著者
岩崎 真紀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.467-492, 2004-09-30

本稿は、イスラーム社会の女性の在り方を考える上で重要な対象である身分法についてエジプトを事例として検討した。一九世紀後半に始まったエジプト身分法改革運動は、改革案自体はイスラーム法から逸脱することはなかったが、運動は西洋化志向の改革者によってなされた。夫の一方的離婚権や複婚権を規制する初の法となった一九七九年法制定に尽力したジーハーン・サーダートの運動もまた西洋的なものであり、宗教復興により保守化した当時のエジプト社会において大きな議論を巻き起こした。その結果、一九七九年法は手続き違憲とされ、若干の修正を伴い一九八五年法として制定された。このことは、身分法改革が西洋化を志向する運動として行なわれることの限界を示しているということができるだろう。一方、一九八五年法に続く重要な身分法として制定された二〇〇〇年法は、聖典に基盤を置いた内容であることを前面に押し出した改革であった。これは社会が一層保守化する中で女性がより多くの法的権利を得るためには、イスラーム的価値規範に則った改革運動が必要であることを表わしているということができるだろう。
著者
市川 裕
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.293-317, 2011-09-30

本論文は、ユダヤ教共同体が一五〇〇年間、社会的にパーリアの状態にあった共同体の内部において形成したユダヤ法の精神文化の意義を考察する。古代ユダヤ社会は、西暦一世紀から二世紀にかけて、ローマ帝国からの独立を目指して二度の大戦争を交え、神殿の崩壊、社会の壊滅、エルサレムからの追放といった一連の苦難を受けた。そののち彼らは、政治的自立と独立の夢を放棄し、唯一神の教えの徹底的な学習と実践を自らの生きる道と定めることを決断した。そこから導かれるタルムードの学問は、神への愛に基づいて、徹底した討論によって理性的に相手を説得する方法であった。それは、ユダヤ賢者が預言者の伝統である偶像崇拝との闘いを継承したことによって達成された。その具体例をタルムードにおけるラビたちの思惟方法と討論における論証法の中から抽出したい。ここでいう偶像崇拝とは、社会的権威への盲従や、先入見に無批判な知的怠慢に対する批判的態度であって、ラビたちが新たな形式での偶像崇拝批判を宗教的人格形成の根幹にすえたのである。
著者
東馬場 郁生
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.1-22, 2007-06-30

一九八○年代以降、北米宗教学界を中心に展開した還元論争は、一学術分野としての在り方が依然不透明な宗教研究について、その理論と方法の特徴を精査するうえで貴重な議論であった。還元論争は、M・エリアーデの方法論的主張に対する社会科学系宗教研究者からの反駁として始まり、やがて、宗教現象とその研究方法の独自性を主張する非還元主義と、その立場をとらない還元主義との対立という構図を生んだ。本稿では、還元論争の展開を批判的に検討する。まず、論争のきっかけとなったエリアーデの非還元的主張を確認した後、還元主義からの反論の要旨と問題点をR・シーガルを中心にまとめる。そして、還元論争の重要な結論である、非還元主義的立場もひとつの還元主義とする論理を整理する。最後に、還元論争が残した課題として、宗教研究における還元と信仰者の立場との関係について新たな方法論的問題を提起する。
著者
谷山 洋三
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.457-478, 2006

本稿の目的は、死の臨床において宗教者が優先するべき援助方法について考察することである。末期患者とその家族が抱える苦悩の一つに、死後についての問いがある。このことは、ターミナルケアへの宗教者の関与を促すものだが、それは日本のターミナルケアに宗教者の関与を保証するものではない。その関与の方法について、すなわちスピリチュアルケアと宗教的ケアの相違については、臨床的見地から吟味する必要がある。失敗例を含む五つの事例からは、さまざまな死後存続の信念が素朴に表わされ、それぞれの信念に沿った対応が必要であることが分かる。筆者自身がビハーラ僧として経験したものであり、それらを提示・分析した。諸事例とその考察等によって、宗教者が優先するべき援助方法は、対象者を教義的に導くこと(宗教的ケア)ではなく、対象者の信念に寄り添うこと(スピリチュアルケア)である、ということを明らかにした。
著者
鷲見 朗子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.269-294, 2004-09-30

最後のスペイン・イスラーム王朝であるナスル朝が建造したアルハンブラ宮殿の壁面や噴水には、クルアーン句、カシーダ(アラブ古典詩)句、神と統治者を崇める定式文句が美しいアラビア書体で刻まれている。本論はアルハンブラ銘刻句の図像的機能に注目し、それが表象するイスラームの美と精神を探求することを目的としたものである。イスラームの聖なる象徴である銘刻句の分析から、宮殿内の大使の間は荘厳なイスラームの七つの天を象徴し、獅子の中庭はクルアーンにあらわれる天国を表象していることが導き出された。ナスル朝スルタンはアルハンブラ宮殿を通してイスラームの信仰に基づく理想的な国家と政体を実現しようとしたのである。すなわち、銘刻句は建築物に意味と解釈を与えており、ナスル朝ムスリムの尊い宗教心と神への真摯な態度が建築芸術として表現されたものといえる。
著者
徳安 祐子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.603-627, 2012

