著者
中井 好男 丸田 健太郎
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.91-109, 2022 (Released:2022-04-01)

本研究は,ろうの両親を持つ聴者(CODA: Children of Deaf Adults)とろうの姉弟を持つ聴者(SODA: Siblings of Deaf Adults/Children)である筆者らが自ら経験した生きづらさについて分析する当事者研究である。CODA と SODA は,音声日本語使用者であることから,マイノリティの要素が隠れた見えないマイノリティとされる。そ こで,筆者らは見えないマイノリティの当事者として,自身の経験を対象化し,ろう者の家族が抱える問題の外 在化を目指した。分析には協働自己エスノグラフィ(Collaborative autoethnography)を応用してそれぞれの自己エ スノグラフィを作成し,生きづらさを生み出す構造について考察した。両者の自己エスノグラフィには,聴者の 世界に同化せんがために,ろう文化との関わりを受容するか否かというジレンマを抱えていることが記されてい る。また,聴文化とろう文化から受け取る矛盾したメッセージによって認知的不協和に陥るだけではなく,自己 を抑圧するドミナント・ストーリーを内在化することで「障害者の家族」という自己スティグマを持っているこ とも示された。この背景にあるメッセージは,筆者らと他者との相互行為に加え,両親や姉弟との相互行為を介 して伝えられるものでもあるため,構造的スティグマとしての性質を有していると言える。
著者
一柳 智紀
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.193-216, 2016 (Released:2020-07-10)

本研究の目的は,思考の外化を促す道具としてのワークシートの配布方法の相違が,小グループでの問題解決過程に及ぼす影響を明らかにすることである。大学生4人からなるグループを対象に実験を実施し,一方をグループで1つワークシートを配布する単一配布群,もう一方を学習者各自にワークシートを配布する各自配布群とし,両者の問題解決過程を質的に検討した。結果,単一配布群ではワークシート上の外的表象について全員で共同注視や指差しを行うことで,内容を確認,共有しながら理解を形成していた。ここから単一配布群においては,ワークシートが話し合いを通したグループとしての理解形成を媒介していることが示された。ただし,全員がワークシートに自身の考えを外化するわけではなく,外化にかかわる役割分担が生じていた。一方,各自配布群では全員が各自のワークシートに自身の考えを外化していた。また,他者のワークシートを指差したり自身のワークシートをグループの中央に寄せたりすることで,他者から援助を受けたり理解を共有したりしていた。さらには,他者のワークシートから考えを持ち帰り,自分のワークシートにその理解を書き加えることで,課題に対する自身の理解を精緻にしていた。ここから各自配布群においては,ワークシートが各学習者の理解形成を媒介していることが示された。
著者
最上 雄太 阿部 廣二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.95-115, 2019 (Released:2021-04-12)

本論文の目的は,社会的過程に着眼する関係的アプローチの理論的課題を指摘し,その問題を解決するひとつの可能性として,正統的周辺参加論の視座に立ったリーダーシップ研究の方法論的提案を行うことにある。本論文は,まずリーダーシップ研究の理論的変遷を概観し,関係的アプローチの理論的課題を指摘した。理論的課題とは,第一に社会的過程を捉えるための方法論的議論が不足していること,第二にそうした方法論に社会と個人両方の位相を含む必要があることである。次にその問題を解決する方略を探索し,個人と社会の再帰的関係に着目する再帰的アプローチとして,バトラーおよびケミスとマクタガートの議論をとりあげた。その後そうした再帰的アプローチの具体的な研究の方法的視座として,状況的認知のアプローチのひとつである正統的周辺参加論(legitimate peripheral participation: LPP)をとりあげた。以上をふまえて,LPP の視座を用いた再帰的リーダーシップ研究による方法論を提案し,関係的アプローチのひとつの展開可能性を示した。最後に,本特集の「ネットワーク」という観点における,「個人」という位相の位置づけについて議論した。
著者
清水 武
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.114-129, 2004 (Released:2020-07-05)

