著者
田端 健人 真竹 健人
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.255-276, 2012

本稿では、ある公立小学校3年生の学級が、前年度の「荒れた状態」から回復していくプロセスを、観察とインタヴューの文字記録によって提示する。まず、この学級が2年生の時の教室の様子と、問題行動の中心となっていた子ども「S君」の様子を描出する。次に、クラス替えを経て3年生になった時、この学級を担任した教師「A先生」の、担任を引き受けるにあたっての覚悟や教育観を、インタヴューをもとに紹介する。そして、3年生になり新しい学級がスタートした時のエピソードを、主に3つ(記録1・インタヴュー6・記録5)提示する。これらのエピソードは、学級みんなの前で、A先生がS君に、叱責と称賛という仕方で強く働きかけた場面であり、S君と学級みんなに変容をもたらしたと考えられる場面である。A先生のこうした働きかけによって、この学級はわずか1カ月ほどで、「荒れた」状態を克服していく。A先生の語りと働きかけは、一般的に流布する教育言説によっても理解可能であるが、それをはみだす独自の実践感覚と言葉遣いを含んでいた。そこで、A先生の語りと実践感覚を、一般的な教育言説を超えて、一層深く理解するために、マルティン・ブーバーの「人間関係の存在論」を参照する。特にクライエント中心療法のカウンセラー、カール・ロジャーズに対するブーバーの批判に着目し、ブーバーの「受容」論を明確化する。そして、これを資料解釈の導きとし、A 先生の語りと働きかけを、心理学的次元ではなく、存在論的次元において理解することを試みる。
著者
川崎 惣一
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.89-99, 2014-01-27

本論の目的は、人間が生きるうえで必要不可欠である「食べること」という営みが、人間と自然との関わりをどのように規定しているのかという問題について、人類の歴史を振り返りつつ、哲学的に考察を加えることにある。人間と動物は「食べること」において共通しており、「食べること」を通して栄養素を摂取することで、活動のエネルギーを得るだけでなく、自らを新たに作り出してもいる。しかし、人間において特徴的なのは、「食べること」それ自体が楽しみとして追求されるという点である。この点において人間の「食べること」は、生命的な次元を超え出ていると言える。火を使って料理することは、「食べること」によるカロリー摂取の効率を上げることを可能にし、これによって人類は独自の進化をとげることに成功した。火の使用による料理は、人間が自然を自らの意志に従わせる基本的な手段となった。料理はまた集団の成員がともに食べるという習慣を生み出したことで、文化の成立・発展に寄与した。さらに食料の生産を目的とした農耕が始まり、人間は自然を積極的かつ組織的に改変・利用するようになった。時代を経て、いまや人間は、量と質の両面において自然を過度に改変し、そのことが人間自身に悪影響を与え、人類の存続そのものを危うくするに至っている。こうしたさまざまな問題を検討するためにも、「食べること」をめぐって、たとえば人間が何をどのように食べているかを文化的および歴史的に振り返ることで、人間と自然との関わりをあらためて問い直すことが重要である。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.79-88, 2013

本稿はハンナ・アーレントの「教育者」としての側面に着目し、その教育活動と研究活動がどのような関係にあったのかを検証したものである。アーレントが戦後アメリカの大学で教鞭を取っていたことは良く知られているが、具体的な授業内容や学生観、また学生からの評価などについてはこれまで断片的にしか論じられてこなかった。本稿ではこれらに着目することで、アーレントが大学教育の中で学生たちに何をどのように伝えたのか、同時代の政治的課題や政治哲学的課題をどう扱ったのかを辿り、そこで実践された「教育」が彼女の「研究」とどのように結びついていたのかを明らかにした。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.57-67, 2015

