著者
小野 雅章
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.306-314, 1999-09

この論文の目的は、宮崎県祖国振興隊の活動と集団勤労作業とが密接な関係にあることを明らかにすることにある。 この論文は三つの観点から考察を加えている。まず、第一点は宮崎県における国民精神総動員と祖国振興隊設置との影響関係である。県知事の強い主導で設置されたこの組織は、宮崎県における国民精神総動員を具体化するものであった。そしてそれは、中等学校を中心に組織されたものであり、宮崎県下のほとんどの中等学校がこれを組織していた。この組織の活動の中心は作業であり、その中にある教育的価値が重要であることが、当局において認識されていた。 第二点は祖国振興隊運動が各府県・国の政策に与えた影響についてである。この運動は、広く全国に知れ渡った。そのため、政府や多くの府県から祖国振興隊の活動についての視察があった。そればかりでなく、1938年3月24日には衆議院が政府に対して、宮崎県のこの運動を国家の政策として採用するように建議を行った。そのため、これに類するような運動がいくつかの府県で採用されるようになったのである。 第三点は、府県のレベルで現れたこの運動に類したものの検討である。ここでは、神奈川県、石川県、三重県などの例を紹介した。こうしたことから、1938年6月9日の集団勤労作業運動に関する文部次官通牒は、宮崎県やその他の府県で実践していた様々な集団勤労作業の運動の大綱を示したものであることを明らかにした。
著者
吉田 文
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.164-175, 2014

&emsp;本論文は、「グローバル人材の育成」をめぐる諸アクターの行動を分析し、グローバル人材を論じつつも、それがローカルな視点に立脚するものであるかを明らかにする。<br>&emsp;分析の結果、1.2000年代に入り産業界は海外勤務従業員の育成を課題としてグローバル人材を論じはじめ、2.2000年代後半には、それが大学の課題となり、3.文科省は競争的資金で大学を誘導し、4.大学は海外留学と実践的な英語教育に力を入れ、5.小規模大学もグローバルを鍵とした学部・学科の改編を実施していることが明らかになり、これらが時間的にも空間的にもローカルな閉じた議論であることを指摘した。
著者
小野 雅章
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.542-553, 2007-12

本稿は、1935年の天皇機関説事件を契機に近代天皇制と教育との関係に大きな質的転換があったことを、御真影と学校儀式の取り扱いを検討する中で明らかにしようとするものである。具体的には、国立公文書館所蔵の文部省関係資料を再検討するとともに、筆者が調査した府県庁文書をその検討の対象に加え、(1)昭和天皇・皇后御真影下付手続きに関する諸事項とそのとき発覚した御真影汚損の実態とそれに対する府県レベルでの対応、(2)上述の事態を深刻に受け止めた文部省が各府県に係官を派遣し「御真影奉安状況視察」を実施し「奉護」形態状況把握に努め、その上で「行政指導」とでもいう形で御真影「奉護」規程の「統一化」を図ったこと、(3)さらに、1936年以降の文部省は、神社様式奉安殿の普及に努めると共に、「強制」下付という形で高等教育機関から初等教育機関すべてを対象に御真影の「強制」下付を実施するのと同時に、四大節学校儀式挙行を通牒で強制的に推進したことを明らかにした。
著者
八鍬 友広
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.524-535, 2003-12-30

