- 著者
-
中島 秀之
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.74, no.8, pp.526-532, 2019-08-05 (Released:2020-01-31)
- 参考文献数
- 27
近年,AIが歴史上初めて実用に供されるようになった.その中心技術は深層学習(Deep Learning)である.しかしながら,学習とは過去のデータに依存する方式であり,万能ではない.ここではAIの他の部分に焦点を当て,複雑系をはじめとするAIの哲学的側面を論じ,今後のさらなる発展の方向性を示したい.知能は複雑系であり,またその扱う対象も複雑系である.複雑系では完全情報が得られず,アルゴリズム(計算結果の正しさを保証する機械的手続き)が構築できない.そのような系をうまく扱うことが知能の働きだと考えている.そして,人間はそのような処理に長けている.AIでもそのような手法が求められる.AI研究は,コンピュータによる記号処理でそのような人間の能力を実現しようとして始まったが,それは同時に知能とは何かということの追及でもあった.初期のAIでは記号の処理が知能の本質であると考え,外界の情報を記号化して内部に取り込み,それを使って推論しようとした.そこでは直ちに「フレーム問題」が発見された.これは対象物に関する知識を記述しようとすると膨大なものになり,その中から推論や判断に関係するものだけを適切に抜き出して処理することが不可能であるというものだ.人間には,関係する知識のみに焦点を絞ったり,不完全な知識の下でも推論したりして,(たまに間違うが)適切な解を見出す能力がある.AI研究者はこれを「常識推論」と呼び,フレーム問題の解決を試みたが,失敗した.全てを内部表現で処理しようとしたのが失敗の原因だ.複雑系の全てを表現できるわけがない.近年では得られる情報は部分的であるという前提に立つ「限定合理性」の考え方が中心となっている.一方,生態学,システム論,心理学など様々な分野で,環境との相互作用の定式化が試みられている(オートポイエシスや環世界など).情報の全てを個体内で処理するのではなく,環境をうまく使うのだ.その方向性の一つにブルックスがロボット用アーキテクチャとして提案した,内部表現に依存しない(しすぎない)「服属アーキテクチャ」(subsumption architecture)がある.これを更に環境まで含めたループとして拡張することによって環境との相互作用を利用する知能アーキテクチャとなる.知能を含む複雑系を対象とする研究の方法論にも同じ枠組みが適用できる.分割統治を中心とする分析的方法論と並置できるような,複雑系の構成的方法論を提案する.この方法論の核心は環境を経由する速いループを多数,並列に回すことである.このループの一つを展開するとそれは更に多数のループが並立する構造になって,フラクタル構造となっていることがある.実際,分析的方法論のループは構成的方法論の一部となっていると考えられる.この構成的方法論はAI研究に使えるだけではなく,IT(情報技術)一般に使える.速いループを回す手法はソフトウェア開発ではアジャイル開発技法と呼ばれ,採用されている.20世紀は物理学が飛躍的に発展した時代であった.21世紀は,20世紀に開発された様々な技術を用い,情報が社会の仕組みを変えようとしている.