著者
野尻 亘
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.129-144, 1992-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
27
被引用文献数
1

わが国の地理学においては通勤の研究は主として都市圏の分析に応用されてきたが,海外の地理学においては,交通手段の選択の問題に大きな関心が示されている。それは特に非集計モデルの発達,社会交通地理学研究の進展によって,自動車を利用できない状況にある人々,移動制約者の空間行動に関心が向けられてきたからである。しかし,わが国では既存の統計の不備もあって,自動車通勤や自家用車普及率の地域的な違いは地理学研究では看過されてきた。現在でも1960年代より急速に進展したモータリゼーションの勢いはなお衰えていない。それと同時に,東京をはじめとする大都市圏に人口が集中し,衛星都市が外延的に拡大していく一方で,農山漁村や衰退産業地域の斜陽化は著しい。そこで, 1980年の国勢調査ならびに運輸省等の統計によって,全国各都道府県・都市の通勤利用交通手段の選択比率・世帯あたりの自家用車普及率を調べたところ次のような地域的なパターンがあきらかとなった。公共交通利用通勤者が自家用車利用通勤者を上回っているのは,東京・大阪の2大都市圏と札幌・仙台・名古屋・広島・北九州・福岡の広域拠点都市とその周辺の限定された地域に認められること。公共交通利用通勤者の比率が高く,世帯あたりの乗用車普及率が低いのは東京・大阪2大都市圏内の衛星都市に著しいこと。東京・大阪2大都市圏を除いた国土の大部分で通勤に最もよく利用されているのは自家用車であること。しかし,特に関東北部から中部地方にかけての日本の中央部において,自家用車の利用率と普及率が著しく高いのが目だつことがわかった。以上の結果は,過密する大都市圏においては,道路渋滞や駐車用地の不足が自家用車の保有や通勤利用の抑制要因となっていることを反映していよう。さらにわが国では,公共交通を利用して通勤することが一般的である大都市圏と,自家用車を利用して通勤することが一般的である地方中小都市・農山漁村との生活様式の違いが著しいことが確認できた。モータリゼーションは,利便性だけではなく,公共交通の衰退をはじめ,移動制約者などの交通弱者のモビリティ剥奪などのさまざまな問題を生じさせつつある。本研究は,基本的な事実を統計上から再確認したものにすぎないが,今後の交通行動研究の基礎資料とすべく,さらに1990年国勢調査のデータとの変化を分析することを予定している。
著者
竹内 啓一 野澤 秀樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.59-73, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
105
被引用文献数
3 5

近年日本において「地理思想」あるいは「地理思想史」の研究が隆盛をみている。ここでいう「地理思想(史)」とはアカデミズムの世界における地理学に限らず,原始・未開社会における地理的知識やコスモロジー,さらに空間認知の発達やテリトリー意識の形成についても含まれる。すなわち「地理思想」とはアカデミズムのジャーゴンによってしか表現されえない地理学の思想(学説,方法など)に限られるものではなく,さまざまな社会集団がそれぞれの場所において,言語に限らないあらゆる種類の表現手段-絵画的なもの,地図的なもの,記号的なもの,景観に表現された空間計画など-によって表現された地理的知の認識にかかわるものである。 日本においてこのような「地理思想(史)」研究が盛んになってきたのは1970年代末から80年代に入ってからで,理論・計量地理学革命が与えた地理学方法論・認識論への反省によって,「行動主義」,「現象学」,「ラディカル」,あるいは「構造主義」などさまざまな立場の地理学が主張されて来た時期に対応している。つまり理論・計量地理学が拠って立った実証主義の認識論に対する反省から,上述のような「地理思想」を探ることによって,近代地理学の認識方法に対する反省の糸口を見出そうとするものである。そのような反省は,近代的な科学としての地理学成立以前の地理的知の認識だけでなく,アカデミズム成立後における在野の地理学,あるいはアカデミズム内におけるアウトサイダーの地理学にも目を向けさせることにもなる。 本稿では日本の地理学史研究において正統的な位置をしめ,かつ研究業績も多い欧米の地理学,地理学者についての学説史的研究については触れない。従って,本稿では日本の地理思想,あるいは地理学思想を対象とした近年の日本における研究成果について,次の四つの研究テーマに分けて,研究動向を展望するものである。 近代以前の伝統的,あるいは土着(インド,中国を含む)の地理思想, 2) アカデミズム成立以前の,いわゆる明治期の啓蒙思想家の地理思想, 3) アカデミズム地理学の成立に関わった地理学者,およびアカデミズム成立後の,いわゆる在野の地理学者の地理思想, 4) 日本の近代地理学の発達と社会的,イデオロギー的状況についての諸研究である。なお,伝統的地理思想の研究に大きな刺激を与えている絵地図史の研究,並びに民俗学的研究については隣接諸科学と重なり研究成果が膨大になるため,ほとんどふれることができなかった。
著者
久保 純子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.73-87, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
6 5

