著者
高野 秀之
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.47-73, 2010-10-25

本稿は、ソシュールの一般言語学理論を再考することを通じて、言語研究の歴史における、その評価の妥当性を問い直すものである。 言語研究の歴史において、ソシュールはさまざまな批判にさらされてきたが、その中には、ソシュールの思想や学説への不理解や誤った歴史認識に基づいたものもある。そうした誤解を払拭するために、ソシュールの思想や学説を可能な限り忠実に再現した後、ソシュールに向けられた批判の型を『一般言語学講義』の成立事情に基づくもの、ソシュールの言語理論自体に関するもの、歴史認識にかかわるものの3 種類に分類し、それぞれを検証することを通じて正当な評価を下すことを試みる。 筆者は、人間の知的活動としての理論構築というものが、対立や批判からのみもたらされるとは考えない。それは、既存の理論や学説と相互に関連し合いながら、視点の位置と適用範囲の変遷によって刷新されてゆくものである。その視点と適用範囲とが時間の経過とともに増加・累積し、洗練されてゆく過程が言語研究の対象であるとするソシュールは、批判の対象ではない。それは、言語研究の対象と方法とを示しながら、それを自らの手で一冊の本にまとめることを躊躇したこと、ただ一点においてのみであると考える。
著者
高野 秀之
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.3-38, 2012-10-26

本稿の目的は、生成文法の基本原理を検証し、その理論的な基盤となる言語観を探求することにある。しかし、取り上げられる基本原理と、それぞれを基に記述される言語現象は、質・量ともに、決して十分なものとは言えない。したがって、この取り組みは、生成文法の全容解明ではなく、この理論がどのように言語の本質を捉えようとしているのかを追体験し、そこに想定されている言語観を合理的に導き出そうとする入門研究である。生成文法は、経験科学の方法で言語の本質を解明しようとする言語理論で、観察可能な言語資料から導き出された事実に基づいて仮説をたてる。実証研究の過程において、期待された解が得られなかったとしても、仮説を簡単に放棄したりはしない。その結果は、理論構築に至る過程が厳正であったために導き出されたものとして受け入れ、仮説の修正を繰り返し、より洗練された理論を目指す。問題の棚上げという対応が批判の対象になることもあるが、現在、生成文法は言語の本質解明に最も近い言語理論の一つであると言えよう。巻末の資料は、生成文法の基本原理が英語の疑問文を生成する過程を説明するのに効果的であると主張し、研究の公共性を担保している。
著者
柴生田 俊一
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.31-67, 2004-12-31

21世紀の国家デザインの一環として、観光立国政策が推進されているが、その経済政策としての根拠は必ずしも十分とはいえない。観光サテライト勘定は、経済分析や政策評価のツールとして、世界各国で導入されつつあり、将来、日本においてもかなり有用なツールになるものと期待される。観光立国政策では「訪日観光を世界に開く」と謳っているが、近隣アジア諸国に対する一方的な旅行ビザ制限にみられるように、日本は国際観光交流の面では立ち遅れている。
著者
小林 憲夫
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.107-122, 2006-04-30

本来の意味をそれほど深く理解していないにもかかわらず安易に使用している言葉はたくさんあるが、映画を評するときにしばしば用いられる「B級映画」という表現もそのひとつであろう。この表現は多くの場合、「安っぽい映画」、「くだらない映画」、「いまいちの映画」、「駄作」など低い評価を表わすために用いられるが、その定義は人によって異なり、事実上かなり曖昧に使われている。本論文は、「B級映画」の語源はどこにあるのか、そしてこの用語は本来どのような場合に用いられてきたのかを考察する。映画は19世紀末にフランスで発明されたが、現代に見るような大規模なエンターテインメントとして発展してきたのはアメリカ合衆国である。「B級」という表現は、その米国における映画製作の工程から生まれてきた。本論文における「B級映画」は、米国での映画の誕生からハリウッドの歴史を追い、第二次世界大戦後のテレビ時代を迎えるまでを辿っている。これにより「B級」映画の成立事情と変遷を述べ、「B級」映画がどのように時代とともに変化してきたかを明らかにしている。
著者
小菅 成一
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.1-19, 2007-04-30

