著者
谷山 勇太
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.37-67, 2007

本稿は本誌第78号「近世の嵐山と日切茶店」に引き続き、天龍寺の寺務日誌『年中記録』を素材として、近世という時間のなかで名所嵐山をめぐって繰り広げられたさまざまな人びとの営みの跡をみつめようとするものである。本稿では、とくに渡月橋の記録を通して、近世の嵐山と法輪寺、十三詣り、渡月橋のそれぞれのかかわり合いと結びつきについて考えるとともに、近世の嵐山という名所文化の一面にまなざしを向ける。
著者
米澤 昌子
出版者
同志社大学
雑誌
同志社大学留学生別科紀要 (ISSN:13469789)
巻号頁・発行日
pp.105-117, 2001-12

使役形+「ていただく」の本来の用法は,相手の使役行為により被使役行為者(多くが話し手)が行為を行うことを意味する。しかし,近年,「全国どこへでもお届けさせていただきます」「もう数十年勤めさせていただいております」のように,明確な使役行為が見られない場面でも頻用される。このような拡大用法について,本稿ではドラマ等のシナリオを会話資料とし,「〜(さ)せていただく」の待遇表現性を中心に語の使用状況から使役形+受給補助動詞の考察を行った。その結果「〜(さ)せていただく」の拡大用法は,A話し手の行為の申し出,B話し手の行為遂行宣言,C話し手の自分本位的な被使役行為者としての認識,の三つに分類できることが分かった。またこの表現は近現代に発生・定着したものと思われる。使役形を伴う「ていただく」は,語の性格上相手に許可される,許されることを表現する。この表現の頻用は,相手との関わりを許可されるという形で表現することで,丁寧さを重んじていることを積極的に示すことが重要視されることを意味していると思われる。また「ていただく」は,恩恵の受け手側からの表現であるため,与え手,つまり相手は言語化されなくともよい。事実は恩恵の与え手,或いは使役行為者でなくとも,「相手」として聞き手をその位置に想定することが可能なわけである。使役行為者よりも聞き手を強く意識する点て,「おかげさま」的発想との類似性が見られる。
著者
坂田 雅夫
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.931-960, 2006-06

各国が締結してきた投資保護条約の多くには、「他の締約国の国民との間で負った義務の遵守」を確約する条項(「傘条項」)が含まれている。この条項は、それが対象としている義務や義務違反行為の性質を条文上何ら限定していないことから、国家が条約の他の締約国の国民との間の契約に反する行為は、全て同時に投資保護条約のこの種の条項の違反になると解されてきた。近年、この「傘条項」を根拠に、投資保護条約が定める仲裁手続きを利用されることが急増し、仲裁付託数の抑制を図るために、この種の条項の適用対象を制限しようとする新たな解釈が判例及び学説において模索されてきている。それらの新たな解釈のなかでも有力なものとなりつつあるのが、国家が立法権や行政権を行使して外国私人との間の契約を無効化した場合のように、国家がその権力を濫用し、通常私人たる契約当事者なら取り柄ない行為を、国家が執った場合にのみ「傘条項」の違反が成立するという解釈(主権的権限論)である。本稿は、この主権的権限論の法的根拠について批判的に検討したものである。Most of the investment protection treaties have the clause (so-called "Umbrella Clause") which promises the observance of commitments entered with the investors of any other contracting party of the treaty. It is generally accepted that this clause protects the investor's contractual rights against any interference which might be caused by either a simple breach of contract or administrative or legislative acts. It is said that this clause is of particular importance because that it is not entirely clear under general international law whether such measures constitute breaches of an international obligation. In recent articles and arbitral awards published in these three years, a different interpretation of the Umbrella Clause is proposed. This newly advanced interpretation say that the government would breach the Umbrella Clause when it abuses its governmental powers to escape from its contractual obligations, and that the Umbrella Clause has no rule about normal contract disputes which the state acts as contractor, not as regulators relying its sovereign powers. Thomas W. Wälde, a most influential writer about investment protection treaties, powerfully argued for this new interpretation at recent article published in 2005. This article critically examines the legal grounds of this newly advanced interpretation of Umbrella Clause. Umbrella Clause was introduced to private drafts of the investment protection treaty in the 1950's and spread from 1959 to many contemporary investment protection treaties. Thomas W. Wälde argued that implied "Original Intention" of drafters of this clause in the 1950's was to internationalize the protection of investment (then mainly concession) contracts with governments against abusive governmental abrogation. And so it would not cover the dispute over contractual performance that are the "merely commercial", with the State not relying on its sovereign powers. But the research of intentions of relatively many members of drafters of Umbrella clause shows that this clause could cover also the small and purely contractual disputes. Many articles and textbook mention the Umbrella Clause also covering the "mere" or "simple" breach of contract. It is of particular importance that, from 1950's to nowadays, text of The Umbrella Clause of Investment Protection Treaties provide that "any" obligations should be observed and don't restrict the Clause to limited disputes. If the implied intention of drafters and contracting States is to limit the Umbrella Clause to the disputes of governmental power's abuses, it would be curious that in recent investment treaties States don't limit the Umbrella Clause application by clear provision in spite of many commentaries in articles and textbook contrary to their implied intentions.
著者
村上 亮
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.31-52, 2014-08

