鳴海吉弥 (@shibawankok2)

投稿一覧(最新100件)

RT @lalan1858: 「江戸藩邸毎日記」が、去年、家からでも閲覧できるようになっていたのか。 関連してメモのため、↓これも貼っておきます。 「対⾺宗家文書の可能性」 https://t.co/8jt1Z0te3g
RT @enumura: 飯島章「戊辰戦争期旧幕府軍通行の一考察」 https://t.co/6l24OCWiMX 「旧幕府軍は移動に際して(中略)輜重隊のようなものを保有していなかった」「沿道の宿村の人馬を徴発し運搬させるしか手立てがなかった」
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
RT @zasetsushirazu: 知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史…

2 0 0 0 土佐史談

RT @oretatami: https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話…
RT @oretatami: https://t.co/5NVZI46ASp 『「坂本龍馬」の誕生』著者の博士論文 国会図書館に行かないと読めないかと思っていたらNDL経由でも公開されてたんですね

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

RT @oretatami: 豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
鳥羽伏見戦争前後の会津藩の動きや奥州列藩同盟の成立後の事態において秋月悌次郎がどのように関わっていたのかが述べられた論文を、別件事項検索中に見つけたのでプリントアウト。そのうち読みます。 CiNii 論文 -  戊辰戦争と秋月悌次郎 https://t.co/Xg9RUHwTaL #CiNii
RT @zasetsushirazu: 大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の…
全国各地に建立された戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態を調査・比較し、石造文化財の劣化傾向についての論文です。 調査されたのは函館、江差、松前、会津、白河、柏崎、小千谷、横浜の8箇所の墓所。 CiNii 論文 -  戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態 https://t.co/QwmR61uA3y #CiNii
RT @zasetsushirazu: 明治29年2月2日、川田甕江が死去。幕末期に板倉勝静(幕府の老中を務めた)に仕えた漢学者で、明治期に修史局などに出仕し、東京大学教授にも就任。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3)は、近代史学の形成に…
小千谷談判辺りのことを改めて見直していると「なぜ?」「もしこうだったら違う結果になってた?」とか色々疑問が湧いてきたところで、この論文を見つけたので読んでみようと思う。 CiNii 論文 -  「岩村高俊自傳草稿」の翻刻と解題 https://t.co/ImeVlscwXR #CiNii
RT @zasetsushirazu: 酒入陽子「戊辰戦争における彦根藩戦死者顕彰碑考」(『滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要』54、2021年)は、東京都世田谷区の豪徳寺(彦根井伊家の菩提寺で、井伊直弼の墓もある)にある、戊辰戦争で大鳥圭介ら旧幕府軍と戦って死んだ彦根藩士たち…

5 0 0 0 OA 史籍雑纂

RT @mitsuha001: 次は平井収二郎『隈山春秋』。土佐勤王党の平井収二郎の在京日記で、武市の在京日記と見比べて読むと楽しいです。岡田以蔵が大坂で麻疹にかかった際の「30歳以下でかからない者は居ない」の記述はこちらに載ります。『史籍雑纂』第5にあり、国デジオンラインで読…
RT @TatsuUwa: 今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝…
RT @mitsuha001: 本間精一郎が気になり調べたら『越佐維新志士事略』という本を国デジで見つけた。大正十一年刊。 https://t.co/GCo7G2dOEn
RT @zasetsushirazu: 文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡…
諸々の予習復習を兼ねて再読中。 CiNii 論文 -  神代直人の捕縛 : 大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応 https://t.co/6nu0JBI6al #CiNii
RT @zasetsushirazu: 昭和19年10月7日、中川小十郎が死去。西園寺公望の秘書を長く務めた人物で、立命館の初代総長。親族が、戊辰戦争で山陰道鎮撫総督の西園寺に仕えた縁もある。最新の研究に、長谷川澄夫「中川小十郎編の未刊維新史稿本について」(『立命館史資料センタ…

10 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

RT @mia66sa_ga: 昨日の青天で登場した蓮池の吉武功成 。『佐賀藩海軍史』は国デジで見れました。 越前堀にあった第三十国立銀行の預金者として名前があった。 間違いなく、吉武氏が蓮池の人でしょうね。 https://t.co/ZyIoX9NCvb https://t…
RT @yaduki_bm: 民蔵分離はいいぞ! 民蔵分離については長南先生の論文がめっちゃおすすめ! CiNii 論文 -  民蔵分離問題をめぐる再考察 「下ヨリ迫ラレ」る政府 https://t.co/oHnt0hxUmn #CiNii
RT @iga_iganao: こちら実際の大隈の演説音声。あるあるあるある言っている。 https://t.co/t5x8NHguOM #青天を衝け
RT @iga_iganao: 五代くんと渡辺昇の接点ぐぐってたらこのようなものに行き当たった。五代くんが持ちかけた商社計画に関して、木戸さんが昇をパシッている/CiNii 論文-薩長商社計画と坂本龍馬:坂崎紫瀾の叙述をめぐって(<小特集>江戸・幕末、近代の日本) https:…

13 0 0 0 OA 伊藤博文公

RT @TatsuUwa: 伊藤博文没後20年に国民新聞主催で行われた講演の講演録『伊藤博文公』に収録されている渋沢栄一の講演が面白いです。伊藤と渋沢の関係を知る上でも有益かも。 https://t.co/Mi6kLJu62Y

22 0 0 0 OA 斃休録

RT @kokeshinookimon: 彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
RT @hono_mt: ⑦天保元年・慶応・戊辰・明治十年二本松藩士人名辞典(国立国会図書館デジタルコレクション) 戊辰関係かと言われると微妙だが、とりあえず「二本松藩士略伝」には戊辰戦争期の人物が複数掲載されており、あいうえお順掲載なので探しやすい。 https://t.co…

