- 著者
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山田 稔
- 出版者
- 千葉大学
- 雑誌
- 千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
- 巻号頁・発行日
- vol.40, pp.85-128, 1987-11-30
- 被引用文献数
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複式簿記には,純利益の算定と,また,経済財の現在価値量の把握という2側面がある.勘定組織によって,期末貸借対照表の資産-負債=資本と期首の資産-負債=資本となり,期末資本-期首資本=純財産となる.これが損益計算書の総収益-総費用=純利益と一致することによって,簿記の自己監査機能が保持されるとみるのが,勘定組織の静的考察である.一方動的考察では,組織と体系は社会経済の発展段階に対応する利潤追求のための資本循環として認識する.農業複式簿記も簿記である以上,動的考察の対象として位置づけられる.農業複式簿記の対象は家族経営であり,これは経営発展段階では第1期に位置づけられる.家族経営は第1に生活をするための生業であること.第2に生活に必要を所得獲得に狙いがある.第3は生産財か消費財かの区分が明確でない.第4は計算思考も資産-負債=資本という資本等式である.家族農業経営は,最大利潤の獲得でなく,生活に必要を所得獲得が目的であることから企業発展過程では第1期に位置づけた.この第1期に位置づけられるとしたら,複式簿記で何が解明されをければならないか,小家氏の論文を素材として,家族経営に複式簿記を適用することの是非について検討し,そこでは,結論的には可能であることを指摘した.経営と家計の未分離を前提とするのでなく,未分離に求めるとすれば,経営実体を認識し,複式簿記家計簿を考えた.財産という現物形態があって経営が存在するため,資産-負債=資本という資本等式で計算することによって自己資本が確定される.年度内にあげた利益は,自己資本額の増加として把えるのが計算理念である.家族経営に複式簿記を適用する理論体系としていずれに準拠すべきであるかを検討した結果,第1期の理論体系でなければならない.その理由の第1として,自己資本の増加は,経営と家計の未分離の状態においては,家計を含めなければ計算できない.したがって,経営損益や家計取引も財産の変動として扱い,積極財産・消極財産とし,財産変動の勘定記入は,物的一勘定学説により行う.次に企業発展史からみた,第2期を検討し,そこでの経営形態は,企業と家計の分離した共同出資による合名無限責任会社となり,企業が記録の対象となり,この段階になると,取引の種類,回数,金額も多くなり,勘定組織も複雑となる.資本成熟としては,産業資本段階となり,資本循環もG-W…P…W'-G'にみられるように,生産過程Pを含むことになり,企業目的は財産構成内容よりも,製品を販売することによって得られる利益剰余金の確認が目的となる.この時期は,貸借対照表項目の中に,建設仮勘定が認められ資産の拡大が行われたり,償却引当金が負債勘定として認められることによって,企業利益が過小に計算される.第2期の理論を農業に適用すれば,経営と家計の分離を前提とした生産組織が考えられ,共同利用組織,集団栽培組織,受託組織,畜産組織,協業経営組織などはいずれも貸借対照表と損益計算書が作成されている.このように,複式簿記が使用されている要因は,個別経営とは切り離し,経営を対象とすること,会計主体である構成員に公平を所得分配,会計の客観性を保持,租税対策などの必要性によるものである.さらに,企業発展過程からみた株式会社の位置づけとして第3期を設定した.この期の勘定体系は,拡大再生産を基本とする剰余金算定で,余裕資金で利潤の増大を図るようになるA-P-K=Sのように,企業がいつでも活用できる剰余金の確保がその目的となる.この段階になると貸借対照表,損益計算書の外に利益処分案書が追加され,利益金の分配方法が提示される.これは出資と経営が分離された段階で,管理責任は株主総会がもつ.