著者
後藤 実
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.324-340, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
42

とくに1990年代以降, 多様な分野で社会的排除に関する研究が活性化し, 分析の視座が揃いつつある. そして, 「排除から包摂へ」という方向性が提示されている.本稿では, 社会システム理論に依拠することで, 包括的に近代社会における包摂/排除の形成を考察し, 社会政策学的な関心から行われている研究の不備を補う. そこで, 社会システム理論の観点から包摂問題を論じたT. パーソンズとN. ルーマンの理論を検討する. 両者の議論の吟味を経て, 機能分化した近代社会は, 包摂原理 (形式上の包摂原理) によって存立しており, そのもとで, 組織が排除・選抜を行うことで, 集合的な成果を確保し, 存続していること (作動上の包摂原理) が明らかとなる.ルーマンは, 排除を主題化しつつ, パーソンズ理論の不備, 欠点に対処した. とはいえ, 作動上の論理に即して包摂/排除と平等/不平等とを直接的に関連づけていないという問題点がルーマンの議論に関して指摘できる. そこで本稿では, 機能としての平等/不平等の区別に着目したうえで, 排除のコミュニケーションを問題化し, これが包摂/排除の調整 (調整上の包摂原理) に関与することを近代における包摂原理の複数性に即して考える.近代社会は, 形式上の包摂原理を参照して, 作動上の包摂原理を反省し, 存続に関わる包摂/排除を調整することで, 持続可能性を強化すると最終的に結論づける.
著者
後藤 吉彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.400-417, 2005-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
40
被引用文献数
1

本稿はまず, 身体的損傷 (インペアメント) ではなく社会的障壁こそが障害者にとっての問題=障害 (ディスアビリティ) であると主張する「障害の社会モデル」を紹介し, その功績と意義を確認する.そのうえで, 「社会モデル」に内在する問題-身体・インペアメントについての「生物学的基盤主義」, ひとを障害者/健常者とカテゴリー化することを容認するアイデンティティ・ポリティクス-を批判する.そして, それを補うべく, 障害学, 社会学に必要とされるのは, 障害者/健常者カテゴリーを不安定化させるような取り組みであると指摘し, そのためには「基盤主義」を徹底的に問いなおし, “障害者の身体” や “健常な身体” という概念を脱自然化させて捉えなおす視点が重要であると主張する.本稿の後半では, “健常な身体” の不安定さ, 不可能性を論じたM. Shildrickの著作をとりあげ, さらに, 彼女の議論を参照しながら, 障害者の〈逸脱〉した身体を健常者の〈標準〉なものに近づけるべくおこなわれるリハビリや整形治療について検証する.
著者
鶴見 和子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.73-75, 1982-03-31 (Released:2009-10-19)
著者
佐藤 郁哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.346-359,481, 1991-03-31

本論文は、もっぱらトマスとズナニエツキのテクストに沿って、状況の定義概念の初期の定式化とその後の変遷をあとづけ、この概念が、行為主体と「構造」の関連を明らかにする上でもつ「感受概念」としての潜在力を明らかにする。<BR>社会学におけるスタンダードな用語の一つである「状況の定義」は、これまで主に社会的行為の主意主義的な側面を表現する代表的な概念として取り扱われてきた。しかしながら、この概念の初期の定式化の歴史をたどってみると、「状況の定義」は、行為に対する社会文化的な構造の規定性を示す際にも使われていることがわかる。とりわけトマスは「状況の定義」を多義的に使用しているが、これは、様々な行為主体と多様な状況との関連を実証研究を通して明らかにしていく上で彼が用いた効果的な戦略の一つであると考えられる.この「状況の定義」の一見相矛盾する多義的な用法の解明は、現在さまざまな形で試みられているマイクロ社会学とマクロ社会学の統合を進める上で、一つの有力な手がかりを与えてくれる。
著者
金丸 由雄
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.2-19, 1970-12-30

