著者
飯嶋 秀治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.273-293, 2012-09-30

1990年から現在に至る児童相談所への相談件数は、この20年間に55倍にも増加している。こうした相談の過程で「要保護児童」とされる児童たちの受け皿となる最大の施設が、児童養護施設である。近年、一方で社会的排除論では児童養護施設における暴力を問題としてきたし、他方で文化人類学はネオリベラリズム下で実践的な人類学の可能性を論じてきた。ならば次には、実践的な人類学が「暴力」と思しき問題に、具体的にどのようにつきあってゆくのか、という次元での議論が必要となろう。本稿では、この問題に気づいた臨床心理学的な介入実践と、そこで協働した文化人類学的なフィールドワークとの連携事例を紹介し、そこから児童養護施設での暴力問題に気づいた研究者が、異分野の研究者、所管の児童相談所、民営の施設管理職、施設職員及び児童らとともに、いかにして連帯を形成し、施設内暴力の解決を展開させてきたのかを考察する。そこから、出遭った事件から展開させる学問の在り方、臨床心理学と文化人類学の協働の可能性、ネオリベラリズム下での社会的排除につきあう人類学の可能性を提示したい。
著者
岩井 大慧
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.134-140, 1957-08-25
著者
棚瀬 慈郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.159-180, 1991-09-30

本論はインドのヒマーチャル・ブラデッシュ州,ラホール地方のチベット社会における家(キュム)と家族(ジンマ)の問題をとりあつかったものである。キュムは日本のイエに似て,現実の家屋を意味するものと同時にその永続性が前提された一種の法人的な存在であり,社会関係の結節点として固有の文化的価値を有する。一方ジンマは,一つのキュムに所属する,親族関係によって結ばれた人々を指す。キュムとジンマを巡る諸観念や慣習法の中には二つの潜在的に対立的な傾向,すなわちキュムを分割することなく維持しようとする傾向と,ジンマを構成する男性メンバーにキュムの範囲を逸脱した活動を許容する傾向が存在する。この潜在的対立関係は,典型的にはキュムの分裂といったディレンマ状況をもたらすこともあるが,同時にラホール社会の持つ適応性にもつながている。
著者
猪俣 健 青山 和夫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族学研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.370-392, 1996-12

本稿の目的は,古典期マヤ社会に中心地論を適用し,市場経済の未発達な先産業社会においても,経費の極小化という経済合理性が,集落等の空間配置に大きな影響を与え得ることを示すことである。そのため,ホンジュラス,ラ・エントラーダ地域における調査から得られた古典期マヤ・センターに関するデータの分析を通し,中心地論の理論的モデルに近い経済空間構造が存在したことを論ずる。食料のような嵩張る生活必需品を政治組織の財政基盤としながら,効率的な輸送手段を持たなかった古典期マヤ社会では,移動と輸送におけるコストを極小化することが非常に重要であり,規則的な中心地分布は,その点で最も合理的であったと考えられる。また,人口密度やセンターの規模の違いにもかかわらず,各地のマヤ・センターの間隔がほぼ一貫していることは,各センターの領域が人力による食料等の移動距離により強く規定されていた可能性を示唆する。
著者
服部 四郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.133-141, 1939-03-30
著者
細川 弘明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.118-119, 1991-06-30
著者
倉島 哲
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.206-225, 2005-09-30

