著者
大石 和世
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.3-3, 2008

朝鮮半島では、10代前半の男女が結婚、または、女児が結婚を前提として夫方の家に入ることがしばしばあった。このことは、旧韓末以降、国家、知識人らが朝鮮半島の住民を啓蒙する際に問題化した。したがって、婚姻に関して法的な規制が行われ、また、複数の新聞・雑誌媒体を通して近代的知識人によって、早婚の弊害についての啓蒙的な宣伝が行われた。さらに、朝鮮の早婚にかかわる調査、研究、小説などが生産された。このように、「早婚」という問題は、法と教育、学術、文学の言説の交差する場であった。
著者
IRIMOTO Takashi
出版者
日本文化人類学会
雑誌
Japanese Review of Cultural Anthropology
巻号頁・発行日
vol.5, pp.55-89, 2004

Northern culture refers to the mode of life unique to northern areas in terms of ecology, society and culture, dating back to the advance into Northern Eurasia by modern man (Homo sapiens sapiens) in the history of human evolution and proliferation to North America. "Northern culture" describes a whole body of cultures, which have changed, descended and developed up to today. On the basis of this definition of northern cultures, changes of and products from northern studies in Japan are reviewed in each period: the Age of Exploration (c. 400-1867), the Age of Academics (1868-1945), and the Age of the World (1946-2000). As a result, research subjects for northern studies have changed from Ainu culture to a variety of cultures in broad northern circumpolar areas including Northern Eurasia, Japan and North America. Study methodology also has changed from folklore and ethnology to shizenshi - anthropology of nature and culture - and study objectives have shifted from the clarification of the origin of the Japanese and their culture to the clarification of universal issues in anthropological studies; i.e., "What are human beings?" Finally, since the northern studies have been developed to search for the universality of human beings, I present an outlook for the 21st century of anthropology as the Age of the Humanity.
著者
杉井 信
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.221-243, 1994

北部フィリピン,コディリエラ山地民社会の研究では,相互に独立し,内的統合性の強い<共同体>や<共同体>間関係を律する平和協定制度の存在が指摘されてきた。だが平和協定制度はティンギャンのように<共同体>の存在しない社会でも発達している。本稿では,ティンギャンのムラと平和協定単位という2種類の団体的な地域集団の諸性格や,両者間の関連のしかたが検討される。そしてティンギャン社会では,この2種類の集団と密接に関わるものとして,人々の交流の安全を保障する領域がゆるやかに広がっていることが明らかになる。今日のコルディリエラ諸社会の動態を理解し,また広く東南アジア諸社会との社会組織の比較研究を行うためには,<共同体>よりもむしろ,この安全領域に着目するほうが有益であろう。
著者
中野 麻衣子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

インドネシアの中では開発の優等生として今日豊かさを享受しているバリ州において、2007年に起こった、人々の知らぬ間に手続き上、外部からの推薦という形で新たなバリ人国家英雄が認定された出来事を取り上げ、その認定取り消し要求に及んだバリ人たちの批判の中から、過去の様々な記憶が喚起され、新たに認定されたその国家英雄を反転像として、国民としてもバリ人としても「真」なる英雄像が立ち上がっていった様相を分析する。
著者
杉島 敬志
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.386-411, 2004-12-31 (Released:2017-09-27)

1980年代の後半以降、歴史は人類学における中心的な研究テーマのひとつになった。その背景にはポストコロニアリズムの人類学への広範な浸透が大きく作用していた。今後、人類学における歴史研究がどのような方向に進んでいくのか、あるいは、進んでゆくべきなのか、筆者にはよくわからない。しかし、臨地調査にもとづく民俗誌研究が今後とも人類学のなかで重要性を保つとすれば、人類学の歴史研究は、歴史学とは異なり、現在の理解と迂遠な関係しかもたない過去に関心をむけることはないだろう。本稿は、こうした現在を理解するためにおこなわれる歴史研究の試みであり、具体的には中部フローレスにおいて20世紀初頭までおこなわれていた奴隷交易と戦争が現在に因果的に関わる様態をとりあげる。そして、混乱と例外の集積のようにみえる中部フローレス最大の政治領域であるリセを例にとりあげ、その内的構成を理解するうえで、上記の奴隷交易と戦争を考慮することがいかに重要であるかを明らかにする。
著者
林 善茂
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.204-208, 1956

