著者
リツ テイ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2016-12-15

哲学史には多くの善と美の緊密な観点がある。それらは異なる前提をおい ているにもかかわらず,どの観点においても善と美は緊密な関係があるとい う結論が得られる。 当時の理論の核を構成した概念の対象は,現代ではいささか単純に見える けれども説得力がある理由の影響を受ける。われわれは理念と神の存在を信 じず,また理性自身の強さがすべての道徳と審美に干渉できるということを 信じない。現代では,形而上学的な概念が含まれた理論は「独断論」として 否定される。以前の重要な概念の連結作用の欠如がある場合に,善と美の関 係をどう処理すればよいかは熟考に値する問題である。善と美が密接に繫 がっているという観点は認識方面の錯覚や他の形で説明できるのか。あるい は,善と美は別の二つの概念であるのか,それともその中身に密接な関係が 含まれているのか。「独断」的に作られた統括的な概念が失敗に終わっている のなら,われわれはこの問題に新たな視野と研究方法を求めなければならな い。そこで,以下では主に認識論(主にピアジェの認識論の主張について) と言語哲学の視点から,善と美との間に不可分の関係があるという立場を論 証する。
著者
張 馨方
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.83-94, 2017-11-29

『類聚名義抄』は日本平安時代に成立した部首分類の漢和字書であり,原撰本系と改編本系が存する。原撰本系には,図書寮本が唯一の伝本であり,引用の典拠を明記した漢和字書である。改編本系には,現在,高山寺本・観智院本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本などが知られる。観智院本は唯一の完本であり,そのほか,高山寺本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本はいずれも零本である。 原撰本系に比べて,改編本系の諸本には漢字字体の増補という特徴が認められる。ただし,これまでの改編本系諸本についての研究では,漢字字体を主眼とした調査は成されていなかったといえる。 『類聚名義抄』では漢字字体を「掲出されるもの」と「注文に含まれるもの」に分けることができる。本稿では,注文中の漢字字体の記載に注目し,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とで対照可能な「法」帖の「水」「冫」「言」の三部を調査対象とし,改編本系の改編方針の解明を目指して,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本との記載を比較分析する。その検討の手順を具体的に述べると,まず,図書寮本・観智院本・蓮成院本の三本それぞれにおいて注文中の漢字字体の記載状況を調査し,次に,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とを比較対照して注文中の漢字字体の記載について考察・分析する。
著者
江畑 冬生
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.23-33, 2017-02-15

This paper examines difference in phonology and morphosyntax between the two cognate languages, Sakha and Tyvan. It is concluded that the two languages differ in a consistent way. First, Sakha exhibits regularity in its phonological rules (the nasal alternation of suffix-initial consonants, the accent rule, and the vowel harmony rule) while Tyvan shows some exceptions under the apparently same rules. In other words, the regularity in Sakha phonological rules is interpreted as 'leveling'. Secondly, Sakha grammatical elements tend to be explicit or obligatory in such morphosyntactic properties as 3rd person plural subject marking, dative marking for goal, the adverbializing suffix, accusative marking, marking for juxtaposed noun phrases, and existential predicate. It is likely that the regularity in Sakha phonology and the obligatoriness in Sakha morphosyntax are obtained through language contact with the neighboring Tungusic languages.
著者
Miyajima Shunichi
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
Journal of the graduate school of letters (ISSN:18808832)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-10, 2018-03

In recent years, the word “spirituality” is frequently used in a wide range of research areas, such as religion, medical care, nursing, nursing care, clinical psychology, bioethics, education, and business activities. Not only within academic research areas but also within non-academic areas, such as the arena of mass media and medical care practice, nursing and the nursing care practice, this word is being frequently used. Definitions of this term vary as per the userʼs perspective but there are many cases where this word is used to refer to the appearances which were thought of as religion, religiosity, and something being religious or similar. In this paper, I have considered the background of the use of the term “spirituality” in religious research and medical areas, respectively. What is common to both is that the current state of the term “spirituality” is being used to talk about “religious” matters while maintain a distance from the conventional “religion” as an institution. Here we discuss the continuity and discontinuity of “religion” and “spirituality.” If one is conscious of the connection between “religion” and “spirituality,” there should be something that should be derived from the “religion” research to further research on “spirituality” as a concept and as a word. In order to use it as a concept, it is necessary to further examine and train it. The ambiguity of the term “spirituality” has proved useful, and it is also possible to include a wide range of phenomena in the term “spirituality” that could not be included in the concept of “religion”. It is possible to expect further research in this area but at present there are many problems due to ambiguity. Discussions about “spirituality” are expected to gain prominence and in turn, increase the usefulness of this word.
著者
曹 建平
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-18, 2015

