著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.101-119, 2010-06-30

本稿では、極北の先住民であるカナダ・イヌイトの側からグローバリゼーションを考えることを通して、グローバリゼーションという歴史的現象の特質を明らかにし、その現象の中で人類学が果たすべき役割を考察する。そのために、本稿ではまず、ラトゥールが「近代」の問題を検討することで示したグローバルな環境の現状分析に基づいて、イヌイトが直面しているグローバルな環境の現状を整理する。そのうえで、イヌイトが闘ってきた先住民運動をグローバリゼーションという歴史的現象の中に位置づけることによって、その運動を通してイヌイトがグローバルな環境に対して何を守ろうとしているのかを明らかにする。そして、そのイヌイトの闘いを考察することによって、グローバリゼーションと呼ばれる歴史的現象によって引きおこされている問題の根底には、「文化」と「自然」に分離することのできない人間と非人間(モノ)の複合体を構築して維持する異なるシステムの相克があることを明らかにする。そのうえで、今日、求められているのは、「一つの自然」を基盤とする「文化相対主義」ではなく、多様な人間と非人間の複合体の間の「自然=文化相対主義」であり、真に共生すべきなのは「一つの自然」の上に築かれる様々な「文化」ではなく、多様なあり方で構築される人間と非人間の様々な複合体であることを示す。最後に、この「自然=文化相対主義」において人類学が果たす役割について考える。
著者
和崎 聖日
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.458-482, 2007-03-31

本稿は、首都タシュケントの「乞食」自身の体験を記述・分析・考察することにより、ペレストロイカとソ連解体(以下、体制転換)というウズベキスタン社会全体における大きな構造転換と都市民衆の微細な生活営為とを結んで論じることを目的とする。体制転換後のウズベキスタンでは、主に資本主義市場経済への移行に伴うマクロな構造的変化によって、「新しいウズベク人」と呼ばれる富裕層が誕生する一方、数多くの人々が突然の貧困と生活水準の低下を経験している。そうしたなか、人々は、主に親族や近隣住民たちとの間で、互助講や私的譲渡など相互扶助の網の目を維持・形成・拡大することによって、現金を決定的に欠いた厳しい現実に対処している。しかしながら、そうした生活営為の網の目から漏れた存在として、現実に「乞食」は存在する。加えて「乞食」は、ソヴィエト時代には社会主義政策のもと原則として禁止され、時に逮捕対象とさえなっていた存在であったが、現在では体制転換に伴うイデオロギー転換によって解禁された資本と宗教の接点に位置する存在として登場している。なぜなら「乞食」は、時代的な諸変化に適応できなかった経済的「敗者」だが、1989年の公式な「反イスラーム政策の停止」を大きな契機として広範に再生した宗教により、その正当性を補うことを可能としている存在だからである。本稿は、タシュケントの「乞食」の生活世界を検討することにより、ウズベキスタンにおける現在の貧困と都市社会におけるイスラーム再生の関わりを示し、都市下層の人々にとってのより日常的な共同世界のあり方を検討する。
著者
吉田 憲司
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.518-536, 1998-03

いま, 民族学博物館にあらためて熱い視線が注がれ始めている。人文社会科学全般における政治性・歴史性への関心の高まりと, 民族学博物館がこれまでその展示の主たる対象としてきた非西洋の諸民族の自己の歴史に対する覚醒の動きのなかで, 民族学博物館の存在が, 西洋と非西洋との歴史的関係性の具体的な証として, また文化的アイデンティティーの形成の装置として, あらためて注目されてきたからである。こうした流れをうけて, 民族学博物館のあいだでは, 現在さまざまな新しい試みが展開されつつある。旧来の展示に欠落していた部分を補おうとする修正主義的な展示。展示という営みそのものを見つめなおそうとする自省的な展示。展示する者とされる者, さらにはその展示を見る者とのあいだの対話や共同作業を志向する展示。そして, 文化の担い手自身による「自文化」の展示, などである。本稿では, 個々の展示にみられるメッセージの生成の様式(詩学)とそれがはらむ権力性(政治学)に焦点をあてながら, 民族誌展示をめぐるこうした近年の新たな取り組みの見取り図を描く。
著者
川田 順造
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.311-346, 2006-12-31

