著者
永長 直人
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.59, no.8, pp.520-529, 2004-08-05
参考文献数
49

物理学における幾何学の役割は対称性の問題と並んで今日も理論物理学の中心的な興昧であり続けている.一方で近年,固体中の電子輸送現象に現れる量子力学的な位相-ベリー位相-の役割がいろいろなところで認識されるようになってきた.ベリー位相は,量子力学における幾何学の役割を考えるうえで,最も基本的なものである.この解説では,その基礎概念,過去の仕事,そしてわれわれの研究を中心にその最近の発展について述べたい.
著者
藤川 和男
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.163-171, 2007-03-05
参考文献数
24

量子力学における幾何学的位相をわかりにくくしている原因の一つとして,幾何学的位相という概念が十分精密に定義されていないことがあげられる.本解説では,まずゆっくり動くパラメターの関与したエネルギー準位の交差とその断熱近似による記述に現れる断熱的位相(これはベリー位相とも呼ばれる)は有効ハミルトニアンの近似的な対角化として純粋に力学的に理解されることを説明する.より一般の非断熱的あるいは混合状態に対する幾何学的位相は,正確なシュレーディンガー方程式の解に自動的に含まれており,隠れたゲージ対称性とそれに付随したホロノミーとして理解できることを説明する.これらの幾何学的位相はすべてトポロジー的にはトリビアルである.
著者
村上 修一
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.2-9, 2007-01-05
参考文献数
55
被引用文献数
2

試料に電場をかけるとそれに垂直にスピン流か誘起される効果をスピンホール効果と呼ぶ,これが不純物散乱で起こることば以前より知られていたか,2003年にこの効果か不純物散乱によらずに起こることか著者らにより提唱されたこれは固体のバンド構造に起因したヘリー位相により起こる.その後実験ての報告例もいくつかあり,スピンホール効果の基本的性質については理解か深まってきている他方,スピン流の測定法や試料端でのスピン蓄積との関係なと,未解決の重要な問題も多く,また量子スピンホール効果なと興味深い問題も出てきている本稿ではこの数年でのスピンホール効果の理論・実験における発展について解説する.
著者
早崎 公威
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.64, no.9, pp.700-703, 2009-09-05

互いの重力で結ばれた二つの巨大ブラックホール(バイナリーブラックホール)の合体過程は,銀河中心の巨大ブラックホール形成に重要な役割を果たしています.今回,数値シミュレーションによって,バイナリーブラックホールの周囲に三つのガス円盤(三重円盤)が形成されることを示しました.そして,この系から放射される光にユニークな特徴,すなわち,エックス線や紫外線等は激しく周期変動し,可視光や赤外線はほとんど変動しないことが判明しました.今後,観測によってこのようなユニークな変動が見つかれば,バイナリーブラックホールの証明となります.一方で,二つのブラックホール間の距離が1パーセク(〜3.1×10^<13>km)程度のところでブラックホール同士の接近が停滞して合体できないという宇宙物理学上の重要な未解決問題があります.三重円盤という幾何学構造は,このバイナリーブラックホールの進化に伴う理論的問題を解決しつつ,観測可能な特徴をも併せ持つ自然なモデルになっています.実際に,銀河の中心のブラックホールにこのような構造が普遍的に存在することが観測によって示されれば,それは人類の宇宙観を大きく変えることになると考えています.
著者
金 鮮美 寺井 弘高 山下 太郎 猪股 邦宏
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.12, pp.805-810, 2022-12-05 (Released:2022-12-05)
参考文献数
32

