著者
小林 和夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.98-114, 2004-10-25

インドネシアのスハルト新秩序体制は, インドネシア共産党 (PKI) の徹底的な物理的解体のうえに築かれた.この解体は, 人びとに, 国家の暴力と死の恐怖を刻印した.そして, 新秩序体制は, 開発と安定の論理のもとで, ゴトン・ロヨンという「伝統」を所与の「道徳的事実」として, 開発政策への協力を正当化する機制とした.<BR>1970年代末から80年代初めにかけて, 新秩序体制は, パンチャシラの公定イデオロギー化とPKI元政治犯の釈放をほぼ同時に行った.この政策は, 地域住民に国家の新たな監視体制への参加と, 住民組織RT/RWでの夜警をとおした「助け・助けられ」というゴトン・ロヨンへの参加を促した.そして, この2つの異なる位相への住民の参加を制度化したものが, シスカムリンとよばれる地域監視警備体制であった.とくに, 暴力の恐怖の再想起と, 仮想の敵の想定というスハルトの政治的手練によって, 治安の問題は住民に迫真性をもたせていた.<BR>シスカムリンの導入は結果的に夜警を再整備した.これによって, 夜警は決定・指示・実践までシステム化され, 総選挙など特定の時期に限定して住民が動員された.しかし, 夜警の目的は, 犯罪一般の抑止ではなく, 新秩序体制に敵対しようとする社会諸勢力への政治的示威という象徴の呈示にあった.スハルトの巧妙な政治的手練と機制によって, ゴトン・ロヨンというインドネシアの「伝統」は, 実践され, 再生産されていた.
著者
西澤 晃彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.47-62, 1996-06-30
被引用文献数
1 1

このエッセイでは, 1950年代から80年代にかけての日本の都市社会学における背後仮説を, コミュニティ理論や町内会研究の検討を通じて明らかにすることが目指される。<BR>戦後の都市化と産業化は, 人口を流動化し, 地域社会の構造を一変させた。これに対して, イデオロギー的立場は多様であったにも関わらず, 多くの都市社会学は一様に社会目標あるいは理想としてのコミュニティの新しいイメージを提示し, その実現可能性を検証, 地域社会の再統合の道筋を探求した。<BR>これらの新しいコミュニティ像の特徴は, 以下の三点に要約されるだろう。 (1) 都市においては, コミュニティ問の境界が不明瞭で, 人口移動も激しかったにも関わらず, コミュニティをその外部から切り離して過剰に独立的に論じている。 (2) 定住民社会として地域社会はイメージされており, 流動層は周辺的存在とされるか, 地域社会の解体要因として評価されることが多い。 (3) 都市における生活世界の複数化を無視し, 「住民」のコミュニティへの同一化を強調し過ぎている。<BR>この結果, 多くの日本の都市社会学者がシカゴ学派の遺産の継承を主張しているにも関わらず, 彼らは, 都市の多様な諸コミュニティと諸個人が接触し合い変容する社会過程を捉えられていないし, 非定住の少数者の社会的世界の研究も放棄され社会病理学に譲り渡してしまったのである。
著者
小笠原 祐子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.165-181, 2005-06-30
被引用文献数
1

家事・育児・介護分担に関する研究が多数報告される中で, 生計維持分担に関する調査は十分になされてきたとは言えない.従来の研究では, 雇用と生計維持は必ずしも区別されず, 働く行為の意味が看過されてきた.本調査では, 同じようにフルタイムで継続就業する共働き夫婦といえども生計維持分担意識はさまざまであり, 分担意識の低い夫婦と高い夫婦が存在することが明らかになった.分担意識の低い夫婦においては, 生計維持者たる夫の仕事が妻の仕事より優先され, 家庭と仕事の両立が問題となるのはもっぱら妻の方であった.これに対し, 生計維持分担意識の高い夫婦は, 2人がともに生計維持者として就業を継続できるよう働き方を調整していた.これは, 夫婦両者の就業に一定の制約をもたらす一方で, 生計維持責任を1人で負担しなくてもよいことからくる自由度も与えていた.前者の夫婦は, どちらかと言えば旧来型の企業中心の生活を送る傾向が見られたのに対し, 後者の夫婦は, 脱企業中心のライフスタイルを希求するケースが多く, 働き方やライフスタイルが一部の階層で夫婦の選択となってきていることが示唆された.
著者
小宮 友根
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.192-208, 2009-09-30