本稿は日本文化人類学会第40回研究大会(東京大学駒場キャンパス)で2006年6月3日に、同じ題名で行なった同学会の第1回学会賞受賞記念講演の内容を、大幅に補って文字化したものである。始めに、文化人類学、それも自然人類学、先史学、言語学なども含む総合人類学の教育を日本の大学で受けた第一世代であり、その後自然史の一部としての人類学・民族学の伝統の強いフランスで学んだ筆者の体験を基に、文化人類学者形成のあり方、自然史の一部としてのヒトの科学の位置についての考察を行なった。このような研究基盤と日本、アフリカ、フランスでの長期のフィールド・ワーク体験とから、筆者は文化人類学が他の学問と異なる特徴として、(a)専門化された一研究分野であるよりは、一種のメタ・サイエンスであること、(b)ヒトについての極大のパラダイム知と長期の異文化体験によって得られる個人的な体験知との結合、(C)マイナーなものへの注目と定性分析、(d)自然史の一過程としてヒトとその文化を捉える視野、等を挙げた。こうした基本性格をもつ文化人類学は、(イ)直接の形では現実の社会に役立たない非実学であるが、広い視野で現実を捉え位置づけるという、すぐには役立たないことによって役に立つ学問であるべきこと、(ロ)その意味でヨーロッパでのルネッサンス以来の「ユマニスム」の精神を現代に受け継ぐものであること、(ハ)そのために文化人類学者は、現実の社会に起こっていることに対して常に強い関心をもつべきであること、(ニ)かつてのヨーロッパの「人間中心主義」のユマニスムではなく、人類学は自然史の中にヒトを位置づけ種間倫理の探求を志向する、現代のユマニスムであるべきこと、等を述べた。現代社会との関わりにおける筆者自身の実践として、靖国神社・遊就館、千鳥ケ淵墓苑、東京都慰霊堂などへの中・韓・米などからの留学生も含めた、友人学生との毎年8月15日のフィールド・ワーク、ユネスコの有形・無形文化財の保護活動への参加、消滅しかけている日本の無形文化遺産の調査、「開発」問題とのかかわり等を挙げた。また集合的記憶の場、文化的意味を担う動態的な場としての「地域」の視点から、擬制としての近代国民国家を相対化する研究計画や、日本の事例も含めた市民社会論の可能性に触れた。文化認識に不可避の主観性を相対化し、対象化する方法の一つとして、研究者の文化、人類学の視点を生み出した文化、その方法によって研究対象とした文化の3者を、「断絶における比較」から相互に参照点とする、筆者の提唱する「文化の三角測量」について述べ、それに基づいた研究成果のいくつかを挙げた。
著者
渡辺 公三
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.492-504, 2000-03-30

近代人類学の始まりとして1859年におけるパリおよびロンドンでの学会創立の日付がしばしばあげられる。パリ人類学会の中心的な創立者ポール・ブロカは創立直後におこなった「フランスの民族学的研究」という基調報告をケルトやキムリスなどのraceがフランスのnationを構成することの論証にあてている。国民の人種構成を論証するために使われたデータは, 当時ほぼ唯一の全国的な統計資料だった徴兵検査資料, とりわけ身長統計である。身長という粗雑な特徴に満足していたわけではないブロカは, この報告の後, 晩年まで人種的差異の実証的根拠づけに多くの力を注ぐことになった。その後ブロカの洗練した身体計測技法は, ブロカの不肖の弟子でもあったパリ警視庁に勤務するベルティヨンによって意外な用途を発見された。身体の各部分のサイズが全く同じ成人は稀であり, 身体各部の正確な計測値を一定のしかたで分類のエントリーとして使うことで, 名前にも顔にも頼る事なく個体を個体として同定できるというわけである。この着想は軽犯罪の急増に悩む世紀末フランス市民社会にきわめて有効な身元確認技術を提供することになった。ここには国民国家の根幹をなす軍隊の人員管理技術の整備とともに, 人類学的な国民の人種的同一性確定手法が洗練されてゆき, その手法が警察の犯罪者同定技術として利用されていったという過程があったことが示されている。統治技術から人類学へ, そしてまた人類学から統治技術へという人目にはつきにくい知の技法の往還が見出されるといえよう。この小論ではフランスにおける, 今世紀初頭までのパリ人類学会の動向を, 軍および徴兵制との関係を中心に簡単に検討し, とりわけ徴兵制の変化が, 人類学会で一定の学問的な言説としてどのように議論されていたかについて検討する。それがどのような問題構成の枠のなかでおこなわれ, 人類学固有の問題としてどう受け止められていたのか, そしてそこにわれわれは19世紀人類学のどのような存立条件を見極められるのかを見ていくことにしたい。
著者
秋葉 隆
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.13-16, 1949

