著者
山田 苑幹
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.144-160, 2019 (Released:2021-04-12)

本研究は,性別違和を抱く人々が自身の性自認をどのように生きているのかについて質的に検討し,ジェンダー・アイデンティティ研究に新たな知見をもたらすことを目的に,男女のいずれかというわけではない性自認をもつX ジェンダー当事者2 名(S さん,K さん)にインタビュー調査を行った。得られた語りは,ナラティヴ分析の一つであるテーマ分析の観点から,語りの内容に注目して(1)性別違和の体験,(2)X ジェンダー概念に対する考え,について整理した。本研究の結果から,X ジェンダー当事者が,自身の性自認とどのように向き合いながらジェンダー・アイデンティティを形成し,X ジェンダー概念をどのように捉えて使用しているのかが浮かび上がった。考察では,S さんとK さんの語りの特徴を先行研究に照らし合わせて整理することで,性別違和を生きる上で重要と思われる点や,X ジェンダー概念がもつ特徴を検討し,X ジェンダーという概念の可能性と限界を浮かび上がらせた。
著者
宮前 良平 置塩 ひかる 王 文潔 佐々木 美和 大門 大朗 稲場 圭信 渥美 公秀
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.73-90, 2022 (Released:2022-04-01)

エスノグラフィは長らく単独の調査者によって書かれてきた。本稿では,それに対して,地震の救急救援期にお けるチームエスノグラフィの事例をもとに,チームとしてエスノグラフィを行うことの方法論的可能性を論じる。 まず,チームエスノグラフィには,超克しなくてならない問題として羅生門問題と共同研究問題があることを確 認する。次に,既存のチームエスノグラフィにおけるチームには3 つの形態があることを整理し,本稿ではその 中でも同じタイミングで同じ対象を観察する,あるいは同じタイミングで異なる対象を観察した事例を扱うこと を述べる。具体的には,熊本地震の際にあらかじめチームを結成してから現地で活動を展開していった過程をエ スノグラフィとして記述していく。最後に,これらの事例をもとに,チームエスノグラフィには①新たな「語り」 を聞きに行く原動力となること②現場で自明となっている前提に気づくことで新たな問いを立てること③「調査 者-対象者」という非対称性を切り崩す可能性があること④現場に新たな規範を持ち込むことで現場の変革をも たらすことの4 点について議論した。
著者
やまだ ようこ
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.174-194, 2007 (Released:2020-07-06)

質的研究の新たな方法論として「質的研究の対話的モデル構成法(MDMC)」を提案し,その前提となる理論的枠組モデルを構成し,次の 3 つの観点から考察した。1)多重の現実世界と対話的モデル構成:現実世界は一つではなく,多重の複数世界からなり,研究目的によってどのような世界にアプローチするかが異なる。対話的モデル構成がアプローチする世界は,「可能的経験世界」と位置づけられる。他の「実在的経験世界」「可能的超越論世界」「現実的超越論世界」との対話的相互作用が必要である。2)多重のナラティヴのあいだを往還する対話:ナラティヴ研究者がアプローチする現 場 フィールドとナラティヴの質の差異も多重化すべきである。そこでナラティヴの現場を「実在レベル:当事者の人生の現場」「相互行為レベル:当事者と研究者の相互行為の現場」「テクスト・レベル:研究者によるテクスト行為の現場」「モデル・レベル:研究者によるモデル構成の現場」に分けて,それらを対話的に往還する図式モデルを構成した。3)「ナラティヴ・テクスト」と「対話的省察性」概念:対話的モデル構成において根幹となる二つの概念について,研究者がテクストと対話的に「語る」「読む」「書く」「省察する」行為と関連づけて考察した。テクストは,文脈のなかに埋め込まれていながら,相対的に文脈から「はなれる」(脱文脈化・距離化)ことによって,新しい「むすび」をつくり,物語の生成を可能にする。
著者
横山 草介
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.205-225, 2018 (Released:2021-04-12)

