著者
有薗 真代
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.331-348, 2008-09-30

本稿の目的は,1960年代から70年代の国立ハンセン病療養所において,隔離下に置かれた入所者が集団的に営んできた諸実践の生成・展開を,当時の日本における療養所の状況を踏まえながら検討することにある.入所者たちは,自分たちの生を少しでもよりよいものにするために,仲間どうしでさまざまな試みを行っていた.本稿は,明瞭に組織化された政治運動とも療養所当局の公認下で行われた文化活動とも異なった,こうした流動的かつ非組織的な形態をとる仲間集団での実践に焦点を当てるものである.<br>療養所内における仲間集団の実践は,現金収入を得るための場をつくる営みとなって現れた.ただし彼らの実践において獲得されていったのは,単なる対価の獲得や生計の維持といった次元にとどまらず,その実践のプロセスのなかで生み出される多様な生の実現や生の充実化の次元にまで及ぶものであった.彼らの実践は,(1)自分たちで雇用を生み出し,それによって自律的な生活領域を確保すること,(2)「希望」を創出し他者と分有すること,(3)非病者との接点をつくり生活の外延を広げること,といった具体的な様態を帯びていた.構造的制約の多い状況のなかで生を豊穣化しようとする,こうした入所者たちの実践を考察対象とすることで,私たちはハンセン病者の経験世界の新たな領野にふれることができる.
著者
池田 直樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.56-71, 2018 (Released:2019-06-30)
参考文献数
40

本稿はP. L. バーガーの社会学論, とりわけ社会学のメタレベルにおける意義に関する彼の議論を取り上げ考察する. バーガーが社会学論を展開した1960年代以降のアメリカにおいては, ‹社会学と政治›の関係をめぐって盛んにこの種の社会学論が論じられていた. バーガーももちろんこういった状況を自覚しながらそれに取り組んでいた. だが同時に彼においては‹社会学と信仰›というもう1つの問題系列も存在した. 時系列的にはこちらの系列に‹社会学と政治›問題が重ねられてくる.これを踏まえて本稿ではバーガーの社会学論を‹社会学と信仰›, ‹社会学と政治›という2つの問題系列の交点において捉える. 本稿はバーガー自身の言葉を借りてこの問題を, 「科学と倫理の問題」として考える. それによって, 従来はともすればバーガーが保守化したのかどうかということのみが焦点化されてきた, 彼における‹社会学と政治›問題に異なる光を当てることができる. それはつまり彼の社会学を‹社会学・政治・宗教›というより包括的な問題連関において捉え直すということである.こうした問題設定によってわれわれは, バーガーの思想全体への概略的見通しを得ることができるだろう. さらに上記の枠組みにおいて彼を捉え直すことは, 意味概念をはじめとする彼の社会学説の再検討のためだけでなく, アメリカ社会学全体の思想的性格を問うための手がかりの1つとなるとも思われる.
著者
藤間 公太
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.148-165, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
34
被引用文献数
1

近年, 子どもの権利への関心が高まるなか, 社会的養護における支援の個別性の保障が課題となっている. とりわけ強調されるのが「施設の家庭化」である. 本稿の目的は, 児童自立支援施設での質的調査データにもとづき, 施設の家庭化論を検討するとともに, 今後に向けた示唆を得ることにある.まず, 施設の家庭化を訴える議論と, それを批判した家族社会学研究を概観したうえで, 個別性を2つの位相に分節化する戦略を採用する(第2節). 次に, 対象と方法について説明し (第3節), 児童自立支援施設Zでの調査から得た知見を示す. 分析からは, 確かに施設における集団生活は個別性保障を妨げる部分があるものの, 集団生活だからこそ実現される個別性保障も存在することが明らかにされる (第4節, 第5節). 以上の結果を踏まえ, (1) 家庭でケアラーが直面する困難を隠蔽すること, (2) 子どもの格差是正を妨げること, (3) 少数の大人が少数の子どもをケアする以外の可能性をみえなくすることという3つの陥穽が施設の家庭化論にあることを示す. そのうえで, 職員充足によって家庭を超えるケアを実現する可能性があること, 家庭という理念を相対化して議論をすることが必要であることを論じる (第6節).
著者
片上 平二郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.313-330, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
25

