著者
橋本 行洋
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.33-48, 2007-10-01 (Released:2017-07-28)

<夕食>を意味する「よるごはん」は、現在若年層を中心に使用される新語と見なされているが、その成立は少なくとも第二次大戦前後にまで遡ると見られる。当初は児童が用いる稚拙な印象の語であったため、文字資料に残されることが少なかったが、近年では夕食時間帯の遅延や朝食の欠食という食環境の変化に伴い、これが妥当な表現という意識が生じて使用が拡大し、新聞記事や国会発言および小学校教材等でも使用されるという、《気づかない新語》としての性格をも有するに至っている。「よるごはん」の成立要因としては、<夕食>時間帯表現における「よる」の使用があげられるが、さらにその遠因に、二食時代の「あさ」-「ゆう」の対応に「ひる」が加わった結果、「ひる」-「よる」という対応意識の生じたことが存すると考えられる。「よるごはん」の出現は、食事時間帯語彙に「よる」が加わった点で新しいものであるが、旧くは存在しなかった「よる」を前項要素とする複合語という点においても特筆すべき存在で、語彙史・語構成史の両面から注目すべき語と言える。
著者
石崎 博志
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.15-29, 2011-10

本稿は『琉球入學見聞録』「土音」を分析し、ここに表れた琉球語のカ行ア段音とハ行ア段音の音価、カ行イ段音の口蓋化について考察した。その結果、琉球語の発音を示す音訳漢字の使用傾向から、語によってはカ行ア段音が喉音であったこと、ハ行ア段音は一部の語彙を除いて/p-/音を失い、[hua]或いは[Φa]音であり、一部のカとハは[ha]と[hua]([Φa])という違いで音韻的区別が保たれていると結論づけた。またカ行イ段音は、音韻的にはタ行イ段音と未合流だったものの、ガ行イ段音はカ行イ段よりも先んじて口蓋化が発生していた可能性を指摘した。また、音訳漢字の使用状況の混乱などから、琉球語を記した音訳漢字の基礎方言に琉球からの留学生が学んだと思しき南京官話が反映している可能性を論じた。
著者
荻野 千砂子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.39-54, 2011-10-01

本稿では,南琉球八重山地方の授受動詞体系が現代共通語の授受動詞体系と異なる文法を持ち,日本の中古中世の敬語授受動詞の仕組みと酷似する特徴を持つことを指摘する。八重山地方の授受動詞タボールンは概略「下さる」に相当するが,時に話者は「頂く」や「与える」と説明する。そこでタボールンを詳しく調査した結果,「お与えになる/下さる/頂く」の意味が併存し,「下さる]よりも,室町時代の中世語「給はる」の用法に酷似することが明らかとなった。中古中世の授受動詞と八重山地方の授受動詞は,現代共通語授受動詞が持つ視点と人称制約がなく,敬意優先の体系を持つ点で共通する。この共通点の下では,(1)与え手上位者は奪格を取り,主格非明示の用法を持つため,「お与えになる/下さる/頂く」の対立が生じない,(2)受け手下位者を主語とする場合,受身形を用いて「頂く」に相当する語を産出する,という特徴が見られる。
著者
菊地 恵太
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.101-117, 2018-04-01 (Released:2018-10-01)
参考文献数
10

本稿では「棗」「攝」等の略字体「枣」「摂」に見られる畳用符号(同一構成要素を繰返す符号)「〻」及びそれを横に並べた「〓」に着目し、その使用状況の変遷を明らかにする。日本では当初、畳用符号による省画は中国由来の「〓・〓」(䜛・〓)に限られていたが、同一構成要素3つ乃至4つの字体を「〓」符号で省略する手法が室町中期頃より見え始め、室町後期以降同様の省略法を用いる字種が広く見られるようになる。さらに同一構成要素2つの字種の場合でも、「〻」を用いて省画する手法が「䜛」「〓」以外の「棗」「皺」等といった字種にも見られるようになった。こうした一連の過程から、略字体の生成過程・使用の変遷において「分析的傾向」と呼べる側面が存在することを示した。
著者
水谷 美保
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.4, pp.32-46, 2005-10-01

