著者
橋本 摂子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.141-157, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
37

ハンナ・アーレントの政治論をめぐっては,しばしば,その公/私‐境界の硬直した二分法が指摘される.公的空間からあまりに厳格に自然必然性を抜き去ることによって,社会問題への適用可能性を狭め,政治理論としての価値を損なっているのではないか.本稿はこうしたアーレント解釈に抗し,彼女のおこなった公/私の境界区分を,テクストに沿って精確に描き直す.社会学の文脈にアーレント政治論を配置し,新たな可能性をひらく試みである.アーレントにおける公/私‐境界の区分は言語/非言語‐境界に対応する.彼女は公的領域から言語外在的要素を排除したが,単に2つの領域を分断したのではなく,「事実」という独自の視点から言語/非言語-領域を分離・接合(articulate)させた.そのような公/私-区分は法執行カテゴリーよりも,むしろ理論社会学におけるシステム/環境‐区分に等しい.このことから,アーレントの政治思想は,近年の社会システム理論と強い親近性をもつことが示される.超越的根拠を排した〈政治〉=言論の自己準拠的再生産を通じて創設・保持される「公的空間」は,システム/環境‐差異にもとづくオートポイエーシスとして読み解くことができる.それによって,「複数性」という術語が,生命や真理などの伝統的な政治理念のかわりに立てられた,世界の実在性(reality)に立脚するアーレント〈政治〉の存立根拠であることを明らかにする.
著者
筒井 淳也
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.301-318, 2011-12-31
被引用文献数
1

計量社会学でも用いられることが多くなっているマルチレベル分析には, 何らかのデータのまとまり (同一個人に属する複数のデータ, 同一の国に属する複数の個人など) の情報を利用して, 通常の回帰モデルに比べてバイアスの小さい点推定を可能にし, また文脈効果の推定において適切な区間推定を可能にするというメリットがある. この特性を活かすには, 典型的には階層化されたデータ (パネルデータや国際比較可能なクロスセクション・データ) を用いるのが一般的であるが, 本稿では通常のクロスセクション・データにもマルチレベル分析が柔軟に適用可能であることを示すために, 家族関係についての豊富なデータをもつNFRJ (全国家族調査) を使った分析例を示す. 具体的には親との関係良好度の分析を行うが, (最大) 4人の親との関係良好度のデータは個人ごとのまとまりをもっている可能性があり, マルチレベル分析に適している. 分析の結果, 親との居住距離については同居・遠居よりも近居で, 金銭的援助関係については「中庸」である場合に関係良好度が高いということがわかった. これにより, 家族依存の福祉体制であるとされる日本で, 過度の援助関係が感情的なコンフリクトを高めていることが示唆される. 手法の面では, 入手が容易であるクロスセクション・データにもマルチレベル分析が適用可能であることを示すことで, データのより有効な活用を促すことができると思われる.
著者
赤枝 尚樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.189-206, 2011-09-30 (Released:2013-11-19)
参考文献数
45
被引用文献数
2 2

これまで都市社会学では, 都市と人々の紐帯の関連についての研究が古くから蓄積されており, 永らく, 農村に比べ都市では人間関係が失われてしまっているとする「コミュニティ喪失論」の観点からの研究が主流であった. そのような流れに対し, 1940~70年代の研究によって「コミュニティ存続論」が主張され, さらにその後の実証的な研究によって「コミュニティ変容論」と呼ばれる潮流が台頭してきている. しかしながら, これまでの日本の研究においては, 限られた紐帯の側面のみが検討されてきたこと, さらには限られた地域のデータが分析されてきたことから, 一般的にどの立場の議論がより妥当であるかについての検討が十分に行われてこなかった.そこで本稿では, 全国調査データであるJGSS2003のデータを用い, 人々の第一次的紐帯の諸側面を総合的に分析することをとおして, 日本において「コミュニティ喪失論」「コミュニティ存続論」「コミュニティ変容論」のどれがより妥当であるかについて, 検討を行った. その結果, 日本の全国的な傾向において, 「コミュニティ喪失論」や「コミュニティ存続論」を支持する結果は得られず, 「コミュニティ変容論」がより妥当であることがわかった.
著者
森山 至貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.103-122, 2011-06-30