超伝導量子ビットは,電子や原子,イオンや光子といった微視的粒子からなる量子ビットとは異なり,巨視的な電気回路上に発現する量子力学的重ね合わせ状態やエンタングルメントの制御を可能とした「人工原子」の一種である.これは主にアルミニウム(Al)ベースのジョセフソン接合により構成され,回路設計の改良や作製プロセスの改善・工夫など様々な研究を経て,コヒーレンス時間は20年程かけて当初のそれよりも約5桁向上した.しかしながら,超伝導量子ビットの心臓部であるジョセフソン接合には,酸化絶縁膜として非晶質酸化アルミニウム(AlOx)が含まれるため,そこに存在する欠陥二準位系がデコヒーレンス源として作用することが懸念されている.したがって,さらなるコヒーレンス時間の改善に向け,ジョセフソン接合材料の改良が必要不可欠と考えられる.このようなジョセフソン接合材料の筆頭候補となり得るのが,窒化物系超伝導体である窒化ニオブ(NbN)と絶縁膜となる窒化アルミニウム(AlN)の組み合わせである.エピタキシャル成長技術によって作製される全窒化物NbN/AlN/NbNジョセフソン接合では,絶縁膜として機能するAlNも結晶化しているため,非晶質AlOx中に存在するような欠陥二準位系に起因するデコヒーレンスの抑制が期待される.また,NbNの超伝導転移温度は約16 Kであり,Alのそれ(約1 K)と比較して一桁高いことから,Alベースの超伝導量子ビットよりも高温動作が期待できること,さらに,デコヒーレンス源の一つである準粒子の励起に高いエネルギーが必要となるため,その要因となる熱や赤外光に対する外乱に強固になると予想され,より安定動作可能な超伝導量子ビットの実現が期待できる.異種材料間におけるエピタキシャル成膜技術では,格子定数がほぼ等しいという条件が前提となる.つまり,NbN/AlN/ NbN接合を基板上にエピタキシャル成長させるためには,NbNとほぼ同じ格子定数を持つ酸化マグネシウム(MgO)基板を用いることがこれまでの定石であった.ところが,MgOは高周波領域における誘電損失が大きく,MgO基板上のNbN/AlN/NbN接合を用いた超伝導量子ビットでは,コヒーレンス時間が0.5 μs程度とMgO基板の誘電損失に大きく制限される結果となっていた.我々は,今回,この問題を解決するためにTiNバッファー層を用いることでシリコン基板上に全窒化物NbN/AlN/NbN接合からなる超伝導量子ビットを実現し,平均値としてエネルギー緩和時間(T1)16.3 μs,位相緩和時間(T2)21.5 μsのコヒーレンス時間を達成した.これはMgO基板上に作製された従来の全窒化物超伝導量子ビットと比較して,T1は約32倍,T2は約43倍と一桁以上の飛躍的な改善を示す結果である.窒化物系超伝導体薄膜のエピタキシャル成長技術と積層型ジョセフソン接合作製プロセスは,斜め蒸着によるAlベースのジョセフソン接合作製プロセスでは実現不可能な三次元積層構造も比較的容易に作製可能となり,高度な半導体プロセスとの相性も良いことから,量子回路の設計に大きな自由度と可能性をもたらすことが期待される.
著者
船木 靖郎
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.9, pp.602-610, 2022-09-05 (Released:2022-09-05)
参考文献数
46