ウォルター・リップマンの政治思想は、その「世論」民主主義批判の文脈において「エリート主義」「保守主義」と解釈され、ジョン・デューイらリベラリズムの論敵として理解されてきた。しかしながら、リップマンの「政治」と「教育」をめぐる議論を検証すると、そこにはニつの政治教育論が存在し、一方はデューイらと同様に学校教育を通じてアメリカ社会を民主的に変革するものとして、他方はそれとは別の教育論理でアメリカのリベラル・デモクラシーを再構築するものとして描かれていることに気づく。本論はこれまで論じられてこなかったこのリップマンにおける二つの政治教育論を取り上げ、一方の政治教育論が「市民教育」[メディア・リテラシー」「知能テスト批判」をキーワードとして市民の政治知識の向上に寄与するものであり、他方が「コモンローの精神」「公共哲学」「文明的作法」をキーワードとして一般公衆の精神的陶冶を強調するものであることを明らかにした。
著者
越中 康治 目久田 純一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.167-176, 2016

本研究の目的は、現場の教師や将来教員を目指している学生たちが道徳の教科化を好ましいと感じているか否かについて、理由づけを検討することであった。前報では、教育学部生、保育者、小学校教員、中学校教員及び高等学校教員を対象として質問紙調査を実施し、①道徳の教科化、②道徳に検定教科書を導入すること、③道徳で評価を行うことのそれぞれについて、好ましいと思うか否かを尋ねた。本報では、前報で取り扱うことのできなかったこれらの理由づけの自由記述をテキストマイニングにより分析した。その結果、まず、道徳の教科化に関してネガティブな認識が示される要因のひとつが評価の導入であることが確認された。また、検定教科書や評価の導入を肯定する理由づけにおいて特徴的であったのは「教科になれば必要だから」という消極的な理由であった。特に評価に関しては、導入すること自体に積極的な意義を見出した回答はほとんど見られなかった。教科化のための検定教科書導入、教科化のための評価といった認識が、道徳の教科化に対する抵抗感をさらに強めるひとつの要因となっている可能性が示唆された。
著者
鈴木 渉 齋藤 玲
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.223-230, 2015
被引用文献数
1

本稿の目的は,まず,第二言語習得研究(Second Language Acquisition Research),特に,第二言語学習におげるアウトプット(話すことや書くこと)の役割に関する研究について概観し,次いで,認知心理学の観点から,それらの研究の課題や今後の方向性について展望することである。本稿で取り上げる認知心理学における知見とは,記憶検索(memory retrieval)の現象のひとつとしての検索経験(retrieval practice)の効巣である。本稿では,検索経験の効果に関する近年の研究成果に基づいて,第二言語学習におけるアウトプット研究のこれからの展開の可能性を示したい。
著者
本図 愛実
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.285-295, 2015

When we consider the desirable educational policy such as be supported by the people, it is useful that we see the policy augment going to change the government through the two-party system since it may not happen all the time in JAPAN. There are the two-party system in the U.K. and the U.S.A. From observing those changing government, we can notice their educational policy argument are focused on school management system and teaching profession, and belong to the context contributing to economy. After changing the government in the U.K., the coalition government has been succeeding to checks and balances system consisted of decentralized to school, evaluation by outside agency and school choice, which were confirmed in previous government. Otherwise the coalition government promotes Academies and Free schools as new school management system. It also push forward the school-led system by mainly teaching schools, which role is to initial teacher education, professional development and school self-improvement. It points out that the commitment to school governance by the people depending on their own position and the explanation for the people the result of education policy is important if educational policy would get to the public endorsement. We should carefully watch school-led system proceeding since continuing professional development needs broad and theoretical support.
著者
亀井 文 星 千裕
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = BULLETIN OF MIYAGI UNIVERSITY OF EDUCATION (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.165-170, 2023-03-31

