著者
亀井 昌代 桑島 秀 片桐 克則 平海 晴一 佐藤 宏昭 小田島 葉子
出版者
一般社団法人 日本耳鼻咽喉科学会
雑誌
日本耳鼻咽喉科学会会報 (ISSN:00306622)
巻号頁・発行日
vol.123, no.7, pp.580-585, 2020-07-20 (Released:2020-08-06)
参考文献数
13

集音器はあくまで「家電製品」として販売されており, 管理医療機器である補聴器とは異なる. われわれは, 補聴器2機種と通信販売されている集音器2機種の4機種について周波数特性を測定し, 20~22歳の若年者と41~55歳の壮年者の健聴被験者に対して客観評価, 印象評価について検討した. その結果, 集音器の周波数特性は, 語音聴取に必要な特性ではなく, リニア増幅で出力も 100dB SPL を超えるため短時間の会話でも聴取時間によっては騒音性難聴の危険があることが分かった. 補聴器の周波数特性は各種聴力検査の結果を基に調整を行い, また出力制限は症例に応じて調整可能で騒音性難聴の危険はない. 雑音下語音明瞭度は, 補聴器が集音器に比較し有意に高値であったが, 印象評価では集音器が良い傾向であった. したがって, 補聴器は印象評価が集音器に比較し低い傾向があるが, 十分な調整と補聴リハビリテーションをすることにより聞き取れ, 集音器は聞き心地がよく聞こえた感じはあるが聞き取れているわけではないことが分かった.
著者
桑島 秀樹
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.1-12, 1998-03-31

The aim of this paper is to make a close analysis of Burke's only work on aesthetics, A Philosophical Enquiry (1757). I will focus upon the idea of 'feeling' or 'touch'. Since the studies of Burke's political philosophy and aesthetics in the past have given little attention to this. The idea of 'feeling' or 'touch' is at the philosophical basis of Burke's aesthetics. It reveals his fundamental confidence in the external world and in the human body system, including its innate mental powers. It also reveals his positive attitude toward 'obscurity' of image and sight. Burke's argument is brought to "anti-ocularcentrism" or "anti-illusionism". This will be demonstrated by making an examination into the ideas of 'danger', 'obscurity' and 'imagination'. The idea of 'feeling' or 'touch' will lead to the core of Burke's aesthetics, particularly to that of his greatly interested subject : the Sublime. It will also be shown to have a connection between the Sublime and the Grace. Reference will be made even to the influence of William Hogarth's aesthetics in his work, The Analysis of Beauty (1753) upon the thinking of Burke.
著者
桑島 秀樹
出版者
広島大学大学院総合科学研究科
雑誌
人間科学研究 (ISSN:18817688)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.59-69, 2015