有限個の核子(陽子と中性子)が強く自己束縛した系である原子核は,核子が空間的に十分詰まった密度の飽和性を示す一方で,核子間2体力が良い近似で平均場に繰り込まれることも知られている.フェルミ粒子である核子が次々にエネルギー軌道を占有した殻模型構造は,この平均場構造の代表例であり,基底状態に代表される飽和密度領域での原子核構造の基本的性質として理解されてきた.そのような通常の飽和密度領域から離れ,より低密度領域で起こる主要な現象の一つが,クラスター化である.核子の媒質中で複数の核子集団が束縛状態を作りサブユニットとして析出する現象である.このようなクラスター化現象は,原子核,無限個の核子からなる核物質系を問わず,核子多体系一般に低密度領域で普遍的に存在することが知られている.そのようなサブユニットとしての安定な最小単位はα粒子(ヘリウム原子核4He)である.α粒子はボーズ統計に従うことから,核物質系でのαクラスター化は同時にボーズ–アインシュタイン凝縮という観点からも注目を浴びることになった.原子核でのαクラスター構造は,古くは1930年代から調べられてきたが,2000年代になり核物質系での研究に触発される形で,αクラスターのボーズ凝縮という観点から研究されるようになった.その結果特に,有名なホイル状態や16O核の4α分解しきい値近傍の励起状態で,核子すべてがαクラスターとして分解し,かつそれらがすべてガスのように互いの相関無く自由に運動し,同一の最低エネルギー軌道を占有するというα凝縮状態が実現されていることが分かってきた.一方で,このようなα凝縮状態は,原子核中に出現する数多くのクラスター構造状態の中では特別な状態であると考えられた.クラスターが空間局在し,その平衡点周りにゼロ点振動しているようなもの,というのが他の大多数のクラスター構造状態に対する基本的理解であった.この典型例は,20Neの16O+αクラスター構造状態,α直線鎖状態等であり,20Neの16O+αクラスター状態では,対応する正負パリティの回転帯スペクトルが観測されており,それらを正しく再現するためには,まさにクラスターの空間的局在化が必須条件であった.それにもかかわらず2010年代に入り,α凝縮状態のようなクラスターのガス的構造に立脚した,非局在型クラスター模型波動関数が,16O+αクラスター構造を完璧に記述することが示されたのである.串刺し団子のような形態と考えられてきたα直線鎖状態に対しても同様であった.これは一次元上でのガス的α凝縮という新奇な構造を示すものである.これらの事実が明らかになるにつれ,α凝縮構造からその他多数のクラスター構造を統一的に記述するための重要なパラメータの存在が浮かび上がってきた.核子の殻模型構造を持った基底状態に対し,そこに埋め込まれたクラスタ―間の相対自由度が励起され,新たにクラスターによる平均場が形成される.このクラスターポテンシャルは,あたかも構成クラスターを内包する「器」のように解釈でき,その「器」の形状こそが重要なパラメータであることが分かってきた.そして基底状態から出発し,α凝縮状態へと至るクラスター構造形成発展の道筋は,この「器」の膨張発展として記述できる可能性が示唆されている.
著者
作道 直幸 酒井 崇匡
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.535-540, 2022-08-05 (Released:2022-08-05)
参考文献数
29
被引用文献数
1