J. バトラーの理論は社会学にとってどのような意義をもっているだろうか.本稿では「パフォーマティヴとしてのジェンダー」という考え方の検討をとおして,この問いに1つの答を与える.<br>はじめに,パフォーマティヴィティ概念がJ. デリダの「反覆可能性」概念に接続されていることの問題点を指摘する.1つは,「行為をとおした構築」という主張の内実が不明確なままにとどまっていること.もう1つは,それゆえ「攪乱」という戦略が採用されるべきであるという主張にも十分な根拠が与えられていないことである.<br>だが,バトラーがなぜ「社会的に構築された性差」という意味でのジェンダー概念を批判していたかに注目するなら,パフォーマティヴィティ概念についての異なった解釈を導き出すことができる.ここでは,人間の行為を因果的に説明する議論のもつ限界の外で「性別の社会性」を論じることの重要性を考察することからその作業をおこなう.<br>そのうえで,私たちが言語による記述のもとで行為を理解していることと,私たちが多様なアイデンティティをもつことの論理的関係へと目を向けるものとしてパフォーマティヴィティ概念を解釈するなら,その内実は経験的にあきらかにしていくことができるものになり,それゆえ社会学にとって重要な課題を示唆するものになることを論じる.
著者
伊藤 康貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.480-497, 2015

<p>本稿では, 「ひきこもり当事者」が他者と「親密に」付き合っていく際に立ちあらわれる「関係的な生きづらさ」を考察する. そのための課題として, 第1に, 当事者の語る親密な関係がどのような規範によって支えられているのかを考察する. そして第2に, この親密な関係を規定する規範と, 経験や欲望といった「個人的なもの」とが, いかにして人々の行為を拘束しているのかを分析する.</p><p>第1の課題に対し, 当事者のセクシュアリティを中心とした語りを通して, そこに潜む性規範を明らかにした. 社会の側にホモソーシャリティを要請する規範があるとき, 社会の側に合わせようとする当事者はミソジニーを内面化せざるをえず, 結果的に自らの「性的挫折」を「ひきこもり」の経験と関連づけて語らしめた (3.1). ゆえに性規範への逸脱/適応の「証」は当事者の自己物語にとって重大な契機となっている (3.2).</p><p>第2の課題に対し, 一見「性」から離れているように見える親密な関係の語りも, 実は性規範を中心とした親密な関係を規定する規範に支えられ, 個人的で相容れない志向性をもつ経験や欲望と互いに絡み合いながら当事者を拘束し, 関係的な生きづらさを語らしめていること (4.1), 「社会復帰」への戦略にも性規範が組み込まれているが, 当事者の親密な関係における課題は他者とは共有されずに, 結果的に個人の問題とされ続けていること (4.2) を明らかにした.</p>
著者
矢澤 修次郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.317-326, 2014 (Released:2015-12-31)
参考文献数
12

本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 両学会の関係の歴史をたどることによって, 第18回世界社会学会議成功の意味を考え, その意味を発展させるためには, 日本社会学会, 日本の社会学者, 国際社会学会は, 何をなすべきかを明らかにしようとしたものである.著者によれば, 第18回世界社会学会議成功の意味は, 1. 会議の歴史上最多の参加者を記録したこと, 2. ヨーロッパクラブと言われていた国際社会学会の特徴を修正したこと, 3. 世界社会学会議のグローカル化に成功したこと, 4. 日本の「社会学の国際化」を推進したこと, 5. 世界社会学会議の自己評価を達成した, ことである. 最後に本稿は, 国際社会学会, 日本社会学会, 日本の社会学者の今後取り組むべき課題を指摘する.
著者
吉武 理大
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.27-42, 2019 (Released:2020-07-31)
参考文献数
30
被引用文献数
1 1