本論の目的は,ブルーナーの「意味の行為」論本来の探求の射程を明らかにすることにある。ナラティヴ心理学 の展開におけるブルーナー受容においては,「意味の行為」は専ら物語を介して対象を「意味づける行為」とし て理解されてきた。だが,彼が本来の主張として訴えたのは,人間の意味生成の原理と,その機能の解明という主 題であった。これまでのブルーナー受容は,この論点を不問に処してきた傾向がある。これに対し我々は,ブルー ナーの「意味の行為」論本来の主題の解明に取り組んだ。我々の結論は次の通りである。ブルーナーの主張した 「意味の行為」とは,前提や常識,通例性の破綻として定義される混乱の発生に相対した精神が,その破綻を修復し, 平静を取り戻そうとする「混乱と修復のダイナミズム」の過程として理解することができる。この過程は,何ら かの混乱の発生に伴って生じた,今,この時点においては理解し難い出来事が,いずれ何らかの意味を獲得するこ とによって理解可能になるような「可能性の脈絡希求の行為」として定義することができる。最後に我々は,ブ ルーナーの「意味の行為」論は,心理学の探求による公共的な平和の達成という思想的展望を有することを指摘 した。この展望は特定の文化的脈絡の中で生きる我々が,他者と共に平穏な生活を営んでいくために精神が果た し得るその機能は何か,という問いと結びつくものであることが明らかとなった。
著者
矢守 克也
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.29-55, 2003

本研究は,4 人の震災被災者――庄野さん,浅井さん,長谷川さん,市原さん――が,阪神・淡路大震災の体験を語り継ぐための語り部活動(「語り部グループ117」)において,小中学生を対象に展開した語りを分析したものである。分析にあたっては,語りの「内容」よりも,むしろ,語りの「様式」に注目し,かつ,語り手個人の心理的特性よりも,むしろ,語りをめぐる集合性の動態に焦点をあてた。この際,個々の語りの「様式」を規定する存在として〈バイ・プレーヤー〉なる分析概念を提起した。その結果,4 人の語り手は同じ震災体験を語っているが,その様式がまったく異なっていることが見いだされた。具体的には,庄野さん,および,浅井さんの語りでは,語りの内部に登場する特定の人物が〈バイ・プレーヤー〉の役割を果たし,語り手本人と〈バイ・プレーヤー〉との間で生じる視点の〈互換〉が語りの基本構造を規定していた。他方で,長谷川さんの語りでは,聞き手が〈バイ・プレーヤー〉の役割を果たし,市原さんの語りでは,「神戸の街」という集合体全体が〈バイ・プレーヤー〉となっていた。同時に,4 つの語りとも,仮定法の話法によって視点の〈互換〉が聞き手へと展開していた。さらに,〈バイ・プレーヤー〉のあり方にあらわれた語りの「様式」のちがいが,各人のライフストーリーの構成様式のちがい,ひいては,生活世界の再構造化に見られるちがいを反映していること,および,語り手のみならず,聞き手や語りの対象となる人物,事物などをも包含する語りをめぐる集合性の動態分析を通じて,語りの固有性へのアプローチが可能となることを示唆した。
著者
綾城 初穂
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.20, no.Special, pp.S2-S8, 2021 (Released:2021-10-01)

児童生徒の主体的な問題解決が求められる生徒指導において,修復的実践は有用な方法となり得る。しかし,現場では修復的な対応が行われている一方で,修復的実践という観点から実践事例が検討されることはほとんどなかった。そこで本研究では,学校現場で行われた対立解決の話し合いを修復的実践の観点から検討することを目的とした。小学生児童2 名の間の対立解決の話し合い過程を,ナラティヴセラピーの視点に基づいて作られた修復的実践である修復的対話の枠組みから検討した結果,個人を問題視せず関係に焦点を当て,各児童のストーリーを尊重し,その主体性を重視する,主として問いかけを用いた学級担任の働きかけが,関係修復をもたらしていたことが示唆された。加えて,本実践には,児童が問題解決できる範囲を見極める担任の教師としての専門性と,個人を問題視しない学校側のチーム体制の姿勢も寄与していたことが推察された。本稿が示すように,現場の実践を意味づける研究は,見えにくい有益なスキルを広く利用可能なものとする上で役に立つと考えられる。
著者
綾城 初穂
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.62-81, 2014 (Released:2020-07-10)