近代社会において、知識とは頭のなかにあったり、所有したりする対象であった。知識と個人とは強く結びつき、知識は個人を拡張させるものであった。本稿では、ラオス山地民社会における呪医の知識について検討する。呪医は、「勉強」によって力の源泉となる「知識」を身につけ、村では知識層として見られる。呪医の「感覚」に着目し、彼らが知識をどのように感じ、どのように経験しているかについて検討すると、呪医たちにとって知識とは潜在的な主体性、人格性、そして両義的力を持つものとして「精霊のようなもの」と感じられていることがわかった。呪医の身体に宿る「精霊のようなもの」を呪医たちは増強したり、飼いならしたりしながら治療実践をおこなっている。「勉強」という言葉や、彼らが村の知識層として存在することからは、呪医の知識はわれわれの考える知識に近いもののように思えるが、実際にはおよそ別の姿を持つということがわかる。
著者
吉田 京子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.423-444, 2004-09-30

イスラーム世界全般に見られる(聖者)廟参詣は、これまで専ら文化人類学的研究の対象とされてきた。それらは、廟参詣を「公的」イスラームとは異なるものとして捉え、一般信者による「民衆的」行為として語ることが多い。しかしながら、イスラームには廟参詣を教義的イスラームと深く関わるものとして捉える事例も存在している。その一例として本論が採りあげるのが、十二イマーム・シーア派のイマーム廟参詣理論である。同派のイマーム廟参詣は、単なる墓参りではなく、「原初的過去からの伝統の継承」であり、「イマーム性の原理の確認行為」であり、そこから得られる報酬は、シーア派信者としての義務を果たした結果得られる正当な権利と理解されている。同派のイマーム廟参詣は、民衆による自発的実践行為であると同時に、「イマーム」に関わる点において、知識人側からも綿密な理論化を受けたものであり、正式なイスラームの信仰行為として展開されているものである。
著者
渡辺 和子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.447-472, 2012-09-30

「ノアの洪水」の記事はメソポタミアの洪水神話と同系であることが広く知られているが、多神教的背景をもつものとは内容も文脈もおのずと異なる。また「多神教的」、「一神教的」背景の具体的内容も検討を要する。『ギルガメシュ叙事詩』(標準版)第一一書板にある洪水神話は、ウータ・ナピシュティの口からギルガメシュに語られる。神々の会議で最高神エンリルが洪水を決定し、他の神々にはそれを人間に漏らさないことを誓わせる。しかし知恵の神エアはウータ。ナピシュティに暗に伝えて船を造らせて生命の種を救う。洪水後に最高神はその暴挙をエアに責められて悔い改め、ウータ・ナピシュティに永遠の命を与える。洪水の顛末を語り終えたウータ・ナピシュティは、「今」では永遠の命を与えるために神々の会議を招集するものはいないと宣言する。他方聖書では、神は人間を創造したことを後悔して洪水を起こすが、ノアに船を作らせて生命の種を救う。洪水後も責められることはなく、ノアと契約を結んで再び洪水を起こさないと誓い、ノアには長寿を与える。
著者
宮崎 賢太郎
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.243-268, 2003-09-30

江戸幕府のキリシタン禁教によって、キリスト教邪教観は日本人の間に強烈に定着し、差別がなくなったのは戦後のことである。一方、キリスト教は明治以降、文明開化の象徴として、進んだもの、高級なものとして都市部のインテリ層を中心に受け入れられた。従来キリシタン研究に関しては、教義の問題、布教史、殉教史が中心であり、キリシタン民衆の日常生活にはほとんど触れられてこなかった。本稿では、伝来初期より潜伏時代を経て幕末にいたるキリシタン信徒、現存する長崎県下生月島のカタレキリシタン信徒の日常的な信仰生活を紹介する。結論として、改宗者の日常的信仰の姿から見えてくるのは、日本の神仏との相違を十分に認識して改宗したというよりは、天竺渡りの「力ある神」としてキリスト教を受けとめたということである。彼らの信仰の根底には、常に変わることのない呪術的な現世利益信仰が一貫して存在したということである。
著者
島薗 進
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.331-358, 2010-09-30

現代世界では世俗主義に抗して宗教的な世界観の回復を望む潮流がある。(1)伝統宗教の復興、(2)スピリチュアリティの興隆、(3)制度領域での宗教性の台頭、という三つの側面から考えることができるが、この論文では主として(2)の現象に注目し、歴史的な展望の下に見直し、興隆の要因について問う。「宗教からスピリチュアリティへ」と捉えられることが多い現象だが、「救済宗教からスピリチュアリティへ」と理解するのが適当ではないかと論じる。伝統宗教の外で展開する「新しいスピリチュアリティ」と伝統宗教の中のスピリチュアリティの強調との間に連続性があるとも論じる。また、宗教と新しいスピリチュアリティの関係を的確に捉えるために、両者の仮説的定義を試みる。そして、宗教とスピリチュアリティが緊張関係にある側面を含むのは確かであるとしても、両者が相補的と見なした方がよい面もあると示唆している。このような視点は救済宗教が他のタイプの宗教と共存してきた東アジア宗教史に親しんできた者にふさわしいものであるとも論じる。