著者
塚野 弘明 TSUKANO Hiroaki
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.451-459, 2015-03-01

認知行動療法(CBT)とは、患者自身が自分の心(認知、行動、身体、気分)の状態や関連性を知り、それを変えられるという実感を通して自らを制御する力をつけていく自己コントロール法である。こうした方法の発想自体はそれほど珍しいわけではなく、古くから指摘されてきた。たとえば、ギリシャのストア哲学者エピクテトスは、「人間は、生じる物事によってではなく、その物事に対する考え方によって煩わされるのである」と述べている(Epictetus 1991)。また、ダライ・ラマは、「私たちがじぶんの思考や情動を新たな方向に向かわせ、自らの行動を整理し直すことができれば、苦悩をうまく処理する術をもっと簡単に習得できるだけでなく、そうした苦悩の発生を最初からかなり防ぐことができる」と述べている(Dalai Lama 1999)。このように、人間の気分や行動は、認知のあり方(ものの考え方や受け取り方)の影響をうけることから、しばしば認知の偏りを生じることがある。CBITでは、その偏りを修正し、問題解決を手助けすることによって精神疾患を治療することを目的とした心理療法である.これがCBTとして確立したのは、1970年代にベックがうつ病に対する心理療法として構造化してからである(Beck,Ruth,Shaw et.al 1979)。その後、うつ病はもちろん、不安障害やストレス関連障害、パーソナリティー障害、摂食障害(神経性大食症)、統合失調症などの精神疾患に対する治療効果と再発予防効果を裏付ける優秀なエビデンス(科学的証拠)が多く報告されてきたことから、欧米を中心に世界的に広く使用されるようになった。また精神疾患以外でも、日常のストレス対処、夫婦問題、司法や教育場面の問題など、その適応範囲は広がりを見せている。日本では、特に1980年代後半から注目されるようになった。それとともに治療効果の検証も進み、2010年度からうつ病のCBTが保険診療報酬の対象になった。その背景には、薬物治療中心の精神医学に限界が生じ、心理社会的治療を併用することの重要性が認識されるようになったことが大きく影響している。また、従来の心理療法の問題点(話は共感的に聞いてもらえるが有効なアドバイスをもらえない)の指摘などもCBTが注目される理由となっている。マスコミで取り上げられたこともあり、最近では受診の際に「CBTを受けたい」と希望する患者が多くなっている。しかし、定型的なCBTを実施できる専門家の数に限りがあるなど課題も多い。
著者
藤原 哲 菅原 正和 FUJIWARA Satoshi SUGAWARA Masakazu
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.9, pp.109-116, 2010

心理学における「不安」の研究には膨大な蓄積があるが、"あがり"は「不安」に比して一過性であり、神経生理学的指標を用いれば一見取り扱い易いように見える。しかし"あがり"に対応する英語の定訳はなく,定義はまだ曖昧である(有光,2001,2005)。大勢の人前での発表,入学試験,大舞台や大試合のとき等,人は所謂"あがり"を経験する。プレッシャーに耐えられず、準備し考えていたことがどこかに飛んでしまって、頭が真っ白になる人がいる一方、めったに"あがらない"人も確かに僅かながらいる。"あがり"のメカニズムを科学的に究明しようと試みるようになったのは東京オリンピック以後であり、あがってしまい萎縮して普段の力が発揮出来なくなる日本人と、本番に力を発揮する欧米選手との違いが注目された。ところで"あがり"の定義は様々である(例:不安は「不結果(最悪の事態)に対する恐れに支配されて,落ち着かない様子」とある一方、"あがり"は「血が頭に上がる意,のぼせて普段の落ち着きを失うこと」(金田一ら,1997)とある。スポーツ研究を通して市村(1965)は,「スポーツ競技前に経験される自律神経系の緊張,心的緊張,運動技能の混乱,不安感情といった要因の複合的な心理学的および生理的現象」とし,野和田(1994)は,不安との関係を重視し「実際の、あるいは潜在的な他者の存在によって評価の対象となる状況において生理的変化をともない、行動の結果を予測することから生じる不安感や期待感を含んだ状態」と定義している)。"あがり"には,自分が評価される場面において他者を意識し,身体的,生理的な変化を伴う。有光の「当落や社会的評価など自分自身に否定的評価を受ける場面で,他者を意識し,責任感を感じ,自己不全感,身体的不全感,生理的反応や震えを経験することであり,状況によって他者への意識や責任感の程度が変化すること」(有光,2005)という定義はよく纏まっている。菅原(1984,2005)は,"あがり"を「コミュニケーション不安」のなかの,人前で自信がもてないときに経験する「対人緊張」というカテゴリーに含ませて考えている。"あがり"と混同されやすい情動語「緊張」は神経生理学的要素であり,"あがり"と不可分である。"あがり"を測定する尺度としては,スピーチ状況におけるPRCS(Personal Report ofConfidence as a Speaker; Paul,1966 ), テスト状況におけるTAS(Test Anxiety Scale;Sarason,),コミュニケーション状況におけるSCAM(Situational Communication Apprehension Measure;McCroskey & Richmond, ),演奏状況におけるPAQ(Performance Anxiety Questionnaire; Cox &Kenardy,1982)等が用いられてきた。
著者
中村 好則 NAKAMURA Yoshinori
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.69-78, 2016-03

