著者
赤川 学
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.118-133, 2017 (Released:2018-06-30)
参考文献数
31

本稿は, 構築主義アプローチに基づく社会問題の歴史社会学を発展させるための試論である. 以下の作業を行った.第1に, 佐藤雅浩『精神疾患言説の歴史社会学』 (佐藤2013) を取り上げ, それが構築主義的な「観念の歴史」と, スコッチポル流の比較歴史社会学を組み合わせた優れた業績であることを確認する.第2に, 保城広至が提案する歴史事象における因果関係の説明に関する3つの様式, すなわち (1) 「なぜ疑問」に答える因果説, (2) 理論の統合説, (3) 「なに疑問」に答える記述説を紹介した. 従来, ある言説やレトリックが発生, 流行, 維持, 消滅するプロセスとその条件を探求する社会問題の構築主義アプローチは (3) の記述説 (厚い記述) に該当すると考えられてきたが, 既存の研究をみるかぎりでも, 因果連関の説明を完全に放棄しているわけではないことを確認する.第3に, 過程構築の方法論に基づいて, 1990年代以降の少子化対策の比較歴史社会学を実践する. この結果, 雇用と収入安定が少子化対策に「効果あり」という結果の十分条件となることを確認した.第4に, 上記の比較歴史社会学における因果的説明の特性 (メリット, デメリット) を理解したうえで, 因果のメカニズムが十分に特定できないときには, クレイム申し立て活動や言説の連鎖や変化に着目する社会問題の自然史モデルが, 過程追跡の方法として有効であると主張した.
著者
是川 夕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.109-127, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
24

外国人人口の増加は, 1990年代以降の日本における, 戦後日本の社会の構造変化を象徴する出来事であり, これまで多くの研究が行われてきた分野であるものの, 外国人女性の出生行動について行われた研究は, 思いのほか少ない. しかし, 出生行動は現地社会と結びつきの強い「移民2世」を生み出すなど, 移民の定住化の方向性を左右する重要な契機であり, 外国人人口の日本社会への定住化が進む現在, こうした点について明らかにすることは重要である.本稿では, これまで欧米の先行研究が明らかにしてきたように, 移住過程, とくに定住化が外国人女性の出生動向に与える影響について分析を行った. その結果, 外国人女性の出生行動は, 同一国籍内でもサブグループ間で大きく異なる可能性が高いこと, および定住化に伴う適応/同化効果が出生力にプラスの影響を与える可能性が示されたといえよう. また, 日本における外国人の定住化が, 世代の再生産という新たな局面に入っていくことが示されたといえよう.こうした結果は, マクロ統計から得られた知見であり, 今後, ミクロデータを利用したサブグループ間の出生力格差や, 定住化の影響の違いを明らかにする必要があるだろう. その一方で, 本稿の研究はこれまでこうした分野における知見が少なかった中, 今後の調査研究の作業仮説となる重要な知見を提供したものと考えられる.
著者
山崎 仁朗
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.424-438, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
36
被引用文献数
1

鈴木榮太郎は, 『日本農村社会学原理』において, ミクロな相互行為の次元から全体社会を捉える高田保馬の見方から示唆を得て, 自然村論を展開した. これは, 自らの多元的国家論の立場とも符合した. しかし, 晩年に「国民社会学」を構想するようになると, かつて依拠した高田の全体社会論や多元的国家論を批判し, 国家権力による統治活動こそが社会的統一を創り出すという認識に至った. これにより, 鈴木は, 聚落社会一般を権力の視点から捉え直すことになり, 聚落社会の発生にとって, むしろ「行政」が本質的な契機であり, 行政的集団が自然的集団に転化して質的な変容を遂げるという動態的な見方にたどり着いた. 晩年の鈴木が獲得したこの視座は, 「自然」と「行政」とを二項対立的に捉え, もっぱら前者を強調する従来の見方に修正を迫るものであり, 「コミュニティの制度化」によって地域コミュニティの自治をどう保障するかという課題設定に, 理論的な根拠を与える. 今後は, このような視座に立って, 国際比較の視点も取り入れながら「地域自治の社会学」を追究する必要がある.
著者
丸山 里美
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.898-914, 2006-03-31
被引用文献数
2