In his short paper on <I>ASR</I>, 1936, Merton listed extensively various factors to cause unanticipated consequences in purposive social action, and showed a few cases in which certain patterns can be identified among anticipation, action and consequences. This topic was later developed into a Chapter in his <I>Social Theory and Social Structure</I> (1957) as "The Self-Fulfilling Prophecy". <BR>Merton's original paper is important at least in the following senses : Unanticipated consequences are already emerging in anticipation before execution of action, and in some cases, certain patterns among anticipation, action and consequences can be traced. <BR>In order to further develop this topic, which had been suggested by Merton in such extensive scopes, it should be necessary to coordinate the problems from certain view point. The writer of this paper tries to do so, firstly, by reviewing them in terms of role differentiation into "prophet", "actor" and "observer" for anticipation, action and consequences respectively. Then, he focusses those cases enumerated by Merton on the uncertain nature of expectation of actor in anticipating consequences, and points out the peculiar characteristics in the "prophecies" and "basic value" cases as definition of the situation by others. This is the process for the actor to overcome the uncertainty in his expectation of the consquences of the contemplated action. Another possibility to overcome this uncertainty is suggested. It is called "auxiliary means" to strengthen those means already in hand with the uncertain expectation of consequences kept uncertain. With this "auxiliary means" corresponds "auxiliary purpose", which shall be instrumental in producing unanticipated consequences for actor not only in the new "Auxiliary value area" but also in the "original value area" as both are necessarily interrelated. Two propositions are made at the end : First for actor's tendency to depend on the definition of situation provided by others, and Second for actor's tendency to rely on the "auxiliary means" in his uncertain anticipation.
著者
野村 一夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.506-523, 2008-03-31

私は1990年代から社会学のテキストとウェブの制作に携わってきた.その経験に基づいて,2つの問題について論じたい.第1に,社会学テキストにおいてディシプリンとしての社会学をどのように提示するべきか.第2に,社会学ウェブのどこまでが社会学教育なのか.そして,それぞれの問題点は何か.テキスト制作上のジレンマや英語圏で盛んなテキストサポートウェブなどを手がかりに考えると,意外に理念的問題が重要であることに気づく.社会学教育には2つの局面があり,それに対応して,2つの社会学教育的情報環境が存在する.社会学ディシプリン的知識空間と社会学的公共圏である.テキストとウェブという社会学教育メディアも,この2つの局面に対応させて展開しなければならないのではないか.そう考えると,現在の日本社会学において「社会学を伝えるメディア」の現実的課題も見えてくる.
著者
太郎 丸博
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.41-57, 2006-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
21
被引用文献数
1

1970年ごろに米国で発達した理論構築の考え方は, 理論に対する1つのアプローチを確立した.しかしそれは, 学説研究の価値を不当に低く評価することになっている. Laudanの議論に従えば, 研究伝統の抱える概念的問題を解決したり, 社会学全体を見渡して複数の研究伝統の発展の歴史を概観したり, その長短を判断することを通して, 学説研究は理論を発展させることができる.さらに研究伝統を深く学ぶことで, 解くべき問題をしばしば発見することができるし, 概念的問題の解決の手がかりも, しばしば学説の中にある, しかし, 学説だけを研究しても理論の発展は難しい.概念的問題は経験的問題と密接に連動しており, 経験的問題の解決は, データの収集・分析と不可分に結びついている.概念的問題と経験的問題を同時に追求しなければ, 理論の発展は困難である.理論を発展させるためには, 既存の研究伝統を深く学ぶと同時に, 何らかの経験的問題を追求することが必要である.そのためのコツをあえていうならば, デリベーションと「よい」集団に属して研究することが考えられる.
著者
中野 秀一郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.57-70, 1971-07-30
被引用文献数
1

In the writer's view, the Science of Human Society is divided into four sub-categories : <BR>the science of material property (roughly parallel to economics) the science of social power (roughly parallel to political science) <BR>the science of human bonds (roughly parallel to sociology in the narrow sense of the word) <BR>the science of social information (roughly parallel to culture sciences).<BR>This paper is an attempt to frame a rudimentary formulation of the science of social information as a social science discipline. There is yet no such a trial as to unfold a systematic theory of social information, though, as we see, much research materials as well as theoretical contribution is accumulated in the field of the study of social information phenomena. <BR>The integral theory of social information must include all the theoretical achievement in the study of mass communication, information system science such as MIS, NIS, as well as Marxian ideology theory, Weberian religious sociology, Mannheim's sociology of knowledge, logics, liguistics and structuralism. <BR>The theoretical sub-division of the science of social information is into two : <BR>' object' science type ; according to the kind of social information analyzed<BR>, 'method' science type ; according to the kind of the process in which information is produced, exchanged, accumulated, transformed and consumed. <BR>The fundamental difficulty in this 'underdeveloped' science, in the writer's view, are as follows : <BR>(i) theory-building concerning the possibility and the form of the existence of social information (or human knowledge); the writer defines social information as the total information factual as well as imaginary about the environments in which social actor individual as well as collectivity acts. He thinks that the approach must be biological, neurological, psychological and sociological. <BR>(ii) categorization of various social information ; the writer thinks it is productive to use the categorization, namely cognitive, cathectic, evaluative and directive. <BR>(iii) communication and media are also the items demanding the integral theory. <BR>Seeing the contemporary society, the important problems of social information phenomena, in the writer's opinion, are as follows : <BR>(i) micro information phenomena v. macro information phenomena, concretely how the personal, individual information converts itself into the social, collective decision ? <BR>(ii) elite or professional information v. mass or non-professional information, concretely how democracy is possible with specialization in treating social information ? <BR>(iii) rational, cognitive information v. irrational, evaluative information <BR>(iv) the technical aspect v. the semantic aspect of information <BR>(v) the majority information v. the minority information <BR>Though the points above mentioned do not exhaust all the important problems concerning social information phenomena, the paper being a introductory formulation of the science, further discussion is to be postphoned for the next opportunity.
著者
大谷 信介
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.278-294, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
26

