著者
森田 伸子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.498-510, 2003-12-30

The history of modern education has been the history of nationalization of people by teaching them the national language and its letters. The level of national literacy has been regarded as the criterion of the level of the modernization. It must be noticed that this process of invention of literate people was also the process that made deaf people abandon their natural language=sign language and accept the national language=language of voice. Deaf people were forced to learn the language of voice, as well as its letters. In other words, the hypothesis of the general development from orality to literacy, which has been supported by some anthropologists, has no meanings for the deaf people. There used to be, however, various ideas of languages, including the gestures as well as the speech, especially in the 17th and 18th centuries Europe. It is remarkable that both of them were regarded as "natural language" and thought to have their own writings, alphabet letters for the former and some kind of characters for the latter. In this paper, we will examine these two types of writings, and the different meanings or possibilities of literacy.
著者
倉石 一郎
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.360-369, 2007-09

高知県の「福祉教員」とは、戦後の新学制の発足直後の長欠・不就学問題対策のため配置され、その後同県の同和教育を担う人材を輩出した独特の教員制度である。本稿では、教育界の内と外の境界上に位置し、その開閉を通じて内外の調整をはかる存在という視点から福祉教員を位置づけ、その活動の軌跡の検討を通じて、長欠・不就学問題やその背後にある部落問題といった、教育実践の安定構造を脅かす危機(<社会>)に直面することによって教員の職分を画する境界にどのような変容が生じるかを考察した。分析から浮き彫りになったのは、境界を開いて問題状況を呈している子どもに、教育関係を媒介せずに直接的に働きかける側面と、その逆に自らが外部の盾になって遮断につとめ、かつての安定構造への回帰をもくろむ側面の両方であった。しかしこうした矛盾ともとれる両面性にもかかわらず、あるいはそれゆえに、福祉教員の足跡には多くの今日的示唆がある。
著者
野平 慎二
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.356-367, 2008-12

1990年代半ば以降、教職の脱専門職化を促進する教員政策が次々と打ち出されている。国民の高学歴化、消費者化とも相俟って、教師の社会的地位は相対的に低下し、教師の仕事は多様化、教職の専門性の基礎は不明確化している。ひるがえって、教職の専門性研究の主題は、地位や制度への問いから、専門的実践の内実への問いへと移行してきた。その背景には、専門性の制度的保障が権威主義に転化することへの疑義がある。本論では、学校教育の公共性が変質しつつある現状を踏まえ、学校教育の公共性の整理とそこでの教職の性格づけの検討をとおして、あらためて教職の専門性の基礎を問い直す。結論として、対話を基礎とした非権威主義的な教職の専門性の概念を提示する。それは、国家と社会からの教育要求に対して一定の自律性をもち、当事者のニーズを対話的に媒介することで、子どもの学習権を保障するものである。
著者
佐藤 全
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.334-342, 420-421, 1998-12-30

Article VIII, Clause I of the Fundamental Law of Education states that the political knowledge necessary for intelligent citizenship shall be valued in education. Clause 2 states that schools, prescribed by law, shall refrain from political education or other political activities for or against any specific political party. The aim of this paper is to investigate the effect of Article VIII of the Fundamental Law of Education upon legislation and educational administration about political education by reviewing related controversies and cases that arouse after the enactment of that Law. The Constitution of Japan and the Fundamental Law of Education were influenced by America's legislative history. Accordingly, court cases concerning free speech rights of teachers in America are examined to discuss the Article VIII in international perspective. The effect of Article VIII may be briefly summarized in the following outline. cause I was not effective in fostering the political education necessary to cultivate in students the political moral and critical sense essential for citizenship in democracy. The merits and demerits of Clause 2 are balanced, because it brought legislation and ruling to limit the political activities of teachers and students, as a result largely of such legislation or ruling, the legislative intention of Clause 1 has been poorly carried out, while on the other hand such legislation and ruling are as valid as American cases to keep the political education neutral and to protect the classroom from substantial disruption. Clause 2 has exerted well balanced influence with both merits and demerits). For Clause 2 caused enectment and notifications for restriction of teachers' and students' political activities, which as a result the legislative intention of Clause I has become far from being realized(failed to be realized). On the other hand the legilation and notifications pertinent to Clause I are valid and effective, as seen in cases(counter parts in judicial causes)in America, to preserve neutrality of the plitical education and to protect classrooms from substantial disruption.
著者
松田 武雄
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.518-529[含 英語文要旨], 2007-12

本稿は、国家的価値の浸出を抑制、制御することを睨みながら、社会教育概念の再解釈を通して社会教育におけるコミュニティ的価値の再検討を行うことを目的としている。最初に、近年注目されている社会関係資本論と社会教育を関連づけ、社会教育におけるコミュニティ的価値を再検討することの現代的意義について考察している。次に、社会関係資本と関連づけて社会教育概念の歴史的な再解釈を行うとともに、社会教育におけるコミュニティ的価値をめぐる議論を歴史的に跡づけ、問題の所在を明らかにしている。最後に、国家的価値に抗する社会教育におけるコミュニティ的価値について、社会教育概念の歴史的再解釈を踏まえて考察している。この際に、コミュニティの「共通善」や個人の善をめぐる英語圏の政治哲学の議論を、社会教育におけるコミュニティ的価値を考察するための概念装置として援用し、コミュニティ的価値の創出(相互学習)をめぐる理論的な枠組みについて検討した。
著者
広川 由子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.297-309, 2014