東京首部の地形は更新世の台地と完新世の低地とからなっている。台地は最終間氷期の海底面と最終氷期の河成面に由来し,その表面は後期更新世を通じて富士火山・箱根火山などにより供給された風成テフラに覆われている。台地には台地上に水源をもつ開析谷が分布する。これらの谷のなかには,台地表面の離水時に現われた名残川に由来し,その起源が最終氷期まで遡るものがある。 低地は最終氷期末に形成された谷が後氷期海進を受け,日本有数の大河である利根川水系により形成されたもので,厚い軟弱地盤を形成する。完新世後期の東京低地の形成過程は,従来ほとんど行なわれなかった考古歴史資料と微地形分布との関係の検討により明らかにされるであろう。17世紀以降になると,河道の改修,海岸部の埋め立て等の人工改変が大規模に行なわるようになった。 東京の台地と低地の地形には,変動帯の特色としての関東造盆地運動や火山活動に加え,ユースタティックな海水準変動の影響があらわれている。そして近年は人類による改変が最も大きなファクターとなっている。
著者
高橋 春成 ティズデル C.A.
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.66-72, 1992-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
12
被引用文献数
2 3

わが国には再野生化または半再野生化動物はまれであるが,西表島には再野生化あるいは半再野生化したブタ(イノブタを含む),ヤギ,ウシが生息している。 ブタについては,これまでにも在来のブタの離脱とそれらとリュウキュウイノシシの混血が指摘されてきた。近年でも,内離島や外離島でイノブタ(リュウキュウイノシシ×ランドレース)が再野生化状態にあり,一部は本島に侵入している。また,本島でもイノブタの離脱が生じた。近年のイノブタの離脱の要因は,粗放的な飼育方法や管理の不行届きに求められる。これらのイノブタもまた,リュウキュウイノシシと混血しているものと推測される。西表島で,再野生化したブタの集団が形成されないのは,在来のイノシシ集団に何らかのかたちで吸収されているためと考えられる。ブタやイノブタの離脱によるリュウキュウイノシシとの混血は,リュウキュウイノシシの遺伝子を撹乱するため,在来動物の保護の点から問題がある。 ヤギとウシの場合は,同島にそれらの原種が生息しないため,混血や原種集団へのとけこみが生じることがない。現在みられるヤギの再野生化は,近年の森林伐採作業用キャンプ地の撤去に伴なう遺棄や台風による小屋の破損などのために生じた。近年,ウシもまた一部が内離島,外離島,本島西部で再野生化状態となっている。これらは,管理の不行届きが原因である。当地では,再野生化したヤギやウシによる在来の植生への影響が生じているものと推測される。 西表島では,行政当局によるこれらのイノブタ,ヤギ,ウシに対する関心は高くない。それは,これらの頭数が多くないこと,在来の動植物への被害状況が不鮮明であること,農業被害がほとんどみられないことなどによる。しかし,西表島は大部分が国立公園に指定されていることから,特に在来の生態系への影響に注意する必要がある。
著者
ハーヴェイ・ D
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.126-135, 1994-12-31 (Released:2008-12-25)
被引用文献数
12 18

