著者
井上 和仁 小林 正美
出版者
神奈川大学
雑誌
年報 (ISSN:13420917)
巻号頁・発行日
vol.98, 1999-03

河川や土壌等の重金属による汚染が深刻な環境問題をひき起こしている。一度、汚染された環境中より重金属などの汚染物質を除去するには膨大なコストと時間がかかる。一方、自然界にはこれらの汚染物質を、自らの体内に取り込み集積する微生物が存在する。これらの微生物が持つ重金属集積能を解明し、応用することで、新たな重金属除去法を開発することが期待される。酸性鉱山廃水から単離された好気性光合成細菌Acidiphilium rubrumはpH3.5-4.0という酸性環境下で生育し、亜鉛を含むバクテリオクロロフィルaを産生する。これまで、光合成生物が生産するクロロフィル類は全て、ポルフィリンにマグネシウムを結合したものであったが、A. rubrumにおける亜鉛バクテリオクロロフィルの合成はこの常識を覆すものである。本研究はA. rubrumにおいて合成される亜鉛バクテリオクロロフィルの化学的性質を調べ以下のような結果を得た。亜鉛バクテリオクロロフィルの基本骨格は通常のバクテリオクロロフィルaとまったく同じだが、中心金属のみ異なり、亜鉛バクテリオクロロフィルのフェオフィチン化速度は通常のバクテリオクロロフィルaに比べて遥かに遅いことが明らかになった。今後は、亜鉛バクテリオクロロフィルの生合成過程を明らかにし、亜鉛の集積能に関する基礎的知見を得る予定である。
著者
金 健人
出版者
神奈川大学
雑誌
人文研究 : 神奈川大学人文学会誌 (ISSN:02877074)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.1_a-15_a, 2000

中国の稲作文化は,いつ,どのルートを通じて日本に伝わったのか,この問題についてさまざまな説がある。この問題を解明するために,まず(1)稲作文化の日本への伝播は必ず朝鮮半島を経由しなければならないか,(2)もし朝鮮半島を経由するならはたして水路によるものか,それとも陸路によるものか,という2つの問題を明らかにしなければならない。本論文は,1997年浙江大学(前杭州大学)韓国研究所と韓国探険協会,東国大学の共同チームによって実現した「中韓いかた漂流学術探険活動」の成果を通して,中国稲作文化が朝鮮半島や日本への伝播経路と時代について考察した。
著者
金沢 謙一 近藤 康生 神谷 隆宏
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

中生代日本産ウニ類はすべて日本固有種からなり、大部分の属がテチス地中海地域と共通で北米との直接関係は疑わしい。白亜紀末へ向けてインド-マダガスカル地域との関連が強くなり、また日本固有の属が出現する。新生代になると始新世-漸新世イベントを経て北西太平洋温帯域に適応した属レベルで他に類を見ないウニ類フォーナが出現した。この独特のフォーナの成立には熱帯域における巻貝による捕食が深く関わっていると考えられる。中新世の温暖化と日本海の出現によってこのフォーナは縮小して一部が日本海に残存し、太平洋側には現世へと続く新たなフォーナが成立した。更新世の気候変動により日本海のフォーナは崩壊し、太平洋側のフォーナに置き換わった。
著者
前田
出版者
神奈川大学
雑誌
神奈川大学言語研究 (ISSN:09153136)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.139-162, 2002

多くの日本に居住している外国人達がよく感じることは彼らが日本人からたびたびファースト・ネームで呼ばれることである。これは日本人同士がファースト・ネームで呼び合うケースと比べると比較にならないほど頻繁に行われている。日本人は外国人に対して自分たちをファミリー・ネーム+タイトル(-さん,Mr.またはMs.等)で呼ばれるように期待しているにもかかわらず、彼らは外国人に対してファースト・ネームで呼び返すことが多い。外国人にとってこれは次の二つの原理原則を破ることになる。一つ目は呼称の相関性、二つ目は民族にかかわらず同等の扱いがなされていないと言うことである。しかし多くの日本人にとって外国人はどんな場合でもファースト・ネームで呼ばれることを好んでいると信じ込まれている。筆者は各全国ネットのテレビ局で放送している番組を通じてこれらの現況を調べてみることにした。十八ヶ月かけて二百例を観察した結果、下記の二つの主な事例が判明した。外国人は自分たちの国の中で呼ばれるよりも多くファースト・ネームで呼ばれている。外国人女性のほうが外国人男性よりも頻繁にファースト・ネームで呼ばれている。
著者
湯田 豊
出版者
神奈川大学
雑誌
人文学研究所報 (ISSN:02877082)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.53-75, 2001-03