平成26年6月24日に閣議決定した世界最先端IT国家創造宣言において「学校の高速ブロードバンド接続,1人1台の情報端末配備,電子黒板や無線LAN環境の整備,デジタル教科書・教材の活用等,初等教育段階から教育環境自体のIT化を進め,児童生徒等の学力の向上と情報の利活用の向上を図る」ことが,さらに「これらの取組により,2010年代中には,全ての小学校,中学校,高等学校,特別支援学校で教育環境のIT化を実現するとともに,学校と家庭がシームレスでつながる教育・学習環境を構築し,家庭での事前学習と連携した授業など指導方法の充実を図る」ことが述べられ,政府主導で教育の情報化が進められている。また,文部科学省では,平成26年度にICTを効果的に活用した教育の推進を図ることを目的に,教育効果の明確化,効果的な指導方法の開発,教員のICT活用指導力の向上方法の確立を図るためにICTを活用した教育の推進に資する実証事業を行い,成果報告書や手引き書を公表している(ICTを活用した教育の推進に資する検証事業,2015)。さらに,総務省でも,平成26年6月から「ICTドリームスクール懇談会」を開催し,教育分野におけるICT活用の推進に取り組み,平成27年4月に中間取りまとめを公表している。これらのことからも,教育の情報化は着実に進展している。しかし,学校現場ではどうだろうか。文部科学省や総務省,県や市などの研究指定校や先進的に研究に取り組んでいる学校だけがICTを活用した実践に取り組み,それ以外は従来からの指導とあまり変わらない現状があるのではないだろうか。特に,数学指導においては,ICT活用よりも,紙と鉛筆による指導こそが重要だという教師の思い込み(固定観念あるいは素朴な考え方)がある(例えば,中村2015a)。中学校においても,電子黒板やパソコン,タブレット等のICT 環境が徐々に整備され(平成26年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果,文部科学省2015),それらを数学指導においても有効に活用することが求められている。しかし,数学指導において「なぜICTを活用するのか(ICT活用の目的)」,そのために「どのようにICTを活用するのか(ICT活用の方法)」が,学校現場において十分に理解されていない。そこで,本研究では,中学校学習指導要領とその解説及び教科書を基に,数学指導におけるICT活用について検討し,中学校の数学指導におけるICT活用の方向性(目的と方法)を明らかにすることを目的とする。そのために,平成20年版の中学校学習指導要領とその解説におけるICT活用に関する記述内容を調査する(第2章)とともに,中学校数学の平成27年検定済みの教科書におけるICT活用の取り扱いを分析(第3章)し,それらを基に中学校の数学指導におけるICT活用の方向性を考察する(第4章)。最後に,本研究のまとめと課題を述べる(第5章)。
著者
高橋 晃 宮﨑 眞 TAKAHASHI Akira MIYAZAKI Makoto
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.503-516, 2015-03-01

近年、日本の乳幼児期における早期診断・早期療育体制については全国的に確立されているが、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorders 以下ASDと略す)をもつ子どもへの発達支援に有効とされる指導については、ASDへの根本治療が発見されていないため、いまだ一貫した知見は得られていない(富永・森,2006)。そのような現状においてASDは脳神経の異常により、様々な行動に影響を及ぼす症候群であるという観点から、適切な行動の獲得を支援するために応用行動分析(Applied Behavior Analysis 以下ABAと略す)が有効であり、集中的な指導の中で繰り返し練習することで、ASD児の行動や認知機能の改善が見られることもある(Richman2001,Lovaas2003)。ABAによる就学前のASD児への早期療育プログラムとしては、ASD児へ週40時間の行動介入を実施したLovaas(1987)による離散試行型指導(Discrete trial training 以下DTTと略す)を中心とした研究実践において、ASD幼児の発達を促進させたと報告されている。DTT以外の介入方法では、ASDの中核的症状の一つである交互交代の理解の困難さに治療の焦点をあてた機軸行動発達支援法(Pivotal Response Treatment 以下PRTと略す)が開発された(Koegel,2006,近藤・山本,2013)。他にもASDが獲得困難とする質問行動や会話などの社会的行動の始発の促進を指導するためにスクリプト・スクリプトフェイディング法(以下S・SF手続きと略す)が開発され(Krantz&Mclannahan,2005)、その有効性が報告されている。しかし、稲田・神尾(2011)は北米におけるABAの週数十時間の集中的な介入は日本では非現実的であるため、家族による有効な家庭療育が可能になるような負担の少ない家族支援のあり方を検討するべきであると指摘している。それに対し、奥山・杉山・藤坂(2009)は就学前のASD幼児へ週当たり平均10時間程度のABAに基づいた親中心の家庭療育を実施し、発達を促進させたと報告している。そこで、本研究では以下の点について検討する。稲田・神尾(2011)が指摘した保護者にとって負担の少ない家庭療育について奥山・杉山・藤坂(2009)の先行研究をもとにDTTやPRT、S・SF手続きの研究報告を調べて、実施可能と思われる療育プログラムの有効性を検討する。
著者
村上 祐 今泉 庸子 菊地 洋一 武井 隆明 Murakami Tasuku Imaizumi Youko Kikuchi Yoichi Takei Taka-aki
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.81-87, 2009

