著者
平子 友長
出版者
一橋大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2010

本研究の成果は、カント最晩年における政治哲学を、非西洋諸大陸の先住民の先住権を否定する「無主の地」理論を装備した同時代の西洋国際法に対するラディカルな批判として解釈するものである。カントの世界市民法の概念は、非西洋世界に住む人々の先住権を基礎付け、西洋の植民地主義と対決するための論理を提供するものであった。
著者
家高 洋
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

ドイツの哲学者ガダマーは、理解を「問いと答えの弁証法」とみなした。ガダマーの考察に基づいて、本研究は、まず理解における言語の役割(媒体としての言語)を明らかにした。それから、理解を、言語に基づいた「問いと答えの弁証法」と考えることによって、(看護研究等の)質的な研究の前提と主題が、言語性と意味であることを示した。さらに、哲学カフェという「問いと答えの弁証法」の実践において、この弁証法の具体的なあり方を調査した。
著者
新田 玲子
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009-04-01

ポストモダンの作家は、現実の芸術化に過度に傾き、歴史的・社会的関心や道徳的責任が欠如しているとされてきたが、ホロコーストの影響を強く受けたポストモダンのユダヤ系作家は、同様の影響を受けたポストモダンの哲学者が見せる、ホロコーストの悲劇を繰り返さない未来を思考する姿勢と、そのために必要とされる他者意識を共有していることを明らかにした。そして、これらポストモダンユダヤ系アメリカ作家の文字芸術の特徴を精査すると共に、彼らのポストモダンヒューマニズムの特徴を定義した。
著者
宮寺 晃夫
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.3, pp.259-267, 365, 1-2, 1999-09-30

教育学研究は、それぞれの分野では領域固有性を深めているものの、初学者のための基礎過程を欠いたままできている。学校の中での教師-生徒間の実践に焦点を合わせたペダゴジーが、初学者を教育学的思考に導いていくための教養として、また、教育学研究の学問としての同一化をはかるための教養として、すでに力を失っていることは周知のことである。そこで本論文は、教育学における教養の拡充に対するリベラリズム哲学に関わりを検討する。そのさい、ペダゴギーとしての教育学の教養と、アンドラゴジーとしての教育学の教養とを対比しながら、「中立性の価値」に基礎を置くリベラリズム哲学が、価値多元的な社会における教育学的教養としては不充分であり、卓越主義的リベラリズムによって拡充される必要があることを示していく。 リベラリズム哲学は、教育に対して二つの異なる方針を要求している。すなわち、あらゆる利害に対して中立的であることと、どのような人をも自律的にすることである。中立性というリベラリズムの価値は、R.Dworkinによってリベラリズムの中心的価値の一つとして位置づけられており、教育学とそれの教師教育における実践に自律性を基礎づけてきた。しかし、中立性の価値が教育学にとっての価値になるのは、自分自身の善き生を自律的に選択することができる個人が存在する限りにおいてである。A.Maclyntreが論じているように、近代はそうした自律的な個人としての「教育された公衆」が存在する可能性を排除してきた。その結果、中立性の価値は、どのような善き生をも示すことができず、教育学的教養としては有効ではないものに止まっている。 個人の自律性もまた、それが「道徳的自律性」であることが明らかにされない限り、意味のある価値としては認められない。それゆえ、教育学的教養を拡充するために解明されなければならないのは、「道徳性の価値」である。リベラリズム哲学の中立性のスタンスと自立性のスタンスは、どちらも、道徳性をすべての価値の上位に置いているものの、教育における道徳性の価値を明確にすることができていない。それに大して、リベラリズムの諸価値に対するJ.Razの卓越主義の理論は、自律性と道徳性との親密な関係を、「幸福」(well-being)の名のもとで考察していっており、市民の自己形成活動に対する公的支援について重要な示唆を与えてくれる。Razは、自己決定と選択を擁護するが、それは、それらが公共善と切り離されていない限りにおいてである。本論文は、結論として、リベラリズムに依拠する哲学者の諸議論が、教育学の教養、とりわけてアンドラゴジーとしての教育学の教養を拡充していく上で、深い関わりがあることを述べた。アンドラゴジーにおける教養は、ペダゴジーのそれとは異なって、あらゆる教育的な支援に正当化を求めていくのである。本論文の目次は以下の通りである。 [1] 問題の所在 [2] リベラリズム哲学における二面性 (1) リベラリズムと教育学的教養 (2) リベラリズム哲学の教育理念 (3) 現代におけるリベラリズム哲学の二面性 [3] リベラリズム哲学から見た教育学的教養 (1) 現代教育の課題の二面性 (2) リベラリズムの価値としての中立性と自律性 (3)リベラリズム哲学のアポリアとしての道徳性 [4] 卓越主義的リベラリズムと支援としての教育 (1) リベラリズムと価値多元主義 (2) 卓越主義のリベラリズム (3) 卓越主義のリベラリズムと支援としての教育 [5] 結び
著者
上枝 美典
出版者
福岡大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1999

本研究は、現代認識論(分析系知識理論)において現在脚光を浴びている「徳認識論」(virtue epistemology)の理論的整備の一助として、「徳」という概念の明確化を計るものである。方法論は以下の通りである。まず、「徳」概念を、そのルーツである西洋古典思想の文脈の中で分析し、その主要な要素を抽出する。次に、現代認識論における「徳」概念を、同様に、現代認識論の文脈の中で分析し、主要素を抽出する。次に、双方の主要素を比較することによって、二つの文脈における「徳」概念の共通性と相違点を明らかにする。最後に、それらの相違が持つ哲学的、哲学史的意味を考察する。西洋古典思想における「徳」概念の分析として注目すべきは、13世紀のキリスト教神学者トマス・アクィナスの主著『神学大全』第2部第55問題「徳の本質について」の論述である。その論述を総合すると、「徳」(特に、人間的な徳)とは、人間に固有な理性的能力をして、善い結果を生み出すように働かせるような、一種の習慣である。一方、現代認識論における「徳」についてであるが、「徳」概念の理解に関して、大きく二つのグループが存在する。この二つのグループの関係については、本研究の計画段階では、未だ明らかでなかったが、研究を進める中で、それぞれ異なる二つの徳認識論と見なすべきではないかということが、次第に明らかになった。一つのグループは、Ernest Sosaに代表されるグループであり、Alvin Plantinga,Alvin Goldman,John Grecoらが、主要なメンバーである。彼らは、様々に変化する状況において、安定して真なる信念を生み出すような能力のことを「徳」と呼ぶ。もう一つのグループの代表はLinda Zagzebskiであり、アリストテレス的な行為者の動機を重視した「徳」理論を、そのまま認識論に持ち込もうとする。これら双方は、古典的徳理論の二つの解釈可能性を示すものとして興味深い。

1 0 0 0 哲学の世界

出版者
培風館
巻号頁・発行日
1967
著者
村上 龍
出版者
山口大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2011

フランスの美学者ヴィクトール・バッシュ(一八六三‐一九四四年)を一つの軸として、一九世紀末から二〇世紀前半にかけてのフランス美学を、近代ドイツ哲学との関係という視角から検証した。またそれに付随して、世紀転換期のヨーロッパで盛り上がりをみせた心霊研究などについて併せて調査することにより、当該時期のフランスの思想的環境をいっそう広い視野から検討した。