5 0 0 0 OA 倭訓栞

著者
谷川士清 著
出版者
成美堂
巻号頁・発行日
vol.1, 1899
著者
佐藤 俊治
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.113-127, 2002-11-10 (Released:2009-05-29)
参考文献数
44

This paper is an introductory survey of the modal interpretation of quantum mechanics. We review in this paper especially elementary kinematics of the Vermaas-Dieks and Bub modal interpretations: frameworks of their theories and justificatory arguments for their choices of possessed properties of quantal systems. We conclude this paper with a remark about relationship of their proposals to scientific realism.
著者
東京帝国大学 編
出版者
東京帝国大学
巻号頁・発行日
vol.從大正9年 至大正10年, 1924

5 0 0 0 OA 算術教科書

著者
田中矢徳 著
出版者
攻玉社
巻号頁・発行日
vol.上, 1884
著者
村冨 浩太朗 太田 和希 小嶺 肇之 谷川 聡 山崎 一彦 前村 公彦
出版者
一般社団法人 日本体育・スポーツ・健康学会
雑誌
体育学研究 (ISSN:04846710)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.715-729, 2022 (Released:2022-08-24)
参考文献数
45

In the 400-m hurdles, race patterns based on physical fitness are an essential consideration for better performance. This study aimed to clarify the relationship between race patterns and physical fitness characteristics in male 400-m hurdlers. Thirteen collegiate 400-m hurdlers underwent measurement of maximal accumulated oxygen deficit (MAOD) and maximal oxygen uptake (VO2max). Race analyses were also conducted. The results revealed significant correlations between the 400-m hurdles running time and MAOD (r = −0.674, p <0.05) and VO2max (r = −0.607, p <0.05). There were also significant correlations between MAOD and running speed in the early phase (r = 0.839, p <0.001) and middle phase (r = 0.605, p <0.05), and between VO2max and running speed in the middle phase (r = 0.670, p <0.05) and late phase (r = 0.565, p <0.05). It was possible to classify the subjects into four types based on their physical fitness characteristics, and different race patterns were demonstrated based on fitness type. In particular, two subjects with similar times (C: aerobic type, E: anaerobic type) had very different pacing strategies. These results suggest that anaerobic and aerobic capacities affect the speed in each phase of the 400-m hurdles, and that therefore individual physical fitness characteristics consequently affect the entire race pattern. These findings will be valuable when applying the principle of individuality to training strategies for 400-m hurdlers.
著者
照井 克俊 藤田 友嗣 高橋 智弘 井上 義博 遠藤 重厚
出版者
一般社団法人 日本救急医学会
雑誌
日本救急医学会雑誌 (ISSN:0915924X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.10, pp.857-863, 2013-10-15 (Released:2013-12-30)
参考文献数
16
被引用文献数
1 1

トリカブトは毒性の強いアコニチン類を含有する有毒植物である。本研究では,1984年1月から2011年12月の間に当センターに搬送されたトリカブト中毒患者30症例について,中毒の原因,中毒が発生した時期,摂取した植物部位,中毒症状,治療,転帰を調査した。対象は男性22例,女性8例で,年齢は5歳-78歳(平均48.3歳)であった。トリカブト中毒の原因は,自殺目的での摂取15例,食用植物との誤食14例,民間療法としての使用1例であった。自殺目的によるトリカブト中毒は1年を通じて発生し,誤食による中毒は4-6月の山菜採取の時期に集中していた。自殺目的では根を,誤食では葉を摂取する傾向にあった。中毒症状は,不整脈(26),嘔気・嘔吐(24),口唇・口角の痺れ(23),四肢の痺れ(23),動悸(19),血圧低下(18),胸痛・胸部不快感(17),意識障害(13),脱力感(11),めまい(9),麻痺(5),腹痛(4)が生じた。不整脈では心室性期外収縮が最も観察され(26例中17例,65.4%),心室細動(VF)は26例中7例(26.9%)に観察された。不整脈の治療として抗不整脈薬のリドカインが主に投与され,軽症例には効果的であったがVFを生じた重症例には効果がなかった。難治性のVF患者には,経皮的心肺補助法(PCPS)による治療が効果的であった。転帰は30症例中3例が難治性のVFにより死亡した。トリカブト中毒では多彩な症状が出現したが,重篤な不整脈の出現の有無が転帰を左右した。トリカブト中毒で生じる不整脈の治療では,VFを生じるような重症例には抗不整脈薬や除細動の効果は限定的である。重症例では早期にPCPSの積極的な導入を行い,血行動態の安定化を図ることが救命にとって重要である。本結果は今後のトリカブト中毒の治療に有用な情報になるものと考える。

