著者
中嶋 哲彦
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.157-168[含 英語文要旨], 2008-06

本稿の目的は、全国学力テストの教育行政制度上の意味を明らかにし、北海道学テ裁判最高裁判決(1976年)に照らしてその実施の適法性を検討することにある。競争意識涵養による学力向上効果やテスト結果の指導資料としての活用などが強調され、全国学力テスト実施への国民的合意が調達されている。しかし、同テストはその実施要領にも明記されているとおり、各学校の教育成果や各地方教育委員会の教育施策を国家基準に則って検証評価することを本来の目的とするものであり、文部科学省が構築しつつある義務教育の国家管理システムの一部を構成している。他方、全国学力テストは現行教育法制上形式的には文部科学省による行政調査と位置づけるほかないが、最高裁学テ判決の判断基準に則ってその実施目的を検討するに、全国学力テストは法認された調査の範囲を逸脱し、教育の地方自治と学校自治を制約する違法な行政行為であると判断される。
著者
沖 清豪
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.397-405, 2000-12-30

本論分の目的は、教育におけるアカウンタビリティの定義を明確化すること、およびアカウンタビリティの視点からイギリスの公教育における執行型エージェンシーと非省庁型公共機関の機能と課題を明らかにすることにある。1)教育におけるアカウンタビリティの定義は文脈によって多様である。アカウンタビリティは単に行動を説明することだけではなく、目的を達成することをも意味している。しかし日本において前者は考慮されるが後者は無視されがちである。教育におけるアカウンタビリティには公的統制モデル、専門職的モデル、市場統制モデルの三つのモデルが存在している。公的統制モデルでは、学校は公的資金を適切に使用することが求められ、専門職的モデルでは専門職は自らの行動を自律的に説明しなければならない。市場統制モデルでは、学校や大学は親や学生の選択の圧力に直面することになる。2)イギリスにおける執行型エージェンシーは「オープン・ガバメント」と呼ばれる公共サービスの執行の現代化を進めるために政府や省庁大臣から独立した経営組織である。エージェンシーの構造は相当に多様であり、ネクスト・ステップ・リポートと呼ばれる年次報告書がアカウンタビリティ遂行のために刊行され手いる。教育雇用省はこのエージェンシーとして雇用サービスしか有しておらず、教育の領域ではこうした組織は存在しない。また、イギリスの公立大学は歴史的に勅許状によって法人の地位を得てきたのであって、教育雇用省の執行機能を有しておらず、従ってエージェンシーではない。3)かつてQUANGOと呼ばれた非省庁型公共機関(NDPB)は、政府の省庁ではなく、各大臣から独立した形で帰納している公共組織である。政府と省庁はNDPBに自らの機能の一部を委譲している。QUANGOはアカウンタビリティを果たしていないことで批判されてきたので、NDPBは年次報告書を刊行する責任を有している。NDPBは四種類に分類される。執行型NDPBは政府と省庁の広範な経営的執行機能を実行している。この中にはBECTA, HEFCE, QCA, TTAが含まれる。これらの執行NDPBは初等教育から高等・継続教育段階まで、教員養成から教育課程設計までと多様な機能や目標を有している。助言型NDPBは大臣に独立した専門的助言を提供しており、教育雇用省のためには7機関が存在している。調停型NDPBは擬似的裁判機能を有しており登録視学官調停審議会とSENTが含まれる。教育雇用省と関係のある訪問ボードは存在しない。4)近年、高等教育と教員養成において二つの独立した機関が創設されている。QAAは高等教育における教育の質を改善するために同僚評価によって自律的に教育評価を実地する。GTCは自己規律的専門組織と自らを規定しており、教育養成政策についてDFEEに助言を行う。こうした自律的機関はイギリスの公教育策に新しい展望を提供しうる物である。
著者
田中 耕治
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.146-156, 2008-06-30
被引用文献数
1

