- 著者
-
田村 栄子
- 出版者
- 佐賀大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2002
本研究は,ヴァイマル共和国とナチス時代に、医師および医療の活動がどのように行われたかを社会史的に考察することを目的として進められ、以下の研究成果をえた。1.ドイツ医学界においては、19世紀から医師資格をもたない、自然治癒医療が盛んであったが、ヴァイマル時代に国民の間で、専門教育を受けて国家試験に合格した医師(「学校医学」)への不信が強まり、自然治癒医療者に頼る傾向が強まった結果、「学校医学」の側に強い「医学の危機」意識が生じた。2.また医学生の増加や世界恐慌の影響により、医師の就職難も生じた。ドイツ医師協会は、危機への対応として、ユダヤ系医師・女性医師を排除する方向を強めて、自然治癒医療に接近してナチスへも接近していく。3.他方、自然治癒医療の側は、様々の医療的・文化的団体を作って、民族の全体性の視点からナチスに接近していく。4.医師のなかで10%に満たない女性医師は、1924年に「ドイツ女性医師同盟」を結成して、民衆の心によりそう活動を展開した。とりわけ女性医師は、労働者層の女性の個人の状況に共感して、妊娠中絶を禁止した刑法第218条廃止の闘いに取り組み、ナチスへの抵抗力にもなった。5.ナチス政権は、社会主義系・ユダヤ系医師の排除に乗り出し、病気の予防や健康指導に力を入れた。6.生活習慣と病気の関連が注目され、自然治癒医療が「新ドイツ治療学」として国家的政策に取り入れられた。7.「学校医学」の側の医師の45%はナチス党員であったことに示されるように、医師は、ナチスの断種法の実施、安楽死政策に関与した。第二次大戦下、自然治癒療法は背後に退き、「学校医学」が前面に出て、彼らは、強制収容所における人体実験、ホロコーストなどナチス犯罪の最前線を担った。