本稿は,遊びの心理学的研究と理論が抱える現在の行き詰まり的状況を打破するために,遊びについて改めて問い直し,理解することを目的とした。第一に,いかに問いを立て取り組むべきかが整理され,なぜ人は遊ぶのかという問いに答えるのではなく,遊びとは何かを問う必要性が指摘された。極端な主観主義や客観主義に基づく枠組みの限界が示され,ひとつの方法として構造主義が採用された。 第二に,構造主義の立場から,Piaget の遊び論とその問題点が取りあげられ,Piaget 以後の議論とあわせることで,新たな解釈枠組みが構造モデルとして提案された。第三に,導かれた構造モデルは,遊びと探索が互いに類似し,また同時に相違しているという謎を解明し,さらに質的研究にも応用できる可能性が示唆され,遊びとは何かを明らかにする意義が改めて論じられた。最後に,これからの課題についての議論がなされた。
著者
沖潮(原田) 満里子
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.157-175, 2013 (Released:2020-07-09)
被引用文献数
1

本稿は近年注目されつつある自己エスノグラフィの手法を発展させ,対話的に実践した試みを紹介し,その有用性と意義を検討することを目的としている。自己エスノグラフィとは,自分自身の経験を探求し,自身の意識のありようや文化について明らかにしていく質的研究のひとつの方法である。従来は研究者本人による想起的な記述がその手法として広く知れ渡っていたが,筆者は対話者を設定して,障害を抱える妹との関係を中心としたライフストーリーを語り,それに対して継続して共同的に分析・解釈を行なうことを試みた。従来の自己エスノグラフィについては,データの信頼性の問題,物語としての読みやすさやわかりやすさの欠落,分析よりも自己語りへの過度な依存,そして他者との相互的なつながりが見えにくい点が批判されてきた。また,自己を客観視することの困難さ,自己探究に伴う精神的苦痛への対応の問題も研究の実践において指摘されてきた。それに対して対話的な自己エスノグラフィはそういった批判に応えた上で,さらには他者の介在により新たな視点が生まれ,研究の拡がりが増す等の有用性があると考えられた。最後にこの方法を施行する上での留意点として,対話者の資質,研究者と対話者の関係性についても考察を行なった。
著者
永杉 理惠 若鍋 久美子
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.20, no.Special, pp.S243-S249, 2021 (Released:2022-05-20)

障害のある子どもが楽器を演奏する場合,楽譜にとらわれることのない即興による音楽表現は,その子どもの個 性や障害特性に合った演奏スタイルを活かすことができ,主体的な活動を促すのに適していると考えられる。本 研究はある演奏家の実践と語りから,彼女が特別支援学校・特別支援学級において,障害のある子どもの集団を 対象にした即興による音楽表現活動をどのように展開しているのかを分析した。その結果,彼女の即興による音 楽表現の指導は,打楽器奏者としての音への繊細な感覚が色濃く反映されたものであり,音楽や音を聴くことの 学びを促す活動がその軸となって展開していることを見出した。子どもたちが打楽器の音色やその音の響きに気 づき傾聴し,子ども同士がお互いの音による表現を聴き合いながら即興で自由に音のやり取りをする活動の過程 に,音や音楽を聴くことの学びの意義と,音や音楽によるコミュニケーションとしての意義を見出すことができた。
著者
清水 武
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.114-129, 2004

本稿は,遊びの心理学的研究と理論が抱える現在の行き詰まり的状況を打破するために,遊びについて改めて問い直し,理解することを目的とした。第一に,いかに問いを立て取り組むべきかが整理され,なぜ人は遊ぶのかという問いに答えるのではなく,遊びとは何かを問う必要性が指摘された。極端な主観主義や客観主義に基づく枠組みの限界が示され,ひとつの方法として構造主義が採用された。 第二に,構造主義の立場から,Piaget の遊び論とその問題点が取りあげられ,Piaget 以後の議論とあわせることで,新たな解釈枠組みが構造モデルとして提案された。第三に,導かれた構造モデルは,遊びと探索が互いに類似し,また同時に相違しているという謎を解明し,さらに質的研究にも応用できる可能性が示唆され,遊びとは何かを明らかにする意義が改めて論じられた。最後に,これからの課題についての議論がなされた。
著者
阪本 英二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.180-193, 2006

