著者
呉人 惠
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-23, 2016-01-20

The purpose of the present paper is to examine two types of verb marking in adverbial clauses, that is, the nominalizing type and the non-nominalizing type, in the Chukchi-Kamchatkan language, Koryak. Besides the exclusive use of so-called converb forms, Siberian languages are well known for making rich use of case morphology to mark a range of functional types of subordinate clauses. With regard to case-marked subordination, there are two basic formal subtypes. In one type, the nominalizing type, the case affix attaches to a nominalized form of the verb. Meanwhile, in the other—the non-nominalizing type—the case affix attaches to either a bare verb stem, a semi-inflected form of the verb, or a finite verb form. Koryak shows both the nominalizing type and the non-nominalizing type of verb marking. In the latter type, the case affix attaches to a bare verb stem. Through examination, the present paper clarifies the following points: 1) In the nominalizing type, either the allative, dative, or locative case attaches to the nominalized stem and marks either temporal clause or purposive clause. Meanwhile, in the non-nominalizing type, either the locative, instrumental, dative, comitative, or associative case attaches to a bare verb stem and marks a range of functional types such as temporal, causal, conditional, concessive, and manner. 2) Among the neighboring languages, only Yupik and Naukan of the Eskimo-Aleut language family share the non-nominalizing type with Koryak. As the non-nominalizing type is not observed in other languages of that family distributed in North America, it is possible that Yupik and Naukan adopted the non-nominalizing type from the Chukchi-Kamchatkan. 3) The non-nominalizing type is observed not only in adverbial clauses but also in an infinitive (in the locative case) and an imperative form (in the comitative case), which shows that this type penetrates into the Koryak grammar.
著者
張 可勝
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-15, 2018

『うつほ物語』の俊蔭は、「天の掟ありて、天の下に、琴弾きて族立つべき人」としてその生が定められている。では,秘琴一族の始祖として現世世界(天の下)において弾琴を通じてどのような役割を果たさなければならないのか。そのような視点に立てば,帝や東宮に献琴し,御前で天変地異を引き起こすまで弾琴を披露するのは,一族の確立に向って手順を踏まえて取った行動として読むことが可能になる。そして、自身の職務を「学士」から「琴の師」へと転換させる王命を拒否したのは,「琴の師」として出仕し,朝廷で琴を伝授することとなれば,一族の確立が阻まれかねないという思惑がその背後にあるからであると考えられる。「学び仕うまつる勇みはなし。みさいの罪にはあたるとも,この琴は学び仕うまつらじ」という拒否の念を押した台詞に注目すると,琴の伝授を出仕とかかわらせるという帝の判断自体が否定されている。加えて,「みさいの罪」は「無礼の罪」や「未来の罪」などと解釈されているが,「流罪(るさい)の罪」の誤りであるとする考えを提出した。「天の掟」に従って琴の伝授を行うためなら,築いてきた官途を捨てるのも惜しまないという俊蔭の強固たる意志が表明されている,と読み取れる。その後,俊蔭は三条京極邸に籠もって娘に秘琴を伝授した。外部とのつながりを断ち切って行う方針によって秘琴伝授の非公開の原則が確立された。また,天女の啓示を継承しながら秘琴行使の機宜を遺言という形で規定することによって,秘琴は現世世界では存在そのものが秘匿されなければならないものの,必ず掻き鳴らされるという秘琴行使の公開の論理も示されている。そこに内在する公開と非公開との相克から,秘琴を行使することによって天地を感応させ現世利益を得るという志向性が設定されているのも見過ごしてはならない。さらに,御前での弾琴が引き起こした天変地異の典拠として師曠と師文弾琴の故事を用いていることから、天地を感応させうるという天(地)・楽・人三者の相互関係の構図もその弾琴によって明示されている。このように、現世世界において琴にまつわる一族のあり方は俊蔭によって規定されているのである。
著者
袁 嘉孜
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.18, pp.31-50, 2018

