- 著者
-
小川 眞里子
- 出版者
- 科学技術社会論学会
- 雑誌
- 科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, pp.43-52, 2021-05-20 (Released:2022-05-21)
- 参考文献数
- 17
筆者自身のテーマについては,特集に先立って2020年3月に短い報告を『GRL Studies』に発表しているので,関係図表はそちらに譲り,本稿では出来るだけ重複を避け新しい情報を盛り込むよう努めた.戦前に女性博士は100名以上誕生し,その8割以上は医学博士であった.彼女たちに正規の大学教育は開かれておらず,医学部や工学部が女性に門戸を開くのは戦後のことである.戦前において科学を学び研究を志す女性を救ったのは,1917年創立の理化学研究所であった.戦後,新制大学が開かれ建前上女性はどの学問を志すこともできるようになった.しかし,日本初の女性工学博士の誕生は1957年であり,STEMM分野への女性の進出は依然として少ない状況であった.女性の専攻分野に多様性が出てきたのは,1986年の男女雇用機会均等法が施行されてからである.今日,日本のみならず,世界的にSTEMM分野の人材の多様性が求められ,女性の参入が期待されてはいるが,他の先進国に比べ日本は大きく後れを取っている.九州大学をはじめ女性枠採用教員の活躍は,ダイバーシティ推進に向けた大きな一歩と言えよう.