「存在論的問い」は,とりわけ質的心理学において必要とされている。この点で,清水論文「遊びの構造と存在論的解釈」(2004,質的心理学研究,3,pp.114-129)がこの方法論を提起しそれを試みたことは,大いに評価すべきである。本論文は,今後心理学においてこの方法論が進められることを見越して,清水論文に対して以下のようなコメントと質問を提出するものである。①清水論文で導入された構造概念の整合性を検討するために,ロムバッハ(Rombach, 1971/1983)の構造概念を補足説明し,質問を提出する。②清水論文において存在論的解釈の意味するところが不明確であり一部誤解があることを指摘し,「遊び」が存在論的に問われているかを検討する。一方で清水自身の素朴な遊び了解に基づいて解釈されている点があることを指摘し,「実存論的分析論」(Heidegger, 1927/1994)という別の問い方の可能性を検討する。③その具体的方法として,遊びそのものが生き生きと生成される可能性のある「現象学的記述」を検討する。④最後に,心理学の領域で存在論的解釈が導入される際に生じうる問題について議論し,今後の展望を素描する。
著者
横山 愛
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.20, no.Special, pp.S43-S50, 2021 (Released:2021-12-29)

本研究は,一斉授業で,指名されていない児童の発話に教師がどのような対応をしているのか,また,教師の対 応によって授業展開にどのような影響が及ぶのかを検討する。小学校2 年生の算数授業の記録を対象に,指名さ れていない児童の発話への教師の対応に関するカテゴリー分析,授業計画と実際の授業展開の比較を通した事例 の分類と考察を行った。その結果,以下の3 点が明らかになった。第一に,教師は指名されていない児童の発話 を授業に活かし,児童の学習に繋げようとしていた。第二に,指名されていない児童の発話への教師の対応がきっ かけとなり,授業計画に変更が生じていた。第三に,指名されていない児童の発話に対して,教師が学習を深め る意図を持つ対応をすることで,授業計画が変更され,児童に合わせた話し合いがなされていた。具体的には, 指名されていない児童の発話を授業計画に関連づけて扱う場合には,〈追究〉し,指導内容に近づけていた。また, 指名されていない児童の発話を授業の問いとして扱う場合には,〈繰り返し〉によって,疑問を共有し,話し合い に繋げていた。以上の事例分析から,教師が指名されていない児童の発話に受容的に対応し,柔軟に計画を変更 して児童の疑問について話し合う授業過程が示された。指名されていない児童の発話への対応をきっかけに計画 とは異なる展開となった場合にも,学習の深まりに繋げられる可能性が示唆された。
著者
中川 善典 桑名 あすか
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.105-124, 2018 (Released:2021-04-12)

本研究は,民芸論や民具学において殆ど着目されてこなかった,民芸/民具の作り手の人生に注目した質的研究で ある。具体的にはまず,準備的検討として,対象物をほぼ共有する一方,殆ど交わることなく発展してきた民芸論 と民具学においてそれぞれ中心的な役割を果たした柳宗悦と宮本常一とに注目し,両者に共通する作り手像とし て「社会から軽視された作り手」「使い手と信頼で結ばれた作り手」「集団的な力に導かれた作り手」の3つを抽 出した。次いで,高知県芸西村に古くから伝わる民芸/民具の唯一の伝承者である宮崎直子氏が笠製作に見出し ている意味を解明するためのライフ・ストーリー・インタビューを行った。彼女は高齢であり,後継者がいない ため,この笠製作の技術は消えつつある。このインタビューにより,作り手に関する上記の三側面は確かに彼女に とっての笠製作の意味を理解する上で重要なテーマになっていることが分かった。また,それらが互いに関連し 合う構造が明らかになった。最後に,消えつつある民俗文化財の保存に際して,作り手のライフ・ストーリーとと もにそれを後世に残す意義について検討した。
著者
荒川 歩 白井 美穂 松尾 智康 加藤 賢大
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.263-273, 2019 (Released:2021-04-12)