本稿は,ハプスブルク統治下ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおいて展開された農業政策を事例として,ハプスブルク独特の二重帝国(アウスグライヒ)体制の一端を明らかにすることを目的とする。ボスニアは,帝国内唯一の「共通行政地域」として共通財務省の管轄下におかれ,その統治はオーストリアとハンガリーが共同対処する「共通案件」とされた。またこの地では,就業人口の9割近くが農業に従事しており,その中心をなす畜産は重要な意義をもっていた。今回はとくに,第一次世界大戦前夜に構想されたボスニア地方行政府官吏フランゲシュの農業振興法案が成立するまでの過程に着目し,次の点を明らかにした。第一は,フランゲシュの振興法案が,家畜の品種改良の促進,農業機関の設立,農業信用制度の創設を中心とするもので,ボスニアの事情と帝国本国とボスニアとの経済関係を勘案して作成されたことである。第二は,ボスニア統治が「共通案件」であったため,法案はその施行までに帝国中枢,とりわけハンガリー政府からの妨害に直面したことである。しかし,帝国中枢もボスニア議会(1910-14年)を始めとする現地の意向を勘案せざるを得ず,振興法案は縮減されたものの成立した。本稿の検証を通じて,「共通案件」をめぐる複雑な政策決定過程を跡づけた。
著者
ゼラート ウルテ 黒田 忠史
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.335-366, 2006-05