米国の家族研究では,親の離婚経験が,子どもの教育達成や社会経済的地位達成の不利,成人期の貧困や格差の再生産につながりうること,子ども自身の離婚という形で離婚の世代間連鎖が生じていることが明らかになっている.日本でも近年離婚を経験する者が増加しているが,特に離別母子世帯では,社会保障制度が十分な効果を有さず,貧困が解消されにくい状況にある.日本でも離婚の世代間連鎖が顕著ならば,子どもがいる世帯では母子世帯が世代的に再生産されやすく,貧困の世代的な再生産とも関連しうる.日本では離婚の世代間連鎖を検証した研究はきわめて少なく,そのメカニズムについてはほとんど明らかになっていない.本稿では,米国の研究を参考に,離婚の世代間連鎖の実態と,それを媒介するメカニズムとして子の教育達成と早婚の効果を検討した.「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査(JLPS)」の若年・壮年データを用いた分析の結果,親の離婚経験は自身が離婚を経験する確率を高める効果があり,日本においても男女ともに離婚の世代間連鎖が存在することが示された.また,親の離婚経験の効果の一部は低い教育達成と早婚を媒介していることが示唆された.離婚の世代間連鎖は,部分的ではあるが,教育達成における不利,早婚,自身の離婚を経由し,子どもがいる場合に母子世帯,そして貧困の世代的な再生産が生じている可能性がある.
著者
真田 是
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.30-40,156, 1967 (Released:2009-11-11)
参考文献数
8
著者
佐藤 成基
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.348-363, 2009-12-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
53
被引用文献数
1

1990年代以後,欧米先進諸国の移民統合政策が変化してきている.それまでの「デニズンシップ」や「多文化主義」に傾斜した政策が後退し,「統合」という概念により重点が置かれるようになっている.それは一見,「グローバル化」時代のトレンドと矛盾するように見える.本稿は,このような最近の変化を,19世紀以来の国民国家形成とグローバルな移民の拡大との歴史的な連関関係のなかで考察してみる.国民国家は,19世紀以来200年間のグローバルな変容のなかで形成/再形成され,またグローバルに波及してきた.そのようななかで国民国家は,移民を包摂・排除しながらその制度とアイデンティティを構築してきた.本稿は,その歴史的過程を明らかにしたうえで,最近の欧米先進諸国の「市民的」な移民統合政策への変化が,「異質」なエスノ文化的背景をもった移民系住民を包摂するかたちで国民国家を再編成しようとする,新たな「ネーション・ビルディング」への模索であるということを主張する.最後に,こうした最近の欧米先進諸国における変化から日本の状況を簡単に検討する.
著者
有賀 ゆうアニース
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.154-171, 2022 (Released:2023-09-30)
参考文献数
23

戦後日本では連合軍の占領を背景として進駐軍軍人・軍属と日本人女性の間に大量の子どもが出生し,彼ら「混血児」をいかに処遇すべきかという観点から「混血児問題」が顕在化した.先行研究では日本におけるレイシズムが顕現した事例として「混血児問題」が考察されてきた一方で,「混血児」に対する人種差別を問題として理解すること自体がいかにして(不)可能になっていたのかという点は見落とされてきた. 本稿では「混血児」概念の用法と文脈を分析することで,この課題に取り組んだ.分析により次の知見を得た.「混血児」概念が参照されるにあたって「子ども」というカテゴリーが知識として前提されることで,学校教育や児童福祉などが「混血児問題」の制度的文脈として発動された.彼らの人口や人種的差異などの知識を参照することで,教育上の統合・分離という争点をめぐる議論が展開された.しかしこれらの知識が再編されると,「混血児問題」の源泉と責任はむしろ「大人」の「日本人」に帰属される.この理解にもとづき「無差別平等」原則が各方面で採用され,就学機会の提供だけでなく人種差別・偏見の是正が教育・福祉上の課題として追求されていった.こうした〈反人種差別規範〉は,「子ども」という人生段階上のカテゴリーに依存していたがゆえに,人種差別を公的問題として同定し対処する施策が児童福祉や学校教育という制度的枠組に制約されるという限界を内包していた.
著者
澤田 佳世
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.400-414, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
50
被引用文献数
1

