著者
根本 真由美
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.106-94, 2007-10-01

本稿は、主に「語を単位」とした語釈が配置されていると考えられる『[和漢/雅俗]いろは辞典』(以下『いろは辞典』)を観察し、明治期語彙研究資料としての『いろは辞典』の有用性を述べることを目的とした。和語・漢語項目共に最も多く観察できた「語釈」のかたちは「見出し項目-漢字列(=漢語)-和語釈義」であった。これは漢語には和語を、和語には漢語を配置しているとみることができ、書名の「和漢」につらなる方針と考えられる。また、漢字列に「漢語」が配置されたということは、明治期においてはそれが最も自然なかたちであったからと考えられる。明治期非辞書体資料に現れる漢字列と振仮名をそれぞれ語と認めたとき、『いろは辞典』の「見出し項目」と「語釈」として「循環」することが見いだせた。これらは「結合」を有していた二語であると考えることができ、明治期の語(や語彙)を考える際に『いろは辞典』が有用であると考えられる。
著者
前川 喜久雄
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.82-95, 2008-01-01
被引用文献数
1

国立国語研究所では、文科省科研費特定領域研究「日本語コーパス」との共同事業として、2006年度から5年計画で、現代日本語を対象とした1億語規模の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(略称BCCWJ)の構築を進めている。本稿の前半では、均衡コーパスとは何かを解説した後、国語研によるコーパス整備計画であるKOTONOHA計画を紹介する。これは、明治から現代にいたる日本語の書き言葉・話し言葉の全体を把握するために、複数のコーパスを順次構築しようという計画である。本稿の後半ではBCCWJに特化した解説をおこなう。BCCWJを構成する3種類のサブコーパスの関係に注目してHCCWJの基本設計を紹介した後、サンプル長と語の単位の問題に触れる。次いでこれまでによく受けた質問に対する回答を列記し、最後に実装作業の進捗状況と著作権処理に係る問題点を指摘した。
著者
小助川 貞次
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.15-30, 2008-01-01

本稿は、唐代写本として夙に著名な有鄰館蔵『春秋経伝集解巻第二』が、第一群点によるヲコト点本位の訓点資料であることを報告し、加点内容と加点方法の検討から加点年代を平安中期以前と推定する。さらに本資料に見られる加点の特徴を訓点資料の展開史の中で位置づけ、漢籍訓点資料には従来から指摘があるような仏書訓点資料との関係とは別に、中国様式を起源とするもうひとつの流れがあったことを推定する。
著者
室井 努
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.64-77, 2006-01

本稿は,古代語における数詞表現のあり方をみるために,その手がかりとして,『今昔物語集』において頻出する人数表現を中心とする数詞表現を,現代語の数量詞研究の成果を踏まえつつ,検討を加えたものである。まず,今昔全体の表現の偏りから,基調とする文体差によって名詞句に対する数量詞の前置・後置に差が見られることを確認する。その上で,それらの間には定・不定などの用法差がうかがえること,それらは現代語ではいわゆる数量詞遊離構文が果たしている機能が数量詞転移表現によってなされるなど,現代語とは異なった様相を見せていることなどを明らかにした。また,新たな展開を見せる表現として和文脈を中心に,いわゆる数量詞遊離構文が(平安仮名文において有力であったわけでもないのにも拘らず),その勢力を拡大しようとしているようすが認められた。
著者
宮内 佐夜香
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.1-16, 2007-10

本稿では、近代語逆接確定条件表現において中心的に用いられる接続助詞ケレド類について、接続助詞ガと比較しながら、江戸語・明治期東京語を対象に調査し、その特徴と変化について論じた。使用率では、江戸語はガが優勢であったが、江戸後期から明治期にかけてケレド類が増加する。形態面では、江戸語において<ケド>は認められず、明治期になってから<ケド>が散見されるようになる。機能面では、江戸語・明治期東京語におけるケレド類は、逆接的意味のない用法ではほとんど用いられないという、ガとの相違が認められたが、江戸語と明治期東京語とを比較すると、明治期に至って、逆接的でないケレド類が江戸後期より増加するという、時代的変化も確認された。以上のように、ケレド類の使用には、使用率・形態・機能の3つの面において、江戸後期から明治期にかけて変化傾向がみられることが分かった。
著者
深津 周太
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.1-15, 2010-04-01