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

RT @hono_mt: ⑥維新戦役実歴談(国立国会図書館デジタルコレクション) 元長州藩兵による、戊辰戦争体験談集。戊辰50周年記念で作成された。話者に二本松城下戦体験者が複数おり、「激戦になるかと思いきや意外と大したことなかったわ」など率直かつ容赦ない回想をしてくれている…

24 0 0 0 OA 二本松藩史

RT @hono_mt: ①二本松藩史(国立国会図書館デジタルコレクション) 言わずと知れた基本資料。旧藩士を中心とした編纂委員メンバーがお送りする、最初から最後までどこ開いても二本松藩な本。元々戊辰史として企画されたものなので全編とおして戊辰関係の話題が多め。収録史料も充実。…
RT @kokeshinookimon: 栗本のフランス訪問については以下のもの。 https://t.co/OYYrBYKb5p

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

RT @hono_mt: 『維新戦役実歴談』は長州藩兵視点の二本松城下戦のエピソードが沢山乗っててたいへん面白いですよ…。 「新式銃用の弾が武家屋敷の玄関に放置されてたからありがたく貰った」とか「鉄砲玉より矢が飛んでくる時の方がこわい!」とか(血涙) https://t.co/…
RT @zasetsushirazu: 文久3年5月29日(1863年7月14日)、中島名左衛門が死去。幕末の長州藩に雇用された洋式砲術家。上田純子「萩藩文久改革期の政治組織」(『史学雑誌』109-11)曰く、世子御前会議で「西洋諸国の軍事的優位を指摘し、下関の手薄な配備を痛切…

10 0 0 0 OA 幕末外交談

RT @rekishi_info: 田辺太一の『幕末外交談』も国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができますよ! https://t.co/sZoVjgMOME #英雄たちの選択
RT @oretatami: https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
RT @zasetsushirazu: 明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が…

8 0 0 0 OA 東湖全集

RT @yukikane66: 平岡円四郎のことを調べるのであれば、実父岡本忠次郎(豊洲)のことから調べなければならない。藤田東湖の『見聞偶筆』に忠次郎のことが書いてある。 https://t.co/U0mQOxfuSf

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

RT @oretatami: https://t.co/jElmf1LvSG 維新土佐勤王史読者に一大インパクトを与える尾崎幸之進さんの「奇行異装」集!! RT
RT @zasetsushirazu: 明治27年6月2日、森寛斎が死去。長州藩出身の日本画家。高久嶺之介「北垣晋太郎の幕末」(『社会科学』49-2)は、北垣国道が生野の変に参加した後、「長州に潜伏し,奇兵隊に幕府の間諜と怪しまれ,処刑されんとした時」、森に救われた逸話と、その…

11 0 0 0 OA 御届

RT @nagisanoyuki: 平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
RT @zasetsushirazu: 大正11年5月19日、江原素六が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争で新政府軍と戦った後、沼津兵学校設立の中心人物。麻布尋常中学校(麻布学園の前身)を創設。久木幸男「江原素六教育勅語変更演説事件」(『教育学部論集』4)は、「教育勅語を批判」した1…
RT @zasetsushirazu: 昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研…
RT @zasetsushirazu: 明治44年5月13日、谷干城が死去。幕末の土佐藩出身で、坂本龍馬とも交流があった。中野目徹氏は、小林和幸『谷干城』(中公新書、2011年)の書評(『史学雑誌』122-8に掲載)で、西南戦争での活躍や貴族院の重鎮としての立場など重要人物であ…
RT @ambujam10: 出典:「東海紀行」(17歳の公が成島筑山先生に出された旅の様子を書く宿題) 13日分しかない短くて読みやすい日記で、国会図書館のデジタルアーカイブで福井県文書館研究紀要掲載の翻刻文が読めます。雷嫌いを藩士に諫められたことや克服を誓ってるのが面白いで…
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? 坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩 (2010年度萌芽的プロジェクト研究B6「後期水戸学史料研究会」 研究報告 水戸藩と幕末の政治情報)(田中 有美),2012 https://t.co/F1xrdaFtaN

31 0 0 0 OA 阪下義挙録

RT @TatsuUwa: 田中光顕が坂下門外の変を語っていて、田中同様長生きした渋沢栄一の話も出てきます。田中は安藤信正を襲った浪士側を顕彰するわけですが、この本のインタビューで、安藤信正をある部分だけ褒めていて、それが田中の勝手な理屈で面白いです(笑) #青天を衝け htt…
淺川道夫先生の論文です。 CiNii 論文 -  幕末の兵糧パンについて (特集 戦争と兵站) https://t.co/jDkRTZn6uH #CiNii
RT @kokeshinookimon: この論文おもろいで。 https://t.co/bg8KYI5W0U
RT @zasetsushirazu: 佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)は、幕末の薩摩藩家老の寓居で、薩長同盟の舞台として注目されている近衛家別邸・御花畑について、「それ以前の実態」も含めて考察。薩土盟約の舞台となったこ…
RT @show_giku: 山県周南 吉田松陰でググったら見つけた ソウダッタノカー 近世における一人称代名詞「僕」の使用をめぐって : 江戸中期の徂徠学派〈山県周南〉から幕末の〈吉田松陰〉へ https://t.co/Dyt6JgzuCU

5 0 0 0 OA 昨夢紀事

RT @lalan1858: 賄賂の甲斐もあってか、嘉永2(1849)年には火附盗賊改となりました。 水野はのちに慶喜公の将軍継嗣擁立に暗躍するのですが、その頃に福井藩士の中根雪江に語った話です。 https://t.co/gvcbIMMRUD 水野の名誉のために書いておくと…
CiNii 論文 -  平岡円四郎の「慶喜公言行私記」について--安政4年の将軍継嗣問題と慶喜神話をめぐる一史料 https://t.co/2U7SFioQY0 #CiNii
CiNii 論文 -  渋沢栄一の運命を変えた平岡円四郎 https://t.co/oncxXfXltD #CiNii
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
京都守護職松平容保公が藤本鉄石を招き諮問。在京浪士を束ねる事のできる者を自藩に所属させようと考えていた…。 先日の中村先生のご講演メモを纏めながらこの論文の存在を思い出した。 CiNii 論文 -  天誅組挙兵直前の藤本鉄石と岡山藩 https://t.co/0ttjSrPsp3 #CiNii

