著者
新本 万里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.025-045, 2018 (Released:2019-02-24)
参考文献数
25

本稿は、モノの受容を要因とするケガレ観の変容を、女性の月経経験に対する意識とその世代間の違いに着目して明らかにすることを目的とする。パプアニューギニア、アベラム社会における月経処置の道具の変遷にしたがって、月経期間の女性たちがどのような身体感覚を経験し、月経期間をどのように過ごしているのかについて民族誌的な資料を提示する。その上で、月経を処置する道具を身体と外部の社会的環境を媒介するものとみなし、そこにどのような意識が生じるのかを考察する。これまで、パプアニューギニアにおいて象徴的に解釈されてきた月経のケガレ観を、女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関連という日常生活のレベルから捉え直す。 本稿では、月経処置の道具の変遷にしたがい、女性たちを四世代に分類した。第一世代は、月経小屋とその背後の森、谷部の泉という場で月経期間を過ごした世代である。第二世代の女性たちは、布に座るという月経処置を経験した。この世代は、月経小屋が土間式から高床式に変化し、さらには月経小屋が作られなくなるという変化も経験している。第三世代は、下着に布を挟むという月経処置をした女性たちである。第四世代は、ナプキンを使用した女性たちである。各世代の女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関係の分析を行い、第一世代の女性たちは、男性の生産の場から排除される自分の身体にマイナスの価値づけだけをしていたのではなく、むしろ男性の生産の場に入らないことによって、男性の生産に協力するという意識をもっていたことを明らかにする。第二世代、第三世代を経て、第四世代の女性たちは、月経のケガレに対する意識を維持しながらも、月経期間の禁忌をやり過ごすことができるようになったことを論じる。
著者
田口 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.135-152, 2019 (Released:2019-11-11)
参考文献数
30

人類学における親族論は、生殖医療技術の発展や、多様な婚姻制度の拡大や、グローバルなケア労働の再配置によって、再活性化してきた。「親族とは何か」という問いがより根本的に揺さぶられるとともに、親族関係を成り立たせている物語が切実な問題として立ち現れてきた。本稿は、インド都市部の世帯運営を事例に、相互に依存する関係のなかに生きる人々が、どのようにその関係を組み替えうるのかを考察する。そのさい、フィクションという視点から親族関係をとらえなおそうとする議論と、社会的想像力やモラリティの変容をめぐる議論を補助線とする。ムンバイの世帯という単位から親族を論じることで、社会と家族や公的領域と私的領域という境界にとらわれることなく、労働や責任や期待をめぐる語り口と実践を通して、人間のつながりや関係性を照らしだすことを試みる。 まずは、生物学的なものと社会的なものの区分を所与とせず、関係性をとらえなおそうとしてきた人類学的な親族論と物語をめぐる論点を整理する。つぎに「世帯」という単位を参照枠とし、グローバルなケア労働に関する議論を経由したうえで、インドにおけるヒエラルキカルなモラリティの変容について検討する。現代インド都市部における家事労働者をめぐる状況には、カースト分業/紐帯に、消費者の選択と労働者の権利をめぐる問題が入り込み、ヒエラルキーと交換という異なるモラリティが絡みあっている。本稿は、ムンバイを舞台に、一見ふつうの世帯の形成と維持を、民族誌的な物語として描いていく。そうすることで、日常的に作り出されている「奇妙な親族」に光を当て、婚姻と血縁からなる家族の規範に依拠するのではなく、また同等な個人間の交換に移行するのでもなく、別の形でつながりを想像し、他者との相互依存的な関係を構築していく可能性を考える。
著者
濱谷 真理子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.691-710, 2021

