著者
中俣 尚己
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.31-45, 2009-01-01

本稿は現代日本語の「と」「や」「も」という3つの名詞句並列マーカーを体系的に分析することを目的とする。並列について従来いわれてきた「全部列挙」「一部列挙」という説明は語用論的な推意に関する性質であり,本質的な性質とはいえない。本稿では統語論,意味論,語用論それぞれのレベルにおいて並列表現の記述に必要な枠組みを提供する。統語論レベルでは「と」と「も」は名詞句がすべて他の要素と結びつく「+網羅性」という性質をもつ。一方,「や」は「-網羅性」という性質をもつ。意味論レベルでは各形式は集合を作り上げる動機が異なっている。「と」は共通の属性を必要としないが,「や」は聞き手が要素に共通の属性を発見する必要があり,「も」は文脈から要素の出現が予測できなければならない。語用論レベルでは「と」は「他に何もない」という推意を生み出すが,「や」と「も」はそのような推意を生み出さない。
著者
市村 太郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.1-16, 2014-04-01

「ほんに」は、中世〜近世初頭では、名詞・形容動詞の延長上で述語動詞に前接して連用修飾していたが、近世前期には文意や事柄に対する実感的・発見的強調を表す副詞に転じた用例がみられ、談話標識のような機能を持つに至り、名詞・形容動詞的用法と共に多様な形式で用いられた。その後も副詞として近世を通じて幅広く用いられたが、近世後期には次第に抽象化・固定化が進み、近代初期に衰退傾向に転じた。その一方で、特に江戸語・東京語においては近世末から近代初期にかけて「ほんに」に代わり「ほんとうに」の使用・用法が拡大し、「ほんに」は衰退した。その背景には、〔述語用法の喪失→連用修飾と連体修飾との併存→それぞれの固定化・抽象化→一部を残して衰退傾向〕という「ほん」全体での変遷過程があり、単に副詞としてのみの衰退ではなかった。「ほんとう」類はそれに連動し、名詞・形容動詞用法から徐々に、「ほんに」が辿ったのと同じような過程で拡大したと考えられる。
著者
澤村 美幸
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.4, pp.16-31, 2008-10-01 (Released:2017-07-28)

本稿では,民俗儀礼語彙の中から<葬式>という項目を選び,その方言分布の形成に,「葬送儀礼の実態との関連」,「位相との関連」といった社会的要因がどう影響しているのかを探った。方法としては,まず全国調査の結果に基づいて<葬式>の方言分布を明らかにした。次いで,方言分布と文献上の歴史との総合から,<葬式>を表す方言の歴史を構成すると同時に,問題点についても指摘し,葬送儀礼の変遷との対応からそれを解決した上で,結論を導いた。その結果,<葬式>の方言分布に現れた「オクリ」,「ダビ」・「ダミ」,「ソーレイ」・「ソーレン」,「トムライ」,「ジャンボン」,「ソーシキ」といった名称は,庶民層における葬送儀礼の変遷の3段階に対応する形で展開し,それが方言分布の形成に反映していることがわかった。また,位相を超えた名称の普及が,方言の形成につながっていることも明らかになった。
著者
井口 佳重
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.16-30, 2009-04-01 (Released:2017-07-28)

明治33年4月,大阪毎日新聞社社長の原敬は「ふり仮名改革論」を発表し字音仮名遣いの改革を試みる。その後,この改革案での仮名遣いが「現代かなづかい」制定まで同紙上にて実践される。大正期に首相となる原は「臨時国語調査会」を設置し,総会では「仮名遣改定案」が提出されるが,その背景に新聞の仮名遣い改革があった。字音の表音的仮名表記を目指す原改革案では,(1)同年出される小学校令施行規則「新定字音仮名遣」(棒引き仮名遣い)での長音符号「ー」は使用しておらず,(2)活字印刷の際生じる振り仮名の文字数の問題から,ウ列・オ列の拗長音の表記法に特異性を有する。同時期の新聞各紙を調査,検討した結果,原改革案による表音的仮名遣いは各紙で採用され,他新聞各社でも仮名遣い改革が実行されたことが明らかとなった。こうした実態から,新聞各社が積極的に国語の施策に関与し仮名遣いの整理を促したことが推量される。
著者
銭谷 真人
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.4, pp.48-66, 2014-10-01 (Released:2017-07-28)