PISAに刺激されて作問された「全国学力・学習状況調査」には、明らかに最近の欧米で注目されている「真正の評価」論が影響を及ぼしている。「真正の評価」論とは、「質」と「参加」に着目する新しい教育評価の考え方である。その「質」に対応するパフォーマンス評価が、学力調査において採用された時に、硬直化や形骸化の危機に直面する。本論では、学力調査におけるパフォーマンス評価のあり方を考究するとともに、その隘路の突破口として「参加」に裏づけられた「結果妥当性」「公正性」「モデレーション」を検討した。
著者
恒吉 僚子
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.417-426, 2000-12-30

本稿は「最後の手段」ともしばしば呼ばれる、リコンステイテューションを用いた改革を、メリーランド州、プリンス・ジョージズ郡、A小学校の事例を切り口に検討している。リコンステイテューションとは企業モデル的発想に基づき、「破産」、つまり、恒常的な学力不振に悩まされるとされる学校の教職員の入れ換えを軸とした改革である。測定できる指標をもとにしたアカウンタビリティを重視し、市場競争に依拠した教育改革は多くの国(米国や日本も含み)で一つの流れとなっている。プリンス・ジョージズ郡で展開された本稿で取り上げる改革方式は、成功の指標としてテストの結果を重視する。本稿では、プリンス・ジョージズ郡のA校を取り上げ、リコンステイテューション実行の前後、一九九五年から二〇〇〇年にかけて、一から二週間単位の三回のインタビュー、観察調査のデータを分析している。焦点になっているA校は大多数がマイノリティの小学校であり、一九九七年五月にリコンステイテューションの対象になっている。教育長、郡のスタッフ、校長以下一部教職員のインタビューと学校観察が行われた。本稿は、前記郡におけるリコンステイテューションのプロセスを分析し、教育コンテクストにおいて、企業における大量レイオフを正当化する理論に類似した発想による教育員の入れ換えを批判的に取り上げる。さらに、本稿は前記懲罰的改革が示す、特定の学校、教師の守備範囲を超えた社会的条件による学力不振をも教育ヒエラルキーの底辺に位置する教師に責任転嫁する傾向、教育における対人関係的要素の軽視、市場競争力に欠ける学校の再建を市場原理に委ねる傾向も、批判的に分析している。
著者
小針 誠
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.450-461, 2000-12-30

本稿の目的は 1945年以前の東京・私立小学校が存続もしくは淘汰された要因を明らかにすることにある。本研究は私学財団法人(学校法人)内の学校間の威信を巡る力学に着目する。仮説は以下の通りである。私学財団法人の最上級学校の威信が上昇すればするほど、その附属小学校の入学者は増加し、さらにエスカレーター式に併設上級学校に進学しようとする傾向が強まる。私立中・高等教育機関の威信はチャーターリングに委ねられていた。チャーターリングとは卒業生のライフコースやそれに対する社会の承認であり、当該学校の卒業生が就職や婚姻といった社会における処遇、または、どんな学校に進学したかで決定される。私立中・高等教育機関の威信の上昇は、併設小学校の入学者の増加を齎し、さらに併設上級学校へのエスカレーター進学を制度化した。これは上級学校の併設私立小学校に対する「威信のトップ・ダウン効果」と呼ぶべき現象である。その結果、私学財団は初等教育機関と併設上級学校との間にエスカレーター進学システムを制度化し、一貫校として確立した。この一貫校の教育システムは主に子弟・子女に階級再生産の手段として高い学歴を望んだ新中間層を惹きつけた。この彼らのお陰で、戦前期には39あった私立小学校のうち、威信のある併設上級学校を有する私立小学校(19小学校)は存続し得たのであった。例えば、慶應義塾幼稚園舎、日本女子大学校附属豊明小学校、成城小学校、暁星小学校、東洋英和女学校小学部がそうである。これら存続し得た私立小学校と対比して、淘汰された私立小学校(16小学校)にほぼ共通した特徴は併設上級学校を持たない単一型の運営(13小学校)もしくは威信のない中・高等教育機関を併設していた点(3小学校)を挙げることが出来る。つまりこれらの学校は「威信のトップ・ダウン効果」を期待できない私立小学校であった。以上を踏まえると、私立小学校志向の保護者は併設上級学校にエスカレーター進学制度を利用して優先的に入学することを望んでいた。つまり、彼らが望ましいと思っていた教育戦略と存続し得た私立小学校のシステムとは合致し、それは特にエスカレーター教育制度を利用した学歴取得にあったと言えよう。
著者
岡 敬一郎
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.55-65, 2008-03