<行く><来る><いる>の尊敬語形式について,東京都,神奈川県,千葉県,埼玉県に生育し居住する20歳以上の146人を対象にしたアンケート調査と,東京出身作家76人(76冊)の小説を用いた調査を行い,「イラッシャル」は,表すとされてきた<行く><来る><いる>それぞれの意味で用いられるのではなく,<来る><いる>としては使用され続けているが,<行く>には用いられなくなりつつあることを明らかにした。この変化の主な要因としては,「イラッシャル」は敬意によって動作主の移動の方向を中和するよりも,話し手が自身の関わる移動を,優先して表すようになったことにあるとした。そのために,「イラッシャル」が表す移動は,話し手(の視点)の位置が動作主の到達点となる<来る>になり,移動を表すことを同じくしながら,話し手の関わりが大きくない<行く>は,「イラッシャル」の意味領域から排除されることになった。
著者
清地 ゆき子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.46-61, 2010-04

本稿は,日中語彙交流の視点から日本で訳語として成立した恋愛用語が,1920年代に中国語に借用されたことを明らかにすることを目的として,日中異形同義語「三角関係」と"三角恋愛"の成立及び定着過程を考察したものである。結論は次の4点てある。(1)「三角関係」は,1910年代後半に森鴎外や島村民蔵により訳語として成立した可能性が高い。(2)"三角関係"は1920年代初め,日本語借用語彙として中国人留学生らの創作作品などを介して中国語にもたらされた。(3)中国語では"三角関係"ではなく,1920年代前半に日本でも一時期使用された"三角恋愛"が定着した。(4)中国語において"三角恋愛"が定着した背景には,1920年代前半に,《婦女雑誌》を中心として,恋愛が頻繁に議論された社会状況があった。
著者
村山 実和子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.8, no.4, pp.16-30, 2012-10-01

近世の資料を中心に,「あつくろしい」「かたくろしい」「むさくろしい」などのように,形容詞を派生する「クロシイ」という接尾辞が見られる。まず,その意味・用法について観察すると,主にク活用形容詞に付き,不快感や非難など言語主体から対象へのマイナス評価を表すことが分かった。次に,その形式については,現代語では「あつくるしい」のように「〜クルシイ」という形が見られることから,従来は「〜クルシイ」が「〜クロシイ」へ形を変えたものとされてきた。しかし,中世の資料や現代方言に「〜クラウシイ」という形が見られること,「〜クロシイ」も「〜クルシイ」も連濁しないことなどを考え合わせると,「〜クロシイ」→「〜クルシイ」という変化であったと考えられる。「見苦しい」「息苦しい」のような,音形・意味ともによく似た「〜グルシイ」という形が存したために,このような語形変化が生じたものと考えられる。
著者
柳田 征司
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.186-174, 2008-01-01

抄物研究の現在は、戦前に研究をはじめた第一世代の研究者が世を去り、戦後から六〇年代までに抄物論文を発表しはじめた第二世代が研究成果をまとめ、他方七〇年以後抄物論文を発表しはじめた第三世代が研究を推し進めている、そういう時期として捉えられる。抄物の発掘・整備について言えば、日本語史上の通説を覆すような資料を含む厖大な量の資料が伝存しており、これを推進しなくてはならない。抄物による言語の研究は、価値の高い資料によって日本語の歴史の根幹に関わる問題を解明し、更にはその全体を説明することを目指さなくてはならない。抄物はそのための思索をするにふさわしい沃野である。しかし、他方で資料や用例の報告なども軽視してはならない。
著者
新屋 映子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.33-46, 2006-10-01

「彼はかなり熱心だった。」という形容詞文に似た表現として「彼はかなりの熱心さだった。」という名詞文がある。本稿は後者のように形容詞の語幹に接尾辞「さ」が後接した派生名詞を述語とする文の性質を、形容詞文と比較しつつ考察した。「〜さ」は抽象的な程度概念であるため単独では述定機能を持たず、性状規定文の述語であるためには連体部を必須とする。述語としての「〜さ」には性状の程度を中立的に述定するものと、評価的に述定するものがある。評価的に述定する機能は「〜さ」と形容詞が共通に持つ機能であるが、「〜さ」による述定には何らかの文脈的な前提が必要であり、形容詞文の評価性が形容詞によって表わされる性状の「存在」自体に向けられているのに対し、「〜さ」を述語とする文の評価性は連体部に示される性状の「あり様」に向けられているという違いがある。連体部と「〜さ」との意味関係は多様で、連体部は「〜さ」を述語とする文に豊かな表現力を与えている。
著者
朱 京偉
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.50-67, 2015-04-01

