainu, and was higher in the Mitsuishi district than in the Monbetsu district. And also it is estimated that the Orochon settlement was formed mainly by moved households and the Ainu settlements in the Mitsuishi district were formed by moved households and stayed households, and the Ainu settlements in the Monbetsu district were formed mainly by stayed households.