何かの技法を身に付けようとしているうちに、それまで身に付けようとしていた当の技法についての認識を新たにする経験は一般的である。このような経験を捉えるための視角を提供することが本稿の目的である。最初に、この経験を捉えることの困難さを確認する。まず、技法の学習者と指導者の主観は、いずれもこの経験を捉えるための足場として不十分である。なぜなら、学習者も指導者も、学習者が習得すべき技法についての認識の変化を繰り返し経験してきたからである。また、この経験を客観的に捉えようにも、学習者が経験する認識の変化をすべて拾い上げることのできる客観的な指標は存在しない。次に、この変化を捉えるための手がかりを、マルセル・モースの「身体技法論」に求める。モースは、過去の泳法と現代のそれを比較するとき、これらの技法の相違を、生理的差異・心理的差異・社会的差異という三つの異質な差異として捉え直す。論理的には相互いかなる関係も有さない三つの差異としてこれらの技法の相違が捉え直されたということは、この捉え直しが経験的になされたことを意味する。そのかぎりで、モースの記述からは経験的記述の対象になるだけの固有のリアリティを帯びた技法が立ち現れる。モースのいう技法「有効性」とは、こうして陰画的に浮かび上がる技法の経験的リアリティとして解釈できる。学習者が指導者の技法の有効性を認識することによって触発される模倣を、モースは「威光模倣」と呼ぶ。その具体的な姿を検討するために、私が1999年より2005年まで(執筆時点で継続中)フィールドワークを行ってきた武術教室S流を考察する。技法の経験的リアリティを足場とした記述がなされることで、技法の有効性の認識は、モースが指摘したように威光模倣の開始時点で一度だけ行われるのではなく、その過程で繰り返し行われ、そのたびに有効性の内実が変化することが明らかにされる。
著者
嶋田 義仁
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.585-612, 2010-03-31

本稿は、長年続けてきたアフリカのサハラ南縁の乾燥地文化の研究を出発点にした、人類文明史の再構築の試みの一端を示すことを目的としている。アフリカ大陸とユーラシア大陸を一連のアフロ・ユーラシア大陸として理解すると、その中央に巨大な乾燥地域が存在する。そこには、古来様々な国家や都市が形成され、ヨーロッパ中心の近代文明が世界に広がる以前、人類文明の中心はこの地域にあった。本稿では、この地域に形成された文明を「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明」と呼び、その原動力として牧畜文化の文明形成力に注目する。従来、乾燥地に都市や巨大国家が形成された理由として、灌漑の重要性が指摘されてきたが、ここでは、牧畜のエネルギーに注目する。なぜなら、家畜は化石燃料が人類のエネルギー源となる以前の時代において、人間が利用しうる最大のエネルギー源であり、なかんずく長距離にわたる人と物資の移動(商業都市文化の基盤)と軍事力(巨大国家形成の原動力)にすぐれていた。筆者は、このことにアフリカのサハラ南縁イスラーム文明の研究をすすめるなかで気付かされた。しかし、「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地」の自然条件も牧畜様態も多様である。その「文明」的表現となるとさらに多様である。イスラーム文明もあれば、モンゴルのように仏教やシャーマニズムの色濃い文明もある。こうした多様性も考慮した「アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明」全体像理解の糸口を、本稿では、次のような4類型化の可能性を提案することで探る。アフロ・ユーラシア内陸乾燥地は、自然環境条件から、(1)モンゴル・中央アジアの冷帯草原型、(2)サハラの熱帯砂漠型、(3)サハラの南の熱帯サヴァンナ型、(4)中東山地地帯のオアシス型の4類型に空間区分することができ、ウマ、ラクダ、ウシ、羊・ヤギが、それぞれの類型に特有な家畜として認められる。モンゴル人の言う5畜がおよそどの地域でも飼育されているが、ウマ中心の牧畜文化、ラクダ中心の牧畜文化、ウシ中心の牧畜文化、羊・ヤギ中心の牧畜文化がある。こうした仮説により、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明を一連の牧畜文化複合体ととらえ、この地域の人間-家畜-自然の関係を多角的にかつ詳細に分析することにより、乾燥地としての共通性を有しながらもさまざまに発展していった乾燥地文明の多様性を構造的に整理して理解することが、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明論の課題となることを示す。アフリカ、中近東、中央アジアと分断して研究されてきた旧大陸文明史を統一的に理解しようというこのような試みが、人類文明史理解のパラダイム変換を目指すような研究への寄与に些少とでもなりうること願う。
著者
大石 高典
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第46回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.158, 2012 (Released:2012-03-28)

アフリカ熱帯林の狩猟採集民の社会は、徹底した分配により、平等主義を規範とする社会として描かれてきた。本発表では、換金作物栽培を開始したカメルーン東南部の狩猟採集民バカが、集団内部の経済的不平等や貨幣経済の流入にともなう社会変化をどのように認識し、対応しているのかについて、最近変化が見られるようになった呪術・邪術に関わる言説や行動に着目して検討する。
著者
西 真如
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.3, pp.267-287, 2011-12-31
被引用文献数
1