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では,見てわかるように,「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つのタイトルの物語が並行して展開されている。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をはじめ,それ以降の村上春樹の小説には,「パラレル・ワールド」構造が著しいと言われている。ところが,「世界の終り」世界と「ハードボイルド・ワンダーランド」世界は,「パラレル・ワールド」ではなく,「異世界」であると主張する。 「ハードボイルド・ワンダーランド」世界では,「私」と「孫娘」の二人が車に乗って,〈地上空間〉を走ったら博士のオフィスに着く。そして、地下にある〈研究室〉,すわなち〈内部〉に到達し,さらに地下の方に潜んでいる〈やみくろたちの聖域〉も含む〈内部の内部〉へ下りて行くのである。こうして考えれば,「ハードボイルド・ワンダーランド」世界における複数の空間は入れ子構造になっている。入れ子構造となっている「ハードボイルド・ワンダーランド」世界において垂直的な位相が顕著なのに対して,「世界の終り」世界「世界の終り」世界は,「ハードボイルド・ワンダーランド」世界の「再生」として開いた空間として、何かの欠落が生じたためにより平面的構造となっている。もしそれが真であれば,この意味で,「世界の終り」世界における「影」の〈脱出〉にも,何かの欠落が生じたために果たされないとしか考えられない。 本研究は,時間の視点に着眼し,第三回路の起動によって始まる二つの物語の関わりを考察したうえで,「私」と「僕」の行動や移動によって広がっていく二つの世界の空間構成を明らかにする。それに加えて,第三回路の人工性に着眼し,「私」の成長物語としてではなく,村上春樹の長編小説における個とシステムの対置を元に,本作について再考する。
著者
桒原 彩
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.18, pp.125-139, 2018

2014年全米公開のティム・バートン監督作品通算19作目にあたる『ビッグ・アイズ』は,実際に起ったゴーストペインター事件を基にした物語である。ゴーストペインターである妻(マーガレット)の表象は,実際のところその夫(ウォルター)と対となって,バートン作品の大きな主題である「疎外」をかつてなく形式的に分断された2つの方向から描き出している。本稿は『ビッグ・アイズ』における疎外を二者の立場それぞれに分析し,物語や演出の詳細な作品分析を踏まえ,まなざし論を経由し,ティム・バートンの作家性を「疎外」とそこから希求される「身体」というキーワードをもちいて考察していく。これまでティム・バートンの作家性は社会におけるアウトサイダー的表象のなかにその多くが見出されており,本稿もその流れを汲むものであるのは言を俟たない。しかし,まなざしを改めて映画の装置として分析に組み込むとき,それは社会と個,表象と身体を結ぶ媒介として,バートンの主題である「疎外」をより明確に浮き彫りにしていく。 本稿において,二者の疎外の分析を通じて見いだされるのは身体と表象の対立である。ゴーストペインターであるマーガレットが自身の表象/記号を社会的に奪われた身体だけの存在としてあるのに対し,ウォルターは身体をほとんどなきものとしてイメージの表面を漂う分裂的な表象/記号そのものである。しかしそれらの疎外は,BIG EYESがまなざしのアレゴリーとして働くとき,そのまなざしを原動力として,いずれも異なったかたちで身体を求めることとなる。
著者
齊田 春菜
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.107-122, 2016-01-15

本稿は、円地文子の「少女小説」である「秋夕夢」の初出と初刊を比較・考察し、円地の「少女小説」の新たな一面を捉 えなおすものである。そして、その結果、円地の「少女小説」や戦後の「少女小説」について多少なりとも新たな知見を提 出することを試みるものでもある。 円地は、主に戦後直後から一九五〇年代前後に「少女小説」を数多く執筆していたという伝記的な事実がある。この「少 女小説」は、様々な理由からその中身を具体的に考察されたことはなく、論じる価値のないものとされてきた。そのため、 従来の研究では、円地の「少女小説」について、いまだに十分に論じられているとは言い難く、その全貌は、詳細に明らか にされてはいないのである。そこでまず、「円地文子少女小説目録ノート」を作成し、円地の「少女小説」作品を現段階にお いて詳細にまとめた。次に、『円地文子全集』に収録さ れていない「秋夕夢」の初出と初刊で削除された章の全貌とその直前 の両方の共通である章を引用し、内容を提示する。そこから、なぜ初出で描かれた物語が初刊において削除されたのかにつ いて考察を行った。削除された章は、その有無によって少女が成長すること/成長しないことという「秋夕夢」の解釈の多 様性を引き出す装置として浮かび上がることを明らかにした。つまり、「秋夕夢」の中で描かれる少女は、戦後の「少女小説」 研究で理解される少女のイメージとは、異なる少女像を持っている可能性があることを示唆したのである。 以上のように円地の「少女小説」は、一見既存の枠組みに回収されてしまうような側面を持ちながら、詳細に検討をして いくと多様な要素を多く含んでいる。このことは、他の円地の「少女小説」を検討していくことの可能性を秘めているので あり、円地のテクストのイメージの新たな解釈の補助線として期待することができるのである。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.17, pp.209-228, 2017