2 0 0 0 OA 口上覚

RT @minato_i_: 10月24日は #武市半平太誕生祭 と一次資料が~って話が同時に流れてきたので、元治元年に #清岡道之助 達が連名で武市さんに寛大な処置をと奉行所に願い出たのをペタペタ。(引用元:口上覚:https://t.co/LjG9ItJgpB) 土佐は詳し…
RT @nagisanoyuki: 同愛社五十年史より凌雲先生の次男、高松静先生の写真。静先生は子供の頃、父親が大変厳しい人に見えたそうですが、父親や夫としての凌雲先生はどんな感じだったのか正直あまり想像がつきません。 https://t.co/auLhPU66Oz http…
RT @zasetsushirazu: 安政6年10月7日(1859年11月1日)、松平慶永の腹心として活躍した橋本左内が処刑された。高木不二「グリフィスと橋本左内」(『福井県文書館研究紀要』13、2016年)は、米国ラトガース大学が所蔵する『橋本左内略伝』について考察。 ht…
RT @zasetsushirazu: 明治9年9月23日、儒学者・安井息軒が死去。私塾・三計塾の門人には、陸奥宗光・品川弥二郎・谷干城・雲井龍雄・世良修蔵・井上毅などがいた。古賀勝次郎「安井息軒の生涯」(『早稲田社会科学総合研究』8-2)によれば、藤田東湖を通じて徳川斉昭に攘…

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @mia66sa_ga: 公伝によるとですね… 直正公も「彼らは国の経済を知らず」って、ちょっと越前の人たちをディスってますね( ̄∀︎ ̄;) でも、「奥の兄」だからこのままにはしておけないって直正公は筆姫のこと大切に思ってたのね〜( ˘͈ ᵕ ˘͈ )
詳しくはこちらの論文を読んでみてください(^^) CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
長崎小島養生所を建築面からみた論文です。 CiNii 論文 -  19世紀の西洋の病院指針の比較による長崎小島養生所に関する計画史的研究 https://t.co/kcVNm2KhJB #CiNii
CiNii 論文 -  幕末期鳥取藩京都藩邸の所在と拡大--絵図からみる空間的拡大過程 https://t.co/lgJbMy6o2y
RT @zasetsushirazu: 明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題…
氷上真光院に関する論文。近世中期に成立した「真光院差図」と「宝乗坊差図」を基にそこに描かれている諸堂の特徴を明らかにしたもの。 これも読んでおかねば・・・。 CiNii 論文 -  近世氷上山境内の広域差図とその細部構成 https://t.co/dYMzh7LxDK #CiNii
七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 -  周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
RT @zasetsushirazu: 阿部裕樹「鳥取藩軍・新国隊をめぐる諸問題-創立者・岸本辰雄の周辺-」(『明治大学史資料センター報告』35、2013年)は、明治大学の創立者・岸本辰雄が所属していた組織で、慶応4年3月に京都で結成された新国隊を分析。新国隊を「鳥取藩の重要な…
読了! CiNii 論文 -  幕末期幕府と諸藩の洋学振興政策--軍事科学的洋学の受容・展開過程を中心に https://t.co/184zatpwx9 #CiNii
読了! 幕末期に創設された医学館について、役割と機能を重点に置いて解明した論考です。 CiNii 論文 -  幕末期長州藩における医学館の創設とその機能 https://t.co/FPJSWtBz9w #CiNii
長州藩の藩政史料や関係史料に基づいて、西洋兵学者であり尊王攘夷派でもあった松島剛蔵の実像を解明することを研究目的とした論考。 CiNii 論文 -  松島剛蔵と洋学 : 長州藩洋学者が歩んだ尊王攘夷派への道 https://t.co/urK1lZ44ja #CiNii
日本医師会と明治大学図書館で事前に申請したら閲覧できるのかな・・・('ω') CiNii 図書 - 佐倉順天塾社中姓名録 : 順天堂大学医史学研究室所蔵 https://t.co/nnPGJ0bLuH #CiNii
RT @zasetsushirazu: 工藤憲一郎「藩屏概念の具現化をめぐる相剋-寺田屋事件の思想的一断面-」(『國士舘大學政経論叢』27-1)は、島津久光の率兵上京に関して、久光と有馬新七らの間で基本目標はほぼ同じだったが、軍事力行使に対する考えに隔たりがあったと指摘。 ht…
RT @machi82175302: 『日本研究所紀要』第12号はKUIS学術情報リポジトリで公開しました。拙稿「慶応二年前半の政局と薩摩藩―「小松・木戸覚書」以降の動向を中心に」もダウンロードが可能です。https://t.co/jW0JUjCOHp
RT @zasetsushirazu: 明治12年3月11日、司馬凌海が死去。佐渡出身の医師で、幕末期に松本良順の助手を務めた。ドイツ語辞典の『和洋独逸辞典』を編纂。池田哲郎「本邦におけるドイツ学の創始について」(『福島大学学芸学部論集』14-2、1963年)曰く、「幕末から明…
RT @machi82175302: 拙稿「長州藩処分問題と薩摩藩―幕府・越前藩関係を中心に」(神田外語大学日本研究所紀要11号、2019年)はこちらで!https://t.co/wcj78NFn9Z
RT @minzokunokai1: 国立国会図書館のデジタルで「山口史蹟概覧 皇政復古七十年記念」を見つけて、かぶりつきで読んでる。山口市役所発行 そうとう、面白い。各支藩のあった場所とか、諸隊会議所の場所とか まだ、あのころの記憶を持った人たちが生きている時代だからくわしい…
RT @jir026: 警視庁史編纂資料. 警察官及消防官ノ服制徽章 他 https://t.co/mWoiDRoFyv は?なんか最高なの見つけた(もっと早く見つけたかった…)