商法では、客の来集を目的とする人的・物的設備を備えて、公衆の需要に応ずる取引を行う場屋営業者(ホテル、映画館等を営業する商人).は、客の携帯品について、(1)客から寄託を受けたにもかかわらず、場屋営業者が当該携帯品を滅失または毀損した場合には、それが不可抗力により生じたことを証明しない限り、損害賠償責任を免れることができないと規定(商法594条1項)し、さらに、(2)客が寄託をしない物品であっても、場屋中に携帯した物品が、場屋営業者またはその使用人の不注意により滅失または毀損した場合には、場屋営業者は損害賠償責任を負うと規定(同条2項)している。この場屋営業者の責任めぐる裁判例は、これまであまり多く見られなかったが、ここ最近では、ゴルフ場のクラブハウス内における貴重品ロッカーからの窃盗犯による財物の盗難とキャッシュカードの不正使用に関する事件が多発したことから、被害に遭った客が、ゴルフ場に対して場屋営業者としての責任を追及する訴訟が増えてきているという。そして、こうした裁判例の中には、まず貴重品ロッカーに携帯品を保管したことにつき、客と場屋営業者との間に寄託契約が成立するのか否かを検討し、その結果、寄託契約が成立しなくても、場屋営業者側に、貴重品ロッカー等の施設内の管理に不注意があった場合には、当該営業者に対し、商法594条2項に基づく善管注意義務違反を認めるものも出現してきている。本稿では、場屋営業者の責任に関する商法594条の規定の趣旨を確認した上で、当該規定に関する近時の裁判例を検討しつつ、場屋営業者には、例え客との間に寄託契約が成立しなくても、客が安心して携帯品を貴重品ロッカー等に預けられるようにするための施設に対する安全管理義務があると結論付けている。
著者
古川 康一 升田 俊樹 西山 武繁 忽滑谷 春佳
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.29-44, 2013-03-20

本論文では、チェロの奏法について、多くのプレーヤーに納得できるような奏法を、スキルサイエンスの立場とプロのチェリストの経験を融合させて追及した試みについて報告する。具体的には、スキルサイエンスの研究者である第1著者とプロのチェリストである第2著者の論争とコラボレーションを通して、如何にして余分なエネルギーを使わない、体に無理のない運弓法に関する新たな知見が得られたのかを見ていく。本論文で取り上げる論争のテーマは、すばやい動作を含む困難な課題をこなすために、「首を振る」動作を意図的に行うべきか否か、という問題である。このテーマについて、第1著者が生体力学的な視点からプラスの評価を与えているが、第2著者は経験知からマイナスの評価を与えている。その論争を解決するためのいくつかの試みについて述べる。第1に、インタラクティブ・インタビューと呼ばれる著者らが開発したインタビュー法により、議論の中から問題点を抽出する試みについて述べる。第2に、生体力学的な考察に欠落していた鞭動作の起動に関する考察と、その実現方法についての新たな知見を紹介し、それが論争の一部を解決できることを示す。
著者
漆畑 貴久
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.57-79, 2008-04-30

本稿は、交通犯罪対策としての刑事立法の動向を、1946(昭和21)年以降における刑法及び道路交通法の改正を中心として、交通犯罪に対する厳罰化という流れに着目して概観し、その意義について考察することを目的とする。本稿において概観した刑法及び道路交通法の一連の改正に対しては、罰則の強化による犯罪の抑止に対する期待から、それぞれの厳罰化を支持・容認してきた国民の意識が存在したこととともに、その内容において、著しい罰則の強化自体に対する疑問、その効果に対する疑問、そして刑の不均衡という疑問などが指摘できることを明らかにする。このような立法が実現する背景には、犯罪を犯すものと犯さないものとの区分を志向する態度が存在することを示す。そしてこうした考察を通して、国民の意識を的確に把握しそれを反映させ、同時に、刑法の基本原理と刑罰制度の理念との調和に十分な配慮を払うという観点に立った慎重な立法態度が、実効性とバランスとを備えた交通犯罪対策の実現に繋がると考えられることを指摘する。
著者
林 林
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.181-198, 2011-03-20

本稿では、日本語教育と日本語学習者の立場に立ち、設定事態(従来のいわゆる前提)と焦点(成分焦点と文焦点)との相関から「ノダ」の機能を捉え、「ノダ」は、主に発話者が主観的に設定された事態の関連事項に対する確認を聞き手に言表するマークであるとして、日本語学習者に把握しやすい統一的な解釈を提案する。
著者
尾村 敬二
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.1-24, 2004-03-31