社会的マイノリティをめぐる議論は,差別の考察と結びつくかたちで常にカテゴリー語を1つの重要な論点としてきた.しかし,当該カテゴリー成員にとっての呼称が果たす意味や意義については,考察されていない.そこで本稿では,ゲイ男性およびバイセクシュアル男性の自称としての「こっち」という表現を取り上げ,この論点について考察する.具体的にはゲイ男性またはバイセクシュアル男性13人に行ったインタビューの結果を分析する.<br>ゲイ男性とバイセクシュアル男性の集団を指す「こっち」という「婉曲的」な呼び名が〈わたしたち〉を指すために用いられる理由はいくつかあるが,そこに「仲間意識」のニュアンスが込められている点が重要である.この点には「こっち」という言葉のもつトートロジカルな性質が関連しており,「仲間」であることは性的指向の共通性には回収されない.また,「仲間意識」を強く志向するこの語彙を用いることによって「仲間意識」を発生させることも可能である.ただし,それが投企の実践である以上,他の言葉よりは見込みがあるにせよ,「仲間」としての〈わたしたち〉が必ず立ち上がるとは限らない.<br>反例もあるにせよ,曖昧さをもったトートロジカルな「こっち」という言葉は柔軟で繊細なかたちで〈わたしたち〉を立ち上げるための言葉として存在しており,このことは意味的な負荷の軽減がマイノリティ集団の言語実践にとって重要ではないか,との洞察を導く.
著者
鶴田 幸恵
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.133-150, 2008
被引用文献数
1

本稿の目的は,「性同一性障害の正当な当事者であること」をめぐる当事者の語りを検討し,そこでいかなる基準が用いられているかを示すことである.<br>まずは,サックスによる成員カテゴリーの自己執行/他者執行の区別を参照しながら,性同一性障害カテゴリーがどのように用いられているのかを見ていく.次に,「正当な性同一性障害」について当事者が語っているインタビュー・データを分析し,そこで用いられている基準を析出する.その結果,「医療への依存度」「自己犠牲の程度」「女/男らしくあることへの努力」「社会性の有無」という複数の基準が用いられていることがわかった.これらの基準はもともと医学において用いられている基準を参照したものであったものだが,現在ではそれが独り歩きし,性同一性障害コミュニティ独自の基準となっている.<br>以上の議論によって明らかになったのは,性同一性障害カテゴリーが,それを執行する権利が医学にのみあるのではないものとして,コミュニティのなかに存在しているということである.また,そのカテゴリーを適用されるための基準が,医学の求める基準をさらに厳格化し,社会にいかに適応的であるかによるものとなっている,ということである.性同一性障害カテゴリーは,医学から離れた当事者間の相互行為においても,当事者自身によって,非常に道徳的なものとして管理されているのである.
著者
櫛原 克哉
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.574-591, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
20

本稿は, 社会生活への適応に困難を感じたために, 精神医療機関を利用した経験のある人々の語りを考察した. 近年の精神薬理学や臨床心理学的治療の拡充を受け, 精神医学においては従来の心理的・内面的な要因を対象とした治療に代わり, 患者の脳を中心とする生物学的要因や可視的な行動の矯正といった「フラット」な領域の治療が推進されている. N. Roseは, このような管理技術の浸透を, 精神医学の統治の「フラット化」の現象として指摘する.統治のフラット化を被治療者の観点から考察すべく, 筆者は医療機関への通院経験がある6名を対象にインタビュー調査を実施した. その結果, 「全人格型の語り」と「場面型の語り」の2類型が導出された. 「全人格型の語り」は心理学的な因果関係の文脈から過去との連続性を有する自己を導出するのに対し, 「場面型の語り」は現在属する社会環境内で問題となる思考や行動を限局的に調整しようと試みる断片的な自己という性質を有した.2つの語りは, 精神医学の治療構造の分裂を反映し, 医学のフラット化が不均質に浸透したことにより, 治療対象となる自己も分裂して生起することが確認された. このことから, 精神医療における統治により, 社会環境に適合的な自己が「フラットに」産出される一方で, 心理学的な主題に回帰して「精神の深部」を参照するような自己が, フラットな統治を下支えし治療の求心力として作用していることが示唆された.
著者
伊藤 康貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.480-497, 2015 (Released:2017-03-31)
参考文献数
37