地理学者は,「空間」,「場所」,「環境」のどれか1つを取り出して学問を構築しようとしてきたが,本当は3つの概念を同時に相関的に扱わねばならない。ただ本日は,このうち「空間」を中心にし,空間と時間の社会的構成について話したい。 異なる社会は各々に個別性ある時空概念を構築する。社会的構成は物質世界の外にある純粋な主観でなく,物質世界の様相において時空を理解するやり方である。時空の尺度を選択するのは自然でなく社会である。この選択は社会の作用にとり基礎的・個人にとり客観的事実で,個人がなされた選択から逃れると罰をうける。決定された時空様式は生産・消費様式や権力と結びつき,時空様式を中立とみると社会変革の可能性の否定になる。 社会変容は構成された時空の変容と結びつく。支配的社会はそれ固有の時空概念を従属的社会におしつける。ここから,時空様式の変革から社会を変革しようとする思想と行動が生まれた。時空概念は社会諸部分の相異なる目的や関心により変容し,異なる時空性は互いに葛藤する。例えば,数十年の将来を利子率だけでみる新古典派経済学者と無限の将来にわたる持続性を説く環境論者とで時空性は異なる。男女の旧い分業に基づく時空性に基づき計画された都市と,そこに住み社会で働く女性がもつ時空性とは矛盾をきたす。 空間と時間について,ニュートンの「絶対」,アインシュタインの「相対」,ライプニッツやルフェーブルの「相関」の3概念がある。「絶対」では,時空がその中で作用する過程から独立な物質的枠組とみなされる。「相対」では,依然独立とされる時空の尺度がその物的性質に応じ変化するが,時空の多元性を許容しない。これまでの議論と整合的なのは,各過程が自らの時空を生産するという「相関」である。ライプニッツは,ニュートンの同僚クラークとの論争で案出した「可能な諸世界」の考えを説いた。マルクス主義唯物論者として私はこれを世俗化し,利害と過程の多元性が諸空間の不均質性を規定し,この諸空間のなかから支配的権力がもつ利害を反映した時空が選びだされる,としたい。 この考え方は,現実における時空の多元性を強調するホワイトヘッドと共通している。彼にあって空間と時間は,異なる諸過程が関連しあって生み出される「一体性」,ならびに共存せざるを得ない諸過程の相互依存から空間と時間の共存とその統一された編成が出てくる「共成性」生成の研究により定義される。コミュニケートしあう諸過程はある支配的な空間と時間の考えを規定するから,これはコミュニケーションと類義となる。 現代社会の空間と時間についてみると,『資本の限界』で論じたように,資本主義は19世紀以来永続して革命的で,回転期間と資本流通の高速化が技術革新により達成されてきた。また,空間がコミュニケーションにとってもつ障害は.一層減少し,時間・空間の圧縮が生じた。これにより同時に,旧い時空リズムは創造的に破壊され全く新しい時空性をもった生活様式が生まれる。だが,この支配的過程がもつ効果は,場所の発展や環境利用のパターンに影響する労働市場や資本主義の経済システム内部における位置や立地などの位置性によって断片化され,時間・空間の圧縮全体の効果が断片化される。内的に整合性あるたった1つの過程が,都市人口内部などに断片化された時空性をもたらすのである。 ラディカル運動の任務の1つは,現在を変革した先にある世界がもつ時空に直面する問題に取り組み,現実的な可能性として規定することである。移りゆく時空の諸関係にそれと違う方向付けを与える課題は,今日の地理学者に避けがたく緊要である。(水岡不二雄)
著者
Tatsuto AOKI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.105-118, 2000-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
48
被引用文献数
9 10

Geomorphological equilibrium line altitude (ELAg), as defined by steady-state equilibrium line altitude estimated based on geomorphological method, has been used to reconstruct Last Glacial palaeoclimate. However, the ELAg is influenced not only by temperature, but also by other factors. This paper discusses factors affecting Last Glacial ELAg in the Kiso mountain range, central Japan. The weathering-rind thickness of gravel was used for dating moraines. The dating results have shown that glaciers advanced at the Last Glacial Maximum and the Younger Dryas stages. The ELAg for each stage was reconstructed based on the Accumulation-Area-Ratio method (AAR=0.6). The results indicate that the ELAg of each reconstructed glacier was affected not only by temperature but also by the altitude of mountain ridges. Although some previous studies have reconstructed palaeoclimate based on the ELAg, the results of the present study cast doubt on such reconstruction. For better reconstruction, the effects of temperature on the ELAg should be separated from those of topographic factors.
著者
Takashi KUMAMOTO
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.72, no.2, pp.135-161, 1999-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
62
被引用文献数
2 3

To construct a seismic hazard map for intraplate earthquakes in Japan, historical records, paleoseismology data and a time-dependent conditional earthquake recurrence model were combined to create two types of contour maps: a probability map of peak ground acceleration (PGA) of 0.2 g or higher between 2001 AD and 2050 AD, and a PGA map of 10% probability during the same period. The resulting maps demonstrate the effectiveness of conditional seismic hazard analysis, although there are several uncertainties in the estimation of the slip rate, the elapsed time, and the segmentation of seismogenic fault systems. To create these maps, the historical seismicity rate for the last 400 years, and synthetic earthquake frequency from active fault data are first compared to examine the effect of uncertainties in fault segmentation and slip rate estimation. Then hazard maps based on time-dependent and time-independent models are derived. The results suggest that the conditional hazard map shows better agreement with current understanding of the recurrence behavior of active faults. For example, (1) low probabilities are obtained for faults that are considered to have ruptured within the historical period, and (2) higher probabilities are calculated for faults with long elapsed times or high slip rates. In addition, some seismogenic active fault systems are indicated as precautious faults based on the time-dependent earthquake recurrence model.
著者
内藤 正典
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.134-163, 1987-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
47
被引用文献数
1 1

