著者
奈良 勲
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.85, 2018-01-15

ホモ・サピエンス(理性の人)としての人類は,古代にはボディーランゲージ,象徴的壁画(絵文字),そして文法の確立されていない単純なことばを媒介にして,ホモ・ファーブル(創造の人)として相互のコミュニケーション手段を考え出し,歴史の経過に伴い,各地域の文明化と文字文化が創造されてきた.しかし,古代文明を築きながらも,その民族の一部は文字文化を発展,継承することができなかった.例えば,これまで世界の四大文明は,メソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明であると言われてきたが,近年そのほかにも文明化された地域が存在していたとの報告がある.いずれにせよ,小規模な文明を構築していた民族のなかには,文字文化を残していない民族もあり,仮にそれらの文明の遺跡は温存されていたとしても,文字文化は消滅している. 日本の歴史的な伝説や神話を含む『古事記』には,古代の事象が文字として記録され温存されているため,その文明と文化などを知る大きな手掛かりになっている.日本人の主な生活基盤は農耕民族として受け継がれてきたが,文字文化は朝廷および武士の時代に伝承されてきた.明治維新から太平洋戦争までは初等・中等教育としての尋常小学校,旧制中学,旧制高校,そして戦時中の旧制(帝国)大学は戦後に新制大学へと変遷してきた.このような長い歴史を経て日本語は古文から現代語へとさま変わりしてきた.
著者
笠井 直人 溝井 和夫 小沼 武英
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.415-420, 1982-04-10

I.はじめに わが国における平時の頭部銃創の報告は欧米に比し非常に少なく,あっても自殺による銃創が多いためか,その予後は極めて悪い.今回われわれは,近距離からピストルの射撃を受け,脳内血腫を来たし昏睡に陥った幼児を手術により幸いにも救命しえたので,治療上の問題とともに若干の考察を加え報告する.
著者
亀谷 統三 三浦 大助 中田 慶子 土肥 祐輔 柳田 純孝 織部 道雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.162-170, 1966-03-15

はじめに 昭和34年以来続いた池田内閣の経済成長政策は,所得倍増計画とあいまって,わが国の歴史始まって以来の好景気を出現した。しかしその反面,都市においては,入口の過密や公害の発生など,幾つかの弊害もまた副産物として産みだされている。特に公害の問題が住民の日常生活に著しい被害を与えているところも少くない。熊本県の水俣病,三重県の四日市喘息などは,その代表的なものである。これらの公害の問題は,起っては忘れられ,忘れられた頃にまたどこかで発生を繰り返すなど,閑却視されがちなのが現状である。昭和39年9月14日,富山化学工業KK富山事業所において発生した塩素ガス漏洩事件も,公害問題などに関心のうすい,裏日本の中都市の真只中で起った事件であった。この種の事件は,わが国でも始めての経験であるので,ここに事件の概要をまとめて報告し,今後この種の事件の発生を防止するための資料にしたい。
著者
出村 孝義 岡村 廉晴 藤沢 真 有馬 滋 坂下 茂夫 高村 孝夫 藤本 征一郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.803-806, 1981-08-20

緒言 真性半陰陽は睾丸と卵巣が同一個体に共存している稀な奇形であり,竹崎1)により本邦100例が集計され報告されている。真性半陰陽における性染色体構成は他の半陰陽に比べはるかに多彩であるが,本邦では未報告の極めて稀な染色体構成,すなわち46XX/48XXYYのモザイクを呈した真性半陰陽症例を経験したので報告し,真性半陰陽の二,三の問題点につき考察を行なう。
著者
中川 遵 嘉川 須美二
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.691-695, 1977-09-20

I.はじめに 耳閉感は耳鼻咽喉科を訪れる患者の愁訴群中もつともpopularなものの1つである。その原因疾患としては①外耳閉塞疾患(耳垢栓塞,外耳道閉鎖症など),②中耳伝音系障害(中耳カタル,耳管狭窄症,鼓膜外傷など),③内耳障害(メニエール氏病,突発難聴など)が挙げられる。特に注目すべき点は,難聴が軽度の場合あるいは突然おこつた場合は難聴を自覚せず,まず耳閉塞感を訴えることである。したがつて耳閉感は一面としては重篤なる難聴の初発症状としての意義もあると言えよう。現在のところでは後迷路系の聴覚伝導路障害による耳閉感は,はつきりとしていないので,まず耳閉感患者には上述の①〜③の原因によるものを考え得る。しかし私たちが耳鼻科外来にて診療を行なう場合,これらの疾患群に当てはまらない,あるいは他の特別の疾患を伴わないのにもかかわらず,不快感のある耳閉感を訴える症例にしばしば遭遇する。いわく聴力検査正常,耳管通気度良好,鼓膜所見・外耳道所見正常といつたものである。このような例は一般臨床医家を苦しめるものであり,仕方なく当座の処置として耳管通気法,鼓膜マッサージ,ビタミン類の投薬を漫然とくり返していくうちに患者の信を失うに至るものである。私たちはこのような例の多くに,後頭部の鈍痛,胸鎖乳様筋付着部の圧痛,下眼瞼部の圧痛,緊張性頭痛,眼のかすみ,悪心などのいわゆる肩こりに随伴した症状を見出し,それらの症例に対し主として肩部の有痛部への1% lidocaineブロックないしneucoline Pのブロックを施行したところ,肩こりの改善と平行して耳閉感の消失あるいは改善をみたので報告し,併せて肩こりからの耳閉感の発生要因について考察を加えた。
著者
川崎 ゆりか 林 耕太郎 石川 武子 大西 誉光 多田 弥生 渡辺 晋一
出版者
協和企画
巻号頁・発行日
pp.471-474, 2017-05-01

