著者
Kudo Haruka
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
Journal of the Graduate School of Letters (ISSN:18808832)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.29-37, 2017-02

Against the backdrop of a high proportion of mothers who take care of their children at home and the problem of child-rearing anxiety and social isolation among them, the Japanese government has currently expanded child-rearing support via the Community-based Child-rearing Support Centers (CCSCs). They are open spaces for infants and parents in the community, where they can gather freely, communicate with each other, and share their anxieties and worries related to child rearing. There are also many voluntary programs that are similar to the CCSCs in each region, and all of these are often called “childcare salons.” In this study, I categorize these childcare salons into 4 types based on their management bodies, namely, the center type, childrenʼs hall type, Hiroba type, and local-based type. Based on a qualitative investigation conducted in Sapporo, a Japanese urban area, I briefly summarize how these childcare salons support child rearing by “full-time mothers” and affect the formation of their childcare support networks. These childcare salons are diverse in terms of staff members and volunteers, space and facilities, and their opening hours. These features characterize the institutional support provided by these salons, which affects the relational support mutually provided among mothers who avail these services; therefore, different types of social exchanges and network formation are prevalent among the users. These childcare salons embody the idea of the “socialization of childcare” and practically “socialize” child rearing by moving it from the private sphere to the public sphere outside the family and by sharing it among families and people in the community. However, there are still issues and limitations with respect to gender division and family responsibility of childcare.
著者
髙橋 小百合
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.85-100, 2016-12-15

本論文は、明治期における木戸孝允と幾松に関する言説を、二人の関係性の描写から分析し、同時代の男女交際論等、男女関係についての思潮をふまえながら、文化史中に占める二人の描写の位置および意義について考察したものである。論者には『日本近代文学会北海道支部会報』一九号掲載予定の別稿「<木戸孝允>像の生成」があり、そこでは木戸孝允が死去から明治末年までのあいだ、どのように語られていったのか、その変容と文脈パターンについて論じた。本論文では、そこで見出した六つの文脈パターンのうち、以後、大正、昭和期とより重要性を濃くするであろう<木戸と幾松> <幾松あっての木戸>について一歩踏み込んだ論を展開したつもりである。本論文の第一章「木戸表象の傾向と類別」は、木戸を語る文脈パターンについてまとめ、右の別稿の内容を引き継いだかたちである。よって、本論文の核は第二章以降にあるといえる。幾松はなぜ、木戸を語る言説のなかで存在感を増し、大衆的歓迎をうけたのか。第二章では、木戸と幾松の関係が、近代的恋愛の文脈に読み替え可能であることを論じ、同時に、幾松の芸妓という出自に着目して、近代と前近代の微妙なあわいに、ふたりの「恋愛」があることを明らかにした。第三章は、一方で二人の関係表象がもつ「復古」性について論じている。「王政復古」「一君万民」のイデオロギーとからめながら、<尊いから尊い>カミの論理で語られる木戸と、太古、国運を占う巫でありえた(元)芸妓幾松との関係が、国生み神話に準ずる「復古」の国づくりを表徴しうると指摘した。幾松あることによって、木戸のイメージは①愛妓とついには恋愛結婚を遂げた②<勤王の志士・桂小五郎>として定型化していく。それは同時に<近代>化と<復古>の二律背反、あるいは混淆を示す営為でもある。これこそ、日本の<近代化>の姿そのままであり、本論文のもっとも強調しておきたいところである。
著者
高雄 芙美
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北海道大学大学院文学研究科研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
no.14, pp.125-141, 2014