How many people could read and write in Tokugawa Japan? This is the main topic for this paper. Actually it's very difficult to calculate the number of people who could read and write in Tokugawa Japan. Because there are no documents like marriage certificates with signatures, as most research on popular literacy in western society usually include. But we can glean fragmentary information about popular literacy by following historical sources: (1) the surveys on the rate of people who could write their own names in the Meiji period, (2) the "Monjincho", attendance books of "Terakoya", and (3) the historical materials with "Kao", special signature in medieval and early Tokugawa Japan. (1) There were several surveys on the rate of people who were above six years old and could write their own names during 1877-1889. Results of those surveys of Shiga, Gunma, Aomori, Kagoshima and Okayama prefectures were listed on "Monbusho Nenpo", annual report of Japanese Ministry of Education. Those surveys show that about 90% of men in Shiga could write their names, but on the other hand 33% of men and only 4% of women in Kagoshima could write their own names. The 1879 survey of Kuga County, one of the counties of Yamaguchi Prefecture, on the rate of people who could write their names is important. It covered 122 villages and towns, 88 school districts and a population of approximately 135,000. The literacy rate, the rate of people who could write their own names for the total population, was 36.3%(men 55%, women 16.5%). The literacy of men of every district ranged from 19.3% to 98.3% and women from 0% to 68.5%. Literacy rate has minus correlation with the rate of agriculture population (r= -0.66), and has plus correlation with the rate of commerce and manufacture population (r=0.65). (2) The "Monjincho" of "Jishuusai juku" in Omi and "Isobe Juku" m Echigo show how many people of those regions were enrolled for Terakoya. According to Jun Shibata, 91% of Kitanosho village people were enrolled for "Jishusai juku" in 19 Century. Through the case of "Isobe juku" we can see the situation in the 18th Century In Komachi one of the towns of Murakami city, 64% of the households had their children, at least one child, enroll for "Isobe juku" in the middle of the 18th Century. (3) In medieval and early Tokugawa period there were some documents with "Kao", special signature. To sign "Kao" practice in writing was required. Those who could not sign "Kao" marked a circle by stem of the brush. Therefore we can know the literacy through these documents. According to Masanobu Kimura, about 80% of the present head of the family could sign "Kao" in the first half of the 17th Century. We can conclude that partial literacy has already been considerably high even in early Tokugawa period, and a major difference of literacy between men and women existed, which deeply depended on the region even in early Meiji era.
著者
渡邉 雅子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.176-186, 2014-06-30

本稿は「国際標準のカリキュラム」を謳う国際バカロレア(IB)を例に、グローバル化で理想とされる教育内容とその受容の形態及びIB導入がもたらす公教育への影響を分析する。IBの教育内容は近代型の学校知とは一線を画しており、世界的な知の二極化の象徴になっている。その受容形態は国により様々だが、日本はIBを通して既存の教育内容を再評価しつつ組替えており、ナショナルな教育との融合の可能性を示唆している。
著者
仲田 康一
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.450-462, 2011-12

保護者に対し学校に協力する特定の行動を求め、同意の上署名をして提出する「確認書」実践を行う学校運営協議会に着目し、その取組を実現させた論理と帰結を実証的に検討した。その結果導出されたのは、学校選択制下で、学力という成果を求める学校運営協議会が、地域の社会関係を介して保護者に対する問責を生じさせ、保護者を統治する様であった。保護者は然るべき行動を取ることができない場合があるが、それは社会的要因の制約による部分があるにもかかわらず、それへの顧慮は剥ぎ取られたままであった。
著者
桑田 直子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.121-130, 1998-06-30

本研究は、戦前期裁縫科が経験した変化について、成田順の洋裁教育論に焦点を当てて解明することを課題としている。洋裁教育は人々の日常の衣生活と深い関わりを持っている。しかしながら、先行研究は人々の衣服に関する社会経済的背景についてこれまで看過してきた。本研究は裁縫教育を取り巻くさまざまな社会的局面を検討の視野に入れることとする。こうしたアプローチは、裁縫教育における性別役割イデオロギーを批判するためにも有効な方法であると考える。 1923年の関東大震災後、和服の機能性欠如が叫ばれ、都市部の女性を中心に市民洋装が開始された。この変化のなかで、高等女学校裁縫科はある危機に直面する。それまでの裁縫科においては、和裁の技術教育がその中心であった。しかし和裁教授だけでは、すでに洋装生活を経験している生徒達の要求に応えることができなくなりつつあった。すなわち裁縫科は変革の必要性に迫られたのである。1926年、成田は文部省の辞令を受けてイギリスに留学する。そこで彼女は第一次世界大戦後に普及した新しいスタイルの洋裁技術を習得し、帰国後は洋裁教育の推進に着手する。彼女の普及活動によって、1930年代の半ばまでに洋裁教育は裁縫科の中で重要な位置を占めるようになる。 1930年代に入ると都市部における洋装化は一層の進行をみせ、徐々にではあるが既成服産業が興ってきた。それによって衣生活に関わる産業構造そのものが変化をはじめたのである。それまで自家縫製によって衣服を調達していた女性達は、自ら縫うことをやめ、既成服を購入し始めた。 裁縫教育関係者の中にはこうした変化にいちはやく気づき、今後の裁縫科は裁縫技術だけではなく衣生活の諸相に関する統合的知識を教授すべきであると主張するものもいた。 しかし成田はこうした考えには同意を示さなかった。それどころか、この時期彼女はそれまで熱心に推奨していた洋装化に対しても、派手な、不釣り合いな洋装女性をまのあたりにするようになって、その支持を控えるような発言さえしている。彼女は、いくら既成服の購入が便利になったとしても、女性はすべからく家族の衣服を自ら縫うべきであると考えていた。彼女は裁縫を、女性にとって本質的に必要な技術とみなしていたのである。こうした視点は、基本的に洋装化に反対していた和裁技術の裁縫教育家とあい通じるものであった。すなわち成田は和裁であろうと洋裁であろうと、裁縫の「技術」としての側面に執着していたのである。 産業構造の変化にも関わらず、戦前期の裁縫科の教育内容は結局技術教授中心のものにとどまりつづけた。総力戦体制下に突入し、モノ不足から新たな衣服の購入が難しくなり、古着のリサイクルのために裁縫技術が必要とされるたである。こうしたこともあって結果的に成田の裁縫科のあり方についての枠組みは、旧学制下において力を持ち続けたのである。 第二次世界大戦後、裁縫科は家庭科の一分野に収縮し、授業時数は削減された。しかしこうした「裁縫科の凋落」は、戦後期になって唐突に開始されたものとはいえない。その兆候は、戦前期、衣生活にまつわる産業構造の変化が始まったときにすでにあらわれていたからである。
著者
高田 一宏
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.180-191, 2008-06-30