<p>本論文の目的は、北インドのヒンドゥー修行道場が実施する慈善活動、特に施食を通じてどのようにヴァナキュラーな行者社会が形成されているのか、受け手となる女性「家住行者」の視点から明らかにすることである。</p><p>インド・ヒンドゥー社会では、慈善活動は一般に「社会奉仕」もしくは単に「奉仕」と呼ばれる。奉仕の慣習はもともとカースト・ヒエラルヒーの中で目下の者から目上の者への義務・献身として広く行われてきたが、19世紀の社会宗教改革運動を機に博愛主義的な色合いを強めるようになった。現在では数多くの新興教団や政治団体が人類や国家への奉仕として慈善活動を実施し支持を集めている。その一方、人道主義の立場からはヒンドゥー的慈善活動が非対称的な社会関係や自己中心的な救済論を前提としており、社会の不平等性を改善しようとしていない点が批判されてきた。それに対しBornsteinは贈与を引き起こす衝動や共感に着目し、慈善活動の担い手の間に差異を超えた<私たちのサークル>が形成されうる可能性を提示した。本論文ではBornsteinの議論を参考にしつつ、これまで見過ごされてきた慈善活動の対象、すなわち贈与の受け手に着目する。そして、慈善活動を通じてどのように友愛的な紐帯が喚起され、それがヴァナキュラーな行者社会の形成に寄与しているのか、贈与の論理と共食の倫理という2つの観点から考察する。</p>
著者
関根 康正
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.387-412, 2020

<p>本論文は、『社会人類学年報』45巻掲載論文を引き継ぐ形で、現代社会を席巻するネオリベラリズムという思潮を人類学の立場から根底的に批判する一連の研究の中に位置づけられる。アガンベンが指摘するように、生政治が実践される現代社会では代理民主主義という形で「例外状態の常態化」が進行している。現に、世界中で大多数の国民が「ホモ・サケル」状態に置かれるような格差どころか棄民される社会を生き始めている。この20年にわたる私の「ストリート人類学」研究は、現代の苦境で苦しむ被抑圧者、犠牲者の側の視点に立つことを明確に宣言している。それは、このネオリベラリズムという浅薄な進歩の歴史から見れば、「敗者」とされる人々の歴史を「下からのまなざし」で掘り起こし、そこに希望と救済の場所を構築していく作業に傾注する人類学である。故に、周辺化され「ストリート・エッジ」にある人たちが、それでも、生きられる場をどのように構築しているのかを、その同じ社会空間を共有する者として、注目してきた。その立場から、勝者の側の純化した「高貴な」まなざし=「往路のまなざし」のみではなく、他者性と共にある不純で汚れた雑多な敗者のまなざし=「復路のまなざし」を含みこんだ二重化=交差のまなざしが生きられる場には不可欠であることを見出してきた。その延長上で、本論文では、「ストリート人類学」のより確かな理論化に向けて、特に、ストリート・エッジの理解に有益なアガンベンの「例外状態」論を批判的に検討することを通じて、現代社会を生き抜く極限の様式として「往路と復路の二重化のまなざし」を持つ構えが現代人一般に要求されていることを明らかにする。その意味で、基本的にアガンベンの「新たな政治」の実現という目標を共有しているが、『ストリート人類学』のみならずむしろ私の研究の起点になった『ケガレの人類学』にまで遡って行われる独自の思考によって、その目標を真に実現していくための補完として本研究はある。ここでの議論を通じて、『ストリート人類学』が、その発想の基礎において『ケガレの人類学』の到達点をふまえていることが明確に自覚され、その結果、フーコー、メルロ・ポンティ、ベンヤミン、岩田慶治、アガンベンらの諸理論との新たな出会いがもたらされた。そうした先人との対話の総合的な結果としてストリート人類学の基本構造理論がここに提出されている。</p>
著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.393-413, 2013-01-31 (Released:2017-04-10)
被引用文献数
2