この時期に相当する農業は,専門的大規模経営が出現し経営と出資の分離した,株式会社形態の企業が,畜産部門とくに,ブロエラーや養豚の一貫生産にみられるように財務諸表の特定引当金のなかに,価格変動準備金を,法定準備金のなかに利益準備金,剰余金のなかに別途積立金を組入れるなどして,利益金の過小評価が行われている.この段階は,全体としてみれば,積立,引当金の整備体系であるといえる.このように,農業とくに畜産部門に企業経営が成立する条件は,生産にあたって,季節的影響を受けない,投下資本の回収が短期であり,生産に際し購入部分が大半であることなどの点について検討した.III章の農業複式簿記の展開では,論者によれば明治11年に駒場農学校において使用講義されたもので,英国より導入されたものであった.その内容は,人名勘定の設定が多いとしている.明治初期における外国からの複式簿記の導入は,当時の農政面と関わりをもっていたものと考えられる.すなわち,養蚕をはじめ,輸出できる作物の国際市場へ日本の農業生産を参画させようとした時期で,商品作物の生産にあたり,生産費の合理化や経営改善に関心が払われた時期であった.このように,わが国の農業複式簿記は,その初期においては,外国の簿記書を土台とした,模放的時代であった.しかし,明治17年に前田貫一氏によって,農業簿記教授書が出版され,わが国独自の専門書であり,その後明治33・37・44年の3著書が出版された背景として,機械制大工業による産業革命によって,潜在的失業人口は年雇という形で大規模経営に吸収され,商品生産農業を仕向するため,経営の採算に関心がもたれるようになった.明治33年の農業簿記教科書は,全体的に部門損益に重点がおかれていて,次の2点に問題が残る.第1は勘定の分類が体系的なものでない.田・畑勘定は作物の損益計算のための棚卸しを考えたものとみられるが,経営技術的分類からすれば生産対象であり,生産手段でもある.畜産及び養蚕勘定は,生産対象である.したがって,勘定科目の体系は,生産対象を中心に編成すべきものと考える.第2は,分配勘定のなかに営業費勘定を設けて生計費費用を算入している点で,これはむしろ,営業収入と営業外費用の計算を行った後に,営業外費用として生計費を計上すべきものである.その後,明治37年に農業簿記学,44年に最新農業簿記教科書が出版され,それぞれ検討した結果は,明治期の農業複式簿記は,簿記理論,勘定科目の体系,計算理念ともに未確立の時期であったということができる.大正期の農業複式簿記は,一部大規模経営を指向している地主層に適用しても,ほとんど普及しなかったとみられ,簿記は大正4年の「農家の簿記」によって代表されるように,自作・小作の小規模層を対象に単式簿記がその中心をなしていったものとみられる.昭和期の農業複式簿記は,昭和10年までは農業簿記に関心がむけられた時期で,それは高い現物小作料をとられては再生産不可能であるという損益計算書を地主に要求したり,農民自身が計算することによって,商品生産の意識が高揚されたときであった.第2の時期は昭和11年以降現在までで,その特徴は昭和30年代の農業複式簿記のブームである.経済の高度成長によって,農産物に対する消費需要の増加により,市場価格も上昇し企業的農業も発生した.一方では,農業労働力の減少と婦女子化,老齢化が進行するなかで,その対応策として施設の共同利用,栽培協定,作業の受委託,協業経営などが増加し,出資と労働の分離によって複式簿記の適用範囲が広がり,その著書はIII-1表のようである.昭和13年の近藤庫男氏の農業簿記学は農業複式簿記の記述として,体系的に記述された画期的なもので,この時期は商品生産農業が本格的に展開されようとした時であったこと,農業に対する経営改善要求が高まっていたおと,外国の会計学者による簿記会計理論に関する,優れた翻訳が著わされた時期でもあった.IV章の農業複式簿記理論の検討では,複式簿記の目標は利潤の発見にあるが,利潤の計算過程は収益マイナス費用によって決まるので,収益とは何か,費用とは何かについて,農業経営の実体から検討した.給付に対する収益であるという規定に従えば,固定資産増殖額や流動資産増減額の矛盾は本来の損益に影響させないとすれば経営外収益として処理する.