「ルミノール発光」は日常よく耳にする言葉である。科学捜査を扱ったTVドラマで,化学薬品を散布して室内を暗くすると血痕部分が青白く光るシーンがよく出てくる。このような血痕の鑑識に使われる化学薬品が「ルミノール」で,ルミノールによる発光は「化学発光」と呼ばれる。化学発光は,物質内の化学結合の変化によって,高エネルギー状態(励起状態)から低エネルギー状態(基底状態)へ変わる際,その余剰のエネルギー分を光エネルギーとして放出するときに見られる現象である。ルミノールは,酸化されると励起状態を経て安定な物質に変わる。血液中のヘモグロビンはこの酸化反応に触媒として作用し,皮応を促進するので,血痕部分で発光するのである。これと似た機構で発光するものに,ホタルの発光がある。ホタルは,発光の元になる物質とその化学変化を助ける酵素を体内でつくっている。このときの化学変化も空気中の酸素による酸化で,ホタルが呼吸して酸素を取り入れるたびに光る。このように,生物がつくり出す物質が体内で反応して発光する現象を「生物発光」といい,夜光虫やホタルイカなど数多く知られている。1962年,下村修ボストン大名誉教授が光るオワンクラゲから発見した緑色蛍光タンパク質(GFP)も,発光物質の一つである。このGFPは生きた細胞中のたんぱく質の目印に使われ,現在では生命科学の研究に不可欠なものとなっている(下村氏は,GFPの発見により2008年ノーベル化学賞を受賞した。)。 化学発光の大きな特徴は,物質の反応を自らの発光で発信していることであり,観測者が目視によってそれを容易に確認できることである。このため,自然の科学現象の美しさ・不思議さを直接観察できる教材として,中学校や高校,あるいは大学初学年の学生実験等で取り上げられることが多い2-5)。さらに言えば,化学発光は,光を使った分析で最も一般的な吸光分析のように励起光を当てる必要はなく,適当な光検知器がありさえすれば,反応を精密に分析できる。これらの発光現象を単に目視だけの走性分析的に扱うだけではなく,身近に入手できる簡単な検知器を使って定量化・数値化することができれば,より深い理解が可能となり,学生・生徒の科学的興味・関心をいっそう高めることができると思われる。 本論文では,大学での学生実験や中高の生徒実験のための教材研究として,CdSセルとデジタルカメラを光検知器として用い,ルミノール発光を速度論的に追跡した結果を報告する。
著者
中村 好則 NAKAMURA Yoshinori
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.79-88, 2016-03

近年,知識基盤社会や少子高齢化,高度情報化,国際化の進展など,変化の激しい時代を迎え,日本も多くの課題を抱えている。そのような変化の激しい時代に主体的に生きる子供たちを育てる教育の実現が喫緊の課題とされている。そうしたなか,平成26年12月に中央教育審議会が「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(答申)」を公表した。答申では「そうした教育の実現に資するよう,学校制度を子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的なものとすることで,制度の選択肢を広げること(p.1)」を提言している。具体的には,小中一貫教育の制度化である。さらにその答申では,小中一貫教育の取組は全国的に広がり,今後さらなる増加が見込まれること(p.7)が述べられている。しかし,小中一貫教育を推進するに当たり,算数数学の指導ではどうあればいいのかは具体的には述べられていない。算数数学は,学習内容の系統性が強い教科であるとともに,小学校算数から中学校数学への変化が大きく「中1ギャップ」を起こしやすい教科とも言われ(川上2010),小中一貫教育においては最も検討が必要な教科と考えられる。小中一貫教育等についての実態調査(文部科学省2015)では,小中連携教育を「小・中学校が互いに情報交換や交流を行うことを通じて,小学校教育から中学校教育への円滑な接続を目指す様々な教育」,小中一貫教育を「小中連携教育のうち,小・中学校が子供像を共有し,9年間を通じた教育課程を編成し,系統的な教育を目指す教育」と定義している。つまり,小中一貫教育は,小中連携教育に含まれると考えられる。そこで,本論では,小中連携教育という大きな枠組みの中で,算数数学の指導はどうあればよいかを検討することとする。特に,小中連携における学習系統を捉えた算数数学指導とその留意点について考察することを目的とする。そのために,まず,全国学力・状況調査の結果から学習系統を捉えた指導について考える際に考慮すべき点を考察する第2章)。次に,先行研究をもとに学習系統を捉えた指導とはどのような指導であるかを明らかにする(第3章)。さらに,前節までの考察結果と教科書や学習指導要領の記述内容から,学習系統を捉えた指導において概念や意味などが拡張される場面等を具体的に検討する(第4章)。最後に,小中連携における学習系統を捉えた指導とその留意点をまとめ,今後の課題を述べる(第5章)。
著者
バリタ マシリアー Balita Masyri’ah
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.317-335, 2016-03

