著者
川口 則弘
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.11, pp.2-12, 2013-11-10 (Released:2018-11-10)

著名な二つの文学賞、直木三十五賞と芥川龍之介賞について、次のような俗説が多くの文献で紹介されている。「もともと菊池寛が、雑誌の売上の落ち込むニッパチ(二月・八月)対策として、雑誌を宣伝するために設けた」。この真偽を判別し、その上で、流言の発生源と流布にいたった経緯を探る。そして両賞には、広く存在が知られているという性質と、内実に興味を向ける人の少ない性質とが、不可分に混在していることを確認する。
著者
山根 由美恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.9, pp.40-49, 2001-09-10

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーラント」は、『世界の終り』と『ハードボイルド・ワンダーランド』という二つの異なる世界が、パラレルの位置のまま並行して進み、結末において統合されていくと考えられてきた。しかし、二つの世界は展開するにつれ相対する世界の性質へと変化している。本稿では、この性質の変化を<ウロボロス>という円環構造で捉え、自我と外界が対立しない近代自我神話の終結という世界観を読みとった。
著者
白石 良夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.53-60, 2014-01-10 (Released:2019-01-26)

一 「「羅生門」の下人の恐怖」羅生門の楼上で「頭身の毛も太る」ように感じた下人。その「頭身の毛も太る」を「恐怖のために髪が逆立つように感じられる」と説明するのが教科書の註釈であるが、下人の心理を辿ってゆくと、そのような解釈が成り立たないことを指摘する。二 「李徴はなぜ「狂悖の性」を抑えることができなかったか」「山月記」の李徴の「狂悖の性」を「きちがいじみてわがままなさま」とする教科書の註は、儒教思想史の常識からいえば、漢学の家の人、中島敦の作品の読み解きとしては、間違っていることを指摘。三 「作者は本当のことを書くか」虚構であることが自明の文学作品に、わざわざ架空であることの註釈をつけることが意味のない行為であることを指摘。作品の嘘を無視して、作者の実像を穿鑿することは文学の読み解きとは無関係であることを述べた。
著者
佐藤 壮広
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.28-34, 2011 (Released:2016-12-09)

沖縄本島の地図と自身の身体を重ね合わせるようにして、沖縄戦の負の記憶や米軍基地を前にしての現在の抑圧状況を感受する民間巫者。沖縄でユタと呼ばれている宗教的職能者のなかには、シマの痛みを身体の痛み(症状)と重ね合わせつつ、過去・現在を語る者がいる。報告者はそれを「身体地図」としてイメージ化し、論文やエッセイを書き、またそれを文化事業のひとつとして衆前で語っている。人類学的な方法を介しながら、語りから描写、そして描写から語りへという一連の行為的な循環がここでは生じている。またこれは、他者の痛みの体験をイメージ化すること、そしてそれを語ることの関係性という、解釈や理解というより大きな課題にかかわる作業である。報告では、沖縄の民間巫者(ユタ)の語りから報告者が構造化した「身体図式」というイメージを提示し、それを報告者がどのように語ってきたかを晒した上で、その限界と可能性の一端について述べてみたい。
著者
跡上 史郎
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.6, pp.31-40, 1996-06-10

物語は物語を批判し、留保や注釈をつけながら、物語ならざるなにものかの相貌をまとってあらわれてくる。物語からは原理的に逃れられないのだとすれば、物語との緊張関係を生きるための知が必要なのではないだろうか。澁澤龍彦は、一九八〇年代に流行した「物語批判」に関心を寄せつつ、「反物語」「反反物語」を試みた。物語の知の可能性を、九〇年代のいまなお潜在的にも顕在的にも影響力を行使している「物語批判」の側面から逆照射する。
著者
吉野 瑞恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.33-43, 2012-05-10 (Released:2017-11-02)

『源氏物語大成』に結実する『源氏物語』の文献学的な研究で知られる池田亀鑑は、『宮廷女流日記文学』においては、主情的な評論を試みており、両者は鮮やかな対照をなしている。彼のこのような二面性は、個人的な資質による面もあったが、さらに、池田が人間形成をした大正期に哲学・芸術・文学・社会運動などあらゆる領域を席巻した「生命主義」とも呼ばれる大きな潮流の影響を考える必要がある。池田という研究者は、大正期という時代の新しい流れに反応し、この時代に文学研究をめぐって浮上してきた問題を引き受けて、一生を送ったといえるのである。
著者
渡瀬 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.12, pp.21-29, 2005-12-10 (Released:2017-08-01)