本稿の目的は, ヴァルター・ベンヤミンとテオドール・W. アドルノの思想の関係を「弁証法」に関する両者の議論から考えることにある. 両者の「弁証法」は両極にあるものを並列させるという方法論において共通する点をもつが, アドルノがベンヤミンの「弁証法」における「媒介」の欠如を強く指摘するように, 無視できない相違点をもつものでもある. 本稿では, このような「弁証法」に対する態度の違いに着目することで, 両者の「近代的時間」に対するとらえ方の差異について考察していきたい.ベンヤミンは時間の中から「因果」論的要素を削ぎ, 瞬間的な「イメージ」の中に新たな「弁証法」の可能性を見ようとしていた. ベンヤミンは多様なものが同時に存在できるという「イメージ」の包括的性格を「救済」と結びつけようとする. それに対して, アドルノの「弁証法」観は, 従来の「弁証法」理解がもつ目的論的な構図に対して批判的態度を保ちながら, その乗り越えのために「因果」論的な意味での時間的動態性を重視している. この動態性を呼び起こすものとして, 個的なものがもつ「否定」性の契機が重要視される.ベンヤミンは「救済」という方向に向けて, アドルノは「批判」という方向に向けて, 「弁証法」という哲学的方法を刷新することを考えた. 本稿ではこのような両者の思想の違いから生まれる思想的布置こそを「弁証法」的なものとしてとらえている.
著者
岡崎 宏樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.257-276, 2010-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
44
被引用文献数
1

本稿は,日本の中等教育を社会学の観点から考察するものである.第1節では,「中等教育の中の社会学」という主題を考察する意義について検討し,国際的視野からみた中等教育における社会学教育の重要性,社会学の教育法や教材の開発を促進する可能性,中等教育の発展に対する貢献の3点を指摘する.第2節では,日本の中等教育において社会学的知識が周辺的な位置に置かれていることを,高校「現代社会」と中学「社会(公民的分野)」の学習指導要領をもとに確認し,その要因として,社会学の学問的性格,教育行政への制度的関与の不足,社会科教育と社会学教育との連携の欠如の3点を指摘する.第3節では,「総合的学習の時間」と社会学の関係を考察し,この科目が重視する問題解決的・体験的な学習に,社会学教育が貢献しうる部分が大きいことを確認する.また,サービスラーニングを導入した社会学教育に関する諸研究を参照し,中等教育や社会学の導入期教育に効果のある体験的な社会学教育について考察する.最後に,社会科教育における社会認識を,市民性教育や現代社会の構造変化との関連で考察するとともに,社会科以外の領域でも共同性や社会性に関わる多様な学習(「生命性の学び」「他者性の学び」)がありうることを論ずる.以上によって,中等教育に関する社会学教育の研究や実践,制度的な取り組みを進めることが,日本の社会学の未来にとって重要な意味をもつことを提言する.
著者
中澤 渉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.112-129, 2010-09-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
48
被引用文献数
2 1

本稿の目的は,潜在クラス分析により,両親と本人の世代間学歴移動のパターンの変化を,教育拡大と関連づけて明らかにすることにある.教育は社会階層の研究において最も重要な変数の1つであるが,両親の学歴が高いほど本人も学歴が高いという関係以外には,質的な関係はそれほど詳らかになっているわけではない.専門学校や短大が教育拡大の中でどこに位置づけられてきたのかの評価も,定説は存在していない.そこで父・母・本人の3者の教育変数のクロス表から潜在クラスを導き出し,コーホートごとに多く観察される学歴関係のパターンを見出すことにした.データは2005年SSM調査を用い,導かれた潜在クラスが特定の職業階層や文化的背景のもとに見られるかを確認するため,多項ロジット潜在クラス分析を推定した.その結果,男女,いずれのコーホートでも3つの潜在クラスが導き出せた.潜在クラス分析の結果は,教育の拡大は格差を維持したまま進行すること,教育の優位度分布は一定で,進学率の上昇は進学のしやすさの閾値構造の変化で示されるという先行研究を概ね支持するものであった.その上,それぞれの潜在クラスは,父職や文化的資産によって異なる傾向をもっていた.専門学校進学者は男女とも高卒層の多いクラスに多く,女性の短大層は当初は4年制大学の多いクラスに所属していたが,徐々に異なるクラスへと分岐していったことが明らかになった.
著者
盛山 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.172-187, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
42
被引用文献数
2