教育をめぐる社会的不平等の克服をめざして、同和教育は学力保障の実践を積み重ねてきた。しかし、近年の調査によると、同和地区の子どもの学力低下は著しく、地区内外の学力格差は拡大する傾向にある。この論文では、先行研究を参照しつつ、同和地区の子どもの低学力要因と諸要因の関連構造を示した。さらに、学力保障の展望を探るべく、学校と家庭・地域の連携から生み出される社会関係資本の意義について述べた。同和地区の子どもの低学力は、不平等な機会構造、同和地区の下位文化と学校文化の不連続性、学校による下位文化の「再創造」、同和地区人口の流出入と若年層における就労の不安定化、消費社会化といった要因が複合的に作用した結果だと考えられる。地区の子どもの低学力問題の克服は容易ではないが、「効果のある学校」においては、学校・家庭・地域の信頼・協力関係が、学校内外の文化変容と取り組みの相乗効果をもたらしている。
著者
松下 佳代
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.150-163, 2014-06-30

本稿の目的は、OECD-PISAのリテラシー概念がどのような性格をもち、参加国の教育政策にどのような影響を与えているのかを検討することを通じて、PISAリテラシーを「飼いならす」(Hacking, 1990)こと、すなわち、その影響をコントロール可能なものにすることにある。本稿ではまず、PISAが、マグネット経済や機械との競争というロジックに支えられながら、教育指標としての規範性を強め、国家間の比較と政策借用を通じて教育改革を促す道具になっていることを明らかにした。さらに、1950年代以降のリテラシーの概念史の中に位置づけることによって、PISAリテラシーが<内容的知識やポリティクスの視点を捨象し、グローバルに共通すると仮想された機能的リテラシー>という性格をもつことを浮きぼりにした。ナショナルなレベルでの教育内容の編成にあたっては、捨象されたこれらの部分を取り戻し、能力と知識の関係を再構成する必要がある。
著者
林 明子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.13-24, 2012-03-30

本稿の目的は、経済的に不利な状況におかれている家庭の子どもたちが日常生活と進路選択をどのように経験しているのかを解明し、なぜ彼/彼女らが相対的に低位の進路にたどり着くのかに迫ることにある。ライフストーリーに着目し分析をおこなったところ、子どもたちは家庭の困難により学校では周辺的な位置におかれる一方で、家庭がよりどころとなり「家庭への準拠」を強めていた。その帰結として、子どもたちは低位の進路を選択することになったのである。
著者
川口 俊明
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.386-397, 2011-12-29