近年, 野宿者の存在が社会問題化している.これまでの野宿者研究では, 野宿者の生活に見られる自立的で主体的な側面を描き出すことによって, 野宿者は更生すべきだとするまなざしに対抗しようとしてきた.そのときには一枚岩の男性労働者を想定しながら, 野宿者の勤勉性を主張するというやり方がしばしばとられてきた.しかしこうした主張は, 勤勉な男性野宿者以外の存在を排除するものとなっている.<BR>本稿は, ある公園と施設において行った調査に基づいて, 女性野宿者の生活世界に焦点をあてるものである.野宿者の中で女性の割合は2.9%にすぎず, 従来の研究では女性はほとんど存在しないものとされてきた.しかし彼女たちの実践から見えてくるのは, 男性野宿者の場合とは異なる, ジェンダー化された女性野宿者の世界である.さらに彼女たちに特徴的に見られたのは, 周囲との関係性に拠りながら, 状況に応じて野宿を続けたり, 野宿から脱出することを繰り返す姿だった.<BR>こうした断片的な生のあり方は, 女性に顕著にあらわれているが, 女性野宿者に本来的に固有なものでも, 女性野宿者だけに見られるものでもない.これまでの研究では一貫した意志のもとに合理的な選択を行う主体像を想定し, 行為遂行的な実践は見落とされてしまっていたが, それは, このような女性野宿者たちの実践に接近することに先立って, 野宿者に抵抗や主体的な姿を見ようとする欲望が存在していたためだろう.
著者
孫・片田 晶
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.285-301, 2016 (Released:2017-12-31)
参考文献数
22

戦後の公立学校では, 法的に「外国人」とされた在日朝鮮人の二世・三世に対し, どのような「問題」が見出されてきたのだろうか. 在日朝鮮人教育の運動・言説は, 1970年代以降全国的な発展を見せるが, そこでは「民族」としての人間形成を剝奪されているとされた児童生徒の意識やありようの「問題」 (教師が想定するところの民族性や民族的自覚の欠如) に専ら関心が注がれてきた. こうした教育言説をその起源へ遡ると, 1960年代までの日教組全国教研集会 (教研) での議論がその原型となっている.1950年代後半から60年代の教研では, 在日朝鮮人教育への視角に大きな変容が生じた. その背景には帰国運動など一連の日朝友好運動と日本民族・国民教育運動の政治が存在していた. この時期の教育論には, 親や子どもの声に耳を傾け, 学校・地域での疎外, 進路差別, 貧困などの逆境に配慮し, その社会環境を問題化する教育保障の立場と, 学校外の政治運動が要請する課題と連動した, 民族・国民としての主体形成の欠落を問題化する立場が存在していた. 当初両者は並存関係にあったが, 上記の政治の影響下で60年代初頭には後者が圧倒的に優勢となった. その結果, 「日本人教師」が最も重視すべきは「同化」の問題とされ, 「日本人」とは本質的に異質な民族・国民としての意識・内実の “回復” を中核的な課題とする在日朝鮮人教育言説が成立した.
著者
小宮 友根
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.134-149, 2018-06-30