アジア通貨危機による最大の被害国はインドネシアであった。1998年のルピアの対米ドル切り下げ率は70%、GDPはマイナス13%で、1999年に他のアジア諸国経済が急回復を示したにもかかわらず、わずかO.8%の成長であった。また、経済危機の過程において、32年に及ぶスハルト体制の崩壊という政治危機が発生し、経済はメルトダウンの状態になった。経済危機に対して、IMFを中心とする経済支援が実施されたが、そのコンディショナリティの厳しさ、インドネシア政府のガバナンスの弱さ、IMF支援政策の誤謬とその実施の遅れなどから、インドネシア経済復興に制約が見られた。銀行や企業の倒産、海外への大量の資本逃避などにより、生産活動も低迷した。経済回復がようやく見え始めたのは2003年である。今後のインドネシア経済成長のためには、グッドガバナンスの確立はもちろん、経済合理性と国際協調にもとづく経済戦略が必要である。
著者
大澤 覚 オオサワ サトル Satoru Osawa
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.21-42, 2005-10-31

戦前期の皇室財産(御料地)は、憲法制定・議会開設を前にした明治22年前後に編入された。この概要は『帝室林野局五十年史』などでも知れるが、編入にあたっての巡回(現地調査)、復命の内容など、その具体的実態は未解明のままであった。そこで、本稿では、宮内庁が利用制限を解いた『地籍録』に基づいて、群馬県の場合の解明に取り組むこととした。群馬県へは大木真備が派遣された。巡回に当たっては、県側に資料の提出を求め、27の対象箇所を決めて出発した。しかし、「巡回日誌」などは不明なので、これを埋める資料として、肥田長官宛の書簡2通を活用して行程やそこでの問題点を把握した。そして、大木の「復命書」によって、これまで「将来有益なる土地と然らざる土地とを区分し」たと『明治天皇紀』に書かれていた内容の具体的把握をおこない、これに基づいて選定基準をまとめ、最後に、この根拠には楫取素彦の「意見書」があったことを述べてまとめとした。
著者
古閑 博美 コガ ヒロミ Hiromi KOGA
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.63-73, 2005-10-31

学生の授業中の私語、着帽、睡眠、携帯電話の操作、飲食、化粧、教科書・ノート・筆記具の不携帯のほか、トイレや電話のための途中退室などが問題となっている。そういった態度に接し、教師はどのように対すればよいのであろうか。教育現場で、このことに悩む教師の姿がある。社会で礼儀・作法は不可欠であり、教育現場で、無作法な態度や傍若無人な振舞いが看過されてよいわけはないのである。大学は躾教育まで担っていない、との考えは排除したいものとなる。知識の教養と行動の教養を身につけた学生を育成するのは、社会のニーズでもある。教師は、教育現場にふさわしい辞儀と魅力行動を実践したい。授業中、飲食、私語、着帽などの学生がいても、注意もせず放置する教師を、心ある学生は評価していない。学生が、知的教養以外にマナーなど行動の教養を身につけることは、彼らの将来にとって重要というだけでなく、わが国の将来と直結する課題となる。魅力行動学という研究分野を、あえて唱える所以である。
著者
柏木 理佳 カシワギ リカ Rika Kashiwagi
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.1-16, 2008-12-19

わが国において少子高齢化にともない労働力不足が懸念される中、女性の労働力が注目されている。しかしながら近年の雇用の格差による環境の悪化は、より女性に多くのしわ寄せがきている。女性における労働市場において学歴インフレによる需要と供給のミスマッチが問題視され、世界から指摘されている。若い時期にだけ働いてくれればいいといった日本企業による女性の雇用方法が根強く残っている。中国企業では採用する際に女性の年齢や外見だけにとらわれることは少なく、同じ仏教を信仰する文化を持つ国でありながら日本とは違う欧米型の女性の雇用形態となっている。しかし中国においても企業や国の取り組みは、一概に日本より恵まれている環境にあるとはいえない。特に女性特有の職業においては必ずしも中国企業の採用方法が日本企業と大きく違うとは言い切れない。日中の差は、個人のキャリアアップへの意識において中国人女性の方が強いといえる。個人のリカレント教育やキャリア教育においてはいずれも十分とはいえないが、少なくとも職業意識においては大学生の段階からすでに構築している人の割合が中国人女性の方が多い。日中の比較を通して個人における女性のリカレント教育を分析し若干の示唆をする。
著者
林 林
出版者
嘉悦大学
雑誌
嘉悦大学研究論集 (ISSN:02883376)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.75-87, 2007-10-31