先行研究では,日本人キリスト教徒が「宗教」を語る際に,複数のポジション(ディスコース上の立ち位置)から「宗教」について矛盾した語りを行っていたことが見出されている。本研究では,この矛盾した語りに伴う葛藤に彼らがどのように対処しているのかを,ポジショニング理論によって検討することを目的とした。分析の結果,語りの時間的性質によってポジション間の矛盾を無化していることが見出された。また,個人的ポジショニングという「個人」を強調する発話行為によって,語り手が日本社会の「宗教」ディスコースのモラルオーダー(ポジションに付随するルール)に対処していることも見出された。個人的ポジショニングの検討から,この発話行為が語り手の固有性を指示することでモラルオーダーの効力の及ばない「聖域」を作り出すことが指摘された。現代社会において個人は,多様な文脈と単一の固有性とを同時に課せられている。それゆえ,多様なポジションが生じる語りの中で固有性を指示する発話行為として「個人」を捉えることは,現代社会の「個」の在り方を検討する上で有益と言えるだろう。
著者
やまだ ようこ 山田 千積
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.25-42, 2009 (Released:2020-07-07)

質的研究の課題は,ローカルで一回的という「現場」の特徴を重視しながら,複数の「現場」に共通する一般化可能な「知」をどのように生成するかにある。本論では,「場所」モデルを基本にして,ナラティヴと多声的対話概念を関連づけた多様なモデル構成によって,その課題に応えようとする。「場所」モデルは,自己や他者を「個人」という独立概念ではなく,「場所」に埋め込まれた文脈依存的概念で考えるところに特徴がある。「ナラティヴ場所」対話モデルは,場所に含まれる人間の相互行為に着目するもので,1)入れ子モデル,2)二者対話モデル,3)三者対話モデル,4)多声対話モデルの 4 種類を提示する。「異場所と異時間」対話モデルは,文化的文脈と歴史的・時間的変化の両方を視野に入れるもので,5)場所間対話モデル,6)人生の年輪モデル,7)クロノトポス・モデルの 3 種類を提示する。これらのモデルは次のような特徴をもつ。理論枠組を単純化することによって,ローカルな現場の多様な現実にあわせて具象化しやすくできる。複数のモデルを使うことで,研究目的に応じて多種のモデルを組み合わせることができる。モデル間を有機的に関係づけることによって,モデルの生成的変形を発展させることができる。
著者
竹田 琢
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.23, no.Special, pp.S133-S140, 2024 (Released:2024-03-20)

大学の授業で行われるグループワークでは,しばしば雑談が行われている。雑談は関係構築機能を有するが,授業内グループワークにおいては学習目標を阻害するものとして扱われ,雑談に焦点を当てた検討はほとんどなされず,その相互行為の内実は明らかにされていない。そこで本研究では相互行為分析の手法を用いて,グループワークにおける雑談に焦点を当て,学生がグループワークにおける雑談を通じて何を達成しているのかについて検討を行う。対象は短期大学の授業における最終回で行われた振り返りを目的とするグループワークである。分析では,まず雑談がグループワークにおいて頻繁に発生していることを検証した。次に相互行為分析により,雑談の前後を含む場面の検討を行った。その結果,学生は雑談することで志向を共有し,全員で新たな話題に参加していることが明らかになった。学生はグループワークを全員が参加できるものにするために,雑談を利用している可能性が示された。
著者
楠見 友輔
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.206-224, 2023 (Released:2023-04-01)

人間を世界と切り離して分析する研究法では,大加速する地球規模の危機に人間自身が巻き込まれている現代社会の問題を解決することが困難である。このような状況下で,質的研究の内部において,ドゥルーズの哲学,ニューマテリアリズム,ポストヒューマニズム等の理論とともに思考し,反-表象主義,物質と人間の対称性,脱人間中心主義を標榜するポスト質的研究を希求する運動が生じている。ポスト質的研究は,倫理-存在-認識論という独自の立場から研究を行うため,調査と分析の過程や論文の文体は,伝統的な研究と大きく異なっている。さまざまなデータと研究者は脱領土化・脱層別化された内在平面で内-作用し,新しい知識を創造することが目指される。ポスト質的研究で用いられる造語と転義に親しむこと,ポスト質的研究への批判を概観すること,ポスト質的研究の重要な特徴をつかむことを通して,本稿は,質的研究のフレームを開き,ポスト質的研究の可能性を拓くことを目的とする。
著者
山本 登志哉
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.44-63, 2013 (Released:2020-07-09)

