著者
近藤 孝弘
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.187-199, 2014-06-30

歴史教育を論じる際に、国民国家とグローバリゼーションを対立的にのみ捉えるのは不適切である。前者は後者を軸に展開した近代史の中で発展を遂げたのであり、歴史教育には既に両者間の緊張を含む深い結びつきが刻印されている。世界の変容を踏まえ、従来の形に修正を重ねつつ民主国家を担う政治的市民を育成するという課題に取り組んできたドイツの例は、歴史教育の課題について長期的視野から再考する必要性を訴えている。
著者
竹中 暉雄
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.344-352, 2000-09-30

ここに紹介するのは、その存在が確実視されながら未だ確認できていなかった、E・ハウスクネヒト(Emil Hausknecht, 1853〜1927)作成の中学校教員の資格と国家試験に関する勅令案である。それは、東京帝国大学の外国人教師であった(1887年〜1890年)ハウスクネヒトが品川弥二郎に送った書簡の中で、「江木千之と一緒に作成した勅令案であり、すぐにでも実現して欲しい」と訴えていたものである。彼はドイツにおけると同様に、中学校教員は大学卒業者に対して2度の国家試験を課して選抜し、その地位と経済的待遇とを高める必要性を折に触れ主張していた。しかしこの勅令案では、その一番重要な点において妥協がなされている。それでもすでに存在していた日本の中等学校教員検定制度と比べると、かなり多くの相違点が存在していた。だからこそそれを日本政府に提案する意義があったのである。勅令案には、非妥協の点もあった。重要な点は2点あり、その1点目は、ドイツ流に学術上の検定と実務上の検定とをする2段階検定制を採用することであり、2点目は、予備学として全志願者に教育学・教授学を課すことである。この後者のことは、ヘルバルト主義者としては譲れない点であった。けっきょく勅令案は採用されることなく、ハウスクネヒトは失意のうちに帰国していった。けれどもその後、勅令案に含まれていた事項の多くは、検定制度改革のつど、実現されていった。ハウスクネヒトの主張でついに実現されることがなかったのは、実務の検定と複合科目試験制、上級教員称号制のみであった。しかし、実現されたといっても、それがはたして勅令案の影響によるものであったかどうか、それを肯定あるいは否定する証拠は現在のところまだない。新たな史料の発掘が残された課題である。
著者
西平 直
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.395-405, 1999-12

本論は、「精神世界」という知の枠組み(日本におけるニューエイジ潮流)を検討したものである。1980年代以来、この潮流は、物質中心主義の既成の学問体系(アカデミズム)に対する代案として、成立してきた。 この潮流をオカルト主義とだけ理解してはならない。むしろ、それは、地球の危機と近代文明の限界を痛感した人々によって,自然発生的に求められた新たな世界観(コスモロジー)であり、その特徴は、エコロジカル・ホリスティック・コスモロジカル・トランスパーソナル・スピリチュアルといった形容詞によって示される。アカデミズムは、こうした大衆的潮流といかに関わるべきなのであろうか。 まず、三つの鍵概念が検討される。1「こころ」心理学的、精神的、宗教的な領域の複合態。2「からだ」物質としての肉体ではなく、私たちがそれとして生きている身体。3「いのち」個人の生命ではなく、むしろ、生きとし生けるものの命であり、地球生命体の命である。こうした鍵概念は、近代の物質中心主義的還元主義に対する代案としての意味を持っている。 続いて、二つの理論が検討される。1ホリスッティック教育。2トランスパーソナル心理学。どちらも、既成のアカデミズムと対話の可能性を秘めた理論である。 こうした考察の後、本論は、この潮流の問題点を以下のように捉えた。1、この潮流は今後とも拡大し続け、とりわけ、環境問題に心を痛め、近代科学に限界を感じる人々によって支持されるであろう。2、しかし、そのロマン主義的傾向から、この潮流は大衆受けするエンタテインメントに成り下がる危険性を持つ。3、それを避けるためには、既成のアカデミズムとの対話が必要である。4、アカデミズムの側からの共感的かつ批判的な対応が求められている。それは、単にサブカルチャーであるこの潮流のためではなく、アカデミズムが脱近代社会における人々の必要と結びつくためにも、大切なことである。
著者
山住 勝広 龍崎 忠 島田 希
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
日本教育学会大會研究発表要項
巻号頁・発行日
vol.62, 2003-08-20