少子高齢化の中で社会保障制度はさまざまな見直しを迫られており, 社会保障改革を主張する声は多い. しかしそのほとんどは主流派経済学に依拠した「社会保障の削減」にすぎない. そこでは「社会保障費の増大」は「国民経済への負担を増大させる」とのまことしやかな (実際にはまったくの虚偽でしかない) 論理に基づいて, 財政難を理由に公費支出水準の削減と受益者負担の増大とが叫ばれるばかりで, 「福祉社会の理念」は完全に欠落している. 本来, 社会保障制度をどう改革するかの議論は, 「あるべき福祉社会像」に基づいて展開されるべきであり, それは社会学が取り組むべき重要な課題である, ところが, 今日の社会学には, 財政難の論理を適切に反駁したうえで社会保障制度の改革構想を具体的に展開するという学問的営為が見られない. せいぜいのところ「社会的包摂」や「連帯」や「脱生産主義」などの抽象的理念が語られるだけである. これには (1) 社会学がこれまで経済学の論理と直接対峙することを回避し, マクロ国民経済的な視点の鍛錬を怠ってきたこと, (2) 「理念を語る際には, その実現条件は無視してよい」という空想的理念主義が知的鍛錬を避ける免罪符としてあったこと, そして (3) それらの根底に, 新旧の経験主義的な社会学自己像がある. 本稿は, そうした社会学の現状を批判的に考察し, 社会学がどのような道筋で社会保障改革の問題に取り組むべきかを明らかにする.
著者
立石 裕二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.412-428, 2015 (Released:2017-03-08)
参考文献数
38

今日, 環境問題の政策決定において不確実性に言及することは不可避になっている. 福島第一原子力発電所事故後の放射線被曝問題においても, 政府批判をする側だけでなく政府側に立つ論者も, 科学研究に不確実性があることは認めている. しかし, 彼らの論じ方は「一般論」的であり, 個別・具体的な不確実性に向き合っておらず, そのことが異なる立場間の意味のある議論を阻んでいるのではないか. こうした問題関心から出発して, 政府が設置した2つのワーキンググループ (WG) の議事録を分析した. その結果, 不確実性の論じ方に量・質の両面で大きな違いが見られた. 放射線・原子力の専門家からなる低線量被ばくWGでは, 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 (UNSCEAR) や国際放射線防護委員会 (ICRP) といった「国際的合意」の解釈が多くを占め, その限界に対する批判的吟味を欠いていた. それに対して, 放射線以外のリスク研究者が加わった食品安全委員会WGは, 個別の論文やその不確実性へと自覚的に立ち入った議論をしていた. 自らが依拠する研究成果も含めて, 不確実性について系統的に検討する「負の自己言及」は, 政策決定に至るプロセスを外部に開いてみせるとともに, 各メンバーの立場・価値観の違いを可視化することにもつながっていた. また, 負の自己言及を伴う議論は, 非専門家が参加した場では成立しにくい可能性があることが示唆された.
著者
土場 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.221-230, 2007-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
20
被引用文献数
1 1
著者
伊奈 正人
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.77-96, 1998-06-30

この小論は, 「サブカルチャーとしての地域文化」を論じた井上俊 1984, 「地域文化と若者文化」を論じた中野収1990ほか先行する「地域文化論」, および筆者自身が行った映画上映運動についての岡山調査などを手がかりとして, 「地域文化としてのサブカルチャー」について論じようとするものである。まず第一に, 「東京文化」としてのサブカルチャー, それを育む, -村社会や, 地方都市にはない-東京という街の持つ特徴について論じる。第二に, 日本の近代化が行った地域の再編が, 地域ごとの「生のフォルム」を形成しえない中心盲信の「上京文化」「洋行文化」を生み出したことを確認する。 そして, 安直に「地方の時代」を賞揚せず, 根底にある「中心一周縁」の問題を隠蔽することなく視野におさめ, かつ「周縁」の可能性を開示する視点, スタイルの可能性を確認する。そして, 第三に, H・アーヴィン1970, B・シャンクス1988, W・ストロー1991などによりながら, それを可能にする視点として「文化シーン」という概念を導入する。それは, ヴァナキュラーで固定的で伝統的な「地方文化」の「コミュニティ」とは区別されるグローバルで可変的な「もう一つの地域文化」 (伊奈1995) の実体を表現するものである。そして, この視点により「地域文化」の可能性を仮説的論点として提起する。第四に, 一つの例解として, 岡山調査の結果を紹介する。 そして, 地域文化がかかえる困難と, そしてそれがゆえの洗練を明らかにする。
著者
鳶島 修治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.374-389, 2014