明治33年の小学校令施行規則において平仮名の字体が定められる以前から、既に文学作品などの出版物において、字体は収斂していく傾向にあった。本稿においてはそれが出版物全般に見られる現象であったのかを、明治期の代表的な大新聞の一つである『横浜毎日新聞』を調査することにより検証した。また使用できる字体が制約される活版印刷の導入が、仮名字体にどのような影響を及ぼしたかについても考察を加えた。使用される活字を基準に調査を行った結果、やはり字体は統一される傾向にあったことが判明した。ただし単純に時代が下るにつれて収斂していくのではなく、場合によっては字体数が増加することもあった。そしてそれには使用される活字が大きく関わっていることが考えられた。また字体の選択には仮名文字遣いも関係しており、使い分けのある、あるいはかつて使い分けのあった字体が最後まで用いられ続けたものと考えられた。
著者
犬飼 隆
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1-14, 2008-01-01 (Released:2017-07-28)

木簡をはじめとする出土物に墨や線刻で文字を書いたものがあり、手続きをふめば言語資料になる。それらは、古代の現物がそのまま利用できる点に価値がある。また、日々の文書行政の場で使い捨てを前提にして書かれたので、日常の言語使用が反映している点にも価値がある。出土物を言語資料として活用することによって、記紀万葉の類からとは異なる知見を得ることができ、今後、八世紀以前の日本語の全体像が塗り替えられるであろう。九世紀以降との連続・不連続も一層精密に解明されるであろう。より良質な資料を得て適切にとりあつかうためには、歴史学・考古学との学際を深める必要がある。また、朝鮮半島の出土物との比較が、研究の深化と精密化と発展をもたらす。
著者
坂井 晶子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.84-100, 2018-04-01 (Released:2018-10-01)
参考文献数
9

現行の句読法は、西洋のpunctuationの影響のもと、明治以降に日本語の書き言葉に使用されるようになった。義務教育課程においては、まず国語読本から〈、〉と〈。〉を使い分ける句読法が使われ始め、次いで作文教科書に使用された。明治37年の「国定読本編纂趣意書」および明治39年「句読法案」の発表をきっかけに、綴り方の授業で句読法が教授されるようになった。児童の作文もこの流れを反映し、明治30年代においては、句読点を全く用いないか、一種類のみを使用するものが大半を占める一方、明治40年代には現行に近い句読法を使うものが優勢となる。また、記号は後から文章に打たれるのではなく、文字とおなじタイミングで付される。この句読法は大正年間を通じて次第に定着していった。
著者
毛利 正守
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.1-15, 2014-01-01 (Released:2017-07-28)

現在,古事記などの文章は,「変体漢文」であると一般に把握されている。「変体漢文」という呼称は,橋本進吉によって提唱され,漢文を記すことを志向しながらもその用法を誤って「変則な書き方」になったもの,それを「変体漢文」と命名した。一方,橋本は,古事記などの文章については,漢字を用い慣れるに従って日本語をも漢字で書くようになり,その文章は「変体漢文」ではなく「和文」であると把握した。それ以降の研究史を辿ってみると,橋本の道理に適った「変体漢文」という捉え方が正確に継承されず,橋本の主要な発言を見過ごし,また誤解したまま今に至っているというのが現状である。が,その捉え方がすでに長く行われているのだからそれでよしとするのではなく,もう一度,理に適った論に立ち返り,考え直すべきであると筆者は考える。本稿は,研究史の実態を炙り出すところにその主眼をおき,あわせて研究史と関わらせつつ倭(やまと)文体についてとり挙げることにする。
著者
ローレンス ウエイン
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.30-38, 2011