本稿は,従来認知的な概念拡張として説明される指示詞「これ」の感動詞化を,近世初期に生じた通時的な文法変化として捉え直す。変化の過渡期にあったと考えられる中世末期の口語資料や近世初期の狂言台本においては,'動詞命令形を述部とする動詞述語文の目的語'が指示詞「これ」である場合,その述部が「見る」系の動詞であれば助詞「を」を表示せず([これφ+見よ]),その他の動詞であれば助詞「を」を表示する([これを+その他])という相補分布が見られる。「これ」の感動詞化は,このうち,[これφ+見よ]構文において述部の項であった「これ」が述部と切り離され,感動詞へと文法的位置付けが変化する([目的語+命令形述部]→[感動詞+動詞述語文])という'再分析'によって生じた文法変化と見る。本稿の帰結は認知的要因による説明と完全に対立するものではなく,この変化には統語的条件も存在することを実証的に提示するものである。
著者
陳 君慧
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.123-138, 2005-07-01

日本語の後置詞には動詞の中止形を含み,動詞から派生したと想定できるものがある。そのうちのヲモッテ,<原因>のニヨッテは文法化現象の例とされてきたが,それらは訓読語研究で漢文訓読との関連が指摘されてきたものでもある。それらが他言語からの借用なら,動詞からの意味変化として文法化理論から説明するには無理がある。本稿は,文法化研究が扱うヲモッテの多義性が借用かその一般化によるもので,上古の<道具>を表すモチ(テ)こそが動詞モツからの文法化の例であること,ニヨッテの文法化の前提とされてきた動詞の意味が漢文系資料に偏る一方,上古の和文系資料に存在していた動詞ヨル・<根拠>のニヨッテからの文法化が理論的に説明可能なことを検証し,文法化研究で誤った議論がされてきたことを指摘する。漢文訓読との関連が指摘される機能語は少なくないが,日本語における文法化研究では,借用現象を混同しないことが重要なことを主張する。
著者
勝又 隆
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.93-79, 2005-10-01

上代における「-ソ-連体形」文は、「ム」「ラム」「ケム」「マシ」「ベシ」「ラシ」といったいわゆる推量系の助辞を結びの用言にとりにくい。一方、中古の「ゾ」の場合は「ラシ」結び以外は決して少なくない。上代と中古でこのような差異が見られるのは何故なのか。またそのことと構文構造とはどのような関わりがあるのだろうか。本稿では、まず「-ソ-連体形」文が発話の根拠となる情報を現実に存在する事態として認識している際に用いられることを示す。次に構文的特徴の面でも形容詞述語文と共通点を持ち、機能面と構文構造とに密接な関連が見られることを指摘し、最後に「-ソ-連体形」文の変化に形容詞述語文も影響を与えた可能性があることを指摘する。
著者
川瀬 卓
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.32-47, 2011-04-01

現代語の「なにも」には、数量詞相当のものと叙法副詞のものがある。本稿は、叙法副詞「なにも」の成立に重点を置いて「なにも」の歴史的変化について考察し、次のことを述べた。1)「なにも」は、まず否定との結びつきを強めながら数量詞用法が成立した。近世後期には否定との結びつきが強い制約となる。また、近世の「なにも」は「なし(ない)」を述語とした非存在文で用いられることが多い点が特徴的である。2)「なにも」が現れる非存在文のうち、事態の非存在を表すものは、不必要の意味合いを帯びる場合がある。叙法副詞「なにも」は、そのような例をきっかけとして近世後期に成立した。そして、事態への否定的判断を表すさまざまな形式と共起するようになる。
著者
衣畑 智秀
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.1-17, 2016 (Released:2017-01-24)
参考文献数
24

本稿では係り結びと不定構文の相補性について論じる。日本語の歴史においては、カによる係り結びが衰退した後に、カによる間接疑問・選言・不定などの不定構文が現れたが、このような係り結びと不定構文の相補性が、現在も係り結びが残る南琉球宮古語においても見られるか調査を行った。その結果、疑問の助詞gaによる係り結びが使われる中南部諸方言ではgaによって不定構文が形成できず、疑問のgaによる係り結びが衰退した北部の諸方言ではgaによる間接疑問や選言が見られた。このような係り結びと不定構文の相補的な分布は、係り結びの主文生起性によって説明できる。つまり、主文に生起するという係り結びの性質が、不定構文における名詞句内や従属節内でのその助詞の使用に影響しているのである。
著者
櫻井 豪人
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.3, pp.17-32, 2011-07-01

2007年に発見された『英和対訳袖珍辞書』初版(文久二,1862年刊)の草稿について、同辞書の底本であるPicard英蘭辞典の初版および第2版と『和蘭字彙』とで対照させてみると、それらだけでは導き出せない訳語が浮かび上がってくる。それらの訳語について、同時代に参照可能であった他の英蘭辞典(Holtrop・Hooiberg・Bomhoff)や蘭蘭辞典(Weiland)と『和蘭字彙』とで対照させたところ、実際にそれらの蘭書によって導き出されたと見られる訳語があることを初めて実証した。また、草稿は各葉ごとに編集方法の違いが見受けられることも同時に指摘した。
著者
梁井 久江
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.15-30, 2009-01-01