ゼラチン液が固まりゼリーになる,豆乳が固まり豆腐になる,牛乳が固まりヨーグルトになる.これらの現象は,ゲル化と呼ばれる.ゲル化は,溶媒中に分散する高分子がつながり,大量の溶媒を保持する巨大な高分子網目構造からなる固形物である「高分子ゲル」を形成することで起こる.高分子ゲルは,やわらかくウェットで,生体軟組織に近い性質を持つ.そのため,食品だけでなく,ソフトコンタクトレンズ・紙オムツの吸水剤・止血剤・癒着防止剤など,生体に接触して用いられる医用材料としても幅広く利用される.高分子ゲルを食品や医療に応用する際,保水力や吸水力を決める浸透圧が重要となる.例えば,ヨーグルトを作ると,ホエー(乳清)と呼ばれる水分が染み出る.この現象は,ゲル化の進行によって系の浸透圧が低下したために起こる.ゲル表面からの水の染み出し(離水)は,食品の食感に大きく影響するだけではなく,摂食・嚥下障害者(口の中のものを上手く飲み込めない障害)用の嚥下食において,食べ物の誤嚥により細菌が気管支や肺に入ることで発症する致命的な誤嚥性肺炎の要因になる.そのため,ゲルの浸透圧の理解・制御は,応用上も大きな需要がある重要な問題である.ところが,意外なことに「ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を決める物理法則は何か?」という基本的な問題について,実験結果を定量的に予測できるほどの理解はされていなかった.そもそも,ゲルの物性について定量的に理解されていることは驚くほど少ない.その理由は,通常のゲルは,作製プロセスに依存して決まる不均一な高分子網目構造を持つために実験の再現性が低く,網目構造の制御も不均一性の影響の評価も困難なためである.我々は極めて均一で制御可能な網目構造を持つ高分子ゲル(テトラゲル)を用いることで,この不均一性の問題を克服した.また,動的なゲル化の進行過程を模倣した「静的なレプリカ」を系統的に作製することで,ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を高い精度で測定することに成功した.我々は得られた大量の精密な測定データを元に「ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を説明する物理法則はなにか?」という問題に取り組んだ.この問題を解く鍵は,直鎖(つまり,枝分かれの無い)高分子溶液の浸透圧における状態方程式の普遍性(ユニバーサリティ)であった.浸透圧の普遍性は,1970年代から80年代にかけて,多くの実験および理論研究により確立された.その発端となったのは,磁性体の磁気相転移を想定したIsing模型(n=1)・XY模型(n=2)・ハイゼンベルグ模型(n=3)などのO(n)対称なスピン格子模型において,n→0の極限は,高分子鎖の格子モデル(自己回避ウォーク)に対応するという事実であった.ドゥジェンヌ博士はこの高分子・磁性体対応を用いて,溶媒中の高分子鎖の臨界指数をくりこみ理論で解析した.その後,臨界指数のみならず,直鎖高分子溶液の浸透圧についても普遍的状態方程式で説明できることが理論と実験で示された.我々は,高分子ゲルが「大量の溶媒に高分子網目が溶けたもの」であることから,高分子溶液の普遍的状態方程式は,ゲル化の進行過程でも成り立つと着想した.そして,ゲルの浸透圧の測定データに基づいて,ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を,普遍的状態方程式で説明することに成功した.極めて均一で制御可能な網目構造を持つテトラゲルを用いて,浸透圧のみならず,弾性,膨潤ダイナミクス,破壊などの様々な高分子ゲルの物理が解明されつつある.高分子ゲルの基礎物理の全貌が明らかになる日も近いと期待される.
著者
梅原 さおり 吉田 斉
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.77, no.8, pp.514-522, 2022-08-05 (Released:2022-08-05)
参考文献数
42

我々の宇宙はなぜ反物質がなく物質でできているのか? 物質はどこからきたのか? これは,「物質優勢宇宙の謎」と言われる我々がまだ解明できていない大きな謎である.この謎を解明するかもしれない鍵が,「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」という原子核の崩壊事象にある.この「反物質」とはなにか? 我々の身の回りの物質は,粒子で構成されている.陽子,中性子,電子はいずれも粒子である.一方,我々の宇宙に存在する粒子には,同じ質量,電気的に反対の性質を持つ反粒子もある.反物質は,この反粒子から構成されるものをいう.さて,宇宙初期には,粒子と反粒子が同量存在していたはずである.ビッグバン直後の高温高密度状態で,莫大なエネルギーは粒子反粒子ペアを生成し,またそのペアは対消滅してエネルギーとなるからである.しかし,その後,何らかの物理法則により,粒子と反粒子の量のバランスが崩れた.そして粒子反粒子ペアは対消滅し,エネルギーになる.結果,現在の宇宙は物質から成り立つ世界となっている.この「何らかの物理法則」が何か,はまだ解明されていない.多くの理論研究者が,この謎を説明できるシナリオを研究している.その中でも有力なシナリオの一つが,レプトン数生成(レプトジェネシス)というシナリオである.ここでは,物質と反物質の量が同量でなく非対称であることを,素粒子の一種レプトンを用いて説明している.このレプトンと反レプトンが同量でなく非対称になったから,現在の物質と反物質が非対称になった,とするものである.「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」は,レプトンと反レプトンが非対称になる条件(レプトン数保存則の破れ)を満たすときに起こりえて,かつ,現在の世界で観測できる事象である.さて,この「ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊」は1939年に提案された.当時は「物質優勢宇宙の謎」と関わりがあるとは考えられておらず,一つの非常に稀な原子核崩壊事象として研究された.この事象を観測するべく,鉱物中の元素の同位体比を測定する地球化学的観測が始まった.その後,放出される電子のエネルギー観測による測定も,原子核素粒子研究者によって試みられた.そして宇宙素粒子論の観点からも前述のレプトジェネシスが提案されることで,「レプトン数の破れ」を検証するこの事象の重要性が認識された.素粒子物理分野からも,この事象の観測によってニュートリノの質量の絶対値を得られることから,研究対象として重要視されてきた.このように,原子核研究から始まった二重ベータ崩壊測定は,素粒子研究,宇宙物理研究へ広がり,大きく進展した.日本でも,世界の二重ベータ崩壊測定を現在リードしている「キセノンを用いた二重ベータ崩壊実験」をはじめとして,次世代二重ベータ崩壊測定の研究が進められている.これまでに半減期の下限値として1026年程度の実験結果が得られており,さらに次世代実験計画では1028年の感度を実現できる見込みである.広い分野の研究者を虜にするこの「二重ベータ崩壊」.提案されて80年以上,未観測のままできているが,もうあと2–3年で観測されるか,遅くとも10年程度で観測される兆しが見つかるのではないか,と,今,さらに研究者の注目を集めている.
著者
神部 勉
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.156-164, 2006-03-05 (Released:2022-05-31)
参考文献数
52