インタビュイーの中には豊かで巧みな表現を行えるインタビュイーもいれば,あまり話さないインタビュイーも いる。有名な質的研究には,そのフィールドに熟知しているというだけではなく,研究者が引用したいと思うよ うな多くの点を話すことのできる人が関わっていることが多い。そこで,質的研究にとって重要な情報とはどの ような情報なのかを明らかにするために,本研究では学会賞を受賞した 4 つの質的研究を対象に分析を行った。 ほぼすべての引用にラベルを付けたところ,それらのラベルからは 6 つのカテゴリの存在が明らかになった。そ れは,「体験の具体的な説明」「自分(たち)なりの理解,解釈,意味づけ」「問題に直面した場面における自分 (たち)なりの対処」「俯瞰的説明」「異なる時間についての見解」「現実とずれるインタビュイー」である。これ らに基づき,「良いインタビュイー」の特徴と,質的研究の根拠の構造について議論した。
著者
西崎 実穂 野中 哲士 佐々木 正人
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.64-78, 2011 (Released:2020-07-08)
被引用文献数
1

本研究は,高度な経験を有する描画者による,一枚のデッサンの制作過程を分析することを目的とした。対象の特徴を捉え,形状や質感,陰影を描くという客観描写としてのデッサンは,通常数時間を要する。本研究では,制作開始から終了までの約 2 時間半,描画者によるデッサンの描画行為の構成とその転換に着目し,制作過程に現れる身体技法を検討した。結果,描画行為を構成する複数の描画動作パターンの存在と時間経過に伴う特徴を確認した。特に,観察を前提とした客観描写に重点を置くデッサンにおいて,「見る」行為の役割を,姿勢に現れる描画動作の一種である「画面に近づく/離れる」動作から報告した。デッサンにおいて「見る」という視覚の役割は,姿勢の変化に現れると同時にデッサンの制作過程を支えていることが示された。
著者
赤阪 麻由 サトウ タツヤ
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.55-74, 2015

本研究では,病者の生を厚く記述するライフ・エスノグラフィの手法を用いて,慢性疾患病者とその関係者が集う場における場の意味を明らかにすることを目的とした。慢性疾患の具体例として炎症性腸疾患に注目し,当該疾患の病者でもある筆者が立ち上げた場を本研究のフィールドとする。研究1では,参加者にとっての場の意味として【同病者同士ならではの話ができる】【「患者/関係者」という枠組みを超えて自分としていられる】【主体的な活動のきっかけ】【自己充足的な場】があり,それらの意味をつなぐ独特の文化として【自由に気兼ねなく本音で話せる雰囲気】【それぞれが主役】【形にとらわれない】が共有されていると特徴づけられることが示された。研究2では,場と共にある「研究者」「実践者」「当事者」を中心とした多重なポジションをもつ筆者の実践の在り方を筆者の視点から記述した。これら2つの視点からの記述を通して,この場が筆者を含め,集う人にとって「そのままの自分」としていられる場であることが示唆された。本研究は,フィールドにおいて多重なポジションを持つ筆者が自らの実践を発信していくにあたって,単なる「自分語り」ではなく公共性を保ちつつ,さらに筆者自身の存在を捨象せずに記述する新たな方法論的枠組みを構築する試みである。
著者
劉 礫岩 細馬 宏通
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.46-62, 2017 (Released:2020-07-10)