8 0 0 0 OA 鯨海酔侯

RT @nagisanoyuki: 駄菓子の話、出典は坂崎斌の「鯨酔酔侯」なんですけれど、これがいつ頃の話なのか、本当の話なのかは不明。 https://t.co/JwshEawmy4 https://t.co/vOD0UrqXOk
RT @zasetsushirazu: 明治9年1月29日、戸塚静海が死去。シーボルトに学び、将軍家の侍医を務めた初の蘭方医。薩摩藩主の島津斉興と島津斉彬に仕えた時期もあり、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、薩摩藩士の蘭学…
CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
RT @AdachiTeyandei: CiNii 論文 -  明治維新と長州神道界 : 靖国神社成立の基層 https://t.co/8ZQsDAsT3o #CiNii 文久二年十月十七日の粟田山屋敷での松陰先生慰霊祭のことも靖国神社のルーツとして取り上げてるよ!!

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @nagisanoyuki: 該当部分は国デジで読めますね。三者三様の言動が目に浮かぶようですが、老人云々の軽口を宗城公ではなく春嶽公が言い出してるあたり、この姻戚関係の気安さを伺える気がします。 https://t.co/xOcSBMupYt https://t.co/…

4 0 0 0 OA 復古記

RT @hana76781232: アドレス間違えたごめん https://t.co/hbtp7KYhhq
RT @zasetsushirazu: 明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)…
RT @zasetsushirazu: 明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家…
RT @zasetsushirazu: 安政2年7月26日(1855年9月7日)、井戸弘道が死去。幕末の幕臣で、嘉永6年のペリー来航の際に浦賀奉行。後年、永井尚志は、学識はあるが、「決断之乏敷は、其短なる所」と評した。河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」(『茨城大学人文学部紀要…
RT @zasetsushirazu: 慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒になったと指…
RT @zasetsushirazu: 竹ヶ原康佑「長州処分問題をめぐる仙台藩の動向」(『駿台史学』159、2017年)は、元治元年〜慶応期の仙台藩を分析。西国情勢の探索を通じて、中下級藩士層の中に長州藩への同情的意見が目立ってきたことを指摘。また、単独での行動よりも外部との連…
RT @domioriha: CiNii 論文 -  箱館戦争降伏人と静岡藩 https://t.co/QrvYKUxIRF #CiNii 今日唐突に知ったんですが戊辰戦争の終結後、箱館に残されていた旧幕府兵を静岡藩が受け入れることになり、後の静岡県知事になる関口隆吉らと共に…
RT @zasetsushirazu: 明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号』(講談…
RT @zasetsushirazu: 岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で、ここで…
RT @zasetsushirazu: 須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に、援助金…
RT @zasetsushirazu: 明治19年11月28日、尺振八が死去。英語が堪能で、幕府の横浜鎖港談判使節などに随行。慶応3年の渡米で、大統領にも会った。明治期に英語塾・共立学舎を設立。越石結花「『乙骨太郎乙日記』 の中の尺振八」(『英学史研究』24)は、幕臣・乙骨太郎…
RT @T_urade1987: 奈良勝司さんの「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、公開されていました。面白い論文です。是非一読願えれば。 https://t.co/sueJyFALkc
RT @zasetsushirazu: 慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に居を定めた。ここが、陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報』2016年度)は、中岡が白川邸を使う…
RT @lalan1858: この論文も紹介。 「むしろ海軍力を沿岸海軍の枠外で活用しようとする動きは軍艦方以外から起きる。」と、小笠原島回収の話が登場。 CiNii 論文 -  文久期における幕府の海軍運用構想 (『史学』文学部創設一二五年記念号第一分冊(第八四巻第一-四号…
RT @hakuboku0810: 中牟田倉之助の上海での行動が詳しく論じられてるのが、こちらの論文。行動範囲が視覚的にわかります。 https://t.co/Om06QhJ7RT #どん頃 #佐賀藩

10 0 0 0 OA 関西巡回記

RT @nagisanoyuki: 前もつぶやいたんですが、村田氏寿の関西巡回記は、彼の観察眼の鋭さや当時の武士の旅行の様子を知ることが出来る、とても興味深い内容だと思います。 https://t.co/ZUczbJ8JFz
RT @kouteipengin14: お陰さまでゲットできました! この紀要の主要な所蔵機関は https://t.co/LCGH2osH3f で確認できるし、「近くに図書館ない!」って方でも、頼めば郵送で送ってくれる図書館もあります。(その都道府県・市町村に住んでるなど条件…

15 0 0 0 OA 橋本左内言行録

RT @asahiji_myoko: なお、山田秋甫編著『橋本左内言行録』は国立国会図書館デジタルコレクションでもご覧になれます。https://t.co/GTdpeKOFxo
RT @kouteipengin14: 所蔵機関はこちらのようです。 CiNii 雑誌 - 徳川林政史研究所研究紀要 https://t.co/KSK3St2Jwb #CiNii

お気に入り一覧(最新100件)

「江戸藩邸毎日記」が、去年、家からでも閲覧できるようになっていたのか。 関連してメモのため、↓これも貼っておきます。 「対⾺宗家文書の可能性」 https://t.co/8jt1Z0te3g https://t.co/2oFlEp1Yuc
拙稿「文久・元治年間における三条実美の歴史的位置」が機関リポジトリで公開されていました。よろしくお願いします。 https://t.co/pGSp8OEI74
砲術家の高村酒造丞さんはこの家の方だと思ってたけど違ったかな? 「岩井孫六江戸日記」の筆者はこの「高村先生」と仲良しで連日囲碁打ったりボラ釣ったり遊びまわっていた笑 https://t.co/TIz0F1cHpZ
拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史談』274)などがある。 https://t.co/zfid4b1L5f