<p>本稿の目的は, 「概念分析の社会学」の立場から構築主義社会問題論を再解釈することである. 構築主義社会問題論は, OG問題を乗り越え, 経験的研究に取り組むだけの段階にあると言われて久しい. けれど, 「クレイム申し立て活動」を調べることが社会学方法論上どのような意義をもつのかについては, これまで決して十分に注意が払われてこなかったと本稿は考える.</p><p>本稿はまず, OG問題をめぐる議論がもっぱら哲学的立場の選択をめぐるものであり, 「クレイム申し立て活動」の調査から引き出せる知見の身分に関するものではなかったことを指摘する. 次いで, 社会問題の構築主義のもともとの関心が, 犯罪や児童虐待といった問題を, 社会問題として研究するための方法にあったこと, そしてその関心の中に, 社会のメンバーが社会の状態を評価する仕方への着目が含まれていたことを確認する. その上で, 「概念分析の社会学」という方針が, そうした関心のもとで社会問題研究をおこなうための明確な方法論となることをあきらかにする.</p><p>「概念分析の社会学」は, 私たちが何者で何をしているのかについて理解するために私たちが用いている概念を, 実践の記述をとおして解明しようとするものである. この観点からすれば, 構築主義社会問題論は, 「クレイム申し立て活動」をほかならぬ「社会問題」の訴えとして理解可能にするような人々の方法論に関する概念的探究として解釈することができるだろう.</p>
著者
伊達 平和
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.187-204, 2013 (Released:2014-09-30)
参考文献数
30
被引用文献数
1 1

本稿では, 東アジア・東南アジア社会の「圧縮された近代」に伴う急速な家族の変容と, 価値観の変容を背景として, 家父長制意識の多様性とその意識に対する高学歴の影響を計量的に分析した. まず, 瀬地山角の東アジアにおける家父長制研究より, 家父長制意識を父権尊重意識と性別役割分業意識の2つの軸で捉え, I家父長主義, II父権型平等, III自由・平等主義, IV分業型自由の4つの型に整理した. 次に, 日本, 韓国, 台湾, 中国, ベトナム, タイの6地域のデータから, その2つの意識の平均値を比較した. さらに, 年齢などの変数を統制したうえで, 二項ロジスティック回帰分析による多変量解析を行った.分析の結果, これら6地域の家父長制意識の相対的な布置関係が明確に示された. 中国と台湾は家父長主義, 韓国は父権型平等, 日本は自由・平等主義, タイとベトナムは分業型自由に分類された. さらに, 家父長制意識に対する高学歴の影響が, 各国において異なること示され, 家父長制意識の近代化における変化の多様性が明らかになった. また, 「圧縮された近代」における圧縮の度合いが人々の家父長制意識に影響を与えることも明らかになった.
著者
脇田 彩
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.585-601, 2013-03-31 (Released:2014-03-31)
参考文献数
33

本稿の目的は, 日本社会における女性の階層再生産の概要を, 実証的に記述することである.女性を階層研究の対象とする際, 階層的地位には2つの区別すべき側面, すなわち個人単位の地位と, 世帯の生活水準があることが明らかになる. しかしその2つの側面からなる女性の階層再生産の全体像は, あまり記述されていない. 本稿では階層的地位の2つの側面を区別し, それぞれに対する出身階層の影響を示した. 従属変数である個人単位の地位の測度として個人所得, 世帯の生活水準の測度として夫妻の合計所得, そして独立変数である出身階層の測度として両親の職業の組み合わせを用いた.2005年SSM調査データを用いた分析の結果, 女性の階層再生産の特徴として, 2点が明らかになった. 第1に, 女性の出身階層は, (1) 両親の職業的地位がともに高い家庭, (2) 典型的な専業主婦家庭, (3) 両親どちらかが農業に就いていた家庭, そして (4) 父親がブルーカラーの家庭という, 4つのグループで捉えられる. 第2に, 女性の階層的地位の2つの側面に対する, 出身階層の効果は異なる. 個人単位の地位の達成には両親の職業的地位がともに高い女性, 次いで両親どちらかが農業に就いていた女性が有利である. 一方, 世帯の生活水準の達成には典型的な専業主婦家庭出身の女性がもっとも有利である. これら2つの特徴が, 女性が両親から階層的地位を受け継ぐ過程をより複雑に見せていると考えられる.
著者
加藤 裕治
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.270-285, 1998-09-30