ドイツの連邦憲法裁判所は、1987年7月14日の決定でもって従来の判決を完全にくつがえし、弁護士の職業上の自由への介入は、弁護士会が定めた「身分倫理指針」のようなものではなく、憲法に従った民主的な決定手続をへて制定された法的規定(法律または規則)に基づいて行われるべきであるとの判断を示した。その後、1994年9月20日に連邦弁護士法の改正法、すなわち「職業法(BRAO)の新規定に関する法律」が、そして1996年12月に「弁護士職務法」(BORA)と「専門弁護士法」(1997年3月発効)が制定された。従って今日では、弁護士の職業上の義務と身分[倫理]上の義務との間には区別がなく、弁護士の職業上の義務の多くは後者BORAの中に含まれている。ドイツの弁護士が遵守すべき職業上の義務としては、職業上の独立性、守秘義務、ザッハリヒカイト、双方代理の禁止、預った財産の注意深い管理、継続研修義務、広告制限、相手方弁護士迂回の禁止、民事事件の訴訟代理受任義務、相談支援・刑事弁護受任義務、欠席判決請求の事前通知義務、代理人変更の迅速通知義務、成功報酬および紹介料の受領禁止、弁護士活動記録書類の引渡し義務、職業賠償保険加入義務、法服着用義務、他の法律職従事者として同一事件の扱うことの禁止などが重要である。近年ドイツの弁護士のこのような職務上の義務は、欧州統合やグローバル化の進展、弁護数の急増と競争激化のなかで、絶えず見直されなければならなかったのである。In völliger Abkehr seiner bisherigen Rechtsprechung entschied das Bundesverfassungsgericht mit den Beschlüssen vom 14.7.1987, dass Eingriffe in die Berufsfreiheit eines Rechtsanwalts Regelungen voraussetze, die durch demokratische Entscheidungen entsprechend der Verfassung zustande gekommen sind, nicht aber durch Standesrichtlinien. In der Folgezeit kam es zur Novellierung der Bundesrechtsanwaltsordnung, nähmlich zum Gesetz über die Neuordnung des Berufsrechts(BRAO) vom 2.9.1994 und auch zur Berufsordnung für Rechtsanwälte(BORA). Daher wird heute nicht mehr zwischen den Berufs- und den Standespflichten eines Rechtsanwalts unterschieden und die Mehrzahl anwaltlicher Berufspflichten ist in BORA enthalten. Unter den Berufspflichten der deutschen Rechtanwälten sind berufliche Unabhängigkeit, Verschwiegenheitspflicht, Sachlichkeit, Verbot der Vertretung der widerstreitenden Interessen, sorgfältige Behandlung der ihm anvertrauten Vermögenswerte, Fortbildungspflicht, begrenzte Werbung, Pflicht zur Übernahme der Prozessvertretung in Zivilsachen, Pflicht zur Beratungshilfe und zur Strafverteidigung, begrenzte Werbung, Verbot der Umgehung des Gegenanwalts, zuvor angekündigter Versäumnisurteil, unverzügliche Mitteilung des Mandatswechsel, Verbot des Erfolgshonorars wie der Provision, Herausgabe der Handakten, Berufshaftpflichtversicherung, Berufstracht, Versagen jeglicher Berufstätigkeit u.s.w. vor allem wichtig. Diese Berufspflicten der deutschen Rechtsanwälten sollten in den letzten Jahren sowohl durch EG-Integration und Globalisierun wie auch durch Steigerung der Anzahl der Rechtsanwälte und die größere Konkurrenz immer wieder geprüft werden.訳:黒田忠史
著者
関谷 直人
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.1-18, 2010-07

講演(Lecture)「黒人霊歌」は主に18世紀から19世紀にかけて奴隷としてアフリカからアメリカ大 陸に連れてこられた人々の経験から生み出されたキリスト教音楽である。作者不詳のある種の「Folk song」である黒人霊歌は、単に彼らアフリカン・アメリカンの苦難と喜びを表現した素朴な「生活の歌」であるだけでなく、アフリカ南部から自由の地である北部への脱出に対する希望を表した非常に「政治的」な要素も持っている。本講演では、そうした「黒人霊歌」の重層的な性質を考慮にいれながら、その特徴と機能について言及する。また、米国におけるアフリカン・アメリカンがおかれていた状況や、当時の白人教会における教会音楽の状況に触れながら、「黒人霊歌」がその時代のアメリカのキリスト教会全体に与えたインパクトについて考察し、それが現代の日本のクリスチャンにとって持っている意味を述べて結論とする。"African American Spirituals" are Christian music that emerged among the African Americans who were brought from Africa to the United States as slaves in the eighteenth and nineteenth centuries. This anonymous music, which resembles "folksongs," is not only the music of daily life in which African Americans expressed their sorrows and joys but also the political songs through which they dreamed of escaping to the north, the land of freedom. I explore the character and the function of "African American Spirituals" by referring to the multilayered nature of the music in this lecture. I observe how such music impacted contemporary white Christian churches by examining the situation of African Americans and the music of white churches in the sixteenth to nineteenth centuries in the United States. I close my lecture by mentioning what "African American Spirituals" mean to contemporary Japanese Christians.P.1の要旨の文中に誤りあり (誤)アフリカン・アフリカン → (正)アフリカン・アメリカン
著者
金田 重郎 本村 憲史 橋本 誠志
出版者
同志社大学
雑誌
同志社政策科学研究
巻号頁・発行日
vol.1, pp.49-65, 1999-10
被引用文献数
1