HIV/AIDS対策は、さまざまな知識や制度を動員した包括的な取り組みとして実施されるが、そこで中核的な役割を果たす技術のひとつとして、HIV検査を挙げることができる。サハラ以南アフリカでは近年、特別な設備がなくてもHIV検査を実施できる簡易検査キットの普及が著しい。検査キットは、あらゆる場所で「疫学的な他者」をつくりだす道具である。本稿では、エチオピアのグラゲ社会におけるHIV予防介入の展開と、HIV不一致カップル(一方がHIVに感染しており、他方が感染していないカップル)の経験について検討する。そしてHIV予防介入がつくりだす生政治的な過程の中で、疫学的な他者との共存を拒絶する政治が進行しているように見えるときにも、人びとが不一致を受容し、肯定的な関係を取り結ぶ可能性があることを明らかにする。不一致を生きる人びとの倫理的な関係を問う過程を、本稿では「生きられた身体の政治」として把握しようとする。生きられた身体の政治は、疫学的な知識を否定したり、公衆衛生介入を拒絶する過程ではない。むしろそれは、他者の身体が疫学的に危険であることを受け容れた上で、そのような身体を生きる者たちが、互いの健康と人格への配慮にもとづいて肯定的な関係を取り結ぶ可能性を開いてゆく実践である。
著者
沼沢 喜市
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.24-32, 1957-05-30
著者
波多野 完治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.555-564, 1935-07-01
著者
鳥塚 あゆち
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.1-25, 2009-06-30

本稿は、アンデス牧民社会が変容の過渡期にある現状を、牧民が伝統的に行ってきた農作物獲得方法の変化に着目し、変化の要因と過程をペルー南部高地のワイリャワイリャ村の具体的な事例を示すことによって明らかにすることを目的としている。高地に適したラクダ科動物の牧畜を専業的に行っているワイリャワイリャの人々は、耕作地を持たず主食である農作物を自給できない。また、家畜の乳を利用することもないため、作物の収穫期にリャマの雄のキャラバンを伴って農村に赴き、物々交換あるいは荷役用としてリャマを使うことによって農作物を獲得する旅を伝統的に行ってきた。しかし、筆者が調査を行った2004-06年の時点ではすでに旅は行われておらず、定期市や都市で作物を購入している状況にあった。この変化は約10年前から起こったものであり、そこには、道路網の整備と定期市の発達という外的要因や、市場価値のあるアルパカを改良するために取られた土地区分政策という内的要因と呼べるものがある。このような中、農作物獲得の旅において重要な役割を果たしていたリャマの雄が手放されていったが、これをめぐる言説は、変化に対しての村人の位置の取り方によって異なるものであった。本稿では、ワイリャワイリャ村を事例として、農作物獲得の旅が行われなくなった事態を、複雑に絡み合う多数の要因を識別しつつ、ミクロな視点から明らかにするとともに、村内の変化の影響や都市との関わりによって村内に層化が促される中、村人が既存の人間関係とは異なるアルパカの改良を中心とした新たな社会関係を築き、自らアイデンティティを選びとろうとしつつある現状を明らかにした。
著者
與那覇 潤
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.451-472, 2006-03-31

