著者
久保田 佳枝
出版者
実践女子大学短期大学部
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

本研究の目的は、米国にて開発されたサイコロジカル・キャピタル(PsyCap)尺度の日本語版尺度を作成し、作成した日本語版およびオリジナルの英語版PsyCap尺度を用いて日米における質問紙調査および統計的分析を通して、①国際比較可能な日本語版尺度の確立および②世界で初となる日本人従業員のPsyCapと職場関連要因との関係性の解明を目指すことである。2018年度の目的は、代表者が前年度までに作成し収集してきた日本語版尺度をさらに改良し、日米における調査を行った後、項目反応理論に基づき分析を行い、日本語版尺度を完成させることであった。しかしながら2017年度末にそれまでの分析結果から研究手続を変更した。その変更に伴い、2018年度は、その後の研究手順の見直し等を行うことに時間を要したため、申請時に計画した通りに米国人を調査対象とした英語オリジナル版を用いた質問紙調査まで至らなかった。研究手続の変更については、以下の通りである。2017年度の日本語版尺度の分析結果をもとに、さらなる分析を行い、尺度に微修正を加えた。そのため、2017年度末に再度日本人従業員を対象に修正版日本語版尺度を用いた調査を実施した。2018年度にその信頼性と妥当性の検証等に関する分析を行った。2019年度は、2018年度に同時に実施する予定であった米国人を対象としたオリジナル英語版を用いた調査を実施し、2017年度末に収集した日本人データとともに項目反応理論による分析を行う予定である。PsyCapと職場関連要因との関係性の解明については、予定通り行う見通しである。
著者
梅垣 裕
出版者
日本臨床麻酔学会
雑誌
日本臨床麻酔学会誌 (ISSN:02854945)
巻号頁・発行日
vol.25, no.5, pp.507-517, 2005 (Released:2005-09-28)
参考文献数
11
被引用文献数
1 1

2002年現在, わが国では推定約312万件以上の麻酔が行われ, そのうち約188万件以上が全身麻酔により行われている. しかしそれに対応する, 手術室で麻酔業務に携わる麻酔科医数は, 2002年時点でわずか6,087人に過ぎない. 従来の主たる業務を手術室の麻酔とし, これを保険医療制度下で行う麻酔科開業は事実上困難であった. 近年, 厚生労働省は麻酔科開業医の出張麻酔を保険医療における対診と認め始めた. しかし, 自治体によってはいまだ出張麻酔を主たる業務とする麻酔科診療所開設に門戸が閉ざされており, 出張麻酔開業医はまだまだ少数にすぎない. 現在, 麻酔科医の就業には多様な形態がみられる. そのなかで保険医療機関としての麻酔科開業は, 唯一麻酔科医が病院との間で雇用関係ではなく, 対等の立場で業務を行えるものである. 出張麻酔を主とした麻酔科開業は, 現在の麻酔科のマンパワー不足をただちに解消に結びつけるものとは思われない. しかし長期的展望からみると, 麻酔科医の将来設計の一選択肢となり, 麻酔科を志す医師を増やし, かつ手術室の麻酔業務からの離脱を食い止める一つの方策であると考える.
著者
西之園 晴夫
出版者
佛教大学総合研究所
雑誌
仏教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
no.16, pp.19-34, 2009-03

わが国では大学の授業料高騰が教育格差と社会的格差とを相互に助長する懸念があることが指摘されている。世界的にみるならば,変動社会の出現と職能の高度化にともなって,すべての国民に高等教育までを提供することが求められており,1970 年代に国連で高等教育まで無償化することが決議された。しかし日本政府は無償化問題については奨学金などで対応するのでこの決議に拘束されないことを表明している。その後の学習に関する科学技術の進歩,ならびにユビキタス情報通信環境が整ってきたので,各国において新しい教育方法の開発が進んでいる。このような状況から協調自律学習による授業開発の方法論としてシンボリック設計法を紹介している。従来の授業開発が教育目標や教育内容が重視されていたのに対して,最近では学ぶ意味,学習活動,学習成果などのように学習者に視点をおいた方法にシフトしており,そのときの設計法を提案している。
著者
顔 娟英 塚本 麿充
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkiu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.398, pp.31-51, 2009-08-31