今村昌平は「テーマ監督」である。すなわち今村の作品群はその時期々々において特定のトピックや主題を軸に構成されていることを示す。主題におけるそういった反復は,監督自身によって「ねばり」と呼ばれた。その表現を借りれば,最初の「重喜劇」とみなされる『果しなき欲望』(1958年)以降,今村は売春・強姦・近親相姦という3つのテーマにねばっていた。作品ごとに重点の置き方は異なるが,1968年までの全ての娯楽映画(『にあんちゃん』を除き)において,いずれもその主題は3つのテーマのなかから少なくとも2つ以上は選び取られているといえる。1964年制作の『赤い殺意』は藤原審爾の東京を舞台に可愛い印象の女性が強姦されるという小説を原作にテーマのみを借りた,今村昌平ならではの映画作品である。強姦を主題に近親相姦的な要素も加えて物語の舞台を監督の憧れた地方,東北へもっていった。主人公の貞子は,仙台の郊外において農地を所有する高橋家の若妻である。強盗に犯されてしまったあと強くなってゆき,彼女をまるで女中のように扱いしていた姑との上下関係を逆転させ家の権力者に上昇する。本論文では社会学と作家の志向から離れて,いくつかの新しい観点を導入する上で作品そのものに絞って分析を行なう。変化する立場において彼女自身が如何に変貌し,どのような行動をとるかという二点をめぐって『赤い殺意』を考察する上で今村昌平が「重喜劇」と呼んだ60年代の作品群と関連付けて結論を述べる。
著者
張 馨方
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.83-94, 2017-11-29

『類聚名義抄』は日本平安時代に成立した部首分類の漢和字書であり,原撰本系と改編本系が存する。原撰本系には,図書寮本が唯一の伝本であり,引用の典拠を明記した漢和字書である。改編本系には,現在,高山寺本・観智院本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本などが知られる。観智院本は唯一の完本であり,そのほか,高山寺本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本はいずれも零本である。原撰本系に比べて,改編本系の諸本には漢字字体の増補という特徴が認められる。ただし,これまでの改編本系諸本についての研究では,漢字字体を主眼とした調査は成されていなかったといえる。『類聚名義抄』では漢字字体を「掲出されるもの」と「注文に含まれるもの」に分けることができる。本稿では,注文中の漢字字体の記載に注目し,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とで対照可能な「法」帖の「水」「冫」「言」の三部を調査対象とし,改編本系の改編方針の解明を目指して,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本との記載を比較分析する。その検討の手順を具体的に述べると,まず,図書寮本・観智院本・蓮成院本の三本それぞれにおいて注文中の漢字字体の記載状況を調査し,次に,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とを比較対照して注文中の漢字字体の記載について考察・分析する。
著者
張 集歓
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.19-34, 2015

