著者
太田 順三
出版者
佐賀大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:02867567)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-20, 1981-03
著者
山尾 僚
出版者
佐賀大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2011

植物は植食者に対して、毛などによる物理的防御や化学物質を含有することによる化学的防御、植食者の天敵を誘引し、植食者を排除させる生物的防御といった多様な防御戦略を進化させてきた。さらに、被食に対する耐性もまた防御戦略の一つとして知られている。本研究では物理的防御形質であるトリコーム、化学的防御形質である腺点および生物的防御形質である花外蜜腺と食物体を備えるアカメガシワ属を材料とし、複数の防御形質を用いた植物の防御戦略を解析する事を目的としている。本年度は、以下の3点を明らかにすることができた。1)前年度に、岡山、沖縄、石垣島のアカメガシワ個体群はそれぞれ異なる防御形質を発達させていることを明らかにした。本年度は新たに奄美大島のアカメガシワ個体群がアリによる生物的防御を発達させていることを解明した。2)岡山、奄美大島、沖縄、石垣島のアカメガシワ実生を用いて被食に対する耐性能力を評価した。その結果耐性能力の大きさは、沖縄株奄美株・石垣株、岡山株の順に高かった。3)被食処理後の光合成速度の時間的変化を調べたところ、'岡山株では光合成能力に大きな変化は確認できなかったが、奄美大島、沖縄、石垣島由来の株では被食処理後に光合成能力が増大した。また、光合成能力の増大の程度は耐性能力と相関していることが判明した。これまでの結果から、アカメガシワの耐性能力は被食後の光合成能力の増大によりもたらされていると考えられた。岡山個体群では主としてアリによる生物的防御を、奄美個体群では生物的防御と耐性、沖縄個体群では物理、化学的防御と耐性、石垣個体群では化学的防御と耐性を発達させていることを解明した。
著者
田村 栄子
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本研究は,ヴァイマル共和国とナチス時代に、医師および医療の活動がどのように行われたかを社会史的に考察することを目的として進められ、以下の研究成果をえた。1.ドイツ医学界においては、19世紀から医師資格をもたない、自然治癒医療が盛んであったが、ヴァイマル時代に国民の間で、専門教育を受けて国家試験に合格した医師(「学校医学」)への不信が強まり、自然治癒医療者に頼る傾向が強まった結果、「学校医学」の側に強い「医学の危機」意識が生じた。2.また医学生の増加や世界恐慌の影響により、医師の就職難も生じた。ドイツ医師協会は、危機への対応として、ユダヤ系医師・女性医師を排除する方向を強めて、自然治癒医療に接近してナチスへも接近していく。3.他方、自然治癒医療の側は、様々の医療的・文化的団体を作って、民族の全体性の視点からナチスに接近していく。4.医師のなかで10%に満たない女性医師は、1924年に「ドイツ女性医師同盟」を結成して、民衆の心によりそう活動を展開した。とりわけ女性医師は、労働者層の女性の個人の状況に共感して、妊娠中絶を禁止した刑法第218条廃止の闘いに取り組み、ナチスへの抵抗力にもなった。5.ナチス政権は、社会主義系・ユダヤ系医師の排除に乗り出し、病気の予防や健康指導に力を入れた。6.生活習慣と病気の関連が注目され、自然治癒医療が「新ドイツ治療学」として国家的政策に取り入れられた。7.「学校医学」の側の医師の45%はナチス党員であったことに示されるように、医師は、ナチスの断種法の実施、安楽死政策に関与した。第二次大戦下、自然治癒療法は背後に退き、「学校医学」が前面に出て、彼らは、強制収容所における人体実験、ホロコーストなどナチス犯罪の最前線を担った。
著者
福嶋 利浩
出版者
佐賀大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2012

障がい者スポーツ選手への経済的支援の拡充に向けた資料を作成するためにパラリンピックロンドン大会での競技成績と経済的支援の差異を日韓比較した。その結果、ロンドン大会での日本のメダル獲得数やメダル獲得率は韓国に比べて低かった。また日本の障がい者スポーツ選手への経済的支援は韓国に比べて乏しく、パラリンピックのメダル獲得数の差異に影響している可能性が推察された。日本の障がい者スポーツ選手への経済的支援体制強化の必要性が示唆された。
著者
森 善宣 金 東吉 朴 鍾哲
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