本稿は, 18世紀イギリスの主要な美的カテゴリーたる「崇高(サブライム)」・「優美(グレイス)」・「絵様美(ピクチャレスク)」を, 「安芸ノ宮島」風景の美学的・芸術学的特性の分析に応用したものである。別言すれば, 宮島風景のもつ「聖性」と「美」の関係を比較美学ないしは応用芸術学の観点から論じた視覚感性文化論の試みといえる。なお, 分析に当たっては, 上記の美的カテゴリー論の採用にくわえ, 19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した, ユダヤ系ドイツ人哲学者G・ジンメルの「山岳美学(アルペン=エステティーク)」に見られた景観分析手法をも援用している。ジンメルによれば, 「山」の風景とは, 「山麓の草木」・「山腹の岩塊」・「山頂の氷雪」といった3つの異なるフェイズから成る。彼はこのような空間配置の差異に基づき, それぞれのトポス(場=景観)に働いている空間力学を考慮しながら、その美的特性のモードを分析・弁別していった。さて, 本稿でもジンメルに倣い, 宮島風景を, ①まずは「山頂部」の弥山を中心とする山林部(景観上層:垂直方向), ②次に, 「海と陸の境界部(インターフェイス)」にある厳島神社本殿と附属社殿群(景観中層:水平方向), ③最後に, 大鳥居を焦点に, 山・社・海が織りなす絵葉書的な全体景観(景観低層:垂直方向+水平方向/全方位的スペクタクル)に分け, これら3種のトポスに分割して考察を試みる。そして結論として, 各トポスの景観それぞれに働く視覚的・宗教的な感性力学の有様が描き出されることになろう。以下, 簡単に本稿各節のポイントを日本語で概括しておこう。第1節 「崇高(サブライム)」:弥山主霊峰・弥山は, 仏教上の「須弥山」に由来する。海面から屹立する峰々は「自然曼荼羅」である。宮島はまた, 人間を寄せつけない「神の島(斎島)」でもあった。アニミスティックな古神道的な世界観からすれば, 原生林上部に位置する弥山の巨岩山塊部は, 神々の降臨する「磐座(いわくら)」だ。ここに偉大な神々の顕現を想うとき, そこに《崇高》が現出する。第2節 「優美(グレイス)」:厳島神社山から神が降り海から人が来て, インタラクティヴな交流・交感が起こる場所。そこに厳島神社の社殿はある。「聖」と「俗」(「山」と「海」/「天」と「地」/「彼岸」と「此岸」)が融けあうインターフェイス(境界/界面)に, 水鳥が羽を広げたように, 平安・寝殿造の《優美》な姿が浮遊する(じっさい社殿のもつ建築学的「浮板」構造は, 暴風対策以上の感性的含意をもつものなのだ)。この構造は, しなやかに謡い舞う平安貴族の女性的美の象徴を具現しているといってもよかろう。第3節 「絵様美(ピクチャレスク)」:大鳥居と山・社・海の統一対岸から宮島に向かうと, 朱の大鳥居を焦点(ないしフレーム)として, 美しい弧の曲線を描く「白沙青松」の入江が奥まったところに《優美》な厳島神社が見える。社殿から右後方へと原生林が迫りあがる。その先には霊峰の《崇高》な雄姿。ここにダイナミックに展開する全方位的なスペクタクル, すなわち「海」・「社」・「山」の景観が綜合的に紡ぐ「多様性の統一」こそ, まさに《絵様美(ピクチャレスク)》となる。こんなわけで, 「日本三景」に数えられる宮島の「美」とは, 多様な絵画的パースペクティヴが混淆した精華だと考えることができよう。以上を踏まえたうえで, 対岸から「生も死もなき聖島」宮島を訪問する者の眼を借り, もういちど具体的な宮島風景に即して確認すれば, こうなろうか。屹立する弥山山頂の巨石群は, 天上世界の領域に属し, 神々の降臨する磐座だ。これは《崇高(サブライム)》出来を予期させるトポスとなっている。山からは神々, 海からは人々が来て交流・交歓・交易が起こる。まさに「彼岸」と「此岸」が触れあい, 融けあうのが, この寝殿造の浮遊する社殿。そこはまた, 能や舞を奉納する場であり, たおやかなダイナミックスがそこに生じ, この地上世界で《優美(グレイス)》が姿を現わす。対岸から宮島へ向かって, 「日本三景」と謳われる島全体を見渡してみよう。とりあえず船で近づくと想ってほしい(が, しかし, 場合によっては想像力を駆使して, もっとダイナミックに大鳥居をかすめる鳥の眼となって, 上空から社殿さらに弥山に迫ってもよかろう)。まずは海中に屹立する朱の大鳥居を焦点(アイ・キャッチャー)に, おおきく弧をなして展開する白沙青松の浜の海岸線が眼に入る。入江の奥まったところに, あたかも水鳥が羽を広げてやすらうがごとき神社社殿が鎮座する。否, 軽やかに浮かんでいるのが見える。社殿の背後から右後方へと――すくなくとも視覚的には――社殿裏の社叢林から山腹の原生林までがひと筋に連なり, そのまま急激に迫りあがる。視点を尾根づたいに急上昇させれば, そこに主霊峰群の峻厳な雄姿がぱっと現れ出づるだろう。畏怖すべき神々と出逢う領域へのまなざしがそこにはある。遠来の参拝客は, 船で大鳥居をかすめて上陸を果たし, 社殿の参道を一歩また一歩と社殿に近づきあゆむ。そのとき彼の眼に展開する「海」・「社」・「山」が織りなす多様な美的景観の動性は, 「絵葉書」(あるいは,江戸期なら名所図会)に象徴的に切り取られるがごとき《絵様美(ピクチャレスク)》として映じよう。数種の「美」「聖性」が宮島の各トポスに立ち現れている。しかしながら, それらはみごとな配置とバランスをもつがゆえ, 統合的に享受されうるものである。まさしく絶妙な感性力学が, つねにこの島の風景には働いているわけだ。安芸ノ宮島では, このような「美」の競演のダイナミクスが, その風景美の秘密を構成しているのである。The aesthetics of the "Aki-no-Miyajima (安芸ノ宮島)" landscape in Hiroshima constitute a form of scientific application of several western aesthetic categories to a specific Japanese site. Specially speaking, this study considers the adoption of 《the Sublime》, 《Grace》, and 《the Picturesque》, which were flourished and discussed in Europe (especially in Britain) around the 18th century, for one of the Best Three Views among Japan.Additionally the present paper also incorporates the analytic method of "die Alpen-ästhetik" from Georg Simmel's Philosophische Kultur (1911). The Jewish-German philosopher divided the landscape of the Alps into the three aspects: grass-fields at the mountain-foot, rocky massif at the mountain-side, and perpetual snow at the heavenly peak.Now we will make full use of the three aesthetic categories and Simmel's method, and examine to treat the rocky and rugged peak of Mt. "Misen (弥山)" in terms of 《the Sublime》, the floating "Itsukushimajinja (厳島神社)" shrine between land and sea (or heaven and earth, or gods and human beings) in terms of 《Grace》, and the entire landscape of the integrated parts: mountains, coastal lines, and shrines with the large red "Oh-torii (大鳥居)" gate in the sea in terms of《the Picturesque》.The paper may also illustrate the reason why the Miyajima landscape has ever been called one of the "Nippon-sankei (日本三景)", The Best Three Views of Japan, defined by Shunsai HAYASHI (林春斎), a Confucian scholar at the early Edo period. And finally we will find it here a contest of the various sorts of the beauty, or their secret co-existence.
著者
古東 哲明 高橋 憲雄 原 正幸 中村 裕英 青木 孝夫 桑島 秀樹
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

