7 0 0 0 OA 創刊のことば

出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, 1952-11-01
著者
千田 洋幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.12, pp.52-53, 2001-12-10
著者
プレモセリ ジョルジョ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.67, no.9, pp.13-24, 2018-09-10 (Released:2023-09-28)

これまで、陰陽道研究の進展によって、古記録・都状のなかの泰山府君の神格について明らかにされてきた。しかし、泰山府君は「説話」と「物語」にも登場するのである。本稿は、『今昔物語集』に収録される「晴明説話」と『今鏡』に収録される「有国説話」における泰山府君祭を見ることによって、これまでの研究で指摘されてきた泰山府君とは異なる「泰山府君」に接近し、説話としての固有な「泰山府君」を読み解く試みである。
著者
増尾 伸一郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.7, pp.33-44, 1998

九州を中心とする西南日本の盲僧が琵琶を弾奏しながら語った『地神経』は、朝鮮の盲覡(読経師、経巫)が読誦した『地心経』と、ほぼ同一の疑偽経典である。日本では土佐のいざなぎ流や奥三河の大土公祭文をはじめ、各地の土公神祭文や五行神楽の詞章にみられるように、その釈文は<五郎王子譚>として広く流布した。本稿では、天文暦数や陰陽五行説、中国の盤古説話などを包摂しながら、重層的な展開をみた、語り物としての軌跡を、中世社会のなかに位置づけることを試みた。
著者
松澤 俊二
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.73-86, 2016

<p>一九〇〇年前後の「和歌革新」以降を「近代短歌」=「新派」和歌の時代とする見方は、近年の研究により補正されつつある。すなわち「革新」以降も「旧派」は勢力を温存して、二派が〈両立〉していたというのである。本論は、以上の観点を引き継いで「新」・「旧」〈両立〉の具体的な姿を大正期に即して考察した。特に当時の入門書を資料とすることで先鋭的な歌人の言説ばかりでなく、同時代の初学者のニーズまでを視野に入れて多面的な把握を試みている。</p>
著者
酒井 浩介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.12, pp.47-58, 2009

一九二〇年代の新潮合評会の佐藤春夫と久米正雄の会話の記録の不備を手掛りとして座談会と速記の関係に着目し、帝国議会議事速記録(一八九〇)から小林秀雄までを射程に座談会の批評的な意義を考察する。座談会とは会話を活字として現前させようという欲望によって生み出された言説のトラブルなのであり、それは書き言葉の無意識として現れ、言文一致という形で整除された近代文学にひびを入れることで批評性を獲得するのである。
著者
木村 朗子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.16-27, 2011 (Released:2016-12-09)

本発表では、中世社会の信仰がどのようなイマジネーションに支えられ、どのようなものを幻視させるのかについて考えてみたい。ジュリア・クリステヴァは近著、Cet incroyable besoin de croire (Bayard, 2007) [This Incredible Need to Believe, 2009] で、信じること、信仰することについて論じ、信じるということは、それを真実と捉えるという意味だと述べている。多くの場合、宗教的な信仰は、とても信じ難いエピソードの集積の上に成り立っている。さらに、その真実性を補強するために経験譚や目撃譚などがあらわれる。信憑性への希求が結果としてますます信じられそうもないエピソードを上重ねしていくことになる。とくに信憑性をめぐるエピソード群は、一般に正典化されたものにたいして、外典的なものを派生させていく。正典は、外典を排除しようとするが、かえって外典的なものがさらに強い信仰に支えられて生き延びさせてしまう。本発表では、外典的エピソードのなかから、それらの体験という想像における見ることとしてのヴィジョナリーをめぐってうみだされた物語の視覚的イメージと語りとの関係について考える。
著者
相馬 庸郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.9, pp.45-54, 1994-09-10

「楢山節考」にはじまり、戦後文学の近代主義的性格の虚を衝く作品を発表しつづけて、特異な位相を持つ深沢七郎の現実の政治的姿勢を検証してみた。彼は共産党→全学連→赤軍派→連合赤軍→日本赤軍と支持をつづけたが、それは理論的にも党派的にも矛盾する心情的なラディカリズムで、結局彼の求めたのは、彼の深部にある一種の「千年王国」とでも言うべきものであった。そこに深沢的反逆の特質があった、と私は考える。
著者
西原 志保
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.11-23, 2008-12-10 (Released:2017-08-01)

女三宮は、研究史の中でその存在が六条院世界や物語のありようを変容させたものの、内面を語らないといわれる。しかし、女三宮の心内語や心情に添った描写、会話文など、女三宮のことばは少なくない。それゆえ、源氏や紫の上の述懐がどのような点で「内面」と見られ、女三宮のことばが見られなかったのかを、近代的な内面観や研究史との関わりから押さえた上で、女三宮のことばのありようについて論じる。特に女三宮のことばが短く断片的であること、時間感覚に着目する。
著者
小島 明子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.7, pp.12-21, 2006

『我身にたどる姫君」は、女帝の統治・今上帝の善政描写に特徴がある。それは机上の空論と見るべきではなく、鎌倉初期の九条兼実が実際に取り組んだ政策に一致する点が多いことが指摘できる。院近臣を排除し、天皇家を中心にその外戚たる藤氏摂関家がそれを補佐するという、兼実・慈円兄弟が理想とした御代を物語は実現しているのである。そこには、保元の乱以降、天皇家も摂関家も武家勢力によって分断された「危機の時代」を生きる物語作者の切なる執筆動機が読み取れる。
著者
米田 利昭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.60-74, 1979-03-10
著者
川村 裕子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.2-11, 2006-01-10 (Released:2017-08-01)