クフレイン村は,ダマスカスの近郊に広がるオアシスの東端,シリア沙漠との境に位置する人口約1,600人の農村である.年間降水量100mmのこの村では,灌漑による夏季の疏菜と降雨による冬季の小麦栽培がおこなわれてきた.しかし1960年代以降,灌漑用水の不足と農地改革による経営規模の縮小とによって農家経営は行き詰まり,耕作放棄が進んでいる.この傾向は,オアシスの東半分を占めるステップ地帯の諸村に共通にみられる.数千年にわたって,都市民に食糧を供給してきた灌漑農業の歴史は,独立後の40年というわずかな問に崩壊の危機を迎えた.危機を招来した直接の原因は,首都への人口集中に伴う周辺農村の急速な都市化と,経済効果の伴わない農地改革の2点にある.そしてこれらの問題は,国家統合のために不可欠の政策が実現される過程で顕在化した.オスマン帝国時代から都市権力の中枢にあった名望家地主層の追放,およびマイノリティー・グループによるセクタリアニズムの解消という2つの政策がそれである.本稿は,2つの国家統合政策が,その実現過程で,近郊農村をどのように空間的に編成し,結果として農村の崩壊をもたらしたのかを分析した.第1の政策は,エジプトとの連合が成立した1958年に農地改革を実施し,名望家地主を追放することよって実現した.しかし農地改革は,都市権力の交代の副産物にすぎなかった.その後1963年のバアス革命をへて,1970年まで続く政権抗争では,-社会主義を標榜するバアス党内の権力抗争であったにもかかわらず-農民が革命の主体となることはなかった.1970年に成立した地方山村出身のアラウィー派政権も,農民組合員に対する特権の供与を通じて,上からの組織化を進めているが,農村全体の基盤整備には消極的である.第2のセクタリアニズムの解消は,アラウィー派政権の樹立によって一層困難となった.国家権力の中枢が位置する首都で,多数を占めるスンニー派住民に対抗するために,少数民族・宗派集団のオアシス農村への定住は黙認されている.このため,水需要の増大から灌漑用水は極度に不足し,既存の灌漑設備はオアシス内への集落の展開によって破壊された.農地改革によって村落の社会・経済構造が一変し,しかも灌漑農業の限界地に位置するクフレイン村では,権力による空間編成の過程で発生したさまざまな矛盾が,最も明示的なかたちで農村自体の存立を脅かすことになったのである.
著者
Reginald G.GOLLEDGE R. Daniel JACOBSON Robert KITCHIN Mark BLADES
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.93-104, 2000-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
10
被引用文献数
39 49

In this paper we discuss the relations between cognitive maps, spatial abilities and human wayfinding, particularly in the context of traveling without the use of sight. Initially we discuss the nature of cognitive maps and the process of cognitive mapping as mechanisms for developing person to object (egocentric) and object to object (allocentric) internal representations. Imperfections in encoding either relations can introduce imperfections in representations of environments in memory. This, together with individual differences in human spatial abilities, can result in data manipulations that produce error. When information stored in long term memory is brought into working memory for purposes of decision making and choice behavior (as in route selection), the result may be the selection of an inefficient or incorrect path. We explore the connection between environmental learning and cognitive maps in the context of learning a route in two different cultural environments-Belfast (Northern Ireland) and Santa Barbara (California). Blind, vision impaired, and sighted volunteers traveled and learned routes of approximately the same length (1.2miles) in their respective urban environments. An initial trial was experimenter guided; three following trials were regarded as “test” trials where the participants learned the route and performed route fixing tasks including pointing between designated places, verbally describing the route after each completion, and building a model of the route using metallic strips on a magnetic board. Results indicated that by the end of the third test trial, and using the reinforcing strategies, the results of the blind or vision impaired participants could not be statistically differentiated from those of the sighted participants. This indicated that the wayfinding abilities of the three groups were equivalent in this experiment and suggested that spatial abilities were potentially the same in each group but that lack of sight interfered with putting knowledge into action.
著者
Ryoji SODA
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.92-112, 2001-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
5 6

The Iban of Sarawak, Malaysia, who are well known as typical long-house dwellers, have attracted scholarly attention because of their frequent migration related to their custom such as shifting cultivation and “headhunting.” This paper examines a new trend of the Iban's rural-urban migration and its impact on the long-house community. Recent economic development in Sarawak has provided Iban males with stabler jobs, which enabled them to sojourn longer in urban areas. This has resulted in the increase in rural-urban migration accompanied by wives and children. While more females have been leaving the long-house to follow their husbands, Iban villages experienced change in subsistence activities, such as the increase in wet paddy cultivation, the shrinkage of the average planted acreage, and the aging of the farming population. The out-migration of the younger generations and the decline in agricultural activities gave rise to the tendency of the extinction of family line and the bonds between families, which are reflected in the degradation of the long-house community.
著者
正井 泰夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.1-16, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
106
被引用文献数
5 5