昔話というのは地域の人々に流行している話ということである。昔話の始めは、「昔むかし、あるところに・・」という文言が一般に書いてある。筆者にとっては、この文言に強い感想を持っている。インドネシアでも同じように言い、子供のころを思い出すからだ。各国でも面白い昔話があると思う。昔話から学べることが多くあることに気がついた。例えば精神のこと、仕来りのこと、哲学などである。その昔話の意味を深く理解しようとする場合は、言葉だけではなく、昔話を生み出した文化の影響を考えることが必要である。言葉と文化の両方を視野に入れるとき、両者の深い関係の領域には、どのようなことが関わってくることになるだろうか。言葉の意味から文化までを学問分野とすることが可能である。まれには多く話が類似点を持っているが、多くは別の方面に成長している。一般的に昔話は、深い意味を持っているので、そこから、生活様式、感情、人生、自然環境などを簡単に学ぶことができると思う。日本では、昔話に関して柳田国男の著作が非常に人気である。例えば『遠野物語』、『日本の昔話』などである。昔話の主人公には、一般的に良い性格と悪い性格がある。主人公は、必ずしも人間ではなく、動物とか魂の場合もある。動物なら、狐とサルはよく出てくる。その二つの動物は、悪い性格を持っている。いつも他の動物を化かしていて、狡い。インドネシアの昔話にも、そのような動物がいる。カンチルとサルは、一般的に悪い性格を持っている動物である。カンチルという動物はネズミ鹿である。頭が良いが、友だちをよくバカにしている。さらに、インドネシアと日本は遠く離れていても、いくつかの類似点を持っているので、インドネシアと日本昔話を比較研究することができる。実際に、インドネシアと日本の昔話の比較研究がいくつか行われている。例えば、セマラン・ディポネゴロ大学のユリアニ・ラフマーの修士論文、‘Timun Emas (Indonesian Folktale) and Sanmai no Ofuda(Japan Folktale) (Comparative Study of Narrative Structure and Cultural Background)’ である。その先行研究は、インドネシア昔話「ティムン・マス」と日本昔話「三枚のお札」を比較する研究であった。ユリアニ・ラフマーは日本の伝説に関して、非常に興味を持っており、特に日本の昔話を研究していた。様々な日本の昔話を読んだり聞いたりするためには、関連知識として古代の言語の多様性だけでなく、日本社会、日本文化に関する知識を増やすことも必要だと言われている。その上で、日本の昔話にインドネシアの昔話と同じようなテーマがいくつかあることを見つけている。その様々な類似の話の中から、日本昔話『三枚のお札』という話とインドネシア昔話『ティムン・マス』という話を選択している。この研究の中で、三つの課題が指摘されていた。すなわち、1)両国の昔話中の物語構造を明らかにすること、2)両国の昔話中の文化的要素を明らかにすること、3)両国の昔話中では類似点と相違点があることを明らかにすることであった。両国の文化作品は異なる言語なので、その三つ課題を解決するため、比較文学アプローチ、文化的アプローチ、A.J.グレマスのモデルによる構造主義アプローチが使われていた。研究結果においては、物語の構成と文化的要素のいくつかの部分が同じことが見出されたが、両国の昔話の筋書きの特徴と話の生まれた社会生活の違いを見ると、互いに影響を与えてはいないと結論されている。本研究においても、日本昔話とインドネシア昔話を対照研究することを目的としている。ユリアニ・ラフマーと同じように、筆者も昔話に関して強い興味を持っている。しかし、筆者が様々な話を読んだり学んだりするときに、昔話の主人公として様々な動物があることが気になっている。やはり昔話は、読者に影響を与えることができると思うので、主人公の動物がどのように読者に想像されているのかを一つ目の課題とする。そして、異なる文化作品なので、どのような比較分析ができるかを二つ目の課題とする。その上で、その主人公の行動は、分析表の中で良い行動と悪い行動の二つに分けて分類し、その分布から分析して結論を導く。併せて、この研究は、インドネシアの日本語学習者が両国文化の違いを理解する実践的学習に役に立つと筆者は考える。インドネシアと日本は遠く離れていても、いくつかの類似点のある昔話をもっている。研究課題を整理すると、以下の通りである。①昔話の中で、悪い性格と良い性格は、どのように想像されているか。②インドネシアの昔話と日本の昔話の類似点と相違点は、どのような比較分析できるだろうか。具体的な研究方法として、まず日本昔話とインドネシア昔話の情報源を探す。次に、様々な両国の昔話を整理する。そして、両国の昔話から、動物の主人公として人気の高い、カンチル、狐、田螺、猿を取り上げ、主人公の行動を分析表で良い行動と悪い行動に分類・分析し、結論を導く。本研究では、様々なメディアソース(日本昔話の図書、インターネット)等を使っているが、重要なソースは柳田国男の著作、東京外国語大学のウェブサイト、世界神話伝説大系第15巻である。
著者
武田 京子 大村 佳奈 TAKEDA Kyoko OOMURA Kana
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.99-105, 2009

