著者
石川 巧
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.61-72, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

本稿は、日本の高等教育機関において近代文学という学問が正式に承認され、汎用性のある教科書が編まれるようになったのはいつ頃からか? という問いを立てることから出発し、明治・大正期から昭和戦前期に至る教科書の変遷を追跡したものである。特に、大学講義用教科書の定義を明確にし、詳細な文献調査にもとづいてその起源を明らかにすることに力を注ぐとともに、それぞれの教科書がどのような目的と方法をもって学生の文学的リテラシーを涵養しようとしたかを考察している。
著者
跡上 史郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.6, pp.31-40, 1996-06-10 (Released:2017-08-01)

物語は物語を批判し、留保や注釈をつけながら、物語ならざるなにものかの相貌をまとってあらわれてくる。物語からは原理的に逃れられないのだとすれば、物語との緊張関係を生きるための知が必要なのではないだろうか。澁澤龍彦は、一九八〇年代に流行した「物語批判」に関心を寄せつつ、「反物語」「反反物語」を試みた。物語の知の可能性を、九〇年代のいまなお潜在的にも顕在的にも影響力を行使している「物語批判」の側面から逆照射する。
著者
小二田 誠二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.12, pp.49-59, 1987-12-10 (Released:2017-08-01)

馬場文耕作とされる「皿屋舗辯疑録」の構成要素の検討を通して、皿屋敷伝承の実録化に関与した文化圏について考察する。この伝承は、巡国の聖や祐天説話を生んだような浄土宗門の説教僧の手を経て実録化されたと考えられる。この事情は、本作が、説教から近世的な講談への過渡的な意味を持つことを示すと共に、講釈師の文化圏が、説教者達と、かなり深く重なり合って、近世口承文芸、舌耕文芸の形成に関って来た事も示唆している。
著者
一柳 廣孝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.30-38, 2001-11-10

「週刊少年マガジン」に連載されたつのだじろう「うしろの百太郎」は、心霊学にもとづいて心霊の知識を教授する場として機能し、七〇年代以降のオカルト・ブームに大きな影響を与えた。本稿では主として「うしろの百太郎」連載時に反響を呼んだ「コックリさん」、超能力をめぐる動的な様態に注目し、この特異な場に働いたさまざまな「力」の諸相について、いささかの考察を試みた。
著者
中川 成美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.2-15, 2011 (Released:2016-12-09)

真に文学的な想像力とはどのようなものなのだろうか。文学は言語を媒介とする表現様式と認知されているが、読書行為の推移のなかで見出される非言語的なイマージュの躍動に対して、文学研究においてはこれまで「表象」化という概念に貼りつかせて、言語的行為と捉えてきた。しかし、G・ドゥルーズが指摘するように、言語を超えてイマージュそのものを身体的に感知する「精神的自動機械(automate spirituel)によって見出す「外の思考」をここで考えていくならば、非言語としての図象的想像力とは、あらゆる思考の生産のなかに発動の契機を持つであろう。そしてその中で文学によってしか存立しない想像力、「文学的想像力」としか名付け得ない領域が開かれているのではないかと考えている。本発表ではその立場から、想像力が言語、非言語に関わらず喚起されていく経緯を現代文学作品から考察し、特に視覚性(Visuality)という身体の経験との往還によって見出される想像力が、文学のなかに基層的に封じ込められていることに言及したい。
著者
小二田 誠二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.34-43, 2012-01-10 (Released:2017-08-01)

近世の実録は、実在の事件に取材しながら、書写、伝承していく過程で、場合によっては荒唐無稽と思われるような変容を遂げる。それは、現代の科学的思考から見れば「非・事実」、「虚構」である。しかし、そうした虚構によってこそ「事実」は言語化できるとも考えられる。具体的な資料を検証できる実録を材料とすることで、我々にとっての事実とは何か、記録する営みとは何か、と言う文学の根源的な課題に近づくことができるだろう。
著者
高山 裕行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.12, pp.70-75, 1985-12-10 (Released:2017-08-01)

太宰治「走れメロス」は、シラーの"Die Burgschaft"を下敷きとして書かれている。相馬正一氏をはじめ研究者諸氏がとり上げているその訳文は、木村謹治訳又は手塚富雄訳であるが、いずれも主人公は「ダーモン」である。では、太宰はどの翻訳を読んで作品化したのだろうか。それは小栗孝則訳「人質」(『新編シラー詩抄』所収)である。この訳文は主人公が「メロス」であり、本稿では小栗訳「人質」と「走れメロス」との関係を分析した。
著者
岩佐 美代子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.33-42, 2006-07-10

西園寺公宗の宝、日野名子の日記「竹むきが記」は、皇統・公家社会・婚姻形態にかかわる三つの危機を乗越え、これに鍛えられた女性によって書かれた作品である。困難きわまる時代の中で、夫を失い、その家に乗込んで遺児を育て上げ、家門を守った彼女は、同時に自らの判断で信仰の道を定め、在俗修行に徹する。中世までの自立性高い女性と、近世の夫に従属し家を守る女性の分岐点に立つ本記は、危機を描く文学として価値高いものである。新たな見直しを期待したい。
著者
岡部 隆志
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.1-10, 1999-05-10