The agriculture of the Ainus was very primitive and extentive, but the cultivation was undertaken not so carelessly as nothing was done about cropmanagement. The Ainus made fences around their fields to protect them from the depredations of deer. These fences were called "toikochashikaru" or "toitachashi" in Aino. Until about seventy or eighty years ago, there were many deer throughout Hokkaido. In those early days, herds of deer rather than destructive insects were the cause of great damage to crops. The produce of a year was often ruined by deer in one night or almost even in one hour. Under such circumstances, it was necessary, in order to protect crops, to make fences so as to prevent destruction by deer. The Ainus not only made fences around their fields, but also stuck into the fences two or three stakes so as to cause the deer to stab themselves. These stakes were called "isoushini" in Aino. The stakes were not stuck into the fence at the time of erection, but after the deer had once jumped over the fence. The Ainus believed that deer had a habit of passing over the same course and of jumping in at the same place repeatedly. The stakes were therefore inserted after selecting a suitable position and angle to stab the breast of the deer which had previously jumped into the enclosure. Thus, the Ainus were very eager to prevent the incursions by the deer. Nevertheless, they had no understanding of manuring to promote the growth of crops, so they did not manure their fields at all. Moreover, they objected to the practice. It should be noted, however, that they did resort to magic to promote the growth of crops. This magic was called "pipetunika" in Aino. Before seeds were planted, they mixed them with bird's eggs or chopped leaves of parasites. They did so not for fertilizing but for magical purposes. In addition to this, there were various forms of magic for to ensure rich harvests and for the prevention of damage by animals. The Ainus believed that their fields would have rich harvests if they possessed bird's nests or snake's exuviae as charms. And, they forecast by the songs of cuckoos or reedwarblers whether the harvest of the year would be abundant or not. There were other forms of magic to prevent damage by animals. The Ainus prevented hares from spoiling crops in the fields by using the corpse of a hawk or an eagle as a scarecrow. They also prevented wood・mice from spoiling the roots of crops by offering them "sake" and "inau". Lastly, we must mention something about weeding. The Ainus were not indifferent to weeding, but were apt to neglect it. Their agriculture was so extensive that it was not necessary for them to weed regularly. From the above, we may see the outlines of cropmanagement the Ainus practised. Accordingly, we can understand that the Ainus although very careless so far as manuring and weeding were concerned, had nevertheless, some techniques to prevent damage by deer and magic to promote the growth of crops. Rational techniques and irrational magic were united together in the agriculture of the Ainus. Herein lies the greatest characteristic of the crop-management of the Ainus.
著者
梅津 綾子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第51回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.C09, 2017 (Released:2017-05-26)

日本人ムスリムは近年、国際結婚、二世の誕生、および自発的な改宗などにより増加傾向にある。本発表では、とくに日本人女性ムスリムの、性差別的と批判されて久しいイスラーム言説の捉え方に着目する。そして自学、および日本や夫の母国といった個別社会のジェンダー観との関わりの中で、特定のイスラーム言説を受容・実践したり、あるいは拒絶したりする彼女たちの対処法を明らかにする。
著者
松田 素二
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.247-270, 2004-09-30 (Released:2017-09-27)
被引用文献数
1

20世紀の最後の10年間、自由は、現代世界における究極的価値としての地位を独占するようになった。「個人の自由」は、個々の社会的行為を支配する最終審級となったし、政治や経済の自由化は、武力介入さえ正当化できる「正義」となった。こうした状況の出現に対して、それを自由のアナキズムと批判して、何らかの歯止めをかけようとする動きが出てくるのもうなずける。無制限な自由の膨張に対する、もっとも強力な歯止めは、共同体からの規制であった。諸個人を共同体の文脈に位置づけ直して、自由の行き過ぎを規制し、社会の秩序を回復するという志向は、自由主義に対する共同体主義として定立されてきた。この二つの志向のあいだの論争は、1980年代以降、コミュニタリアン・リバタリアン論争として知られているが、本論の目的は、こうした論争における共同体の議論の不十分点を、人類学的思考で補うことにより、個人の自由と共同体という問題構制にに、新たな視角から光をあてることにある。これまでの共同体に関わる議論には三つの不十分点があった。第一には、生活論的視点がまったく欠如していた点であり、第二には、共同体を固定的な実体として自然化するか、もしくは、それと正反対にたんなる構築物として言説世界に還元してしまう平板な認識図式にとらわれていた点である。第三には、こうした個と共同体のアポリアを解決するため考案された創発的連帯モデルの限界に無理解だった点もあげられる。そこで本論においては、共同体の内外で生成される生活組織の多層で変異する態様を明らかにする。それを通して、共同体の外延(境界)をそのままにして、生活の必要に応じてうちから融通無碍に変質していく過程を、ナイロビにおける社会秩序の生成を題材にして分析することを試みる。
著者
奥田 若菜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第46回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.108, 2012 (Released:2012-03-28)