「文化現象」という対象を研究するにあたって,我々はいくつかの理論的困難に出会ってきた。この理論論文の中で我々は,比較文化心理学と文化心理学という文化に関わる心理学の両者が,個人と文化集団の関係を理論的に理解するときに,どうしても直面してしまう困難について検討することを試み,それを明らかにした。その困難の最も重要な点は,文化集団というものが,その外延も内包も明確に定義できない,という著しい曖昧さを持っていながら,それと同時に人間としての発達や我々の日常の社会生活に対して極めて大きな影響力を持っている,固定的な実体としても我々の前に現れるという矛盾した性格である。この困難な問題に対して,我々は現在新たに展開中である「差の文化心理学」の視点から,文化現象のこの矛盾した性質を理解する新たな理論的道筋を示し,さらには「拡張された媒介構造」(EMS)という我々の概念を用いてそれらを分析する新たな方法を提起した。
著者
やまだ ようこ
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.21-42, 2008 (Released:2020-07-06)
被引用文献数
1

質的研究における「対話的モデル生成法(DMPM)」の基礎作業の一環として,次の観点から理論的検討を行った。(1) バフチンの対話原理から 4 つの革新的概念を整理し,特に「対話と差異」「多声性とテクスト」概念と関連させて検討した。(2) バフチンの対話原理をさらに発展させ,筆者の「多声テクスト間の生成的対話」概念を提示した。特に現代思想における「差異」を「生成」に変換する議論をもとに,ドゥルーズの「生成」概念と筆者の「両行 りょうこう」概念,デリダの「差延」概念と筆者の「はなれる」概念を関連づけて考察した。さらに,「多声テクスト間の対話」に関して,クリステヴァの「間テクスト性」「ポリローグ」概念とコンピュータ科学の「ハイパーテクスト」概念をむすびつけた。(3) 全体の議論のもとになる世界観と方法論を 3 つのモデル「ツリーモデル」「リニアモデル」「ネットワークモデル」によって提示し,「多声テクスト間の生成的対話」概念を,ネットワークモデルに位置づけた。
著者
大橋 英寿 やまだ ようこ
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.6-15, 2005 (Released:2020-07-05)

質的心理学を開拓してきた,世代,専門,性を異にする二人の研究者が,自分自身の長年の研究の「来し方」をふまえて,今後の質的心理学の「行方」,研究の方向性や問題点について対談した。おもな対談内容は,以下のようであった。 1)複雑多岐の要因が連関するフィールドワークと質的研究との深い関係性。2)質的心理学の理論的・方法的位置づけ を明確にし,発表の場をつくっていく必要性。3)研究者だけではなく相手にとっても重要なテーマを研究することと相手の琴線にふれるインタビューを行うための事例の積重ね。4)イーミックな視点の重要性と,他の視点との交差の必要性。5)対象者の主体性と事例の匿名性への疑問。6)旅日記的な事例記述に終わらず,一般化できる研究へ向かう方略。
著者
五十嵐 茂
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.99-115, 2014 (Released:2020-07-10)