東京は,その発達史の中で,2度も世界最大都市を経験した。 18世紀末の江戸は,人口約10万に達し,産業革命を経験しなかった都市としては最大規模に達したと思われる。江戸は中央集権的封建制度の下で,厳密な階級制度をもち,土地利用にもそれがよく現われていた。今日の東京で卓越する狭い道は,当時の徒歩交通都市の遺産と考えてよい。江戸の2核構造は,不整形のプランを積極的に導入することによって複雑さを倍加させたが,今日の都市形態にも強く残存している。 明治維新後の近代化の過程で,鉄道が果たした役割は大きく,東京では特にその影響が大であった。新線建設は現在でも続き,さまざまな効率改善案が建てられてきた。情報化都市への動きも急である。しかし,伝統的景観の消滅,適切な住宅の不足など,多くの問題を抱えている。土地利用計画は一般に厳密でなく,その結果,混在型土地利用が卓越する。交通の混雑は時には破局的ともいえるが,全体としての東京は,未だ摩靡してしまってはいない。東京圏へ流入する人口はふえ続けており, 3,000万以上の巨大都市圏が形成された。地球的スーパーシティの一つとしての東京圏は成長を続けているが,自然・政治経済的な破局の可能性は決して過ぎ去っていない。
著者
長坂 政信
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.50-68, 1991-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1

本論は日本におけるブロイラー産業の産地形成過程を考察し,産地形成の地域的条件を明らかにすると共に,それに基づいてブロイラー産業の産地形成の一般的条件を明らかにすることを研究課題とする。 本研究の事例調査地域として,先進的産地である大都市圏周辺地域からは,西日本でブロイラー産業が最初に成立し,現在も大都市圏周辺地域の中で最大の産地である兵庫県但馬地方と,東日本の大都市圏周辺地域で最大の産地である静岡県富士地方とを取り上げた。遠隔地域からは,日本のブロイラー産業の主産地を形成している宮崎県児湯地方と岩手県北地方を選定した。 その結果,ブロイラー産業の産地形成において,次の一般的条件が明らかになった。第1に,総合商社などの農外資本と系統農協がブロイラー産業に参入し,複数の処理場の立地によって契約飼育農家の獲得競争を行った。この結果,飼育農家が空間的拡大を遂げつつ,次第に主業化・専業化するたあの規模拡大が図られてきたこと。第2に,インテグレーターがブロイラー産業に進出した地域は,土地条件の悪い山間地や丘陵地で, 1 ha未満の零細農家が多く存在していた。このたあ,これらの農家では地味に左右されず,高収益と経営の安定が期待できる農業として,施設型畜産を取り入れようとしたこと。第3に,素人でも経営し易く,設備投資額が相対的に少なくて済むプロイラー経営が最も高所得が得られたことから,これを取り入れる農家が増大したこと。
著者
Honglin HE Takashi OGUCHI Ruigi ZHOU Jianguo ZHANG Sen QIAO
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.187-198, 2001-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18

The damage caused by the 1996 Lijiang earthquake in China was analyzed using Geographic Information Systems (GIS), Data for the Lijiang district were collected from the local government offices and were converted into GIS data layers. The damage ratio of houses, seismic intensity and the occurrence of casualties were mapped. The results show that the distributions of seismic intensity and the damage ratio of houses reflect the occurrence of thick alluvium and the structure of fault systems.
著者
石崎 研二
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.86-93, 1995-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
12
被引用文献数
1 2

本稿では,東京都23区におけるファーストフード店の空間的競合の分析を行ない,その立地戦略との関係について考察した。最近隣尺度および最近隣随伴尺度を用いて, 1987年と1994年における店舗の分布を判定した結果,次のようなことがわかった。 (1) 最近隣尺度は1987年と1994年でさほど変わりがなく,マクドナルドと森永ラブには特徴的な集積パターンがみられる。 (2) 最近隣随伴尺度によれば,各チェーン間の組み合わせによってばらつきがあり,特にマクドナルドとロッテリアの空間的競合,モスバーガーと他のチェーンとの回避が顕著である。 (3) 特にモスバーガーは, 1994年では,他のチェーンと集積する傾向にあり,店舗の立地変化が確認できる。次に,ファーストフードが対象とする,年齢15~34歳の昼間人口密度と夜間人口密度で地域を分割して,各チェーンがいかなる市場をターゲットとしているかを検討した。その結果, 1987年では,マクドナルドおよびロッテリアは昼間人口を指向し,モスバーガーは夜間人口を指向するが, 1994年においては,モスバーガーは他のチェーン店がターゲットとする昼間人口密度が卓越した市場へも進出を始めている。このような各チェーンにおけるターゲット市場の相違は,競争上の地位や企業の目標などの違いに起因する立地戦略の差異を反映している。また,モスバーガーにみられるように,ターゲット市場の変更や資金の増大に伴い,立地戦略を変更する企業もある。先に検証した様々な空間的競合は,ターゲット市場の選定に代表される立地戦略の相違を表わしているといえよう。
著者
白坂 蕃
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.191-211, 1988-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
14
被引用文献数
2 2