現代日本語では,漢語の造語力が低下し,外来語の増加に及ばないなどとよく指摘される。しかし,これは,二字漢語に限って言えることであり,既成漢語の複合によって造られる三字漢語と四字漢語は,むしろいまでもその造語力が生かされているように思われる。三字漢語と四字漢語は日常的によく使われているものの,その中の一部しか辞典類に登録されないためもあって,二字漢語に比べ,研究者の間で注目されることが少ない。このような現状に鑑み,小論では,四字漢語の語構成パターンに焦点を当て,蘭学期・明治期・現代という3期の資料を通して,通時的にどのような変化が見られるかを探ってみた。
著者
琴 鍾愛
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.1-18, 2005-04-01

筆者は談話展開の方法の地域差は,話者が情報内容を効果的に伝えるために相手に送る談話標識に反映されていると考え,談話標識の出現傾向から談話展開の地域差について研究を進めてきた。本稿では,この立場から東京方言,大阪方言の高年層話者における説明的談話を量的に分析し,さらに,仙台方言と比較することで,三つの方言の違いを明らかにする。分析の結果,仙台方言は自分が発話権を持つことをアピールし,相手との情報共有を積極的に働きかけていく方言であることがわかった。一方,大阪方言はそうした相手に対する働きかけは消極的であり,話の進行を単純にマークしつつ,自分で納得することに主眼を置く方言であると考えられた。東京方言は総合的に見て,両者の中間に位置するが,仙台方言により近い面をもっていると判断することができた。
著者
作田 将三郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.1-16, 2007

本稿では,宮城県を例に,主として近世後期の庶民層が作成した庶民記録である飢饉資料,農事日記,年代記の計44種を対象に,資料の性格や方言的特徴などの資料論的考察を行なった。その結果,以下のことを明らかにした。(1)まず,資料の性格であるが,庶民記録として取り上げた3つの資料は,作成者の階層,作成時期,内容面といった資料的特徴から強い共通性を有しており,近世後期庶民層が記した同一の資料体として扱うことができる。(2)つぎに,音声の方言的特徴として,表記上の特徴,および現代方言との比較から,「イとエは語中・尾では統合しているが,語頭では統合していない」,「連母音のアイ・アエは融合している」などといった近世後期における宮城県方言の発音を推定した。すなわち,本稿で扱った庶民記録には,当時の方言的特徴が反映されており,近世後期の方言を知るための地方語文献として有効であることを指摘した。
著者
川瀬 卓
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.16-32, 2015-04-01

本稿はどのようにして「どうぞ」が聞き手に行為を勧めることを表す副詞となったのか,なぜそのような変化が起きたのかについて,類義語の「どうか」との関係も含めて考察した。「どうぞ」は,近世から近代にかけて行為指示表現と関わる副詞に変化し,話し手利益の行為指示を表すようになる。近代以降新しく「どうか」が話し手利益の行為指示を表すようになったことで,「どうぞ」は聞き手利益の行為指示に偏っていく。ただし,あいさつや手紙など,限られた場面や文体においては,話し手利益の行為指示でも用いられる。以上の歴史的変化は,配慮表現において前置き表現が発達することや,行為指示表現の運用において受益者の区別が重要になることを背景として生じたものである。本稿の考察によって,配慮表現の歴史,行為指示表現の歴史を明らかにするうえで副詞に注目した考察も有効であることが示された。
著者
杉藤 美代子
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.98-99, 2002-04-01