本稿は、占領期日本における英語教育構想を新制中学校の外国語科の成立過程に焦点を当てながら明らかにすることを目的とする。占領初期の米国国務省案は、民主的な教育制度の確立要件として英語教育とその大衆化を掲げた。これがSFEの勧告となり、それをCIが具体化したことによって新制中学校に外国語科が導入された。一方、文部省は導入に消極的な姿勢を示しており、導入を決定づけた英語教育構想は、米国政府から提出されたものだったと指摘できる。
著者
金子 勉
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.208-219, 2009-06-30

日本の大学関係者の大学観に影響したと考えられるドイツの大学理念について検討する。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」と題する文書は、大学論の原点である。研究と教育を重視することがドイツ的な大学観であると認識されてきたが、そのような大学理念はフンボルトあるいはベルリン大学から生じた形跡がないとする異論がある。そこで、高根義人、福田徳三、ヘルマン・ロエスレル等の大学論、ベルリン大学及びベルリン科学アカデミーの歴史、大学関係法令を手がかりとして、ゼミナール、インスティトゥート等諸施設の性質を考察した。科学アカデミーに所属する研究施設を分離独立して、これらを新設大学が教育上の目的に利用することが、ベルリン大学創立時の構想の核心にある。実際に、ベルリン大学令が大学と研究施設の関係を規定し、その規定が他大学に継承されたのである。
著者
白水 浩信
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.131-140, 1998-06-30

本稿は18世紀フランスにおけるポリスと教育に関する歴史研究である。アンシャン・レジーム期のポリスは、今日とは異なり、周縁的問題-不道徳、不衛生、貧困等-のすべてを扱っていた。M.フーコーはしばしばその重要性を強調していたが、教育史研究においてポリスはまったく無視されてきた。たとえ教育をポリスとして扱ったとしても、往々にしてそれは、充分な史料もないままに規律と誤解されてきたのである。本稿は、J.-J.ルソー、モンテスキュー、N.ドラマールらのポリスについての著名なテクストを検討することで、ポリスを具体的に明らかにしていくものである。 まずポリスの概念を、18世紀フランスのルソーや、モンテスキューの政治論に求めていくことにする。ルソーがポリスという語をしばしば用いたことや、モンテスキューが『法の精神』の一章をポリスに充てていたことは、面白いことに、伝統的歴史家にもフーコーにも知られていない。例えばルソーは、ポリスが子供の教育のようなものだと言っており、あるいはモンテスキューによれば、ポリスに関する事柄は取るに足らないことすべてとされ、しかもそれらは法ではなく規制によって迅速に処理されねばならないものとされていた。これらはポリスに関する重要な証言である。 加えて、ドラマールの著作を用いながら、ポリス行政の実態を検討することにする。ニコラ・ドラマール(1639-1725)はポリスに携わる専門的役人であった。その『ポリス概論』(1705-1719)はポリスの実像を知る上で最も興味深い史料である。ドラマールは、ポリスが人々をその人生において最も幸福にするすべての些事を目標とするものだと主張する。そしてそのために多くの事柄をポリスの対象として定めていった-宗教、習俗、健康、食糧、治安、道路、学問、商業、工場、家政そして貧民。ポリスのこうしたカテゴリーには教育もまた含まれた。コレージュ、慈善学校、乳幼児管理、封印令状。これらすべてはポリスの対象であったのである。 コレージュはあまりに危険な状態にあったので、ポリスは騒動防止のためにコレージュを監視した。慈善学校もまた、生徒たちばかりでなくその親たちによって多くの障害が生じていた。教師たちは、しばしば授業中に、親たちに侮辱され、脅迫され、襲撃されたわけであり、ポリス令は彼らに重い罰金を科していった。そして乳幼児の管理はポリスにとって最も重要な問題であった。パリでは孤児と乳母不足が社会問題となっており、ポリス総代官は、1769年、乳母のための公的機関を設立した。さらに封印令状を処理することもまたポリス総代官職の任務であった。多くの家族がこの令状によって自らを厄介者から保護してもらえるよう、ポリスに嘆願していたのである。 教育がポリスの対象であったことは強調されなければならない。ポリスの下におかれた教育行政は、救貧や公衆衛生、犯罪予防といったさまざまな局面から配慮されていたのである。ポリスは教育を、社会福祉を増進するトータルな統治の一部として考えていたわけである。その上、この歴史のなかで、家族は教育による社会防衛の主要な活動の舞台となっていった。いかに些細な混乱といえども家族から除去されねばならない。なぜなら社会的混乱は家族からはじまるのだから。家族の至福こそ、個人生活のみならず社会生活にとって本質的なものである。ポリスとしての教育は、社会的周縁性に対抗すべく家族に戦略を集中した。つまり家族は、ポリスにとよって、道徳や健康、富で満たされなければならなかったのである。