古典文学普及のための<加工>としては、「取捨選択」という演出が必要である。『蜻蛉日記』におけるその演出方法について述べた。一つ目は道綱母の「本朝三美人」説話について『蜻蛉日記』のイメージ戦略と同時に、他の二人の名前を残すために伝承そのものを捨てなかった道筋(「取」)を書いた。二つ目は、「現代語訳」について、注釈者の意図を反映させるために、通説の一部を切り取った経緯(「捨」)について述べた。
著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.2-13, 2017-01-10 (Released:2022-02-02)

『源氏物語』や『平家物語』の語り(narrative)について、風景や装束が記述的・事実確認的ではなく行為遂行的(performative)に語られること、それに関連して、語り手と読者および作中人物の共主観的(相互主観的)なあり方について述べた。また、そのような物語の語りが、近世の出版メディアのなかで変容することを、近松門左衛門の作者署名の問題や、洒落本・人情本の自己言及的な語りの問題として論じ、末尾で、江戸後期の戯作の語りが、明治期の尾崎紅葉や泉鏡花の語りに接続することを述べた。
著者
中村 三春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.11, pp.1-11, 1987-11-10 (Released:2017-08-01)

太宰治初期の代表作「道化の華」は、心中未遂を犯し自分だけ助かった主人公大庭葉蔵の物語であるが、同時に、その物語を語る語り手が、自分自身の語る物語の内容や構成に関する注釈を縦横に加える構造になっている。これは、小説創造と小説創造に関する陳述の同居という、いわゆるメタフィクションの定義に完璧に合致する典型的テクストである。本稿ではメタフィクションの一般理論に照らして、この作品に再検討を加えてみた。
著者
志立 正知
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.7, pp.46-55, 2010-07-10 (Released:2017-08-01)

中世後期における地方武家の家伝・系譜伝承の形成過程について、安藤氏による「下国家譜」を例として検討を加えてみた。従来は、その成立時期が不明確であったために、かなり幅広く形成期を想定して、在地伝承などの形成と重なるものとして理解する意見が多かった。しかし、平川氏の問題提起を受けて、拙稿ではそれを検証しながら、成立時期が平川氏の想定よりも若干下る十五世紀中頃以降である可能性を指摘、その時代に安藤氏が置かれていた情勢の分析から、「下国家譜」に、長年にわたって抗争を続けていた南部氏を意識した津軽・秋田における先住権・支配権の主張という一面が認められること、さらには家譜編纂作業が、京都・羽賀寺と本拠を結ぶネットワーク上に想定する方が自然であることを指摘した。
著者
内藤 まりこ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.7, pp.14-24, 2011-07-10 (Released:2017-05-19)

「和歌」という詩的言語には、「叙景」と呼ばれる表現方法があるとされる。「叙景」の方法は古代にまで遡るとされるが、「叙景」という言葉は明治二〇年代に初めて登場した。本稿では、まず、「叙景」の成立を明らかにし、「叙景」の方法が古典詩歌の解釈の枠組みとなるまでの過程を考察する。次に、中世の「叙景歌」と呼ばれる歌について、「叙景」の枠組みでは捉えきれない歌の構造を、人称を手がかりに解き明かす。
著者
山本 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.9, pp.35-43, 2006-09-10 (Released:2017-08-01)

『権記』は一条院が出家後死の床で詠んだ歌を記し、後に「其の御志は皇后に寄するに在り」とする。近年この「皇后」を時の中宮彰子ではなく故定子だとする新釈が提出された。検証のため『権記』中の定子と彰子の呼称を全て調査すると、「皇后」は彰子立后当初は彰子専用だったが、定子崩御後は定子専用の語となったと判明、当該「皇后」は定子との結論に達した。これを受け、行成がそう考えた要因を考察、彼の見方に従う本歌通釈を試みた。
著者
鳥羽 耕史
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.11, pp.14-26, 2010-11-10

一九六〇年代の小松左京は、SFやルポルタージュや評論によって、「日本」を探究したが、その結論は意外にも古き良き故郷であり、開発を望むものではなかった。『日本沈没』も田中角栄『日本列島改造論』への批判として書かれ、沈没する日本は古代に遡行したものとなっていた。この小説は現在に至るまでマンガ、ラジオドラマ、映画、テレビドラマなど、様々なメディア向けに脚色され続けているが、その流れを追っていくと、サブカルチャーを介した日本回帰という「J回帰」の特徴が出ていることがわかる。
著者
佐々木 孝浩
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.7, pp.20-30, 1994-07-10 (Released:2017-08-01)

鎌倉時代の文永年中(一二六四〜一二七六)に、天台座主澄覚と後鳥羽院女房二条局が勧進した、後鳥羽院忌日(二月二十二日)の追善影供和歌会について考察する。後鳥羽院孫澄覚が歌人であったこと、二条局が隠岐に供奉した坊門信清女西御方であることを確認し、両者が用いた後鳥羽院画像についても検討。この後鳥羽院影供が、忌日に催された影供歌会の初例であったことの、影供史上での意義と役割を述べる。