本稿は明治初期に活躍した二人の新聞記者, 成島柳北と福地源一郎の西南戦争をめぐる報道態度と (新聞) 報道言説に着目し, 「中立的 (ニュートラル) な視点」に基づいて事実を伝達すると想定されている「客観的報道言説」が, 「文学的定型 (物語) に基づく言説」を拒絶する地点で可能になったことを指摘する。その上で, そうした報道言説に含まれているパラドックスの可能性と隠蔽の問題を, タックマンによる「枠組」の概念に基づきながら検討し, こうした「中立的な視点に基づく事実によって出来事を知らせること」を指向しつつ誕生した「客観的報道言説」が, 実際には不可能であることを指摘する。
著者
石田 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.90-99, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
49
被引用文献数
3 1
著者
柴田 悠
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.130-149, 2010-09-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
23
被引用文献数
1

社会の近代化に伴って,親密性やその意味は,いかに変化するのか.先行研究によれば,特定の条件に依存しない「再帰的親密性」(親族・近隣・職場以外での友人関係など)は,社会の近代化に伴って普及し,個人にとって一定の重要性を帯びたと考えられる.しかし未検証の仮説として,社会が近代化すると,(1)「再帰的親密性の数や割合が変化する」,(2)再帰的親密性の重要度が「上昇する」,(3)「必ずしも上昇せず,上限未満の一定の高さを得た後で上昇しなくなりうる,または下降しうる」(特定条件に再埋め込みされた親密性もまた次第に重要になる),との3つの仮説が想定できた.検証方法としては国と個人のマルチレベル分析が必要であったため,それを採用した.まずISSPデータ(2001年)で「再帰的に選択された友人の数と割合」を分析すると,国レベル近代化変数「総就学率」が効果を示した.また再帰的友人関係の「幸福度に対する貢献度」(一般的重要度)を分析すると,国レベル近代化変数「一人当たりGDP」の上昇に伴って,一般的重要度は低下した.さらにWVSデータ(1990年と2000年)で,友人と家族の主観的重要度の比を分析すると,「一人当たりGDP」の上昇に伴って「友人関係(比較的再帰的な親密性)の相対的重要化」がある程度は進行するが,それ以上は進行しなくなった.以上の結果は,仮説(1)を支持するとともに,仮説(2)よりも仮説(3)のほうを支持した.
著者
赤羽 由起夫
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.37-54, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
25
被引用文献数
1

本稿の目的は, なぜ少年犯罪において「心の闇」が語られるようになったのかを明らかにすることである.「心の闇」は, 1990年代後半から2000年代中頃にかけて社会問題化した戦後「第4の波」と呼ばれる少年犯罪を語るうえで重要なキーワードの1つとなった言葉である. この「心の闇」の語られ方には, それが, 一方で理解すべきものとして語られながら, 他方でどれだけ努力しても理解できないものとしても語られたという特徴がある. つまり, 「心の闇」は, 「心」を理解したいという欲望の充たされなさによって特徴づけられているものであり, ここからは, エミール・デュルケムが『自殺論』で論じたアノミーの存在を指摘することができるのである.そこで, 本稿では, 「心の闇」という言葉がどのような社会状況において人々に受容されるのかについて, デュルケムのアノミー論を援用しながら知識社会学的に考察する. 考察を進めるうえでの参考資料としては, 新聞と週刊誌の少年犯罪報道で語られた「心の闇」を用いる.本稿では, 以下の手順で考察を進めていく. 第1に, デュルケムのアノミー論について概説し, 「心の闇」とアノミーの関係についての仮説を提示する. 第2に, 少年犯罪報道において, どのようにして「心の闇」が語られていたのかを確認する. 第3に, どのようにして「心の闇」がアノミー的な欲望の対象となったのかについて考察する.
著者
要 友紀子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.233-246, 2020 (Released:2021-09-30)
参考文献数
13