出生後間もない子どもにも、絵本を与えようとする、保護者たちが増えてきている。1960年代のブルーナによる「うさこちゃん(現在はミッフィ)シリーズ」が日本に紹介されてからであり、その後、日本の作家による乳幼児向けの絵本が作られ、「赤ちゃん絵本」のジャンルが確立し、さらに、月刊乳幼児向け絵本も刊行されている。これらの絵本を子どもに与える保護者のほとんどは、「読書活動のスタート」として位置付けており、読書の目的を「知識を習得」「内容の理解」におき、読書時間の長さや読書量(冊数)の多寡を気にしている。 日本におけるブックスタート運動が開始され、全国に広まり定着しつつあるが、現在、ブックスタート運動の本来の目的とは異なった方向に進んでいるのではないか、という疑問が、保護者の発言の中から感じ取られる。同様に、マスコミでも有名大学に合格した親子調査の結果では、幼いころに1万冊の絵本を読んだことが読み書きの習得につながった、と絵本の読み聞かせをすることが大学合格-のスタートであるかのような取り上げられ方がされている。そこで、本来のブックスタートが、どのような経緯で始まり、なぜ日本にも取り入れられてきたのかを振り返り、岩手県で最初に実施した花巻市と類似事業を行っている盛岡市のブックスタート運動の実態を検証しながら、今後の子育てへの活用の仕方について考える。
著者
東 真由美 阿久津 洋巳
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.10, pp.157-162, 2011

本研究は,音楽によって引き起こされた気分が人の表情の認知に影響するかを調べた.表情には笑顔と悲しい表情と中立の表情を選び,コントラストを低くした写真にランダムノイズを加え,短時間提示した.提示された顔写真の感情を評価することにより,表情の認知を測定した.楽しい気分を誘導する音楽と悲しい気分を誘導する音楽を使用して,実験参加者の気分を操作した.音楽は,すべての表情に対してその感情評価に影響し,音楽の気分に沿って顔写真の感情表を変化させたが,その変化は大きくなかった.背景音楽は顔写真の感情を認知する際に影響するが,その条件と影響の量は限定されていると考えられる.
著者
塚野 弘明 TSUKANO Hiroaki
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.14, pp.451-459, 2015

認知行動療法(CBT)とは、患者自身が自分の心(認知、行動、身体、気分)の状態や関連性を知り、それを変えられるという実感を通して自らを制御する力をつけていく自己コントロール法である。こうした方法の発想自体はそれほど珍しいわけではなく、古くから指摘されてきた。たとえば、ギリシャのストア哲学者エピクテトスは、「人間は、生じる物事によってではなく、その物事に対する考え方によって煩わされるのである」と述べている(Epictetus 1991)。また、ダライ・ラマは、「私たちがじぶんの思考や情動を新たな方向に向かわせ、自らの行動を整理し直すことができれば、苦悩をうまく処理する術をもっと簡単に習得できるだけでなく、そうした苦悩の発生を最初からかなり防ぐことができる」と述べている(Dalai Lama 1999)。このように、人間の気分や行動は、認知のあり方(ものの考え方や受け取り方)の影響をうけることから、しばしば認知の偏りを生じることがある。CBITでは、その偏りを修正し、問題解決を手助けすることによって精神疾患を治療することを目的とした心理療法である.これがCBTとして確立したのは、1970年代にベックがうつ病に対する心理療法として構造化してからである(Beck,Ruth,Shaw et.al 1979)。その後、うつ病はもちろん、不安障害やストレス関連障害、パーソナリティー障害、摂食障害(神経性大食症)、統合失調症などの精神疾患に対する治療効果と再発予防効果を裏付ける優秀なエビデンス(科学的証拠)が多く報告されてきたことから、欧米を中心に世界的に広く使用されるようになった。また精神疾患以外でも、日常のストレス対処、夫婦問題、司法や教育場面の問題など、その適応範囲は広がりを見せている。日本では、特に1980年代後半から注目されるようになった。それとともに治療効果の検証も進み、2010年度からうつ病のCBTが保険診療報酬の対象になった。その背景には、薬物治療中心の精神医学に限界が生じ、心理社会的治療を併用することの重要性が認識されるようになったことが大きく影響している。また、従来の心理療法の問題点(話は共感的に聞いてもらえるが有効なアドバイスをもらえない)の指摘などもCBTが注目される理由となっている。マスコミで取り上げられたこともあり、最近では受診の際に「CBTを受けたい」と希望する患者が多くなっている。しかし、定型的なCBTを実施できる専門家の数に限りがあるなど課題も多い。
著者
大河原 清 伊藤 一彦 苅間澤 勇人
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.10, pp.163-168, 2011