本稿の目的は、近代以降の医療・福祉をめぐる制度的専門家(以下医療専門家と表記)が臨床現場で抱えるサファリング(苦悩)の様態を明らかにし、医療専門家が自身のサファリングに向き合いながら、現場から編み出した対処の術(すべ)について明らかにすることである。1970年代以降、人文社会科学分野の医療化批判論や医療専門家内部での批判的検討を受けて、医療現場では問題解決志向システムという考え方に基づいて医療システムや医学教育を改革し、医療実践にかかわる監査委員会の設置など、改善策を打ち出してきた。度重なる医療改革や監査システムの強化は、医療専門家にとって臨床現場で新たな問題を生じさせるとともに葛藤や苦悩をも生み出してきた。他方、医療化批判論や医療人類学分野の病者のサファリング研究の文脈では、病者の苦悩のみが扱われ、医療専門家が抱える苦悩は看過されてきた。また、医療専門家自身も社会や患者からの期待に応えるように、自らの苦悩を隠したままであった。そこで、本稿では、医療人類学における病者のサファリング研究を敷衍して、医療専門家が抱えるサファリングについて記述、分析するとともに、近代の医療の専門性研究に新たな視座を提示することを試みる。具体的には、日本の看護師、精神保健福祉士、成年後見人という3種の専門家の事例を提示し、そこに見られる多職種間連携の分断化の問題や臨床現場での患者、利用者、依頼人との距離感という問題に伴うサファリングを明らかにする。そのうえで、医療専門家自らが編み出したサファリングへの対処の術としての知恵や技法、そして臨床現場で形成されたサファリングを共有する場について検討する。結論として、医療専門家が経験するサファリングは否定されるべきものでも排除されるべきものでもなく、サファリングと向き合うことこそが、サファリングに対処するための新たな術を生み出すという創造性の源泉となることを明らかにする。
著者
辻上 奈美江
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.386-394, 2017 (Released:2018-05-16)
参考文献数
13

This paper points out epistemic violence over the ‘Afghan Girl’ whose photographic portrait became iconic after appearing on a National Geographic cover in 1985. It was during the Soviet occupation of Afghanistan, when the girl was photographed in Pakistan for the first time, which subsequently made her widely known in the West. Her picture articulates the image of innocent Afghans suffering from the ‘evildoing’ of the Soviets during the Cold War. It drew the sympathy of quite a few Westerners toward Afghan refugees, encouraging them to become involved in antiwar volunteer activities and charities. Despite her picture’s tremendous publicity, nothing was known about her until the curiosity about her re-emerged after a long hiatus when the Taliban regime collapsed due to attacks by NATO in 2001. By the time National Geographic crews found the ‘Afghan Girl’ again in Pakistan in 2002, her symbolic significance shifted from that of a victim of Soviet air strikes to one of the Taliban regime, notorious for having introduced sexist policies to Afghanistan. The rediscovery of the ‘Afghan Girl’ is associated with a paternalistic project aiming at saving the girl from a barbaric male-dominated society. The fact that the National Geographic decided to create the Afghan Girl’s Fund to support girls’ education is clear evidence that some Westerners view themselves as saviors of miserable girls who do not have access to proper education. They needed a woman—not a man—as an icon, one that can successfully project the image of a victim of female oppression to suit their convenience. The trajectory of the ‘Afghan Girl’ stimulates us to revisit Gayatri Spivak’s critique on speaking about women in subaltern classes. Spivak disclosed Foucault and Deleuze’s imperialist subject-constitution in her paper entitled “Can the Subaltern Speak?” She maps out the subjective sovereignty of varying elites(in her case, the British and Indian elites) by demonstrating the practice of sati, the burning of widows on their husbands’ funeral pyres, and its subsequent abolition in India. Spivak reached the conclusion that no one encounters the testimony of the women’s voice-consciousness, as subjective sovereignty is always conserved among the elites. This paper suggests some similarities between the ‘Afghan Girl’ and the controversy over sati. Whenever the magazine photographs and writes about the ‘Afghan Girl,’ the West is always presupposed as the subject. Global/ local elites represent her in a way suiting their interest. Although she is formidably publicized, her raison d’être is recognized only as a mirror of Westerners. As such, she is situated as ‘the other’ whose relevance fluctuates in accordance with the context of Western politics. This paper tries to problematize such issues, and looks into subjectivity, representation and the intersectionality of the ‘Afghan Girl’ from a post-colonial perspective.
著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.57-75, 2021