3 0 0 0 土佐史談

松村巌のとさ史談68号「坂本龍馬」 近江屋の奥さんに取材してて「妻の談によれば、中岡は焚飯を食いたいというてこれを近江屋の妻に求め、近江屋の妻は為めに焚飯を拵えて進めたりと云う」に 奥様レシピ教えてください!の突撃したい。 https://t.co/6FM4LNmnwL
おーいし圓手記「思出草」は土佐史料446巻に収録されていたけど高知空襲で焼失してもう読めない

1 0 0 0 幕末維新

おーいし圓手記「思出草」は土佐史料446巻に収録されていたけど高知空襲で焼失してもう読めない
維新後に書いたのだけど山川良水筆記の「大石弥太郎、初めてミニエー銃を長崎より求め来たりて、藩内の人々直ちにこれを愛す」もあるか 買ってきた銃の話題より大石さんの長崎土佐行ったり来たりのリアタイ史料が知りたいんですけど… 圓さんが上士の日記に出てきて嬉しい
してて、大石弥が文久3年に洋銃独断購入したときに長崎~土佐の道中に田所先生とばったり会って同行した、と出てくるし、 左右次先生文久3年の長崎にいるよ~!!!と思った大石クラスタ https://t.co/oRNAry2aRW

2 0 0 0 土佐史談

https://t.co/Z2siElvzZg 今年読んだ中で面白いな~と思った近江屋、 とさ史談「坂本龍馬先生事蹟余聞」の 「高知県人で土佐史談会員の市村梅太郎君が、少壮の時この今井信郎氏に面会し、親しく暗殺当時の物語を聞いたことがあった」の談話で 藤吉と龍馬が刺客に抗戦してるところ

1 0 0 0 土佐史談

https://t.co/rrIELA7sr2 武市佐市郎が「古老の話に、明正寺には各地の志士が集まって付近の子供たちに花火など作って遊ばせたり、武道を教えたりした。 地元の小祭りに相撲の催しがあり、志士たちは地元の若者相手に相撲をとっていた」と書いてるのが好き 元力士の真田、無双できるじゃん
https://t.co/5NVZI46ASp 『「坂本龍馬」の誕生』著者の博士論文 国会図書館に行かないと読めないかと思っていたらNDL経由でも公開されてたんですね
『函館戦争史料. 第1輯』,(官祭函館招魂社社務所) これ個人送信で見られるんで見たきゃ見といて https://t.co/UJJGp4xUMb
https://t.co/dLwXxKlQ7K 文久2年12/4の武市さん→おとみどの家信 間崎さん&弘瀬が高知に帰るから届けてもらってたんだ!!
飯島章「戊辰戦争期旧幕府軍通行の一考察」 https://t.co/6l24OCWiMX 「旧幕府軍は移動に際して(中略)輜重隊のようなものを保有していなかった」「沿道の宿村の人馬を徴発し運搬させるしか手立てがなかった」

1 0 0 0 東津野村史

『ひがし津野村史』、「能津に藤岡神社として宮地宜蔵の首を祭る所がある。」ってなんですか!? 首!?宜蔵は病死なのに!? あと生家の写真があったんだ!! https://t.co/xUnp9qd8Y4

1 0 0 0 幕末維新

https://t.co/dv4sPhzaiM 豊範、エピソード類が少なすぎて神本『土佐の殿様列伝』の著者ですらぶっちゃけ書くことないです!と困ってる~ 山内家史料の豊範逝去記事に収録されている「清水昌六手記」は、家臣が幕末の豊範エピソードを語った珍しいものだと思う
こちらの論文中の「表1『都下諸流試合姓名帳』(弘化4年4月)にみる練兵館門下生の他流試合数」に出てくる「近藤道場」って、試衛館の事だろうか。 https://t.co/GW8onVFRxK
https://t.co/VQTT70b7DQ 羽田野さんの伝記だと、吉田の羽田野さん宅に潜伏した志士の中の一人として以蔵がカウントされてる。(次デジすごすぎる~) https://t.co/UiufXatuqF

52 0 0 0 OA 豊橋市史談

豊橋の国学者羽多野敬雄の書簡に文久3年12月の以蔵の動向が出てくるんだ。 羽多野さんへ攘夷事件を語ったり新居の飯田武兵衛本陣に泊まったりしてる。 https://t.co/8xzDM9MkbO
ご教示いただいたんですが、同様の簡易的な内容は「明治天皇御巡幸記(昭和5)」https://t.co/zs9vnJboTJ にあります。ただしこちらは胤彪の脱字あり

8 0 0 0 OA 佐川町誌

『佐川町史』に那須盛馬の書翰がほぼ全文含まれています。平尾道雄は一部使っていますが、あまり知られていないものなのでは。西郷の一存で田中光顕が薩摩藩に召し抱えられたことなどが書かれており、興味深い。 https://t.co/qovq1zFYCs
著者 上野智子氏の「『武市瑞山獄中書簡妻及び姉・妹あて』の中の高知方言」 https://t.co/n0zTWM60Za と、瑞山書簡中の方言や話しことばを取り上げた諸星美智直氏の「武市瑞山文書から見た土佐藩士の言語について」もネットで読むことができる。 https://t.co/W0puRo5NLz
久々に論文読む 「おわりに」に書いてある一説 松根の銅像もつくってほしいね https://t.co/AHFbI1Un0t https://t.co/ANHR4tauCL

17 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

参考文献 『玉里島津家史料 4』(「五卿ノ従者氏名」) 『維新史料 七卿西竄始末初篇』(巻之十二) 『維新日乗纂輯 第1』(「白石正一郎日記」) https://t.co/4lNazBzUEt 『維新日乗纂輯 第2』(「日知録(真木直人日記)」) https://t.co/D47OFwSloR 『真木和泉守』 https://t.co/5U4w3WFwOJ

14 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

参考文献 『玉里島津家史料 4』(「五卿ノ従者氏名」) 『維新史料 七卿西竄始末初篇』(巻之十二) 『維新日乗纂輯 第1』(「白石正一郎日記」) https://t.co/4lNazBzUEt 『維新日乗纂輯 第2』(「日知録(真木直人日記)」) https://t.co/D47OFwSloR 『真木和泉守』 https://t.co/5U4w3WFwOJ