In Korean, Manchurian and Mongolian shamanism there are found various forms of fire rites. Those in Korean shamanism may be classfied as follows : 1) The burning of paper : a) at the first part of the rite (purification) b) at the end of the rite (divination) 2) The burning of the following sacred objects : a) burning paper dolls which represents the dead man's soul invited to the ceremony. b) burning paper tablets which symbolize the god in the family protection rites. 3) The burning of the following objects in healing rites : a) burning paper in the rites for eye disease. b) moxibustion (burning the moxa plant on the skin) in rites for the insane. c) burning a hut in which a curing ceremon for the insane is performed. 4) The ritual use of words and characters repre senting "fire" : a) words representing "fire" as found in the sacred songs of the female shaman b) magical characters which contain the lette "fire" written in red by the male shaman Generally speaking, these performances of fin rites in Korean shamanism seem to be rather mill in comparison with those of Manchuria and Mongolia. In the latter we frequently find vigorous and unusual performances ; for example, the rite involving the manipulation of red-hot iron by the Mongolian shaman or the rite of eating burning incense sticks by the Manchurian shaman. Such self-punishing and violent rites tend to be foreign to Korean psychology.
著者
太田 常蔵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.315-323, 1959-11-25

The Karen people of Burma have many stories. I have collected some of them in 1943. Following is a report on these. 1. The Story of Pee-Bee-Yaw Among the spirits of nature, and one of the most benevolent, is Pee-Bee-Yaw, or Ceres, who sits in her place upon a lonely stump, the livelong day, to watch the growing corn and the ripening ear. Her object is to fill the granaries of the frugal and industrious people with rice ; and she is a great favorite among the people. 2. The Story of Kulaw Lay and Naw Mu Aye A married couple, namely Kulaw Lay and Naw Mu Aye, lived in the region named Thawthi Bawgaw. There also lived a white boa that loved Naw Mu Aye and made up its mind to make her its wife. And the boa carried her to its hole. After that Kulaw Lay was downhearted for he had tried many tricks to free his wife but all in vain. So he cut his own throat and fell down on the top of the hole. When his body had decomposed, maggots fell into the hole. Then Naw Mu Aye asked the boa to let her go to cremate her husband. Then the boa let her go. She came up and made a fire to cremate her husband. Moreover, she poured oil into the jars and kept it beside the pyre. Then she started to kindle the fire and afterwards jumped into the fire and died with her husband. 3. The Story of Ywado (a giant) Tsi Goo told Ywado that if he wanted his sword he would have to wrestle with him for it. The winner would be the owner of that sword. Fortunately for Ywado he won and he pushed Tsi Goo into the earth and ordered him to carry the globe for the rest of his life. It is believed that earthquakes are caused by Tsi Goo changing the globe from one shoulder to another. 4. The Story of Taw Meh Pah An old man killed a boa. He picked up a tooth and brought it home. On the next day, he carved the tooth into a comb. This comb was very strange and powerful. One day, the old man happened to comb his hair. At once his feature changed into a young man. This old man was known as Taw Meh Pah (father of the magic tooth). 5. The Ywa Legend of the Karens. The Karens have a tradition of a God under the name of Ywa. This name is apparently of the same root as Jehovah, the traditional name of God among the Hebrews. And besides, the Karens have quite similar traditions concerning the creation of the world, the fall of man, the expulsion from a garden, and the subsequent sinfulness of the race, which substantially agree with the Bible accounts of these events.
著者
桑山 敬己
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.243-265, 2006-09-30

ネイティヴの人類学の登場は、植民地的状況下で強者が弱者を描くという従来の人類学的図式に大幅な見直しを迫った。これまで単なる研究対象にすぎなかった非西欧のネイティヴは、「もの言わぬ土人」から「もの言う文士」へと変身し、自らの視点と言葉で自らの文化を語るようになった。しかし、英米仏が中心を占める「人類学の世界システム」にあって、周辺に置かれたネイティヴの語りは蔑ろにされがちである。本稿では、非西欧世界における唯一の宗主国・近代日本を敢えて旧植民地のネイティヴと同列に扱い、日本人が英語で自文化を語るときの問題点を探る。第1章では、「書く者」と「描かれる者」と「読む者」から構成される「民族誌の三者構造」について説明し、想定された読者の心を読む力が民族誌的表象にとって決定的に重要であることを述べる。第2章では、描かれる者にとっての意味より、読む者にとっての意味を意図的に優先させたという意味で、ベネディクトの『菊と刀』はオリエンタリズム的描写の古典であることを示す。第3章では、著者の11年間に及ぶアメリカ体験(特に文化人類学の教師としての体験)を事例に、アメリカ人に英語で日本を説明するときのポイントを明らかにする。第4章では、アメリカに帰化したハワイ大学名誉教授Takie Sugiyama LEBRAの著作を検討し、日本の語り部としてのLEBRAの戦略について考える。そして結論部では、世界システムにおける現在の力関係を考えると、たとえ英語で書いても日本人による日本の語りが世界的に流通することは難しいことを示す一方で、その困難を克服するための具体策を提案する。
著者
太田 心平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.44-64, 2003-06-30