本稿は,1930年代の中国華南地域において活動していた南京中央政府に対抗する政治派閥の西南派の政治姿勢を,対中央攻撃期,模索期,接近期の三つの異なる対立関係期に照合しながら,当該時期の地方政治人物及び中国政治の特質に対する検討を試みたものである。西南派の活動の軸となるものは,彼らがずっと掲げてきた「反日」「倒蒋」および「剿共」の三つの並行の政治主張であったが,政治主張は常に眼前の政治情勢に対応できるよう,シフトを繰り返されていた。対抗期の初期から中期において,彼らにとって蒋介石の南京中央政府の威圧こそが最大の敵であり,焦眉の急であったため,「抗日」の姿勢も,「抗日をしない」南京中央政府への攻撃の側面を持つことになる。その一例として,胡漢民に代表された西南派の日本の侵略に対する認識は,蒋介石と同等のものであり,同時代の中でも相当冷静で鋭い判断を下されていたのにもかかわらず,南京中央政府への対抗の基盤を強化するため,短い期間ではあったが,接近してきた日本側との「提携」が企図されていたことも確認できた。このように,当時の西南派及び西南政権は,必要となれば脅威の順位が下位にある敵とのある程度の「提携」も辞さない境地に置かれていたことの裏づけと言える。また,国内においては,西南派は初期から華北の軍事指導者らと連絡を取り合い,「華北の改造」を通じて反蒋運動を推し進めていた。同様の意図に基づいて,彼らは十九路軍が上海戦から撤退して福建に進駐すると,広東という人と地域のネットワークを駆使し,最大の反蒋連盟ともなり得る西南大連合の結成を推し進めていたが,同盟相手の福建の急進及び共産党提携に失望した彼らに,切り崩しを図る蒋介石は接近したのである。そして,数度にわたる蒋介石の譲歩と接近に対して,西南派は徐々に対抗姿勢は軟化していく。言い換えれば,彼らは,それまで情勢に応じて自らの政治主張をシフトさせてきたが,向かう方向は常に一定していた。それは,つまり中央政権への返り咲くことであった。
著者
池田 証壽
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 = Bulletin of the Graduate School of Letters, Hokkaido University (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
vol.150, pp.201-236, 2016-12-15

初唐の宮廷写経25点の漢字字体を検討し,開成石経の顕著な規範性に 比して,相当の揺れがあることを報告し,開成石経の漢字字体と他の時代・ 地域の標準文献の漢字字体とを同列に扱うべきでないことを述べる。唐代字 様は,初唐標準から開成標準への移行を促したと見るべきであり,日本の古 辞書である『新撰字鏡』と『類聚名義抄』における唐代字様の受容状況を観 察し,漢字字体の年代性の相違が両者の字体記述の相違として反映している ことを指摘する。
著者
高橋 靖以
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
no.7, pp.99-106, 2017-02

This paper analyzes causative suffix in the Horobetsu dialect of Ainu. In the dialect, causative construction correlates with switch-reference. In the coordinate clause, causative construction may function as a different-subject marker. In the subordinate clause, causative construction may function as a same-subject marker.
著者
崔 鉉鎭
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.213-252, 2016-01-15

本稿では,韓国語一型アクセントにおけるアクセント単位の認定と特質を明らかにするための第一歩として,一型アクセントとして報告されているチョンヤン(青陽)方言を対象に考察を行う。当方言は言い切り形と接続形の相違があり,言い切り形はA パターンとBパターンに分かれる。A パターンは5音節以下で見られる音調型であり,Bパターンは一文節において6音節以上である上で,複数のアクセント単位に分かれた際に最終アクセント単位以外のアクセント単位に見られる音調である。A パターンと相補分布を成している。当方言のアクセント単位は高い音調が1音節目あるいは1音節目と2音節目にある場合を1つのアクセント単位とし,高い音調が3音節目以降に現れるものは複数のアクセント単位からなるものと認定する。そうすることにより,当方言の一型アクセントが体系的に捉えられる。アクセント単位の認定に関わる要素には文節の長さと形態素の切れ目がある。この2つの要素の適用範囲と順序には相違が見られ,文節の長さは一次的に関わる要素として品詞や文節内部の構成と関係なく,文節の長さが6音節以上になれば必ず関与する。形態素の切れ目は文節の長さにより,アクセント単位が複数に分かれてはじめて関わるため,二次的要素といえ,アクセント単位の切れ目の位置に関わる。アクセント単位が複数に分かれた際に,最終アクセント単位以外のものはBパターンで現れる。A パターンとは相補分布を成しているため,A パターンの異形態と解釈できる。