本土復帰後, 沖縄の出生率は日本で最も高い水準を維持している. 高出生力を誇る沖縄は, 家族に価値をおく社会でもある. こうした中, 「少子化」する日本社会で, 相対的に高い出生率を維持する沖縄県に政策的な関心が寄せられる向きもある. 一方, 沖縄は, 出生力と家族の戦後史を日本本土と共有していない. 近代の家族と社会変動の理論的基盤となる人口転換 (とりわけ出生力転換) は, 沖縄では, 本土から切り離された米軍政下で始まった. 当時の沖縄は, 優生保護法も政府主導の家族計画の推進もなく, 中絶と避妊の法的・社会的位置づけが本土とは異なっていた. 加えて, 家族形成の軸となる父系血縁原理が, 女性に男児出産の役割期待を課していた.本稿は, 日本で最も高い水準にある沖縄の出生率を, 人口転換が始まった本土復帰前, すなわち米軍統治下の歴史的・社会的文脈に位置づけて捉えなおす. 戦後, 本土から切り離され米軍統治下におかれた歴史的事実, および厳格な父系血縁原理に依拠する固有の家族形成規範は, 沖縄の出生力と家族形成のあり方にどのような影響を与えたのか. 人口研究における出生力分析の包括的枠組みに依拠しながら, 出生力・家族研究が自明視する国民国家・日本という分析枠組みを相対化し, 沖縄という周辺地域の出生力と家族に投影された人口・生殖をめぐる政治に接近する.
著者
川島 理恵
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.663-678, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
28
被引用文献数
2 1

救急医療における意思決定過程は, 代理としての家族が意思決定に参加し, 刻々と変わる状況下でなにかを決めなければならない. そこで医師と家族がよりどころとするのは, 会話という手段にほかならない. 本稿では, 患者家族が救急初期診療中に医師から説明を受ける場面を, 会話分析によって分析し, その相互行為上の仕組み, いわばインフォームド・コンセントが裏づけられていくプロセスを明らかにする. それにより医師-患者関係におけるインフォームド・コンセントの的確な運用に関する議論に寄与することを目指す.分析の結果, おもに3つの相互行為的な仕組みが主軸となり意思決定過程が組み立てられていた. (1)まず医師の状況説明が物語りとして組み立てられることで, 徐々に悪いニュースが明らかとなり, 家族が患者の死を予測できる構造になっていた. (2)また医師は, 視覚や触覚で得られる情報を参照することで不確実な状態を, 刻々と確実なものに変化させていた. (3)さらに状況説明とは逆接的な提案が繰り返された後, 最終的な局面では, 医師の提案が, 家族の反応にきわめて敏感に組み立てられていた. このように家族が受け入れやすいかたちで説明・提案を行うことは, 医師の示す治療方針, ひいては医師の権力自体を正当化する手だてとなっていた.
著者
堀川 三郎
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.517-534, 2010-03-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
32
被引用文献数
1

近代が前提としてきた均質な時空は大きく揺らぎ,再審の時を迎えている.かつてル・コルビュジエが『輝ける都市』で描いたような,均質で透明な「空間」に人々が住まう都市は,すでにその輝きを失っている.自らの思い出や意味に彩られた「場所」をもって「空間」化に抗う人々の運動が各地で頻発していることが,その証左である.だが,「場所」は両義的だ.それは抵抗の根拠となりうる一方で,棘を抜かれ空間化を正当化する物語として消費されてしまうこともあるからだ.今問うべきは,誰が,どのように抵抗しているかであろう.したがって本稿は,筆者が1984年から継続的に調査してきた小樽運河保存問題を事例に,いかなる人々が変化に抵抗しているのか,いかに変化を正当化する物語に抵抗しているのかを分析する.具体的には,行政と保存運動の主張がなぜすれ違っていったのか,いくつかのレイヤーに分節化して明らかにした.さらに保存運動内部に異なる指向をもった4つのグループが存在しており,そのダイナミズムが運動自体の盛衰を左右していたこと,そこには棘を棘として生きようとする人々がいたことが解明される.結論として読者は,「保存」という名称とは裏腹に,保存運動が実は「変化」を社会的にコントロールしようとする実践であったこと,そして社会学が「歴史的環境」という変数を組み込まなければ,こうした保存運動を分析しえないことを理解するだろう.
著者
仁平 典宏
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.485-499, 2005-09-30
被引用文献数
1 4