レジスタントスターチ(RS)は、食物繊維と類似の生理作用を持つ機能性成分として注目されている。本研究においては米飯の炊飯直後から約20℃までの温度降下の初期老化過程において、米飯のRS含量がどのように変化するかをおにぎりの形態で明らかにすることを目的とした。炊飯後すぐにおにぎりを作製し、①おにぎりを皿に置き、そのまま放冷と②おにぎりを皿に置き、皿ごとラップをかぶせて放冷の2条件で2時間室温放冷したときの温度変化とRS量の経時変化を比較検討した。①の条件下では、温度は0分から30分において急激に低下しRS量は時間経過ごとに有意にRS量は増加した。②の条件下では、温度の低下は①の条件の温度低下と比べて緩やかな低下となり、時間の経過によるRS量に有意な差は見られなかった。このことから、老化が始まるとされる60℃までのおにぎりの急激な温度低下とその後の継続的な温度低下がRSの生成に関わることが示唆された。
著者
工藤 哲三 横山 朝明 小玉 誠 水谷 政美 今野 次雄
出版者
宮崎県工業技術センター
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.159-163, 2010
被引用文献数
2

甘藷製焼酎粕をデカンターによる固液分離後、液部を中空糸膜を使用して得られる無菌ろ液を焼酎の仕込み水として繰り返し再利用していく発酵試験を行った。5回までの再利用において、対照区(通常の仕込方法)と同等かそれ以上のエタノール収量が得られた。ろ液は、再使用回数が増えるにつれ、酵母増殖における誘導期の延長や増殖速度の低下が観察された。
著者
川﨑 惣一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.31-44, 2011

近年、いわゆる環境問題やエネルギー問題が深刻さを増していることと相まって、さまざまな学問分野において、人間と自然との関わりを問い直す研究が実践されている。本論の目的は、シェリング、レーヴィット、メルロ=ポンティのそれぞれが展開している、近現代ヨーロッパの哲学における自然哲学の三つのアプローチをとりあげて検討することで、人間と自然との関わりを哲学的に分析していくにあたって、どのような観点をとるのがふさわしいかを考察することである。人間は自然の一部であるが、同時に、自然を超越した存り方をしてもいる。これによって人間は自然を対象化することができるが、同時に自然から疎外されてもいる。こうした根本的な事態を踏まえつつ、人間と自然との関わりに関する哲学的考察を深めていくためには、人間と自然との同一性を前提したり、人間に対する自然の自立性を強調したりすることは、ふさわしいことではない。人間が人間独自の存在構造を解明したうえで、自然との関わりに関する考察を進めることが必要となる。これによって、「自然」という言葉でわれわれが何を理解するのがふさわしいか、という問いに関する洞察もまた、深まっていくと思われる。
著者
川﨑 惣一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
no.53, pp.37-48, 2019-01-31

本論の目的は、「人はなぜ謝罪するのか」という問いに対して哲学的なアプローチを試みること、そしてそれによって、謝罪というテーマに関する一定の見通しを得ることにある。 一般に、謝罪の目的は「過去の過ちを償うこと」にある、と理解されているように思われる。しかし、過去を書き換えることはできないし、後悔や自責の念だけでは、私たちを謝罪へと促す理由としては十分ではない。むしろ謝罪は、未来における個人の人格的な評価を高め、人々との間の関係をよりよいものにするために為される、と理解されるのがふさわしい。 私たちは、個別の行為をその担い手である人格に結びつけて理解するという傾向を持っている。過ちとされる行為は、その担い手である人格の評価を著しく下げるであろうし、反対に、加害者は謝罪することによって自らの人格的評価を高めることができるであろう。ただし、謝罪によって加害者が後悔や自責の念から解放されるかどうか、被害者が苦しみや傷つきから癒されるかどうか、加害者が被害者から赦しを得られるかどうかといったことは事前に確実に予測できることではなく、その意味で謝罪はつねに「賭け」である。それでも人があえて謝罪に踏み切るのは、加害者たる自分自身および被害者、そして両者を取り巻く人々のよりよい在り方とお互いのよりよい関係の構築を目指してそれを実現したいと願うからである。 したがって、謝罪の意義は〈加害者と被害者、および両者を取り巻く人々との間によりよい人間関係を(再)構築すること〉にあり、私たちが謝罪する根本的な理由は、私たちが社会的かつ倫理的存在であり、未来において、他者たちと共に、幸福でより善い生を送ることを望むからだ、と言うことができる。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.39-47, 2015-01-28