本発表ではブラジル路上商人の二つの規範を考察する。「正しさの規範」と「善さの規範」の二つの領域は、矛盾することなく彼らの生活の中にある。二つの領域は使うべき場面が決められている。市場交換の場面で贈与交換を執拗に求めてはいけないし、贈与交換の場面で等価交換を頑なに主張することは批判を呼ぶ。「ねだり」「邪視」「物乞い」を事例に、二つの規範がぶつかり合う場面で生じる困惑を考察する。
著者
金子 守恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.60-83, 2012-06-30 (Released:2017-04-10)

本論は、エチオピア西南部に暮らす農耕民アリの女性土器職人たちの手指の動きを手がかりとし、それが職人の行為や土器の評価にむすびつく過程を描きだすことをめざした。具体的には、職人の手指の動きやその配列を記録し、その動きの配列を経てうみだされる土器を「アーニ(=手)」という言葉で人びとが評価する過程に注目して、職人(の身体)と自然環境が双方向的に関わって(=「交渉」)土器つくりが実践されているととらえる視点にたつ。女性職人は、粘土の採取、土器の成形と焼成、そして市場において社会集団の異なる農民へと土器を販売するまでを担っていた。女性のライフコースと職人が成形できる土器種との関連性について検討すると、結婚したばかりの女性職人のなかに、成形途中や焼成後に土器が壊れてしまって生計をなりたたせることができないものがいた。本論でとりあげた職人Dは、約6ヶ月のあいたに自らのアーニにあわせて一定の配列を確定させるべく試行錯誤を続けた。一方、土器の利用者である農民は、アーニという土器つくりの行為に関わる表現をもちいて土器を評価し、その土器を介して社会集団を超えた盟友的な関係を職人とむすんでいた。このことを手がかりにして本論では、手指の動きの配列は、個々の職人と環境との関わりの歴史であり、それが前提となって社会的な関係が形成されていると論じた。手指という身体が自然環境との絶え間ない「交渉」を続ける過程で私のアーニという認識がつくりだされ、さらにそれはアリの人びとのあいだで新しい土器のかたちを創りだしていることも示唆された。土器を介した人びとのむすびつきは、環境や他者との関わりによって見いだされる自らの身体的な経験を基盤にしていた。手指の動かし方だけをとりあげると、それは土器を成形するうえでの微細な身体動作でしかない。だがその動作はそれが連鎖となって一定の配列を確立すると、異なる社会集団を架橋するような社会的な実践として認識され、さらには身体を基盤としたコミュニティをとらえる切り口となる可能性をもっている。
著者
シャクルトン マイケル
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.129-129, 2008

心境は奈良県の笠間(かさま)村の1930年代に生まれた共同体です。最初から、主なメンバーは笠間の家族の者だから、他の共同体('ウgピア`など)の歴史とかなり違います。 長い間、心境が百人以上の障害者(特に「精神遅滞」がある人々)のホームにしてから、かなり有名になりました。この障害者は現在心境の共同体価値観を特に守っている者になりました。この発表は特に a) 七十年間のサーヴァイヴァルのための政略 b)「うち」と「そと」の気持ち c) フィールドワークの驚いたこと、などに関します。
著者
辰巳 慎太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.1, pp.44-67, 2007

本稿では東ティモールにおいて独立の是非を問う住民投票後の騒乱のさなかにおこった少女の連れ去りを事例として、少女が反独立派民兵の「性奴隷」の状態にあると訴える支援活動の言説と、「結婚」の文脈で説明する少女の家族、および共同体の理解の相違について考察する。従来の人類学は、略奪婚を集団間の結婚の一形態として記述し、共同体における儀礼的、社会的意味により関心を払ってきた。しかし結果として出来事の暴力性、当事者である女性の視点には注意が向けられなかった。他方、紛争下の性暴力の問題を訴える普遍的人権やフェミニズムの言説は、略奪婚も紛争下の性暴力の一形態として取り上げるようになった。しかしながらそうした言説の持つ普遍主義的性格は、当事者である女性の経験の多様性を奪っている側面もみられる。このような略奪婚をめぐるグローバルな言説とローカルな規範双方における当事者である女性の視点の不在は、近年の研究で指摘され、当事者の視点に主眼をおくことの重要性が指摘されるようになった。本稿の事例では、当事者である少女自身が新聞報道を通じて誘拐の事実を否定し、結婚の意思を表明していた。本稿ではこの当事者からの拒絶に対する人権活動家、家族、共同体それぞれの反応に焦点をあてることによって、この出来事をめぐる「和解」の認識論的問題について考察を試みる。この考察によって、暴力をめぐるグローバルな言説と共同体や当事者の論理の相違は、「他者」が受けた痛みに主眼を置く普遍的立場と、「自己」が受けた痛みをどのように解決するかという「和解」の論理にあることを主張する。この議論を通じで、出来事の暴力性を抹消することなく、かつ当事者のエージェンシーをも認めうる民俗誌的記述の可能性を探る。
著者
菅原 和孝
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.323-344, 2013