本稿では, 「ひきこもり当事者」が他者と「親密に」付き合っていく際に立ちあらわれる「関係的な生きづらさ」を考察する. そのための課題として, 第1に, 当事者の語る親密な関係がどのような規範によって支えられているのかを考察する. そして第2に, この親密な関係を規定する規範と, 経験や欲望といった「個人的なもの」とが, いかにして人々の行為を拘束しているのかを分析する.第1の課題に対し, 当事者のセクシュアリティを中心とした語りを通して, そこに潜む性規範を明らかにした. 社会の側にホモソーシャリティを要請する規範があるとき, 社会の側に合わせようとする当事者はミソジニーを内面化せざるをえず, 結果的に自らの「性的挫折」を「ひきこもり」の経験と関連づけて語らしめた (3.1). ゆえに性規範への逸脱/適応の「証」は当事者の自己物語にとって重大な契機となっている (3.2).第2の課題に対し, 一見「性」から離れているように見える親密な関係の語りも, 実は性規範を中心とした親密な関係を規定する規範に支えられ, 個人的で相容れない志向性をもつ経験や欲望と互いに絡み合いながら当事者を拘束し, 関係的な生きづらさを語らしめていること (4.1), 「社会復帰」への戦略にも性規範が組み込まれているが, 当事者の親密な関係における課題は他者とは共有されずに, 結果的に個人の問題とされ続けていること (4.2) を明らかにした.
著者
嘉本 伊都子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.62-82, 1997-06-30

本稿は, 近代日本の搖籃期における「国際結婚」を『明治前期身分法大全』を通して分析する。明治政府は, ナポレオン法典を模しながら, 明治6年に内外人民婚姻条規を制定した。国籍法, 帰化法制定よりも実に四半世紀も早く国際結婚に関する法律を定めたことになる。「外国人の婿養子」が「日本人タルノ分限」を得ることを許した規定は, 世界でも稀であった。分限とは, 「家」の成員になることによって得られる社会的地位を指す。<BR>ナポレオン法典と内外人民婚姻条規との相違を, 婚姻によって, 妻の国籍は夫に従い, その結果父の国籍が子に伝わる西洋型の「父系血統優先主義」と「分限主義」とに分けて考察する。さらに, 「国際結婚」の歴史的実態に密着した分析枠組みを提案する。国籍法制定以前の考察期間における「国際結婚」の分析は, 夫あるいは妻の国籍別で分類するよりも, 婚姻形態と「分限」の得失に着目した以下のカテゴリーを利用したほうが, 有益であると考える。<BR>(a) 日本人女性と外国人男性の組み合わせで日本人女性が「婚嫁」する場合<BR>(b) 日本人女性と外国人男性の組み合わせで外国人男性が「婿養子」となる場合<BR>(c) 日本人男性と外国人女性の組み合わせで外国人女性が「婚嫁」する場合<BR>(d) 日本人男性と外国人女性の組み合わせで日本人男性が「婿養子」となる場合<BR>上記のような歴史社会学的類型を用いて, 分限主義時代の「国際結婚」の特徴を明らかにする。
著者
田口 ローレンス吉孝
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.213-229, 2017 (Released:2018-09-30)
参考文献数
33
被引用文献数
2 2