5 0 0 0 OA 天工開物3卷

著者
明宋應星撰
出版者
河内屋茂八等刊
巻号頁・発行日
vol.[6], 1771
著者
井上 卓也 安田 祐真 中村 元気 守田 裕啓 林 浩之 尾崎 将之
出版者
一般社団法人 日本臨床救急医学会
雑誌
日本臨床救急医学会雑誌 (ISSN:13450581)
巻号頁・発行日
vol.25, no.4, pp.740-744, 2022-08-31 (Released:2022-08-31)
参考文献数
10

認知症のある86歳男性が,市販のかゆみ止めクリーム100gを誤食して当院を受診した。受診時はとくに症状を訴えず,身体所見,採血,心電図,胸部X 線に異常はなかったが,経過観察入院とした。誤食2時間30分後から血圧が207/144mmHgと上昇し,その15分後に嘔吐し,その後急速に意識レベルがJapan Coma Scale(JCS)200へと悪化した。第2病日には意識レベルの改善がみられ,誤食12時間後にはJCS 3まで改善した。誤嚥性肺炎を合併したため抗菌薬投与を開始した。第3病日には意識レベルは以前の状態に回復した。その後経過良好で第12病日に退院した。かゆみ止めクリームに含まれるジフェンヒドラミン,カンフル,リドカインはそれぞれ致死量または中毒量であり,患者背景から気管挿管をしないなど治療制限があったが,患者は一命を取りとめた。同様の症例では無症状でも入院させて,最低4〜6時間は症状発現を厳重に監視する必要がある。
著者
福村 愛美
出版者
大分県立芸術文化短期大学
雑誌
大分県立芸術文化短期大学研究紀要 (ISSN:13466437)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.241-249, 1996-12-31

高校生が制服についてどの様な意識を持っているか、また制服と、家庭科及び被服実習、家庭科男女共修との関連性を調査をもとに分析した結果、次の様なことが明らかになった。1、学校を制服で選ぶかどうかという質問に対して高校1年生と2年生では、1年生のほうが学校を制服で左右されないと考えている。2、好きな制服のデザインでは、1年生男子は詰め襟の学生服を大半が支持しているが、2年生になるとブレザータイプの制服と半々に意見がわかれる。女子は全体的に差はなくセーラー服を好んでいる。3、制服の持っている枚数は、冬用を1枚、夏用を2枚持っている組み合わせが1番多い。4、音楽専攻の生徒が、スカートの長さや靴下の流行に最も敏感である。5、被服制作の完成時に充実感を感じない者ほど、制服の良くないところとして、温度調節がしにくいという理由を挙げている。6、家庭科男女共修に価値があると思う者ほど、学校を制服で選ばないと考えている。7、家庭科を男子も学ぶべきであると余り考えない者の方が、セーラー服をより好んでいる。8、制服のイメージは多面性を持っていると考えられる。終わりに、集計作業にご協力いただいた大分県立芸術文化短期大学の田仲謙司さん及び学生や副手の方々に深く感謝申し上げます。
著者
阪野 祐介
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2006年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.10, 2006 (Released:2007-03-01)