東南アジアの熱帯や亜熱帯に属する地域には,一般にhill stationと呼ぼれる山地集落がある。これらは, 19世紀に植民地活動をしたイギリス人やオランダ人が熱帯の暑い気候環境から逃れるために開発した集落であり,元来,地元の人々が開発したものではない。日本でも6-9月は暑さの厳しい気候であるが,かってのイギリス領マラヤやオランダ領東インドなどでは,1年を通してそのような気候の下にある。 マレーシアでは,このような植民地起源のhill stationとしてカメロンハイランド (the Cameron Highlands) が最も良く知られている。カメロンハイランドは,マレーシア半島中部の中央山地にあり,標高は1,000~1,500mに広がる高原である。今日では, summer resortであると同時に,その冷涼な気候を利用して,一大温帯蔬菜生産地域となっている。筆者はカメロンハイランドにおける農業的土地利用や温帯蔬菜栽培の特色を分析し,熱帯アジアにおけるhill stationのもつ今日的意義を考える。 カメロンハイランドは, 1885年William CAMERONによって発見されたが, hill resortとしての開発は1926年以降のことである。カメロンハイランドではhill resortとしての開発と同時に,華人による温帯蔬菜の栽培が始まった。また第二次大戦後の疏菜栽培発展に伴い,新しい集落が形成されている。 カメロンハイランドにおける人口 (24,068人, 1894年)の約50パーセントは華人(中国系マレーシア人)で,彼らが蔬菜栽培の中心となっている。カメロンハイランドにおける温帯蔬菜の栽培は,標高1,000m以上の地域にみられる。この地域では,こんにち,約25種にのぼる温帯蔬菜が栽培されているが,白菜,キャベツ,そしてトマトが三大蔬菜となっている。これら蔬菜の種子は,その殆どが日本から供給されている。 蔬菜栽培農家における労働力は,殆どが家族のみである。また蔬菜栽培には大量の鶏糞が使用されており,耕作はきわめて労働集約的である。また,ほうれんそう,ピーマン,セルリなどの蔬菜には,雨除け栽培がおこなわれている。どのような蔬菜を栽培するかは,市場価格を念頭において,個々の農家が選択するために,明確な輪作体系は存在しない。 こんにち,カメロンハイランドで生産される蔬菜は,マレーシア半島の主要都市に大型のトラックで輸送されているが,総生産量の25~30パーセントは,シンガポールに輸出されている。
著者
田林 明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.41-65, 1987-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
87
被引用文献数
2 5

この報告では,日本の灌概システムを用水源に基づき類型化し,それぞれの類型の実態と分布状態を説明した.さらに灌漑システムの特徴を明らかにするために,その形成過程を検討した. 日本の灌漑システムは,(1) 河川, (2) 溜池, (3) 湖沼, (4) 地下水, (5) 溪流,そして (6) その他の灌漑システムに分類することができる.そのうち最も重要なものは河川灌漑システムであり,溜池灌漑システムはそれに次いでいる.日本列島の大半では河川灌漑システムが卓越しているが,特に東日本においてその傾向が強い.また,瀬戸内地方や近畿地方を中心にして溜池灌漑システムが優勢な地域が広がっている.さらに,より局地的であるが,関東平野では多様な灌漑システムが併存し,本州中部や四国,九州の山間部では溪流灌概システムが多くみられる。これらの地域差は1つには,降水量や地形などの自然条件の差異と対応するが,より本質的には社会的・経済的・文化的諸条件に規制されながら歴史的過程を経て形成されたものと考えることができよう.そこで日本の灌漑システムの形成過程を検討すると,弥生時代には天水や溪流を利用した個別的水利用がまず始まり,これが小河川の利用に進んだ.古墳時代になるとさらに溜池や中小河川利用が盛んになった.大河川の上中流を利用し扇状地性平野の開発が進んだのは江戸時代前半であり,江戸中期から大河川下流の三角州性平野の開発がすすんだ.明治期以降は灌漑システムの改善の時期であり,新しい施設や技術が導入された. 西日本においては古代の条里制遺構や中世の荘園制のもとで整備された小用水路が最近まで広く利用されており,現在の灌漑システムの基礎が古い時代に確立されていたと考えることができる.他方,戦国時代から江戸時代にかけての大河川を利用した用水創設と新田開発は,東日本で著しい水田増加をもたらした。河川灌漑に基礎をおく日本の灌漑システムの基本的性格は,この時期に成立したといえよう。ことに,樹枝状に分岐する水路系統を基盤として形成されている階層的・重層的配水システムとそれに対応する組織体系は日本の灌漑システムの特徴であるが,江戸期に確立し今日に至っているといえよう.
著者
神谷 浩夫 池谷 江理子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.15-35, 1994-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11
被引用文献数
6 6