社会学会では, 2003年に社会調査士制度を立ち上げ2008年に社会調査協会として法人化するなど, 社会調査の能力を備えた人材育成と社会調査の科学的水準の向上と普及を図ってきた. しかしそうした努力にもかかわらず, なかなか政府や地方自治体の政策立案過程において, 「社会調査」に関する社会学領域の研究蓄積や人材が活用されてこなかったという実態が存在してきた. その大きな原因として, 統計法に基づく統計調査や統計行政の制度的枠組みを踏まえた社会学領域からの問題提起が弱かった点を指摘することが可能である. 戦後日本の行政施策の企画・立案の基礎資料は, 統計調査と統計行政によって収集されてきた. こうした統計行政の仕組みは, 戦後復興に貢献するとともに, 長い間行政機関が実施する統計調査や世論調査に多大な影響を与えてきたのである. しかし, 戦後70年の社会・経済・国民生活の激変の中で, これまでの政府統計だけで政策立案をすることが困難となってきている現実も出現してきている.本稿では, これまでの国や地方自治体での政策立案過程において, 統計調査がどのように使われ, どのような問題を抱えていたかを整理検討することによって, 今後有効な「データに基づく政策立案」システムを構築していくうえで, 社会学領域からどのような問題提起をしていけばよいのかについて考察する.
著者
柄本 三代子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.521-540, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
25

本稿は, 東日本大震災後多くの人びとの関心を引きつけながら専門家の評価・判断が依然として分かれたままの, 福島第一原発事故後の放射能汚染による被ばくのリスクと不安について, わかりやすさが求められるテレビ報道において, いかに説明され語られているかを考察した.たんに福島第一原発事故後の被ばくのみを分析対象とするのではなく, 利用可能なアーカイブを駆使し, 広島・長崎原爆やチェルノブイリ原発事故をめぐる報道も分析対象とした. これにより, 被ばくの不安とリスクが語られる際の共通性抽出を目的とした. データは視聴可能なものの中から1986年から2014年までに放送された番組を対象とした. 科学的リアリティの構築に「素人の語り」がどのように寄与しているのかという点に着目した.数十年にわたる被ばくの語りを対象化することにより, 現在の被ばくの影響や不安についての関心が, 専門家によってはあいまいでわかりにくい説明がなされたまま, 未来へと先送りにされていく事態について明らかにした.専門家による言説だけでなく素人の言説も考察対象とすることにより, わかりやすさが求められるテレビジョンの中で, 科学的不確実性を多分にはらむ被ばくが語られる際には, 素人によってわかりやすい説明がなされるだけでなく, わかりにくい専門家の話を素人が支えることも必要とされている点についても明らかにした.
著者
西阪 仰
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.369-383,400, 1985-12-31 (Released:2009-11-11)
参考文献数
24

一九七一年にハーバマースとルーマンの間でたたかわされた論争で両者は、 (1) 意味が社会学の根本概念であること、および (2) 意味概念にはすでに諸主体の非同一性が含意されていること、この二点を共通の出発点としていた。ここから生じてくる問題は、 (a) 意味が常にすでに非同一的諸主体を前提とするとしたうえで、なおかつ意味を根元的に (すなわち、すでに有意味な何ものかをあらかじめすべり込ませておくことなにし) 把握することができるかということ、また (b) そのような意味概念をもとに、有意味な行為の構成、さらに行為が織りなす世界の布置の形成はどのように考えることができるかということ、これである。本稿は、まず最初に単独「主体」による意味の決定が不可能であることを証明し、次いでこれに基づいて、ハーバマースとルーマンの各論点を整理する。そのなかで (a) 行為が常に実践として公的におこなわれること、および (b) 有意味な世界は行為が連鎖することのうちで成立することを指摘し、そこから、 (i) 両者がそれぞれ強調する妥当性要求の普遍性 (ハーバマース) と規定された世界の布置の特殊性 (ルーマン) とが同値であること、さらに (ii) この同値性に注目することによってのみ行為および行為者の把握が可能となることを示す。
著者
宮坂 靖子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.589-603, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
21