_I_ はじめに 第二次世界大戦敗戦から約4年後の1949年6月,日本において,キリスト教の聖人の一人であり,日本にキリスト教を伝来させた人物として知られる聖フランシスコ・ザビエルの渡来400年を記念する行事が行なわれた。 1949年当時の日本は,言うまでもなくGHQによる占領期であった。カトリックはGHQ統治という社会的状況のもと,宗教界のおいて非常に優位な立場にあったことが推測される。そして,1949年にザビエル渡来400年祭が全国的規模で催行され,世界各国からの巡礼団の来日や,皇室関係者の参列などもみられ,当時の日本の宗教的・社会的背景の一端を垣間見ることができる。 こうした文脈において,本発表では,戦後日本という時間・空間の中で,カトリックの社会的位置づけの変容や,この宗教的行事が持つ意味を検討することが目的となる。また,このザビエル渡来400年祭を通して,非継続的・一時的な宗教行事と場所の関係に注目し,宗教儀礼の場という非日常的空間が,日常の空間において現れたことが当時の社会の中にあっていかなる意味を持ち,人々の間で捉えられたかを明らかにしたい。特に,この一連の行事のなかでも,西宮で行なわれた荘厳ミサを中心として考察を進める。 _II_ ザビエル渡来400年祭の概要 ザビエル渡来400年祭は, 1949年5月29日~6月12日までの二週間にわたり、日本各地で公式式典が執り行われた。この式典に際し,世界各国のカトリック教会から司教レベルの聖職者等からなる巡礼団が来日した。巡礼団の内訳は,オーストラリア・シドニー大司教ノーマン・ギルローイ枢機卿をローマ教皇特使として任命し,巡礼団の団長とした。スペインからは,33名の使節団が,聖フランシスコ・ザビエルの聖腕とともに来日したほか,米国やフィリピン,インドからも使節団が日本に集結した。 公式式典にともなう巡礼団の行程は,長崎浦上天主堂廃墟前での荘厳ミサを皮切りに,鹿児島,大分,山口,広島,西宮(荘厳ミサ),高槻,名古屋,横浜,東京・麹町イグナチオ教会とめぐり,6月12日の明治神宮外苑での荘厳ミサで日程を終えた。ただし,公式式典終了後も,聖フランシスコ・ザビエルの聖腕は,「六月二四日…札幌で崇敬され、函館、青森、盛岡、仙台、福島、山形、秋田、鶴岡、新潟、金沢の各市を三週間にわたって歴訪」し,「訪問することのできなかった町においても信者は駅へ来て列車の中の聖腕を崇敬したこともあった。そして七月下旬に…静岡、岡山、松江、米子、高松、高知、姫路などで聖腕を数多くの信者に顕示し、各地で熱心な祈りの集まりが行なわれた」ことが記されている。 _III_ 西宮球場とメディア・イベント ザビエル渡来400年祭は,以上のように日本各地をめぐり,なかでも,長崎,西宮,東京においては荘厳ミサが行なわれた。そのなかで,西宮で行われた荘厳ミサに注目すると,会場となった西宮球場では,1937年に球場が完成して以来,様々なイベントが開催されていた。 ザビエル渡来400年祭が行なわれた翌年の1950年には,アメリカ博覧会が大々的に開かれた。この博覧会は,朝日新聞社主催,外務省,通産省,建設省,文部省,日本国有鉄道,西宮後援となっているが,事実上は,GHQの全面的なバックアップによって開催された。そして,200万人という大衆動員を成功させたとされている。そこで,重要な役割を果たしたのが,朝日新聞社の積極的宣伝であったことも見逃せない。その前年に催されたザビエル渡来400年祭も同様に,メディア・イベントとして捉えることができる。ザビエル渡来400年祭は,カトリックの聖人を記念する宗教的行事であるが,先述のとおり,GHQが深く関わっており,まさに,「国家や国際機関が主催の場合にも,それが受容されていく過程では,メディアが決定的な役割を果たしていくイベント」として捉えることができよう。 _IV_ おわりに 以上のように,日本の社会状況が敗戦後の連合軍統治下,日本各地を尋ねた巡礼団の足跡をも含めると、当時の統治者であるGHQの政治的思惑としてのキリスト教化とカトリックの宣教・布教の欲求の合致がみられる。それは,この宗教的行事が,聖フランシスコ・ザビエルの功績を讃える意味とは別に,「平和・復興の祈り」という意味がこめられている点にも読み取ることができよう。