本稿では近代満州における煙草市場の実態分析の一環として日系新聞の『満日』(マイクロフィルム)に注目し,そこに掲載された広告の内容を分析することにより煙草企業の市場販売戦略を明らかにすることを目的とする。分析にあたり,多国籍企業の英米煙草会社と日本資本の東亜煙草会社・満州煙草株式会社との広告を抽出し,広告における文字情報と図像情報から成る広告要素と広告手法に着目する。なお,史料とした『満日』は南満州鉄道株式会社が発行した『満州日日新聞』と『満州日報』との通称で,1907年に創刊され,1944年までに発行しつづけたものである。結論としては,まず,満州国期に数多くの煙草広告が掲載されたことが挙げられる。悉皆的な集計と分析をしないと正確な判断はできないが,全体的な印象としては,英米煙草会社の広告はほかのメーカーに比較すると,はるかに多いようである。これは巨大な資本力に負うことと考えられる。そして,英米煙草会社は広告にさまざまな手法を用いたりして単一銘柄を集中に広告するほか,図柄を変化させて広告効果の向上を図った。また,宣伝文のないシンプルな広告が多用され,視覚効果に訴えていた。次に,日本資本の煙草企業が新聞広告を活用していた実態が明らかになった。東亜煙草会社は早い時期から新聞に広告を出したが,掲載頻度がそれほど高くなかった。そして,日中戦争勃発前に掲載した広告はまだ普通の商品広告で,製品品質の良さや包装の美しさなどの点をアピールする余裕があったようであるが,日中戦争勃発後,戦争の相乗結果もあって消費者の愛国心を利用して国貨購入を呼びかける広告手法はその広告の基本路線となった。一方,国策会社として設立された満州煙草株式会社の広告は戦争の勃発・拡大を背景として誕生したもので,戦時宣伝や戦争支援の意味合いが見え,イデオロギーの宣伝陣地となっていた。
著者
池田 証壽
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学文学研究科紀要 = Bulletin of the Graduate School of Letters, Hokkaido University (ISSN:13460277)
巻号頁・発行日
no.150, pp.201-236, 2016

初唐の宮廷写経25点の漢字字体を検討し,開成石経の顕著な規範性に比して,相当の揺れがあることを報告し,開成石経の漢字字体と他の時代・地域の標準文献の漢字字体とを同列に扱うべきでないことを述べる。唐代字様は,初唐標準から開成標準への移行を促したと見るべきであり,日本の古辞書である『新撰字鏡』と『類聚名義抄』における唐代字様の受容状況を観察し,漢字字体の年代性の相違が両者の字体記述の相違として反映していることを指摘する。
著者
武藤 三代平
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.16, pp.15-32, 2016

これまで明治政治史を論及する際,榎本武揚は黒田清隆を領袖と仰ぐことで,その権力基盤を維持しているものとされてきた。箱館戦争を降伏して獄中にあった榎本を,黒田が助命運動を展開して赦免に至った一事は美談としても完成され,人口に膾炙している。そのためもあり,黒田が明治政界に進出した榎本の後ろ盾となり,終始一貫して,両者が「盟友」関係にあったことは疑いを挟む余地がないと考えられてきた。はたしてこの「榎本=黒田」という権力構図を鵜呑みにしてよいのだろうか。榎本に関する個人研究では,明治政府内で栄達する榎本を,黒田の政治権力が背景にあるとし,盲目的に有能視する論理で説明をしてきた。榎本を政府内でのピンチヒッターとする一事も,その有能論から派生した評価である。しかし,榎本もまた浮沈を伴いながら政界を歩んだ,藩閥政府内での一人の政治的アクターである。ひたすら有能論を唱える定説が,かえって榎本の政府内での立ち位置を曇らせる要因となっている。本稿では榎本が本格的に中央政界に進出した明治十年代を中心とし,井上馨との関係を基軸に榎本の事績を再検討することで,太政官制度から内閣制度発足に至るまでの榎本の政治的な位置づけを定義するものである。この明治十年代,榎本と黒田の関係は最も疎遠になる。1879年,井上馨が外務卿になると,榎本は外務大輔に就任し,その信頼関係を構築する。これ以降,榎本の海軍卿,宮内省出仕,駐清特命全権公使,そして内閣制度発足とともに逓信大臣に就任するまでの過程において,随所に井上馨による後援が確認される。この事実は,従来の政治史において定説とされてきた,「榎本=黒田」という藩閥的な権力構図を根本から見直さなければならない可能性をはらんでいる。
著者
許 春艶
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.39-49, 2015