<p>本稿の目的は、先住民の存在論の1つ、カナダ極北圏の先住狩猟採集民のイヌイトの存在論を近代の存在論と比較することで、多種多様な生命体がダイナミックにもつれ合う現実の宇宙という地平で多様な先住民の存在論と近代の存在論を対称的に理解することがどのような可能性を拓くのかを考えることである。そのために、本稿ではまず、イヌイトが実際の宇宙で実践している生業活動の現実にイヌイトの存在論と近代の存在論を位置づけて検討する。そして、そのどちらか一方が現実を正しく映し出し、他方が単なる空想の産物であるというわけではなく、どちらの存在論も、その真偽を直接に確認することはできないが、生業活動でイヌイトが実感している経験を妥当に説明しうるものであるという点で等価であることを確認する。そのうえで、そうであるにもかかわらず、イヌイトが近代の存在論ではなく、イヌイトの存在論を採択しているのは何故なのかを考えながら、この2つの存在論をイヌイトの生業システムに位置づけて比較し、これらの共通点と差異を析出する。最後に、この分析に基づいて、多様な先住民の存在論と近代の存在論を等しく位置づけ、多種多様な生命体がもつれ合う現実の宇宙のなかで存在論がどのようなメカニズムで機能しているかを探る局所的な関係論的生成論の視点が、人類学の未来にどのような展望を拓くのかについて考察する。</p>
著者
飛内 悠子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.115-126, 2021

<p>In the past, Christianity was viewed by some as a "Repugnant Cultural Other" in anthropology studies, while others believed it should fall within this field. Against the background of the self-reflection of anthropologists, the number of anthropological studies of Christianity increased rapidly around the 1990s; however, these studies essentially objectified Western Christianity, classifying non-Western Christianity as "Other". The "Anthropology of Christianity" began around 2000 by reflecting critically on the attitude of these studies, but is yet in a nascent stage and faces problems. Nevertheless, it has a certain significance in that it enables us to rethink modernity—even anthropology itself—because there remain certain dichotomies such as modernity and non-modernity, Western and non-Western, and secular and religious. As they also confuse these dichotomies, non-Western anthropologists could contribute to this process of rethinking by joining the "Anthropology of Christianity".</p>
著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.96-114, 2021

<p>本稿では、渡り損ねた夏鳥の「残り鳥」や遡上するサケをめぐるディチナニクの実践について報告し、彼らが他種との間に築く「刹那的な絡まりあい」について論じる。北方アサバスカン民族誌学の先行研究では、「人間と動物」の二者関係が記述の枠組みとなってきたが、本稿では「人間-動物-ドムス」の三者関係から考察することを試みる。「刹那的な絡まりあい」は、ディチナニクが他種の生存に対する配慮を怠らない一方で、その関係性が束縛と支配に変わることを未然に防止しようとするせめぎ合いの中で生じるあり方である。ハラウェイは、人間と他種の「絡まりあい」を論じる際に、「自然と絡まりあう先住民」のイメージを前提として、「自然から独立する白人男性=人間」観を批判した。本稿の結論はハラウェイの前提には再検討の余地があることを示している。マルチスピーシーズ民族誌は人間と他種の絡まりあいに関する微細な記述を通して、生態学や生物学の視点からは扱われてこなかった側面を描くことができる。マルチスピーシーズ民族誌家は、人類学者独自の視点を通して、生態学者や生物学者の「人新世」論とより積極的な対話を図るべきである。本稿では、マルチスピーシーズ民族誌がとりうるそのような方向性の一例として、北米の生態学者によって提起された人新世論である「ハイパーキーストーン種」について民族誌事例を通じて検討する。</p>
著者
竹沢 尚一郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.145-165, 2018