北京大学朝鮮半島研究センターとの共同研究の結果、中ロ東欧諸国に所蔵された朝鮮民主主義人民共和国との外交電文や情勢報告書など1948年から冷戦終焉までの北朝鮮関連資料を膨大に入手した。この資料を8つの資料群に整理、編集し、北京大学翻訳家協会で邦訳して『北朝鮮関連重要資料集』全3巻に編纂して出版する。この資料集に掲載する資料群をテーマ別に示すと、次のとおり。第1巻(53~58年):朝鮮労働党内の粛清過程+朝鮮戦争後の経済復興、第2巻(56~59年):第1次5ヵ年経済計画+8月宗派事件・中国人民志願軍撤収・在日朝鮮人帰還事業、第3巻(59~61年):核開発開始の経緯+4.19政変と北朝鮮の対応。
著者
楊枝 嗣朗 楊枝 嗣朗
出版者
佐賀大学
雑誌
佐賀大学経済論集 (ISSN:02867230)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.(105-156), 1986-04
著者
金崎 良三
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1996

本研究の結果は、以下のように要約される。(1)スポーツを通じての人間関係の質的量的把握に基づいて作成した尺度によって対象者のスポーツ・コミットメントの測定を行ったが、男女ともコミットメントのレベルが高いほどスポーツとのかかわりが深い。したがって、本研究で用いたコミットメント尺度の有効性は検証された。(2)学校体育とスポーツ・コミットメントの関連については、性別、学歴別を問わず学校時代の体育授業の評価が高い者、体育授業に意欲的に取り組んだ者、体育授業で楽しい経験をした者、体育行事て活躍した者、体育行事で楽しい経験をした者および課外でのスポーツを実施した者ほど、スポーツ・コミットメントのレベルは高い。すなわち、学校での体育授業や体育行事の経験、課外スポーツ活動の経験は、卒業後のスポーツ・コミットメントの形成に影響を及ぼしていることが明らかになった。(3)男女の高卒者、大卒者ともに学校体育における経験は、卒業後のスポーツとのかかわりないしスポーツの継続化を規定する要因となっている。(4)生涯スポーツにつながる学校体育の在り方に関して、本研究の結果からいえることは、第1に体育授業のための場所・施設・用具などのハード面の条件を整備すること、第2に授業を行うクラスの人数が多すぎたりせず、生徒・学生の運動量が適切であること、第3に彼らの好きな運動やスポーツの種目がある程度実施できること、第4に教師は指導の仕方を工夫すること、第5に生徒・学生が意欲的に授業に取り組むように動機づけをし、楽しい経験を積ませること、第6に体育行事への参加の機会を増やし楽しい経験をさせること、第7に課外でのスポーツ活動を奨励することである。
著者
白武 義治 甲斐 諭 宮崎 卓朗 細野 賢治
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

本研究は次の諸課題を分析した。1.地域経済の担い手である中小規模食品製造業の存在構造2.伝統手延素麺製造業の展開条件-島原そうめん長崎県南高来郡手延素麺製造業を事例に-3.地域経済に寄与する焼酎製造業の展開条件-鹿児島県芋焼酎産業を事例に-4.韓国キムチ輸入後の日本におけるキムチ市場の動向と野菜漬物産業の構造変化5.地域農業再生と活性化に果たす農産物直売所一長崎県における農産物直売所を事例に-(補論)1.キムチ貿易と韓・日両国の野菜漬物産業の構造変化2.キムチ輸入量増加と日本野菜漬物産業の市場対応3.鹿児島県焼酎産業の成長要因と持続的発展条件-内発的発展論の視点から-これらの研究は中小食品製造業がアジア諸国の地域農業発展に寄与したことを明らかにした。
著者
長野 暹 谷 源洋 李 友申 劉 くん邦 王 かい寧 RAFEEYOHU Pi 水野 一郎 古賀 公治 KOKU Gennyou RYU Sinpo PYODASA Ratrayaka 陳 虹 劉 振邦 王 鼎吟 王 懐寧 桑原 幹夫 沈 韋高 陳 沙 王 懷寧 蔦川 正義
出版者
佐賀大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1992