「日本人」/「外国人」の二分法に還元されない「混血」「ハーフ」と呼ばれる人々は, 政府・メディアの言説や学問領域においてしばしば不可視化されている. しかし, かれらの存在は日本社会における歴史的背景の中で立ち現われ, 時代ごとに多様なイメージや言説が付与されてきた.本稿では, オミとウィナントが用いた人種編成論の視座を援用し, 時期区分と位相という枠組みから戦後日本社会における「混血」「ハーフ」の言説編成を整理し, 節合概念によってその社会的帰結を分析した. 第1期 (1945-60年代) において再構築された「混血児」言説は, 第2期 (70-80年代) に現れた「ハーフ」言説の人種化・ジェンダー化されたイメージによって組み替えられることとなる. 第3期 (90-2000年代前半) では「ダブル」言説を用いた社会運動が展開されるが, これらは当事者の経験を十分に捉える運動とはならなかった. 第4期 (2000年代後半-) には, これまでの「ハーフ」言説が多様化し, 現在の日本社会でナショナリズムや新自由主義, そして当事者によってその意味づけが再節合されつつある. 歴史的な言説編成の中で「混血」「ハーフ」と名指された人々への差別構造が通奏低音となって温存される一方, 当事者の運動によってこれらが可視化され始めている状況を明らかにした.
著者
岸 政彦
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.466-481, 2016 (Released:2018-03-31)
参考文献数
28

この論文で私は, 沖縄が語られるその語られ方の変化について書く. 具体的に取り上げるのは, 沖縄本島にあるA市の市史編纂室によって書かれる予定の, 新しい市史の取り組みである.この地域誌は, 行政が公式に発行する, いわばその地域の「教科書」である. それはその地域の, あるいは沖縄そのものについての「語り方」を規定する力を持っている.本論で特に, 沖縄本島にある「A市」の市史編纂室における新しい実践を考察の対象とする. A市史民俗編には, 古くから存在し, 沖縄的な伝統芸能や習慣を伝える集落だけではなく, 団地や建売住宅のニュータウンなども含まれることになっている. このことは, それまでの地域誌の民俗編が, 本来的な, 真正なる沖縄文化を記録し後世に伝える目的で書かれていたことを考えると, 画期的な試みであるといえる.本論ではA市の市史編纂室での聞き取り調査を通じて, 沖縄の語り方はどのように変わりつつあるのか, 語り方を変えるときに何が起きているか, それはどのようにして可能になるのかについて考える.
著者
三輪 哲 石田 賢示 下瀬川 陽
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.29-49, 2020 (Released:2021-07-16)
参考文献数
42

本稿では,社会科学におけるインターネット調査ないしウェブ調査の可能性と課題について考察した.とりわけ,ウェブ調査の意義は何であるか,ウェブ調査のプレゼンスは高まっているのか,ウェブ調査の課題は何であるか,学術研究にウェブ調査データを利用する際の許容条件はいかなるものか,の諸点を焦点として検討をしてきた.その結果,実施されるウェブ調査の数自体は顕著に増加してきているが,他方でいまだ学術研究ではウェブ調査利用の成果物は必ずしも多くはないことが明らかとなった. 理由として考えられるのは,標本の代表性への懸念である.社会学の主要な学術誌に掲載されたウェブ調査データ使用論文をみると,それらほとんどでウェブ調査を用いたことを正当化する補足的記述がみられた. ただし,ウェブ調査はまったく学術利用に適さないわけではない.研究や調査の目的いかんによっては,ウェブ調査の採用が最適であることも考えられる. ウェブ調査によるデータ収集のプロセス全体をしっかりと総調査誤差の枠組みより評価をして,研究目的に即した限定された母集団へと着目することの理論的意味と,それに対しアプローチする方法的妥当性を周到に検討することが,ウェブ調査の利用可能性をひらくだろう.
著者
武内 今日子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.504-521, 2022 (Released:2023-03-31)
参考文献数
17
被引用文献数
2