西日本各地で標準語化とともに関西方言化が進んでいるが広島では他地域ほど関西方言化が見られないことが指摘されている。この他地域とは異なる広島方言の特性を捉えるためには広島方言の実態を明らかにする必要がある。本稿では広島方言の「のだ」形式について,標準語,関西方言と比較し記述することで,広島方言の文法的特徴の一面を明らかにする。加藤2003,2006によると「のだ」は,命題内容について判断済みの情報である,ということを表す。また終助詞「よ」は命題内容について,発話者が排他的な知識管理をおこなう準備あること示す。どちらも話者の知識管理に関わる談話マーカーである。広島方言,関西方言では名詞化辞「の」は「ん」となり,「のだ」は広島方言では「んじゃ」,関西方言では「んや」となる。「んじゃ」「んや」の前が否定辞「ん」「へん」など撥音のときは「のじゃ」「のや」のようになる。「んじゃ」「んや」は言い切りの場合,気づき・発見の用法で使われることが多い。自分の情報を披瀝する場合は広島方言では「んよ」,関西方言では「ねん」が使われることが多い。広島方言では「*んじゃよ」とはならず「んよ」と,名詞化辞「ん」に直接「よ」がつく。伝聞の形式「んと〔んだって〕」も名詞化辞「ん」のあとにコピュラ辞が現れない。推量形や従属節などは広島方言では「んじゃろう」「んじゃけど」のように「んじゃ」が現れるが,関西方言では「んやけど」「ねんけど」のように「んや」「ねん」の両方が現れる。また「のなら」「のだったら」のような仮定形は広島方言では「んなら」が一般的で,関西方言では「なら」は使われず「んやったら」が一般的である。広島方言では従属節の「んじゃけー〔んだから〕」,「んと〔んだって〕」で在来の方言形が保たれているが,関西方言では「んやから」「んやって」のように標準語と同じ形式が使用されている。関西方言は「ねん」のような独自の方言形式を持つ一方使用頻度の高い文法形式に標準語化が見られる。広島方言は「ねん」のような独自の形式はないが,「のだ」形に用いられるような使用頻度の高い文法形式で在来の方言形を保持している。
著者
王 玉
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.83-104, 2014-12-20

大正七年(一九一八年八月)、鈴木三重吉は「世俗的な下卑た子供の読みものを排除して、子供の純粋を保全開発するため」の話及び歌を創作し、世に広める一大運動を宣言し、『赤い鳥』を発刊した。しかし、創作童話、童謡以外にも、鈴木三重吉の手による作品をはじめとする、多くの再話作品が『赤い鳥』において重要な位置を占めている。特に、第一次世界大戦中にヨーロッパの思想、文化がこれまで以上に流入するようになったことにともない、欧米の昔話の再話が『赤い鳥』に数多く掲載された。「私は、これまで世の中に出ている、多くのお伽話に対して、いつも少なからぬ不平を感じていた。ただ話が話されているというのみで、いろいろの意味の下品なもの少なくない」と当時の児童文学を手厳しく批判した三重吉は、積極的に芸術性の高い海外の作品を日本の子どもたちに紹介しようとした。しかし、外国昔話の再話作品が、どういう基準で選ばれたかはまだ明らかになっていない。ところで、昔話は残酷な場面が多く、子どもに向いていないという説があるが、大正時代の代表的な児童雑誌として、『赤い鳥』における昔話の再話作品に「殺す」「殺される」など「殺害」もそのまま残っていることが多い。「殺害」が残された理由として、昔話における「殺す」「殺される」というモチーフが単に残酷性を表わすものではなく、独自の意味を持っていることが挙げられる。本論は『赤い鳥』の欧米昔話の再話作品群を中心に、作品中の「食べる」「食べられる」「殺す」「殺される」などの場面を取り上げながらその特徴を明らかにし、そこに現れた三重吉を代表とする『赤い鳥』の編集方針とその意図を検討したい。
著者
閻 慧
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.55-70, 2014-12-20

本稿は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の改稿に関して考察するものである。周知のように、「銀河鉄道の夜」は、数回の改稿を経ることにより、多彩な容貌を持っているテクストである。その多面性を捉えるため、各次稿の間の改稿過程をどのように受け止めるかは、無論重要な問題となる。従来の研究においては、「銀河鉄道の夜」の改稿問題が焦点となっているもののうち、初期形〔三〕と後期形との間に行われる改稿を中心に論じるのが圧倒的多数である。つまり、テクストの初期形〔一〕から初期形〔三〕までに行われる改稿はこれまで看過されたきらいがある。そこで本稿では、新校本全集に収録された「銀河鉄道の夜」のテクストを参照し、まず初期形内部の変容を把握し、ついで初期形から後期形までの改稿について考察する。まず、初期形〔一〕と〔二〕の特徴について考えてみる。両者において、質的な差異は殆どない。ブルカニロ博士の全能性と実験という枠組みに注目すれば、初期形〔一〕と〔二〕をブルカニロ博士の実験記録として見なすことができる。次に、初期形〔二〕から初期形〔三〕まで、作中の現実世界に関する加筆に注目し、ジョバンニを苦しめる現実状況および彼が持っている逃走願望を読み取る。そこで、ジョバンニが焦点化されることによって、初期形〔三〕を彼の逃走物語として読むことができる。続いて、後期形における労働するジョバンニの設定が誘発した鳥捕りとの関係の変化、またジョバンニの父の帰還とカムパネルラの水死についての改稿を中心に、分析を行う。それによって、変容する後期形の姿が明らかになり、ジョバンニの行方の未定着によって、「銀河鉄道の夜」という作品の未決性が見出される。以上のように、「銀河鉄道の夜」が実験記録から未決の物語までの改稿プロセスを考察する。それと同時に、初期形〔一〕から後期形まで貫通している、ジョバンニの切符、金貨、牛乳などのモチーフの役割・意味についても吟味する。「銀河鉄道の夜」の物語に潜在する未決性、また共通するモチーフの多義性の分析によって、新しい読み方を示唆する。
著者
Terazawa Shigenori Ng ka Shing
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
Journal of the Graduate School of Letters (ISSN:18808832)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.59-70, 2015-03