スポーツのテレビ実況中継において,アナウンサーと解説者は絶えず変化する映像に現れる変化や出来事をことばで迅速に指し示す必要に迫られる。本研究はカーレースのテレビ実況中継をデータに,アナウンサーと解説者はどのようにことばによる指し示しを行い,映像と発話を結び付けるかについて分析を行った。その結果,アナウンサーと解説者は,「あっ」や「ほら」などの間投詞と,「こ」系指示表現を用いて,映像内の変化や出来事を異なる仕方で指し示すことがわかった。発話冒頭に置かれる指示表現「これ」は,現在映像内の状況にほかの参加者の注意を惹きつけるだけでなく,現在の状況について,話者はすでになんらかの仕方で把握していることを指標する。一方間投詞「ほら」は,映像に現れた話者がすでに述べた意見や予想と適合する出来事を指し示すために用いられる。これらのことばによる指し示しは,単に発話と映像を結び付けるだけでなく,実況におけるアナウンサーと解説者の職業的なアイデンティティの実現とも結びついていることがわかった。
著者
竹家 一美
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.118-137, 2008 (Released:2020-07-06)
被引用文献数
1

生殖補助医療の急速な進展は,不妊に苦悩する女性たちに,希望と残酷な可能性の両方をもたらしてしまった。不妊治療は「先の見えないトンネル」ともいわれ,治療の結果,子どもを持てる確率は非常に低いのが現実である。不妊治療は妊娠・出産を迎えなければ完了せず,治療の継続・断念は当事者に一任される。本研究では,不妊治療を経験したうえで「子どもを持たない人生」を選択した女性 9 名との半構造化面接を通して,「子どもを持たない人生」を受容するプロセスを明らかにし,彼女たちの人生における不妊治療経験の意味を検討することを目的とした。対象者の語りは「不妊治療初期」「不妊治療集中期」「不妊治療終結期」の 3 つの時期に分けられたが,女性たちの心の変容プロセスは段階的,画一的なものではありえず,個別的で多様性にみちていた。また,対象者の語りにおいて不妊治療の経験は,「受容感の拡大」「価値観の転換」「治療の意味づけの変更」「生成継承性の芽生え」に繋がるものとして意味づけられていた。不妊治療終結期以降,不妊に苦悩した女性たちは,「社会化」を実現することによって不妊を乗り越えていた。生涯発達的観点からみると,彼女たちの語りには,肯定的な意味づけと発達的な一側面が示唆されていると思われた。
著者
小野 友紀
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.207-223, 2021

バイキング方式による食事提供を行っているサクラ保育園(仮名)において,対象児アカネが自分の食事量を盛り付けるようになる過程をエスノグラフィーの手法を用いて縦断的に観察し,配膳(盛り付け)活動に着目して検討した。分析枠組みには,ロゴフの「導かれた参加」の概念を借用し,文化的道具の使用と意味の橋渡しに注目して分析した。その結果,社会文化的集団としてのサクラ保育園における固有の食事提供方法と,そこで展開されたアカネと保育者の相互作用の過程が明らかになった。具体的には,文化的道具としての「食器」は単なる器というだけでなく,盛り付けられる「料理」そのものを示すこともあれば,盛り付け分量の目安を「測る容器」や,保育者との「意思疎通の道具」にもなっていたことが窺われた。配膳(盛り付け)活動における保育者や他児との相互作用では,アカネは「食べたい分量を盛り付ければよい」というメッセージを受け取っていたと考えられ,この点で「意味の橋渡し」が行われていたと考えられた。
著者
柴坂 寿子 倉持 清美
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.96-116, 2009

幼稚園のお弁当時間に子どもたちが協同で行った定型的な共有ルーティンについて,仲間文化の形成・変化の視点から検討した。幼稚園のクラス集団を入園から卒園まで 2 年間にわたって縦断観察し,ルーティンの形成過程,特徴,2 年間の意味・機能の変化について分析した。入園 8 週目,子どもたちはお弁当時間に「~の人,手ー挙げてー」「はーい」という共有ルーティンを行うようになった。ルーティンは保育者と子どもたちでの質問-応答形式を取り入れて形成されたと推測された。ルーティンでは唱和や同時挙手が起こり,興奮を伴った。またルーティンはしばしば続けて繰り返され,大きな仲間活動となることもあった。年少前半ではお弁当時間あたりに起こるルーティンの頻度が高く,お弁当の中身と子どもの様々な個人属性の両方が話題にされ,この仲間活動への参加と自己呈示がルーティンの重要な意味と考えられた。年少後半以降はお弁当の中身を話題とすることが多く,仲間活動への参加や自己呈示の他に,その場での会話ややりとり,個別の人間関係を調整する方略として利用されることが多いと考えられた。
著者
平本 毅 山内 裕
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.79-98, 2017 (Released:2020-07-10)