誌上フォーラム:「国語学」と「日本語学」において,すでに多くの方が論じられてきたように,改名についてはたしかに問題を多々抱えている。かつて亀井氏が提案された頃とはちがい,現に「日本語教育」学会があり,月刊誌『日本語学』もある。しかし,各大学で講座名を「日本語学」に変更する例もあり,学会誌の体裁からしても,名称変更についてはもう後へは退けない状況にあるといえよう。むしろ,中身を検討すべきであろう。積極的に日本語の学を統合する学会への進展を志向すべき時期と思われる。「日本語学会」,学会誌の名称は『日本語学会誌』あるいは『日本語学研究』であろうか。ここで,とくに重要な点は,改名を機に,これを前進のときとみるか,伝統を失い後退であると考えるかである。自信と実力をもって,日本語に関する研究(手法の新旧を問わず)を深め,内容の充実と統合を図る。この際,それが必要と思われる。先学の優れた研究の灯を消してはなるまい。また,現在「国語学会」所属の方には,何らかの形で国語教育に関連のある方が多いと思われる。そこへの影響や問題点をも考慮に入れる必要があろう。日本語は,日本の文学,思想,哲学,宗教,社会,学術全般,情報,教育,すべての基になる言語であり,その日本語の研究と教育の活性化が現在においては急務である。いうまでもないが,多読によらねば日本語を読み取る実力は育たず,語彙も豊かになりにくい。大学の講義,高校の授業では,細部の理解とともに多くを読み,書き,文字,音声をもって表現する能力の育成が重要である。実は,古典の数々も,とくに困難の多い現代を生きる人生の書として,ディベートの種にもなるはずである。コンピュータで打ち込んだデータを処理することで卒論を書く,そういう時代だからこそ教育においては部分と全体とを把握する能力と意欲がほしい。学生,生徒の頭脳と精神を活性化するような迫力がほしい。研究は地味なものだが,教育の原動力として働くものでありたい。一方,外国人を対象とする日本語教育の分野では,外国語を専門とする学部出身の教員が多く,外国人をふくめて,従来とやや異なる視点から日本語を検討する。伝統的観点からすれば,あるいは物足りず,または外国の理論だけをよしとする傾向には問題もあろう。が,従来の,日本語を母語とする話者の視点とは異なる視野の広がり,また,文法研究の進展も見られ新しい「日本語学会」ではこの傾向も受け入れる機会になろう。その他に,現在,教育の場で困難な問題とされている「音声言語」がある。コミュニケーションの問題は重要であるが,日本語の音声については一般に理解が足りない。しかし,1989年,筆者は文部省の重点領域研究「日本語音声」(正式には「日本語音声における韻律的特徴の実態とその教育に関する総合的研究」)を申請し採択された。終了時には参加の研究者数は281名であった。国語学,言語学,方言学等の研究者が主体であったが,情報工学,電子工学,音声言語医学などいわゆる理系の研究者,また,教育関係,放送関係者も糾合して,日本語音声の韻律的特徴,つまりアクセント,イントネーション,リズム,ポーズ等の総合的研究を目指した。そこでは国語教育との統合の難しさを実感した。が,現在,そこで収集された音声データベースを利用して教材用CD ROMを数名の共同により作成中である。大学の国語学,日本語学の教育に使われる予定であり,これは画期的なことと思われる。そこで,次には,上記の「日本語音声」をなぜ考えたか,その発想について。また,新しいCD ROM教材について少しのべよう。周知のことだが,日本語アクセントは,歴史的,地域的対応関係が明らかにされている。これは,前世紀最大の国語学的,言語学的知見と考えられるものである。まず,井上・奥本(1916)による古文献に付記された声点の発見があった。そして,かの,金田一春彦(1937,1974)による類聚名義抄の声点の分類と方言アクセントとの関係の明示,服部四郎(1931 33)の方言アクセントの対応関係,平山輝男(1957等)の実地踏査による方言アクセントの収集,これらが基礎となって現在も研究は継承され,全国の方言アクセントのほぼ全貌が明らかにされている。この日本語研究は誇りに思ってよい。ところが,各地の貴重な方言アクセントが近年急激に変化している。このままでは,先学の貴重な研究成果も真偽さえ疑われる時代がくるかもしれない。従来,日本語アクセントは一般に各自が聴取により記号化して論じられてきた。が,各地域の生粋の方言話者が健在のうちに,全国共通の内容について,日本全国のアクセント,イントネーション等の発話者声を録音し,音声データベース化する必要があると考えた。全国100地点の高年齢者の音声収集がこれである。また,変化過程を捕らえるために,各都市の年齢別音声の収集も計画した。当時,デジタル録音機が開発されたと知って,研究の申請を決意した。間に合った,というのが実感である。これが推進できたのは,参加された方々の熱意と協力によるものであった。教育材料としても,記号化された資料を提示されるのと,音声を聞いて自ら比較し,考えるのとでは価値が異なる。今回作成の教材CD ROMでは,まず,音声の生成とアクセントの特徴,知覚を実感し,一方,各地域の方言話者によるアクセントを聞いて分類し,さらに,古文献の声点により先人の業績を実感するとともに,高年齢から小学生までの現実に生じているアクセントの変化を確かめる。いわば,日本語の音声のうち,まずアクセントを総合的に体験し考える,一つの試みである。今後の「日本語学」に何か示唆することがあれば幸いと考えて,敢えてここに紹介させていただいた。学会の再出発に声援を送り,この学会の前途に期待をもちたい。
著者
堀川 宗一郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.34-18, 2015-10-01 (Released:2017-07-28)