Out of the vedic hymns and the Upanishads have arisen many schools of Indian Philosophy such as the six systems and the materialism besides the Buddhist and Jaina doctrines. Vai s e s ika, Nyaya, Samkhya, Yoga, Mimamsa and Vedanta are called six systems of Philosophy (Roppa Tetsugaku). There are a variety of Vedanta schools. Above all, Advaita vedanta, represented by that famous Sankara expresses the genius of Hindu Philosophical thought. Advaita means "not-two" or the absence of duality, and vedanta means the end or the highest point of knowledge, referring to the Upanisads. The root of Advaita vedanta is to be sought into the earliest philosophical fragments from the Gaudapadiya-karika. Without some knowledge of Gaudapadiya-karika, we are unable to understand the Advaita Philosophy of Sankara and his followers. To my regret, these fragments have been overlooked by many scholars for a long time. I took my first step toward understanding these fragments by means of my own translation. None the less, there are not a few translations of Gaudapadiya-karika. Well known are, for example, Paul Deussen's German translation (1897), Vidhushekhara Bhattacharya's (1943) and T.M.P. Mahadeva's English translations. Em Lesim's French translation (1944) and Hajime Nakamura's Japanese translation (1955) are within scholars' reach. Now, we possess new translations, such as Richter-Ushanas's German translation, and Thomas E. Wood's and Richard King's English translations. In my opinion, King's translation is best, in spite of his translation being incomplete. But, King's "A Running Translation of the Gaudapadiya-karika" is nearly a complete one. This text is a philosophical work. Traditionally, it has been said that it was written by a singular author named Gaudapada, who is known as the teacher of Sankara's teacher (Govinda). A close examination of these fragments discloses that it was not composed by a single hand, namely, Gaudapada. These fragments consist of four chapters (prakarana). These prakaranas are as follows : I. Agama-prakarana, II. Vaitathya-prakarana, III. Advaita-prakarana, IV. Alatasanti-prakarana. There is no doubt that the fourth chapter (Alatasanti-prakarana) is composed separated from other three chapters. But, there is "family resemblance" between II-IV, while I is to be treated as a separate text. Never the less, Gaudapadiya-karika I approves of advaita (non-dualism) and ajativada (the theory of non-origination) Therefore, I has some phisophical connection with II, III and IV. We are in a position to treat I-IV as a whole, integrating them into a whole. We can discover in these fragments I-IV "Gaudapadian" thought (King's phrase). The most inportant prakarana is IV (Alatasantiprakarana). Its central themes are ajativada and asparsa-yoga (the yoga of no contact). Alatasantiprakarana is deeply influenced by Madhyamika-and Yogacara (Vijnanavada) Systems. Gaudapadiyakarika is the synthetic composition of plural authors. This text was composed by them under the influence of Mahayana Buddhism. I am of the opinion that it has been composed by them as a whole in the sixth century. In translating "Gaudapadian" text, I kept three points in mind. First, I have made an every effort to interpret the text in the mahayana context. If we overlook the background of Madhyamika and Yogacara systems, the "Gaudapadian" thougth is not to be fully understood. Secondly, Gaudapadiya-karika represents an attempt to reconcile advaita vedanta with the Mahayana Buddhism. Gaudapadiya-karika makes a frequent use of Buddhist terms and vocabraries in explaining advaita philosophy. There is, I believe, an unsurmountable gap between Advaita vedanta and Buddhist Philosophy. We have to be aware of fundamentally different stances of Advaita vedanta and Buddhism. Thirdly, my earnest hope was to try to translate "Gaudapadian" text as faithfully as possible, thus, to let the voice of its authors hear beyond a language barrier. However, I am not sure if I can suc
著者
大門 哲
出版者
神奈川大学
雑誌
民具マンスリ- (ISSN:09123253)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.9515-9522, 2007-06
著者
渡邊 靖志 上原 貞治
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010-04-01

まず,一方の光子をタグしたπ0中間子の遷移形状因子の測定を行い,BaBarの結果と異なり,よりQCD極限値に近い結果を得て,この問題を落着させた。次にノータグ二光子過程によるK0S中間子対生成反応を閾値付近からの断面積を測定解析し,f2(1270)とa2(1320)の負の干渉,f2’(1525)の二光子幅×分岐比等の高精度の測定が可能となった。現在,一方の光子をタグしたπ0中間子対の微分断面積をQ2=30 GeV2まで測定解析して,論文として投稿準備中である。f2(1270)(ヘリシティ=2,1,0別々)とf0(980)中間子の遷移形状因子をQ2の関数として測定し,理論の予言と比較した。
著者
日野 晶也 河合 忍 出川 洋介
出版者
神奈川大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011-04-28