首都圏で観察実習をすることが、首都圏での教員志望を促すか、ということを実証する。首都圏の一つ、千葉県の公立学校(小・中)において、観察実習を2009年に続いて、2010年に2回目を実施した。その目的は、地元岩手県の教員採用状況が厳しいために、学生に首都圏での受験を勧めるためである。他県での観察実習であり、千葉県教育庁の協力を得られたことも幸いして、2009年の反省を踏まえて、学生の要望に配慮して、特別支援学校を加えるなど、本格的な校種別実習を実施することができた。 本研究は、2010年の観察実習についての実施前後のアンケート調査結果を中心に、首都圏就職に対する不安や、地元岩手県を離れることの不安、さらに首都圏受験に対する意識変容を、2009年実施のデータとの比較を織りまぜながら、述べることとする。
著者
佐々木 全 我妻 則明 SASAKI Zen AZUMA Noriaki
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.435-439, 2015-03-01

平成19年に「特別支援教育」が学校教育法に位置付けられ,通常学級に在籍している発達障害児童生徒も支援の対象として公的な認知がなされた。以来,通常学級における特別支援教育に関する実践研究への関心が高まっている。岩手県では,「いわて特別支援教育推進プラン」(岩手県教育委員会,2013)によって,インクルーシブ教育を推進し,通常学級における特別支援教育についても,小中学校のみならず,高等学校での普及,定着をめざしている。また,障害者権利条約批准によって,インクルーシブ教育は後押しされ,通常学級における特別支援教育の精度向上が動機づけられている(たとえば,特別支援教育の在り方に関する特別委員会,2011,2012)。第一筆者は,通常学級における特別支援教育に三つの立場でかかわってきた。具体的には,①親の会等市民活動団体による実践者の立場でもある。これは1990年代半ばから現在に至る。特にも,放課後・休日活動支援に取り組んでいる(例えば,佐々木,伊藤,名古屋,2014)。②特別支援学校のセンター的機能の実務担当者の立場である。これは,2000年代半ばから2010年代に至った。特にも,巡回相談にて,小中高等学校の通常学級に在籍する発達障害児童生徒の支援に携わった。また,それに資する地域支援の開拓にも取組んだ(例えば,佐々木,2012)。③通常学級の担任及び教育相談担当者の立場である。これは2013年から現在に至る。特にも,高等学校において学級担任と特別支援教育コーディネーターを兼務し,発達障害生徒を擁する学級経営,教科指導,かつ,特別な支援の必要を伴う教育相談を担当し,面談や関係機関との連携等のケースワークを行なった(例えば,佐々木,2013)。本稿では,これらの立場によって得た実践経験に基づき,発達障害を巡る動向とその支援における実践上の課題について,それらの変遷を回顧的・逸話的に整理し,現在の課題を明確化する。
著者
宮川 洋一 山崎 浩二 名越 利幸 渡瀬 典子 ホール ジェームズ 土屋 明広 田中 吉兵衛 立花 正男 山本 奬 今野 日出晴 川口 明子 田代 高章 藤井 知弘 長澤 由喜子 遠藤 孝夫 MIYAGAWA Yoichi YAMAZAKI Kouji NAGOSHI Toshiyuki WATASE Noriko James M HALL TSUCHIYA Akihiro TANAKA Kichibei TACHIBANA Masao YAMAMOTO Susumu KONNO Hideharu KAWAGUCHI Akiko TASHIRO Takaaki FUJII Tomohiro NAGASAWA Yukiko ENDOU Takao
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.14, pp.219-230, 2015