本稿の目的は, 学業面の主観的能力を表す「学力に関する自己認知」 (以下, 学力自己認知) という媒介変数の役割に着目した検討をとおして, 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の因果的メカニズムの解明に貢献することである. この目的を達するため, 学力自己認知の指標として学業的自己概念と学業的自己効力感を使用し, 「高校生の教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説の検証を行った. PISA2003の日本調査データを用いて固定効果モデルによる分析を行った結果, (1) 男子は女子よりも教育期待が高く, 出身階層が高いほど教育期待は高いこと, (2) 数学の学力を統制したうえでも男子は女子に比べて数学の自己概念・自己効力感が高いこと, (3) 出身階層が高いほど数学自己効力感は高いこと, (4) 数学自己効力感は教育期待に対して数学の学力とは独立した正の効果をもつことが示された. (5) また, Sobel testによる間接効果の検定を行ったところ, 数学自己効力感を媒介した性別と出身階層の間接効果はいずれも有意であり, 「教育期待に対する性別と出身階層の影響を学力自己認知が媒介する」という仮説は数学自己効力感に関して支持された. 現代日本における教育達成の男女間格差・階層間格差の生成メカニズムを考えるうえでは, 学力自己認知 (特に学業的自己効力感) という媒介変数の役割に注目する必要がある.
著者
小藪 明生 山田 真茂留
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.536-551, 2013-03-31 (Released:2014-03-31)
参考文献数
23
被引用文献数
1 1

本稿の目的は, ハイ・カルチャーとの関係性のもとで, ポピュラー・カルチャーの意味をあらためて問い直すことにある. ポピュラー・カルチャーがその内部で制度化や多様化を遂げると, そこから大衆的・対抗的な意味が剥落し, その結果, かつてのハイ・カルチャーのような様相を呈しがちになる. その一方, ハイ・カルチャーが制度的・市場的な力に乗って社会に浸透していくと, それは大衆受けするようになり, ポピュラー・カルチャー寄りの存在と化していく. こうして今日, この2つの間の境界はきわめて曖昧なものとなった.そしてそのハイ=ポピュラー間の分節の稀薄化は, 文化生産ならびに消費の現場では文化的雑食として立ち現れることになる. 本稿では, ミネソタ管弦楽団アーカイヴズの諸資料を用いて, オーケストラ芸術におけるクラシックとポピュラーの関係性を文化生産論的に抉り出すとともに, 社会生活基本調査 (総務省) のデータに直接当たり, 人々の文化的嗜好の現実に迫る作業を行った. これによりあらためて確認されたのは, 文化の生産の場でも消費の場でも雑食性が広く浸透しているという実態にほかならない. ただし文化的雑食と言っても, それは一枚岩的な現象ではけっしてない. 本稿最後では, ポピュラー・カルチャー研究の今後の課題の1つとして, 文化的雑食性の多彩な様相を比較社会学的に見極めていくことの重要性が示唆される.
著者
伊藤 美登里
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.316-330, 2008-09-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
53
被引用文献数
2

U.ベックは,20世紀後半,とりわけ1970年代以降に顕在化した社会の構造変化を「再帰的近代化」としてとらえる社会学者の一人である.再帰的近代の主要局面として,リスク社会,グローバル化と並び,「個人化」があげられている.本稿では,ベックの個人化論を検討することで,個人化という用語でもって彼がどのような事態を表現しようとしたのか,個人化論の学説史上の意義は何か,個人化は概念として社会学においてどのような機能をもつのかを探る.具体的には,まず,ベックの個人化論は,〈一般社会学概念〉としての個人化,〈時代診断〉としての個人化,そして〈規範的要請〉としての個人化の3つに分類可能であること,この3者のうち彼の主要関心事は〈時代診断〉としての個人化にあることを示す.次に,個別科学としての社会学が成立した時期の「個人」ないし「個人化」に比べ,彼の「個人化」においては,社会のさらなる分化の結果,個人は社会との関連づけの度合いが減少し,自己関連づけがより強化されたものとして描かれていることを示す.加えて,ドイツ社会学の実証研究において,個人化論は社会の構造変化にともなって生じた社会と個人の関係の変化,個人のあり方の変化を分析し考察する目的において,「理念型」と同様の機能を果たしうることを指摘する.
著者
孫・片田 晶
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.285-301, 2016