<症例のポイント>肺炎球菌ワクチン接種後に生じた蜂窩織炎様反応と考えられる1例を報告した。局所の肉眼的炎症所見は軽度で、蜂窩織炎単独では高度な炎症反応や筋酵素の逸脱を説明しづらく、臨床所見、経過やCTから壊死性筋膜炎も否定的であった。蜂窩織炎様反応は、同種の防腐剤を含む他のワクチンでの報告はほとんどなく、肺炎球菌ワクチンの主成分に特異的な反応と考えられる。また、同様の報告がBehcet病患者数例にみられることから、Behcet病患者に比較的特異的な反応であることが示唆された。
著者
藤沼 康樹
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.888-891, 2014-10-15

症状や不安などを訴えて患者が外来受診した場合,通常は問診,身体診察,診断に必要な検査を経て,医学的診断をして治療を行うというのが,通常医学教育において教えられる診療のプロセスである.しかしながら,このプロセスをニュートラルに行うというより,問診や身体診察の時点で作業仮説としての診断を絞り込みつつ,同時に,見逃すと大変なことになる危険な疾患を除外するというプロセスを臨床家は重視している.たとえば,胸痛の訴えのある患者において,症状と経過からは「病気っぽくない」が「念のため」冠動脈疾患,胸膜炎などの重大な疾患を除外したいと思うだろう.これらを除外した場合に,臨床家はまずホッとするものである
著者
潮見 泰蔵 丸山 仁司 秋山 純和
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.693-694, 1987-10-15

Ⅰ.初めに 床上における種々の移動動作は,その移動形態から,いざる(shuffling),這(は)う(creeping),歩く(walking)などに大別することができる.その中でも,横いざり(片麻痺型),四つ這い,膝歩きは,脳卒中片麻痺患者や脳性麻痺児をはじめ,種々の運動障害者の床上における移動手段および訓練方法として,しばしば用いられる.これらの動作は,直立歩行と比べ,低重心かつ広支持基底面をもつ点では共通しているが,推進する際の上下肢の使われかたは,各動作で大幅に異なっている.したがって,この差異がエネルギー消費に及ぼす影響も大きいのではないかと推察される.一方,移動動作が実用化するか否かについては,その動作に要するエネルギー消費に関連するとも言われる.そこで,今回,いざり,四つ這い,膝歩きについて,これら三つの動作の運動強度を比較・検討するための基礎的資料を得ることを目的に,物理的負荷量を一定にした場合の各動作のエネルギー消費などを測定したので報告する.
著者
時実 利彦
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.378-379, 1968-03-10

人間行動を操る5F 3Sで骨抜きにされたとか,3C時代の到来とかいわれているが,それにあやかつて,人間行動を操る5Fを紹介しよう。 食行動Feeding,性行動Fertilizing,集団行動Flocking,攻撃Fighting,逃走FleeingのFの頭文字のつく五つの行動であつて,いずれも大脳辺縁系にそのはたらきの座があつて,個体の保全と種族の維持をはかりつつ,私たちをしてたくましく生きてゆかせているおのずと身につく本能行動と情動行動である。
著者
和気 洋介 藤原 豊 青木 省三 黒田 重利
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.437-440, 1998-04-15

身体の特定の部位に限局して,奇妙な異常感覚を持続的に訴える一群の症例はセネストパチーと呼ばれている。これら体感の障害は精神分裂病,うつ病,器質性疾患などの1症状として現れる広義のセネストパチーと,異常感覚のみが単一症状性に持続する疾患概念としての狭義のセネストパチーとが区別されている5)。セネストパチーは頭部,口腔内,胸腹部,四肢,皮膚などに限局し,持続的にまた執拗に訴えられることが多いが,特に口腔内の異常感覚を訴えるものは頻度も多く,歯科で対応に苦慮しているのが現状である。 今回,我々は口腔内の奇妙な異常感覚を主症状として狭義のセネストパチーに位置づけられると思われた18症例について,その臨床的特徴を検討し,診断的位置づけ,薬物反応性,歯科との協力関係のあり方などを考察した。
著者
毛利 好孝 三村 令児 森本 康路
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.520-525, 2020-07-01