記紀や風土記には、神婚の物語が多数含まれる。それらの神婚譚は、人々の幻想が生み出したものにせよ、神の妻として世間から認知される巫女の憑依体験が内在されていると考えられる。神の憑依にはレギュラーとイレギュラーとがある。イレギュラーの憑依体験は人間に「畏れ」を抱かせるが、その意味では、イレギュラーの憑依体験が、一般的な神の子の物語とはならない異類婚姻譚などの、人間の側の「畏れ」を内在させた物語を生み出す契機になっているのではないか。
著者
北條 勝貴
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.20-35, 2004-05-10 (Released:2017-08-01)

大殿祭は、忌部(斎部)宿禰の主催する希有な宮廷祭祀である。「大殿祭祝詞」や『古語拾遺』は、同祭が、山中での採材から柱立てに至る一連の伐木・建築祭儀と内的連関にあることを主張する。事実、伊勢神宮の年中行事や遷宮諸祭、大嘗祭にも、これと同種の儀礼体系が共通して存在し、忌部の関与が濃厚に確認できる。これら忌部と樹木との密接な関係は、忌部宿禰の品部である紀伊忌部が同国固有の環境において醸成してきた、樹木に宿る宗教性(木霊・山神の力)を殿舎の守護神へ転化する、木霊鎮めの技法に基づいている。「祝詞」にのみ登場する大殿祭の祭神屋船命は、忌部が樹木との直接的交感を通じて生み出した独自の神格であり、「事問ひし」自然との葛藤を体現する物語りなのである。
著者
兼岡 理恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.2-9, 2013 (Released:2018-05-18)

環境をどのように表現するか。特に自然環境においては、実際の景・事象を客観的に描く立場と、理想の景・イメージとして文芸的に表現する、という二つの立場がある。古代散文における雪の記事をみると、たとえば六国史の雪は、災厄の予兆・雪害から儀式に関するものへと変容しており、朝廷における雪への関心の変化が窺える。一方『摂津国風土記』逸文には、鹿の背に積もる雪が塩の譬喩として表現されるが、その聯想の背景には、野に降り積む雪の文芸的イメージ、さらに同地の地理的環境がふまえられており、文芸的観点から雪を描いた記事といえる。
著者
篠崎 美生子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.38-47, 2005-01-10

「鼻」は、王の「内面」(=人間の弱点)を書き/読む小説である。物語内容の上では、王権と弱い「内面」は両立を許されないのだが、読書行為の中では、内供は同情され、救済されてしまった。こうして王に感情移入する読書のレッスンのほか御製、教育勅語等の効力が相俟って、人々に王の「人間宣言」という矛盾を受け入れさせる要因になったのではないか。
著者
西山 克
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.46-56, 1996

禅僧大極の日記『碧山日録』応仁二年一一月一九日条には、釜鳴りを鎮める作法-釜鳴法-が書き記されている。なかで興味深いのは、異性装によるトランス・ジェンダーにより釡鳴りが鎮まるとする法である。なぜ、異性装により釜鳴りが鎮まるのか。またこの釜鳴法が、現代日本の下位文化において語られるオカマという隠語と、どのように関わるのか。日本中世の女装者である持者の存在をも視野におさめながら、聖なるオカマを論じ、インドの両性具有者ヒジュラを遠望してみたい。

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著者
竹村 信治
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.2-17, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

「学習指導要領」への準拠が求められる教科書だが、実際の教科書編集にはこれへの「参与」と「補完」が認められる。「学習指導要領」は、今後はともかく、現在はM・マクルーハンのいわゆる「クールなメディア」としてあると見なし、教科書の古典「文学」をめぐる「参与」と「補完」の可能性について考察した。この度の改訂で小中高校「国語」に新設された〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕だが、小学校「国語科」教科書は「伝統的な言語文化」を「言語文化」とあえて読み替えたごとくで、拡張された「言語文化」概念のなかに古典「文学」を位置づけなおして教材の拡充を果たしている。これが二七年度版でどう改訂されるかは不明だが、この新設事項へ「参与」「補完」は教科書の可能性を開いたものとして相応の評価に値する。そうした小学校教科書の達成を承けて中等学校においてはいかなる「参与」「補完」を構想するのか。教科書およびそれを扱う教員の構想力、展開力が問われるところである。本稿では四つの対処法を示した。その要所は、「言語文化」事象としてある古典「文学」テキストの一つ一つを「知のアーカイブズ」と捉え返し、それぞれの「知の営み」を読み解き「評価」「批評」すること。それこそが「ホット」に進行しつつある現況に「クール」に立ち向かう途だろうとした。
著者
岩佐 壯四郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.11, pp.47-59, 1996

いわゆる<雅号>は、志賀直哉・谷崎潤一郎など<本名>を署名する文学者の登場した一九一〇年代以降次第に姿を消していった。<雅号>は、いずれは近代における文学という制度の負の領域に追いやられるべき運命にあったといっていいかもしれない。だがそれを、近代文学史の一つのエピソードとして片付けてしまっていいのだろうか。それは逆に、近代文学という制度の性格を照らしだしていはしないだろうか。