<p>戦後の公立学校では, 法的に「外国人」とされた在日朝鮮人の二世・三世に対し, どのような「問題」が見出されてきたのだろうか. 在日朝鮮人教育の運動・言説は, 1970年代以降全国的な発展を見せるが, そこでは「民族」としての人間形成を剝奪されているとされた児童生徒の意識やありようの「問題」 (教師が想定するところの民族性や民族的自覚の欠如) に専ら関心が注がれてきた. こうした教育言説をその起源へ遡ると, 1960年代までの日教組全国教研集会 (教研) での議論がその原型となっている.</p><p>1950年代後半から60年代の教研では, 在日朝鮮人教育への視角に大きな変容が生じた. その背景には帰国運動など一連の日朝友好運動と日本民族・国民教育運動の政治が存在していた. この時期の教育論には, 親や子どもの声に耳を傾け, 学校・地域での疎外, 進路差別, 貧困などの逆境に配慮し, その社会環境を問題化する教育保障の立場と, 学校外の政治運動が要請する課題と連動した, 民族・国民としての主体形成の欠落を問題化する立場が存在していた. 当初両者は並存関係にあったが, 上記の政治の影響下で60年代初頭には後者が圧倒的に優勢となった. その結果, 「日本人教師」が最も重視すべきは「同化」の問題とされ, 「日本人」とは本質的に異質な民族・国民としての意識・内実の "回復" を中核的な課題とする在日朝鮮人教育言説が成立した.</p>
著者
勝又 正直
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.294-306, 2010-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
41
被引用文献数
1 1

ある看護系学部の社会学教員の体験から次のような経験知が得られる.看護師は患者を人間として理解し,その理解に基づいて看護しようとする.この目的のために,看護学では他の学問のさまざまな概念を用いて,患者の問題を看護診断として分類している.さらに,看護理論家は他の学問のさまざまな理論を導入して看護を1つの人間学へと高めようとしている.医療社会学は,医療の世界,あるいは医療が社会においてはたす機能に焦点をあてている.それに対して,看護は,患者を理解し看護するために,患者が属している社会に関心をもつ.看護学生に必要なのは,患者を人間として理解するための,社会学的想像力である.その社会学的想像力は,特殊な応用社会学である医療社会学よりも,むしろ普通の元来の社会学によってより養われるのである.
著者
安里 和晃
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.625-648, 2013
被引用文献数
1

ケアの求心力は人の国際移動を大きく促進した. 1つは香港, シンガポール, 台湾に存在する70万人をはじめとする家事労働者にみられ, 家事の補填のために雇用される途上国の女性である. 労働市場における非競合性, 雇用主にとっての「利便性」もあり経済成長や高齢化を背景として家事市場は拡大した. 外国からの豊富な労働供給を背景に市場は安定したが, 家事労働をめぐる階層化, 性役割分業の固定化を伴った. 次第に高齢化を背景とするケア需要が増大した. 各種補助金や税控除, 老親扶養法など「家族化政策」と連動し家事市場はさらに拡大したが, ケアの社会化は困難となった. 家族主義の問題点は家族形成を前提とするが, 日本, 韓国, 台湾など先進国における高齢者, 障害者などによるケア確保が一義的な国際結婚が増大した. 少子化や家族危機の言説と絡まり, 国際結婚は社会統合・多文化政策のきっかけとなった. 良き家族の一員としての統合は, 伝統回帰型かジェンダー平等型かという点で課題を抱えるが日本を除き政権にかかわらず推進されている. しかし, これらの移動は家事労働者の労働者性の担保, 婚姻過程の経済取引化などは結婚移民の脆弱性の原因となっている. 送り出しに伴う家族構成員の移動と欠如, 受け入れ側の家事労働者の家族接合, いずれにせよ従来とは異なるケアの供給体制であり, 近代家族自体が相対化されるものである.