1.研究実習・研修会の開催と実践的コラボレーション:臨床哲学研究会(計100回)および人間文化研究会(計20回)を開催した。新皇ゼミナール(計30回)を通じ広島県の政・財・官のトップリーダーへの思想啓蒙活動を行った。また研修講演会(計10)を開催すると同時に、実技指導、ワークショップを行なった。2.海外調査・研修:原、町田、菅村が中国(武漢/昆明/西安)へ、中村がイタリア、島谷がポーランド、大池がアフリカ、辻が韓国、村瀬がフランス、堀江がドイツ、桑島がアイルランドへ渡航し、現地調査・資料収集にあたるとともに、海外研究者との研究交流を行った。3.電子装置整による研究環境づくり:購入したパソコンを駆使し、データベース構築を充実させ、内外の研究者や関心ある医療現場・学校教育・宗教的治癒現場のスタッフ、一般市民との交流環境を整備した。4.資料室・機械室設営と図書収集・工房環境整備:思想資料室、芸術工房を整備し、芸術学、応用倫理学、現代思想、日本思想に関する諸文献を収蔵し、研究者が常時閲覧できるようにするとともに、カメラやTVなど各種電子機器による実習環境を整えた。5.理論構築と実践的技法の探求:上記資料の精密な解読により、研修や調査と関連づけながら、諸論文を執筆しあたらしい哲学や実践理論や倫理論や美学を構築し論文を作成し、各学会で公開すると同時に、綿密な報告書を作成した。6.機関誌及びニューズレターの編集と発刊:執筆者を内外ひろく募り、新規購入の印刷機器を駆使し、『臨床哲学研究』第5〜8号を発刊した。ニューズレター『制作科研通信』等を定期的に発刊した。
著者
青木 孝夫 原 正幸 樋口 聡 桑島 秀樹
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