During the period of Japanese rule in Taiwan (1895-1945), the Japanese transplanted modern art as well, mainly in the areas of Western-style painting and Japanesestyle painting (Nihonga). Of these, Western painting received more emphasis. Art education in the primary and secondary schools of the time put greater emphasis on basic training in Western art, and there were comparatively fewer channels for learning Japanese painting. Meanwhile, the officially sponsored annual Taiwan Fine Arts Exhibition (Taiten), from its inception in 1927, set up two painting categories – the Oriental painting (tôyôga) division and Western painting division - with the intent of promoting the development of Japanese painting in Taiwan under the name of "Oriental painting," a catch-all term. However, the development of Japanese painting in Taiwan encountered great difficulties, to the point that painters and critics were speaking of the decline or demise of Japanese painting. In the autumn of 1942, a round table talk on Taiwanese art was organized by the magazine Taiwan Kôron (Taiwan Public Opinion). One of the topics under hot debate was that Nihonga was apparently in decline, and would be replaced eventually by Western-style painting. The purpose of this essay is not to deny completely the influence that Japanese painting had in Taiwan but to focus on the contradictions, even the ironies, of the attempts to foster the development of Japanese painting in Taiwan. This paper seeks to elucidate certain aspects of Japanese painting in colonial Taiwan by discussing the promotion of "local color," the performance of artists and judges in the Japanese painting division of the Taiten, the attempts by Taiwanese artists to study Japanese painting, and the difficulties these artists encountered. The limited foundation for Nihonga is evident from the first Taiten. For the Taiwanese youth, their formal art education was mostly limited to the primary school level, and ink painting was completely neglected in their painting classes. Furthermore, quite a few of the artists accepted into the tôyôga division were Japanese officials and businessmen resident in Taiwan who had artistic interests and were members of amateur Japanese painting groups. Therefore, from the catalog one can find styled paintings of historical figures, genre paintings, and portraits of warlords, but the traditional Taiwanese style was strictly excluded. In short, within the short period that the officially sponsored exhibitions were held (1927-1943), it was naturally impossible for Taiwan, as a Japanese colony lacking art schools as well as local history and culture classes, to absorb Nihonga and convert it into a painting style capable of modernity and a profound expression of Taiwan's natural and social environment. Certainly, Nihonga, which was restricted to a limited view of local color, would die out in Taiwan before too long.
著者
上殿 紀夫
出版者
一般社団法人 ターボ機械協会
雑誌
ターボ機械 (ISSN:03858839)
巻号頁・発行日
vol.26, no.9, pp.565-569, 1998-09-10 (Released:2011-07-11)
参考文献数
3
被引用文献数
1
著者
青木 春美 宮坂 平 石田 祥己 青柳 有祐 三浦 大輔
出版者
一般社団法人 日本歯科理工学会
雑誌
日本歯科理工学会誌 (ISSN:18844421)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.171-178, 2018-07-25 (Released:2018-08-28)
参考文献数
22

各種次亜塩素酸水(強酸性電解水,弱酸性電解水,微酸性電解水),義歯清掃剤,電解次亜水の各液に金合金(キャスティングゴールドM.C.タイプⅣ),金銀パラジウム合金(キャストウエルM.C.,以降,金パラ),銀合金(ミロブライト),純チタン( JIS 1種,Ti),コバルトクロム合金(コバルタン,以降,Co-Cr合金)の計5種を1日間と3日間浸漬したときの色差,光沢度変化,重量変化率を調べた.さらに電子線マイクロアナライザ(EPMA)により構成元素と塩素の面分析を行った.金合金と金パラは,強酸性電解水,弱酸性電解水に浸漬すると色差が大きく,光沢度が小さくなった.銀合金は微酸性電解水に浸漬すると色差が最も大きく,光沢度はすべての液で著しく小さくなった.Tiは色差,光沢度変化,重量変化は認められなかった.同様に,Co-Cr合金は電解次亜水に浸漬すると色差が大きかったが,他の浸漬液では光沢度変化,重量変化はほとんど認められなかった.EPMAによる元素面分析結果から,金合金と金パラでは,塩素濃度の高い部分は銀濃度の高い部分と一致していた.他方,銀合金では義歯清掃剤に浸漬したときには,塩素濃度の高い部分は銀濃度の低い部分と一致していた.
著者
高木 智彦 古川 善吾
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.51, no.9, pp.1794-1804, 2010-09-15

統計的テスト法においてテストケースを生成するために用いる利用モデルを,多重マルコフ連鎖に基づき,現実のユーザの振舞いをより反映するように構築する手法を提案する.統計的テスト法は欠陥を網羅的に検出することよりもソフトウェア信頼性を評価することに主眼を置いたソフトウェアテスト技法であり,その評価の正確さはユーザの振舞いのモデルである利用モデルに依存している.従来手法では単純マルコフ連鎖や斉時マルコフ連鎖などが利用モデルとして用いられる.その場合,ユーザの次の振舞いがそれまでの振舞いの内容に影響されるような状況を表現することができず,利用モデルの正確さを損なう場合があった.そこで本稿では,多重マルコフ連鎖に基づく精密化利用モデルの構築手法を提案する.本手法の手順やアルゴリズム,適用例などについて述べる.精密化利用モデルが従来のものよりも正確であり,ソフトウェア信頼性を正確に評価するうえで役立つこと,そして実際のソフトウェア開発に適用可能であることが分かった.また,本手法をより有効化するための課題について明らかにすることができた.
著者
増田 芳雄
出版者
帝塚山大学
雑誌
人間環境科学 (ISSN:09193790)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.93-134, 2003