●たつの市民病院は,平成25(2013)年4月に現地建て替えによって新病院が竣工したが,大幅な病床減によっても病床稼働率は回復せず,平成26(2014)年度の病床稼働率は53.1%,経常収支は7億1千8百万円を繰り入れながら8千5百万円の赤字であった.●平成27(2015)年度から地域の医療ニーズに合わせる形で医療機能が大幅に転換され,平成30(2018)年度の病床稼働率は84.5%,基準内繰入後の経常収支は1億1千3百万円の黒字となり経営再建が達成された.●令和2(2020)年4月からは地方独立行政法人化され,新たなスタートを切っている.
著者
河原 秀次郎
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.461-464, 2017-04-20

【ポイント】◆機能的端々吻合は2つの腸管の側々吻合であるが,腸管内容の移送の面からは端々吻合と同等と考えられてきた吻合法である.◆吻合法には,順行式(normograde)と逆行式(retrograde)の2つがある.◆順行式吻合術は小腸結腸吻合に最も用いられてきた吻合法であるが,逆行式吻合は結腸結腸吻合あるいは結腸直腸吻合に有用な吻合法である.*本論文中、[▶動画]マークのある図につきましては、関連する動画を見ることができます(公開期間:2019年4月末まで)。
著者
長野 広之
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1984-1993, 2020-10-10

総論 神経炎は単神経炎(mononeuropathy),多発単神経炎(mononeuritis multiplex),多発神経炎(polyneuropathy)に分かれます.末梢神経の局在に沿っていれば単神経炎を,それが複数存在すれば多発単神経炎を,遠位優位の靴下・手袋型では多発神経炎を考えます.多発神経炎はまず足先から始まり,膝くらいまで広がったあたりで上肢にも指先から症状が出現し,重度の場合,臍部付近にも出現します. 多発神経炎は一般人口の2〜3%,55歳以上では8%に認める高頻度な症候です1).原因としては台湾の520例の多発神経炎の報告が参考になります(図1)2).個人的な経験ではビタミンB12/B1欠乏(本研究では栄養障害に含まれる)がもう少し多い印象があります.
著者
大西 香代子 桂川 純子 三木 佐和子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.420-423, 2020-09-15

冬の気配が漂い始めた昨年12月半ば、町の集会所に私たち研究チーム3名とアシスタント4名が集まりました。この日、いよいよ日本で初めての試み、精神障害当事者が、研究者の行う研究に当事者の立場からアドバイスするというJ-SUGAR(Japan Service Users Group Advising on Research)がスタートするのです。 イギリスで始まったSUGAR*1を日本でも作ることが、私たちの夢でした*2。当事者主体が叫ばれながら、保健医療サービスを提供する側と受ける側のギャップ、横にというより何かしら縦に広がっているこのギャップを、小気味よく埋められるのではないか、そんなワクワクする思いと、うまくいくのかだろうかという不安とが混在していました。本稿では、日本でのSUGARの展開について報告します。
著者
挾間 玄以 楠見 公義
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.265-270, 2004-03-15

抄録 症例は72歳,女性。抑うつ気分や精神運動制止などうつ病類似の症状で発症。症状は抗うつ薬で一時軽快するも再燃し抑うつ状態が遷延化した。その後,パーキンソニズム,認知機能低下が認められ,拒絶症や認知機能の変動も顕在化した。quetiapine少量投与(50mg/日)により,これらの症状の部分的改善が得られた。同薬の増量はパーキンソニズム増悪のため困難であり,donepezilの少量(0.5ないし0.75mg/日)を併用投与したところ拒絶症や認知機能の変動は消失した。quetiapineやdonepezilは少量投与でもDLBの精神症状改善に有効である可能性が示唆された。
著者
桑原 史成
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.758, 2004-10-01

ベトナム戦争の終結は1975年だが,それまでの約10年間にアメリカ軍は南ベトナムの,ほぼ全域に布陣していた.南北のベトナムが統一する2年前の1973年に,約50万人のアメリカ軍は撤収してベトナムを去ったが,兵士たちが残した戦争孤児は,南ベトナムの各地で生み残された.その正確な数字は公表されていない.が,海外のジャーナリズムの推測では,数万人とされる.孤児を出産した母親はベトナム女性であることは言うまでもないが,その多くの女性たちが,戦乱の中,孤児たちを養育することは不可能だった.それに統一後の社会主義国の中で,敵兵の白や黒の肌色の子どもを連れて歩くことは,憚れたようである. 一方,ベトナム戦争に派兵していた韓国軍兵士の戦争孤児の場合は,東洋人の黄色のため,孤児院などの施設に引き取られる数は少なかったようである.ベトナム戦争の終結の直前に,アメリカ政府は,戦争孤児たちを首都のサイゴンから航空機でアメリカに移送している.里子としてアメリカに渡った子どもの数は,全体の10%程度とされる.