本稿の目的は、教育学における混合研究法の可能性について検討することである。混合研究法(Mixed Methods Research: MMR)とは、量的調査と質的調査を組みあわせる研究法のことである。日本でも混合研究法に注目する研究者は増えているが、どのように量的調査と質的調査を組みあわせるか、どのように混合研究法を使った研究を評価するか等の議論がほとんどない。本稿では、教育学における混合研究法の主要な論点・利点・今後の方向性を提示する。
著者
小針 誠
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.422-434, 2004-12-30

This research based on a questionnaire survey of 604 mothers discusses different social classes of parents who choose the national or private elementary school for their children in the metropolitan area. According to the results of this survey, the following trends appear to be evident. Parents who choose private schools are likely to hold highly respected occupations with higher incomes. They are about five years older than the regular parents of the kindergarteners. Those fathers who meet the requirements for the elementary school entrance examination are from the age group of around 35 years old or older and are in the administrative position in their companies. On the other hand, mothers that have made the choice of not having more than one child was because they are already too old to give birth. Moreover, many of those mothers with much cultural capital, helped their children's successful performance at the entrance examination. This, in fact, contributes to the cultural reproduction of social classes. As a result of these factors, the parents succeed increating a luxurious educational environment where they invest economic capital and cultural capital in "only one child".
著者
橋本 萌
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.26-38, 2013-03-31
被引用文献数
1

本稿は日本の戦前期に活性化する小学校児童の伊勢参宮旅行(以下、参宮旅行)の普及の要因を1930年代の東京府(東京市)の動向に焦点をあてて明らかにするものである。東京府の参宮旅行の拡大は、区会による補助や鉄道運賃割引を求めて教育会が行った運動が要因として挙げられる。教育会による運動に応じて鉄道省は伊勢神宮参拝を含む小学生の旅行に対してのみ参加人員の2割を無賃とする制度を成立させる。東京市では、割引率が決定した後も全児童を対象とした特別な運賃割引制度実現へ努力を継続していた。
著者
加藤 忠史
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.152-161, 2007-06
被引用文献数
2

昨今、「脳を鍛える」がブームになっている。これは、音読・計算が脳を「活性化」させるとのデータに基づいている。しかし、「活性化」という言葉の実態は、単に血流増加を示し、ストレスや痛みでも脳は「活性化」するのであるから、「活性化」=プラス効果、という判断は問題がある。グルタミン酸による神経の「興奮」という生理学用語に価値判断を持ち込み、ご飯にグルタミン酸をふりかけることが流行ったという過去に学ぶべきであろう。計算中の脳血流増加には、計算そのものの他に、注意、情動、ストレスなどの多様な要因が関与する点も注意を要する。また、どのようなゲームでも練習すると上手になるが、その成績改善が認知機能全般の向上につながるかどうかは慎重に検討する必要がある。今後、脳科学からの問いかけに対し、教育界が沈黙することなく、議論を進めていくことに期待したい。
著者
丸山 恭司
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.111-119, 2000-03

<他者>あるいは他者性は現代思想のみならず、教育研究においても重要な概念である。この概念に着目することによって、抑圧された人々を不当に扱うことを避けることができる。研究者は<他者>承認の可能性を問うてきた。しかしながら、教える者と学習者の教育的関係は他の人間関係とは異なっているため、<他者>の一般概念を教育の文脈に応用するとき、誤謬が生じることになる。しかし、一方で、教育的関係において<他者>が何を意味するかは決して明確ではない。よって、本論の目的は、教育的関係に現れる<他者>の特性を明らかにし、学習者の他者性を問うことの意味を探ることである。第1節では、まず「他者」概念と他者問題の歴史を概観したうえで、現代思想において問われる<他者>と教育関係における<他者>の相違が考察される。<他者>をめぐる現代の思想家の関心は哲学的であると同時に論理的-政治的なものである。それは、抑圧された人々の解放である。一方、教育的関係において<他者>は必ずしも抑圧されているわけではない。抑圧と解放の図式に囚われてしまうと、教育的関係において現れる<他者>の特性を見落としてしまいやすい。教育的関係において学習者の他者性がいかに現れ、消滅するのかを明らかにするために、第二節では、ヘーゲルとウィトゲンシュタインの他者論を比較する。ヘーゲルの他者概念ではなく、ウィトゲンシュタインの他者概念によって教育的関係における<他者>の特性が説明されることが示される。ヘーゲルおよびその継承者は主人と奴隷の関係が逆転する主奴の弁証法に関心があり、自己意識は初めから承認を求めて闘争する者として描かれている。一方、ウィトゲンシュタインは、<他者>を戦士としても、被抑圧者としても描かない。彼は教育的関係における<他者>の文法的特性に明らかにする。学習者の他者性はその技術と知識の欠如ゆえに言語ゲームの進行を妨げる者として現れ、実践ないし生活形式における一致のうちに解消されるけれども、また顕在するかもしれないものなのである。教育的関係において<他者>を承認する可能性を探るために、学習者の他者性を問うことの意味が、最後に明らかにされる。ウィトゲンシュタインの議論は教育の概念を制限づける。教育は学習者の心性を制御することでも彼らを放置することでもありえない。それは実践における一致として終了する。教育はユートピアを実現するための手段ではなく、われわれは学習者の潜在的な他者性を引き受けるねばならないのである。
著者
岩田 一正
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.417-426, 1997-12-30