独自性のある研究をテーマにして,マクロ物理学の発展の100年を顧みるとき,独創的でしかも国際的にその影響が萎えることのない研究がいくつもある.個人レベルの研究に加えて,大型プロジェクト研究も大きな役割を果たしてきた,わが国での「物理学一般」の研究の展開をみてみる。
著者
川崎 恭治
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.63, no.10, pp.769-774, 2008-10-05 (Released:2017-08-04)

モード結合理論(MCT)が成立した事情について筆者の個人的経験を中心に述べる.以下の記事は主として筆者の記憶に基づいている.したがって記憶違いということもあると思われるがその際はご容赦ねがいたい.
著者
今村 洋介
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.68, no.7, pp.442-449, 2013-07-05 (Released:2019-10-17)
参考文献数
8

M理論は弦理論を統合する基本的な理論と期待されており,M2ブレーンと呼ばれる膜状の物体を基本的構成要素として含む.M理論はいまだその量子論的な定義が知られておらず,M2ブレーンの振る舞いについても理解されていないことが多い.AdS/CFTと呼ばれる双対性を用いることで,N枚重ねたM2ブレーンの自由エネルギーがO(N^<3/2>)に比例することが以前から知られていたが,最近になってようやくこの予言がM2ブレーン上の低エネルギーの励起を表す模型として提案されたABJM模型によって確認された.M2ブレーン,ABJM模型,そして自由エネルギーの計算に用いられる局所化の方法について解説する.
著者
金子 邦彦 古澤 力
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.137-145, 2019-03-05 (Released:2019-08-16)
参考文献数
28