動詞テ形+シマウに由来する「テシマウ相当形式」(〜テシマウ、〜チマウ、〜チャウ等)は、現代共通語において、広義の「完了」というアスペクト的な意味を表すと同時に、話者の感情・評価的な意味を表す。本稿では、前者の意味機能から後者の意味機能へ拡張してきたことを明らかにした。その主な結果は次の3点である。(1)辞書の記述によれば、本動詞としての「シマウ」の初出は鎌倉期と推定され、江戸期には<終了><収納>等を意味していた。(2)当該形式は、典型的な運動動詞(限界動詞/非限界動詞)に後接し、事態の終了限界の達成を表していたが、内的情態動詞、静態動詞の順に使用領域を拡大しながら意味的に抽象化し、事態の限界達成を表す標識へと変化した。(3)マイナスの感情・評価的意味は、話者が動作主と一致しない場合に依存する形で生じていたが、テシマウ相当形式の語彙的意味に焼き付けられて、それ以外の場合にも生じるようになっていった。こうした方向での拡張は、文法化の過程でよく見られる主観化(subjectification)の方向に沿うものであると考えられる。
著者
高山 善行
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.1-15, 2005-10-01

助動詞「む」は連体用法で≪仮定≫≪婉曲≫を表すと言われているが,実際にはよくわかっていない点が多い。本稿では,このテーマをモダリティ論の視点から捉え直し,新しい分析方法を提案する。まず,Aタイプ(「〜φ人」),Bタイプ(「〜む人」)という名詞句の対立を設定し,それらの用例を平安中期文学作品から抽出する。そして,述語の性質,時間・場所表現との共起,「人」の数量の観点から,両名詞句の性質を比較してみた。その結果,Aタイプには制約が見られないが,Bタイプにはいくつかの点で制約が認められた。Bタイプでは「人」が非現実世界(想像の世界)に位置づけられているのである。この事実をもとに,本稿では,連体用法「む」は非現実性を標示する機能(「非現実標示」)をもち,名詞句の標識として働いていると結論づける。
著者
野田 高広
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.1-15, 2010-01

アスペクト形式Vテイル・テアルの通時相については坪井(1976)以来相当な研究の蓄積があり多くの新しい知見が得られてきているが、特に中世以前には有生性(animacy)などの基準では説明ができない例(「偏に後世を思て念仏を唱へ<て有>___-けるに」(今昔物語集))が多く存在し問題になる。そこで本稿では『今昔物語集』を考察対象として、そこでは時空間的な個別性(specificity)と主格に立つ物の意図性が形式選択に深く関与しており、両者を共に満たす場合にテイルが選択される傾向が強いことを主張する。導入に続く2節では本稿のアスペクトの意味分類基準を示し、3節では資料の概要と方法について述べた。4節が実例の検討で、4.1と4.2では意図性に焦点を当てて論じ、4.3では傍証としてのヴォイス関連の現象を取り上げた。4.4では形式選択の時空間的個別性との相関について論じ、5節で結論を示した。
著者
大西 拓一郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.69-81, 2008-01-01

方言に関する主要な資料として,記述文献,辞典,分布図,談話資料,音声資料,フィールドワーク等を対象にそれぞれの性質を概観する。方言自体が古典化しようとしている現在において,その資料化手続きや資料性を問い直すことは,方言学という学問の基盤を検証する上で重要な過程にほかならない。そのことを通して浮き彫りになるのは,方言という言語情報に特有の非記録性という性格であり,同時に考えるべきことは情報元の限定性の問題である。方言学の研究資料を検討することで,方言学の抱える問題点が見えると同時に,進むべき方向も見えてくる。そのような検討とともに実行される資料の作成は,常に方言学に課せられた責務でもある。
著者
岡崎 和夫
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.96-111, 2008-01-01