申請書の研究の目的に示したように、藝道に代表される日本の伝統的藝術観は、西欧の近代的藝術観から疎外される形で成立したが、現代文化に於いて重要な意義を担っており、作品に結実する独創性の美学とは別の藝術的実践の美学を支えている。その藝道思想の現代的活用の探求を進め、美的文化の日常的実践やその身心観を考察した。天才や独創性の神話を離れて展開した藝術は、複製技術の普及と絡み広範な美的実践として姿を現し、従来の藝術の境界を突き崩し拡大している。この点の探究を、研究の実施計画に従い、各分担者が進めた。その具体的内容を記す。青木は、上記の事態を習い事や美的教養の伝統に即して解明し、また文化の日常的な実践や礼儀・作法など藝道の名では呼ばれていない、実践するアートの享受と自己涵養の思想的解明に尽力した。樋口は現代の文化的実践が前提する東洋的身心観の特性を西欧との比較の上に探究を進め、知的藝術観とは異なる身心の涵養に関わる東洋的身心観及び藝術観を考察した。原は、現代の文化実践を支える東洋の礼楽思想や音楽的実践などを、東西の古典に即し比較学的に推進した。桑島は、現代文明が生み出した美的理念でもある崇高が、所謂藝術現象に限定されない広汎な文化現象と関わることに着目し、その淵源を理論的歴史的に探究し、なお現代文明に於ける文化実践の意義を検討した。以上を受けて青木が総括した。本研究の意義について簡単に述べる。習い事や美的教養また東洋的身心観の解明を進め、人間性の身心両面に亘る涵養と表現の問題を、何よりもまず〈藝術〉として了解してきた日本の伝統を解明した。以上を基礎に、その発展的形態である藝道・武道・礼法・躾け・嗜み・スポーツなど、広義のアートと呼ばれるべき文化的実践の意義を現代的文脈に於いて解明し、それが現代文明が必要とする身心の全面的「教養」即ち涵養と関わることを解明した点が格別重要である。
著者
桑島 秀樹
出版者
日本イギリス哲学会
雑誌
イギリス哲学研究 (ISSN:03877450)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.21-35, 1998-04-01 (Released:2018-04-25)

The purpose of this paper is two: One is to reveal Burke's aesthetics based upon the double character of both ‘imagination’ and ‘imitation’, giving attention to his parallel of poetry and painting. The other is to point out that ‘obscurity’ and ‘terror’ are the prime and coherent ideas closely related to the Sublime, resulting in his view of the superiority of poetry to painting. I will demonstrate the true image of the young Burke in A Philosophical Enquiry (1757).
著者
桑島 秀樹
出版者
大阪大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2001

平成13年度以来、上記の研究課題のもと、特別研究員奨励費の補助によって遂行した研究は、次の2点に集約される。1.初期バークにみられる美学思想形成の経緯、2.日本におけるバーク思想(とりわけ美学思想)の受容。以下、これらの課題に関して、今年度(最終年度)分の研究実績を中心に、本研究課題の最終報告をおこないたい。《1.バークにみられる美学思想形成の経緯》補助金支給の最終年度たる今年度は、2001年のアイルランド(バークの小学校・中学校・高校・大学時代)調査結果、および2002年5月の政界登場前後までのバーク青年期に関するイングランド調査結果(バークのマニュスクリプトの原典資料調査も含む)の精査に基づいて、その研究成果を公表することに尽力した。この成果は、以下2回の国内外での学会および研究会での口頭研究発表、(1)「若きバーク像の再検証-誕生から幼少年期までのアイルランド時代をめぐる伝記的考察から-」、日本イギリス哲学会関西部会第28回例会、平成15年7月5日(於 京大会館)。(2)「画家W・ホガース『美の分析』にみる感覚主義あるいは<悪>の美学-ヴィーナス・蛇・イギリス風景式庭園-」、大阪工業大学第35回研究談話会(大阪工業大学工学部一般教育科主催)、平成15年10月6日(於 大阪工業大学)に顕著に反映されていると思われる。わけても、2003年12月に大阪大学大学院文学研究科に提出した博士学位請求論文「初期バークにおける美学思想の全貌-18世紀ロンドンに渡ったアイリッシュの詩魂-」(単著:400字詰原稿用紙換算で約750枚)は、本補助金による研究成果の総決算たるものであった。なお、この論文はすでに2004年1月下旬に公開審査を通過しており、研究代表者への3月下旬における博士号授与が決まっている。さらにこの博士論文を補完する業績として、学位申請論文提出後すぐにも、論文「W・ホガース優美論にみる感覚主義あるいは<悪>の美学-ヴィーナス・蛇・風景式庭園-」(単著)、甲南大学人間科学研究所編『心の危機と臨床の知』第5号,pp.67-93、平成16年2月20日。ならびに、学会報告「若きバーク像の再検証-誕生から幼少年期までのアイルランド時代をめぐる伝記的考察から-」、日本イギリス哲学会関西部会第28回例会、平成15年7月5日(於 京大会館)、日本イギリス哲学会編『イギリス哲学研究