シュレーディンガーは,70年ほど前に著書『生命とは何か』で,情報を担う分子としてのDNAの性質を予言しました.これは分子生物学の興隆への大きな一石となり,以降,生物内の個々の分子の性質は調べあげられてきました.しかし,それら分子の集まった「生きている状態とは何か」の答えには至っていません.物理学は安定した平衡状態に限定することで,マクロシステムをとらえる「熱力学」をつくることにかつて成功しました.もちろん,生命は平衡状態にはありません.しかし生命システム,具体的には細胞は,膨大な成分を有し,その組成を維持して複製でき,外界に適応し進化するという共通特性を持っています.では,こうしたシステムの普遍的性質を記述する状態論を構築できないでしょうか.そこで,熱力学にならって,まずは定常的に成長する細胞状態に対象を限り,さらに進化によって発展してきた状態は摂動に対する安定性を有していることに着目します.これをふまえて,適応と進化に関して,以下のような普遍法則が見出されてきました.(1)様々な外界の環境変化に対し,細胞内の全成分(数千成分)の変化は互いに比例していて,その比例係数は細胞成長速度というマクロ変数で表される.(2)このような短期的適応変化と,長期的進化の間に対しても,全成分(表現型)変化の間に共通比例変化則が成り立つ.(3)こうした外部変化に対する応答と,ノイズによる揺らぎの間には統計力学での揺動応答関係と類似した比例関係が成り立つ.(4)各成分の揺らぎに関しても,ノイズによる短時間スケールでの分散と遺伝子変異による長時間スケールでの分散の間に全成分にわたる比例関係が成り立つ.(5)進化的安定性により細胞の高次元なミクロ状態が低次元なマクロ状態へと次元圧縮されることがこれらの法則の背後にあると考えられる.以上のことは,大腸菌進化実験とトランスクリプトーム解析などによる高次元の表現型解析,細胞モデルの計算機シミュレーション,現象論的理論で確証され,普遍的な法則となることが期待されます.また,この結果から遺伝的変異はランダムに起きても表現型の進化には決定論的な方向性があることも示唆されます.
著者
泉 雅子
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.141-148, 2013-03-05 (Released:2019-10-18)
参考文献数
35

世界を震撼させた東京電力福島第一原子力発電所の事故から二年近くが経過した.原子炉は冷温停止状態に至り,事故そのものは収束に向かいつつあるが,環境中に大量に漏洩した放射性物質の回収は容易ではなく,環境や人体への影響が憂慮されている.近年の分子生物学の進展により,放射線に対する細胞応答を分子レベルで理解できるようになったが,その一方で,長期にわたる低線量被曝や内部被曝の人体への影響については情報が少なく,社会に不安と混乱を生む一因となっている.本稿では,放射線の生物影響に関してこれまで得られている知見や,放射線防護のための規制値の根拠について解説する.
著者
高橋 有紀子
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.12, pp.736-745, 2020-12-05 (Released:2020-12-24)
参考文献数
34

情報化社会の進展がどのくらいエネルギー消費量を増やしているか,それがどのような環境変化をもたらしているかといったことを想像したことがあるだろうか.アメリカのIT企業Ciscoの全世界のモバイルデータトラフィックの予測によると,1984年に204 GB(ギガバイト)だった全世界のデジタル情報量は,2017年には1.5兆GB(1.5 ZB,ゼタバイト,Zetaは1021)へ増加し,2021年には3.4兆GBにまで増加すると予測されている.また,国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の資料「JST-LCS 情報化社会の進展がエネルギー消費に与える影響 平成31年」によると,デジタル情報を保存するデータセンター1施設分の電力消費量は,GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)などの大手IT企業が所有する超大規模クラスで2,600 GWh(2018年)にもなり,世界で消費される全電力量の数%をIT分野が消費するまでになっている.COP21で採択されたパリ協定では,温室効果ガスの削減目標などの取り決めがなされたが,具体的な数値目標を定めたものとして1997年の京都議定書が有名である.1997年から約20年が経過し,その間にデジタル情報量は指数関数的な増加を見せ,IT分野での消費電力量は45%も増加しこれに伴う温室効果ガスの排出量も急激に増加している.我が国が目指す未来社会であるSociety5.0は,IoTを駆使した人間中心の社会であるため今後もデジタル情報量の急激な増加が見込まれ,それを下支えするストレージデバイスは重要な基幹技術である.次世代の豊かな社会と環境を両立させるためには,環境に配慮した技術革新が必要不可欠となっている.とりわけ,装置の小型化と台数削減に直結するストレージデバイスの高密度化技術の確立は,データセンターの省エネルギー化を実現していく鍵となる.ストレージデバイスは半導体,誘電体,磁性体を用いるものが種々開発されているが,大容量・安価・不揮発という長所をもつ磁気ストレージデバイスであるハードディスクドライブ(HDD)はデータセンターでメインデバイスとして使われている.HDDはすでに1 Tbit/in2を超える密度(1ビットの面積が2.54 cm×2.54 cmの1兆分の1よりも小さい)を実現しているが,爆発的に増加するデジタル情報に対応するためにさらなる高密度化が求められている.日米のストレージメーカーが中心となって,数年のうちに4 Tbit/in2を達成することを目標に研究開発が進んでいる.高密度化には,磁気記録媒体を構成するナノサイズの磁石のさらなる微細化が必要となる.しかし,ただ単に微細化してしまうと,高温になるHDDの動作環境下では記録情報となる磁石の磁化の向きが熱擾乱のため保持されなくなってしまう.情報の保持のためには磁気異方性を強くしなければならないが,今度は記録情報の書込み,すなわち磁化の向きを反転させるために大きな磁場が必要となる.しかし,HDDに組み込まれるマイクロサイズの電磁石が発生できる磁場にも限界があり,その磁場のみで制御する記録方式はすでに高密度化に対応できなくなっている.この書込みの問題を克服するために提案されたのが,エネルギーアシスト磁気記録である.ナノ磁石の磁化を反転させるときに外部からエネルギーを与えて磁化反転を助けるというイメージである.外部エネルギーとして,熱・高周波磁場・光などが提案されているが,熱および高周波磁場によるエネルギーアシスト磁気記録方式はすでに実用化研究段階に入っている.今後さらに高密度化を進め,かつ省エネデバイスを実現するためには,少しのエネルギーアシストで磁化反転できる,すなわち高効率な磁化反転が実現できるようなエネルギーアシスト方法や材料選択といった課題がある.
著者
滝脇 知也 固武 慶
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.170-178, 2015-03-05 (Released:2019-08-21)