3 0 0 0 OA 真木和泉守

参考文献 『玉里島津家史料 4』(「五卿ノ従者氏名」) 『維新史料 七卿西竄始末初篇』(巻之十二) 『維新日乗纂輯 第1』(「白石正一郎日記」) https://t.co/4lNazBzUEt 『維新日乗纂輯 第2』(「日知録(真木直人日記)」) https://t.co/D47OFwSloR 『真木和泉守』 https://t.co/5U4w3WFwOJ
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP
酒入陽子「戊辰戦争における彦根藩戦死者顕彰碑考」(『滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要』54、2021年)は、東京都世田谷区の豪徳寺(彦根井伊家の菩提寺で、井伊直弼の墓もある)にある、戊辰戦争で大鳥圭介ら旧幕府軍と戦って死んだ彦根藩士たちの首塚碑などを紹介する。 https://t.co/PclBzNrJyc

1 0 0 0 OA 亡友帖

長谷川鉄之進の話題になったので調べたところ、 「亡友帖」(国デジ:石田英吉関係文書1-19) https://t.co/TqeZt0IELq 慶応4.5.23建白〔王師討賊の事〕(北の丸:建00001100) https://t.co/ffx1azHG17 などを発見。「亡友帖」は時期が慶応3年冬の上京途中なのが興味深い。

5 0 0 0 OA 史籍雑纂

次は平井収二郎『隈山春秋』。土佐勤王党の平井収二郎の在京日記で、武市の在京日記と見比べて読むと楽しいです。岡田以蔵が大坂で麻疹にかかった際の「30歳以下でかからない者は居ない」の記述はこちらに載ります。『史籍雑纂』第5にあり、国デジオンラインで読めます。 https://t.co/cHGFEBF82T
本間精一郎が気になり調べたら『越佐維新志士事略』という本を国デジで見つけた。大正十一年刊。 https://t.co/GCo7G2dOEn
文久2年閏8月20日(1862年10月13日)、本間精一郎が死去。安政期に、幕臣の川路聖謨に仕えたことがある。笹部昌利「「人斬り」と幕末政治」(『鷹陵史学』31)曰く、「越後出身の浪人で、義挙を企て、土佐の吉村寅太郎とも親交」があった。岡田以蔵らに暗殺されたと言われる。 https://t.co/irwGXHBXPI

3 0 0 0 OA 真木和泉守

@shibawankok2 https://t.co/3gNUEmblyC 「菊四郎には二人の子女があった」とありました。若い印象があったのでびっくり!いつの間に!
昭和19年10月7日、中川小十郎が死去。西園寺公望の秘書を長く務めた人物で、立命館の初代総長。親族が、戊辰戦争で山陰道鎮撫総督の西園寺に仕えた縁もある。最新の研究に、長谷川澄夫「中川小十郎編の未刊維新史稿本について」(『立命館史資料センター紀要』4、2021年)。 https://t.co/ijSz520JkV

10 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昨日の青天で登場した蓮池の吉武功成 。『佐賀藩海軍史』は国デジで見れました。 越前堀にあった第三十国立銀行の預金者として名前があった。 間違いなく、吉武氏が蓮池の人でしょうね。 https://t.co/ZyIoX9NCvb https://t.co/PgdwyPppsR https://t.co/SfELgwybMi
民蔵分離はいいぞ! 民蔵分離については長南先生の論文がめっちゃおすすめ! CiNii 論文 -  民蔵分離問題をめぐる再考察 「下ヨリ迫ラレ」る政府 https://t.co/oHnt0hxUmn #CiNii
こちら実際の大隈の演説音声。あるあるあるある言っている。 https://t.co/t5x8NHguOM #青天を衝け

13 0 0 0 OA 伊藤博文公

伊藤博文没後20年に国民新聞主催で行われた講演の講演録『伊藤博文公』に収録されている渋沢栄一の講演が面白いです。伊藤と渋沢の関係を知る上でも有益かも。 https://t.co/Mi6kLJu62Y

1 0 0 0 OA 土佐名鑑大全

https://t.co/ShHJ3nKKuB とさ名鑑大全ポチポチ 明治40年代に高知で開業していた弁護士として中岡照行を見つけた。 慎太郎の故郷宛の手紙に初太郎様と出てくる慎太郎のお姉さんの息子

4 0 0 0 OA 奇兵隊日記

好きな問題児有隣は、奇兵隊日記文久3年10月の 「富永有隣 御茶屋において総管に相背くに付き 御玄関にて狙撃隊へ命じ縛り連れ帰り候事」のゆーりんです!

22 0 0 0 OA 斃休録

彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
⑦天保元年・慶応・戊辰・明治十年二本松藩士人名辞典(国立国会図書館デジタルコレクション) 戊辰関係かと言われると微妙だが、とりあえず「二本松藩士略伝」には戊辰戦争期の人物が複数掲載されており、あいうえお順掲載なので探しやすい。 https://t.co/N2hxzQvweA

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

⑥維新戦役実歴談(国立国会図書館デジタルコレクション) 元長州藩兵による、戊辰戦争体験談集。戊辰50周年記念で作成された。話者に二本松城下戦体験者が複数おり、「激戦になるかと思いきや意外と大したことなかったわ」など率直かつ容赦ない回想をしてくれている https://t.co/NSScjmtLER

24 0 0 0 OA 二本松藩史

①二本松藩史(国立国会図書館デジタルコレクション) 言わずと知れた基本資料。旧藩士を中心とした編纂委員メンバーがお送りする、最初から最後までどこ開いても二本松藩な本。元々戊辰史として企画されたものなので全編とおして戊辰関係の話題が多め。収録史料も充実。 https://t.co/wt5xugKkdA