本稿は漢訳洋書の一つである『全体新論』の医学用語の受容について考察したものである。『全体新論』は近代中国においてはじめて西洋医学を紹介した生理学入門書であり、イギリスのロンドン会に所属する宣教医ホブソンにより漢文で著され、咸豊元年(一八五一)に出版された。『全体新論』出版後、日本へは嘉永末年(一八五四)ごろに伝わり、安政四年(一八五七)年に翻刻された。明治期に入ると、二種の和訳書である『全体新論訳解』が出版された。『全体新論』は日本に伝わったあと、当時の知識人に広く学習された。和刻本と和訳書の刊行は幕末明治初期の日本医学に影響を与えた。近年、『全体新論』をめぐる日中医学の語彙交流に関する研究成果が蓄積されたが、『全体新論』に見られる医学用語がどのように受け入れられたのかに関する研究はほとんどなされていない。そこで、本稿は、『全体新論』における「〜骨」を対象に、二種の『全体新論訳解』と明治初期の医学用語集に受け入れられた状況を考察する。とくに、ホブソンの造語である「坐骨」「蝶骨」に注目し、それらの日本における受容状況を分析する。
著者
唐 雪
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.15, pp.123-134, 2015

太宰治の「古典風」は一九三七年一〇月から一二月にかけて執筆された未発表の旧稿「貴族風」を書き直した短編小説である。一九四〇年六月の『知性』第三巻第六号の創作欄に掲載されたのち、単行本『女の決闘』(一九四〇・六、河出書房)に収められた。第一創作集『晩年』(一九三六・六、砂子屋書房)、後続の『虚構の彷徨』(一九三七・六、新潮社)、『二十世紀旗手』(版画荘文庫4、一九三七・七、版画荘)に収録されたテクスト群は、いずれも独特な手法を取り入れた異色作である。しかし、その後、諸般の事情のため、発表作品は少なく、作家としての活動は停滞していたかのように見える。ほぼ二年の沈黙を破ったのは、一九三九年五月に竹村書房から刊行された書下ろし短編小説集『愛と美について』によってである。その沈黙の間に書かれた「古典風」は正面から取り上げて論じられたことがほとんどなく、先行研究も極めて少ない。均整の取れた文学の反措定としての小説を生涯にわたって生産し続けた太宰は「古典風」で何を実践しようとしたのか。本稿は「貴族風」を視野に入れ、テクストに見られる象徴性の問題などを念頭に置きつつ、あらためて「古典風」の構造上の特徴を考察する。同時に、前期のテクスト群との比較を通して、「古典風」の再評価および太宰文学における位置づけも試みたい。
著者
坂本 真惟
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-14, 2014

1529年からの神聖ローマ皇帝カール5世によるイタリア凱旋巡行のために,イタリア各地ではその地の最高の芸術家を動員して,その祝祭に備えた。イタリア中部の都市シエナも例外ではなく,カール5世来訪を歓迎するために,政府は多くの芸術家に作品制作を依頼していた。その中で最も重要であったのが,ドメニコ・ベッカフーミ(1486-1551年)によるシエナ市庁舎コンチストーロの間(Palazzo Pubblico,Sala del Concistoro)の天井画である。これまで先行研究では,本作品に示された思想的な源泉を探ることが中心に論じられることが多く,その図像に関する考察は十分とは言い難い。そのため,本稿ではそれまでのシエナ美術との比較を通して,本作品にシエナ美術の伝統とベッカフーミの新しい工夫の双方が示されていることを指摘する。具体的には«スプリウス・カッシウスによる打ち首»と«アエミリウス・レピドゥスとフルウィウス・フラックスの和解»の二場面を取り上げ,「斬首の図像」,「抱擁の図像」,「背景の建築モティーフ」に注目する。以上の議論を通して,本作品がシエナ美術の伝統を踏襲しながらも,新たな工夫を加えて描かれ,そのことによって古代ローマにさかのぼるシエナの系譜と,政治・芸術の面での繁栄を誇った13-14世紀シエナの黄金時代の再来を示していると結論づける。
著者
李 雅旬
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.111-124, 2016-12-15

川端康成『美しさと哀しみと』は雑誌連載当時、加山又造の挿絵が六十六葉も添えられていた。それらが非常に好評であったにもかかわらず、これまでの『美しさと哀しみと』論ではほとんど考慮に入れられてこなかった。また、初出の結び方について、同時代評にも先行研究にも批判の声が絶えなかったが、その原因はいったいどこにあるだろうか。さらに、『日本の文学』の第三十八巻『川端康成』(中央公論社、一九六四・三)に収録される際に結末の部分は書き加えられた。この加筆をめぐってどう解釈すればよいか。この小論の目的は、『美しさと哀しみと』の物語内容と挿絵とを合わせて分析し、とりわけ最後の一葉、およびそれに関連する小説の結末を再検討することにある。つまるところ、初出の結末は古賀春江の「煙火」に描かれた画面に向かって進んでいたのであり、川端所蔵の美術品は隠された形で物語の展開に関与していたのである。なお、結末の加筆に関しは、時間論的観点から、加筆によってテクストに余韻が無くなったという批判的な解釈を導き出す。
著者
余 迅
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.14, pp.187-203, 2014