中・近世を通して流行した、熱田明神が楊貴妃となったという伝説について、中世の諸文化との関連から多角的に論じた。『曽我物語』巻二「玄宗皇帝の事」という章段の簡単な記述を出発点とし、この伝説がどのように生成・発展し、広がっていったかを追った。その中で、時代が下るにつれて物語が具体的に変化していく様子や、謡曲や『長恨歌』注釈への影響、日本の伝説の中国への輸入など、この伝説を取り巻く状況が明らかになった。
著者
松本 真輔
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.11-20, 2004-06-10 (Released:2017-08-01)

中世における聖徳太子信仰が、観音信仰と重なるものであったことは、かねてより指摘のあることである。そこには、「救世」の言葉にふさわしく、慈愛に満ちた太子のイメージを読みとることができる。しかし、中世における太子信仰は、観音信仰のみで語り尽くせるものではない。多種多様な形で展開していた中世太子信仰の世界においては、時として、戦争を仕掛ける凶暴な太子の姿も描かれていた。本稿では、中世太子伝における太子の兵法伝受説の展開を端緒として、武人としての太子像の形成について検討し、更に、こうした太子像の広がりを示す一例として、滋賀県甲賀郡にある油日神社の縁起を取り上げる。
著者
竹内 瑞穂
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.11, pp.45-56, 2009-11-10

本論は、井東憲『上海夜話』(一九二九)における、探偵小説とプロレタリア文学の<交通>の試みを扱う。井東のプロレタリア探偵小説の構想は、芸術大衆化論争が目指す大衆化とは、似て非なるものだった。その構想自体は成功したとはいえないが、井東の作品は、探偵的(興味本位)な眼差しの導入により、既存のプロ文が捉えられなかった、上海という国際的空間における、民族主義(ナショナリズム)依存の問題に触れ得たのである。
著者
中村 三春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.11, pp.21-30, 1990-11-10 (Released:2017-08-01)

有島武郎の童話「一房の葡萄」は、従来主人公を成長に導いた先生の「愛の力」に重点を置いた読み方が通説となってきた。しかしテクストの語りの構造に即して見直せば、この物語の真の主役は学校空間そのものなのである。有島が示唆していた<他者>としてのこどもの措定、それは近代の天皇制が巧みに利用した学校教育という制度自体を根底から相対化する作業である。天皇制の柔構造もそこに新たな解明の端緒を見出しうるであろう。
著者
渡辺 衆介
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.9, pp.42-49, 1986-09-10 (Released:2017-08-01)

『今昔物語集』中の説話に、鬼など霊的なものの出現する方向として「後(うしろ)の方(かた)」という言葉がたびたび出てくる。本稿はこの「後の方」が寺院の後戸(うしろど)に祀られた神秘にして強力な霊格「後戸の神」に関連すると説く。そして、高取正男・服部幸雄両氏の研究を補う形で、後戸の神の多様な側面を解析する。後戸と戌亥信仰との関係、祖霊・家霊信仰との関係、源三位頼政と後戸とのつながり等々である。
著者
高橋 明彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.25-35, 1991-01-10 (Released:2017-08-01)

作者は、作品の原因であり生成の場でありその所有者である、といった特徴を持つだろう。その特徴は、読解のために要請された機能であるにも拘らず、逆に読解の基盤として実体化される。一般的な作家論は、これを素直に受け入れ、その現実に安住感を持ち、作品理解を作者の名の下に統合する。しかし《多田南嶺の浮世草子》は、「八文字屋浮世草子」と「多田南嶺」との間に微妙な緊張関係を強いる。が、作者を実体として捕捉しえない多田南嶺という存在こそ、その時我々の前に純粋な作家論の対象として幻出する。
著者
東 喜望
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.28-37, 2001-01-10 (Released:2017-08-01)

この論稿は、十島や奄美諸島・沖縄先島に伝承されている平家伝説と、奄美から沖縄本島にかけての島々に伝えられている源為朝伝説を紹介しながら、まず、これらの伝説を形成させた社会的背景について考察している。次いで、これらの伝説が国または国家レベルで果たした役割について言及している。畢竟、古琉球時代、既に存在した為朝伝説や近世期に形成された奄美の平家伝説は、政治的に作意された話だと作者は推定している。