本研究ではイトマキヒトデの精子中心体の分画から発見した新奇DNAが、ヒトデ以外の生物にも保存される中心体特有のDNAであり、中心体を有する多くの真核生物にも同様に相同な塩基配列のDNAが存在すると考えた。また、広く真核生物に共通の分子マーカーとしても貢献すると考えた。そこで、中心体を有する真核生物からの網羅的な探索を試みた。その結果、海綿動物から脊索動物まで、96%以上の相同性が検出された。また、アメーボゾアの粘菌からも96%以上の相同性のあるDNAが検出された。更にコケ植物など、植物からも95%以上の相同配列が確認されたことから、真核生物に広く保存されるDNAであることが示唆された。
著者
三田 一郎
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

B中間子の崩壊における大きなCP対称性の破れの提唱者として次世代のBファクトリー建設の意義を研究した。新しい加速器を建設するには既存している加速器よりも大きな成果を出す可能性を持つことが不可欠である。当初SuperBFactoryは既存するBFactoryの10倍の強度が提案されていたが、わたしは少なくとも100倍必要だと指摘した。現在建設中の加速器は40倍の強度でデザインされている。研究期間中に30年間の共同研究者Bigi氏が脳卒中で倒れ、成果を発表するために氏の回復を待っている.
著者
菅野 正泰
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

マクロ経済の景気循環性が,ミクロとしての企業の信用力変化に与える影響を計量モデル化した。このモデルを使用した実証分析の結果,マクロ経済変数そのものよりも,フィルターで当該変数を要素分解して得たトレンド項やサイクル項を変数として導入したモデルの方が,日本企業の信用力をより良く説明することを示した。また,景気変動のストレスを企業の信用リスクのパラメーターに変換するモデルを開発し,従来,財務指標中心に評価していた企業の信用リスクをマクロ経済変数と業種相関の影響を考慮して評価することが可能となった。以上の研究成果は,査読論文2本他に収録された。更に,1本投稿予定である。
著者
太田 佳宏
出版者
神奈川大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

連鎖縮合重合とそれに続くフォーカルポイントの修飾によって合成した分子量と分子量分布の制御されたハイパーブランチポリアミド (HBPA) を持つ高分子モノマーのラジカル重合を検討した。本研究期間を通じて、2,2'-アゾビス(4-メトキシ-2,4-ジメチルバレロニトリル) (V-70) を用いて重合温度を 30℃でHBPAを持つ高分子モノマーのラジカル重合を行うと、高分子量で分子量分布の狭いグラフトポリマーが生成することを明らかにした。
著者
山家 京子 佐々木 一晋
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、少子高齢化及び人口減少を背景に、神奈川県の郊外住宅地の現状把握により、郊外住宅地の持続可能性について検討することを目的とする。まず、整備された住宅地景観を空間資源として捉え、道路境界域の特徴について定量的分析を試みた。さらに、住民意識と生活関連施設利用行動に関するアンケート調査を行い、高齢化及びアクセスを障害と捉えている点、生活関連施設と移動手段との関連性、多様な生活関連施設利用行動などを明らかにした。
著者
五十嵐 由夏
出版者
神奈川大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

昨年度は,自分の手,馴染みのある物(ICカード,名刺),馴染みのない物(角丸紙)をイメージしながら,ディスプレイ面上の二本の水平線間の幅を各物体の大きさに調整させることで,物と手の大きさイメージの正確性の違いを検討した.実験参加者からディスプレイまでの距離についても,手前から奥にランダムに6段階で変化させながら実験を実施したところ,特に手のイメージは距離の影響を強く受け,ディスプレイ面が自分の腕の長さより遠くに配置されると有意に過小判断されることが明らかとなった.これらの結果は,身体の大きさ概念が,長期的な身体経験によって調整されうるものであることを示唆する.今年度は,この結果に新たにデータを加え,これまで得られた手の大きさイメージの正確性に関する知研究成果とあわせて,1つの雑誌論文にまとめた.また今年度は,共同研究として身体各部位および身体背面部における触刺激の評価に関する調査・実験研究を行った.まず,質問紙による調査を行った所,関東圏内の大学に通う女子大生の約30%が1回以上の痴漢被害を経験しており,その被害部位の多くが身体背面部や下半身であることが明らかとなった.そこで,目隠しをした上で,身体背面部(背中・臀部)および手のひらに,手(手のひら・手の甲)や物(鞄・傘)を呈示し,触覚情報のみで正しく対象を判断できるかを検討した.その結果,特に身体背面部である臀部や背中では,物が呈示されているにも関わらず,約30%が手だと誤って判断されることが明らかとなった.この結果は,触覚解像度の低い身体背面部においては,触覚情報のみで対象を正確に識別することが難しいことを示唆しており,痴漢冤罪が生じる原因の一端を示すと考えられる.