重力崩壊型超新星は,大質量を持つ星がその進化の最終段階に迎える断末魔で,宇宙で最も激しい爆発現象のひとつである.超新星は今後建設が計画されている超大型光学望遠鏡のターゲットとなっているばかりでなく,小柴名誉教授らがノーベル賞と共に切り拓いたニュートリノ天文学や,今後ノーベル賞が期待される重力波天文学の重要な候補天体になっている.また爆発後に残される中性子星,ブラックホールといったコンパクト天体の形成過程そのものであり,爆発時に合成される元素組成は銀河の化学進化を決め,膨張する衝撃波は宇宙線加速の現場にもなっている.このような多面性から,超新星は一天体現象でありながら,天文学や高エネルギー宇宙物理分野において最も注目される天体現象の一つである.このような重要性にもかかわらず,爆発がどのような物理機構で引き起こされるのかについて,極めて長きにわたる研究の歴史を持ちつつも,いまだ完全には明らかにされていない.爆発メカニズムの解明には,超新星の中心核(コア)で起こっている微視的な物理素過程を理解することがまず第一に重要である.さらにその上で,星が爆発していく巨視的なプラズマ・電磁流体現象としての動的な振舞いも同時に明らかにする必要がある.このように自然界の4つの力をすべて含むマルチフィジックス・マルチスケールの現象が非線形に進化していく系の時間発展を追うためには,数値シミュレーションの実行が欠かせない.最も有力視されているシナリオは,コア内で一度は止まってしまった衝撃波をニュートリノで加熱して温め復活させるというものである.超新星コアは,ニュートリノによる物質の加熱・冷却が起きる場所が異なる大局的なシステムであり,この現象をシミュレートするためにはボルツマン輻射輸送方程式を一般相対論的な流体・時空の進化と合わせてセルフコンシステントに解く必要がある.従って非常に高い計算コストが要求され,これを効率的に解くことは数値宇宙物理学のファイナルフロンティアの一つである.そうした複雑な問題を解くのに適しているのはスーパーコンピュータである.近年の超新星理論の急速な進展は計算機の発展によりもたらされている部分が大きい.原子核・素粒子物理の発展に伴うマイクロ物理の精緻化とそれを組み込む流体・輻射輸送の数値コードの改良の末,ようやく空間3次元の超新星シミュレーションが可能になった今,「爆発する超新星モデルが作れない」という長年の問題が解決に向かいつつある.今後の最重要課題は,爆発時に放たれるマルチメッセンジャー(重力波・ニュートリノ・電磁波)のシグナルに関する理論モデルを総合的に解析し,将来の観測と比較できるようにすることである.次世代計算機とマルチメッセンジャー観測という2つのスポットライトに照らされて,長い間ベールに包まれていた壮絶なる星の最期の真の姿がいよいよ我々の前に現れようとしている.
著者
磯部 大樹
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.75, no.8, pp.491-495, 2020-08-05 (Released:2020-11-14)
参考文献数
50