初級日本語教育における文型指導は、文の構造理解と生成能力の獲得のため、語彙教育と並んで中心的な位置を占めるものである。従来、「〜に(は)〜がある/いる」と「〜は〜にある/いる」という文型が、いわゆる存在文型のペアとして定着している。しかし、それを導入する際、ほとんどの教科書では単に動詞の「存在」と「所在」という意味合いに着眼点を置き、そして文型間に無関係の語彙を代入して練習するに止まるといえよう。文型の意味づけと、「は」、「が」または「に」を含む名詞句とのかかわり、また文型の提出順序と名詞句との関連性によるアプローチが不充分であり、単なる動詞からの捉えでは、初級学習者の習得には明らかに十分ではないと考えられる。本稿では、主として文の発話前提と名詞句の役割との関係について、変形文法の記述から議論することによって、この二つの文型の意味づけにおける名詞句の関与を考察する。これを踏まえて、文型導入際の文型の提出順序を提案し、教室現場の文型指導に値する手口を探ることを試みたい。
著者
林 林 リン リン Lin Lin
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.27-45, 2010-10-25

従来の日本語教育の多くは、「日本語学の視点」に立ったものであった。それに対して、本稿では、「コミュニケーションのための文法」という観点に立ち、日常会話における「~アル/イル」構文形式と、文末形式の使用実態とを分析し、それを踏まえた日本語教育のあり方について考察する。主に日本語母語話者によるインタビューの会話(約13時間分)データを調査した結果、日常会話では、引用節内を除き、これまでの日本語教科書で提示されてきた文型と、裸文末という形はほとんど使われないということが明らかとなった。その調査結果の考察から、日本語教育における存在表現の導入にあたり、とくに、会話を主な目標に据えた日本語コースでは、「~に~があります/います」「~は~にあります/います」以外のパターン、及び文末に後続要素を加えた表現を初級レベルから提示し、教えるべきであると考えられる。
著者
林 林 Lin Lin
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.75-87, 2007-10-31

初級日本語教育における文型指導は、文の構造理解と生成能力の獲得のため、語彙教育と並んで中心的な位置を占めるものである。従来、「~に(は)~がある/いる」と「~は~にある/いる」という文型が、いわゆる存在文型のペアとして定着している。しかし、それを導入する際、ほとんどの教科書では単に動詞の「存在」と「所在」という意味合いに着眼点を置き、そして文型間に無関係の語彙を代入して練習するに止まるといえよう。文型の意味づけと、「は」、「が」または「に」を含む名詞句とのかかわり、また文型の提出順序と名詞句との関連性によるアプローチが不充分であり、単なる動詞からの捉えでは、初級学習者の習得には明らかに十分ではないと考えられる。本稿では、主として文の発話前提と名詞句の役割との関係について、変形文法の記述から議論することによって、この二つの文型の意味づけにおける名詞句の関与を考察する。これを踏まえて、文型導入際の文型の提出順序を提案し、教室現場の文型指導に値する手口を探ることを試みたい。
著者
漆畑 貴久 ウルシバタ タカヒサ Takahisa Urushibata
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.71-86, 2008-12-19

幇助行為の存否について判断する際に、裁判例においては、幇助行為をしたとされる者の主観面の評価が行われる。これは、定型性が穏やかで、その成立範囲が不明確になりがちな幇助犯の処罰範囲を明確化・厳格化することを意図するものであり、幇助犯の成否の判断においては重要な意義を有していると考えられる。本稿は、幇助行為の意味を整理し、幇助行為をしたとされる者の主鏡面について評価した近時の裁判例を概観し、そのうえで、その主鏡面が幇助行為の存否の判断にどのような影響を及ぼしているのかを検討することを目的とするものである。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.3-38, 2012-10-26