ボランティア活動に対しては, 国家や市場がもたらす問題への解決策として肯定的な評価がある一方で, ネオリベラリズム的な社会編成と共振するという観点から批判もある.本稿は, 既存の議論を整理し, ネオリベラリズムと共振しないポイントを理論的に導出することを目的とする.<BR>既存の議論における共振問題は, ボランティア活動の拡大が, ネオリベラリズム的再編の作動条件を構成するという条件の水準にあるものと, 再編の帰結に合致してしまうという帰結の水準にあるものとに整理される.条件の水準では, 公的な福祉サービス削減の前提条件とされる問題と, システムに適合的で統治可能な主体の創出のために活用されるという問題が指摘され, 帰結の水準では, 社会的格差の拡大とセキュリティの強化という帰結と一致するという問題が指摘されてきた.<BR>本稿では, これらの共振が絶えず生じるわけではなく, それぞれに共振を避けるポイントが存在していることが示され, それが, 共感困難な〈他者〉という, これまでのボランティア論において十分に想定されてこなかった他者存在との関係を巡って存在していることが指摘される.
著者
渋谷 望
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.4, pp.455-472, 2011-03-31 (Released:2013-03-01)
参考文献数
58
被引用文献数
2 4

本稿はフーコーが『生政治の誕生』で展開した議論を参照し,ネオリベラリズムをアントレプレナー的な主体化をうながす権力として分析するとともに,この権力が作動する条件として,ネオリベラリズムが心理的な暴力を活用する側面に着目する.まずネオリベラリズムを権力ととらえるフーコーの議論から,ネオリベラリズムが主体を自己実現的なアントレプレナーとみなす考え方に立脚している点を明らかにするとともに,アントレプレナー的な主体化にともなうさまざまな問題や困難を指摘する.次にアントレプレナーへのあこがれが,その実現が困難な人々――フリーターなどの不安定な立場の者――にも見られることに着目し,アントレプレナーへの志向がかならずしも実現可能性の客観的な条件に規定されるわけではなく,彼らの現実への不満に根ざしていることを指摘する.最後に,ナオミ・クラインのショック・ドクトリン議論を参照し,この不満(絶望)を生産する権力としてネオリベリズムをとらえなおす.ここからネオリベラリズムの主体が「アントレプレナー」であるとともに「被災者」であることを明らかにし,社会の「心理学化」のもう1つの側面を指摘する.
著者
赤川 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.20-37, 2005

「男女共同参画が実現すれば, 出生率は上がる」.これは現在, もっとも優勢な少子化言説である.本稿ではリサーチ・リテラシーの手法に基づいて, これらの言説と統計を批判する.<BR>第1に, OECD加盟国の国際比較によると, 女子労働力率, 子どもへの公的支出と出生率のあいだには, 強い正の相関があるようにみえる.しかしこのサンプルは, しばしばしばしば恣意的に選ばれており, 実際には無相関である.<BR>第2に, JGSS2001の個票データに基づく限り, 夫の家事分担は子ども数を増やすとはいえない.第3に, 共働きで夫の家事分担が多い「男女共同参画」夫婦は, 子どもの数が少なく, 世帯収入が多い.格差原理に基づけば, 彼らを重点的に支援する根拠はない.<BR>第4に, 政府は18歳以下のすべての子どもに, 等しく子ども手当を支給すべきである.それは, 子育てフリーライダー論ではなく, 子どもの生存権に基礎づけられている.現在の公的保育サービスは, 共働きの親を優先している.親のライフスタイルや収入に応じて, 子どもが保育サービスを受ける可能性に不平等が生じるので, 不公平である.もし公的保育サービスがこのような不平等を解決できないなら, 民営化すべきである.<BR>最後に, 子ども手当にかかる財政支出は30歳以上の国民全体で負担しなければならないが, この支出を捻出するには, 3つの選択肢がありうると提案した.その優先順位は, (1) 高齢者の年金削減, (2) 消費税, (3) 所得税, である.この政策により, 現行の子育て支援における選択の自由の不平等は解消され, 年金制度における給付と拠出の世代間不公平は, 大幅に改善される.
著者
三隅 譲二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.17-31,107*, 1991-06-30