琉球のいくつかの方言にみられる希求形式の使用状況から、琉球方言の=イタシ系の希求形式は生理的に不随意の身体機能を表す動詞のみと共起し、必要性を訴えるのが古い使用法であると考えられる。この=イタシは「痛みを感じるほど痛烈に感じる状態に達する」という意味から発達したとみられるものである。本土日本語の=イタシも、「甚(イタ)シ」からではなく、琉球方言と同じ文法化の経路をたどって、希求形式になったと思われ、その文法化の出だしは日琉祖語の時代に遡ると推測される。
著者
間宮 厚司
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.149-135, 2011-10-01

筆者は、これまでに『おもろさうし』の言語を大和古語と比較することで、沖縄固有の語(オモロ・グスク・テダ等)の語源や特有の文法体系(係り結び・形容詞等)について考察してきた。本稿では、ヂャウ(門)の原義、ウリズン(陰暦三月頃の季節)の語源、人称名詞(我)アとワについて、助詞ハの表記と発音について考察した。その結果、ヂャウ(門)の原義を門に施されたヂャウ(錠)と推定し、ウリズンの語源は、「(大地が雨で)潤って(空気が)澄むこと」と、『おもろさうし』の実例から推定した。そして、『おもろさうし』の人称名詞(我)ア系とワ系を調査した結果、アガとワガの下に来る語には、明確な違いが認められた。また、助詞ハの中で、「…を」に当たる「は」表記の発音はワでなく、バであったと考えるのが穏当であるという結論に達した。
著者
深津 周太
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.18-34, 2016 (Released:2017-03-03)
参考文献数
12

本稿は,‘量程度の小ささ’を表す《ちょっと類》副詞に見られる〈ちょっとの型〉と〈ちょっとした型〉という二つの連体表現の型について,中世における両者の関係とその後の展開を論じたものである。 まず中世における〈ちょっとの型〉に着目すると,当期に見られる「ちっとの/そっとの」は【程度】【量】を表す点で共通するが,一方で「そっとの」には「そっとの間」のような時間の【存続量】が中心的な意味機能として備わっている。これは「そっと」の量程度用法が,【素早さ】という時間に関わる機能用法を出自とすることによる。 一方,〈ちょっとした型〉は通史的に【程度】しか表さないため,この型が新出する中世の「そっと」領域においては「そっとの:そっとした」=【量・存続量:程度】という形式と意味機能の対応関係が芽生えることとなった。この「そっとの:そっとした」という形式間の機能分担は,近世以降の「そっと」衰退に伴い「ちっと/ちょっと」に引き継がれ,その結果〈ちょっとの型:ちょっとした型〉という型による機能の表し分けがなされることとなった。
著者
青木 博史
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.1-15, 2009-04

動詞の重複形には,終止形重複と連用形重複がある。本稿では,「語」レベルにとどまらず,「句」レベルを含む「構文」として,歴史的観点から分析を行う。終止形重複は,古くは通常の終止形述語同様,文終止に用いられたが,動詞としての述語性を失う形で副詞化した。連用形重複は,従属節専用の形式であるが,述語性を獲得するために「重複+スル」の形を生み出し,「複合動詞重複+スル」「重複句+スル」の形で現在も用いられている。重複構文は,古今を通じて「結果継続」を表すことはない。変化動詞の重複形においても,「重複+スル」等の形で動的な事態の繰り返しを表す。「踏み踏みする」のような「単純動詞重複+スル」が用いられなくなるのは,「踏み踏み」が「語」と認識され,「重複語+スル」の形が拒否されるようになったためと考えられる。
著者
久田 行雄
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.101-86, 2019

<p>現在、日本語の表記で使用される楷書体漢字平仮名交じり文という書記体は、近代以前においては一般的ではなく、活版印刷の導入を機に使用されるようになったと指摘されてきた。しかし、本稿の調査により、一八世紀初期に出版された医書に楷書体漢字平仮名交じり文の使用例が確認されること、この書記体は一八世紀中期には仏書へと広がり、一八世紀後期以降にさらに使用範囲が広がっていくことを明らかにした。楷書体漢字と平仮名が併用されるようになったのは、楷書体漢字との併用を許容する程に平仮名の役割が徐々に変化してきたからであろうと指摘した。このような表記意識の変化が、一八世紀を通して社会に広がっていったことを明らかにした。</p>
著者
韓 静妍
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.4, pp.47-62, 2010-10-01