南部アフリカ狩猟採集民グイのもとでの30余年にわたる調査に基づいて、フィールドワークがどんな意味で直接経験であるのかを考える。出発点はゴッフマンの「直接的共在」である。ヨクナパトーファ譚と呼ばれるフォークナーの作品群は、独特な時間性を提起している点で、過去の出来事を素材にした民族誌を書くことに手がかりを与える。私が追求する民族誌記述の戦略は、口頭言語を身ぶりとして捉え、語りの表情を明らかにすることである。6つの談話分析の事例から以下の7点を語りの表情として抽出した。(1)親族呼称が間投詞として使用される際に、代替不可能な語の表情が際立つ。(2)共在の場にはグイに特有なハビトゥスと間身体性が滲透している。(3)語り手の身ぶりによって儀礼の本質を象徴する身体配列が現成する。(4)複数の語りの相互参照により現実の多面的な相貌が開示される。(5)語り手と調査者は、その相互間で、あるいはかれらと言及対象との間で、文脈に応じて変化する仲間性を投網しあう。(6)「話体」は、個々の語り手の修辞的な方策によってだけでなく、複数の語り手に跨がる相互行為の構造によっても規定される。それによって実存的な問題に身を処する人びとの一般的態度が照らされる。(7)語り手がある出来事を忘却していることを露呈するとき、その欠落の周囲に、事実の間の連結と記憶の相互的な補完とが浮かびあがる。以上の分析に基づき、民族誌と小説は人びとの生の形を描き出す点で共通しているが、世界との関わりにおいて大きな違いがあることを論じる。民族誌記述は、実在した談話の語り手(発話原点)との指標的な隣接性に基礎を置く。その隣接性を成り立たせる連結こそ、調査者と現地の人びととの直接的共在である。言い換えれば、民族誌の生命は、人びとの生の事実性がもつ、汲めども尽きない「豊かさ」に源をもつ。
著者
コーカー ケイトリン
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

舞踏は、土方巽を創始者とする日本固有の前衛的なパフォーマンスである。本発表の目的は、土方の弟子であった舞踏家たちがいかに舞踏を伝承するかを明らかにし、身体と言葉の関係を問い直すことである。舞踏は特殊な指導方法を用いる。それは、舞踊の知識を持たない者から踊りを引き出すことと、非現実なイメージをもって身体的状態を変化させることである。
著者
後藤 明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.41-59, 2012-06-30 (Released:2017-04-10)

本稿は、Mモースに由来するフランス技術人類学の伝統と、英米の人類学・考古学の遭遇という視点から、過去20年の人類学的技術論の展開を分析する。1993年は、フランスの人類学者A.ルロワ=グーランの大著[1964]が英訳された技術人類学の転機である。この年の前後に、フランスの技術人類学関係の論集や、それに呼応した英米圏の考古学などにおいて、新たな動きが進行していた。ルロア=グーランは、人類の骨格、技術、知能、そして言語の共進化を分析する概念としてジェーン・オペラトワール(chaine operatoire)を唱え石器の分析に適用した、フランス人類学のその後の世代によって石器の製作だけではなく、土器、水車、製塩、醸造法など多様な技術的行為の分析に適用されてきた。ジェーン・オペラトワールとは、原材料をその自然uの状態から加工された状態へ変換する一連の動作である。そして、その行為において潜在的な選択可能性のひとつを、行為者が身体を通して物質に働きかけることによって顕在化する過程を意味する。この視点においては、身体技法、技法と技術の違い、さらに素材の選択や生産物に対する認知や社会表象の総体が分析対象となる。またその結果として、技術的選択の社会性あるいは社会に埋め込まれた技術的行為という視点が提唱される。米英の民族誌あるいは考古学の潮流にも、類似の指向性は散見されたが、過去十数年はハビトゥスやエージェンシーのような概念と考古学資料をつなぐミドルレンジ・セオリー(中範囲理論)としてジェーン・オペラトワール論が適用され成果をあげている。またジェーン・オペラトワール論では、認知の問題も重要であり、認知におけるモノの重要性を唱える物質的関与論との接近も予想されている。さらに、近年ルロワ=グーランの再評価の論集が認知科学や哲学の世界でも出版されており、ジェーン・オペラトワール論は、今後も人文学全体においても重要な参照項であり続けるだろう。