論説ネットワーク上に溢れている個人情報は、デジタル化されているが故に、統合され、個人のプライバシーが侵害される恐れがある.情報統合を視野に置くプライバシー保護法制は、欧米には存在する。ドイツ身分証明書法は、個人ID による情報統合を禁止している。民間部門に対するプライバシー保護法制自体が存在しないわが国と比較すれば、このような法律があるだけでも、西欧諸国の状況は大きく異なっている。しかし、これら既存の法律で想定されているのは、キー属性(いわゆる国民背番号等)による統合である。キー属性でなくても、複数属性を併用すれば、結果として、キー属性として利用できる。その結果、データ主体・データ管理者の予知範囲を超えて侵害が発生する恐れがある。情報統合によるプライバシー侵害は、個々のデータ管理者の善良なる管理監督のみでは防ぎ得ない。わが国でも、情報統合を前提とする法制度の確立と、併せて、データ主体が個人情報の存在を常に把握し得る、個人情報流通管理システム/データ監察官の設置が必要と思われる。
著者
村上 博巳 山岡 憲二 山本 武司 田阪 登紀夫
出版者
同志社大学
雑誌
同志社保健体育 (ISSN:02864118)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.17-36, 2007

卓球競技は、瞬時に多くの情報を入力し、判断を求められる競技である。従って卓球競技において視機能は競技力の優劣を決定する重要な因子の1つである。卓球競技の競技力向上に小学生期からの選手育成は不可欠である。しかしながら競技力に重要な役割をもたらすと思われる視機能の小学生期の特性が明らかにされていない。そこで日本卓球女子ホープスナショナルチームの選手(HNTP群)を対象にスポーツビジョンの測定を実施し、関西学生リーグ所属のトップクラス女子卓球選手(UVP群)と比較し、卓球女子ホープスナショナルチームの選手にどのような視機能の特性がみられるのか検討した。各測定項目を平均値で見ると、HNTP群がUVP群よりOMS, VRT,E/H に有意に劣った値を示した。その他の測定項目(SVA,KVA,DVA,CS,DP)の平均値には有意な差は見られなかったが、SVA,CSを除いて劣った値を示した。HNTP群の視機能の貢献度はKVA動体視力、コントラスト感度、静止視力、深視力が、UVP群は静止視力、深視力、眼と手の協応動作、コントラスト感度が重要な視機能であり差異が認められた。以上の結果から、小学生期の視機能は成熟した機能と未成熟な機能が共有しており、年齢による評価の必要性が認められた。このことは小学生期の視機能は神経系の発達と密接な関係があり、今後、スポーツビジョンの測定は縦断的に追跡していく必要性が示唆された。
著者
向井 公敏
出版者
同志社大学
雑誌
同志社商学 (ISSN:03872858)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.485-545, 2001-03

研究門脇彰教授定年退職記念号
著者
小室 昌志
出版者
同志社大学
雑誌
評論・社会科学 (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.61-87, 2012-11

本稿では,私立大学という組織・機関の特徴を概観しつつ,私立大学職員に対する人事制度,とりわけ人事評価制度に焦点を当て考察を行った。考察の結果,まずは次の4点を指摘した。(1)私立大学は,「評価」に極めて不慣れであり,「評価文化」が未発達であること。評価結果を踏まえた自発的なPDCAサイクルが欠落しており,方針管理もできていない状況にあること。(2)職員に人事評価制度を導入している私立大学は少なくはないが,その結果を賃金に反映させる査定を実施しているところは少数派であること。(3)人事評価制度は,人材育成を大きな目的としていること。(4)人事評価の結果をダイレクトに賃金へ反映させることは少なく,賃金は依然として昇進・昇格によって決められていること。その上で,私立大学3校を対象にした事例分析に基づく考察を行った。考察の結果,人事評価制度においても方針管理がなされていないことを指摘し,この指摘を踏まえ,人事評価制度の目的・意義について,筆者なりの見解を示した。
著者
福田 智子 青木 聡美 桐谷 早織 浅井 佐和子 穂満 建等
出版者
同志社大学
雑誌
文化情報学 (ISSN:18808603)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.70-54, 2012-03

研究ノート『古今和歌六帖』は、約四千五百首の歌を、二十五項目、五百十七題に分類した類題和歌集である。収載歌には、『万葉集』『古今集』『後撰集』など、出典の明らかな歌もある一方、現在では出典未詳と言わざるを得ない歌もある。本稿では、菊・桔梗・竜胆・紫苑の題に配されている出典未詳歌、十一首について注釈を施す。