Religion and social stratification has been an important sociological topic since Max Weber and Karl Marx. It continues to attract scholarly attention nowadays in the United States, giving rise to numerous empirical studies on their complex relationships. However, there is no or inadequate studies on the relations between religion and social stratification in societies that have very different cultural backgrounds compared to the U.S. This research note attempts to expand this sociological topic to non-Christian societies using Taiwan as a case study, where Christianity is not the dominant culture. It first offers a literature review of religion and social stratification in Taiwan, followed by a quantitative study based on a national survey, Taiwan Social Change Survey. Analysis is based on the data from the 2000, 2005, and 2010 dataset. This research note focuses on three important social stratification indicators, namely education level, occupation, and income, and their effects on religious affiliation. Changes in such relations over ten years are also studied. Our analysis has at least five significant findings: (1) respondents belonging to “Protestantism” and “No Religion” tend to be in the upper class. (2) Except for “Protestantism” and “No Religion,” religious affiliation is affected by different social stratification indicators and such effect is particular strong for “Buddhism,” “Taoism,” and “Folk religion.” While (3) “Catholics” have declining score in occupation and income level, (4) “Buddhists” are achieving higher status in occupation. (5) Education, occupation, and income level are increasing for “Yiguan Dao” practitioners.
著者
上村 正之
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.33-52, 2016-12-15

本稿の目的は,M.ザゴスキン『ユーリー・ミロスラフスキー,あるいは1612年のロシア人』(1829)におけるコサック・イメージを考察し,先行研究の中に位置付けることである。文学上のコサック表象を論じた先行研究では「神話」という概念を用いて,ゴーゴリの『タラス・ブーリバ』が持った影響力の強さを論じている。『タラス・ブーリバ』と違い,ウォルター・スコット風の歴史小説である『ユーリー・ミロスラフスキー』の場合,ロマンチックなコサック像と,歴史的知識に基づいたコサック像の2種類が現れる。前者がザポロージェ・コサックのキルシャであり,受動的な主人公ユーリーに対して,アグレッシブな行動力により彼を積極的に助ける。ユーリーとキルシャが合わさることで,一種の理想的なロシア人像が描かれるが,キルシャはコサックの中では例外的な存在であると説明されており,コサックそのものは讃美されるべき対象として描かれていない。一方でキルシャ以外の歴史記述に基づいたコサックは,利己主義を特徴としており,ロマンチックなコサックを相対化している。こうした要因により,この作品ではゴーゴリ的なコサックの「神話」性は力を持ちにくくなる。
著者
風間 伸次郎
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.81-110, 2016-01-20