これまで、芸術的要素を含む写本資料においては、多くの表記研究が為されてきた。その一方で、消息・文書といった実用的な資料を対象とした表記研究は、あまり蓄積されてこなかったように思われる。そこで、鎌倉遺文所収の仮名文書を採り上げ、「とん」の表記に着目し、実用的な書記実態の一端を明らかにする。鎌倉遺文における「ん」は、撥音・促音の表記の他、モの異体字としても使用される。「ん」がモの異体字として使用されるのは、「とん」という文字連続に限定され、必ず連綿で表記されることで、「ん」がモの異体字だと判読できる。また、連綿で表記された「とん」という文字連続は、必ずしも語や文節など意味とは対応しない。これを「固定的連綿」と呼ぶ。「固定的連綿」は「とん」以外の文字連続にも認められ、書記者の居住地域や性別・身分に左右されない、鎌倉時代における書記法の一つと捉えられる。
著者
櫛引 祐希子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.31-46, 2009-04-01 (Released:2017-07-28)

エズイは中世の中央語として<対象を厭わしく感じる程度の恐怖感>を表していたが、各地に伝播して意味変化を起こした。関東に伝播したエズイは意味変化を重ね、関東で新しく生まれた意味が東北に伝播して二次的な意味変化を起こした。一方、西日本の各地域に伝播したエズイは個々の地域で独自の意味変化を起こした。このように中央語のエズイは関東を挟んだ東西の地域に伝播した結果、東では関東と東北で段階的な意味変化を遂げ、西では各地域で個別的な意味変化を遂げた。エズイが起こした意味変化の東西差は、東日本では関東が東北に対して求心力を持っていたこと、西日本では中央を除くと関東のような求心力を持った地域がなく複数の地域が拮抗状態にあったことを示唆する。
著者
山口 幸洋 名倉 仁美
出版者
日本語学会
雑誌
國語學 (ISSN:04913337)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.100-101, 2001-09-29

香川県伊吹島方言は昭和41年の和田実の報告以来,1200年前のアクセント(以下アと略)を保つものとして学界の定評を成している。山口は当時その検証調査によって,その事実を追認したものとして責任がある。山口,名倉は,平成12,13年の調査で,その疑問が明らかなものとして,その反省を述べる。疑問点は,方言ア研究上異例の,言語外事実とのギャップにある。すなわち,燧灘海中の伊吹島は人口定住400年の地で,そこに1200年前のアを認めるのは不自然である。400年前無人島だったことに論議の余地はない。島の生活は少雨地帯で知られる瀬戸内海にあっても,とりわけ,全島岩盤で川も湧き水もなく,飲料水は,地中の岩盤に穿鑿した貯水槽の天水に依存して来た。このとき言語学が,人間の存続に関わる水や人口の問題を,言語外事実ゆえ取り上げるべきでないと済ませて超然とすることは,大仰に言って言語学そのものに関わる問題である。本発表では,伊吹島のアを,純粋に言語的(言語地理学,社会言語学)に次のように考察する。(1)そもそも,伊吹島アに見られる「二拍名詞類別体系(五つの区別)」は,平安時代「類聚名義抄」と同一のものであるにしても,音調そのものが同質のものかどうかに疑問がある。(2)徳川宗賢によって系統樹的方言変化シミュレーション「系譜論」で「類聚名義抄五つの区別」が頂点に据えられ,類別は,「統合することはあっても分裂することはない」というテーゼによって,諸方言の類別体系が考古学の地層のような年代測定に利用されることの是非。(3)伊吹島二拍名詞3類における「下降調」を,「日本祖語」の音調と比定することの是非。それらすべてに疑問を提出し,代わって伊吹島アが香川県の讃岐式ア,愛媛・阪神の京阪式ア,岡山・愛媛の東京式アすべての接点にあるという言語地理的背景ゆえの交流接触,それに加えて,伊吹島の江戸時代以降の阪神方面との関係(組織的な西宮灘の宮水運搬,泉佐野市方面への出漁),大正昭和の漁業振興に伴う異常な人口増大(転入)とともに当アが混淆成立したとする社会言語学的解釈を述べた。