ウォルター・リップマンが『世論』(1922)で安易な「世論」民主主義を批判し、政治の実践においては専門家の知性の活用を重視していたことはよく知られている。しかしながら、この専門家の知性の活用は統治者だけではなく、「世論」を生み出す「一般公衆」へも向けられていることについては、これまでほとんど注目されてこなかった。またさらに「世論」の偏向を是正する取り組みとして、今日で言うところの「メディア・リテラシー」への言及があることも考察の対象とされてこなかった。本稿はこれまで軽視されてきたリップマンの「市民教育」論、あるいは「メディア・リテラシー」論に光を当て、それが「世論」改善にどのような役割を果たすのかを明らかにした。
著者
堀田 幸義
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.279-302, 2017-01-31

日本近世史分野では、身分制研究の進展を背景に、大名家の家臣団のなかでどの階層からが世襲の武士身分であったのかという点が議論されており、一方、武士身分とは誰が認定するのかといういう点についても研究されている。 本稿は、以上のような認識のもと、「武士身分の者」の多さが特徴とされる仙台藩の武士身分について整理するものである。果たして、仙台藩の領内では誰が武士として認められたのか、いわゆる武士身分であると認められる存在について、直臣、陪臣、金上侍、浪人まで含めて考察を加え、同藩における武士身分の重層的なあり方を論じたものである。 なお、その過程で従来の研究の誤りや等閑に付されてきた点についても言及している。
著者
勝部 裕
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.27-52, 2005

Woher die feudalistische Nationalitat oder der anti-deutsche "Schauvinismus" eigentlich in der sogenannten Dalimil-Chronik herkommt, lasst das Problematik in der Beziehung zur Investitur des Prager Bischofs betrachten. Um der letztere in Keime des Investiturstreits geht es auch der Cosmas-Chronik, der genau Dalimil folgend bis zum ersten Viertel des 12. Jh. verarbeitet wurde, wie der Streit erst deutlich im Laufe des kommenden Jahrhundertlang ausbrach. Bei der Reihe der Verfahren von der Wahl, Investitur und Ordination musste der Prager Bischof sich in der Spaltung unter den bohmischen Fursten mit ihren eigenen Kirche und in der unmittelbaren Auswirkung der deutschen Konigen zwischen Sachsen und Bayern befinden. Im Vergleich zur Fremden von aussen in der Dalimil bedeutet also das, dass die sozialen verschiedenen Umstande innerhalb des bohmischen Land besonders im Mittelpunkt von hohen Geistlichkeit zu betrachten sind, wie es der Bischof Vojtech zum Gegenstand machte.
著者
越中 康治
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.279-286, 2018

本研究の目的は,教育学部生の道徳教育に対する考え方と権威主義的伝統主義及びDark Triad との関連について,性差を含めて探索的に検討を行うことであった。予備的な質問紙調査の結果から,大きくわけて以下の3点が確認された。第₁に,権威主義的伝統主義傾向の強い者ほど,教育は集団のためであると認識し,道徳教育において価値や美徳を伝えることと行動の習慣化を重視する傾向にあった。第₂に,Dark Triad 傾向の強い者ほど,道徳は外から与えられるものであり,道徳教育においては価値や美徳を伝えるべきと認識する傾向にあった。ただし,Dark Triad に関しては,権威主義的伝統主義に比して,道徳教育観との関連は明確には示されなかった。第3に,道徳教育観には性差が認められ,女性に比べて男性は,人間の本質は悪であり,道徳は外から与えられるものであり,道徳は社会によって異なると認識するとともに,道徳教育においては価値や美徳を伝えることを重視する傾向にあった。本研究は予備的な検討に過ぎないが,道徳教育観とパーソナリティとの関連については,今後,性差を十分に考慮した上で研究を蓄積していく必要があることが示唆された。
著者
小島 雪子
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
no.48, pp.315-326, 2014-01-27