本研究の目的は,4年次後期に必修となった教職実践演習における模擬授業のあり方を検討し,評価基準を策定することにある。そのうえで,ICTを活用して,組織的に評価を行うシステムを構築し,試験的運用を行うことである。「教職実践演習」は,「教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令」により,平成22年(2010)年度入学生から導入される教員免許必修科目であり,学生が最終的に身につけた資質能力を,大学が自らの養成教員像や到達目標に照らして最終的に確認することを目的としている。中教審による「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」(2006)によると,教職実践演習の授業内容は,①使命感や責任感,教育的愛情に関する事項,②社会性や対人関係能力に関する事項,③幼児児童生徒理解や学級経営に関する事項,④教科・保育内容等の指導力に関する事項を含めること,が適当であるとされている。そして,教職実践演習の実施にあたっての留意事項として,授業の方法は演習を中心とすること,役割演技(ロールプレーイング),事例研究,現地調査(フィールドワーク),模擬授業等も積極的に取り入れることが望ましいこと等が示されており1),極めて実践的・実務的色彩の強い内容となっている。
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.115-136, 2015-03-01 (Released:2016-05-17)

宮崎駿と並ぶ日本アニメ映画界の「レジェンド」で1998年には紫綬褒章を受章し,2015年には『かぐや姫の物語』で第87回アカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされるなど今日国際的な評価を得ている高畑勲監督(1935年生)は,2014年10月,NHKテレビのインタビュー(1)で,宮澤賢治作品をアニメ化することについて問われた際,「僕にとっては,畏れ多い」と答えている。以前,5年の月日を費やしてアニメ映画『セロ弾きのゴーシュ』を自主制作したこともある高畑に賢治作品への畏敬の念が本当にあったかどうかについてはさて措き(2),賢治作品について高畑がこのようなイメージをもつに至ったのは,1939年,賢治没後初めて出版された子ども向け童話集『風の又三郎』(坪田譲治解説,小穴隆一画,羽田書店)を読んだという彼の最初の賢治体験に依るところが大きい。羽田書店は,この前年,賢治の盛岡高等農林学校時代の後輩でその思想に多いに影響を受け農村劇活動などを実践した松田甚次郎の『土に叫ぶ』を刊行し,ベストセラーになった。同店はその余勢を駆って,松田編の『宮澤賢治名作選』を1939年3月に刊行,これが賢治の童話作家としての名声が広まる大きなきっかけとなったことはよく知られている。このいわば大人向けの選集の好評を受け,さらに同年12月に子ども向けとして刊行されたのが童話6編を収めた前掲『風の又三郎』で,当時文部省推薦図書指定を受け,これも多くの子どもたちに読まれた。さらに,翌1940年10月には,日活によって映画化された『風の又三郎』(監督:島耕二)が公開され,「はじめての児童映画の誕生」ともてはやされ「文部省推薦映画」となり,映画文部大臣賞を受賞,宮澤賢治の名は人口に膾炙することになる。同年,小学校三年生の時に故郷岡崎で観たこの映画や小学校六年生の時に読んだ〈銀河鉄道の夜〉の「すごくメタリックに光る,キラキラした印象」(3)をもとに,名実ともに「一大交響楽」(4)を作曲したのが,高畑より3歳年上のもう一人の「勲」,すなわち,数多くの映画音楽やテレビ番組の音楽を手がけ,またシンセサイザー音楽で世界的に評価されている作曲家・冨田勲(賢治没年の前年である1932年生)である。
著者
大河原 清 苅間澤 勇人
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.10, pp.95-137, 2011

同じ書名『ジャックと豆の木』の2冊の本を高校2年生に読んでもらった。最初にミルクを出さなくなったので、牛を市場に売りに行く本である。この本の冒頭部分について、できるだけ数多くの疑問点、不思議な点、矛盾点を個人的立場で列挙してもらった。続いて、小グループを作って、グループ内で疑問点、不思議点、矛盾点を披露し合い、自分では気づかないことを、友達の発言の中に発見させた。これらの疑問点などをグループ毎に黒板に掲示して、競わせて得点づけをした。最後にこれまで出された疑問点などの解決が図られるような、別バージョンの本『ジャックと豆の木』を読んでもらった。高校生86人は、普段、グループでの話し合いをする経験が少ないことからか、82.5%の71人が読書への興味を持った。 本論で提案する同じ書名の本の読み比べ法について、高校生は次の通り述べていた。「一つの物語を、様々な目線から見たり、読み比べをしたりして、自分の疑問などを見つけ、真相に向かって行くのが、これほど楽しいということを知らなかった。また、他人の主張なども聞いて他人の考え方や人柄までも知ることができて、とても楽しかった。/意見を出し合ったりするのは、苦手なので、不安だったが、自分が考えつかなかった意見がたくさん聞けて、面白かった。『ジャックと豆の木』をもっと読みたくなった。自分とは違う考えや、自分が知らなかったことを学ぶことが楽しいと初めて思った」
著者
安井 萠 YASUI Moyuru
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.12, pp.29-40, 2013