森は経験の出来という事柄について考え抜いた思想家である。本稿の目的は,現在に至るまで充分に理解されているとは言えない森の経験の思想の内在的理解をまず深めることである。そしてその理解を「人生の物語」=ライフストーリー研究の課題に繋げる。森の経験は単なる認識論的なそれではない。経験とは,その現れによって生を充たし組織する生実践そのものである。森は,そのような経験の発見と生成のプロセスを,経験世界を充たして現れるものの到来によって描いた。ものの到来が引き連れる「まとまりをもったもの」の出現によって言葉の意味を充たし定義し,それを内容として形成される思想を求めた。私のもとへと世界が出来する過程を明らかにすることは,森の言う「意味が存在に通じる道」すなわち意味の出来事をとらえ,描くことである。そこにおいて意味が対象と経験の間を往還する姿をとらえることができる。そのためには,語義的意味を超えて文脈において凝集する意味のふるまいをとらえる生成的意味論の視点を必要とする。それを繋ぐ環としてヴィゴツキー意味論が言及される。生の文脈をくぐり抜け,「生の主題」へと凝縮する意味のふるまいは,人生の物語研究における「経験の組織」「その意味づけ」における「意味の凝縮による生の主題の形成」をよくとらえるものとなる。
著者
西條 剛央
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.186-200, 2005 (Released:2020-07-05)

本論文の目的は,構造構成的質的心理学の方法論的拡張を行うことにより,質的アプローチにおける恣意性問題を解消する質的研究構成の一般技法を提案することであった。第一に,恣意性問題について簡単に解説された。第二に,それを解決するための概念が提起された。第三にそれは質的研究の論文を書くための技術へと拡張され,その研究モデルが提示された。最後に,修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチと比較する形で,本稿で提起された技法の意義が確認された。
著者
五十嵐 茂
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.242-262, 2019 (Released:2021-04-12)

自己エスノグラフィは,個人的な生の経験が,自分自身の思考,感情,内面の葛藤を含む形で記述される。そこ にはその解釈を助ける理論や文化が組み込まれる。本稿において分析されるのは,編集者として活動してきた著 者が,印刷会社に転職した経験の中で起きた出来事である。その職場で二種類の時間と直面する。それは,出版 社における編集者の仕事を支配する能動的企画的な時間と印刷会社におけるマンアワーコストという企業原理が 支配する時間という,二つの異質な時間であった。そこにおいて,筆者の編集者としてのキャリアは激しく揺さ ぶられる。その経験を分析し,自己のまとめ上げにかかわる二つの感覚の対抗と葛藤を取り出す。リクールは, 物語において意味を生み出す過程を統合形象化として分析した。それは単なる出来事の羅列から,一つの物語を 作り出す意味の取り出しである。彼が分析した「意味論的空間」と呼ばれるそれは物語の成立を左右する。自己 物語においてその空間を生み出すのは,自己のまとめ上げによって生み出される〈まとまりある自己〉である。 そしてそれが生み出す意味は,現実の社会関係におけるポリティクスの渦に巻き込まれる。そこで生まれる〈自 己まとまりの崩されと回復〉が,自己エスノグラフィのドラマを生み出す。そこに働いているのは〈意味の崩さ れと回復〉の文脈である。
著者
サトウ タツヤ 安田 裕子 木戸 彩恵 高田 沙織 ヴァルシナー ヤーン
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.255-275, 2006 (Released:2020-07-06)
被引用文献数
3

質的心理学や文化心理学の新しい出発にあたっては新しい方法論が必要である。こうした方法論は現象の性質に即していることが必要である。複線径路・等至性モデル(Trajectory Equifinality Model:TEM)は,人間の成長について,その時間的変化を文化との関係で展望する新しい試みを目指したものであり,ヴァルシナーの理論的アイディアのもと我々が共同で開発してきたものである。心理学を含む広い意味での人間科学は,その扱う対象が拡大し,また,定量的,介入的方法が難しい現象を対象とする研究も増えてきた。こうした研究には定性的データの収集や分析が重要となる。複線径路・等至性モデルはそのための一つの提案である。本論文はベルタランフィのシステム論,ベルグソンの持続時間などの哲学的背景の説明を行い,複線径路,等至点(及び両極化した等至点),分岐点,必須通過点,非可逆的時間など,この方法の根幹をなす概念について説明を行い,実際の研究を例示しながら新しい方法論の解説を行うものである。心理学的研究は個体内に心理学的概念(知能や性格など)が存在するものとして測定して研究をするべきではなく,TEM はそうした従来的な方法に対する代替法でもある。
著者
木下 寛子
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.191-210, 2017 (Released:2020-12-09)