「虫めづる姫君」が生まれたのは、社会と仏教との相互浸透が加速した時代であり、仏教の言葉、観念の他の領域への流用、何らかのずれを生じざるを得ない引用は、同時代においては広くみられる言説のありようであった。しかも、そうした仏教の言葉への依拠は、何らかの権威をまとい、自らの述べるところを正当化するためになされてもいたのである。姫君の発言のいくつかにも同様のあり方が認められるが、その過剰さ、ちぐはぐさゆえに、通常は見過ごされてしまいがちな同時代の言説のあり方を意識化することを読者に促す可能性をもっていると考えられる。また、この物語は、人々の信仰のあり方を問題化する側面をも潜在化させている。平安貴族の多くは、日常生活の場においては、仏教の根本にふれるような教えを内面化していたとは言い難く、信仰を使い分けていた。姫君の笑われるべきちぐはぐなありようは、実は相対立するかにみえる周囲の者たちのありように通じるものでもある。物語は、明るくにぎやかな笑いの中に、姫君の過剰でちぐはぐなありさまを語りながら、まっとうに見える人々の仏教とのかかわり方がどのようなものであるのかに改めて気づかせる側面をももっている。
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.39-47, 2014

ウォルター・リップマンが『世論』(1922)で安易な「世論」民主主義を批判し、政治の実践においては専門家の知性の活用を重視していたことはよく知られている。しかしながら、この専門家の知性の活用は統治者だけではなく、「世論」を生み出す「一般公衆」へも向けられていることについては、これまでほとんど注目されてこなかった。またさらに「世論」の偏向を是正する取り組みとして、今日で言うところの「メディア・リテラシー」への言及があることも考察の対象とされてこなかった。本稿はこれまで軽視されてきたリップマンの「市民教育」論、あるいは「メディア・リテラシー」論に光を当て、それが「世論」改善にどのような役割を果たすのかを明らかにした。
著者
立原 慶一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.127-135, 2014

When asked to compare Katsushika Hokusai's Great Wave Off Kanagawa and Gustave Courbet's The Wave, the following two points were identified: whether the pictures have drama, and whether they capture the wave structurally from the novel viewpoint of at sea. Genpei Akasegawa's Great Wave Off Kanagawa features in a Japanese language textbook used at the middle school affiliated with the Miyagi University of Education, but does wording that one might assume to be inspired by it appear on worksheets, or not? This was also taken into account. We set out to rank art appreciation ability with a view to exploring the status of these three. First, a pattern was recognized that seemed slightly lacking, in that there was no awareness of drama in the work, and theme was confined to the dynamics of the wave; second, a pattern in which despite being receptive in class to plastic properties and then aesthetic properties, when it came to sensitivity to theme, these were completely discarded for total reliance on preconceptions; and third, a pattern that achieves subjective appreciation, while based on the writings of Akasegawa. For a method of art appreciation of the third type to be realized involves a certain level of art-appreciation ability, and a response to the reading experience, and here aspects of these were investigated.
著者
石田 雅樹
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.57-67, 2016-01-29

ウォルター・リップマンの政治思想は、その「世論」民主主義批判の文脈において「エリート主義」「保守主義」と解釈され、ジョン・デューイらリベラリズムの論敵として理解されてきた。しかしながら、リップマンの「政治」と「教育」をめぐる議論を検証すると、そこにはニつの政治教育論が存在し、一方はデューイらと同様に学校教育を通じてアメリカ社会を民主的に変革するものとして、他方はそれとは別の教育論理でアメリカのリベラル・デモクラシーを再構築するものとして描かれていることに気づく。本論はこれまで論じられてこなかったこのリップマンにおける二つの政治教育論を取り上げ、一方の政治教育論が「市民教育」[メディア・リテラシー」「知能テスト批判」をキーワードとして市民の政治知識の向上に寄与するものであり、他方が「コモンローの精神」「公共哲学」「文明的作法」をキーワードとして一般公衆の精神的陶冶を強調するものであることを明らかにした。