本稿の目的は、生成文法の基本原理を検証し、その理論的な基盤となる言語観を探求することにある。しかし、取り上げられる基本原理と、それぞれを基に記述される言語現象は、質・量ともに、決して十分なものとは言えない。したがって、この取り組みは、生成文法の全容解明ではなく、この理論がどのように言語の本質を捉えようとしているのかを追体験し、そこに想定されている言語観を合理的に導き出そうとする入門研究である。生成文法は、経験科学の方法で言語の本質を解明しようとする言語理論で、観察可能な言語資料から導き出された事実に基づいて仮説をたてる。実証研究の過程において、期待された解が得られなかったとしても、仮説を簡単に放棄したりはしない。その結果は、理論構築に至る過程が厳正であったために導き出されたものとして受け入れ、仮説の修正を繰り返し、より洗練された理論を目指す。問題の棚上げという対応が批判の対象になることもあるが、現在、生成文法は言語の本質解明に最も近い言語理論の一つであると言えよう。巻末の資料は、生成文法の基本原理が英語の疑問文を生成する過程を説明するのに効果的であると主張し、研究の公共性を担保している。
著者
高野 秀之 タカノ ヒデユキ Hideyuki Takano
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.47-73, 2010-10-25

本稿は、ソシュールの一般言語学理論を再考することを通じて、言語研究の歴史における、その評価の妥当性を問い直すものである。 言語研究の歴史において、ソシュールはさまざまな批判にさらされてきたが、その中には、ソシュールの思想や学説への不理解や誤った歴史認識に基づいたものもある。そうした誤解を払拭するために、ソシュールの思想や学説を可能な限り忠実に再現した後、ソシュールに向けられた批判の型を『一般言語学講義』の成立事情に基づくもの、ソシュールの言語理論自体に関するもの、歴史認識にかかわるものの3 種類に分類し、それぞれを検証することを通じて正当な評価を下すことを試みる。 筆者は、人間の知的活動としての理論構築というものが、対立や批判からのみもたらされるとは考えない。それは、既存の理論や学説と相互に関連し合いながら、視点の位置と適用範囲の変遷によって刷新されてゆくものである。その視点と適用範囲とが時間の経過とともに増加・累積し、洗練されてゆく過程が言語研究の対象であるとするソシュールは、批判の対象ではない。それは、言語研究の対象と方法とを示しながら、それを自らの手で一冊の本にまとめることを躊躇したこと、ただ一点においてのみであると考える。
著者
谷川 喜美江 タニガワ キミエ Kimie Tanigawa
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.77-92, 2011-03-20

我が国では、経済成長のために金融資産活用の期待が高まっている。また、かつては、異なる会計基準を適用する国での上場には、財務諸表作成コストが問題とされていたが、国際的に統一された財務報告基準(IFRS)の適用が拡大し、我が国でも強制適用が検討されている。これは、企業における財務諸表作成コストの問題を緩和するものであると同時に、投資家にとっては財務諸表の国際比較を容易にするものであり、国際的な投資活動が一層進むことが予想されよう。そこで、諸外国の金融所得課税を概観すると、特に税制の崩壊を経験した北欧諸国では、勤労性所得よりも資産性所得への課税を簡素化し、かつ軽減することで税制の崩壊を修復し、公平性を担保する努力がなされてきた。しかしながら、歴史的経緯からは、所得税に所得再分配機能が求められており、このためには包括的所得概念を採用し、かつ、勤労性所得は資産性所得よりも軽課することが求められるのである。したがって、我が国の所得税には、総合課税、かつ、勤労性所得軽課、資産性所得重課が求められるところであるが、すべての所得の間における損益通算を認めること及び資産性所得を重課することは、租税回避から生ずる税制の崩壊を招くことが懸念される。一方、勤労性所得と資産性所得とそれぞれの区分に基づく課税は、個人の合計所得による真の担税力を考慮した課税が行われ難い。そこで、我が国における金融所得課税を考慮する際には、課税ベースを広く捉え、損益通算の範囲に関しては、租税回避から生ずる税制崩壊を抑制するため、勤労性所得と資産性所得でそれぞれ区分の上、認めるべきである。そして、損益通算後の両所得を合算し、合算後の所得に基づく累進税率を適用した課税を行うことで、簡素かつ所得再分配機能を十分に備えた所得税制を構築しなければならないのである。