著者
保田 直美
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.1-13, 2014-03-31

学校に、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなど新しい専門職が配置されることにより、教師の役割はどのように変化したのだろうか。2010年4月から2013年1月にかけて、ある県の2つの市の小・中学校で行ったフィールドワークのデータを分析した。結果、教師は生徒指導に関する問題の「ゲートキーパー」としての役割を担うようになっていること、一方で、これまでの教師の「指導の文化」は、他専門職の専門性との対比の中で、より強化されている可能性があることがわかった。
著者
河合 務
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.276-288, 2008-09-30

近年、フランスは「ベビーブーム」を迎えている国として注目され、家族手当など手厚い経済的支援がしばしば言及されるが、出生率低下問題に長く取り組む過程で、子ども・若者の家族形成意識への教育的働きかけが行われてきた同国の歴史的経験に関しては、これまで詳しく紹介されてきたわけではない。本稿は、家族形成に関する「意識改革」が強調されつつある日本の現状を照射する観点から、フランス第三共和政期(1870-1940年)の出産奨励運動と教育との関わりについて、1896年に統計学者J.ベルティヨン(1851-1922)によって設立され、現在も活動を続ける運動団体「フランス人口増加連合」の教育活動を中心に考察している。政治家・行政官・教員・ジャーナリストらが会員として名を連ねた同団体が、公教育行政の後押しをも受けながら多子家族形成に向けた学校教育の実現を目指した活動を展開していく模様を検討し、そのイデオロギー性を指摘している。
著者
矢野 裕俊
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.197-209, 2013-06-30

2012年、大阪市の教育行政は新たな局面を迎えた。教育行政には積極的に関与しないとする、それまでの市長の方針から一変して、教育行政に対する首長の役割を前面に掲げる市長が登場したことにより、首長の主導による教育改革が始まった。それにより、教育行政の相対的な独立性を支える教育委員会と首長の関係はどうあるべきなのかが、現実のさまざまな問題で問われることとなった。本稿は教育関連条例の制定、教育振興基本計画の見直し、学校選択制の導入という、市長の主導で展開された大阪市の3つの教育改革施策に注目して、2012年の大阪市における教育行政の展開を事例として検証し、教育行政をめぐる先行研究に依りつつ、教育委員会と首長との関係を、連携と協働へと至る過程における教育委員会の経験として概括する。
著者
藤田 英典
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
日本教育学会大會研究発表要項
巻号頁・発行日
vol.68, pp.78-79, 2009-08-12

バブル経済期以降のアパシー的な文化社会状況と新自由主義的な教育制度改革及び最近の経済不況などが重なる中で、子どもの生活・学習環境と教育機会の劣化・格差化が進んでいる。本報告では、(1)その問題状況を幾つかのデータで確認し、(2)近年の教育改革の特徴・問題性について教育の公共性と私事性、教育における自由権と社会権、及び国家・社会の責任を中心に検討し、(3)ソーシャル・キャピタルとしての公教育への信頼・協働の回復・促進と学びの共生空間の確保・充実の可能性について検討する。
著者
山田 浩之
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.453-465, 2013-12-30

教員政策や教員養成制度の改革は教員に対する不信と批判、とくに「教員の資質低下」を前提に実施されてきた。しかし「教員の資質低下」は恣意的に用いられ、客観的資料によって十分に検証されていない。本稿では教員の不祥事の統計などにより資質低下の根拠が希薄であることを指摘する。さらに教員による養成制度や職場環境の評価を明らかにし、教育政策が教員の魅力を低下させ、それが資質の低下をもたらす可能性を検討する。
著者
山下 絢
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.322-332, 2013-09-30

本研究は、相対的年齢効果が生み出されるメカニズムに着目し、子どもの生まれ月と親の階層(社会経済的地位)や教育へのかかわり方との関係を、国内の全国規模データに基づき、定量的に明らかにするものである。分析の結果、母親が教育費の支出に積極的な場合に、その子どもが早生まれではない傾向が確認された。さらに通塾率に基づく地域区分から見た場合、通塾率が平均よりも高い地域において、同様の傾向が確認された。
著者
石戸 教嗣
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.346-357, 2010-12-27

本稿は、多様に並立している教育諸原理を格差社会の文脈と関連づけることによって「教育」概念の再検討を行う。教育原理の並立は、労働の分化に対応する教育システムの自己調整活動としてとらえ直すことができる。格差=排除の現状は、単にアンダークラスを教育の対象層としているだけでなく、労働力の余剰の結果として、すべての市民の再教育の可能性を潜在的に示している。同時に、機能分化社会は、一般的な価値を志向するこれまでの「共通教育」を、「うまくいっていない」社会的事象について学ぶ「接合の教育」に転換することを求めている。
著者
木村 浩則
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.171-179, 1997-06-30

This paper sets out to clarify how educational relationships are understood in Niklas Luhmann's system theory. In this connection, special attention has to be paid to how Luhmann modified his theory. In his early works, Luhmann set up a thesis saying that "the educator is not the teacher as an individual but the interactive process called a lesson". In other words, education is not a matter of individual teachers but of educational relationships themselves. The teacher's approach is therefore understood not as a one-sided "intervention" directed at the student but as "interpenetration" between the education system and the personal system. However, if we conceive of education as "interpenetration", it became impossible to distinguish between socialization and intentional education. In this situation, following the introduction of the concept of "autopoiesis" in the 1980s, it became possible to distinguish between interpenetration as socialization and education as a communication system. Then, understanding in a lesson signifies understanding mediated by understanding of the communication system. That is to say, the student's understanding is made possible not by understanding the educator as an individual but by understanding the communication system constructed by the student and the educator. According to Luhmann's theory, the mechanism of education is uncertain simply because of the involvement of a psychic system as an autopoiesis system. However, education becomes possible at the point when a psychic system participates actively in the education system. That said, the education system will always be a problematical system. Because it cannot depend on the inner aspect or personality of an individual, it becomes routinized and differentiates people according to whether it grasps them or not. Or it may cause an unintended educational effect as a "hidden curriculum".
著者
福田 誠治
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.192-203, 2008-06

教育政策は、国を越えた活動主体によって規定される時代に入った。生涯学習は、個人の自立を目指し、国民形成から個人の能力育成へと教育目的を変えるように促すが、同時にまた、グローバルな教育産業の活動領域を整備し、教育界を能力争奪の経済的・政治的な舞台に変えることも意味している。今日すでに、高等教育は、このように国家利益を越える段階に入っている。あるいはまた、国際的な教育指標の確定、とりわけ国際学力調査は、競技場(アリーナ)を国際化するので、国の教育政策に少なからぬ影響を及ぼすようになってきている。技術革新や世界的な産業構造の変化は、伝統的・固定的な職業専門性の育成という教育システムを崩しつつあり、知識量や技能の正確さ・スピードという学力規定は考える力や学び続ける力へと重心を移さざるを得なくなっている。多文化・多民族・多言語の共存・協調へと向かうEUは、OECDを舞台にして教育制度・教育理念を組み替えつつあり、日本もこれと無縁ではない。