本稿は、2007年1月から12月までに発表された教育改革案、調査報告等を時系列に沿って整理したものである。2006年12月の改正教育基本法公布・施行後の一連の改革、さらには高等学校歴史教科書の検定をめぐる問題、全国学力・学習状況調査の実施など、2007年も耳目を集める多くのできごとがあった。これらも含め、可能な限り広範な事象を取り上げるよう努力したが、筆者の能力・関心などによって、事象の選択に偏りがあること、また事象ごとの記述に精粗の差があることをお断りしておきたい。
著者
荒井 英治郎
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.34-45[含 英語文要旨], 2008-03

現代日本の構造改革の要諦は、規制緩和を軸とした分権と選択であり、教育分野もその例外ではない。特に国・地方公共団体・学校法人といった従来の学校設置主体の枠組みを拡大し、公教育を担う教育主体に新たに民間組織(株式会社・NPO法人)を認める「教育の供給主体の多元化」は、公教育概念の変容や戦後形成された公教育制度の再編を迫るものである。本稿では、内閣府設置の諸会議や文科省の論理の相違、議論の争点、採用された政策手法に着目し政策過程分析を行った。「教育の供給主体の多元化」の政策過程では、従来所管庁で採用されてきた縦割り型の政策形成や中教審等を駆使した合意形成の慣行、「教育下位政府」内での議論よりも、内閣府の諸方針が優先されることとなり、内閣主導の「領域間調整」が行われた。中央省庁等改革以降の内閣機能の強化等の影響を受けて、中央政府における教育政策決定構造も例外なく変容を遂げていることを看取できる。
著者
西丸 良一
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.24-33, 2008-03

本研究は、国・私立中学校への進学が大学進学にどの程度、またはどのように影響しているのかを分析する。分析の結果、国・私立中学校のなかでも「中高一貫」を経ることは、大学入試難易度を上昇させる効果を示しており、「非中高一貫」は大学入試難易度を上昇させる効果を示していなかった。つまり、国・私立中学校への進学が大学入試難易度を上昇させるのではなく、中高一貫制である中学校への進学が大学入試難易度を上昇させるのである。こうした分析結果を踏まえると、近年、公立校でも実施が進みつつある中高一貫制は、私立校と公立校との学校間格差と同様に、公立校における中学校の学校間格差をもたらすことになるだろう。
著者
光本 滋
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.455-466, 2007-12

教育基本法(1947年)の下、研究・教育の自由の保障とボトムアップを基礎に築かれてきた戦後日本の大学統治は、その十全な展開を見ることなく、今日、"教育外"からの圧力による構造改革にさらされている。法人化により国公立大学の内部の統治はトップダウン型のマネジメントへと移行し、教授会の権限は縮小した。一方、予算配分の裁量権と評価権を手に入れた政府の統制力は拡大している。ここに、「改正」により教育基本法の法理が歪められたことは、社会貢献を評価の対象とすることによる、いっそうの大学統制へと帰結するおそれがある。設置者毎の判断に委ねられている公立大学の法人化も、行財政水準の低さを克服することにつながらないばかりか、行財政改革の論理が優先される結果となっている。これら大学法人制度の欠陥を克服し、さらに、社会との多様な対話のチャンネルを形成するような制度構想と大学の統治改革が求められている。
著者
大内 裕和
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.440-454[含 英語文要旨], 2007-12

この論文では、1947教育基本法がいかに「改正」されたのか、そして「改正」された2006教育基本法の下で望まれる教育とはどのようなものかということを考察する。教育基本法「改正」によって、道徳教育や「愛国心教育」の徹底、格差社会の拡大・固定化、教育の公共性の変質、教育振興基本計画による新自由主義・国家主義の制度化などが行われる危険性が高い。しかし2006教育基本法成立以後も、日本国憲法や子どもの権利条約などの国際人権条約が存在する。2006教育基本法の解釈・運用は当然ながらそれらの精神に即して行われる必要がある。日本国憲法や子どもの権利条約に可能な限り適合的な解釈を行う2006教育基本法の実践的な読みを通じて、ミクロ、ミドル、マクロのそれぞれのレベルで望まれる教育のあり方を論じる。それらは、1947教育基本法に書き込まれながらも十分に根づいて来なかった、教育の公共性を主権者のものとするプロセスに他ならない。
著者
平井 貴美代
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.428-439, 2007-12