<p>『文化を書く』の出版から四半世紀が過ぎた。他者にどう向きあい、どう書くべきかを問うたこの書は、今も人類学者に少なからぬ影響を与えている。しかしその四半世紀前に、おなじように他者に対する書き方を問う運動が日本にもあったことはほとんど知られていない。本稿は、谷川雁と上野英信というふたりの著述家が作った「サークル村」の運動を追いながら、そこでなにが問われ、いかなる答えが準備され、いかにしてすぐれたモノグラフが生み出されたかを跡づける試みである。</p><p>第二次世界大戦が日本の敗戦で終わると、文学サークル等が各地に誕生した。なかでも異彩を放ったのが、1958年に筑豊に形成された「サークル村」であった。他のサークルが職場や地域を拠点として活動したのに対し、それは九州各地のサークルの連携をめざすことで戦後の文化運動のなかで特異な位置を占めた。</p><p>会員の多くは、炭坑夫や孫請労働者や商店員であるか、その傍らで生活する人びとであったが、彼らはそれだけで社会の底辺に位置づけられた人びとについて書くことが許容されるとは考えなかった。彼らはどう書くかの問いを突き詰め、それへの答えを用意した。人びとの語りを最大限尊重するための聞き書きの採用、概念ではなく平易な言葉で生活世界と思想を再現すること、知識人による簒奪を避けうる自立した作品の創造、差別や抑圧を生み出す社会の全体構造を明らかにすること、である。</p><p>エスノグラフィ記述の基本ともいうべきこれらの指針に沿って、会員たちは多くのモノグラフを生み出した。上野英信の炭坑とそこで働く労働者についての記述。女坑夫についての森崎和江の聞き書き。不知火海の漁民の生活世界と病いと、チッソや地域社会による抑圧を描いた石牟礼道子の『苦海浄土』。</p><p>特定の地域を対象に、そこで生きる人びとの行為や相互行為を丹念に記述し、さらに差別や排除を生みだした全体構造までを書き出したこれらのモノグラフは、戦後日本が生んだ最良のエスノグラフィのひとつといえる。これらの作品を生んだ背景を追い、その成立過程を追うことで、人類学の可能性を検証する。</p>
著者
尾崎 孝宏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.3, pp.505-523, 2020

<p>本論は中国内モンゴル自治区中部における「旅游点」で展開されるエスニックツーリズムを事例に、筆者の実食データと対照させつつ、トランスカルチュラル状況の食文化の在り方について考察を加えることを目的とする。内モンゴルの旅游点で提供されるものは、食を中心としたエスニックツーリズムである。旅游点で提供される歌舞やアトラクションは、中国におけるエスニックツーリズムの大規模拠点である民族テーマパークにおける表象と連続性が見出される。一方、旅游点における食は、基本的にはと畜直後のヒツジの内臓と肉を塩ゆでで提供するという、モンゴル族の牧畜民における宴席の延長線上に位置づけることが可能である。メニュー構成の調節においてはゲストの嗜好性が反映されている一方、すべてを観光の場や漢族の眼差しに帰することは不適切である。例えば乳製品の抜絲(飴がけ)は、都市のモンゴル料理店で一般的に提供される。また、内モンゴルの内外で提供されるメニューがモンゴル料理店のメニューに取り込まれる過程にも、漢族との関係性への考慮は特に必要ない。エスニックツーリズムには異文化接触における身体性の適度な調節が不可欠である。内モンゴルの旅游点で出されるメニューに対してゲストが抱く安心感は、旅游点を訪れたゲストの直接的な経験とは切り離されているものの、都市のモンゴル料理店およびモンゴル族を中心としたその顧客を経由して構築されている。</p>
著者
関根 康正
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.504-505, 2009-12-31
著者
浜田 明範
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.632-650, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
37