本稿の目的は,各地域における就業する女子と就業していない女子の比率(すなわち就業率ないし労働力率)が,他の地域と比較してどれほど差があるかを考察することにある。そのためにまず,第二次大戦後から現在に至る女子就業率の推移を市郡別データを基に概観して都市部と農村部における女子就業率の動向を明らかにし,これを受けて都道府県別の女子労働力率の差異の分析を行なった。なお,時系列の考察では就業率,地域差の考察では労働力率という異なった指標を用いた。本来,労働力率という単独の指標で分析を統一することが望ましいが,産業別・年齢別の労働力データが得られないため,就業率を用いることとした。 1955年から1985年の間の女子就業率の変動を,市部と郡部に分けて考察した結果, 1955年には市部の女子就業率は郡部に比べてかなり低かったが, 1985年の両地域の差異はかなり縮小したことが明らかとなった。年齢別女子就業率の特徴としては,いわゆるM字型プロフィールが1955年から1985年の間にかなり鮮明となると同時に,市部と郡部でプロフィールの形状に差がなくなりつつある点が明らかとなった。これは,市部で中年層の就業率が大幅に上昇し,郡部では中年層以外の年齢層の就業率が低下したことに起因する。産業分野別の就業者割合の変化をみると,卸・小売業,サービス業従業者の比率が上昇した点は郡部・市部ともに共通しているが,製造業従業者比率の増大は製造業が地方へ分散したたあに市部よりも郡部で大きかった。年齢別には,市部・郡部ともに15~19歳の年齢層で女子就業率が大幅に低下したが,これは,高校・大学進学率の上昇に原因があると推測された。また,パートタイム・アルバイト就業が女子就業のかなりの部分を占めていることも,データから裏付けられた。 次に, 1985年における女子労働力の地域的変動を説明するために,都道府県別女子労働力率を従属変数,女子労働力の需要と供給に関する11変数を独立変数としてステップワイズ重回帰分析を行なった。その結果得られた回帰方程式では, 15~24歳の年齢層と他の年齢層とでは女子就業率の地域的変動を説明する要因が大きく異なっていた。また,35~44歳や45~54歳の年齢層では,農家世帯比率が女子労働力率の地域差を説明する最大の要因であったが,15~24歳の年齢層ではとび抜けて寄与率の高い要因は見い出せなかった。既往の研究と比較すると,回帰式の決定係数が低い結果となった。その理由は,日本の国全体でみて1985年には農業就業者がかなりの水準まで低下したたあと推測される。また,若年層と高年齢層では供給要因以外にも労働市場の需要要因が地域の女子労働力率の高低に対して影響を及ぼしていることも明らかとなった。今後,さらに女子就業の地域的変動を詳しく分析するためには,パートタイム就業者やアルバイト就業者といった就業形態の違いも考慮に入れた分析も必要だろう。
著者
小口 高
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.81-100, 1994-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
45
被引用文献数
6 8

扇状地は源流域からの土砂供給を強く反映する地形である。それゆえ,扇状地発達の検討に際しては源流域の山地斜面の侵食史の把握が重要な意味を持つ。このことを考慮し,筆者はこれまで松本盆地周辺および北上低地西縁の流域において,扇状地と源流域の山地斜面の地形分類と編年を行い,扇状地発達と斜面発達との関係を論じてきた。ところで,扇状地の形成に関わる土砂供給の量は主に源流域の起伏に規定される。したがって,扇状地発達の一般論を確立するためには,多様な起伏を持つ流域を取り上げて比較する必要がある。しかし,上記の2地域のうち松本盆地周辺は日本で最大級の起伏を持つのに対し,北上低地西縁は扇状地を持つ割には起伏が小さく,日本の扇状地の多くが位置する中間的な起伏の地域については未検討であった。そこで,このような地域として山形盆地東縁を取り上げて扇状地と源流域の地形分類および編年を行い,その結果を松本・北上の2地域での結果と比較してみた。 空中写真判読,縦断面図の作成,および現地での堆積物層序の調査によると,山形盆地東縁の流域の河成面はQ1~Q5の5段に区分される。扇頂より上流側では最終氷期極相期頃まで河床が上昇し,その後は基本的に河床が低下している。一方,晩氷期~現在の扇状地発達は流域により異なり,扇頂より上流側と同様に河床が低下した場合と,埋積により河床が上昇した場合とがある。山地斜面では,最終氷期極相期頃に凍結融解作用により従順な平滑斜面が形成されたが,晩氷期以降は流水の作用の増大により,平滑斜面を切り込んで開析斜面が発達した。このような河成面および斜面発達の特徴は,松本・北上の2地域とほぼ共通である。これは,最終氷期極相期以降に, 3地域が同様の気候変化を受けたためと考えられる。 松本盆地周辺の流域では、扇状地発達の特徴と開析斜面の構成比率との間に対応が認められ,これに基づき3つのステージからなる晩氷期以降の流域の地形発達モデルが提唱されている。今回得られた山形盆地東縁の流域の資料と,既存の北上低地西縁の流域の資料を検討したところ,松本盆地周辺と同様の斜面発達と扇状地発達との対応が認められた。このことは,松本盆地周辺における地形発達モデルが,より小起伏の地域を含む広域に適用できることを示している。
著者
山下 清海
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.83-102, 1986-12-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28
被引用文献数
4 4