本稿は,性別違和を抱く人々がXジェンダーという性自認のカテゴリーを用いて,男女の二値に当てはまらない何者かとして自己を定位する仕方を考察した.先行研究では,性同一性障害やトランスジェンダーに付随する規範が論じられた一方,近年ではこれらのカテゴリーで表せない自己像も描かれてきた.ただし,日本において男女の二値に当てはまらない性自認のカテゴリーが自己を表すために用いられる仕方は十分に論じられていない. そこで本稿は,Xジェンダーを名乗る10名に半構造化インタビュー調査を実施し,Xジェンダーが用いられる仕方を分析した.その結果,Xジェンダーを用いることで,経験の再解釈,認識上の切断,暫定的な居場所,政治的主張の根拠という諸実践が可能になることが見出された.すなわちXジェンダーは,先行するカテゴリーのもつ否定的な意味づけを回避するために,もしくは不安定な状況におかれる自己を性自認のカテゴリーに暫定的に位置づけるために用いられる一方で,当事者間での摩擦も生じさせていた.その同一カテゴリーのもとでXジェンダーの意味づけを明確化しようとする政治的主張がなされるからである.これらの結果は,先行するカテゴリーから自己を差異化する過程を論じてきた先行研究に対して,社会的定義や意味づけの定まらないカテゴリーとしてのXジェンダーが可能にする,協働や矛盾をはらむ複数の実践とその帰結を示す点で意義をもつ.
著者
竹田 恵子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.201-221, 2016 (Released:2017-09-30)
参考文献数
33

多くの知識が手軽に入手できるようになった現代では, 科学知識の入手において専門家と素人の垣根が崩れつつある. 本稿では, 生殖医療に関する科学知識の蓄積とこれを媒介するメディアの充実が, 現代の生殖医療患者にどのような影響を与えているかを検討した. 11名への聞き取り調査から, 現代の生殖医療患者は治療経過に沿って異なる科学知識の収集を行っていることが明らかになった. 治療当初は医療専門家, 知人, 書籍・雑誌, ウェブサイトから基礎的な科学知識を収集し, 治療が高度化する際には個人にあった知識を入手していた. そして, 彼女たちは知識を収集するなかで治療経過に関する標準化されたプロトコルを理解のなかに作り上げることが認められた. ただし, 協力者は, 治療が長期化すると妊娠しない原因を指摘する科学知識から遠ざかり, あえて知識収集しなくなると同時に, 医師の前で「素人」を演じるようになることもわかった. 現代の生殖医療患者は大量の科学知識に囲まれ, その収集を続けるなかで生殖医療に関する不確実性にも触れるようになる. その結果, 現代の生殖医療患者は科学知識に頼っても妊娠するとは限らないことを経験的に理解する. そして, これまで手に入れた科学知識がなかったかのように振る舞いながら, 医師の言動を静かに査定する. 現代の生殖医療患者は, 様々なメディアと自らの経験などから作り上げた独自の専門知識を駆使し, 妊娠を目指していた.
著者
野村 一夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.506-523, 2008-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
39

私は1990年代から社会学のテキストとウェブの制作に携わってきた.その経験に基づいて,2つの問題について論じたい.第1に,社会学テキストにおいてディシプリンとしての社会学をどのように提示するべきか.第2に,社会学ウェブのどこまでが社会学教育なのか.そして,それぞれの問題点は何か.テキスト制作上のジレンマや英語圏で盛んなテキストサポートウェブなどを手がかりに考えると,意外に理念的問題が重要であることに気づく.社会学教育には2つの局面があり,それに対応して,2つの社会学教育的情報環境が存在する.社会学ディシプリン的知識空間と社会学的公共圏である.テキストとウェブという社会学教育メディアも,この2つの局面に対応させて展開しなければならないのではないか.そう考えると,現在の日本社会学において「社会学を伝えるメディア」の現実的課題も見えてくる.
著者
三島 亜紀子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.307-320, 2010-12-31