16 0 0 0 OA 維新戦役実歴談

『維新戦役実歴談』は長州藩兵視点の二本松城下戦のエピソードが沢山乗っててたいへん面白いですよ…。 「新式銃用の弾が武家屋敷の玄関に放置されてたからありがたく貰った」とか「鉄砲玉より矢が飛んでくる時の方がこわい!」とか(血涙) https://t.co/eJdBAqvdL9
文久3年5月29日(1863年7月14日)、中島名左衛門が死去。幕末の長州藩に雇用された洋式砲術家。上田純子「萩藩文久改革期の政治組織」(『史学雑誌』109-11)曰く、世子御前会議で「西洋諸国の軍事的優位を指摘し、下関の手薄な配備を痛切に批判した」後、暗殺された。 https://t.co/7f9iQ9RlY0
文久期に横浜鎖港交渉のため渡仏した使節団とパリ万博視察の使節団の随員写真。なかには羽織にワイシャツを合わせるような格好の者もいる。 https://t.co/2zCfd1HKSm

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け
みなせさんと千代田城の厠を探しまくって、一応それらしきものは見つけたのですが、どうも確信が持てないので、まだネットの海をウロウロしてる。これは大奥の御用場についての論文。 https://t.co/M2FpkdCtR1

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ

10 0 0 0 OA 幕末外交談

田辺太一の『幕末外交談』も国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができますよ! https://t.co/sZoVjgMOME #英雄たちの選択
昨日の海原先生の講座に関連して。この辺から明日読む。 https://t.co/fsL47jTRlQ

10 0 0 0 OA 中外医事新報

私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
川村正平関係文書56-42「私党人名書上げ」より 円四郎殿(平岡) 嘉兵衛殿(黒川) 作十郎殿(長谷川?) 勝三郎殿(猪飼) 亨造殿(榎本) 恵十郎(川村) このあたりが神メンという認識でよろしいでしょうか。 https://t.co/VsdTXrKtRd https://t.co/FOrciJvicS
明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が、権田の著作一覧を掲載。 https://t.co/aTdhajB1Qh
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです

8 0 0 0 OA 東湖全集

平岡円四郎のことを調べるのであれば、実父岡本忠次郎(豊洲)のことから調べなければならない。藤田東湖の『見聞偶筆』に忠次郎のことが書いてある。 https://t.co/U0mQOxfuSf
今日は来島又兵衛も登場。来島を狙撃したのは川路利良と聞いたことがあります。個人的な話ながら私は来島の生誕地近くで育ちまして、現在生誕地には石碑があります。長州の馬屋原二郎が大正になり語った『元治甲子禁門事変実歴談』 はなかなか面白いです。 #青天を衝け https://t.co/lQdVowdduY

31 0 0 0 OA 維新土佐勤王史

https://t.co/jElmf1LvSG 維新土佐勤王史読者に一大インパクトを与える尾崎幸之進さんの「奇行異装」集!! RT
明治27年6月2日、森寛斎が死去。長州藩出身の日本画家。高久嶺之介「北垣晋太郎の幕末」(『社会科学』49-2)は、北垣国道が生野の変に参加した後、「長州に潜伏し,奇兵隊に幕府の間諜と怪しまれ,処刑されんとした時」、森に救われた逸話と、その後の両者の交流を分析。 https://t.co/cdxiZu27Os

2 0 0 0 OA 柏原学介届書

先程リツイートした、鳴海さんが仰っていた、柏原学而が見立てをした川村さんの傷についての報告書。 柏原学介届書 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/uljbPme6QH

11 0 0 0 OA 御届

平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
この鈴藤からの書簡は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているから、現物を見て欲しい。 https://t.co/SWlDBMy7c1
大正11年5月19日、江原素六が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争で新政府軍と戦った後、沼津兵学校設立の中心人物。麻布尋常中学校(麻布学園の前身)を創設。久木幸男「江原素六教育勅語変更演説事件」(『教育学部論集』4)は、「教育勅語を批判」した1人として江原を分析。 https://t.co/nQTqBCQKgE
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr
明治44年5月13日、谷干城が死去。幕末の土佐藩出身で、坂本龍馬とも交流があった。中野目徹氏は、小林和幸『谷干城』(中公新書、2011年)の書評(『史学雑誌』122-8に掲載)で、西南戦争での活躍や貴族院の重鎮としての立場など重要人物でありながら、研究が少ないと指摘。 https://t.co/VRwmDsOHrf
出典:「東海紀行」(17歳の公が成島筑山先生に出された旅の様子を書く宿題) 13日分しかない短くて読みやすい日記で、国会図書館のデジタルアーカイブで福井県文書館研究紀要掲載の翻刻文が読めます。雷嫌いを藩士に諫められたことや克服を誓ってるのが面白いです(*´艸`*) https://t.co/bGwYUjjvOc

16 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

https://t.co/K3NsUdJYF4 水戸の酒泉さん日記だと 「武市は勇気平素に増し、笑を含み短刀を持ち腹を屠り腸つかみ出し官吏に向かい是でよしかと問い笑含みて死に入る」 「平井は腹を屠り腸を引出して抛ちたり」 「間崎の最後は謹粛にありしと由」 と、えらいことになってるぞ土佐勤王党幹部の切腹

31 0 0 0 OA 阪下義挙録

田中光顕が坂下門外の変を語っていて、田中同様長生きした渋沢栄一の話も出てきます。田中は安藤信正を襲った浪士側を顕彰するわけですが、この本のインタビューで、安藤信正をある部分だけ褒めていて、それが田中の勝手な理屈で面白いです(笑) #青天を衝け https://t.co/iW71AAdOfl
こんな論文どうですか? 坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩 (2010年度萌芽的プロジェクト研究B6「後期水戸学史料研究会」 研究報告 水戸藩と幕末の政治情報)(田中 有美),2012 https://t.co/F1xrdaFtaN