本稿の目的は, 第1に, 1990年代以降, 中国の都市中間層で増加している専業主婦の実態を把握し, 中国の専業主婦規範の特徴を明らかにすることである. そして, 日本と中国の専業主婦規範の差異がどのようなメカニズムを通して形成されているのかを考察する. 考察には, 2014年10~11月にかけて, 遼寧省大連市内において9名の専業主婦に対して実施したインタビュー調査のデータを用いる.本稿で明らかになったことの第1は, 中国の都市中間層で生じている専業主婦化は「専業母」化であり, 調査対象者たちは子育て期は子育てに専念するが, 子育て後に再就職することを望んでいた. 第2に, 調査対象者たちは, 子育て期に「専業母」になることを肯定していたが, ただし母親が単独で育児を担当するのではなく, 親族からの育児サポート, 市場の家政サービスを活用しながら, 母親役割を遂行していた.このような「専業母」規範は日本の3歳児神話と大きく異なっており, 日中の「専業母」規範の差異は, 育児や家事などのケア行為のどの部分を誰が遂行し, その分節化された行為にどのような意味を付与するかによりもたらされる. 「市場化をともなった情緒化」と「市場化なき情緒化」のいずれのメカニズムを選択するかはその1つの分岐点となる. 「専業母」化という同じ現象であっても, どのような育児行為を愛情の表出とみなすかという情緒規範は文化的・社会的により異なる.
著者
寺地 幹人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.351-359, 2014 (Released:2015-12-31)
参考文献数
5

本稿は, 2014年7月に横浜で開催された第18回世界社会学会議のサイドイベントであるEast Asian Junior Sociologists Forum (EAJSF) の企画・運営の様子を報告し, この事例をもとに, 若手研究者が国際的な学術イベントの企画・運営を担う際のポイントを論じている.EAJSFにおいては, 企画・運営委員が少人数で, かつ専門分野などの点で同質性や関係の近さがあったことの利点が, 結果的に大きかった. しかし, 仮にある程度のメンバー内の同質性や近さを前提にしなければ今回のような企画・運営が難しいとすれば, 次の2つが課題として考えられる. 第1に, どのような同質性や近さが相対的に, 国際的な学術イベントの企画・運営に馴染みがよいのか, 特徴を探ること. 第2に, 活動をより詳細な業務レベルで検証し, 相対的に同質性を前提とせずとも可能な活動を整理することで, 企画・運営の関わり方のバリエーションを提示し, 関心のある人が適切な関わり方で分業できるようにすること.この2つに対応することを通じて, 国際的な学術イベントの企画・運営のノウハウをさらに学会が蓄積し, 関心のある若手研究者が関わる機会を開くことが, 世界社会学会議日本開催後の課題の一つと考えられる.
著者
盛山 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.172-187, 2015

<p>少子高齢化の中で社会保障制度はさまざまな見直しを迫られており, 社会保障改革を主張する声は多い. しかしそのほとんどは主流派経済学に依拠した「社会保障の削減」にすぎない. そこでは「社会保障費の増大」は「国民経済への負担を増大させる」とのまことしやかな (実際にはまったくの虚偽でしかない) 論理に基づいて, 財政難を理由に公費支出水準の削減と受益者負担の増大とが叫ばれるばかりで, 「福祉社会の理念」は完全に欠落している. 本来, 社会保障制度をどう改革するかの議論は, 「あるべき福祉社会像」に基づいて展開されるべきであり, それは社会学が取り組むべき重要な課題である, ところが, 今日の社会学には, 財政難の論理を適切に反駁したうえで社会保障制度の改革構想を具体的に展開するという学問的営為が見られない. せいぜいのところ「社会的包摂」や「連帯」や「脱生産主義」などの抽象的理念が語られるだけである. これには (1) 社会学がこれまで経済学の論理と直接対峙することを回避し, マクロ国民経済的な視点の鍛錬を怠ってきたこと, (2) 「理念を語る際には, その実現条件は無視してよい」という空想的理念主義が知的鍛錬を避ける免罪符としてあったこと, そして (3) それらの根底に, 新旧の経験主義的な社会学自己像がある. 本稿は, そうした社会学の現状を批判的に考察し, 社会学がどのような道筋で社会保障改革の問題に取り組むべきかを明らかにする.</p>
著者
田中 惣五郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.16-29, 1952

In the consolidation of the modern state, advanced sections of the community often lead other, less-advanced ones and sometimes enforce consolidation by conquest. In Japan, the four feudal clans of Satsuma, Choshu, Tosa and Higo formed a state through a secure consolidation with the emperor system, and thus brought into being a nation ruled by a feudal clique.