本稿ではサービスエンカウンターにおけるサービス提供者の「状況への気づき」がもつ社会規範性を例証するために,イタリアンレストランの注文場面において,注文品を選んだ客の様子に店員がどう「気づく」かを,会話分析により調べる。分析結果から,注文の伺いに際して店員が客の様子に「気づく」という事態が,秩序立った仕方で相互行為的に組織されていることが明らかになった。具体的には,注文品を選んだ客がいきなり店員に声をかけることは少なく,まずは,厨房を見る,辺りを見回す,姿勢を変化させる,荷物を探る,窓の外をみる,メニュー表をよける,おしぼりの袋をあける,携帯電話をいじる等々の「注文を決める活動からの離脱を示す要素」を配置していた。この「注文を決める活動からの離脱を示す要素の配置」が,店員の「気づき」を可能にする。ただし店員はいつもこれにすぐ「気づく」わけではない。「注文を決める活動からの離脱を示す要素の配置」が失敗した場合に,客が店員を「直接呼ぶ」手段がとられる。以上の結果は,サービスの提供場面において,顧客のニーズに「気づく」ことが,店員と客とが,社会規範を参照しながら相互行為的に達成しているものであることであることを示している。
著者
阪本 英二
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.180-193, 2006 (Released:2020-07-06)

「存在論的問い」は,とりわけ質的心理学において必要とされている。この点で,清水論文「遊びの構造と存在論的解釈」(2004,質的心理学研究,3,pp.114-129)がこの方法論を提起しそれを試みたことは,大いに評価すべきである。本論文は,今後心理学においてこの方法論が進められることを見越して,清水論文に対して以下のようなコメントと質問を提出するものである。①清水論文で導入された構造概念の整合性を検討するために,ロムバッハ(Rombach, 1971/1983)の構造概念を補足説明し,質問を提出する。②清水論文において存在論的解釈の意味するところが不明確であり一部誤解があることを指摘し,「遊び」が存在論的に問われているかを検討する。一方で清水自身の素朴な遊び了解に基づいて解釈されている点があることを指摘し,「実存論的分析論」(Heidegger, 1927/1994)という別の問い方の可能性を検討する。③その具体的方法として,遊びそのものが生き生きと生成される可能性のある「現象学的記述」を検討する。④最後に,心理学の領域で存在論的解釈が導入される際に生じうる問題について議論し,今後の展望を素描する。
著者
木戸 彩恵
出版者
日本質的心理学会
雑誌
質的心理学研究 (ISSN:24357065)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.79-96, 2011 (Released:2020-07-08)

本論文の目的は,女性の化粧行為の形成と文化移行による変容について,その過程とダイナミズムを捉えることである。調査では,定常的に化粧行為をする/しない選択をおこなった日本と米国の大学に通う女性 9 名の調査協力者に対して,半構造化インタビューを実施した。インタビューによって得られた調査協力者の化粧行為にまつわる語りに対し,文化心理学の記述モデルである複線径路・等至性モデル(Trajectory and Equifinality Model:TEM)を用いて,時系列に沿ったモデルを作成した。さらに,個人の選択を方向づける社会・文化的影響についての分析をおこなった。結果として,①女性の化粧を促進する社会・文化的影響が強い日本では,化粧行為形成に至るまでに,「受身的化粧」「自発的化粧」という 2 つの種類の経験をすること。②文化的越境を通じて異文化に身をおくことは自文化で培われた行為を相対化して見なおし,新たな習慣の形成と変容のための契機となり得ることが明らかになった。