葉霊鳳(1904-1975)は、創造社の中堅社員として、よく海派文学の代表者と考えられているが、日本で書かれた葉霊鳳に関する論文は、筆者の知る限りでは非常に少ない。葉霊鳳研究を推進するため、本論文は、中国における葉霊鳳への評価を、20~30年代、80~90年代、21世紀以後に分けながら、彼に対する評価が否定的なものから、肯定的なものへと変わってきていることを紹介した。中国では、魯迅によって、「年若くみめ美しくして、歯白く唇紅くなる」という否定的な評価が与えられてから、それが葉霊鳳評価のよりどころとなった。80~90年代、葉霊鳳の作品が再評価され、特に性愛小説や書評などが高く評価された。しかし、「反逆者」・「売国奴」という人々の心に残された深いイメージが、日本における葉霊鳳研究にも影響を及ぼした。また、あくまでも題材的に社会性があるかどうかという点が葉霊鳳を評価する際の基準となっていることは、現在に至るまで変わっていない。葉霊鳳は、小説家であると同時に、優秀な画家である。近年の海派小説研究は、葉霊鳳作品におけるデカダンス、また西洋文学の受容に注目しているものの、葉霊鳳と絵画との関係については本格的に論じていない。よって、本論文の後半で、葉霊鳳と絵画の関係について少しだけ触れ、蕗谷虹兒の受容をめぐって、葉霊鳳小説における絵画的要素「フレーム」に着目し、テクストの再考を試みた。葉霊鳳小説の中には、フレームの形態との類似が看取できた。また、フレームによって、語り手と登場人物、現実と幻想が切断され、不思議な「夢世界」が生み出された。
著者
Li Yuan Shin Woongchul Okada Kazuhiro
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
Journal of the Graduate School of Letters (ISSN:18808832)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.83-96, 2016-03

This essay will address differences in orientation in early Japanese lexicography with regard to the Japanese rendering of definitions in a Chinese language dictionary. Most,if not all, premodern Japanese dictionaries took the form of rendering the headword in Chinese characters and Chinese words,while also offering a Japanese reading. This does not, however, entail that early Japanese lexicography was entirely oriented to the Chinese language:in fact,a representative portion of Japanese oriented language dictionaries were produced. Japanese readings in Japanese language dictionaries explain the Japanese use of the headword. Alternatively, Chinese-Japanese dictionaries, including Chinese character dictionaries, explain the Chinese use in the Japanese language. By virtue of this fact,they are not distinctive in their form. This essay attempts to distinguish which orientation a dictionary inclines to by focusing on its rendering of definitions of earlier Chinese dictionaries. Here,we will examine the nature of Japanese renditions in a Japanese dictionary,Ruiju myogi sho 類聚名義抄, cited from the Chinese character dictionary Tenrei bansho meigi 篆隷万象名義. Our findings suggest that Japanese renditions illustrate Chinese use rather than Japanese use, which accounts for differences in the Japanese readings and compiling strategies of the dictionaries.
著者
鈴木 仁
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.1-23, 2016-01-15

本論は、昭和期に内地で広まった郷土教育運動を背景に、「外地」樺太における郷土研究・郷土教育の活動をまとめた。内 地では、文部省により昭和五年度からの十二年度までに、師範学校への研究設備施設費の補助や、講習会の開催が実施され、 民間団体の郷土教育連盟による普及啓発が、各地の学校、教職員に影響を与えた。そこには、明治期からの地方(郷土)研 究の実績を教育への実践に取り入れ、郷土愛からの愛国心涵養の目的があった。「外地」である樺太は、教育行政を樺太庁が担っており、文部省の補助は適用されていないが、教職員は独自の郷土教育活動を模索している。他の「外地」が、郷土教育において重要視された「地域性」と、愛国心涵養を目指した「同化」との矛盾を抱えているのに対し、住民の九割以上が日本人(内地人)である樺太では、内地と同じく日本人子弟を対象とした教育政策がとられていた。だが、日本人移民の入植が広がることで新に社会が形成された樺太には、内地のような「郷土史」や、郷土研究の蓄積を有しておらず、郷土教育では樺太の「郷土像」を作り上げることが課題となる。本論は、第一節で樺太における郷土研究と郷土教育の活動についてまとめ、第二節では郷土教育の教授方法の一つである「郷土読本」について、編纂の記録や残された資料を事例に取り上げた。第三節では郷土史としての樺太史の研究と顕彰、教育への導入について、豊原中学校・樺太庁師範学校の校長となった上田光の発言、事績から、「郷土像」の形成過程を考察している。