- 著者
-
堀川 三郎
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.60, no.4, pp.517-534, 2010-03-31 (Released:2012-03-01)
- 参考文献数
- 32
- 被引用文献数
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近代が前提としてきた均質な時空は大きく揺らぎ,再審の時を迎えている.かつてル・コルビュジエが『輝ける都市』で描いたような,均質で透明な「空間」に人々が住まう都市は,すでにその輝きを失っている.自らの思い出や意味に彩られた「場所」をもって「空間」化に抗う人々の運動が各地で頻発していることが,その証左である.だが,「場所」は両義的だ.それは抵抗の根拠となりうる一方で,棘を抜かれ空間化を正当化する物語として消費されてしまうこともあるからだ.今問うべきは,誰が,どのように抵抗しているかであろう.したがって本稿は,筆者が1984年から継続的に調査してきた小樽運河保存問題を事例に,いかなる人々が変化に抵抗しているのか,いかに変化を正当化する物語に抵抗しているのかを分析する.具体的には,行政と保存運動の主張がなぜすれ違っていったのか,いくつかのレイヤーに分節化して明らかにした.さらに保存運動内部に異なる指向をもった4つのグループが存在しており,そのダイナミズムが運動自体の盛衰を左右していたこと,そこには棘を棘として生きようとする人々がいたことが解明される.結論として読者は,「保存」という名称とは裏腹に,保存運動が実は「変化」を社会的にコントロールしようとする実践であったこと,そして社会学が「歴史的環境」という変数を組み込まなければ,こうした保存運動を分析しえないことを理解するだろう.