農業収益計算のための収益評価基準としては,販売基準を採用する.生産現物家計仕向は仕向時における販売基準とし,繰越および貯蔵農産物については生産基準にする.経営費についても,給付に対する費用ということで流動供用財減少評価額は,費用であっても経営外費用とすることによって,農業粗収益と農業経営費は対応するものと考えられる.簿記の出発点としての貸借対照表は,開業貸借対照表で[numerical formula]という形で表現される.この式は投下資本Gが具体的生産手段として,経済財に変態した状態を前提として,出発する要因を5つあげ,計算理念としてはA-P=Kという資本等式が基本となる.それは自己資本Kが企業において中心的重要さをもっている.計算過程で財産・資本の2つの系統を区別し計算することが適当であること.農業簿記における資本循環の特異性では,農業生産と工業生産の資本循環の相違と経営計算上の問題点を5つあげ検討した.農業簿記と計算期間では,農業生産自体季節の影響をうける有機的生産であるから,一律の計算期間はとり得ないとして,経営組織別計算期間を提案した.投下資本Gが生産手段Wへの形態変化の処理では,農業経営におけるGという最初の資本は,複雑を経済財としての形態をとる.[numerical formula]に価値移転の過程が問題となり,立毛評価をとり上げ検討した結果,動的貸借対照表論による評価原則に則して行うべきことが判明した.農業複式簿記における内部取引の検討では,費用の中で大きなウェートをもつ家族労働費の扱い方について,倉田,加用簿記理論を検討し,簿記論の経済的認識からみれば加用理論による家族労働費を費用化できない帰結として,農家所得が計算されるとする経営実態の認識を優先する立場をとる.V章の農業簿記と会計公準の検討では,企業と家計の未分離に対する複式簿記上の論述を2つに整理した,第1は企業会計原則を基準尺度として,これに順応させて処理しようとするもの,第2は経営実体に則して処理しようとするものに分かれるが,検討の結果筆者は第2の立場をとるものである.会計期間の公準では,定期的会計報告の基礎となるもので年度始と年度末における資産・負債・資本と期間利益=期間収益-期間費用という形で報告されるが,収益および費用把握については,すでに指摘したとおりである.貨幣評価の公準では,検討した結果貨幣価値水準一定を前提とした,実体資本維持説による評価が経営実体からみて妥当であると判断した.VI章の植物資産と農業複式簿記の関係について考察し,まず植物資本財としての性格,複式簿記と育成価,複式簿記と果樹の更新とくに耐用年数以後の品種更新を合理的に行う方法を検討した結果,経済的老木期間中に更新することが,経営の経済的負担を小さくすることができる.また耐用年数以前の機能的減価としての品種更新については,偶発的原価の特別償却として経営外損失として処理する.VII章の農業複式簿記の勘定科目の性格と体系では,農業簿記でどのような勘定科目を採用するかは,農業経営組織と規模に関係するが,勘定科目の組織と体系がどのように構成されているかをみることは,経営の資産構成と損益の内容規定にかかわってくる.第1は勘定科目の構成,形式,内容によって,どのような経営の損益が把握されるか,第2は経営の資産的,資本的実体の把握,第3は経営と家計の分離と勘定科目,第4は部門損益の把握と勘定科目などについて,貸借対照表項目である資産,負債,資本および損益計算書項目の費用,収益の内容把握が各著書によって異なることを考察し,結論としてVIIの4)に示したような農業における損益計算書区分(試案)を提示した.この場合従来の農業複式簿記では,当期業績主義会計が70%,包括主義会計が30%という実状である.ところが,最近における経営の変化は,専業,兼業,生産の組織化などいろいろの形態をとっている.都市近郊で農業を営んでいる経営では,経営主体が農業以外の事業として,貸間業,駐車場,ガソリンスタンドなどを兼業している場合があるので,当期業績主義会計よりも,分配可能利益をも包括的に表示する包括主義会計によるべきことを提案している.