2015年のノーベル医学生理学賞はアルテミシニンとイベルメクチンの開発に授与された。ノーベル財団がグローバルヘルスへの貢献を表彰したことは評価すべきことであるが、同時に、この受賞は、魔法の弾丸という薬剤観を強化する可能性も持っている。しかし、薬剤を開発すれば自動的に感染症が根絶されるわけではない。そこで本論では、イベルメクチンの集団投与と乳幼児に対するワクチン接種に焦点を当てながら、グローバルヘルスにおいて薬剤がどのように時空間に配置されているのかを化学的環境という概念を用いながら明らかにしていく。 薬剤の配置について分析する際には、空間的な広がりだけでなく、時間的な位置づけに着目する必要がある。ガーナ南部のカカオ農村地帯で活動している地域保健看護師たちは、イベルメクチンの集団投与の際には、科学研究に基づく薬剤と病原体の関係についての時間性と民族誌的知識に基づく人々の生活の時間性という2つの時間性を調整することによって化学的環境を改編している。彼女たちはまた、ワクチン接種の際に、自らを一定のリズムを刻む存在、つまり、化学的環境の一部として提示することにも成功している。このように地域保健看護師たちは、当該地域の環境に適応することと、自らを化学的環境の一部とすることという2つの方法を用いながら、化学的環境のリズムを作り出している。このようにして達成される環境への薬剤の配置は、環境についての認識に依拠しているだけでなく、環境を露わにするものでもあり、それを改編していくものでもある。 これらの議論を通じて、魔法の弾丸という薬剤観からの脱却を推し進めるとともに、時間性に注目することでこれまで空間的な配置にのみ焦点を当ててきた薬剤の人類学をアップデートし、薬剤について検討する際に化学的環境という概念が拓く可能性の所在を示すことが本論の目的である。
著者
川口 幸大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.153-171, 2019

<p>本稿は、大学入学を機に東北地方で暮らすことになった関西出身者としての私の自己と他者認識の形成、およびその変遷についてのオートエスノグラフィである。関西と関西人については、主にマスメディアから発せられる画一的な表象によって、その「ユニークさ」が広く人口に膾炙している。私は地元にいた18歳までは厳密な意味で自分が関西弁を話す関西人であると意識したことはなかったのだが、仙台で暮らすようになってから、関西人はよくしゃべる、どこでも関西弁を話す、面白い、値切ることができる、ガラが悪い、納豆が嫌いといったステレオタイプに基づくまなざしを受け、次第にそれを内面化させた振る舞いをして関西人として生きるようになった。今回、オートエスノグラフィのかたちで改めて関西人としての自己について思考し記述してみて分かったのは、それらのトピックを冗談以上の主題に発展させることは難しく、結局のところ個人的な差異の領域に帰されること、かつその背景には私を含めた日本の文化人類学における自己/他者認識の偏った枠組みが遍在していることである。他方で、私のこの状況は、エクソフォニー(母語の外にある状況)についての議論さえも相対化しながら、自己/他者認識の軛を自らの個人的次元で受け止め、それを弛めうる可能性につながることも明らかになった。</p>
著者
柄木田 康之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.485-503, 2016 (Released:2018-02-23)
参考文献数
31