グラフェン2層からなる超格子構造において金属的な状態から,絶縁体さらに超伝導体への相転移が実験的に観測された.グラフェンは炭素原子1層からなる2次元物質であり,それ自体は高い電気伝導度を持つことを考えると驚くべき結果である.なぜグラフェンを2層重ねることで電子状態がこれほど大きく変化するのだろうか.またどうして炭素原子のみからなる物質においてこれほど多様な相が現れるのだろうか.その背景にはファンデルワールス物質における構造の自由度と制御性の高さ,そして電子間の相互作用の効果がある.絶縁体状態および超伝導状態が観測されたのは,グラフェン2層を互いに1.1°ほど回転させて積層させたときである.2層の格子の周期性のずれは「モアレ」と呼ばれるうなりを生じ,元のグラフェンの格子定数(0.246 nm)よりもはるかに長周期(10 nm程度)の格子構造が現れる.加えてグラフェン2層の結合はエネルギーバンドの再構成を引き起こす.相対角度1.1°のとき,モアレの長周期構造を反映したエネルギーバンドは元の単層グラフェンと比較して非常に狭いバンド幅を持つ.その結果として電子間相互作用の効果が相対的に大きくなることから,電子状態に不安定性が生じ相転移が起こることが理論的に予想されていた.グラフェン超格子構造は2次元系であることとバンド幅が狭いことにより,バンドが空の状態から完全に満たされた状態まで自由に制御することができる.この実験上の特徴を利用し最初に絶縁体状態および超伝導状態が観測されたのは,モアレ超格子におけるユニットセルあたりの電子またはホールの数がおよそ2個となるときである.これらの相転移はともにおよそ1 Kの低温で見られ高温では金属的な振る舞いをすることから,電子相関効果に起因するものと考えられている.電子相関に起因する絶縁体状態および超伝導状態は一般に理論解析が難しく,さまざまな解釈が提案されている.手法としては大きく分けて電子のバンド構造やフェルミ面に着目する弱相関極限からの解析と,実空間での格子構造に着目する強相関極限からの解析がある.弱相関側からの解析では,状態密度の発散をもたらすファンホーブ特異性とフェルミ面のネスティングから絶縁体状態と超伝導状態が説明される.この場合の絶縁体状態は電荷密度波またはスピン密度波に由来する.一方で強相関極限からの解析はハバード模型やモット絶縁体,またウィグナー結晶等と関連し,整数フィリングでの電子相関効果の発現がより容易に理解される.実際の相互作用の強さは運動エネルギーと同程度と考えられており,両極限からの理解が得られることが望ましい.実験の進展にともない,電子相関効果による絶縁体状態もしくは超伝導状態はモアレ超格子のユニットセルあたりの電子数が(0を除く)整数の付近で広く生じることが明らかになった.また異常ホール効果の測定から磁性の存在も報告されている.モアレはグラフェンの2層構造に限らず,一般的に格子の周期性のずれからうなりができる場合に生じる.2次元物質の積層構造としては,グラフェン以外にも同じくファンデルワールス物質である遷移金属ダイカルコゲナイドを用いることもでき,実験と理論の両面から精力的な研究が進められている.2次元物質の超格子構造の有する自由度と制御性の高さは物質の電子状態の設計に有用であると同時に,電子相関効果の理解に対して新たな知見をもたらすことが期待されている.