近年、都市伝説と呼ばれるタイプの流言が注目を集めている。そして、こうした都市伝説は、流言を一時的で道具的なコミュニケーション過程であると見なす、従来の流言理論の枠組からみると、様々な点において逆説的な社会現象であるといえるのである。<BR>そこで本稿では、次のような順序で都市伝説としての流言を考察する。<BR>第一に、G・W・オルポートとL・J・ポストマン、T・シブタニ等に代表される従来の集合行動論における研究が、流言をどのような社会的コミュニケーションであると暗黙裡に仮定していたのか、これを検討する。その結果、都市伝説が従来の流言理論からみると、いかに逆説的な現象であるのかを明らかにする。第二に民俗学の概念を借りながら、筆者のイメージする都市伝説を民話型・伝説型・神話型の三つに類型化し、それぞれの都市伝説の特徴やバリエーションについて解説する。第三に都市伝説の生成・伝播・変容に関わる社会的機能やコミュニケーション機能についての定性的な分析を遂行する。この作業の過程で、災害時流言等の従来型の流言を "自己手段的流言" 、都市伝説を "自己目的的流言" と行為論の観点から形式的に位置づけることによって、ダイナミックスの次元における両者のタイプの異同について議論する。
著者
ましこ ひでのり
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.200-215, 1996-09-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
31

「つづり字発音」とは正書法の影響でもともとの発音が変質してしまう現象だが, 無モジ社会以外では普遍的に目にするものだ。とはいえ, 近代においては, この「つづり字発音」はアルファベート圏はもちろんのこと, 伝統的漢字文化圏でもみあたらない, 独自の性格をもってきた。近代日本における漢字は固有名詞をおおいかぶさり, あらたな発音をつくりだす。そして, そのあらたな発音は伝統的発音をほうりだすのである。このことは伝統的発音への圧力という点で, アルファベート社会における「つづり字発音」とは決定的にちがっている。いいかえれば, 伝統的固有名詞の記憶すべてを抹殺し, まるでむかしから新型発音がつづいてきており, あらたな領土が固有の領土であり, そこに住む新住民がすんできたかのようにおもわせるのである。在来の固有名詞は俗っぽい, ないしは時代おくれだと, また在来の住民は存在しないか, しなかったとみなされるのだ。近代日本における漢字は固有名詞群を変質させ, ついにはマイノリティの言語文化全体をほとんど変質させてしまう。固有名詞の変質はマイノリティの言語文化全体のまえぶれだったのだ。近代日本において具体的にいえば, アイヌ/琉球人/小笠原在来島民 (ヨーロッパ系/カナカ系), および在日コリアンなどが, 規範的で均質的な日本文化に, ほぼ全面的に同化をしいられた; 固有名詞文化にかぎらず言語文化のほとんど全域でである。わかい世代になればなるほど, 日常的言語文化への同化圧力がおおきくなっていく;祖父母世代は希望をうしない, 父母世代は気力をなくし, こども世代は日本の支配的言語文化になじんでいった。はじめは, 漢字によって同化した固有名詞群はマジョリティ日本人からの差別/侮蔑/攻撃をさけるためのカモフラージュ装置だった。しかしのちには, カモフラージュの仮面はほんものの顔に変質した;わかい世代は「日本語人」になってしまったのである。近代日本における漢字は日本領土にくらすマイノリティを同化する装置だったし, いまもそうである。そして住民たちと領土をあらわす漢字名は, それらが日本的であることを正当化する道具だったし, いまもそうである。
著者
矢原 隆行
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.343-356, 2007-12-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

近年日本では,伝統的に女性的職業(pink-collar job)とみなされてきたいくつかの職業において,いまだ少数ながら男性の参入が着実に生じている.とりわけ,看護,介護,保育等のケア労働の領域で働く男性たちの姿は,それがさまざまな男性優位の職業領域に進出して活躍する女性たちの姿と対照して観察されるとき,今日の職業領域におけるジェンダー体制の変容を体現するものとして解されうる.しかし,これまでジェンダーに関する大量の成果を生み出している女性学のみならず,「男性性」に焦点をあてる男性学の領域においてさえ,そうした「男性ピンクカラー」に焦点を当てた社会学的研究はきわめて乏しい.本稿では,現代日本における男性ピンクカラーについて,とりわけ「ケア労働の男性化」という視座から観察を試みる.当事者を含む多数の語りから明らかなように,男性ピンクカラーは,ケア労働の領域における少数派であるがゆえ,時に「トークン」として位置づけられる.しかし,その位置づけは,男性が多数派であるような職業領域における少数派としての女性と単純な対称をなすものではない.そこに見出される捩れは,ケア/労働およびそれを取り巻く現代社会における普遍としての《男》というジェンダー秩序を映し込み,かつ映し返すものである.