本稿は,筆者の23 年間にわたるセックスワーカー運動について自身の経験と考察を中心に論じることで,セックスワーカー運動が遭遇した困難とそれが示す社会の実情について明らかにしたものである.セックスワーカー運動はHIV/AIDS の影響もあって1980 年代半ばに国際的に広まり,日本では1999年にSWASH(Sex Work and Sexual Health)が設立された.しかしその運動の軌跡は,セックスワーカーを囲む社会の壁の厚さを実感させるものであった.それらは,調査結果を事実として受け入れてもらえない壁,政治家や研究者,メディアが自分たちの思い描く枠組の中でセックスワーカーに役割を演じさせようとする壁,セックスワーカーが遭遇する困難の実際をみないようにする壁,自分たちの経験を示す言葉がないという壁である.その一方で,この運動は国際的な出会いを通して,自分たちが被抑圧者でありながらも抑圧者となる可能性を基礎とし,属性に関係なく差別や排除に対抗した「セックスワークは労働である」をスローガンに続けられてきた.こんにち,それらの壁を乗り越えるために必要なのは,代弁者ではなく,当事者の経験や困難の通訳者であることを指摘した.
著者
益田 仁
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.87-105, 2012-06-30 (Released:2013-11-22)
参考文献数
33
被引用文献数
3 1

これまでのフリーター研究では, その析出過程をめぐって構造的側面と主体的要因が切り離されて論じられ, 両者をリンクさせようとする視点が欠けてきた. そのような問題意識のもと, 本稿では5年間をかけて継続的に行ったフリーターへの聞き取り調査をもとに, 彼らの置かれた生活世界を明らかとし, その「希望」をすくいとることにより, フリーター研究における構造と主体という二元論的な対立を乗り越えたい. それは結果として, 現代日本社会の有する構造的な緊張の一端を照らし出すだろう.事例から確認されることは, われわれの社会は, 構造として不安定な雇用を必要としつつも, 規範面においてはそれを引き受ける主体を許容しない/しえない, という事実である. 結果, そのひずみは個々人のうちに蓄積され, 主体レベルでの解消が要求されているのである. 構造と規範の軋轢が発動した不安と焦りの行きつく先が「希望」なのであり, 何がしかの「希望」を自らの生の一部に組み込むことによって, 彼らはその生全体を受け入れようとしているのである. しかし, 事例から確認されたそれぞれの「希望」は, その発生源それ自体の変革には向かってはおらず, むしろ構造的緊張の緩衝剤として機能していることが確認された.
著者
青木 秀男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.89-104, 2015 (Released:2016-06-30)
参考文献数
49

本稿は, 1945年8月6日に広島で炸裂した原爆について, 市内の被差別部落A町を事例に, 被害の他町との差異を分析し, その意味を, 災害社会学の概念 (社会的脆弱性, 復元=回復力) により解釈する. そして1つ, 原爆被害の実相を見るには, 地域の被害の<構造的差異>を見る必要がある, 2つ, 地域には被害を差異化する力と平準化する力が作用し, それらの力の拮抗と相殺を通して被害の実態が現れる, という2点を指摘し, 災害社会学を補強する. A町民の原爆死亡率は, 爆心地から同距離の他町とほぼ同じであったが, 建物の全壊・全焼率および町民の負傷率が高かった. そこには, ①A町には木造家屋が密集していた, ②建物疎開がなかった, ③原爆炸裂時に多くの人が町にいた (仕事場が自宅であった) 等の事情があった. また同じ事情で, A町民は多くの残留放射能を浴び, 戦後原爆症に苦しむことになった. そこには, A町の, 被爆前の社会的孤立と貧困の <履歴効果> と, 被爆による生活崩壊・貧困・健康障害の <累積効果> があった. 他方でA町民は, 被爆直後より被害からの復元=回復に向けた地域共同の努力を開始した. 地域共同は, A町の人々の必須の生存戦略であった. A町には, 地域改善運動や部落解放運動の基盤があった. しかしそれでもA町は, 戦後も孤立した町にとどまった. 地域の景観は大きく変った. しかし被害の構造的差異は, 不可視化しながら持続した.
著者
前田 泰樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.710-726, 2005-12-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
29
被引用文献数
1 2