94年は香港、深、朱海、広州、三亜、海口、昆明を調査した。経済特別区の経済発展の現況と内陸部奥地調査して中国の経済改革の現況把握に努めた。香港では、97年の中国への返還をめぐる問題、香港資本の中国投資の様相などについて調べた。返還後も50年間は現況が維持されることが明確になったことから、海外に流出していた資本も香港に還流するようになっており、この資本が今中国への投資に廻っており、これによって中国南部地域の経済発展をもたらしていることが把握できた。深は最初ぼ経済特区として発展してきたとこであるので、工業開発区、証券会社を調査した。工業開発区には工場が立ち並び生産も盛んであった。証券会社では株価の変動が激しい折であったのでその対応に追われている社員の動きなどから中国での証券市場の展開ぶりが窺えた。海では開発区を調査した。まだ開発地の造成中の所がおおく、 と比べるとかなりの隔たりである。しかし国際空港も完成したことから、発展が見込まれている。広州では農村工業、先物取引会社を主に調査した。広州には最近香港や台湾等からの投資が増え、それによって生産活動が盛んになっている。2000人規模の従業員を擁する企業も農村に現れており、生産設備も整ってきている。華僑資本が中国に経済発展に大きく寄与していることが窺えた。先物取引会社はまだ数は多くない。それだけに注目される存在であるが、国際取引の経験も少ないことから多くの課題を抱えていることも知りえた。三亜は観光開発に力を入れており、ホテルの建設が進んでいる。台湾資本の進出もあることから、台湾からの観光客が多い。三亜-海口間に高速道路もできたあことから、中国本土からの観光客が見込まれている。海口は海南島の玄関口であることから、海南島が特別区に指定されてから人口も増え企業活動も盛んになってきている。信託投資会社の調査では、北米地域からの投資を得るための活動など国際的な活動がなされていることが窺えた。昆明では農村と農村工業を調査した。野菜・花を主に生産している村で、ハウス栽培により早期出荷にも力がらいれられており、花は香港、野菜は香港と日本に輸出されている。大きな冷凍倉庫も持ち輸出のための荷揃がなされている。ダンボウロ用紙を製造している農村の工場を調査した。原料はアメリカから輸入し、通国製の機械で製作している。この工場で得られた利益で村に病院や学校を建てている。農民の所得の殆どは工業からのものである。都市近郊農村の発展事例である。94年度の調査は経済特別区の現況解明から、内陸部との経済格差の問題の解決が大きな課題であることが窺えた。また広東省の経済発展は華僑資本の投資によるところが大きいが、これは多面では華僑資本の資本力に影響されることを示すものであり、重化学工業化の制約ともなりかねないことも窺われた。地域、階層の格差が広がっており、対処を要する課題も多いことも知りえた。中国の共同研究者は佐賀、福岡の工業を調査し、日本の生産技術、企業管理から多くのものを学びとられ、中国で役立てることを目指されている。
著者
小林 恒夫
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

3カ年の研究をまとめると以下のようになる。モチ米の生産面では、これまでのモチ米の主産地は大きく変化し、今日でも変動過程にあるが、大きく整理するならば、1960年代までは、北関東が最大のモチ米産地であり、そこでは主として陸稲モチ米が栽培されていた。もう1つの産地は古くから稲作産地であった新潟県であった。しかし、米過剰・稲作生産調整が開始される1970年代以降、陸稲モチ米産地であった北関東の産地は大きく後退した。それに対し、新たな産地として北海道と佐賀県が台頭してきた。そして今日、北海道、佐賀県及び新潟県が三大産地となっている。しかし近年、岩手県が生産量では新潟県を上回るに至り、また熊本県の生産量が新潟県に接近してきているという新しい状況も生まれてきており、モチ米主産地は常に変動のさなかにおかれている。加工面で見ると、モチ米の二大加工用途は米菓と包装餅であり、その業界は共に新潟県に集中している。うち、米菓は、亀田製菓によるガリバー型寡占構造を、包装餅は佐藤食品による同様の構造が形成されている。ただ、包装餅は農家グループや米屋による加工・販売も広範に見られ、直売所の増加等と結びついているという特徴が見られる。こうして、包装餅の市場構造は、いわば二重構造を呈している。流通面では、上記の北海道産モチ米は主として東日本へ、佐賀県産モチ米は主として西日本中心に流通している。一方、加工品の米菓は全国流通を基本としているが、包装餅には一定の棲み分けが存在している。消費面では、食の多様化の中で、米菓はスナック食品に押され、包装餅の消費も減少傾向にある。また、見過ごせない状況として、1993年米凶作を契機とするモチ粉調整品や米菓の輸入量増加、95年からのミニマムアクセス米の受け入れに伴うモチ米の輸入量の増加によって、モチ米も輸入物との競争が激化し、我が国のモチ米市場はますます激変する時代へと突入している。