本稿は,シンガポールにおける華人方言集団のすみわけパターンとその形成要因について考察した.すみわけパターンを把握するために,華人会館や廟の分布,および華人会館会員の分布を,いくつかの時期ごとに地図化した.その結果,次のようなすみわけパターンが明らかになった。 華人の居住はシンガポール川の南岸地区(大披)から始まり,福建人,潮州人,および広東人の三大方言集団が,そこを大きく3つの地区にすみわけた.一方,移住時期が遅れた海南人,福州人,興化人などの少数方言集団がおもに居住したのは,シンガポール川の北岸地区(小披)であった.そこには3大方言集団も多数居住し,少数方言集団と互いにモザイク状にすみわけた. このように,華人方言集団のすみわけパターンは,シンガポール川を挾み,その南岸と北岸で著しい対照をなした.これらのすみわけパターンは, 1968年頃においても大きな変化はなかった. 以上のすみわけパターンの分析に基づいて,次にすみわけパターンの形成要因について考察した.華人移民は故郷を出発する時からシンガポールで生活を始めるまで,客頭,客桟,猪仔館などをとおして,7連の地縁的な鎖によって結ぼれていた.このような地縁的連鎖は,すみわけを促す要因の1つであった. 華人方言集団の内部には,すみわけを形成する内的要因が認められた・華人は方言集団内部の相互扶助に期待して,また,言語,宗教,食事習慣をはIじめ,自己の伝統文化を保持したいという欲求を抱いて集中居住し,アーパン・ヴィレッジを形成した.このようなアーバン・ヴィレヅジを核として,華人方言集団のすみわけは拡大していった. 華人の経済活動の特色について検討した結果,それぞれの華人方言集団は,特定の職業分野で卓越し,専門化する傾向が顕著に認められた.このことは,特定の華人方言集団の地域的集中を強める結果となり,すみわけを助長した。
著者
廣松 悟
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.98-113, 1991-12-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
71

当論文においては,英米圏の都市地理学における都市空間概念の展望に基づいて,英米の近代都市において社会問題群が確立,制度化されるための歴史的な条件の探求に関わる作業仮説が提示される。 注目に値するのは,都市自体は人類史を通じて重要ではあったが,特にそれが理論上重要な分析単位となったのは,地理学のみならず他の社会科学一般においても今世紀初頭になってのことに過ぎないといった事実である。この歴史的事実を説明しうる仮設の一つは,先の「都市問題」の形成は,社会空間の全域を覆う特異な政治的監視制度でもある近代国民国家の成立と密接に関連していたというものである。近代都市は,領域国家制度のもとでは,特にその社会的「監視」の観点からみた統治上の効率性の関数として規定された。従ってここに,都市地理学を含めた社会諸科学の都市に関する様々な言説と実践が登場し,先の問題群を制度化すべく,「社会と空間の連関」という特有の問題機制に従って,相異なる概念化に基づいた都市諸学の制度化を実現させることになったと考えられる。中でも,都市空間に関する一般理論は,都市問題を普遍的な既成事実として自明視するような,歴史社会上特異な「実践の閉域」の形成に大きく寄与してきた。今世紀初頭の初期シカゴ学派から最近の都市社会学や都市地理学に至る一貫した思考は,まさにこの特異な領野を構成する上で効果の大きな,都市の一般理論の構築に向けられていたのである。そこでは,この一般理論の対象となる「近代都市」の社会歴史的な存立条件自体を相対化するような,客観的な視座にはかなり欠如していた。そのため,こうした社会と空間に関する極度に.一般的な問題機制は,範域(空間)としての都市を社会として定式する観点と,個別社会を範域(空間)として把握する視点との狭間でほとんど解決不可能な不整合を生み出し,近代都市という歴史地理上特殊な空間に関して,ほとんど無秩序に形成されたかの如きパターン概念の束を生産する結果をもたらしてきた。 現在求められているのは,近代都市という,言説・制度を含んだ歴史社会的にきわあて特殊な閉じた領域に対する一貫して分析的な視座である。中でも,近代国民国家が各々の,歴史社会上特殊な集団や社団を,その領域社会統治上の組織支配単位の一っとして変容させ,主に法人都市の形式によって法的に包摂し,引き続いて,それを永続的な「社会問題の場」として維持することを通じて監視と管理の体系である都市諸学の成立を促し,それらの総合的な作用として結果的に社会の総体的な都市化を招いてきた一連の近代都市に関わる歴史過程が,改めて実証的かっ分析的な研究課題として掲げられなければならない。