日本語における非情の受身は、状況描写の場面に用いられる状態性の表現という限られた用法を除いては、西洋語の翻訳文体の影響により近代以降本格的に発達したものと云われているが、近代以降の非情の受身の発達様相についての具体的な検証はまだ行われていないようである。本稿では、近代以降の文学作品における受身用例を年代別に観察することによって、時代による非情の受身の発達様相を明らかにすることを目標とし、状態を表す非情の受身から出来事を表す非情の受身への拡張、抽象名詞を主語とする受身の発達などの様相を年代ごとに示す。また、翻訳文体の影響を検証するために、近代初期の翻訳文献における受身用例を観察し、それらの日本語の受身体系への影響力について確認する。最後に、近代以降非情の受身が発達した日本語内部の動因として、自動詞的対応項という受身の役割について検討する。
著者
蔡 珮菁
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.17-32, 2007-07-01

「長期的な観点」に対する「長期的観点」のように,「連語」と交替可能な「臨時的な複合語」について,その語構成レベルの成立条件を解明すべく,"接尾辞「的」による派生形容動詞(「A的」)と名詞(「B」)との結びつき"に注目して,要素「A」「B」がその語種・品詞性においてどのようなくみあわせのとき,臨時的な複合語「A的B」になりやすいかを検討した。新聞の社説本文3年分における(交替可能な)「A的なB」「A的B」の使用状況を計量的に調査した結果,「A的B」が最も活発に成立するのは,「A」「B」がともに2字漢語の(非用言的な)体言類というくみあわせであること,また,このくみあわせは,4字漢語複合名詞や和語複合名詞の構成において最も優勢なくみあわせに一致・対応することが明らかとなった。このことから,連語と交替可能な臨時的複合語の成立にも,既存の(固定的な)複合語の構成のあり方が影響を与えていること,すなわち,要素のくみあわせが,既存の語構成において安定的・生産的なタイプに一致・対応するものほど,臨時的な複合語として成立しやすいのではないかとの見通しを得た。
著者
新屋 映子
出版者
日本語学会
雑誌
国語学 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
no.159, pp.p88-75, 1989-12
著者
仁科 明
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.12, no.3, pp.17-24, 2016-07-01 (Released:2017-03-03)
著者
仲矢 信介
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, 2000-09-30

1938年の内務省による小活字・ルビ禁止政策は,日本近代史の中へ位置づけてはじめて正確な理解が可能になることを示した。具体的には,(1)内務省政策はもっぱら活字の大きさを問題にしてのルビ禁止であったが,この当時,近視が国防上の不利益であるという認識,予防策の策定は他の官庁にも見られる。(2)そのうち,厚生省は同年設立の新しい官庁であるが,出自をたどると,内務省衛生局を母体とし,内務省とは密接な関連のあった官庁であり,陸軍省の構想と圧力によって設立を見た官庁であって,設立構想は,近視眼の増加を含めた「壮丁体質の悪化」による徴兵検査合格率低下への懸念に発していた。(3)厚生省の指導下に国家的組織として「視力保健連盟」が1938年9月26日に成立し,月刊誌の発行を含む全国規模の活動を展開していた。(4)同連盟と近視予防運動にとって近視は第一義的に,国防上の問題として認識されており,ルビを含む小活字の問題も,近視予防運動の立場から重要であり,近視の原因の一つと認識されていた。これは当時の行政と軍に共通した認識である。(5)内務省要綱はこのような文脈において,厚生省との連絡のもとに成立した。(6)したがって,近視予防運動の一環としての内務省要綱のルビ・小活字項目は,第一次大戦以降意識され,準備されてきた総力戦体制の整備の一環として位置づけられ,この時代の急速な戦時体制化を象徴するできごとの一つであり,軍事的意思が言語政策を併呑したところに成立した施策であった。