ポスト産業主義への激烈な社会変化は産業化の時代に確立した教育と学習の社会システムの根本的な見直しをせまっている。ヴィゴツキーとデューイは、共に近代化の激動期にあって、その後に支配的になっていった教育と学習の組織形態とはちがった構想を練り上げた。あまり知られてはいないが、ヴィゴツキーの学習と発達の理論は見事に20世紀初頭の新教育運動に呼応している。それはデューイの新しい学校の構想、すなわち'an embryonic typical community life'ととての学校のヴィジョンと完全に共振する。両者は、その後の大量生産型教育システムとはまったくちがった学校モデルを私たちに提起しているが、それはポストモダン的な価値多元論や脱構築主義とも一線を画している。むしろ二人は、諸個人の社会的知性がそこにおいて成長し、かつ逆にその社会的知性がつくりだしていく新しいコミュニティとして、学校の社会統合的な可能性を称揚する。私たちは、いまこそヴィゴツキーでありデューイであるとの考えから、諸個人の自立的連帯をキーとするカリキュラムと教育方法の活動理論的研究を展望することにしたい。
著者
広川 由子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.297-309, 2014-09-30

本稿は、占領期日本における英語教育構想を新制中学校の外国語科の成立過程に焦点を当てながら明らかにすることを目的とする。占領初期の米国国務省案は、民主的な教育制度の確立要件として英語教育とその大衆化を掲げた。これがSFEの勧告となり、それをCI&Eが具体化したことによって新制中学校に外国語科が導入された。一方、文部省は導入に消極的な姿勢を示しており、導入を決定づけた英語教育構想は、米国政府から提出されたものだったと指摘できる。
著者
松本 金寿
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
日本教育学会大會研究発表要項
巻号頁・発行日
vol.22, pp.169-170, 1963-08-27
著者
石戸 教嗣
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.185-194, 313, 1, 2002-06-25

今日の学校における公共性の錯綜した状況は、ポスト福祉国家のあり方をめぐって、保守主義対リベラリズム、ネオリベラリズム対ラジカル・デモクラシーという枠において論じられてきた。また、最近ではグローバル化した社会と文化多元主義という観点からのとらえ直しもなされている。本論では、まず学校の公共性をめぐる各種の具体的な問題を問題群I〜IIIの3つの群に整理し、それらの3つの問題群をこれまでの公共性論と関連づけて考察した。問題群皿として取り上げられるのは、コミュニケーション能力を十分に持たない、特殊なニーズを抱える子どもたちのそれである。アレントは先駆的にこの問題に光を当てていた。アレントは彼女自身の体験から「見捨てられた境遇」の人々について注意を払っていたが、そのような存在から脱却した英雄的市民から成る公共圏のイメージにとらわれ、両者を統一する理論を提起できなかった。この理論的課題に答える上で、本論ではルーマンのシステム論における「組み入れと排除」の概念、および「尊厳」概念に注目した。ルーマンはシステム化した機能主義社会においてはシステムにいながらにして排除される可能性があることを指摘する。排除された者は自己の尊厳を守るために、関わりをもつ社会的状況から退出し、ますます尊厳を失うことになる。このような悪循環から脱却するためにはその問題に「世論」が注目し、「人物」として関心をもつことがまず求められる。このようにして、本論では、「公共性」を自己表出の可能性およびその回復のプロセスとしてとらえた。
著者
橋本 美保
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.309-321, 2009-09-30

明石女子師範学校附属小学校の主事及川平治の生活単元論は、主として米国の経験単元の原型ともいえる「作業単元」と、欧州の発生心理学者が提唱した「興味の中心」理論の影響を受けて形成された。特に子どもの成長を発生学的に捉えるフェリエールやドクロリーの生活教育論は、及川の「生活」概念に変化をもたらした。及川は1934年頃までに、スコープとシークエンスを設定する単元の構成原理や、プロジェクト・メソッドによる単元の展開方法を構想しており、そこには彼自身の単元論の形成と戦後の生活単元学習の萌芽が認められる。