本論文は, 義務教育制度がその内実をほぼ完備し, 地域共同体が再編成されつつあった明治後期に, 少年たちが, 書字文化を媒介とした固有名の個人が集う公共圏をどのように構築していたのかを検討することを目的としている. 少年たちが雑誌への投稿者として共同性を構成する過程は, 自らを言葉を綴る主体として保つ近代に特有な方法を, 我々に開示してくれるだろう. 本論文が史料とするのは, 当時最も読まれていた少年雑誌であり, 明治後期の「出版王国」博文館によって発行されていた『少年世界』である. 『少年世界』に掲載された投稿文の分析を通して, 三つの観点が示されることになる. 第一に,1903年頃に『少年世界』の主筆である巌谷小波によって提示された言文一致体は, 天真爛漫な「少年」という概念を創出した. さらに, 『少年世界』編集部は投稿作文欄の規定を改正し, 少年たちは言文一致体で投稿するように要請された. その結果, 煩悶する「青年」と天真欄漫な「少年」が差異化され, 『少年世界』は後者のための雑誌となった. 第二に, 『少年世界』は, 少年に固有名をともなった他者とのコミュニケーションの場を提供した. しかし, その場は, 抽象的で均質な時空によって構成されていた. それゆえ, 少年たちは地域共同体からの切断に由来する, いまだかつて経験したことのない孤独を感じることになった. しかしながら, 投稿欄を利用することによって, その孤独を補償し, 他者との交歓=交感を享受するために, 少年たちは誰かに向かって何かを書こうとする欲望を生み出し, ある場合には, 同好のコミュニケーション・ネットワークを形成したのである. そして, この文脈において, 言文一致体は適合的な文体であった. なぜなら, 言文一致体は, 少年に見えざる他者の声を想像させることができるからである. また, 当時は, 国家的な郵便制度が確立したことによって, 文通によるコミュニケーションの制度的な基盤が整備された時期であった. 第三に, 少年たちは, 自らの手で雑誌を出版するようになった. ここで注目に値するのは, 活字で構成される一般の雑誌とは異なり, 少年が制作した雑誌は, 肉筆やこんにゃく版, 謄写版によって作られており, 手作りの感触を残していることである. 少年の雑誌制作は, 大正期以降の同人雑誌文化の基層を形成するものであり, この同人雑誌文化から, 数多くの文学作品が創出されることになる.
著者
上田 誠二
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.13-27, 2007-03

本稿は、大衆文化の教育化という問題を、昭和戦前期における中山晋平作曲の流行歌=「晋平節」=晋平流の四七抜き五音短音階(ラ・シ・ド・ミ・ファ)の曲を素材に考察した。これまで日本教育史研究で音楽といえば唱歌であり、多くの蓄積がある。唱歌が創出する「日本」や「国家」という風景=学校的知識=学校文化を国民統合の装置として論じてきた従来の研究に対して本稿は、晋平節という大衆文化の教育化過程から、実はそうした学校文化が充分に機能していなかったことを示唆した。音楽の領域では、学校文化は大衆文化の人気に圧倒され、その担い手である音楽教師は機能不全の危機感に苛まれていたのである。そうした状況下に教育化した晋平節は、国策から学校文化の手の届かない部分の国民化を担わされたに過ぎなかった。本来晋平が構想していた、日常に疲れた大衆が晋平節を通し自然に明日への活力を得る、という教育の可能性は、戦前期社会教育の文脈では実現していない。