オセアニアの共同体オリエンテーションが顕著な公共圏の特質は、外部の批判者によって市民社会を欠くと批判される。他方、過度に規範化された公共性の概念自体が、オセアニアに限らず、サバルタン的公共圏を抑圧排除していると批判されてきた。この対立は、単一文化主義的国民統合と多文化主義的国民統合の対立を想起させる。多文化主義も文化の異なる中間集団を相互に媒介しえず、中間集団を統合するのは国家でしかないと批判されるのである。このような状況で、公共圏、国民統合の研究における人類学の貢献は、中間カテゴリーとしての公共圏の相互関係を民族誌的に特定することである。本稿では新興国家ミクロネシア連邦の中心島嶼に位置する主流派社会と少数 離島社会の在地の論理によって実践される共生の様態を報告した。 ヤップ州の本離島関係には交易ネットワークの連鎖に基づく領域と、本島と離島をカテゴリーとして対比する領域が存在する。本島離島の二元化は第二次大戦後の米国信託統治の枠組みで生じ、独立後、離島出身公務員のアソシエーションの枠組みともなった。しかし交易ネットワークの関係はヤップ本島と離島という二元的なカテゴリーに変換されてしまったわけではなく、今日離島出身者のヤップ本島での生存戦略の中で流用されている。 ポーンペイ州のカピンガマランギ人は、米国統治初期の農村入植プログラムを通じて、首長国の称号を獲得し、称号を与える祭宴を開くほどポーンペイ島の首長国に統合された。しかし行政主導の貨幣経済化が進行するにつれて、カピンガマランギ人は雇用機会、手工芸品販売を求め、他の民族集団と同様に孤立化した。しかし入植村の権利や首長国の称号は、放棄されることなく、保持された。 ヤップ州とポーンペイ州の双方で、近代政治体制の導入により、エスニックな差異に類する対立関係が形成されながらも、主流島嶼と少数離島の間では互酬性による共生が維持されているのである。
著者
渡部 瑞希
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.78-94, 2018

<p>ネパールの首都カトマンズの観光市場タメルで宝飾品を買い求めるツーリストは、小売商人の売る宝飾品の品質や価格の妥当性に懐疑を抱いたり、小売商人のホスピタリティに溢れたサービスに詐欺行為を感得したとしても消費欲を抱き続けることがある。本稿の目的は、小売商人とツーリストの取引過程を事例に「なぜ人は商品の価値やサービスの内容に疑いをもった場合でも消費欲を維持し続けるのか」という問いを人類学的に考察することである。この問いを考察するために本稿では、小売商人がツーリストとの取引に持ち込む親密さの表現、フレンド(友人)に着目する。</p><p>友人は、互恵的な利他性によって特徴づけられるものと歴史的に捉えられてきた。そうした利他主義的な性質が疑われたり否定されることで、そのつど理想化された「本当の友人」が友人を意味するものとして形づくられてきた。この懐疑と否定により、友人が利他的か利己的か、本物か偽物かについて決定不可能な仮面(face)と化していること、詐欺の疑いを抱きつつも特定の売り手から買うことにこだわる消費が友人の仮面に向けられることを主張する。具体的には、タメルの宝飾店で働く小売商人の見せるフレンドの仮面がツーリストによって疑われ否定されることで、ツーリストが騙されている可能性を知りつつも消費欲を抱き続ける状況を民族誌的に記述していく。</p>
著者
岡野 英之
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.1, pp.19-38, 2019

<p>アフリカ諸国の紛争を扱った政治人類学および政治学の研究において、社会の統治過程に見られるパトロン=クライアント関係の分析は重要な課題の1つとなってきた。これらの議論では、パトロンとクライアントとの間に取り結ばれるインフォーマルな人間関係が統治のツールとなっているという理解が前提となっている。政治学ではパトロン=クライアント関係に対して議会制民主主義と官僚制が対置され、両者を導入することにより、統治の場からパトロン=クライアント関係を払拭できると考えられる。では、官僚制や民主主義が組織運営に導入されると、パトロン=クライアント関係を支えるモラリティは失われるのだろうか。本稿では、内戦後のシエラレオネでバイクタクシー業を統括する全国規模の職業団体「全国商業モーターバイクライダー協会」(以降、「全国バイク協会」と略称する)を取り上げ、その日常業務について考察する。内戦末期に隆盛したバイクタクシー業では、その管理・運営においてある種のパトロン=クライアント関係が重要な役割を果たした。しかし、民主主義と官僚制に基づく組織運営を求める国際社会の潮流ともあいまって、全国バイク協会が設立される際には、官僚制的な仕組みや役員選挙制度が導入された。ただし、これによって従来のパトロン=クライアント関係が払拭されたというわけではない。ライダーたちは、官僚的で非人格的な業務を行うべきである執行役員に対してクライアントシップをもって接する。それに対して執行役員もパトロンシップをもって応えようとする。全国バイク協会の日常的な活動から見えてくるのは、執行役員がパトロン=クライアント関係のモラリティと官僚制のロジックの両者を翻訳しながらライダーとの関係性を築いていることである。</p>
著者
金子 正徳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.1-20, 2007

