著者
大谷 実
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.21, no.4, pp.58-103, 1970-03-31

資料
著者
高木 繁光
出版者
同志社大学
雑誌
言語文化 (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.105-121, 1998-07
著者
小出 輝章
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.1169-1194, 2005-11

56年度防衛分担金をめぐる日米交渉は、55年体制成立後の最初で最後の防衛分担金交渉となった。防衛予算全体の増額を強く望むアメリカと経済力の許す範囲でその増額を図ろうとする日本との交渉は、結局、アメリカの譲歩で決着を見る。アメリカの望んだ保守合同は日本の防衛努力(とりわけ憲法改正)の一層の強化に結びつかなかったのである。
著者
三浦 哲司
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究 (ISSN:18808336)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.33-46, 2010-09

研究ノート(Note)大阪市でも全国的なながれと同様に、1935年から選挙粛正運動が展開された。端的にいうと、この運動は1935年から1942年までの7年間に、全国各地で展開された一連の選挙浄化運動のことである。そして、本稿は大阪市のなかでも北区を事例として取り上げ、1937年6月の市議会議員選挙の際の運動展開について検討する。そこで、本稿ではとりわけ、従来の先行研究が選挙粛正運動の際の部落懇談会の重要性を説いてきた点をかんがみ、大阪市における町内懇談会(大阪市では部落懇談会に相当する会合がこのように呼ばれた)に着目して検討を進めていく。そして、北区都島第一学区の都島本通1丁目および2丁目で開催された町内懇談会の検証により、全国各地で開かれた部落懇談会の開催方式とは異なる大阪市の特徴を把握することができるのである。すなわち、一般的な事例と比較すると、大阪市の場合には町内懇談会に参加する有権者の割合が極端に低いことに加えて、有権者にまでその成果が浸透するまでには多くの階層を経なければならないという「間接型懇談会方式」を採用せざるを得なかったのだった。これは、当時の大阪市内の有権者数の多さをかんがみるならば彼らすべてを町内懇談会に参加させるのは非現実的であり、自ずと参加対象者が限定されていたことに由来する。もっとも、本稿における検討では、地域社会のアクターとして中心的に取り上げたのは町内会であり、また当時の大都市のなかでも大阪市のみを扱っているにすぎない。そのため、今後は地域社会のなかで選挙粛正運動の展開を支えた他の団体のうごきを検証するとともに、他の大都市でも「間接型懇談会方式」が採られていたのか否かを検証していきたい。
著者
西澤 由隆
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.1-31, 1999-05

論説
著者
岩野 英夫
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.1151-1220, 2009-09

論説(Article)西洋中世初期の裁判文書を手掛かりにして、同時代に行われていた裁判のかたちの全体像を明らかにした。具体的には、同時代に特徴的に見られる裁判のかたちである欠席裁判や仮装裁判(Scheinprozeß)の事例にまず触れ、その後、一般的な裁判手続に従って進行する、訴えから判決までの裁判の流れの様々なかたちを重要な裁判記録を訳出しながら描き出した。
著者
布留川 正博
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.755-783, 2006-03

シエラ・レオネ植民地は、イギリスの奴隷貿易・奴隷制廃止運動が行なわれている時期に西アフリカにおける自由管区として創設された。クラパム派のアボリショニストはシエラ・レオネ入植計画を支援し、かつ、推進した。在英黒人やノヴァ・スコシアの黒人、ジャマイカのマルーン出身の人々のようなさまざまな黒人がそこに運ばれてきた。彼らは、食糧不足や熱病にもかかわらずそれぞれのコミュニティを形成した。1807年の奴隷貿易禁止法以降、非合法貿易の犠牲になった多くのアフリカ人がシエラ・レオネで解放された。そのほとんどはシエラ・レオネに留まったが、一部は1840年代になると年季奉公人労働者として英領西インドに運ばれた。Sierra Leone colony in West Africa was founded in the era of British abolitionism as a Province of Freedom. Abolitionists of Clapham Sect supported and promoted the Project of Sierra Leone Settlement. Various black people such as blacks in England, Nova Scotia, and Maroons in Jamaica were transported there. They formed each Community against a shortage of provisions and a fever. After An Act of the Abolition of the Slave Trade in 1807, many Africans who were the victims of the illegal trades, were emancipated in Sierra Leone. Most of them settled there, but some of them were transported into the British West Indies as indentured labourers in 1840s.
著者
山本 浩三
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.13, no.5, pp.85-95, 1962-02-28

資料