3 0 0 0 OA 幕末政治家

参考文献 福地源一郎著『懐往事談』の中から、  第五 井伊大老の不人気、井伊大老の横死 小山文雄著『明治の異才 福地桜痴』中央公論社 1984年 福地桜痴著 佐々木潤之介校注『幕末政治家』岩波書店 2003年 https://t.co/ytCdfYYSPr
#青天を衝け 9話、桜田門外の変により井伊大老が横死しました。 今回は、旧幕臣・福地源一郎の著書『懐往事談』から、#水野忠徳 #水野筑後守 が井伊直弼と桜田門外の変をどうとらえたか、を追ってみたいと思います。 https://t.co/lAz11AwcXE

1278 0 0 0 OA 明治天皇行幸年表

『明治天皇行幸年表』(明治天皇聖蹟保存会 編、大行堂、昭和8年)の96頁に記載がありました。(国会図書館デジタルコレクションでは56コマ) https://t.co/51Gmk4UMUP https://t.co/MChuhJINNR
この論文おもろいで。 https://t.co/bg8KYI5W0U
酒湯についての詳細はこちらを参照。 皮膚の病と境界の神 https://t.co/TAgiyuNfAf
佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)は、幕末の薩摩藩家老の寓居で、薩長同盟の舞台として注目されている近衛家別邸・御花畑について、「それ以前の実態」も含めて考察。薩土盟約の舞台となったことへの言及もある。 https://t.co/pAJttOjkZN
山県周南 吉田松陰でググったら見つけた ソウダッタノカー 近世における一人称代名詞「僕」の使用をめぐって : 江戸中期の徂徠学派〈山県周南〉から幕末の〈吉田松陰〉へ https://t.co/Dyt6JgzuCU

6 0 0 0 OA 続再夢紀事

@ambujam10 大蔵は春嶽公です

5 0 0 0 OA 昨夢紀事

賄賂の甲斐もあってか、嘉永2(1849)年には火附盗賊改となりました。 水野はのちに慶喜公の将軍継嗣擁立に暗躍するのですが、その頃に福井藩士の中根雪江に語った話です。 https://t.co/gvcbIMMRUD 水野の名誉のために書いておくと、出世してからは、多分賄賂はやってないです(^-^;;

2 0 0 0 OA 続再夢紀事

3コマ目の忙しい云々は、さらっとですが実際に書翰に書いてあります。ここで知己の交情に流されて断りきれずに書いてしまうのが春嶽公、流されないのが容堂公。(春嶽公経由での古香公からの依頼を長い間放置して、春嶽公に怒られてようやく揮毫した) https://t.co/eAn9UI9B0Z https://t.co/MJkSE4RPbf https://t.co/mLCqVAtG0X

48 0 0 0 OA 復古記

またこれもいっぱい広まっちゃったなあ…という感じなので…余計なお世話かもなんですけども、鎮撫隊は大久保一翁から甲州地方の百姓の鎮撫の為に遣わされた…というのが公式記録によるものです。(復古記を見てみてね https://t.co/R9t2hYnJhT ) https://t.co/VHVIF526Jh
「武家年中行事」によると今日は「七種之御祝儀」ということで、大名たちは熨斗目麻裃をつけて登城したそうです。春嶽公が福井藩主として初めて「七種之御祝儀」で登城したのは、天保11年の正月7日、数え13歳のときでした。 武家年中行事 https://t.co/cRHkOwBqsb 家譜慶永 https://t.co/4Kr1ahqJA8 https://t.co/ko4j0dJxEk
あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️

2 0 0 0 OA 口上覚

10月24日は #武市半平太誕生祭 と一次資料が~って話が同時に流れてきたので、元治元年に #清岡道之助 達が連名で武市さんに寛大な処置をと奉行所に願い出たのをペタペタ。(引用元:口上覚:https://t.co/LjG9ItJgpB) 土佐は詳しくないのですが、こんな方が名を連ねてましたよーと。#今日は何の日 https://t.co/cUNz2Haxxy
同愛社五十年史より凌雲先生の次男、高松静先生の写真。静先生は子供の頃、父親が大変厳しい人に見えたそうですが、父親や夫としての凌雲先生はどんな感じだったのか正直あまり想像がつきません。 https://t.co/auLhPU66Oz https://t.co/7IyRmJhgXT
探しものをしていたら、全然違うところで春嶽公の逸話を発見。容保公は牛乳嫌いだったそうですが、春嶽公は愛飲してたっぽい。團野の牛乳屋って福井だけじゃなくて東京にもあったの? 文部大臣を中心として評論せる日本教育の変遷 https://t.co/D86WT5OeAj https://t.co/PGZivHyISa
明治9年9月23日、儒学者・安井息軒が死去。私塾・三計塾の門人には、陸奥宗光・品川弥二郎・谷干城・雲井龍雄・世良修蔵・井上毅などがいた。古賀勝次郎「安井息軒の生涯」(『早稲田社会科学総合研究』8-2)によれば、藤田東湖を通じて徳川斉昭に攘夷に関する意見書も提出。 https://t.co/lwuXCrKCNo

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

公伝によるとですね… 直正公も「彼らは国の経済を知らず」って、ちょっと越前の人たちをディスってますね( ̄∀︎ ̄;) でも、「奥の兄」だからこのままにはしておけないって直正公は筆姫のこと大切に思ってたのね〜( ˘͈ ᵕ ˘͈ )

89 0 0 0 OA 豆腐百珍

朝食ブッフェに江戸時代の豆腐料理本に載っている「雪消飯」がありました。優しいお味でとても美味しかったので、おうちでも作りたい。 豆腐百珍 https://t.co/AqBureV9EK https://t.co/jXOUca0qDz
こちらです 「高知市のNHK大河ドラマによる観光振興」 https://t.co/NDjuc5nQ0l
明治12年には「よしだ東洋を平清盛に擬し、日ごと酒池肉林に溺れる適役として、ついには正義派の主人公(オリキャラ)にかたきを討たれるというストーリー」の小説が大阪で出版されたそうです

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