教育基本法改正は、これまで同法を守ることで教育の自由が守られていると考えてきた人々にとっては、取り返しのつかない喪失を意味するであろう。しかし、国民の教育権論など自由を守るための理論が強化される過程で、自由の複数性が排除されるのと同時に官側の特別権力関係論を誘発し、学校の「法規主義」の一因ともなったことを踏まえるならば、同法改正は、強い言説を創出する過程で周辺に追いやられてきた法理論および法実践における「揺るぎ」の価値を再考する契機となり得るものである。
著者
橋本 憲幸
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.348-359, 2007-09

本稿の目的は、一般に開発途上国と呼ばれる国々のとりわけ初等教育に対する国際的な教育援助の正当化を、留保を付しつつ行なうことである。2000年の「世界教育フォーラム」を経て、開発途上国(政府)-<彼/彼女ら>-の教育の内容・価値に関わる問題が国際共同体-<われわれ>-の問題としても位置付けられている。しかし、そういった<彼/彼女ら>の教育問題は、政治・文化を越えて<われわれ>の問題になりうるのか。<われわれ>は国境線を越えて<彼/彼女ら>の教育問題に関与・干渉できるのか。本稿では、ポール・リクール、ジョン・ロールズ、そしてマーサ・C・ヌスバウムといった哲学者の所論と国際レヴェルでの合意事項を手がかりに、<われわれ>による<彼/彼女ら>への教育援助は「適切な教育」に向けられる限りにおいて正当化されるとの結論が導かれる。だが、「適切な教育」とは何であるのか、その回答が課題として残された。
著者
久保 富三夫
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.448-459, 2004-12

Recently the systems of teachers' Long-term Study and Self-Improvement (LSSI) have been diversified. It is a desirable reform for teachers to increase the opportunities for LSSI. But the results of developing the systems without principles have thrown them into confusion. The purpose of this study is to identify original conceptions and principles of LSSI in the process of forming the provisions for study and self-improvement of the Law. I will examine the points at which our gaze is directed to discuss present systems of LSSI. The law which has been the grounded law for teachers' study and self-Improvement was enacted and enforced in January of 1949. It was noteworthy the systems for LSSI had been planned during the process of forming the Law. I investigated the three principles in the original conception. (1) The first one was the principle of freedom for LSSI. The demand and approval on person were prerequisites for LSSI in the original conception. As a rule they were recognized to receive the opportunities for study and self-improvement according to their study planning on subject and institutions. (2) The second one was the principle of recognition LSSI as teachers' service. I think that LSSI with the certain length of their service was recognized as teachers' service not leave of absence, but salaries would be partially provided taking the difference between usual service and LSSI. (3) The third one was the principle of the equal opportunities for LSSI. The original systems for LSSI intended to entitle not only excellent teachers but all teachers according to the extent of their service, such as seven years or five years. There are no existing systems of teachers' LSSI on the general ground. The systems of LSSI have not satisfactorily developed from enactment of the Law. In my opinion, the system with certain length of their service would be the most reasonable and realistic to realize these three principles. I would like to show the outline of the medium or long-term plan of reforming the present systems of LSSI as follows. (1) The certain length of their service should be seven years to ten years, aiming at ten years for the present. (2) The demand and approval in person should be prerequisites for LSSI. (3) The term of LSSI should be two or three years. (4) They should present the detailed planand report of LSSI. They should consult with the supporting committees of LSSI (a tentative name) mainly consisting of professors. (5) Salaries should be basically provided in full, even though partial payment could be made under certain circumstances, etc. It is most important, I think, that teachers should research on the systems of LSSI and petition them in order to reform them.