確かな新資料の出現は、従来の研究にあらたな成果を導くものとして期待されるが、案に相違するばあいも少なからず認められる。小稿は、平安時代後期成立の仮名散文作品を中心に扱って、本文にかかわる先蹤の成果の質を問い、研究の課題をさぐることを主眼とし、次下の二点を指摘することを通して、資料研究の現在に、語学的側面から、また文学的側面にも及んで新たな視点を呈示する。はじめに、「暦日の吉凶」の意を持つ平安時代語と解されてきた諸語のうちその確かさが認定されるのは「ひついで」以外にないと考えられることを諸資料本文の追尋によって日本語学的見地から実証し、現在に至る資料研究のありよう、またその応用の現況にも修正を求める。これにあわせて『日本国語大辞典』『広辞苑』ほかの諸辞書の記述のありようの不確かさにも言及して修訂を求める。次に、これまで永く「たそに(誰そに)……」などと解されてきた『四条宮下野集』の当該本文を例にして、冷泉家本の仮名字体の検討から「たうに(答に)……」と論定すべきことをあきらかにし、本文の文脈と主意の理解、またそれに連動する文学的理解にも言及して従来の知見に修正を求める。
著者
八亀 裕美 佐藤 里美 工藤 真由美
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.51-64, 2005-01

東北諸方言のアスペクト・テンスについては,少しずつ体系的な記述が進んできている。しかし,東北諸方言の精密な記述のためには,(1)アスペクト・テンス・ムード体系というムード面もとらえた枠組み,(2)動詞述語だけではなく,形容詞述語・名詞述語まで包括的にとらえる視点,の2点が不可欠であるように思われる。本稿は,宮城県登米郡中田町の方言(以下,中田方言と呼ぶ)について,この2点をふまえた記述を行った。その結果,この方言には次のような特徴があることがわかった。(1)東北諸方言に広く見られるいわゆる「過去の〜ケ」を持たない,(2)すべての述語にパラダイム上一貫して2つの過去形が見られる,(3)その各形式に意味・機能上の一貫性が認められる。特に注目されるのは,「体験的過去」と呼ぶことができる過去形がすべての述語に見られることである。また,中田方言の具体的記述を通して,方言研究における述語の文法的カテゴリーの総合的記述の方法論を提示した。
著者
山口 響史
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.1-17, 2015-10-01

本稿は,近世のモラウ・テモラウを観察し,(1)迷惑を表す用法と(2)(サ)セテモラウの成立プロセスを明らかにする。形式上(1)には,<マイを後接する単文の例>と<複文の条件節での使用例>の二つが存し,前者は近世前期から見られるが,後者は近世後期からしか見られない。後者の形式面での成立は,テモラウ全体の条件節での使用増加の流れに沿うものである。さらに,(1)の成立は,テモラウ成立当初の「主語が事前に働きかける」用法から「主語の事前の働きかけのない」用法まで表すようになったことの中で説明可能であり,本動詞モラウの「乞う」意味の希薄化の帰結と捉えられる。(2)の成立は,「与え手の動作における他動性」が減じていく前接動詞の取り得る範囲の拡がりの一現象面であり,本動詞モラウにおける対象物の抽象化の帰結と捉えられる。本稿で観察されたテモラウの変化は,使役的な性質から受身的な性質へという方向性を持つものであると指摘する。
著者
崔 建植
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.121-107, 2006-01-01

籍帳における同一家族間の人名には、年長者と年少者との間において、「大-小」「兄-弟」などによる長幼の序列に対応した対比的命名の存することが認められる。本稿は、籍帳でみられるこのような命名法が、資料的性格を異にする記・書紀の人名における命名にはどのような様相で現れるのかを調査し、命名のあり方について検討したものである。記・書紀の命名には籍帳ではほとんどみられない「中」が散見されるが、「中」には序数詞的な序列性があり、同じく序列性をもつ「弟」と呼応している。これに対して、美称性を有する「若」の場合は、「大-(小-)若」という対応において、美称性から序列性へと変容していることが認められる。人名(固有名詞)においては、その名に長幼の序列を含む続柄が存在し、そういった人名特有の環境下にあっては、美称性の形態素が、意義的に対応する形態素と共に序列性として用いられることがあると言える。
著者
坂井 美日
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.3, pp.32-50, 2015-07-01

本稿では項の位置を対象に,上方語におけるゼロ準体からノ準体への変化を次のように明らかにする。a. 連体形節+「の」は中世末から散見するが,約200年間,「の」の付加率は上昇しない。その間,形状タイプと事柄タイプの様相に有意差はない。b. 形状タイプは,明和-安永期から寛政-文化期の間に,ゼロ準体からノ準体への移行を進展させ,事柄タイプはそれに続いて,文政-天保期から大正期にかけて移行を進展させた。これらの結果から,当初「の」がモノ・ヒト代名詞であったとする説は取り難く,「の」は当初から特定の指示対象を持たない文法要素であったと考えられ,属格句+「の」における「の」を起源とすると考えるべきである。更に,項位置におけるゼロ準体から準体助詞準体への変化の直接要因は,連体形と終止形の同形化であるとは考え難く,他方言の様相も視野に入れると,形状タイプの構造変化を契機とするという仮説が立てられる。