It has already been crosslinguistically shown how animate subjects are preferred in marked voice sentences (e.g. passive or causative). However, few studies have crosslinguistically investigated the extent to which an animate agent should be a subject in unmarked voice sentences. In this paper I examine this problem through a questionnaire (19 pairs of sentences) in 13 languages of different areas and different language families. Then I consider the following questions. [1] Are the languages classified into the two extreme types, i.e., the animate subject-oriented languages and the languages almost without restriction? [2] Does the inclination/disinclination to animate subjects of the language have an internal relationship with other typological features of the language? [3] Is the latitude to the inanimate subject different among verbs? [4] Are there any geographical biases concerning this tendency? This paper is a first attempt on my consideration of the above questions. In conclusion, I point out the following points: ・Crosslinguistically, inanimate subjects are unacceptable under the condition that the inanimate subject is the direct actor and the object is affected. On the other hand, inanimate subjects are acceptable under the condition that the action is indirect and the inanimate subject is a trigger of human emotion or something similar. This factor can be considered as that of transitivity. ・Paying attention to the nominal character of the inanimate subject, it can be noticed that the instrumental nouns tend not to be inanimate subjects, although the nouns which have the intentional human participation on the background tend to be inanimate subjects. ・The Japanese language has a strong tendency to avoid inanimate subjects, and the Korean and Indonesian languages follow it. While the Arabic and Persian languages allow inanimate subjects to a considerable extent. SAE also allows them to certain degree. I pointed out the factors of such distinction as follows: 1. Whether the personal inflection on verb exists or not; 2. Grammatical gender exists or not; 3. Voice strategy. The direction of voice change of the languages in question seems to especially be the important typological feature which has systematic relation with other features.
著者
増井 真琴
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.15-30, 2017-11-29

日本少国民文化協会(以下、少文協)は、日米開戦直後の昭和一六年一二月二三日(皇太子の誕生日)に発足した、児童文化分野の国策協力団体である。そして児童文学作家の小川未明は、この団体の設立・運営に深い関わりを持っていた。 しかるに、未明と少文協との接点をつまびらかにした先行研究は、現状存在しない。というのも、昭和期の未明の行状自体、これまであまり注目されてこなかったからである。なかんずく、満州事変以降、一五年戦争下のそれは、研究の空白地帯とさえ言ってよいだろう。 そこで本稿は、研究の更地に一石を投じるべく、次の三節からなるアプローチを採用し、両者の関係の究明を試みた。 まず、一節「「児童読物改善ニ関スル指示要綱」から日本少国民文化協会設立まで」では、少文協発足の起点である「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(昭和一三年一〇月)から、「児童文化新体制懇談会」(昭和一五年九月)を経て、少文協設立(昭和一六年一二年)へ至るまでの未明の行状を、一次資料を探査して、徹底的に洗った。 次に、二節「日本少国民文化協会での発言・行動」では、少文協設立後、団体の機関誌類(「少国民文化」「少国民文学」「日本少国民文化協会報」『少国民文化論』)へ発表された、未明の評論・随想類をすべて分析するとともに、協会内部での彼の行動を追った。 最後に、三節「童話「頸輪」─アジアを統べる母」では、未明が「少国民文化」創刊号へ著した童話「頸輪」(昭和一七年六月)を分析した。童話作中の小犬と母犬には、欧米に屈従を強いられるアジアと、その解放者たる日本の姿─すなわち、「大東亜共栄圏」のイデオロギー─が存分に仮託されているというのが、筆者の見立てである。 本稿によって、従来黙殺されてきた、未明の国策協力者としての相貌が、幾分なりとも明らかになったものと結論付けたい。
著者
武 倩
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.51-60, 2016-01-15

『本草和名』は、九一八年頃に、深根輔仁によって著した薬物辞書である。本書は江戸幕府の医師多紀元簡によって紅葉山 文庫で発見されるまで、長く所在不明であった。元簡は古写本を校訂し、版行したことによって世に広めた。 現在最も多く利用されているテキストは、『日本古典全集』所収の複製本(全集本)である。その底本となるのは、森立之 父子が書き入れをした版本である。 武倩 (二〇一三)「『本草和名』の諸本に関する一考察 ―万延元年影写本と全集本との関係を中心に ―」(『訓点語と訓点 資料』一三一)では、台北故宮博物院と無窮会専門図書館神習文庫所蔵の写本(万延元年影写本)を紹介しており、全集本 との関係についても考察を行った。ただし、全集本底本の所在を突き止めることが出来なかった。 その後、森立之父子書入れ本が松本一男氏の所蔵に帰したことが分かり、『松本書屋貴書叢刊』にオールカラーで影 印出版 されていることも明らかになった。 本稿は、この『松本書屋貴書叢刊』所収のカラー版(松本書屋本)を用いて、これまでの書誌研究を見直したものである。 第二章では、蔵書印を手掛かりに、松本書屋本の所蔵経緯を整理する。第三章では、識語・書入れなどを分析し、小島本 との密接な関係を述べる。第四章では、森立之によって行われた校訂をめぐって、詳しく考察する。 これらによって、本研究が今後の研究の手掛かりとなることを期待している。