本論は,「雰囲気を問う道筋」を問い直すことを趣旨とする。先行研究の概観を通して,雰囲気は問いの対象となった時,概して客体化されてその性格が損なわれてしまうことが明らかになった。そのため本論では,対象化せずに雰囲気を問う道筋を求めた。具体的には,ある小学校への参与において,雰囲気が言葉になり問われてきた経験に従い,問う行為を遂行することを通じて雰囲気を理解すること(解釈)が試みられた。この道筋は,対象として認識するための方法とは次の2 点の特徴において峻別される。第一に,雰囲気の解釈は,雰囲気がそれ自体のほうから見えるようにする行為として展開され,それは「雰囲気の解釈学的現象学」と呼びうるものとなった。第二に,その基礎となった小学校への参与は,参与者自らの在り方を予め規定することなく,その時々の出会いに応じて行為しつつそこにいることとして展開され,「出会いの解釈学」と呼びうるものとなった。この方法を通して,雰囲気の根本性格が,環境の総合的で静的な質としてあるのではなく,その時々の出会いの在り方を丸ごと開き直す,開顕性の性格にあることを示した。
著者
平野 真理 綾城 初穂 能登 眸 今泉 加奈江
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.43-64, 2018 (Released:2021-04-12)

レジリエンスの個人差は,これまで主に自己評価式尺度による能力測定,あるいは,何らかの一義的な適応基準 (精神症状の有無等)によって判断されてきた。しかしながら,レジリエンス概念を通したより丁寧な支援と理解 を考えるならば,本人が意識せずに有しているレジリエンス能力や,個々人で異なる回復・適応状態の特徴を描き出せるような視点が必要であると考えられる。そこで本研究では,レジリエンスの個人差をより豊かに理解する新しい視座を得るために,投影法を用いて個人の非意識的な側面も含めた行動特徴を捉えることを試みた。18 ~30歳の男女1,000名に,12種類の落ち込み状況を示した刺激画を提示し,登場人物が立ち直れるためのアドバイスを回答してもらった。こうして得られた12,000の記述データについてカテゴリー分析を行った結果,最終的に14のレジリエンス概念が見出された。続いて,得られた概念を相互の関連から理論的に整理した結果,14のレジリエンス概念は“どのような種類のレジリエンス”(「復元」「受容」「転換」)を“どのような手だて”(「一人」「他者」「超越」)を通して目指すのかという「レジリエンス・オリエンテーション」の視座からまとめられることが明らかとなった。本研究は,これまでのレジリエンス研究における一元的な個人差理解を超える,多様なレジリエンス理解の枠組みを提供するものである。
著者
渡辺 恒夫
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.176-196, 2019 (Released:2021-04-12)

コミュニケーションが極めて重視される社会にあって,「コミュ障」を抱えた者はいかに生きたらよいかを当事 者視点で問うために,「人づきあいが苦手」で検索したインターネット上の相談事例4 例を,ラングドリッジの 批判的ナラティヴ分析(CNA)を元に考案した批判的ナラティヴ現象学によって分析した。その結果,1 例で,多数のアドヴァイス・ナラティヴとの「地平融合」を通し,自己の問題が対人関係過敏に由来する対人回避にあるという自己洞察を得たことが分析された。職場の困難を抱えた他の例をも含めると,「要求水準を下げて対人ストレスの少ない環境を選び,何かに没頭することを通じて対人刺激に知らず知らずのうちに慣れてゆき,気がついたら居場所を何とか確保していた」という方向の自己経験に基づくアドヴァイスが優勢だったが,これは著者自身が身に着けた無意識裡の秘訣でもあったというように,当事者視点からの暗黙の参照点を介して「本質観取」がなされた。医療・マスメディアで話題の自閉性スペクトラム障害(ASD)圏の,共感性の遅れを伴う「コミュ障」と,これらネット上のコミュ障との異質性も示唆され,後者の理解にはユング派の通俗心理学的概念であるHSP(敏感すぎる人)が参考になるとされた。ASD 圏に対して提唱されている医療化・福祉化とは別の解決法の必要性が説かれ,異質なものの「共生」という福祉社会論の理念にも疑問が投げかけられた。