社会学にとって人々の行為を記述するとはどのようなことだろうか.この問いは2つの論点に集約されてきた.すなわち「どのような記述をしても不完全さは残るのではないか」という記述の可能性への問いA, 「社会学的記述はメンバーによってなされる記述とどのような関係にあるべきか」という記述の身分に関わる問いBである (Schegloff 1988) 本稿では, まず問いAに対し, 記述の懐疑論には採用し難い前提が含まれていることを論証する.さらに, その前提のもとで見落とされてきた論点として, 実践において行為を記述することは, それ自体, メンバーシップカテコリーへと動機を帰属させる活動でありうる, ということを示す.次に問いBに対し, H.サノクスたちによる社会学的記述の方針を検討する.まず, メンバーによる記述はそれ目体手続き上の特徴を備えている, ということを確認し, その実践の手続き上の特徴によって制約を受けつつ社会学的記述を行う, という方針を検討する.さらにその検討をふまえて実践の分析を行い, 行為を記述することが動機や責任の帰属といった活動であること, また, その活動が実践の編成にとって構成的であること, を例証する要約するならば, 行為を記述することは, それ自体, 動機や責任の帰属といった活動であり, その他の様々な実践的活動に埋め込まれている.本稿では, こうした実践の編成そのものを記述していく方針の概観を示す.
著者
中河 伸俊
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.244-259, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
42
被引用文献数
3 1

社会的構築のメタファーが流布するとともに, その意味するところは多義化し, 探究の方法上の指針としてだけでなく, 批判のための一種の「イズム」として使われるようにもなっている.そうした「構築」系の “バベルの塔” 状況を整理するために, 本稿では, エンピリカル・リサーチャビリティ (経験的調査可能性) という補助線を引く.ただし, 近年では, 社会的いとなみを “エンピリカルに調べることができる” ということの意味自体が, 方法論的に問い返されている.そして従来のポジティヴィストと解釈学派の双方が批判の対象になっているが, その批判者の問にも, 調査研究の営為について, 認識論的 (そしてときには存在論的) に「折り返して」理解するアプローチと, (語用論的転回を経由した) 「折り返さないで」理解するアプローチの種差がみられる.2つの理解のコントラストは, 価値と事実の二分法の棄却問題への対応や, リフレクシヴィティという概念についての理解をみるとき鮮明になる.後者の, エスノメソドロジーに代表される「折り返さない」タイプの理解は, さまざまな領域で, エンピリカルな構築主義的探究のプログラムを組み立てるにあたって, 有効な指針を提供すると考えられる.応用や批判といった, 研究のアウトプットを「役に立てる」方途について考えるにあたっても, 思想的であるよりエンピリカルであることが重要である.そして, 活動と活動の接続として社会的いとなみを見る後者のタイプの理解は, 従来のものとは異なる, ローカルな秩序に即応した応用の試みを可能にするだろう.
著者
菅野 摂子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.91-108, 2013 (Released:2014-09-10)
参考文献数
28
被引用文献数
1

胎児を独立して検査できる出生前検査の出現により, 胎児の疾患や障害のため中絶する, いわゆる選択的中絶が問題として浮上している. 通常の中絶に対してフェミニストはその正当性を確保するために ‹自己決定› を主張してきたが, 優生思想への危機感から選択的中絶を ‹自己決定› としては認めず, 中絶の特異点と措定した.本稿では, 筆者がこれまでに行ったフィールド調査から, 女性たちの出生前検査および選択的中絶の経験を記述し, 選択的中絶と日本のフェミニズム理論との関連を考察した. その結果, フィールドでの選択的中絶の問題点は望んだ妊娠にもかかわらず中絶への回路が開かれてしまうというところにあった. その際, 自分のためというより胎児のため, という母性的な言説が使われており, それは出生前検査の受検の際にも使われていた. 超音波検査によって胎児への愛情が喚起されたり, 思わぬアクシデントがある中で, その選択は状況依存的な決定にならざるをえない. そうした決定を支える, ‹自己決定› 概念の創出がフェミニズムにもとめられる. ここでいう ‹自己決定› は, 自分で決めたからという理由で無条件に選択的中絶を正当化するものではなく, 母性に収奪されがちな文化と優生思想に対する批判の双方を捉えながら, 可変で多様な「自己」に対応可能な概念である.