本稿は、1879年に琉球王国を「沖縄県」として日本国家に併合した所謂「琉球処分」の政治過程とそれをめぐる同時代の様々な「語り」の検討によって、近代西洋との遭遇以降もナショナリズムの発生を抑制してきた東アジア世界の歴史的諸条件を明らかにしつつ、同時に現地住民の「民族性」を領土問題の正当化に動員するような政治体制の、東アジアにおける起源について再考することを目的とする。人類学における民族論の展開は、民族とは「差異の政治学」を通じて不断に構築されるプロセス-たとえばある社会問題が「A民族対B民族」の「民族間対立」として問題構成され続けることによって、「A民族」「B民族」が相互に排他的な実体的集団として人々に意識されるようになるという過程-であることを明らかにしている。そうであれば、国境画定作業において現地住民の集団的アイデンティティが政治的に資源化されるような議論の「場」が出現する時期を見定めることは、例えば当該地域におけるナショナリズムの発生を考察する上で肝要となる。従来、「琉球処分」において日本政府は日本住民と琉球住民との人種的・民族的同一性を併合の根拠にしたとされてきたが、一次史料から見るとそのようなイメージは必ずしも事実でなく、日本内地や中国の新聞記事からも琉球の一般住民の性格によって領土帰属を論じた議論は観察されない。さらに注目されるのは、同時代の欧米系メディア(米国人の著作や横浜居留地の英国系新聞など)には「日琉同祖論」に通ずる民族誌的知識や、生物学的純粋性・混淆性に立脚して人種間の優劣を議論する言説が見られるにも関わらず、日本・琉球・中国という東アジアのアクター諸国はそれを政治的な道具として動員していないことであり、その背景には国民形成以前の状態にあった東アジアの表象システム-「民族問題」を構成しないような論理と世界観の体系-が存在した。本稿はその歴史的実態を明らかにするとともに、そのような作業を通じて、研究領域として自己完結しがちな民族論や国民国家論をより普遍的な視野へと開くことを目指すものである。

1 0 0 0 犬と日月蝕

著者
泉 靖一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
季刊民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.79-80, 1950-08-15
著者
狩野 千秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.366-392, 1980-03-31

With the development of sedentary agriculture based on the cultivation of maize in the New World, the Feline cult emerged with the new agricultural ceremony. There are many archaeological remains related to the Feline cult, especially in the Andes and Mesoamerica where the cult flourished. The Feline cult reached its peak in the Chavin and Olmec cultures, and succeeding cultures were very much influenced by its religious beliefs and customs until the time the Spaniards arrived on the continent, though the character of the Feline god did change by the addition of some new attributes and by its absorption into the more complicated pantheon system. However, there is reliable evidence, such as the ceramic and bone objects representating the feline found in the Huallaga River basin, in the Central Highlands of Peru, which indicates that the custom of worshipping the feline animal had already begun during the pre-Chavin cultures. During this same pre-Chavin period, and separate from the agricultural ceremony, traces of special funeral rites for the local chiefs, etc., have been found. Magnificent stone tombs were constructed and among the items of offering for funeral use have been found vessels which on one side show a representation of the human face and the other side a face which is Jaguar-human ; the two effigies contrast with each other and are evidently a reflection of some dualistic idea. Such dualistic aspects can also be seen in the representations of' Chavin and Olmec art. The main theme of this paper is to inquire into the meaning and character of this kind of dual concept as it was expressed through the Feline cult. As the best examples to demonstrate this theme, I have chosen and reviewed ceramic wares and stone sculptures from Chavin art and stone effigy axes and masks from Olmec art. Also, I have revised prevailing ethnographic data on the Jaguar animal ancestor mythology, the Jaguar-Shaman transformation story, and the relationship between the Feline cult and shamanism in the New World. Through consideration of both archaeological materials and ethnological data, I have concluded that the dual aspect representation of the Feline cult must correspond to the dual role that would have been played by the chief-shaman priest in ancient times.
著者
平井 京之介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.366-387, 1995-03

北タイの農村地帯に1980年代後半突如として外資系企業を主とする巨大な工業団地が出現した。ここで働く女性工場労働者は収入の大半を家の新築や家財道具の購入につぎ込んでおり,家にどれだけ豊かなモノを揃えたかを村の同年代の女性どうしで競いあっている。本稿では,彼女たちの消費行動が村において構築された家と女性に関するハビタスに基礎を置いており,そうしたハビタスによって生み出される実践は工場社会で新たに経験する同僚との相互行為を通じて変容されるということを考察する。そして,彼女たちにとって家を化粧するということは,工場での実践の変容を通して顕在化したものであるが,村で形成された女性の名誉に関するハビタスに根差したものであり,自己の相対的地位を高めることを目的とした能動的行動であるということを論じる。