本論文は、インドネシア共和国ランプン州に位置するプビアン人社会の婚姻儀礼の事例を中心として、新秩序体制期とそれ以後数年の間にみられた社会文化動態を分析する。今日のインドネシアでは、婚姻儀礼は二つの側面から解釈される。一つはアダット(慣習/慣習法)の側面、もう一つはクブダヤアン(文化)の側面である。アダットの側面からいえば、婚姻儀礼はそのエスニック集団のアダットに従い、正しく行われねばならない行為である。村落を活動基盤とするアダット知識人がその中心にいる。クブダヤアンの側面からいえば、婚姻儀礼は意味や象徴性という観点から解釈される対象である。都市を活動基盤としているローカルな知識人によって、各エスニック集団のアダットはインドネシア国民文化にとって必要不可欠な地方文化の一部分として解釈される。同じ対象を扱いながらも、アダットとクブダヤアンは異なる知の体系なのである。K村で行われたある婚姻儀礼は、アダット儀礼というだけではなくて、文化イベントとしても位置づけられていた。ここでは、アダット知識人とローカルな知識人が同時に行為者となるという特異な状況がみられた。この婚姻儀礼のクライマックスでは、プビアン人社会外部からやってきた来賓へ儀礼行為の意味や象徴性を説明する役割を負っていたローカルな知識人に対して、儀礼進行の主導権を奪おうとしたアダット知識人が仕掛けた小競り合いがみられた。小競り合い自体は儀礼の出資者によってすぐに収められ、以後は何事もなく進められたが、これはアダットとクブダヤアンの関係を如実に示している。アダットとクブダヤアンは単に並存しているのではなく、両方を一度に選択できない二つの選択肢として、一つの解釈装置を構成している。二つの概念の近接が生みだしたこの解釈装置を介して、現代の地方エリートは地方社会内部での上昇を図っているのである。
著者
中屋敷 千尋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.241-263, 2014-12-31 (Released:2017-04-03)

インドは「世界最大の民主主義国家」といわれる。しかし実際には、それは理念通りに定着しているわけではない。近代的な政治制度は土着の親族などの制度に影響を与えつつ依拠することで成立することが可能となっている。本論では近代的な制度を支える過程で変容を遂げている親族関係に注目する。そして、北インド・チベット系社会スピティにおいて、親族が、比較的新しく導入された選挙の影響を受けてどのように意味づけされ、再構成されているのかを明らかにすることを目指す。ここでいう親族とは親族全般ではなく、日常生活を支える互助的な親族関係を指す。従来のチベット系社会の親族研究で重視されてきた父系出自の観念とは別に、ニリンと呼ばれる親族範疇が日常生活を支えるものとして住民に重視されてきた。ニリンとは個人の親密な血縁、姻戚関係の認識の範囲である。それと同時に、選挙活動において、このニリンは訴求力をもつものとして政党員に資源として活用される。特に、票を獲得しようと試みる政党員によって普段ニリンとは呼ばれない人までニリンに含められ、一時的なニリンの関係がつくりだされる。そのため、選挙ではその枠が拡大、縮小される。その過程で、人によっては複数のニリンに含められ、複数の立候補者に投票するよう要請され、投票行動の決定困難に陥る状況も生じている。そこでは親族の道義性と個人の戦術が入り乱れ、決定困難となっている。また、中には政治的利益のために団体化したニリンも存在する。つまり、政治的な関係が日常化したのである。ただし、政治的利益を得るための団体化は個人の選択を制限することにもなり、矛盾が存在する。ここには、親族研究において議論されてきた道義性と戦術をめぐるより複雑な問題が示されている。