本橋は、ことばのレトリックが政治文化の構築に与える影響を論じるものである。そのために本橋では、現代韓国の政治に関する言説と語りを、その動態に注目して意味分析する。また、ことばの内容を独特な形で把握する一般人たちの語りを紹介し、そのことばの使用法が与野の政治勢力のそれらと影響し合うことを述べつつ、その過程で生じたある種の誤解が人々の政治意識の基盤となるという現代韓国の政治文化の一側面を論じる。人類学におけるこれまでの言説分析は、特定のことばが価値あるものとして社会的に捉えられるということを明らかとし、ことばのレトリック効果が政治に影響することを論じるために使われてきた。現代の韓国社会においても、<民衆>や<統一>などのことばによって、この点は示される。これらは、美徳を表わすとしか言えない特殊な意味を原義とは別に持っている。しかし政治的な言説や語りには、同時に憎悪の対象として意味づけられたことばも溢れている。現代韓国における<アカ>や<IMF>などのことばがそれにあたる。これらは悪徳としか還元しようのない特殊な指示内容を持つことがある。このようにして生じた同じことばの複数の指示内容は、人々が政治についての評価や感情を語る際に、一まとめに扱われる傾向がある。この傾向は、特に政治運動と関わりが薄い人々に顕著だ。この場合に人々は、各自の政治に関するイデオロギーや戦略とは関わりな<、<アカ>と呼ばれる人々や<IMF>と呼ばれる国際通貨基金を批判する発話をすることとなる。
著者
佐藤 忠雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.58-62, 1961-12-30
著者
波平 恵美子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.230-256, 1974-03-31

The purposes of the thesis are to analize Japanese folk belief with three basic concepts, hare, kegare and ke, and to discuss the structure of the folk belief. The concept of hare is concerned with the sacred, the pure, the clean, the good and the happy. The concept of kegare is concerned with the filthy, the bad, the ominous and sin. The concept of ke is concerned with the common, the usual, the profane, the neutral, not hare and not kegare. Generally speaking, Japanese religious activities are separated into two parts : one is concerned with the concept of hare and the other is with the concept of kegare. New Year ceremony, ceremonies concerning with farming and fiahing, rites of passage and any kind of ceremonies held have in a Shinto shrine are considered hare events. Death, child birth, menstruation, illness, injury and sexual intercourses are in the concept of kegare. Therefore, a funeral ceremony, a graveyard, a situation of child birth, woman in menstruation and a deformed person are kegare matters. In Chapter I, I discuss thess concepts in detail and set a model. In Chapter II, I mention abundant data concerning the religious life on community level. The case of Section (1) is an agricultural mountain village. The village looks like being full of evil spirits and petulant gods. Futhermore, more than forty per cents of the households in the village are considered having predisposition to witches. The spirits and gods easily find kegare matters and cause illness and unhappiness. Therefore, the villagers are very sensitive to kegare and this concept is emphasized in their religious life. The case of Section (2) is a prosperous fishing village. The villagers often have Shinto ceremonies and bless good fishing in the ceremonies. Most parts of their religious activities are concerned with the concepts of hare. The concept of kegare is repressed in their life. The case of Section (3) is another agricultural mountain village. The villagers get their livelihood from agriculture and forestry half-and-half. The villagers have very complex and unstable religious ideas. They have replusion towards Buddhism more or less, although the village has Buddhist temples as a custom lasting several centuries. Some households cut their ties with those Buddhist temple and they hold Shintoist funeral ceremonies handled by a Shinto priest. In their religious life, Buddhism is sharply opposied to folk beliefs and Shintoism. The opposition can be considered a conflict between the concepts of hare and kegare. In Chapter III I discuss the models of hare, kegare and ke and the structure of Japanese folk belief.