1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定されたことから,社会学は社会福祉士の国家資格の試験科目になった.そこで教えられる「社会学」は「社会福祉士に必要な内容」に限られているが,歴史的にみれば社会学は福祉の研究や実践のあり方を大きく方向転換させるなど大きな影響を与えてきた.<br>本稿の目的は,社会福祉士養成課程と社会福祉学における「社会学」を分析し,この領域における社会学の可能性について考察することである.<br>まず社会福祉教育の現状と,そこで社会学はどのように扱われているかについて明らかにする.つぎに,これまでに社会学が社会福祉の教育・研究・実践に与えた影響を概観する.そして今後,社会学は社会福祉の教育・研究・実践にどのような貢献ができるかを考察した.<br>近年,脱施設化がすすめられ,福祉サービスにおけるパターナリズムは否定され,「利用者」の自己決定や「物語」に敬意が払われるようになった.こうした変化にあわせて社会福祉学の理論も展開をみせており,それらの一部は「ポストモダニズム」と呼ばれる.<br>しかし,すべての場面においてこうした変化が及んだわけではなかった.現在の専門家は,「ポストモダン」的な援助をする一方で,過去のエビデンスを根拠に権力をもって介入を行う者と特徴づけられる.周辺への/周辺からの社会学を活発にするためには,こうした新しい専門職のあり方を考慮する必要がある.
著者
打越 文弥
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.10-26, 2019 (Released:2020-07-31)
参考文献数
36

本稿では女性の学歴別にみた離婚行動の違いとそのコーホート間の変化を,配偶者との学歴にもとづく階層結合(学歴結合),とくに女性の高学歴化により増加した妻下降婚と高学歴同類婚の2 つに着目して検討する.既存研究では,その非典型性から妻下降婚カップルは離婚しやすいとされる.しかし,妻下降婚が増加するのと並行してジェンダー平等化が進んだアメリカでは,近年の結婚コーホートで妻下降婚と離婚の関連が弱まっている.このように学歴結合パターンと離婚の関係を検討することを通じて,ジェンダーの非対称性を内包した典型性・非典型性が変化しているかを明らかにできる.また,第二次人口転換論をはじめ,離婚率の上昇により離婚に対する社会の寛容性が増すために,離婚の階層差は縮小すると考えられてきた.しかし近年になり,高階層のカップルでは夫婦が安定的なライフコースを歩む一方で,低階層カップルでは離婚を経験しやすいという主張が登場する.本稿ではこうした先行研究の流れを踏まえ「戦後日本の家族の歩み」と「2015 年社会階層と社会移動調査」の2 つを用いたイベントヒストリー分析を行った.分析の結果,1980 年以前の結婚コーホートでは妻の学歴が夫よりも高い妻下降婚カップルの場合に離婚を経験しやすい傾向にあるが,近年のコーホートではそのリスクが低減していることがわかった.一方,同類婚内部の格差については明確な変化がみられなかった.
著者
山田 陽子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.380-395, 2002-12-31
被引用文献数
1

本論の目的は, 「社会の心理学化」 (P. L. Berger) をE.デュルケム以来の「人格崇拝」の再構成から位置付けることである.心理学的知識が普及した社会では, 「心」に多大な関心が払われる.その侵犯を回避すべく慎重な配慮がなされ, 「心」は聖なるものとして遇される.「心」が重要だと語りかける一方で, それを操作対象とする「心」をめぐる知の普及はいかに解釈されうるか.ここではデュルケムの「人格崇拝」論にE.ゴフマンの儀礼論, A.ホックシールドの感情マネジメント論を接続し, それぞれに通底する「人格崇拝」論の構造と異同を明らかにすることによって解答を試みる.<BR>デュルケムは「人格崇拝」概念において, 近代社会では個人の人格に「神聖の観念」が宿ると指摘した.ゴフマンはそれを継承して儀礼的行為論を展開し, 世俗化の進行する大衆社会において唯一個人が「神」である様子を詳細に記述・分析した.デュルケムの宗教論とゴフマンの儀礼的行為論の影響が認められるホックシールドの感情マネジメント論では, 人格や「カオ」に加えて「心」に宗教的配慮が払われることが示唆されている.<BR>ホックシールドを「人格崇拝」論から読む試みを通じ, デュルケムやゴフマンの現代的意義を再評価しつつ, 心理学的知識の普及に関する新たな分析視角の導出と理論的枠組みの構築をめざす.