世界史(外国史)の授業は一般に、時代や地域ごとに史実を概説する形で行われる。こうしたやり方に多大な利点があることはなるほど間違いない。だが私見によれば、学習者の思考力を高める上で、時に時代や地域の枠を越えた「大きな絵」を描いてみることも大切ではないかと思われる。本稿では、そのような認識のもと筆者が企画・試行したある授業を、一つの実例として紹介したいと思う。紹介するのは「共和政の歴史的展開」と題する授業である。これは、西洋世界における共和政の理念ならびに共和政国家(共和国)の展開の歴史を古代から近代までたどるという内容のもので、この授業を通じ学習者が西洋史の全体的なつながりを意識するようになることを狙いとしている。筆者はもともとこれを大学の講義用に作成した。しかしその後高校世界史にも応用できるよう手直しし、まず岩手大学教育学部世界史研究室のゼミで試行的に授業を行った。そしてさらに岩手大学世界史研究会の例会で発表し、高校教員の会員から意見を聞いた。以下では、これら二度の試行を踏まえて仕上げた授業の原稿を掲げ、関係者の参考に供することとしたい。(授業の言葉づかいは、冗長を避けるため「である」調とした。本文の見出しと註は今回新たに付したものである。)
著者
大河原 清 OOKAWARA Kiyoshi
出版者
岩手大学
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.65-78, 2004

地元盛岡市内にある円光寺にまつわる伝説「お蓮女と首塚」を題材として、小・中・高校教員を対象に、物語の創作を3回実施した。第1回では、51名中約75%の教員が物語の創作が楽しかったと報告した。第2回、第3回を実施し5段階のアンケート調査結果も、「どちらでもない(3)」と比べると、「物語の創作が楽しかった」は第2回の44名の平均値が4.5、第3回の21名のそれが4.7と高く、その他の項目も3より大きく好意的な回答が多かった。創作活動を観察した結果からは、教員同士のグループ活動が活性化すると共に、地元の歴史的事象に対して関心を深めていることが分かった。地元伝説をネタに物語創作をする方法(一種の再話に相当)は、「総合的な学習の時間」における調べ学習に適用できるのではないかと思う。調べ学習において、課題として、調べた内容をネタに新たに物語を創作することを導入することで、深い調べ方が身につくのではないかと想定するためである。
著者
佐々木 全 加藤 義男 SASAKI Zen KATOU Yoshio
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.9, pp.175-190, 2010

高機能広汎性発達障害を含む,いわゆる発達障害のある児者に対する教育や福祉の制度による支援は,充実・発展に向かいつつも,開発の途上にあると思われる.そこにインフォーマルな支援グループが力を発揮する余地がある.その活動分野に関する一例として,放課後・休日活動の提供と支援があるだろう(佐々木,加藤 2007)1). 障害のある児の放課後・休日活動については,一般的にも関心が高まっており,文部科学省委託による調査や研究実践の報告がなされており,今後の開発・普及と拡充が望まれる分野といえる(例えば,NPO法人大塚クラブ,2008 2); 東京学芸大学特別支援教育研究会,2009 3)). 岩手県内では,いわゆる発達障害のある児童に特化した「通所支援教室」が療育を志向しつつはじまり,近年に至り放課後・休日活動を志向するようになった.その先駆けであり, 年以来取組まれている「なずな教室」では,ソーシャルスキルやアカデミックスキルの習得を志向した時期(例えば,佐々木,2000)4);佐々木,2002)5)があったが,近年は放課後活動を志向している(例えば,森山,2008)6)筆者らが1998年以来取組んでいる「エブリ教室」は, 高機能広汎性発達障害(知的障害のない自閉症,アスペルガー障害,特定不能の広汎性発達障害を包括する概念)のある小学生を対象とし,月一回第4土曜日に開催の取組みであるが,ここでも近年は休日活動の充実を志向し始めた.すなわち,エブリ教室では,参加児童にとっての豊かな休日活動をねがう.ここでいう豊かさとは,参加児童にとっての自己実現であり,自立的・主体的な活動の実現である.その実現に向けた実践的課題として,佐々木,加藤(2008a 7))は,以下を指摘している.すなわち,①中心活動(単元化された活動内容)に沿った「一人一人のための支援計画(通称,IEP)」の作成と活用のあり方に関する検討,②ねがいの実現と支援方法の機能の関係性の分析,である.なお,「単元化」とは一定期間同一内容の活動をテーマとして取組む展開方法である.エブリ教室の実践においては,これら①,②を活動の留意点とし,活動計画及び実践とその記録・評価に反映している.